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旧道倶樂部録"

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1943-02-01 1/29海戦戦果 専科卒業生来校 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月一日 月 曇

相当に暖くなりぬ。八代方面終日校外教育あり。五時十分起き六時に集合、八代に着きしは大率八時半。直ちに球磨川の筏を右に見て 懐良親王御墓を参拝す。山間の谷間に沿い御墓は杉林に囲まれたる、いと厳かなる所にありたり。悟真寺・御小袖塚に詣でては忠孝両盡の宮を慕い給い、我等も亦此の道に励まん事を誓いし次第なり。午後は八代宮に詣で後休憩、十五時の列車にて帰校す。見学するものとては少なかりしも、勤王の御事得る所多く有意義なりき。
八板生徒監殿来られたりと。然して時局を秘として言われたりと。此の度専科を芽出度く卒業せられたりと聞く。一月二十九日海戦行われ敵戦艦二 巡洋艦三 轟沈し、戦巡各一隻大破せしめたり。異常なし。


1943-02-02 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月二日 火 雨

未だに考査に対する考薄くして真剣味不足。目的を弁えぬ故なりと信ず。一向机につくのみにても可なり。之本分邁進ならんか。午後柔道場にて体操、及び剣術あり。佐々木曹長殿より試合に対する心構及び掛引き・ごまかし等必要事項を習得す。然〔併〕し攻撃精神は失わざること。異常なし。

〔「ごまかし等」「攻撃精神~こと。」に朱傍線、欄外朱「欺瞞動作を学ぶのは少し早し」〕


1943-02-03 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月三日 水 雨後曇

今日よりは朝の点呼までの動作を特に早くなす事を約したる故、今日は先ず第一日として猛烈にやりたり。午後は教練・体操をなす。暖かりし故術科は延びヽと確実になす事を得たり。別に所感無し。異状なし。


1943-02-04 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月四日 木 晴

独乙語単語五十あり。午後は誕生日会柔道・身体検査あり。柔道にて固技、全部習いたり。身体検査は身長一六四・〇となり体重五五・二にへる。随意運動も亦田村と柔道をなす。愉快なり。一向に誰しも考査を目前に勉励中なり。異状なし。


1943-02-05 ドイツ降伏 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月五日 金 晴曇

日の出直後より約二時間日食を見る。約半分かけいたり。北海道にて皆既食なりと。大宇宙の自然現象の偉大さに今更乍ら驚意〔異〕の目を開きたり。午後は全く作業にて電話機の構造機能を学ぶ。運動班運動は交換駈歩なりき。今日は寒しと雖も厳寒を過ぎたれば春の如き日和にて気分共に愉快なり。盟邦ドイツは昨年夏スターリングラードを陥れ守備中なるも冬季次第に形成遂になり、先日遂に独軍二十五万はスタグラードにて露軍に降服し完全に奪回されたり。やはりドイツ人と雖も白人なり。此の25萬の軍にておめヽ降る。誠に信用ならず、唯日本の頼むは此の国力の他に何者もなき事を痛感したり 異状なし。


1943-02-06 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月六日 土 曇後雨

今日を以て考査前授業終了し、又日曜を明日にひかえて極めてのん気なる可きも、専心考査を目して学習す。現在の我の頭を見るに入校時よりたしかに暗記力つきたるを思う。何とても平常が大切なり。異状なし。


1943-02-07 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月七日 日 曇

特に学習に終日を用いたり。酒保に二時間行く。近日特に行くことを望めばなり。皆の者も多く残りて学習す。軍歌演習は食前にありて全員揃いて十分なすことを得たり。今日より亦相当に寒さを増す。異状なし。


1943-02-08 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月八日 月 曇

一年二ヶ月目の大詔奉戴日にして七時二分より式行わる。依って起床六時、朝食同四十分なりき。相当に寒気烈しく手先凍るが如きもがんばりぬ。今日より後期々末考査行われ、範囲は九月以降にして今日は全校歴史・化学・地理行われたり。歴史・地理は大体良好なるも化学は本分を全うし得ず不良なり。反省を要する。戦争は萬たん整いてよりなすべきものなり。柔道。異状なし。


1943-02-09 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月九日 火 曇

今日は物理・生理衛生・国漢乙・幾何の四課目が午後に亘りてあり。人事を盡く〔朱取消線〕したり。昼頃より目がかすみて少しくボーっとして来た〔れ〕り。睡眠不足の為なりと思い紀元節は充分眠りて英気を養うを決せり。作業にて電話器あり。十四時十分賀陽宮殿下を電車道に奉送申し上ぐべく行くも天候の都合上明日に延期せり〔らる〕。花房まで飛行機の御予定なりと。あと一日がんばらん。異状なし。
生徒監殿風冒にて休まれたり。


1943-02-10 熊本駅見学 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月十日 水曜日 曇

賀陽宮殿下を清水郵便局前に於て奉迎致したり。時に九時三十分にして、此の際も 殿下に於かせられては先般の 浅香宮殿下に於かせられたのと同様に下車遊ばされて御閲兵の栄に浴したり。考査は国漢甲・独逸語・代数及び三角関数が十時十分より十三時五分にかけて行われたり。大体可なり。校長殿御意図に依り、今後考査中に於てその休憩時間に教程・手簿類を一切見るべからず。考査にとらわれざる如くなすが為なり。午後は熊本駅見学なりき。其の取らんとする所は軍隊輸送は如何にすれば迅速に確実になすを得るか、と駅の心臓部の防護及び敵に対して破壊点に於て得る。有意義極まる日なると共に午後より極めてのんきなる日なりき。良好なり。


1943-02-11 ソロモン島・ガダルカナル島撤退 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月十一日 木曜日 晴

紀元節にして九時より儀式ありて 天皇皇后両陛下に対し奉り最敬礼及び万歳を三唱、後校長殿の訓示ありて式を閉ず。うららかなる此の日、建国の此の祭執り行われ、我等一同二千六百三年の昔を懐古して、広告臣民たるの喜を感ずると共に一層の奮発を決したり。それは又次の事柄により益〃心に深く刻み込まれたり。町田生徒監殿休まれ柚木崎生徒監殿の話に曰く、今や我が陸海軍はソロモン ガダルカナル島より完全に撤退したり。昨年八月以来今日まで死守したと見せかけ実は占領地を治める可く、敵を此に牽制していたり、然し我が軍は交通全く絶たれ餓死する者々多く、一万七千の軍全滅に瀕したり。いわゞ敗戦なり。彼のガダルカナルに於て食わんにも糧なく悪戦苦闘している事を考うれば我儘は言えぬものなり。幼年学校にて余りあまゆること勿れ。と。我は此の時正に興憤〔奮〕していたり。南方第一線を思えばなり。発表以上の撃戦の行わている事を思うべし。後専ら休養に努めたるも遂に午睡の時機を逸したり。十六時半運動班にて写真をとる。食前軍歌演習を行わず運動班長川野さんの話あり。何となれば川野さんは入院され卒業まで会う機会無きかも知れぬとの事なる故なり。日夕点呼後酒保に関して約三十分学年切磋会を行う。感激に満てる一日なりき。頗る良好なり。

〔nagajis:大本営発表は「転進」。本当の戦況が伝えられたのはこの時が初めてではないか〕


1943-02-12 イサベル島沖海戦 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月十二日 金 晴

寒さも殆ど感ぜられず。昨日陸幼の採用予定発表ありたりと。午後より明日にかけて鹿児島師範の専攻科の方方が六十名許り見学に来られたり。午後は教練・体操・剣術(運動班)ありて充分に鍛錬す。特に教練も各個戦斗教練に入り三年にもなる故一層馬力を入れる事を決す。頗る良好なり。
イサベル島沖海戦(ソロモン)二月一日より八日まで行われ、巡洋艦各〃轟撃沈及び駆一、魚雷艇十隻撃沈、飛行機八十六機撃墜し、正に南海に死闘の行われている事を物語るなり。


1943-02-13 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月十三日 土 晴

主要行事なく午後は訓話・剣術なりき。教授部授業の二十分休憩は努めて一年と共に遊戯をなすことと定めたり。和親上誠に良策なりと思う。学校としては十五日より巡察生徒が出来三年の下番副取締之に任じて計三名週番司令下にありて内務一般を巡視するものとす。随意自習なるも任務に追われて自習は出来ず。頗る良好なり。


1943-02-14 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月十四日 日 曇

今日の臨時外出者は三十六名にして我〔予〕も亦田村・梶永と共に黒石原に飯盒炊爨に行き午前中を愉快に大自然の下に浩然の気を養い来たり。午後は整頓等万事終了してより文庫に行く。今日は計画的に終日を過し得て、その目的も達し愉快なりき。〔「今日は~なりき」朱傍線、欄外朱「意思の鍛錬にもなり結構」〕 頗る良好。
昨八月一日以来二月八日までの海軍の戦果
 敵船の損害 敵百四十 日三五
 飛行機は約二対一の割合にて日本は約八百機の損害なり。


1943-02-15 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月十五日 月 晴

別に主要行事なく午後は作業なりき。随意運動は十二階段をなす。午後は巡察生徒より夕食の際に、三学班は授業時間の休憩時間に出方遅しとて注意を受く。責任は取締の我にあり。今回は特に各人の自覚の下に行動をなし、取締は率先躬行し何も言わずと定めたるも此の状態〔一文に朱傍線、欄外朱「率先垂■のみにては不可」〕、又二十分休憩には命令を行わず元気なし。之が自覚ある行動かとも思うと残念なり。やはり取締が大声を張り上げて命令の下に強制的になさゞるべからざるか。真に此の二訓に自覚している者が何人あるかと思うと残念なり。頗る良好。
シンガポール陥落一週年の記念日なり。


1943-02-16 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]2月16日 火 快晴

父の命日なり。朝は極めて寒く昼は快晴にて終日雲を見ず。春なるが如し。歴史は休まれし故、徳丸教官殿が中等学校の国語教科書の文を読る。術科は体操・剣術にて体操の際は助手を命ぜられ、生徒の動作の悪点を正しくするに努めたるも、些か度肝を抜かれたる形にて力を出し得ず残念なり。又その動作が不慣の間如何に難なるかを感じたり。巡察生徒に注意を受けざる如く努むる故に皆の態度一変し動作頗る迅速になり取締としても命令が撤〔徹〕抵し愉快なり。為せば必ず立派に出来得るものなり〔一文朱傍線〕。要は自覚して緊張するにあること今日の殊に於ても明遼〔瞭〕なり。依って今日の台上に於ける切磋会も意見続出し緊張の有様を少なからず表わしたり。頗る良好なり。然し寝台学友志水は近日亦気分優れず今日就寝し道場の至なり。


1943-02-17 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月十七日 水 曇

今日より床は点呼後たゝみ、服装検査は台上にてなすこととなれり。修身にてガダルカナルの苦戦を学び歴史は昨日の如くガダルカナルの転戦につき政府委員より発表されたる当日の新聞を聞く。今日亦感激したり。午後は校外演習にて弁天山まで行軍間の斥候動作を行い、復りは五分速歩、三分駈歩の交換駈歩にして相当に暑く今年にて初めてかく汗をかきたり。我が生徒監殿の質問を聴き逃し、指示されて答えず注意を受く。積極的になるべしと。ガダルカナルを思えば此くの如くのんきに演習し得るに非ずと。〔欄外朱「自覚せよ」〕  緊張に欠けたり。頗る良好なり。


1943-02-18 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月十八日 木 曇

今日より室外に点呼あり。今日は雨降りし故か蒸暑く湿度80%なりき。点呼には校長殿見えられたり。午後は柔道にて四人相当り試合ありて一本勝ち一引分けなりき。試合となると固くなりて不可なり。自習。運動班長(副も)を定むべく調査及び人選あり。終日眠く視力なくボートなりて何も不明。要睡眠。他異状なし。


1943-02-19 葉隠抄 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月十九日 金 晴

点呼の際全員素振をなし全員にて朝の掃除をなす。午後は教練・体操にして体操の際は基本体操指揮を命ぜられたり。一年測候所見学、三年狭窄射撃の為に、運動班運動はなし。自習時間校長殿巡視ありて予の所に来られて曰く、お前は佐中なるか、葉隠抄を持てるや。と。予持ちし故出したれど読みし所は初十枚にして、之を身にしあらざる事明かにして些か恐縮したり。未だ時間の利用不十分なり。頗る良好なり。


1943-02-20 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月二十日 土 晴

春日和にして天気麗なり。此の下に教練ありて戦斗教練をなし誠に愉快なり。伏せて走る此の教練は何故か愉快にして教練が好きになりたり。訓育学科は満州事変。三・四合同運動班会あり。頗る良好なり。


1943-02-21 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月二十一日 日 晴

点呼後臨時外出田中 潔さんと二人にて田原坂に自転車にて行く。木葉国民学校裏にて飯盒炊爨し十三時帰途につき、田原坂記念館を覧て弾の跡・兵器・弾薬・被服を見て当時を偲びたり。又彼の坂の急峻なるを見ては如何に攻撃軍が苦戦した〔る〕かが思われたり。十六時半帰校す。日曜は効〔郊〕外に浩然の気を養うべからざる感になり何処にか行きたし。依って今日は田原坂となしたるなり。頗る良好なり。


1943-02-22 舎内食事事件 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月二十二日 月 曇

金曜以来今日も難波教官殿休まれり。合班。午後は作業、教練考査にして課目は伏射・射撃予行演習・速歩行進なりき。昼食後生徒監殿は我等を集め昨日舎内にて食事し或はいもを食したる者につき厳しく注意され、夕食後それに関して切磋会を実施す。皆共に男泣して今後絶対に食さざるを誓いその罪にある者も昨年十月以後なしたる者総て相手を作りなぐり合い相反省し神社に詣で 東方遥拝をなす。生徒監殿に御心配をかけ誠に相済みません。必ずや誓わん。又今日の如く真剣なる切実なる切磋会は無かりき。頗る良好なり。

〔「男泣き」に朱傍線、欄外朱「立派なる切磋なりき今後も此精神を以て切磋せよ」〕


1943-02-23 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月二十三日 火 晴

風無くば誠に良好なる天気なり。歴史は教官殿休まれて自習なりき。術科は体操考査ありて課目は十二階段・横跳なりき。いずれも其の形に於て失敗したるも元気は十分出したり。考査ともなれば堅くなりて不可なり。胆を落着くるべし。尚一層の元気を要す。手段として声を大きく。頗る良好なり。延灯は月・水・金各〃四十分宛と定まりたり。


1943-02-24 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月二十四日 水 曇

祖母の誕生日なり。今日より六時起床に十分まで掃除、以後摩擦、三十分点呼以後素振をやり兵器の手入を行い其後遥拝・勅諭奉読、神社は二拝二拍手一拝一こうと定まり実施す。四十分も点呼終了まで費して時間的にに無駄が多き如く思わる。地理あり。午後は剣術考査にして互習試合なりき。要するに攻撃精神と元気が根本となるを感じたり。愛校作業あるも其の後の動作緩慢なり。無駄時間を費すこと勿れ。頗る良好なり。


1943-02-25 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月二十五日 木 曇

朝の行事頗る良く一日が愉快なり。校長殿曰く、素振り・掃除・兵器手入を朝に実施せざれば何ら地方と異ることなし。と。午後は柔道にて総て習い次は訓育学科及び作業考査なりき。克く要点をつかむべし。明日の査閲の自習をなし万全の準備を調べ然して之に心をそゝぐ。佐中より本山大佐殿・配属将校・黒岩・田中頼一・中川・嘉村・光山先生等十二名今日より明日にかけ見学に見られたり。夕食後語り、曰夕点呼後一時間先生と話をなし栄城を貰いたい。見学に来らるゝのみにても嬉しきことにて特にはげまされ今後の奮闘を期したり頗る良好。


1943-02-26 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月二十六日 金 晴

今日は相当に冷えたり。午後は校長殿の教練査閲ありて二年としては号令調声を特に二訓は密集教練堂々として可なりとほめらる。欠点は未だ銃に不慣れな為に銃に気をとられ銃と体が一体ならずと。以後今夜の準備をなす。今夜非常呼集ありて(今日中)乃木会の為行軍出発す。頗る良好なり。


1943-02-27 乃木会 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月二十七日 土 快晴

乃木会にして零時非常呼集ありて、昨夜よりの状況を受けつぎ我軍は植木の敵を破り、田原坂に向う。次にそこより吉次越に至り木留山に全校職員生徒集合し食事・津下教官殿の話・校長〔殿〕訓示あり。時に八時なり。演習を含みて駈歩・速歩等混ぜし故又空腹の故に初めはきつかりしも帰校の際は行軍のみにて疲れもなおり十二時無事帰校したり。之を要するに此の八里余の行軍は堅実なる気力を養うにありたり。予はその目的を遺憾なく発揮したり。午後は手入後就寝す。二十時半消灯。良好なり。


1943-02-28 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]二月二十八日 日 快晴

朝冷気を思わせたるのみにて昼は夏の如くに暖かりき。剣術行わず。田中 潔さんと馬乗りの目的を以て野砲隊(二十一)に行くも伝染病発生とて営門にて見学をきょ〔拒〕絶されたり。故に騎兵隊に行く。東幼四十期生の小梶小〔少〕尉殿(明日中尉進級)の下〔許〕に行き菓子を十分食わされ、後約八十分馬術を習う。最も初歩にして乗り方・並歩・軽速歩を会得す。目的を達し十六時辞す。頗る良好。
父の遺品の紙袋に曰く、必ず身体を鍛えよ。必ず勉強して皇国を御前の双肩に担えよ。と。予之を再読し感慨無量なり。はたして之に恥ずるなかりしや。未だヽ実行成らず。やらん勉強を。


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