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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1943-07-01 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]七月一日 木 雨

昭和十八年も半を過ぎ愈〃後半へ突入。しっかり互にやらん。期末考査始まる。地理・国漢甲・歴史なり。服装検査より以後は本に絶対にふれざることも三則の中にあり。戦に臨むには十分準備も出来たるものにして淡白なる点の養成なり。剣術考査。一に気魄と攻撃精神なり。誕生日会。雨にて元気の出す所なし。良好


1943-07-02 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]七月二日 金 雨

今日は物理・幾何・独乙語なりき。幾何は難なる応用を二題とき、簡易なる教程の問題の題意を違えたり。之は一に早合点の証拠にして問題を充分読まざる故なり。前回も此の事あり。我は此の軽迫〔薄〕なるのみを怖る。梅雨の如く降ったり止んだりなるも夕方より晴る。体操考査なく自習なりき。随意運動には新集会所へ柔道場にある物品を運搬す(委員生徒なる故なり)図書室が前のに比し広し。又人口多きが特徴なり。一向に勉励中。良好。


1943-07-03 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]七月三日 土 雨曇

真に梅雨の候なり。今日の国漢乙・化学・代数を以て前期々末考査も終了したり。然し未だ終りたる感なく今からやらんとの念に燃ゆ。雨の為柔道場にて教練をなしたり。集会所開きにては十六時より二時間に亘り階上にて全校生徒・職員・傭人共に行う。唯 皇恩に感謝し森田部長殿を御喜び致すのみなり。十九時十分より約二時間藤本教官殿の二月以来三ヶ月余の南方旅行談を承る。ジャワに於ける島人の日本人に対する信頼・恭敬は極めて大なりと。我之にて日本に生を享けたるを一に喜ぶ。良好なり。


1943-07-04 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]七月四日 日 曇

剣術にも一段と気合かゝりたり。午前中は整理・休養をなし、午後は十六部隊へ。 軍旗拝受式参列の為各個に行き十五時半集合。厳かなる中に粛々と行わる。斯様に最も新しいものを我未だに拝すること無かりき。今日新たになられた連隊長殿は誠に元気旺盛大部馬を走らせられたり。十九時帰校。二十二時消灯。昨日と共に約二時間の睡眠を失いたり。確乎たる意思の養成には最も可なり。防暑衣袴となる。良好。


1943-07-05 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]七月五日 月 雲雨

雨未だ霽れず。午睡は全く眠ることを得ず。柔道は愉快、作業にては携帯測遠器の使用をなす。学科にせよ何にせよその物が実際に利用し得ると思うとやり甲斐ありて面白きなり。二十一教室の図書を集会所へ運搬整理したり。盛に上官殿よりだらけつゝありと注意を受く、予緊張を続けつゝありと思えどもそれが細部へ行くべく努めん。良好なり。


1943-07-06 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]七月六日 火 雨

雷鳴を聞く。幾何の時間に鼻血を出して処置に困りたり。上を見た所血が咽喉にたまり呼吸出来ず。故に之を飲む。まずく気持ち悪し。終日味を忘るゝこと出来ず腹の中むずヽして不愉快なりき。午睡又も眠ることを得ず。月齢身体検査。五五・一瓩に下る。身長五尺五寸 工作にてラジオ組立。勝れざる日なりき。良好。


1943-07-07 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]七月七日 水 雲

雨もはれ夏らしくなりたり。支那事変勃発六週年記念の日にして流石時の流れの早きに驚く。慥か小学四年生なりしことを覚ゆ。今朝非常呼集を期待したるも無くしてあてがはずれたり。午睡なく体操考査ありて前期の考査を全く終了したり。胸高鳴りて十分の技能を発揮し得ず。未だヽ実力養成の価値あり。明日の準備の教練あり。汗と土にて練られ真に千磨必死の訓練の苦労を察す。未だ未だ。 何事に於ても正しい人間は別の方面にて負くるも人間の価値としては絶対に他人にゆずらぬものあるを信ず。 良好。

〔欄外朱:然り正義が強し〕


1943-07-08 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九冊目

昭和十八年七月八日起
第三学年第三学班
(名前)

[陸幼日記]〔赤鉛筆で日本国旗を描き〕七月八日 木 晴

〔欄外〕兄の誕生日 東條首相は泰訪問し馬来四州を泰に返上する旨約す。昭南に至る

授業時間の休憩時にキャッチボール流行し始めて、我之が待ち遠しくなりぬ。七・三〇より 詔書奉読式。早や一年七ヶ月は過ぎ去りたり。今日の時勢に鑑みて我々も地方におとらずやるべきなり。午睡は全く眠らず。部長殿教練査閲ありて、全力を尽くしたり。好評に曰く「二年の終よりは銃に慣れ欠点は努力したることを認む。然し未だ不充分。着装・速歩行進・敬礼前後の動作等々なり。」と。好天気となれり。愉快。良好。


1943-07-09 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]七月九日 金 曇

鼻の診断の為二時限終了後二訓の者八名にt陸軍病院へ行く。大部待たされあげく昼食となり十二時三〇分より見て貰いたり。はれていて治療にて可なりと。方倉と高橋は手術を要するとの事なりき。十四時三十五分帰校し、十五時昼食す。以後十七時二十分まで二時間剣術をなす。試合に於て間合が近きことを遺憾に思う。然して攻撃精神の下積極的たれ。予は高い声出ず直ぐ声かるゝなり。号令調声による烈しき気合のある声が出るべく努めん。良好なり。


1943-07-10 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]七月十日 土 晴

月曜の日課に準じ七時より始れり。四十分授業にして早く終了す。十一時 李王坤〔垠〕殿下を菊池本道上に奉迎す。唯厳粛なるものあるのみなりき。乗務員養成所御視察の帰路なりと承る。
今日初めて午睡に眠れたり。続いて暑中稽古にて柔道なりき。目的は技よりも心を練るにあり。以後手入。集会所委員生徒に当り勤務す。夏に鍛える為必死目的に邁進中なり。良好。


1943-07-11 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]七月十一日 日 晴

実際家の中にてもむかヽする日なりき。五・四〇より奇数班剣術(暑中稽古)を行いぬ。校長殿御注意に曰く、下級生と心と心をぶつけ合うのは互に練習する時の外なし。故になるたけ多くの者とぶつかり合うべし。又三年は二年が手が上らぬまで鍛えよ、而して最後に大技を行うべし。此の際邪念あるべからず。と。剣術は遠間面・追撃面・■胴・体当りをなすべしと。実戦的ならざるべからず。剣術よりかえりて我憤慨す。即ち四学班の者は寝室の掃除もせず、我々の床も乱れたる儘なりき。而して我等之をなす。同寝室に於て心を打ち開〔明〕けて話す友としては、此に、物足らざるものあるを感ずるなり。〔欄外朱:残念〕
外出し久保少佐殿宅訪問す。十六・〇〇まで子供相手に遊びたり。少佐殿と予、予と「ノリヲ」さんとの年の関係は大体同なり。入江に集会所委員生徒を交代服務して貰いたり。良好。
今日は帰り藤崎宮前にて九十九部隊の某兵長殿に対し非常に感謝す。混雑の中に於て特に帰校時限を心配して取はからって下されし故なり。


1943-07-12 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]七月十二日 月 晴

朝非常に眠し。然し江津湖に行きし者の彼の赤い肌を見、我よりも苦しい環境にあるを眺めてはぐずヽ言われず終日がん張れり。声を出す時元気ある声を出せば何事も張切って愉快に出来得るなり。我此の点高橋を見習中なり。兵器手入不良に付き注意さる。剣術は試合教習二本のみにして此に力不足を感ず。作業(防空壕構築)・愛校作業と引続き愉快に行えり。良好


1943-07-13 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]七月十三日 火 晴

随意運動にて大振りが極めて軽快に上り愉快。近日不振の鉄棒に安〔案〕外興味を覚えて為せば成るとの信念湧きたり。真に近日は三十秒風呂なり。唯友を容れ愉快に元気に過す事が予の希望なり〔一文に朱傍線、欄外朱「明るく大らかなれ」〕。良好。


1943-07-14 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]七月十四日 水 晴・雨

陸軍予科士官学校長牧野中将閣下(本校十一期)の視察ありて、剣術を見られ、ついで全校生徒に訓示されて曰く、四十三・四期は実に克くやりつゝあり、学科よりも躬行点上なり。たのもしきものなり。然し乍ら之からは科学戦なり。其の基礎として之に興味を感じ研究心を養いおくべし。と。真面目に黙々たる事が如何に必要なるかを感じたり。酒保の金銭集めに九十分を要したり。一年生が三年生のサイダーを二本誤って取りしことわかりたり。落着いて貰い度きものなり。良好。


1943-07-15 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]七月十五日 木 晴

午前中牧野閣下視察ありて我等は化学を行う予定なりしも時間なくして来られず残念なり。ついで教育総監部総務部長後藤閣下(本校十四期陸軍少将)巡視あり。三年は午前中に教練をなす。会食時に話を承るも声小にして聞えず不明なり。擬製弾・装弾子を大部探すも遂に見出さず。柔道は終りぬ。工作にては大部作りて真空管をつけるまで至る。自習時間実に茫然たり。愉快なりと感ずることもなし。凡日なりき。良好。


1943-07-16 荒地耕作 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]七月十六日 金 曇風

父の命日。昨日家へ明日は緊張して過す旨約束するも、朝の遥拝時の彼の決心は欺かれ昼には全く意中に非ず稍だらけたり。此の日終日緊張し切れざるを恥ず〔づ〕。五時限は耕作(命に依り狭窄射撃場の裏手に荒地を耕し十名一組にて約二坪を耕し農業することとなれり。予は是に趣味ありて班長となる)なるも運動班長副長は一年の増掩〔援〕の意を以て暑中稽古剣術の助手となり、面の斬撃をなす。約三十分、後には頭が変になる気したり。面を除けば前頭は瘤だらけなりき。其の痛きに驚きたり。ついで剣術、再び耕作あり。近日体の工合頗る良好にして特に最も体操を好む。然して好調なる故愉快なり。


1943-07-17 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]七月十七日 土 晴

一昨日暴風警報あるも今日は風が強く雨来らず。昨夜零時頃非常呼集あり。校庭に至り三等になりたり。中生徒舎の者としては一着なりき。少なからず自信を生じたり。緊張を促す為のものなりと。折しも満月にして見るべき月なりき。武道大会、柔道を一に剣術を六に敗れたり。三学班としては大分進歩したるも実に今一歩の所なり。我柔三位、剣四位なるに驚く。唯今後も実力本位に頑張らん。今日は予柔道に熱入らず敗る、又思うに捨身的なる点に於て欠けあるを感じ残念なりき。体操に出る。好調愈〃良好。
 反省(一週間)
一、夜の自習時間頗る気が入らず。されど授業中は真剣になれたり。今後の自習は主として後期に備うる〔「る」朱取消〕べきなり。
二、健康状態頗る良好にして、特に体操・作業に精を入れたり。今最も良く時機を失すれば不可能になるべし。夕食前五分まで運動せしこと度々なりき。
三、内務真面目に行いたり。
四、一般にのんびり過ぎるなり。


1943-07-18 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]七月十八日 日 晴

五・〇〇出発、志摩・入江・藤江・梶永と江津湖へ行く。十一・〇〇まで約三時間半に亘り和船・ボートに乗り遊泳す。以〔意〕外に進まざりき。一年二十余名生徒監殿と共にあり。充分目的を達せしものと思う。ついで町田生徒監殿宅へ行き午後を休養旁々過し十六・〇〇田村・伊藤と共に辞す。帰校後騒しかりき。徹〔朱訂正〕底的に何も考えざる日なりき。良好。


1943-07-19 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]七月十九日 月 晴

思えば松浦去りてより四ヶ月なり。
次々に授業も終了して愉快なるも国漢乙の時だけは答案復され且つあてこすられたる気色して不快なりき。然し之も午後の工作にてラジオ完成し音楽を二十分聞き全く午前の事は忘れ唯音楽に楽しむ。音楽の力偉大なり。邪念を去り朗らかになる。尚日本特有の尺八等は精神修養の一なりとぞ。明るく大らかなる為には歌が最も善きなり。良好。
夕に風強し。又終日涼しく夏の気分なし。


1943-07-20 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]七月二十日 火 曇雨

朝から大部張切りて行いたり。中期の勤務生徒の命令あり。模範生徒、二年へ木村・佐々木 一年へ井ノ上・田村。運動班長高橋・美作、副班長平川・志摩 ・門松・中神なり。昨年に鑑みて、特に二年へも護民を置くものと思う。必ずや二、三年うまく行くことを信ずる。剣術は銃剣術なりき。体操面白し。此の一週間十分に運動せん。斯様に好調なることは再びあらず。生徒監殿来られず。今日は特に時々胸(左)に痛を覚ゆ。一年半前より痛始まり今猶反応の病らしきもの無きは何ぞや? 夕立あり。


1943-07-21 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]七月二十一日 水 曇雨

今日にて授業終了し最終日を遺憾なく過したり。午後移転にて寝室志水・藤本と寝台学友、志水と四度の学友なり。藤本とは二度目の寝台学友なり。自習室は前原・神野なり。是はいづれも委員主体となりて定めたるものなり。ついで十七時まで午睡は愉快なりき。実に昨夕も夢の連続にして疲労を物語り、且つ就寝が面白きなり。訓育班会行う。半島の人に対する考を一掃すべきこと。軍歌→サイダー瓶。良好。


1943-07-22 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]七月二十二日 木 雨

雨にて終日寒さを覚ゆ。午前中生徒舎・講堂掃除、午後整理及び修身「敬虔」に就きあり。二年三年と柔道し一年間の努力のあとが偲ばれたり。陽ノ下に元気に労働する方が室内より如何に良きかを感ず。生徒監殿来られず。良好。


1943-07-23 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]七月二十三日 金曜日 雨

今日も亦雨にして防暑衣にては寒く、又夕より風強くなる。昨日の予定の愛校作業、二訓は台上の除草を八・〇〇より一〇・三〇まで行う。雨の中の事とて外套が邪魔になり、作業はかどらず。十四・〇〇より校長内務検査にして其の他は整頓・自習なりき。運動班運動は主に鉄棒を行う。終了後大車輪の逆立練習。中々むずかし、然し毎日僅かながらも上手になりつゝあるを覚ゆ。大部立つ。今日も五分前、何時も食前五分まで体操して残るは予と入江と志摩にして今の時期に充分鍛えんとの心の下に実施中。眼悪くして困る。パチヽ眠し。


1943-07-24 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]七月二十四日 土 雨後曇

今日も雨なるも寒からず。午後より霽れて夏らしくなれり。銃の格納をなし、ついで校長訓話「人格・学科・術科共に勝れたる人物にならざるべからず。之が今の所少し」と。就中我は学科に一段の努力を要す。現在の状況にありて我は我はすたなりと妙に自覚したるが如し。又周より左様なる眼にて見られ何となく此の気分強く我ながら残念なり。語学なり。語学を十分やり然して余裕を生じたればしめたもの。必ず前記は復せるものなるを感ず。又授業時間の利用活動不充分なり。今までの悪弊を除かん。
室内にて軍装検査あり。午後衛生講話・体重測定・訓話「前期を観て、運動班会ありて近頃になく愉快なりき。良好。
 ◎反省
一、体操を特に良く実施し鉄棒の効果大なりき。
二、学術科なく内務一般に乱れたり。時間厳守は学年として悪いと思う。これなればこそ一年が真似たるか。
三、身体も極めて良好なるも眼悪く眠を感じ消極的なりき。

〔nagajis:佐賀弁に「すたぼー:放蕩者」とある。「すた」はこれに類似する不人格者を表すことばか〕


1943-07-25 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]七月二十五日 日 晴

〇五・〇〇起床し柔道へ行く。余りやりすぎ疲れ大部続き食欲不振。柔道は面白く誠に鍛え甲斐あるを感ず。退避訓練。個人訓育あり。文武両道たるべし。今度は大部悪い学科多し、乙・歴・化にして代・キ・図のみ可なり。然し我としては術科の方を十分までにのばし度し{就中武道。 読書三時間他は休養・午睡に用いたり。二〇・〇〇点呼遊泳の準備も着々たり。良好。

◎前期を振返っての反省
一、術科の進歩著し。特に七月に入りてより寸暇を惜しみて運動・柔道をなし、神経を鋭敏ならしめたり。
二、学科不振。学習の要領不可。授業中の仕方活動不充分なり。即ち其場にて覚ゆること。
三、毎日欠くることなく努めたり。
四、学科良好たらんには寸陰を惜しむべし。寸陰推しまば好きな運動出来ず。将来出来兼ねざる運動を今の中充分のばすべきなり。学科も然しながら忽にすべからず、之も亦常に心掛くべし。
五、愉快なる道に入りつゝあるも人間軽薄になるべからず。唯是をのみ怖る。


1943-07-26 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]自七月二十六日 至八月四日

鹿児島県出水郡阿久根町に於て遊泳演習行わる。一年も同じなるも二年は三笠村の脇元にて行わる。


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