nagajisの日不定記。
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現金書留で13万円を送った控え。これも何に挟まっていたか忘れてしまった。しかし様々なことを想像させる紙切れである。まず第一に、13万円という額を現金書留で送る、というシチュエーションが想像しづらい。息子/娘への仕送りにしては額が大きすぎる気がするし、購入商品の代金送付という線も(ないわけではないが)想像に難い。13万円というキリのいい数字なところが特に。12万9800円とかじゃあないのだな。美術品とか骨董品とかだとそういうざっくりした値付けをすることがありそうな気もするが。
要するに少額と大金の中間くらいの金額で---むろん私の基準では超大金なんだが---そういう偏見もあるせいで---多寡の判断を下しづらい。
送った本人はどういう気持ちでこの証書を受け取ったのだろう。そしてその証書を、どういう気持で本のしおり代わりに使ったのか。
いつものトースト。作りおきの高野豆腐煮物。野菜スープwith高野豆腐。だし巻き卵は弁当にも入れるために作ったが、ちと失敗してしまった。そのうえ卵を一つ流しに落として無駄にしてしまった。弁当用に酢豚。
一週間前に豚肉を贖っていたのを思い出し、慌てて生姜焼き風のものを作ってみる。しょうが一かけをすりおろし、細切れ+スライス玉ねぎと合わせて寝かせたあとエリンギ、にんじん、えのきと炒める。炒めながら味を見て味付けしたのでそれなりに整ったが、場当たり的・再現不可能な味付けのものを料理と言っていいものかどうか。そのほか頂きものと並べて食す(PCを落としてしまったので写真は省略)。
そろそろ青物が尽きてきた。赤・茶・白ばかりの料理はやはり寂しい。
社家町のはずれにて遭遇したライド。ロシアの公園遊具として紹介されても信じてしまいそうな気怠い佇まいをしている。滲み出るような怖さがないお蔭でここは日本だという現実に引き戻される。
強化プラスチック製。頭が半分に割れている。
バタバタしていたので諦めようかとも思ったが何とか履行した。昨晩作った里芋の煮物がなかなか旨い。コクが出る根菜と煮るといいという説明を受けてごぼうと煮てみた。思いつきではちみつを加え、とんでもない味になってしまった煮汁がごぼうのお陰で復活したカンジ。
小鉢はヨーグルト。久しぶりに安売りのヨーグルトに遭遇したので思わず購ってしまった。これに、たまたま家にあった黒蜜をかけている。なかなかの美味。
八宝菜。半分残して明日の弁当に回す。作りおきおかずがあるとすごく幸せな気分になれる。
里芋煮物の煮汁で高野豆腐+切り干し大根を煮てみる。これもまた美味である。高野豆腐だけでご飯一膳行ける(ノリに使うつもりだった醤油、結局使わなかった)。
なかなか進まない。という感想を述べておくに留める。
挟まっていた新聞切り抜きの『2500年前、すでに「女装」趣味があった』という見出しに目を奪われ、元の持ち主の趣味嗜好についてしばし意識を持っていかれた。何でわざわざそんな記事を切り抜いて保存していたのか。いま流行のオネエ系の人なのか。普段は男を演じている隠れ女装男子がいざという時に自分の行為を正当化するための理論武装もしくは隠し武器として保存してみたものか。それにしても考古遺物からわざわざジェンダー見出すなんて空虚な話じゃないか。貫頭衣に男性用女性用があったようには思われないしどれがどっち用かとかどんなのが異性に受けるかなんて今基準で判断するしかないだろうから恣意的断定以外の何者にもならないんじゃ。仮に性差があったとしても過去からあるということが今の自分にとって何の援護になるだろう。古ければ勝ちなら自分はもっと大手を振って廃道を歩いているぞ。いやそもこの記事。読んで何かが得られる気がしない。「実は○○は○○だった」的な既知事実を殊更新発見のように書き立て書き捨てるコンビニ500えん本の如きセンセーションマンセーなゴシップ記事かも知れぬ。時間を浪費するだけで後に何も残らない消費記事いや浪費記事無駄無駄無駄記事のような雰囲気をこの見出しから感じる。
と、いったような空想を巡らせた後で、それが本目的の記事の裏面であることを知った時の、敗北感混じりの自己嫌悪をいま持て余している。
本題は「今週の本棚」。その切り抜きが挟まっていた本が紹介されていた。元の持ち主はその記事を参考にして購入したか、あるいは購入後に記事を見つけ、自分の読感と照合するために切り抜いて挟んでおいたのだろう。偉い人である。とフォローするのが精一杯だ。
バンレンさんのご協力を得て戦後の播州煉瓦合同で手成型をやっておられたという方に話を伺った。長年の疑問が解決し、その1.2倍くらいの疑問が生まれ、そして帰りの電車の中で0.4倍くらいになった。結論としては、裏が表になって、元裏のほうがきれいに筋がつき、そして最初に表だった面に太筋がつくのは確かなようだ。その筋がつくタイミングは抜きの作業の時とその翌日の作業なのだが、抜きをしていた方は思い当たる節がないと仰る。しかし最後の面の裏側に、作業者の気がつかないうちにつけば、気が付かれることはない。おそらく叩きつけてつくのではなく、元裏面を撫でることでつくのではないか。作業台(まな板)の幅が枠の幅の2倍では足りない。2.5倍でも厳しいかも知れぬ。ひっくり返す向き、およびどのようにひっくり返すのか(木枠だけを持ち上げてひっくり返すのか、まな板ごとひっくり返すのか)。ただ一度横にしたら動かさないわけだから。
型枠は横向き。それを小口からコビキで削る。撫でる。ひっくり返す。撫でる。優しくコトコトして外す。激しくやると歪んでしまうほど粘土はヤワい。しかしヤワすぎると餅のようにひしゃげてしまう。5個取る板のうえで。それほどまでにヤワめな粘土。
後に生まれた者が積極的に出かけていって尋ねなければならなかった。我々のような者が。怠惰と責められても仕方ないのである。
Knついにコンプリート。元西神吉村岸の播州煉瓦合同跡地?弘栄煉瓦工場跡地?にて。恐らく前者と思わる。
宝殿の南側ではK3、細K、刻印K、そしてB.C>△H.J.を発見した(!!!)。
帰りに立ち寄った弘栄煉瓦跡近くの不思議空間では機械成型の細Kを多数。長屋状になった家々の基礎が悉く細Kであった。そのうえKnシリーズの番号なしという奇妙なものにも遭遇した。
さらには・・・聞き取り調査でこの空間が播州煉瓦合同の社宅であったとの証言を得た。弘栄煉瓦ではなくて!
考えられるシナリオ。もとは弘栄煉瓦岸工場の社宅として作られた→弘栄廃業後に播州煉瓦合同が取得→今に至る。ではないか。なにしろ播州合同煉瓦(S25以降)は今のバンレンと同じ三本線を煉瓦に押していたことは証言が得られている。もし播州合同煉瓦が播州合同煉瓦の社宅として築いたのなら三本線刻印煉瓦が使われていておかしくない。しかし一帯は機械成型+Kが最も多いのだ。弘栄:最初は手成型無刻印→Knの使用→Kn廃止→Kの部分だけを流用(Koueiだからな)→細Kの使用、とかいうシナリオが最も矛盾しない。Knじたいを弘栄と考えることも可能かも知らぬが、それだと構造物でn一定の謎が説明しにくい。作業が家ごとで、日に1000本も抜いたとしたら、小さな構造物ならたまたま一家ロットになることもあるだろうが!! !
あーーーーー。わかるようでわからないこのモヤモヤ。そのうえB.C.△H.J.が宝殿にある理由とか、考え始めるとさらに意識が雲散霧消する。
いやそうか、あの方に社宅はどこだったか尋ねるんがいちばんはやいのか。
_ F [いつの間にか写真が。 株式会社樫野の342ページに次のような文章がありました。「昭和13年1月、樫野商店は、兵庫県印南郡曽根町に曽根支店を設置した。大正5年5月に樫野商店が資本出資して設立された..]
ふう・・・何とか間に合った。西熊野街道はもう少し早くから書き始めておくべきだった。書き漏らしたことはないと思うが終わってみて物足りなさを感じる。ちょこちょこ膨らましたいところはある。短期証録書き起こしとかさ。でもそれやると本編が寂しくなるからな。東熊野は初めから飛ばし過ぎてあとで苦労した。あそこまで自縊する企画にはしたくない。
西熊野には土倉庄三郎がいないのもある。やるなら玉置郡長か。この人の死で吉野の発展は50年遅れたと思う。
そうか、前号はまだ集中訓練の最中だったのだよな。よく頑張ったもんだ。ネットに繋がるのは土日のみ、あるいは行き帰りのセブンスポットでWifi繋げてTF101でメール見る程度。9,10はまだ祝日があって助かったが11は全く死ぬ思いをした。それでも17には出したんだ。予告通りに。でも結構いろいろ忘れてるよな。HEADLINE出す暇もなかったなんて。ま、自分の都合で出来てなかったことなんで、書いたところで懺悔にすらなりゃしねえな。嫌らしいだけの韜晦だ。
それに比べて今回はまだ余裕があったはずなんだ。TF101のキーボードが死んでしまいまだ復活していないとかいうのも言い訳に過ぎぬ。暇さえあれば打つという気力が別のほうへ持って行かれている。次回はこれを反省して毎日ちまちま書き続けることにしよう。蓮根峠まで書くとえらいことになるぞ、次回。あと訓練前の探索のことをちゃんと思い出せるかどーか。蓮根峠さえ忘れかけている。
蓮根峠次々号説は西熊野第二描をどこにするかによる。天辻以北を纏めて・・・と思ったりもするし津越野峠でゆくかも知れぬ。しかし現状ではどちらも量が稼げないだろう。そこはそれ、そういう中編の寄せ集めだと踏ん切ればよろしい。というところまで考えたところで、足りなければ蓮根峠か、と思った次第。少し節約しないと来春まで持たないだろうしよ。
一度平日に消された点の記見に行かないと。いや第六集見ればいい。45。沿革史も読んどけ。明治29年に調弁係。
美しい石垣に魅了された一日。これが西熊野街道、と言いたいところだが、そうじゃない。街道から派生する枝道である。枝道でさえこれなのだから本道は推して知るべし。
池穴橋を渡って帰ってきたところで、地元の人が「中原へ行った二人が帰ってきた」云々と言ってはるのを耳にした。彼の頭では「橋」がついていたことだろう。が、我々を見くびってもらっては困る。どこぞの芸人と一緒にしないでほしい。
今回はIさんに連れて行っていただいた。三里越えの話をするとぜひ行きたいと仰って。その御蔭で自分が大きな見逃しをしていたことを見せつけられる結果となった。無原罪の無限大の感謝を捧げる。
ラジオがしきりに宣伝していた「無原罪の御宿り」を「無限大の親鳥」と聞き違え、どんなサイケな現代美術なんだろう、本邦初というからには相当すごいものなんだろう、無限大をどうやって有限形に収めたのだろうと想像を巡らした過去がある。エル・グレコに顔向けができない。そんな仲間が世の中に百万人いる確信があるので敢えて検索せずに書いておく。
佛教大学の生徒募集の中吊り広告を見て「佛大集合!」と読んでしまった。ふむふむなるほど、佛教大学に入るような人材ならやがて悟りを開き仏になることもあるだろう、若き仏、仏の卵よ集え! というキャッチコピーか、と理解したあとで「佛大合格!」と書いてあったことに気がついた。なぜ「合」の位置が変わっているのか。勝手に入れ替えるなnagajis。
今の今まで「キャノーラ油」を「キャノラー油」だと思っていた。そう発音したことがあるわけではないのだが頭の中で「きゃのらーゆ」と認識していて、これまた言葉だけの連想で「ラー油」という言葉を思い出していた。言葉だけをだ。辛さとか餃子の王将とかとはリンクしない。純粋に言葉上だけでの繋がりだ。そのへんに弱い奇妙なポテンシャルを感じた。
「きゃのらーゆ」は一種のspoonerizmだろうが後者は何と言ったらいいのだろう。言葉が云々でなくリズムのみに依存しているかも知れない。「ラー油」という響きがあるから「キャノラー油」になったのではないかと。
そうしてキャノラー油が菜種油であることもついさっき知った。
限られたリソースの中で有言実行中ということであり誤字ではない。歩いた範囲のことはとりあえず書けた。あとは導入と予後ととりあえず書けたのとりあえずをとりのぞく作業。って全然終わっちゃいねえな。
来年4月で廃止だそうだ。編集部のMLとしてだけでなくKINIASでも利用しているのにな。はてどうしよう。廃止の理由は設備の老朽化といってるが、そもそもグループ内で連絡を取るという機能はFaceBookとか何とかのSNSに取って代わられている。実際カレンダーとか投票機能とかは面倒で使ってない。そこまで欲していない自分のような用途にはクラシカルなMLで必要十分だ。
ORJのほうはcoreデフォルトのMLに移行すれば済む話なので心配してないが(使ったことがないけど)、KINIASのほうはどうするか。ORJドメインから送るわけにもいくまいし、xeの三百番台使うのも微妙だしなあ。でもそのほうがファイル置き場を自由に使えて便利なんだよね。
そういやGroupsはeGroups時代から使ってたのだった。Yahooに買収され、食いつぶされるまで使うことになろうとは思ってもいなかった。
本日の収穫。四天王寺さんの何度もチェックしているはずの出店にて発掘した。ネクタイピンである。
左端に発電所記号があることでまず目についたのだが、その右に刻まれている種々のものが、最初はよくわからなかった。「GORYU.T」という文字列があり、さらに3つ「NAKAGOSHO.T」「KITAGOSO.T」「KUROKAWA.T」と並記されていて、それらを結ぶように文字の土台が盛り上がっている。
はじめは単なる装飾かと思ったのだが、そうではなかった。ちゃんと意味がある。これはトンネルだ。発電所の水路トンネルを模式化したものなのだ。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=137.86123247517&latitude=35.773144227975
長野県上伊那郡宮田村にある中御所発電所。天竜川支流北御所川から中御所川へ、中御所川から発電所へ水を引く水路トンネルがあり、それに黒川からのトンネルが“GORYU”して発電所に達している。その構成をネクタイピンに刻んであったのだった。厳密にはちょっと違うが……。
裏には「中電中御所発電所竣工記念」「1980.OCT.住友矢作共同企業係」とある。またクリップのところに「PAT.1035405」という刻印も。このPAT.はいろいろなネクタイピンで見られるものらしく、大勢がネット上を探している。そうして適当で無責任な答えしか与えられてない。
特許・実用新案公報DBで検索すると特許1035405号は松下電器の磁気ヘッド切換装置に関するものなので除外。実用新案で調べれば昭和43年に出された実用新案出願広告が見つかった(実公昭43-031055)。東京の篠塚製作所が出願したもので、クリップのバネの役割をしている板がS字型に曲がっていて、その曲がった部分とクリップの先端とでネクタイを挟むようにした工夫である。従来のクリップは先端だけで挟むためネクタイピンが傾いてしまいがちだった。そうならない工夫を施した板バネの出願公告だ。これが成立して実用新案1035405号になったのだろう。
陸地測量標条例
明治23年3月26日
第十条 標石を移転し若くは毀壊したる者は一月以上一年以下の重禁錮に処し又は五円以上五十円以下の罰金に処す
第十三条 過誤に由り測量標を毀壊し又は之に瓦礫其の他の雑物を擲ち獣類を繋ぎ縄索の類を懸け或は貼紙し或は戯書し其の他悪戯を為したる者は五銭以上壱円九拾五銭以下の科料に処す
施行令
第四条 標石敷地は方形にして標石を以て其の中心を領せしむる者にして其の大さ左の如し
但地形に依り本条に拠る可らざるときは格別とす
三角点標石敷地 一坪
水準点標石敷地 半坪
第六条 標石及海岸水準点「占見」標は永遠に保存すべきものにして其の種類左の如し
(明治28年8月15日改正)
抵二大日川一。坂路頗険。功郟(來?)九折坂。想当レ不レ過レ如レ此耳。顧謂レ泰曰。余以二逸民一探二逸事一。而探(-手偏)二此険一。亦必為二王尊所一レ咲耶。雖レ然以レ身報レ国。先子之志也。憂レ国史之缺一。先子之志也。此行継二其志一則王陽之徒之云乎。泰曰。然。然腹盖嗤二其強一。坂盡。路入二溪間一。松杉欝蒼。覚レ非二凡境一。亦陟数十丁到二嶺頭一。曰二鳩首一。風自二巽位一来。冷不可レ当。衆皆呼レ快。余下レ轎踞二道傍茶店一以望。西北則金剛紀見諸峯可二指数一。東南則峯巒重畳。高者或挿レ雲。而不レ可レ知下孰為二釈迦一孰為金峰上。下レ嶺又陟抵二天辻一。文久癸亥之秋。藤本津之助松本謙三郎諸士奉二中山公一入二南山一也。以二此地一為二牙営一。烈威赫赫。今猶在二土人口碑一。衆皆賛奨。余則想二起其風采一。不レ堪二悽愴一也。又行数十丁。路折入二溪村一。険不可レ轎。乃歩。石磴谽谺。艱苦殊甚。磴盡則坂本駅也。宿二駅舎一。
三日。辰牌発。駅口有二独木橋一。過レ之危甚。従レ此石径彎環。続二山腹一。臨二深溪一。夾レ溪者皆碧嶂翠峰。恠巌踞焉。危石聳焉。不レ(皇+辶)応接。二里而辻堂。一里而宇井。宇井之西有二板橋一。曰二小原一。橋下之水則自二篠原一来入レ溪。溪左右大石作レ門。水乃(氵+伏)(氵+回)。濃緑如レ油。右崖之石如二臥牛一。故呼二牛鼻潭一。潭南数十丁。路左有二木標一。表二十津川郷界一也。郷口之村為二長殿一。一里而宇宮原。在二水西一。踰レ橋者再。一里而上野地。又一里而高津。憩二道傍茶店一。店後崖上有レ祠。曰二國王神社一。傳云。奉二祀 南帝一。店前平坦処即長慶帝皇居之址也。此地違レ溪稍遠。自二坂本一以来。不レ見二稲田一。山民皆鋤二崖腹一為レ圃。至二上野地一稍々見レ田。此村則多二平田一。行十余丁。又入二山間一。依レ崖迂回曲折。其尾達二溪上一。有レ橋危甚。過レ之。有レ人揖二于道左一。問レ之則川津事務所幹事更谷喜延也。余レ導入レ村。々口又有レ橋。架二寒野溪一。橋南有レ墳。為二七后墳一。伝云。護良親王妃過レ橋跌以溺。侍女六人殉レ之。土人今呼為七后神一。此夜宿二川津一。喜延按レ図指示。一郷之地如レ在二掌中一。盖東西凡七里。南北十五里。為レ村五十有五。皆負レ山臨レ溪。田圃居二千分之一一。余問。曾聞路極険。橋必独木。今日所二経過一。自二長殿一以南却似二坦易一。橋亦多レ板何。曰。数年郡宰及西村諸氏胥謀開二闢新道一。所レ費殆二万円。其功実不二易々一。如二旧道一不レ可レ歩。嗚呼溪山千古風色如レ旧。而径路改良。操觚之士何所レ憚而不二来遊一耶料。知遊客年多二一年一。山霊不レ能レ秘二其秘一也。余幸為二嚆矢一。仮二風色一以壮二文思一。亦事変之賜也。
(風屋滝-)超二小嶺一。過二野尻一。到二山崎一。於レ是与レ渓別。過二中原嶺一到二小森一。憩二村口茶店一。当レ軒之峯峻峭。問二其名一。完曰。行者岳。是為二一郷之中央一。又行数丁。崕上有二招魂社一祭下郷人死二 王事一者一也。此郷以二義勇一称自レ古直隷二 皇室一。是以維新之際。皆奮致レ身。亦昔人流風所レ存。可レ欽哉。時杉井貞雄來迎。実文武館幹事也。取二間道一先去。余則二折取二新道一。赴二熊野一之道也。坂道曲折而下。下窮則為二那知合。自レ是沿二小渓一而東。至二山手一。
至二風屋一。路又岐。右則走二津越野一也。余已無レ事二于川津一。故取レ捷右去。乃与二高久一別。過レ橋而乗レ轎。未レ至二嶺頭一両大至。衝レ両陟。過レ頂与二来路一会。雲杉風松瀑巒叫湍。加レ之洄風浮動。疑レ非二來路一耳。
つくった。ジスオは超適当である。なんでAのケース無いねん。
昨日の収穫その2。猫は戴き物。今まで見たことのある猫のブローチの中でいちばんかわいいと思う。
猫が狙っている魚は串本海中公園が製造したモンガラカワハギ。カラフルな色に惹かれて購った。150えん。これをエプロンにつけて見分けがつくようにしようという魂胆である。
うん、うまい。簡単でよろしい。ヨーグルト大さじ2、しょうゆ大さじ1、トマトピューレのかわりにスイートチリソースを大さじ3、ナツメグ胡椒七味を適当。袋に入れて合わせたところへ鶏胸肉を放り込んで漬ける。15分ほど寝かせて焦げないように焼く。フライパンで焼くときはペーパーでぬぐう必要があるがオーブンならそのまま焼いていいようだ。ただし油が滴って煙たくなる。アルミホイル敷いたほうがいいな。と思ったのだがホイルが手元になかった。
また01岩の人に迷惑をかけてしまった。なんでメール振り分けてたんだろうな・・・。 クリスマスはサーバの手続きをする日にしよう。チキンよりも鯖だ。
江戸時代中期の街道、その後の街道の道筋を再確認。川津から三浦峠に上がってたとは見逃していた。だから川津が要衝たり得たのだな。中期には天辻〜上野地→(1)三里越→風屋→中原→小森→小原→高滝→玉置山経由紀伊国と(2)ミイラ峠→焼尾峠→紀伊国に分かれてた。それが川津〜三浦がなくなり焼尾越がコエド越専用になって水ヶ峯道になる。くぢう越は終点が変わっただけ。上野地〜風屋〜小森〜小原〜高滝〜竹筒になる。最後の柳本渡がよくわからん。小森〜無終方面が江戸以降につくられた?
なんということだろう。さんたさんが来られていたことに気づいていなかったという体たらくを演じてしまった。ながじすははらをきってしぬべきである。
アルチザンでケーキを買ってこよう……
年末年始は休みなしなので日々中くらいの掃除をしなければならぬ。明日は流し部屋の床磨きと風呂場。押し入れは今年も先送り。
最近深夜特急がいっぱい集まってくる。深夜特急ノートも入手した。さてこれをどう料理しようか。+260は回収しにくいぞ。
ふと思い出して“嫌なら読むな”と百万回言いたくなった。それをまま書いたら2*6*106Byte則ち12MBもディスクスペースを使ってしまうのでそれは面白くない。phpで書いておく。
<?php
for($i=0;$i<1000000;$i++){
echo "嫌なら読むな";
}?>
つか、これでいいのか。
<script type="text/javascript">
function hyakumankai(invalue)
{
i=0;
for(i=0;i<1000000;i++)
{
document.getElementById('output').innerHTML+=invalue;
}
}
</script>
<input type=button onclick='hyakumankai(this.value);' value="嫌なら読むな">
<p id=output></p>
去年の暮には無かったもの。モノが増えたことではなく、ここから様々な広がりがあり学ぶことがあったことが収穫だ。
そのうち歴博かどこかに引き取ってもらおうと本気で思っている。さすがにこれは棺桶に入れてもらっても焼けない。そもそも入れてくれる人がね。
自分で作ったのに食って視界がぼやけるほど美味かった。やはり干ししいたけをふんだんに使ったのが良かったのだろう。
仕事納めの足で最後の買い出しに行ったら5時からの売り切りセールに引っかかってしまった。ふだんの3倍くらいの人出があるうえ5時に備えて店内で待機していて大混雑。おばちゃん立ち話して通路塞ぐわお父さん不機嫌だわ子供はうろちょろするわ籠足りないわで必要なものが一部買えなかった。
蟹も刺身も要らぬのである。蕎麦とヨーグルトが買えさえすればよかったのである。5時を回った頃やっと店内を一周できさっさと精算して脱出した。
そうして今朝焦がしたご飯をねこまんまにして食った。おかずはベーコンの切れ端と人参としなびたピーマンと舞茸チップを炒めて塩したものをおかずにした。これも滅法美味かった。
食べるのは間に合った。
_ tyaffic [何が切ないって、百舌はそれを忘れてしまう事…。]
_ nagajis [皆さんも、せめて食べてあげてほしい…との感想を漏らしておりました。 どこだったか忘れましたが、不義理をしてしまった鳥に対してお詫びのつもりでこんなことをしているのだ、と言い伝えているところがあっ..]