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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2022-01-01 [長年日記] この日を編集

[ph.] mission complete

画像の説明

500km離れた場所の50数mの区間に、あるかないかも定かでない3cmを探しに行った。あった。

満足して帰る。


2022-01-03 [長年日記] この日を編集

兵庫県の県道が三省訓令の前後でどう変わったか、を見なければならなかったのだ。故にT2末の県道路線だけでは足りぬ。頑張ってM45末も作成した。 お陰でいろいろなことがわかったが、肝心のことがいまいちである。

大河を挟んで両岸に県道が設定されているような場所は1本削減されている。但東町エリアの府県をまたぐ県道がかなり削減されている。但馬は出石や但東以外は余り変わらない。三坂が削減されただけだ。

名称上でだけ重用されているのはM45以前からそう。考えてみればそりゃそうだな、至鳥取県県道が鳥取県内まで伸びていたわけではない。

T2では停車場路線をかなり伸ばして無理やり停車場を終点とする手が散見される。その他港に達するものとか。

国道54号の北条~姫路間がいまいちすっきりしない。国道認定以前の姫路~北条間県道はM35時点では豊富から入っていたのに、M37表ではより北から真東へ向かうルートが国道54号線になって、県道は姫路~北条間が切り詰められている(国道54号との重用はない)。而して姫路側54号区間は以前は県道でなかったはずなんだ。

あと神戸駅周辺や姫路城周辺の正確な道の取り回しがはっきりせず。西国街道筋を追うべきなのか、そうでないのかもはっきりしない。

GoogleMapsは時々ちゃんと保存されていないことがあって糞。整頓し終えた!と思ったらそれが全然保存されてなくて2時間分くらいの作業が無駄になった。エラー出てなかったから安心していたのだが。糞。

区間重用の量はまだちゃんと計れてないが、T2以降のほうが若干少ない気がする。国道54号を挟んで3分割したりして重用しないというような配慮はT2にしか見られぬ。T2三省訓令でもっともとばっちりを受けたのは猪名川町の辺りだろうか。西峠越えのかの路線だけしかなく、東西連絡がまったくなくなっている。

欲を言えばここからT9道路法でどう増えるか見てみたいようにも思うのだが、しんどくてやってらんない。


2022-01-04 [長年日記] この日を編集

[独言] 糞便談

この三が日は自分のうんこについて知見を得る所大であった。

経緯はこうである。元旦の帰りのフェリーで晩飯を食っている時に、誤って差し歯をひとつ飲み込んでしまった。昨年の秋頃に治療した時に作り直してもらった右の犬歯なのだが、治療の直後から少しぐらついていて、12月の頭頃にクシャミをした途端にすぽんと抜けてしまった。さっさと元通りにしてもらえば良かったのだろうが例の原稿に時間を取られてその暇がなかった。そうしてふと思いつき、入れ歯安定剤で留めてみたところ案外何とかなりそうだったので暫くこれで我慢することにした。年明けに一段落してから行けばいいやと。

その犬歯が食事中に抜けて一緒に飲み込んでしまったわけであるが、そうなる前にもう少し前フリがある。行きのフェリーの甲板で、あと少しで宮崎に着くという頃、初めて目にする宮崎の青々とした海岸線を見ながらクシャミをしてしまい、その勢いでまた抜けてしまった。クシャミをすると抜けてしまうと思い出した時にはすでに勢いよくハクションとやってしまっていた。いかん!と思った直後に右手に軽い衝撃。飛んだ犬歯が当たったらしい。慌てて辺りを探してみたが抜けた犬歯は見つからず、跳ねて海に落ちてしまったのだろうという結論に至らざるを得なかった。その諦めた時の切なさといったら言葉に表しようがない。入れ歯安定剤は1日しか持たないので旅先にも持っていっていたのだが此の日は面倒臭がってまだつけていなかった。それを怠ったために紛失してしまったことになるわけで、あの時やっておけばよかったという取り返しのつかない後悔をしなければならなかった。それに加えて一旦は自分の手に当たっていて、海に直接inせずに済んでいたのに---甲板の手すりに手をかけつつクシャミをしたので50cm前方は海なのだ。手に当たっていなければダイレクトにinしていたはずである---、その瞬間までは図らずも自分の失態をカバーし得ていたのに、それが効果を発揮せず結局は海に落ちてしまったらしいという事実を認識せざるを得ないという切なさ。橋の欄干の上でカメラをお手玉してしまい落としてしまったようなものである。

正月早々やっちまったなあ……これから山仮屋ダッシュしなきゃっていう大事な時でもあるのに。そう思いながら踵を返して客室に戻ろうとした時、勢いよく投げ出した右足の先でカラコロと音がした。もしやと思って見てみれば犬歯。どうやら自分の足の甲に落ちて、それに気づかず甲板上を探し回っていたようだ。奇遇と言うべきか阿呆と言うべきか、とても評価に困る一幕を演じてしまい、そのせいで初日の出の昇る瞬間を見逃した。

そんな数奇な犬歯を、その日の晩に飲み込んでしまったわけである。まこと記憶力のない男と見えて晩飯の前に入れ歯安定剤を使うのを怠っていた。そうしてバイキングの最後におでんを食うことにし、餅巾着をもぐもぐごっくんした時に一緒に飲み込んでしまったのである。噛んだ瞬間に熱い汁が迸り出て口の中アッチアッチにならないよう気を使っていて、そのことにばかり気を取られていたため、存外に熱くないことに安心してするすると飲み込んでしまった。飲み込んだあとで犬歯の不在に気づき「しまった」と思う始末である。

甲板で失くした時に比べればショックは小さかった。何となれば犬歯はまだ自分の身体の中にある。意識の届かない不明な場所にあるわけではない。さらに言えば犬歯はもともと自分の身体の中にある。その位置が少し変わっただけだという見方もできる。要するに紛失してしまったわけではないわけである。あとで下から出てくるだろうし。

犬歯が一本足りない口で残りのおでんの大根を食べつつ思う。下から出てくるのは確実としてもどうやって回収したらいいだろう。うちの便所は(というか今どきの便所はどこもそうだろうが)様式便器である。落ちたうんこを分解して中身を漁るためのスペースが乏しい。排出口に溜まった水にダイレクトインしてしまうとその後が面倒だ。そういえばオランダの大便器は日本と構造が違うということをこの間知った。排水口が前方にあってうんこが落下する場所に便器の肌がある。排出したうんこは排出した時の形を保って眼前に展開されるわけである。その仕組に対して信じられないというコメントが多数寄せられていたけれども、排出したうんこを毎回目にすることで自分の健康状態を知ることができると指摘したコメントもあって瞠目したものだった。いまの私はそれにもう一つの擁護コメントを加えることができる。飲み込んでしまった大事なものをうんこの山から探し出す時に便利である。

さらに仕上げにサラダを食べながら考えた。結果、流しのディスポーザー用の水切りネットを利用することを思いついた。あのネットの中に排便してネットごと洗えばいいのではあるまいか。思いついた瞬間はこれ以上合理的な方法はない、さすがはnagajisと賛を惜しまなかったものである。

しかしまあ、いま飲み込んだ犬歯はどれぐらいの時間を経て排出されるのであろうか。いつ水切りネットにうんこすればいいのだろうか。そういえば、食べた食事が消化され便になって出てくるまでどれくらいの時間がかかるものなのか考えたことがない。いろいろな例を思い出しているうち、インドカレーの大辛を食べた日の翌朝の排便が痛かったことを思い出した。未消化の辛味成分が肛門内壁を刺激しての傷みと思われるのだが、それが食事の翌朝ということは、12時間も経てばもううんこに変じていることになる。意外に早いように思われたがどうだろうか。人間の摂取した食品の体内通過時間はそんなものだろうか。これが昨日の晩でなくて良かったな。旅先ことに船上で水切りネットを手に入れられるとは思えない。

そうして2日の朝、無事神戸港に入港し、どこかへ寄り道することもなく自宅へ戻って、真っ先にやったことが水切りネットへの排便だったわけである。そうして実際にやってみて、思っていたほど楽な行為でなかったことを思い知った。まずもって水切りネットを肛門の下にあてがった状態で排便するのが難しい。洋式便座だと特にである。腰を浮かせて水切りネットを臀部に押し付けてやると力むことができないし、かといって便座に座ると手が挟まれて痛い。結局はその傷みを我慢しながら座位で排出するしかなかった。肛門の真下に水切りネットをあてがうのも地味に難しい。この辺だろうと見当をつけてあてがって排便してみると妙な重たさを指先に感じ、ネットの壁に引きずっている感じがする。ちゃんと内側にinしているのかどうか心許なくなる。加えてネットが柔らかいものだからうんこの重さでずんと垂れ下がる。その垂れ下がる感じがやはりネット外への崩出を想起させて、とにかく気が気でないのである。

この時はとりあえず漏らさずすくうことができた。次は洗浄である。うんこの構成物の大半は剥がれ落ちた腸内細胞壁の成れの果てだという知識があったので、シャワーをかければすんなり溶けていくものとばかり思っていたのだが、意外にもなかなか溶解してくれなかった。少しずつ少しずつ表面が洗い流されていく感じだ。40数年間毎日のように排便していて初めて気付かされる事実である。そうしてネットの網目に捉えられた残滓の多さも意外だった。大半は消化し切れなかった野菜類のようで---特にトウモロコシだけが消化されにくいわけではないのだ。レタスやワカメの成れの果てと思しき緑みを帯びた塊が大量に残っていた---、その量の多さにも瞠目させられた。食物繊維を多く含む食品を食べると腸内を掃除してくれると教えられているけれども、てっきりドロドロになったその食品の食物繊維の成分が効果するものだとばかり思っていた。食物繊維を多く含む=完全に消化できない=半塊となって腸内を通過するため腸壁を削り取っていく=この有様なわけなのである。これもまた自分のうんこを濾してみたりなどしなければ一生気づくことがなかっただろう。結局こうした未消化分は全うんこの半分から1/3程度にも達するらしいことを知れた。しかし肝心の犬歯は出て来なかった。残滓の中にトウモロコシの皮が多数含まれていたので昨日分が出て来ているのは確かなのだが、他よりも重く嵩張る形状であるのだからどこかに停滞しているのかも知れない。うんこという粘性流体の力学を思いつつ第一回のうんこ洗いは終了した。

見つかったのは翌日朝の排便中にである。はじめに排出したうんこはいかにもモリモリといった感じの勢いのあるもので、その勢いのせいでネットで捉え損ね、便器水中に転落してしまった。引き続いて出てきたうんこは前のものとは又違う質感。こちらが昨晩(2日晩)の食事の成れの果てらしい。捉えられたそちらには確かに犬歯は入っていなかった。問題は便器内に転落してしまったほうで、その中に入っている可能性が非常に高かった。ここで失敗をすると甲板上のクシャミで失いかけたのと同様の切ない思いをする。慎重を期して手掴みでネットに掬い込んだ。こううんこうんこと考えているとうんこが不可触なものでなくなってくるから不思議なものである。むしろ不当に遠ざけていたことを陳謝したくなってくる。人間誰しも毎日のように排出しているものなのなのに、この世に存在する汚穢の中の汚穢、汚穢の極みのように思われているのは不思議である。確かに臭いし手についた臭いもなかなか取れない。忌避したくなる気はわかる。しかし自分の身体から出たものであり自分の分身とも言い得るうんこである。愛しむ気にはさすがになれないしその必要もないだろうがもう少しきちんと向き合って見るべきというか理解を深めるべきであったと思う。

ともかくそんな鷲掴みしたうんこの中に犬歯は含まれていた(昨日のにも増して溶けにくかったのは餅巾着の成れの果てだったからだろうか。色と臭いが全く違うだけで手触り等も含め餅のようなのである。そんな餅様うんこがそれだけの塊となって出ていたことも目から鱗の新知見であった。もっと消化されるものとばかり思っていたのだが)。見つかった時の安堵は格別なものがあった。甲板で紛失せずに済んだ時の安堵には及ばなかったが。

見つかったのはいいのだが、はて、これ、どうしよう。出てきたからには再装着したい。けれどもうんこから回収したものである。

見つかる前からうすうす感じていたのだけれども、いざその判断をしなければならなくなると、やはり戸惑う。排泄したものをまた口にするのはさすがに気が引ける。こうやって一生懸命うんこ浚いしたのも、再利用したいがためではなく「無くしたものを再び取り戻したい」というところに大きな動機があった。見つかってしまえばそれはひとまず解消される。満足される。

けれども、一連のうんこ考を経てうんこに対する見方がずいぶん変わっている自分にも気付かされている。奇を衒って弄ぶのではなく観察思惟の対象として見たうんこの価値に気づき始めている。自分という生命体を維持するための摂食行為の結果物であって、自分の血肉になれなかった残り滓だとはいうもののやはり自分と強く絆されているものであることに変わりはないのだと、これも奇矯ではなくそう思えるのだった。

とりあえず洗って、洗って、数時間ほどハイターに漬けておくことにした。自分の体内を一巡してきた犬歯は旅の初めの時よりもきれいになっているように見えた。そう書くと馬鹿に詩的だが要は胃酸とハイターのせいだろう。むしろ胃酸でほとんど溶けていないようだったのはホッとした。そうしてその日の晩頃から元の席についている。なかった間に採った食事で歯茎を痛めていたせいで再装着した直後しばらくは痛くて痛くてたまらなかったのだが、いまはそれも収まって何事もなかったかのようになっている。


2022-01-15 [長年日記] この日を編集

[独言] そして何故か

四日市にいる。イキアタリバッタリズムの実践のためである。


2022-01-17 [長年日記] この日を編集


2022-01-19 [長年日記] この日を編集

[] 名古屋~長岡間煉瓦構造物

鉄道線路各種建造物明細録. 第1篇から名古屋~長岡間の煉瓦構造物を抽出。名古屋~垂井間に煉瓦井筒が結構な数あることを知った。特に大垣~名古屋間のM19、20頃に建設されたものは勢陽組の煉瓦が使用されていてよい(第三回内国産業博覧会解説書では明治18年開場)。

単径間でも円形井筒が使われているのは橋台の基礎に使われているのだろう。木曽三川による堆積地層が広がっていて強固な岩盤がないせいだろうな。

長岡~垂井の辺りのM16~17の煉瓦構造物はどこの煉瓦が使われているんだろうか。東洋組の煉瓦が最も高確率か。関ケ原線では刻印煉瓦を見つけられなかったからな……。

コマNOメートル種別径間数径間長直角径間長名称上部構造基礎種類成工年月記事
名古屋2222352895
2252382663383559.5844橋梁47新川錬鉄鈑桁12ft円形M20.6.M24.11.橋脚二個改築
2272395331385705.6436暗渠16古城煉瓦アーチCM19.3.
清須2282396878386016.852
一宮2362457075395712.546
木曽川2412493418401414.2488
2432504658403273.0424暗渠18西本郷煉瓦アーチCM20.3.
2432506680403679.8048橋梁9200木曽川錬鉄ラチス形桁12ft円形✕2M20.6.M25.2.橋台橋脚改築
2432511375404221.9524避溢橋270木曽川錬鉄鈑桁12ft円形✕2M20.6.
2432511725404292.3596暗渠15川田煉瓦アーチCM20.1.
2432512090404365.788避溢橋170川田錬鉄鈑桁12ft円形M20.1.
2432514240404798.2976避溢橋170下田錬鉄鈑桁12ft円形M20.1.
244251623405193.1892避溢橋130深沼錬鉄鈑桁9ft円形M20.1.
2442517396405433.1856避溢橋140霜田錬鉄鈑桁9ft円形M20.1.
2462532347407636.1748橋梁250荒田錬鉄鈑桁9ft円形M20.1.
岐阜2472541590409093.236
2502572648414134.1024暗渠18立野煉瓦アーチ人道兼用
2502574740414554.9456橋梁5200長良川錬鉄ラチス形桁長径30ft短径15ft楕円6個所M19.12.M25.3.改築
4100錬鉄ラチス形桁長径24ft短径14ft楕円4個所
160錬鉄鈑桁12ft円形
2502576627414934.5492暗渠18三ノ町煉瓦アーチ
2512584296416074.9728橋梁140中川錬鉄鈑桁9ft円形
2512584534416122.8488暗渠14二ノ町煉瓦アーチ
2512592758417374.9192橋梁170五六川錬鉄鈑桁12ft円形
2522593042417432.0504橋梁150雁ヶ坪錬鉄鈑桁12ft円形
252259687418189.4468橋梁270犀川錬鉄鈑桁12ft円形M25.2.改築
2522603852419204.3408暗渠18上江崎煉瓦アーチ捨木及びC人道兼用
2522604395419313.5764橋梁5200揖斐川錬鉄ラチス形桁12ft円形✕2M19.12.
2522605512419538.2784橋梁112宮東煉瓦アーチ捨木及びC
2532606661419769.422暗渠18喜内前煉瓦アーチCM18.7.
大垣2562627135423083.4628
256263220423301.7296暗渠18室池煉瓦アーチCM18.7.
2562631624423584.1696暗渠16宮村村内煉瓦アーチ天然硬層M17.2.
2562632455423751.3412暗渠14宮村村内煉瓦アーチ天然硬層M17.2.
2562633137423888.5372暗渠13南長沢煉瓦アーチ天然硬層M17.2.
2562633750424011.8536暗渠13南中曽根煉瓦アーチ天然硬層M17.2.
257264240424915.0976橋梁150新川錬鉄鈑桁 class="cw">9ft
257264457424958.7516橋梁250赤坂川錬鉄鈑桁9ft
170
140
2572642080425285.248暗渠13長谷川煉瓦アーチ天然硬層M17.1.
258264464425792.9936橋梁120五六川錬鉄槽状桁9ftM17.4.
2592656099427703.0868暗渠18落合煉瓦アーチ9ftM17.4.
2612672023430101.8116暗渠14永長煉瓦アーチM17.1.
262267511430721.006暗渠14永長煉瓦アーチ天然硬層M16.12.
垂井2622677394431182.2872
2622676763431055.3492暗渠14梅ノ木原煉瓦アーチ複線
2622677449431193.35暗渠14梅ノ木原煉瓦アーチM17.11.複線
2632692185433353.0908暗渠14不帰川煉瓦アーチ天然硬層M17.5.
2642697345434391.1164暗渠14石畑煉瓦アーチ天然硬層M17.5.
2652702076434940.5072暗渠13梨小谷川煉瓦アーチ天然硬層M17.5.
2652702651435056.178暗渠18.88小田原川煉瓦アーチ天然硬層M17.5.
2652704841435496.7356暗渠1118ウ〔穴冠+干〕屋川煉瓦アーチ天然硬層M17.5.
関ヶ原2652712763436688.0532M16.4.
2672732696439893.264暗渠18枇杷掛谷煉瓦アーチ天然岩層M16.4.
2672735753440508.2332暗渠13後洞煉瓦アーチ天然岩層M16.4.
2672736486440655.6904新行道12下手煉瓦アーチ天然硬層M16.4.
268274017440963.6764橋梁112重堂川煉瓦アーチ天然岩層M16.4.
2682741756441313.5088暗渠13下手煉瓦アーチ天然岩層M16.4.
2682754026443379.5032暗渠12大須谷煉瓦アーチ天然岩層M16.4.
深谷2692757684444115.3776貨物停車場
2692757773444133.2812暗渠15.1深谷川煉瓦アーチ天然岩層M16.4.元来径間8ft→内側巻立で5.1ft
269276637444307.0892暗渠14.24谷田川煉瓦アーチ天然硬層M21.11.
269276112444400.6312橋梁112政所川煉瓦アーチ天然硬層M21.11.
2702771879446166.2852暗渠14宮田煉瓦アーチ板張及びCM21.11.道路兼用
2702773812446555.1408暗渠18大井煉瓦アーチ天然岩層M21.11.
2702773967446586.3236暗渠143山辺川煉瓦アーチ天然岩層M21.11.
長岡2712775854446965.9272M22.5.

2022-01-20 [長年日記] この日を編集

[D] 1/20

早めに寝て暑くて起きたAM2:00頃までに見た夢と、寝直して見た夢の2本立て。

第一部は高校の卒業試験のようなものを受けている夢。1つ目の科目は作文。教室の居並ぶ机の一つに着席して、パソコンで何やら書いている。書いた内容のてにをははもちろんテーマさえも覚えていないが、いまこの歳にものを書くのと全く同じ感覚で、単語とか断片的な文とかしか出て来ず同じところを堂々巡りするような呻吟をしたのは確かである。その呻吟を実際に書いている時と寸分変わらない時間感覚およびまどろっこしさで書いていたように思い出されるのが不思議である。そして終了時間が近づき、「ええいままよ」という感じでモードが切り替わり(いわゆるゾーンに入った状態)、感覚的感情的なトゲをトゲのまんまで書き散らすような文章にまとめ上げることに成功した。たぶん『み~な』に書いたのがいちばん近いと思う。半ばヤケクソで何とか間に合わせたというようなものだが、その一方で「やった、これで勝つる」という思いもある。

試験はもう一科目あるのだが、それが始まる前に途中経過発表があった。うれしいことに最高得点らしかった。ほっとすると同時にああいうふうに書けたらそりゃそうなるだろうという思いもあった。自信過剰や自惚れでそう思うのではなく神懸ったテンションで書いたんだからそうなって当然だ(=自分の書いたものではない、二度と書けない類のもので、自分の血肉から出たものではないような感じがして、そこはうれしく感じられなかった。

第二科目は、なんといったらいいのか、アートな作品を何か作ることらしかった。これもすんなりとは思い浮かばず、これもまた半ばヤケクソに自分のコーディネート?自分を飾り立てて何か作る?みたいなことをやった。三編みおさげのカツラを被ってセーラー服を着て女装のようなことをしてみたり(自分自身が着たのではなかったな、自分に見立てたマネキンのようなものにあれこれやってゲージツ的なコーディネート?を作ったのだ)。シラフのいま考えると何でそれがアートなんだと思わずにいられないが、やっている本人は結構ノリノリになってきて(nagajisが女装なんて天地がひっくり返ってもあり得ないからな、そういう前代未聞なものを作ってみるところに些少の面白さを覚えたのだ)、しかもギャラリーの評価も上々だった。けれども調子に乗って進めていくうち、だんだん意味不明なものになっていって、何をしてもキマらなくなってくる。焦り始める自分。というところで前後不覚になる。

そんなこんなで試験は終了した。最終結果の発表の前、クラスメートと談笑している場面。ふと「これが終わったらもう勉強しなくていいってことだよな?」というような言葉が口を突いて出る。客観的な説明としては試験が終わった後の開放感が言葉になったということになるかも知れないが、感じていた感情は寂しさのほうが勝っていて、もう勉強することができないのか、というのが近い気がする。この歳になった今では生涯学び続けなきゃと(なんの衒いもなく、人間真理のひとつのように)思っていて、新たなことを知れた時には心から嬉しくなり、それに生きている意味を見出したりしているのだけれども、高校時代にそんなことを思ったことはない。

そうして試験結果が明らかになる前に目が覚めた。何かを書いて褒められたという記憶が心地よくて(悲しいやつだなあ)浮かれた気分で目覚めたように思う。だから夢の内容を反芻して、それで内容を覚えているわけである。


第二部は打って変わって自分の矮小さを見せつけられ、下層の人間たることを思い知らされるような夢だった。内容は忘れてしまったが、例えば仕事上のミスがバレないように取り繕って隠しているような、自惚れてやった行為が裏目に出て天狗の鼻を折られるような夢だったと思う。そうしてそんな嫌な気分で目が覚めた。第一部との落差の大きさ、全く正反対の思いをさせられる夢を連続で見たことが不思議で不思議で、そのことばかり考えたせいで内容を忘れたようである。現実の記憶もこれくらいコロッと忘れらたらいいのにと思う。


書いたものを褒められていい気になる、というのは罪の薄い自惚れで良いっちゃあ良いのだけれども、現実にないことを夢で補完しているようでもあり、そう考えると哀れでさもしい人生だなとも思う。そのへんは脇に置いておくとして、夢の中でものを書き、書き上げるというのは初めてのことのように思う。書いている間の呻吟の具合いとか(書いたり消したり前後を入れ替えたりするばかりでちっとも進まなかったりとか)、かかった時間のリアルな感覚とかは現実の通りであって、夢の中とは思えないようだった。


2022-01-23 [長年日記] この日を編集

あるんだ・・・

2022-01-24 [長年日記] この日を編集

http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/kogakkaishi/11/003-127-001.pdf

長良川橋梁。石一つ1フィート3/4インチ。2インチ1/4の煉瓦5段分。10インチ5/4=11インチ1/4。目地計1インチ2/4。則ち6/4インチ。5段の間なので目地4段。3/8インチ。9.5ミリ。

3インチで積んだら? 煉瓦4段、目地3段、1/4インチ。5.7ミリ。計算は楽だな。でも石厚さを1フィート3/4で始める必要がないか・・・。


2022-01-30 [長年日記] この日を編集

[煉瓦] 今更気付いた

1/8インチという、いかにも割り切れない感じのするユニットが慣例的に使用されてきたのは、それが1寸の1割=一分とほぼ等しいからだった。1/8インチ=3.18ミリ、1分=3.03ミリ。これを踏まえて2-1/4インチを換算すると、18/8インチ≒1寸8分、並型の厚さになる。分母を8にする掛け算足し算で近似的に尺寸が得られる。

ただしそのままでは、2-1/4インチと1寸8分の間には3.1ミリ=1分の誤差ができる。それを極力小さく表現しようとしたのが大高表の作業局型厚1寸8分5厘。

創始の頃から2-1/4インチを想定して煉瓦が作られていて、ただし作る側は尺寸で考えないとやりにくかったと思う。職人全員にインチ換算の能力を期待することはできないので。よって始めから厚一寸八分として作ることにし、それが大阪型として定着する。やがて明治24年に鉄道省が煉瓦厚さ2-1/4を明文化して、納入側もそれに適合するものを作らなければならなくなる。1-8-5の作業局型が新たに生まれ。鉄道省の規格は厚2-1/4インチで決め打ちだったから、作業局型のつもりで作ったのに焼き過ぎて縮んでしまつたものは弾かれることになる。無論従来の一寸八分も。その弾かれたものは従来型と厚さがほとんど一緒になるわけで、それをB級品という意味合いで並型と呼んで販売したのが定着した。のではないか。

だとすると並型という名称はM24以降に出現したはずで、その頃書かれたあの講義録には確かに東京型大阪型山陽型であったはずだ。以前市場価格の変化を調べた時(http://www.kyudou.org/cgi-bin/tdiary/?date=20170809)の品目は並型で……明治25年からデータが残っている…!


2022-01-31 [長年日記] この日を編集

[きたく] 謎の旅

画像の説明

収穫はいろいろあったのだが、肝心なことが何一つ解決しなかったという困った結果になってしまった。知りたいと思うことがあることはいいことだと思うけれども、新しい方程式が一つ得られるごとに変数と未定係数もまた増えていくようで、いつまでたっても解ける気がしない。

市古なんちゃらの丸印は愛岐トンネルでも見つかっているそうなのだが、「三河国碧海郡北大濱町」というのは明治25年8月1日に新川町になっていて、M29から建設が始まった愛岐トンネル群でなぜ出てくるのかちう新たな問題が発生する。木曽川橋梁の改築はM25.2.なのでまだ間に合う。木曽川橋梁は井筒は生きていたが水面下数フィート以上は積み直してある。ただその積み直しの前から3インチ煉瓦が使われていたらしいことは揖斐川橋梁の偶数番橋脚と東側橋台の井筒が証言している。

三川のどこにも勢陽組印は見つからず。しかし「エー」「ビー」「シー」は確かに使われていて、それに□で囲った小さなカナ印が添えられていて、多度や諸戸家で見たのとは違う。同じ会社の異なる時代のものと見るべきなのか、そうでないのか。「エー」「ビー」「シー」は斜め井桁も使ってるしな。しかも「エー」と「シー」とで形状がほとんど変わらない。困ったことである。

せっかくいろいろ見つけても関西地方ではないのでbdbに載せられない。困ったことである。


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