nagajisの日不定記。
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毛が生えたとか包茎だったとか書いて胡散を晴らそうと思っていたのに一日過ぎてしまった。残念だ。
適当なカテゴリがなかったので適当なカテゴリに分類しておく。過日四天王寺さんのガラクタの中で見つけたピンバッヂ。どっかで見たことがあるマークだなあ、真ん中のは澪標だよなあ、でも宝塚線ってナンダと思いながら回収しておいたのだが、何の事はない、阪急電鉄の旧社章じゃないか。大阪市と神戸市と京都市を結ぶから3つの市章を組み合わせてあるのだった。
しかし文化部ってなんだろ。OASISっていったら今は阪急オアシスしか思い浮かばない。
筒井康隆の短編に 、や。の意義を論じた「句点と読点」というのがある引用符なしに。あるいは、を地の文に入れたり本来、によって区切るべき場所。によって休止すべき場合に使わないとどれほど読みにくいものになるかを具体例でもって示してくられたものである実際、も。もない文章は読みづらく不意に、が入る文章も読みづらく。に至っては思考の妨げにもなって見事に、と。の有り難みを再認識させられるのだが、の代わりに他の文字例えばほえという語をもて句読点とするほえというようなルールであったらどうだろうと思った。の代わりにはむひを使うのだむひそうするとほえ文章は更に読み難くなるのではないだろうかむひおそらくほえ既存の文章ほえ例えば日本国憲法の条文の。や、を置き換えて見せたりすれば手っ取り早いのだろうしほえあるいはテキストエディタの置換で、をほえに。をむひに置換すればさくっと出来る筈なのだがはえそれだけでは面白くあるまいむひむしろほえ、の頻出する文章ほえほえほえほえやむひむひむひの如く微妙な間合いほえ決まりの悪さを表すのに使われる口語的表現の場合のほうが効果的かと思ったりしたがほえさほどでもなかったやはりそれ単体で意味を為す言葉だと乖離が激しすぎて目立つのだろうか。の代わりにあを使い、の代わりにいを使うほえのようなレベルまで微細化しないとあこの試みはおそらく失敗すると思ういしかし字の文でいを使いたい時ほえまさしく「使いたい」のいの場合のようにむひもし両者を区別なく書いてもよいあ句読点なのかあなのかの判断を読み手に委ねてしまってよいとしたらいやっぱりひねりがあないい。をいで代替するのならいいの代わりに。を使うことにすれば。ちだんと読みにく。のではないかあの代わりに、で、るいしかし今度は書くほうが混乱を来してあの代わりに、だったか。の代わりにいだったかわからなくなってきたい整合性のな、ただのでたらめで、るだろうい
確率の海に餌を投げ入れるだけの簡単なお仕事ではあるけれども、作ったセットが直後に売れると結構うれしいものがある。やっぱこれ欲しがってた人おったんや、って。しかもそれが、自分と感性が合う人がいたとかどうとかいう話でないところがいい。これ売れるやろ、売れた、という簡単なconjunction。なあなあべったりでも右顧左眄でも八方美人でもないドライな読みとその正答、ね。
木は森に隠せとはよく言ったもので。しかもやたらと人の多い密林だから、気がついた人だけ気づけばいいよ、というスタンスでやっていてもちゃんと見つけてくれる人がいるのが面白い。しかし「製本エラー本」とか「記念切符」とかしかも加越能鉄道のとか検索しようと思う人はさすがにいないだろう。このへんは実験だったり趣味の出品だったりするから売れなくても全然困らない。
C02030339100。
あぶねえ、タイトルじゃ40年になっとる。
それ以外にもM34のあり〔Ref.C02030449400〕。この時点ですでに完成?
福良軍道で検索すればM32頃には竣工図書進達がある。第一部字十軒屋から仁尾まで〔Ref.C02030233400、〕、第二部仁尾から鳥取まで〔Ref.C02030433300 M33〕、第三部は谷川町から十軒屋まで。苅藻分岐から門崎交通路、大刈藻から柿ケ原堡塁交通路が分岐。
福良軍道県道移管T15。〔Ref.C03012218200〕
松ヶ崎より北が軍道第一部、南が軍道第二部。大正の県道移管〔Ref.C03012149200〕を参照。佐瀬川深山間は明治35~36に収容。堡塁は明治37年7月4日に竣工図書進達〔Ref.C02030272000〕。
地球の総面積に比べれば誤差に等しい広さだろうが、この山の襞のすべてを知ることはもちろん、横断してあなたの空とおくに幸いを探しにゆくことすら不可能だと思うと、得体のしれない恐怖を覚える。
同じ話を何度も何度も繰り返す老人、というステレオタイプがある。自分もやがてそうなるんだろうなあと思うし書く上では既にそれに陥っている。気がするどころの話でなく厳たる現実としてそう認識する。
人は自分の後先が短いと悟り始めるとそうなるものなのかも知れない。今まで経験してきたこと、考えたこと、が死によって一切空になることに対して焦り始める。自分の失敗を、同じ失敗をしてほしくないという思いから伝える。それがちゃんと伝達されたかどうか心許なく、だから繰り返し繰り返し、執拗に語るのかも知れない。仕事だとか何だとかで多少なりとも社会に関わり社会の一部を構成してきたという自負がある人ならなおさらかも知れぬ。年を取り社会を遠巻きに眺めることが多くなって疎外感を感じ始めると、社会に向かって自分の存在を主張し注意を惹くために喋る喋る喋るもしくは喋る而して喋るしかなくなるのかも知れぬ。側葉頭の劣化と機能不全と生物学的に捉えてもよいだろうがそれだとなんだか味気ない。
昔の人は老後の手慰みに文字を書いた。地域の歴史だとか言い伝えだとかを拾い集めて地誌を書いてみたり自らの生い立ちを文字にして書き残してみたり。文学を志す者や戯作者とかはともかく青年の頃からそういうことをしたという人はあまり聞かない。そうして決まって歴史書か自分史かであり結局は自分に関わる歴史を後世に残したいという思いからの行為であるようだ。
自分はまだ、伝えて置かなけばならないという義務感も、切迫した焦りも感じていない。ただ無為に書き続けていることには倦怠している。
倦んでいるくらいならまだましなんだと思うことにしている。
誰かに阿るようなことや人気取りのために書いてはいない。それを百獣南郷続けてきたことだけは誉めてやっていい。そういうのを突き詰めていけばどうなるか、はメイドの土産冥土の土産に確かめておきたい気がしている。人間が人生一つ無駄にして無駄な文章を書き続けていけばどうなるか。社会的な評価がではなく本人がどういう心象を得てどういう気分で死ねるか。
時おり思い出す、自分の中の最も古い記憶のひとつ。幼稚園にあがる前だったと思う。近所の子だったか母親の知り合いの子だったかはっきり覚えていないのだが、自分より年下の女の子と遊んでいて、
子「こないだ犬に噛まれた」
私「こないだっていつ?」
子「わかんない」
というようなやりとりをして、その返答に対して妙に憤慨した。3日前なのか4日前なのか、それとも一週間前なのか、はっきり答えてくれないことに苛立ちを感じたようだ。そこまではわかる。しかし継ぐ私は何を思ったか「日記を書けよ」と言い出した。日記を書いてればいつのことだったかわかるやんか。なぜ書かないか。力説した。そしてその辺にあった石を並べて、この石が3日前、これが4日前、とか何とか説明しだした。そんな私に女の子は感心しきりだったような気がするが、これは自分の都合のいいように改竄した記憶かも知れぬ。
ともかく、石を使って云々の場面はしかと覚えている。のだが、どう考えても内容が理論的じゃない。並べた石が日記がわりだというつもりだったのだろうか。そもそもそんなことを宣う自分が日記を書いていたわけではなかった。むしろ逆で、夏休みの宿題の絵日記だとかあさがお観察日記だとかは苦手な方だった。
感情と理論と解決方法がてんで噛み合っていないところは、この頃から変わっていないのかも知れない。
うん。そうか。そういう自己認識をするために果てしなく書き続けているのだな。
改めて、整理するために書いているのだなあと実感する。書きながら何度方向修正したことかわからない。特に大川峠。火薬本庫内の橋も書かなければ筋道が通らなかっただろう。そういうところを片付けてから積み上げないとあとで崩れる。
これに頭を使ったのと(あ、今回アタマっていうのを2度つこうた)栗平に行ったのであまり長く書けなかった。次を書くと長過ぎになってしまうというのもある。どうせ由良要塞の記事は求められていない。かといって旧橋を書いたところで喜ばれるとも思わないが。
次号までに深山か福良に行っておきたい。深山はスマホを持って行くこと。演習砲台、松ヶ崎電燈、大川峠の北側。福良は福良周辺だけか。そっち方面に行くなら旧版地形図を買っておく必要がある。早めに申請すべし。
日が変わってから更新すると+1日になるので焦る。まだ12日、まだ12日。13日中には片付くさ。
あ、近代化遺産っていうカテゴリはないのだな。産業遺産と道路遺産はあるけど。
結局のところ近代化遺産って活用ありきで「しか」語られないのが納得行かない。観光資源として価値があるか否かしか見られない。いくら軍艦島が近代化に資した物件であろうと現存例の少ないものであろうと遺産とされて観光に供されるようになれば観光物件としての価値しか認められない。どうやって活用していくかしか語られない。背後にある歴史とか関連とか誰も気にしない。遺産の利子で食っていくか、食いつぶしていくかしか道がない。
近代化遺産調査なり認定なりがなければ世間の耳目を集めることはなかっただろうけれども、集めたところで何になる、と思うことも多い。唯一、それが地域の人々の誇りなり宝なりになるだろうことは喜びを感じるけれども、それが「活用」を視野に入れ始めた途端に疑問符が湧いてくる。何だろうな、この虚しさは。自分のものでも何でもないのに。
根底に流れる胡散臭さ、嘘臭さ、上滑りな「いいもの」主張。そうか、それは広告の胡散臭さだ。耳障りのいい言葉と嘘でないギリギリのラインの誇張によってデコレーションされた別のものになってしまうからだ。なってしまっていると感じるからなのだな。納得した。
じゃあ、廃道で出会ったモノを「いいものだ」と主張するのとどう違うんだろうね。片棒を担いでるだけなんじゃないかしらん。
自分がよいと思うものを貶されることには敏感なくせに、周知のものとなり、遺産としてちやほやされるようになることにはーーーそういうものになったことは今まで一度もないのだから心配する必要はないだろうがーーー鼻白む。なんて勝手なんだと思う。世の中には主義主張があふれていて、ただでさえ息苦しいのに、さらに自ら声をあげるというのも愚かなことだ。ーーーそこは誰も聞いちゃいないのだから心配する必要ないか。
モノは昔からそこにありつづけていたのだから、物好きが近頃久しぶりに目にして、元を辿ってみただけで、だからといってモノの価値があがるなんて考えるのがおこがましいのだろうな。モノそれ自体は以上でも以下でもないその価値のまま変わらない。それに対する人間の(現代人の)態度が如何というだけ。貴重だと本気で思えばその分声高に叫んでいればよろしい。それで現代人の態度が変わればよろしい。掌を返したようにありがたがって居ればよろしい。私はそうではありたくない、と思うが、さあ、nagajisごときがそんな大層なことできるんかね?わらい。
ますます生きづらくなるなあ。
自分が「よい」と感じるものの良さは果たして何を基準にしているか? それもまた世間基準でしかねえんでねえの? 現存最古だとか日本最大だとかそういう尺度。社会への反抗が社会がなければ成り立たないのと同じ。
無様だねえ。無様だねえ。何をやっても無様だねえ。書いても、書かなくても、好いても好かなくても無様だねえ。そんな姿に酔い痴れたくもねえ。ただただ憤慨して、身動き取れなくなって死ぬんだろうねえ。無様だねえ。
昨日の憤慨はようわからんうちに世界遺産になったことへの不信感から始まってたんだった。そのへん書いてない。軍艦島なんか明らかにこじつけだもんな。そんな価値があるものなのかよう吟味されないまま無理矢理加えられたやつだもんな。で、多分国民会議やったんだから議論尽くしただろって言われる。胡散臭い胡散臭い。そういうやり方がまかり通るんだからヤな世の中だ。世界遺産なんてそんな程度のもんかと思う。根っこはそうじゃないかも知れんが日本においてはどっかで捻じ曲げられてるな。
あっ、はらがたわ峠の南の麓の道もそうだった。あのバイパス橋完成して沢沿い通れなくなったんじゃなかったっけか。もともとじめじめした感じのする道で半死半生という態だったからな、ちょっと趣旨とはなれてるかもしれんけど。まあよい。
負け組が勝ち組の群れに囲まれた時の敗北感を味わってみようと思った頃にはもう葉書がどっかいっちゃってる。せめて「空気消費税を導入せよ」って書いて出しておけばよかった。
性別をナカグロに丸つけてってのはありがちなのでつまらないぞ。
震度7と震度5強に挟まれた実家もうかうかしてられんのかも知れんな。表面の両端が剥がれたらそのうち真ん中も剥がれるやろ。しかしメサで囲まれた盆地だから断層ができるような割れ方はせえへんかな。もっともヤバイのは竹田にいるらしいN氏のほうだ。渦中の方も周辺地域の皆さんも油断召されぬよう。
久大本線も止まってたかー。
16の地震のあとラジオが焦ったように地震放送ばかりになったのが片腹痛い。15の昼とか夜とか余裕こいてたくせにさ。
大変失礼した。ワンクリックで素を作ったあと手入れしなければならないのを忘れていた。こんどは素早く気づいたぞ、と自慢にもならない主張をして寝る。
自分の当面の課題はこのクソ散らかった部屋を片付けることだ。
いまさら気づいたが宝殿のB.C.△H.J.は陰刻なのだな。凹みの底に陰刻で文字が刻まれている。吹田で見た平面に陰刻のとも違う。少なくとも3種類の型があったことになる。
単体のと統合版のとでラジオボタンの数値が違うってどういうことやねん。
修正したのに503であげられへんちゅうのはど(ry
拡張子の「.pdf」が「.pdf」でもリンクが正しく機能していたらしいのはど(ry。これチェックしてなかったわけじゃねえんだけどな。ちゃんと動いてた。
ああ、なるほど・・・第一引数はORJ_noしか見ておらなんだな。拡張子以下はあってもなかってもどっちゃでもえかったんや。
var foldername=inv1.match(/ORJ_[0-9]*/);
var wccheck=inv2.match(/ORJ_[0-9]*_?[0-9]*?.pdf/)
でもまあ気持ち悪いので修正をしておく。ORJ_1511のほぼ全部、以降のORJ_1511へ張ってあるマゼンダリングのある号は修正。今号除く。
月に一度のペースで無性にハンバーグが食いたくなる病気に罹患していまい今月の発作が本日勃ったため対処療法にて治療を試みたのだがハンバーグには牛乳を加えなければならないというあやふやな記憶に基づき牛乳1リットルを 購ってきたものの一滴たりとも使うことなく終わってしまいそもそも種がもさもさになることなく仕上がってしまったのは煮た玉葱→挽肉→卵と入れてねちゃらこちゃらになった状態から親の敵の在庫処分とばかりにパン粉を加えては練り加えては練るという作り方即ち液状近似の状況から水分を奪いつつ作るからだろうと気づいたのだが而して出来上がったハンバーグがモロモロになってしまうでもなく姿形ばかりが似た粗悪代替品になるでもなくそれなりに美味しく頂けるようなものに仕上がってくれるのはちょっと残念に思ったことだった何となれば予定調和ほど詰まらないものはないしの失敗あってこその上達だと思うからだ今のハンバーグ作りの腕が上手の域に達したとは決して思えずにもかかわらずモノは出来てしまってごく普通のありきたりな平々凡々なそれを頂くしかないという状況は侘しかったこれはハンバーグ造りに限ったことではなくきれいに茹で上がって殻もつるりと剥けるようなうでたまごしか作れなくなった時の残念感さらに言えば廃道を難の苦も無く当然の如くに歩き抜けられた時の拍子抜け感にも通じるものがある何がしかの冒険そしてその成功もしくは失敗がなければただの日々の食事でしかない唯一の異常事態はそんなハンバーグを食べ過ぎてお腹がパンパンになってしまったことと種に入れることなく終わった牛乳をストレートにがぶ飲みしてしまいしかもキッチンドランカー宜しく焼きながガブガブ飲んでしまたっため下腹部がぎゅるぎゅると鳴いてやまない現況であることだ。
翌日も当然ハンバーグを食すことになったわけなのだが都合3個目を作ってもなお1乃至2個分の残余が有り幾ら冷蔵庫なる文明の利器があるとはいっても余り日持ちがしないであろうことは火を見るよりも明らかで抑火を見る=明白な事と云う例えは電燈など無い夜が暗い時代の産物であり灯りが煌々と室内を照らす現代では通じないのではないかと思うのだがそれはさておき昨日のハンバーグが腹に支えている感じが拭えずお腹パンパン友達いない1人でハンバーグパーティなうえにふとした思い付きから馬鈴薯と人参を出汁の素+醤油で似た副菜まで作ってしまったため余計に今日のハンバーグが入り切らず難儀している、
そうじゃねえかなあと思って見に行った阿振川橋。明治33年末にはすでに完成していた深山軍道第一部にかかってる。根っからのコンクリートアーチの可能性がある。ホントにコンクリート橋だったら日ノ岡11号橋より本河内低部堰橋よりも古い。
型枠の跡がなく塗り込めなのは昭和45年に拡幅した際にアーチも塗りあげたからだという証言を得た。齢80のこの方が記憶する限りでは昔からコンクリートアーチだったという(それでも遡れるのは戦前昭和が限度だけど)。で石アーチの塗り込めでないことは石橋台幅がそのままアーチになってるところから推測。大谷川とは違うのだよ大谷川とは。
T12に県道移管された時、深山軍道第一部は幅5m、第二部は4m。阿振川橋梁は幅5mで大谷川橋梁は3m〔Ref.C03012149200〕。合うねぇ。阿振川橋だけ広いのは係船場から深山連隊への通路にあたるからだろうな。
C07071895400 どっかで引っ張ったっけ。
警察の人はやっぱりおっかねえなあ……。余計なことしたんかも知れんという自省しか出て来ん。でもこの心地悪さを放置しておくのもどうかだから。廃2のアレとかもあるもんな。3だったっけ?
Facebook使い慣れてないのでメッセージ2連発になった。こんなやり方でいいんだろうか。
共感を得るということに対して何の価値も見いだせない。喜びを感じない。その一時においてはうれしさとか得意とかを覚えても時間が経つにつれてそう感じたことが馬鹿らしく思えてくる。そんなことのために何時間も呻吟してたんかと思う。むろん疎外感は感じるがそれを取り除こうとは思わない。受け入れられなかったという事実の確認で結了している。結了すべきものと思っている。疎外された位置こそ自分の定位置なのだと思っている。 諦めでも開き直りでもなくそう思っている節がある。そのような認識が自分の底流にあると気づいて以来、ものの書きにくいこと書きにくいこと。何で書いてるんだろうねえ、と他人事のように思う。だから疎外されるために書いてるんだと思う。そうそう、共感を拒否して無為に書いて疎外されるところまでが一セット。これほどな人生の無駄遣いはない。小麦の大収穫である。
なんかよくわからんくなったのでコアダンプに放り込む。便利なカテゴリである。
珍しくネタのストックが溜まっていてどうしようかと思う。書かないと細部を忘れてしまうのは必定なのだがかといって一気に書き上げられるほどの力も精神も時間もない。
昭和12年統計書
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460684/304
特13号国道 延長1899m 橋梁長14m
大正10年 同様(間表記)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972927/250
奈良県の統計書は特別なんだな。ユカ橋の件を調べた時、橋梁数とか素材とか載ってて有りがたかったんだけど、和歌山県統計書には橋梁の素材どころか橋の数さえのってねえ。橋の延長がわかってもあんま嬉しくない。
教育委員会にTEL。一向に興味を持ってくれないのに苛立って文句を言ってしまった。あとで考えたらコレ以上迷惑な話はねえなあ。四日市軌道のあんしと同じや。かといって「私のかわりに調べちゃくれませんかねえ」とも言われへんしな。自分関わらなかったらおもんないやん。
こういう問い合わせは空振りに終わることが多い。そもそも「問い合わせ」の体を装った何か別のものになってしまう。こんなん見つけたんやで、すごいやろ、あんたら節穴眼やろと詰ってるようなもんだからな。その気分をきれいさっぱり取り除けて情報提供に専念するとかじゃないと話が妙な方向へ言ってしまう。正直申し訳ないと思う>受けてくださった方。だいいち最古のC橋梁と確定したわけでもねえんだ今の段階では。
和歌山県道路課。デジタル化されている現行の橋梁台帳では上部工下部工とも昭和42年となっているとのこと(え?42年?銘板は45年3月だったぜ?)。いずれにしても現行台帳に旧橋の竣工年とか載ってないだろうとは思う。由良の軍道の橋梁もS9とかS18とかになっているらしいし。前者は明らかに県道移管の年。それを考えると、和歌山県の道路台帳(旧)でも早くて大正9年の特13号指定以降か大正14年に除籍→移管までしか遡れないだろう。
古い台帳の行方について技術職の方に訪ねてくれることになっているが現時点では返事がない。望み薄。
Cアーチなのに橋台が石積みってのは意外と怪しいことなんぢゃないか。普通だったら橋台まで全部コンクリートでつくるんじゃね。道路課の方も橋台が石積みだといっていた。
あれ、大正9年に特13号国道になってるのに何で大正14年に県道移管・除籍申請しなきゃいかんかったんやろ、と思ってよく読んだら「国道路線トシテ国防地管理換ノ件ニテスミ」という付箋がついてたようだ。
案の定電話はかかってこなかった。つつくか・・・
↑多分もういちどTELしてほしいと思っていることに気づいてないんじゃないか。最初のTELでは台帳上の竣工年を尋ねただけで、その折り返しTELにも一つ質問を乗っけたからなぁ。
そうして鳴門要塞にも触手を伸ばし始める今頃。ある程度確認してから注文できるようになったのは有り難いな。
念のため和歌山県立図書館に深山重砲兵連隊の資料について聞く。県史と「太平洋戦争と和歌山県」という本、ならびに「由良要塞」を紹介された。それ以外にまとまった記録はない模様。あ、あと雑誌「木之国」にも少し。そういや「樹木のき」って言われたけど、ちょっとわかりづらいな。
和歌山県文書館も丁寧に調べてくださったのだけど橋や路線の改築にかかわる資料は見当たらなかったようだ。残念。
というか先に和歌山市の道路課に聞くべきだったな。橋の名前とか竣工年とか、大超常もとい台帳上の記録を確認しとかな。あれ市道で間違いないよな。
http://www2.wagmap.jp/wakayamacity/top/select.asp?dtp=15&pl=3
うん、県道65号から池まで「加太49号線」、それ以降「森林公園線」。
コンビニに行こうと思って自転車を駆って漕ぎ出しのシフトアップをしたらパッツンって切れた。また頭が飛んだのかと思ったらそうじゃない。アウターワイヤーの中で破断していた。おいおい、恐ろしい切れ方するなよ……。予兆も何もわからんじゃないか。
替えがもう一本あったはずなんで明日昼休みにでも直しとこう。
センターの方が時間外窓口に出してくれたお陰で申請日ふくめ3日くらいで手に入った。有り難や有り難や。
モノは狙い通り。というか狙ったものしか手に入らんかった。それでも構わない。
カスタマーが求めているものを求めている値段で提供できておる。我ながら上手だと思う。これを「一本釣り」ゆうたら失礼だろうと思うのでタイトルのような造語にて表現してみる。
やはり100y/sを割りこまないと訴求力が弱いようだ。気長に置いておけるものならともかく、早くかたしてしまいたいものは安めに設定するべし。
_ TAKATAKATAKA [「今昔マップ」で見れるのでは? 明治25年(1892年)頃から見れますよ。http://ktgis.net/kjmapw/index.html]
_ nagajis [いや、ないっていうのは手元にないっていう意味です。引用できる紙媒体のものがないと。]