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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2021-07-01 [長年日記] この日を編集

こんなもんしか書けんのかと嘆く

[独言] 図書館へ行く

岡町図書館がようやく通常運行に近い状態になって参考室と国立国会図書館デジタルデータ送信が利用できるようになった。兵庫県の地名辞典と『地形図集』その他を取得。地図記号の変遷は『地図記号のうつりかわり』のほうが詳しい。『地形図集』は実際の図版が大判で多数収録されているのでその見比べには使えそうだ。

鉛筆で申請を書いたあとでボールペンで書き直しを求められた。よく見たら申請用紙の台にちゃんとその旨書いてあった。「わかるように書いとけよ!」などと文句を言うのは愚かなことだ。気づかないほうが悪い。しばらく利用してないとこの図書館の流儀を忘れてしまってていけない。

コインロッカーもそうだったな。上半分に張り紙がしてあって「コインロッカーは使えません」と書かれてあったが、下半分は普通に使える状態で、てっきり上半分だけ使用中止になっているのだと思った。入れようとしてごそごそしている時に「使えないんですよ~」と言われた。だったら全部張り紙しておいてほしい、などと思ってはいけない。自分の間違いを棚に上げて恥をかかされたと曲解してそんな文句を言う人がいるから画一的極端的に禁止中止廃止になって世の中が生きづらくなるのだ。

そういえば参考室にあがった正面にでかい「?」マークが掲げられていた。下に右向きの矢印があった。その方向はカウンターだったので、つまりは疑問質問のある方はこちらへという意味なのだろう。果たして「?」マークだけでそれが伝わるだろうか。「?」マークは老若男女あらゆる人に通用するか。世界共通のサインたり得るか。下から小突いてみるものと理解している人も一定数いそうな気がする。

注意書き、ポスター掲示、アイコン案内。送出側が意図した通りに機能することはない。その理由の何割かは受け手の無知蒙昧注意不足意識散漫に帰せられるべきものである。受け手がもうちょっと送り手のことを考え、その意図を汲む努力をしないといけない。世の中がどんどんおかしくなっているのも畢竟受け手の怠慢に因るところが大なのではないかと思っている。

[ToDo] 河東碧梧桐「三千里」「続三千里」

『続三千里』、明治43年1月13日前後のを探すこと。筑摩の明治文学全集に収録されているのは抄なので多分載っていない。

[独言] ペットボトルを捨てる

月イチの捨てる機会を何ヶ月逃したかわからないくらいに逃して身動き取れなくなっていた。やっと捨てられそうだ。この調子で溜まったゴミを捨てていかないと本当にどうしようもなくなる。

ゴミペールが2つもあるのに有効活用できていない。どうにかならんかな……(捨てりゃいい)


2021-07-05 [長年日記] この日を編集

[独言] 続三千里を探して三千里

上中下巻が揃っているのは茨木市立中央図書館だけだと知りさっそく出かける。目当ての記述は上巻にあった。もうちょっと描写が多いと嬉しかったが、贅沢は言わない。

明治の末頃に全国を歩いた記録、しかもこれほど広範囲に渡るものは珍しい気がする。碧梧桐を侮っていた。正編は講談社学術文庫になっているようだが続三部は未だらしい。残念だ。

[奇妙なポテンシャル] 仏法的に正しいロシア的倒置法

画像の説明

そんな茨木市でこの看板に出会った。素晴らしい。これほど正しいロシア的倒置法は見たことがない。毛の先ほどの瑕疵もない。

あまりに完璧過ぎて加えられる批評もない。世人須らくこの標語を記憶し暗唱すべきである。


2021-07-12 [長年日記] この日を編集

[独言] 兵庫県道祭り

今日は一日中兵庫県道と格闘していた。一日中だ。今日だけで2万文字くらい入力している。M11、M35、37、三省訓令に則った県道整理のT2、道路法下のT8とそれが成立する時の諮問段階の路線、郡制廃止直前のT11、直後のT12(間違えてT15)。あとは戦後のを入力すれば所定の計画は終わる。そのうちここにデータ丸投げするかも知れない。そうでもしないと書いたものが浮かばれない。

こんだけ入力しても使うのは百分の一にも満たないのだろう。しかし入力したお陰で阿閇とか繁盛とか莇野とか安師とかいった難読地名がわかるようになった。たぶん次くらいには忘れているだろうが何だかとても賢くなった気が今はしている。倭文と国包はなぜか覚えていた。国包はこないだ行ったばかりだからな。

鴨内峠は郡道上がりと思われる。佐仲峠は明治期から県道で、路線変更の公報も取得済み。いま破線県道になっているものはちゃんと意味があるのだと納得を重ねる。しかし村岡辺の破線県道は確認できなかった。あれがいちばん謎なんだけどな。

豊岡竹野線が三椒竹野線になるのと諮問の追加案の関係とかも把握できた。しかし登尾峠が別路線になったかどうかは確認できないのだな。T8成立後の詳細な経由地がわかるものがないから。

蓮根峠が県道になっているのも見つけてちょっとうれしい。ちゃんと京都府の改修後に県道に入れている。榎峠も県道だったな。このへん書いたことを忘れているので深入りできない。

問題は、これをどう纏めるかなのよ。先は長いよ>nagajis

登尾峠はたぶんそのままになった。豊岡福知山線ではなく出石福知山線になってて京都府界高橋村で終わっている。

[独言] 社会と繋がらない

コロ中だとか土石流だとかオリンピックだとかとは全く無縁に兵庫県道に没頭している。興味のある世界ばかり見ていると世間の出来事が騒々しい鬱陶しいものにしか見えなくなっていけないが、関わらないからこそ感じられる色々なこともある。雨が降れば山が崩れるのは当たり前だろうとか(誰も吉野の災害のことを覚えちゃいねえだろう)なんで酒がなければならないのだろうとか観戦対策をしながら感染用スクリーンで幹線とか。

言葉の選び方がぞんざいになっているなあ。同じ名詞の繰り返し入力with延髄反射は頭が悪くなっていけない。いろいろ気づいたけれどもそれが社会性の向上には一切繋がらず社会福祉にも幸福の追求にもならない気づきであるので却って大手を振って喜ぶことができる。世の中の役に立たない物事を追求する私は世間と縁がない。


2021-07-13 [長年日記] この日を編集

[独言] 独言

八年前に滝川クリステル氏の「O・Mo・Te・Na・Si」でオリンピック開催が決まった時、そのオリンピックを見ることはないだろうと、かなり本気で思っていた。2020年まで生きていられるとは思わなかったのだ。ましてやORJがそこまで続いている気もしなかった。

それでも生き続け、書き続けた。人間以外と簡単には死なないようである。もちろんその間には書くに忍びない浮沈がありジェットコースターのような揺動を経験した。実はこの間ほど必死に生きたという実感はなく、しかし前途は茫洋としたままで、軌道に乗ったと思ったことはない。道跡だと思って辿ってきただけだ---途中の橋が落ちていたり上から下から崩れるタイプの崖崩れで跡形もなくなっている場面に遭遇しその都度何とかクリアした。そうして今後も道跡が続いている保証はない。もっと酷いゲロ場面がきっと出てくるに違いない。そういう道を歩んできた。

そうしていつのまにかその2020年になった。内心ビクビクしていたが、驚いたことにオリンピックのほうが逃げてしまった。何ということだろう。そこまではさすがに予測できていなかった。そのせいでかえって気落ちしたというか、戦意を喪失したというか、そんな宙ぶらりんな気持ちになった。後半失速したのはそのせいである。

そうして今年。無事(では決してないけれど)オリンピックが開催されようとしている。それに対するアクションが休刊だった、と書いたら、誰か怒るだろうか。要するに自分の存在価値のないことを認めたわけである。矜持を保ち続ける意味を見失ったわけである。

そういう空白を経て今号。特に何という気負いもない。読まれようと読まれまいと、という気持ちで、余裕をもって発行できそうである。それよりか、これからしばらくの間が大変だ。かの探索のことを忘れずに居続けることができるだろうか。言葉にできるだろうか。まとめられるだろうか。その不安が強くある。まあ、書けなかったとしたらそれまでよ、と何の韜晦もなしに思っている今である。ちなみに次々号分の原稿はほぼ書き終えている。発行後にはその次のを書き始めなければならない。前倒しで原稿を書くというごくごく当たり前なことすらできずに10数年間やり続けてきたのはさすがに愚かだと思う。

[独言] 玄関が猫の小便臭い

正確には玄関の外が臭い。まるで扉の前でしかぶられたかのようである。あの独特の鼻を突く臭気を嗅ぐたびに子供の頃を思い出し懐かしくなると同時に現在の我が部屋がそんな臭気を放っていてそれが漏れ出しているのだろうかと思い慄然とする。しかし臭いの元は我が部屋ではないのは明らかだ。玄関を開けて一歩中に入ればその臭いは絶えてしまう。

玄関前にしかぶられた訳でもないらしい。臭いがする時とそうでない時があるからだ。この臭いはどうも、どこからか漂ってきて扉前に溜まるようになっているらしい。今住んでいる建物は真ん中にフロアがあってそこに4軒分の扉が向き合っている。フロアには窓がなく換気は全く効かない。どこかの扉が開いていればそこから漏れた空気が他所に流れていくようになっているらしく、その吸い寄せ口というか空気の吐口というかにうちの部屋がなっているらしい。全くもってとばっちりである。近寄れば1mも近づかないうちに逃げられるほど猫に嫌われている私なのに猫の小便臭気には好かれているらしいのは悔しい限りだ。もしかしたら猫の嫌がらせなのかも知れない。こっちは仲良くなりたくてなりたくて身悶えしているというのに。


2021-07-14 [長年日記] この日を編集

[ToDo] 大阪府立図書館

復刻 時間表 および 時刻表。大正~昭和初期の山陰線の時刻表。


2021-07-15 [長年日記] この日を編集

[ORJ] 今号は無料公開です

ここしかチャンネルを持たないのでここに書く。無料にしたところで読んでくれる人が増えるとは思っていないが、罰みたいなものだ。梅田の歩道橋と日本橋で路上販売したようなもの。

小見出しに入れたらリンクだとわかりづらいな・・・。 今号は無料公開です

[独言] かいい

だんだんひどくなってきていないか。これで明日から出かけようっていうんだから。まあでも長旅の時はこの体で毎日野宿だったのだ。できんことはないやろ。

[] 人間 阪本勝

尼崎市長や兵庫県知事を務め、1975年に亡くなった阪本勝氏の追悼文集。追悼文集のほうがかえって良かったかも知れない、この人のことを多角的に見ることができるので。そのかわり批判的な言説は期待できなくて、しかし批判を浴びまくって評価が二分されるような人ではなかったように読める。尼崎市に競艇場を作っておいて神戸では競輪場を廃止するってのはちょっと矛盾しているように見えるけど。

素養があり、人間的に魅力溢れた人だったこと、但馬が好きだったということはよくわかった。過去の人だからそう感じるのかも知れない。いま同じことをする知事がいたら人気取りとかポーズとか、そういうものに感じると思う。田中康夫氏が長野県庁の知事室をガラス張りにしたのとさして変わらない。そこに詞があるが否かと、それをやっても嘘くさくない人となりがあるかないかの違いかしらん。

[独言] S34県道認定・廃止

何も考えずにキーを叩いてテキスト入力している間が一番楽しいのだと気づいた。調子さえよければ際限なく売っていられる。てにをはで悩むことも語彙のなさに糞詰まって投げ出したくなるようなこともないからだろう。

ところどころ整理番号が飛んでいるのはなぜだろう? 41号から75号まではきちんと廃止されていて、S34の時に41~50いくつかまでは認定があって、その後ろが100番まで抜けている。ここは予備に開けてあるようにも読めるけど連番の途中が抜けているのもあるんだよな。戦前の指定がそのまま生きているということだろうか。そのへんの確認は終わってからすることにして今はテキスト入力に専念。

雲雀丘停車場線と花屋敷停車場線が別個に認定されていて、それが今も残っていて、しかし両方とも雲雀丘花屋敷駅を起点にしているらしいのがちょっと面白かった。二駅統合され雲雀丘花屋敷駅になったのは昭和36年。認定の2年後か。


2021-07-18 [長年日記] この日を編集

[ORJ] 今号は無料公開です

今号は無料公開です。無料フラグ立てても読者登録が要るのを忘れていた。面倒なのでワンオフアカウント作っておく。

[きたく] しんどい

画像の説明

あのままでいたら熱中症になっていただろうという経験をする。呼吸が早くなる(ゆっくり呼吸ができない)・体が暑くてぼうっとする・意識の混濁。道路端のほんのわずかな日陰のおかげで死なずに済んだのかも知れない。

一日中汗をかいて眼球もメガネも曇ったままの一日。こんなだから記憶もあいまいになるのだとやっと理解した。裸眼すらぼやけるのであれば風景の記憶もなんもあったものじゃない


2021-07-20 [長年日記] この日を編集

[ORJ] 今号は無料公開です

今号は無料公開です。なんだけど反応が一切ないのがnagajisクオリティである。

[独言] S34県道認定・廃止

いつまで経っても終わらねえ…それもそのはずS34の時点で504も認定されているのだった。しかもこの告示の後に区域の決定告示があるのを忘れていた。区域決定告示は認定告示にある県道を再録したようなもののはずなのだけれど(路線認定後速やかに区域の決定をしなければならない)、もしかしたら後者が遅れたやつがあったりするのかも知れない。整理番号と県道名くらいはチェックしておかないと。

路線認定→区域決定後はその区域が道路管理者の管轄下に置かれることになって無断で土地を改変したりできなくなる。用地買収が済んでいるか否かに係わらず。旧道路法にはないこの仕組はそれによって実際の道路建設を促進する狙いがあった(名ばかり県道を無くす目的があった)ことが土木学会報の新道路報解説 http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/m_jsce/37-10/37-10-13701.pdf にある。けれども未だに不通県道は多く有るわけで。原因はいくらか考えられる。用地買収が難航したとか(例、請取峠)、トンネル建設を予定していてそれが着手できずに居るとか、当時は意味があったけれども今となってはわざわざ改良して車道にする必要がなくなったとか。

所々番号が飛んでいるのは他府県の都道府県道と接続するものかも知れない。告示末尾の付記にそのような注記がある。他府県の路線認定の日と合わせる必要があるので今はしないといった内容。そういえば請取峠もそうだったな。戦後の指定は奈良県三重県で同日だった気がする。そのくせ峠で県道指定が食い違っているという。江浪峠もそうだった。兵庫側は江浪峠道を通らずにその西の岡山県境の峠まで行っている。鳥取県側は峠道を踏まえて峠までが都道府県道。兵庫側は西の峠から江浪峠へ向かう新線でも作るんだろうか。それとも鳥取県に別ルートを希望してたりするんだろうか。いったん岡山に入って再度若桜に出るようなルートだったりすると三県同時に変更しなければならなくなって面倒臭そうだ。そういやこの道はいつから県道だったんだっけ。ルポの時に多少調べた気がするが頓には思い出せない。

戦前の県道指定の最終形はS34県道認定告示の次の次にある廃止告示を見ればよい。ここで旧県道がまとめて、いや一つ一つ丁寧にというべきか、とにかく廃止されている。


2021-07-24 [長年日記] この日を編集

[ORJ] 今号は無料公開です

今号は無料公開です。そして反応が一切ないのがnagajisクオリティである。

[独言] オリンピック開会式

なんとはなしにラジオで聴き始めて最後まで聴き通してしまった。映像に気を取られることがなかった分いろいろなことを考えさせられて良かったと思う。

入場行進。205もの国と地域の解説は聞き飽きることがなかった。意外。初めて名を聞くような国も多かったし難民団のオリンピックチームがあることも初めて知った。国ごとに趣向を凝らした衣装だったようなのも楽しそうで、観客がいないので行進する人たちは寂しいだろうと思っていただけに救われた思いがした。

いろいろな小芝居があったようなのだけれどもさすがに解説だけではイメージし切れなかった。それぞれの脈絡もいまいちわからず。別々の何かが展開されていて、それがきれいそうだとか悲痛そうだとか想像されたばかりだ。冒頭のアスリートの挫折と復活は今回のオリンピックらしくてよいと感じたけれど。

こういうのはあとで動画でも見直すようなものでもないだろうし(何かを感じたとしてもリアルタイムで見た感想にはとうてい及ばないだろうし変質もしていそうである)、あって然るべきのような気もするし別になくてもいいんじゃないかと思ったりもする。それでも直前までグダグダしていた割にきちんと何かをしてくれたことは感謝のような気持ちを覚えた。

一番心を動かされたのは橋本聖子会長のスピーチだった。じっくり噛み締めながら聞いていると、この厳しい環境の中、無理をしてでも開催しなければならなかった理由がよくわかった気がする。世界中のあらゆる人種のあらゆる階級のあらゆる人間にとって、心を寄せひとつのことに集中できる何か、ってスポーツくらいしかないのですな。紛争をしている国々も、政治的に虐げたり虐げられたりしている国同士も、それとば別の「スポーツ」という舞台で平等に競い合い得る。中国からだけでなく香港からもチームを組んで競い合おうとしている。すばらしいことだと思う。そのことを自身オリンピアンであった橋本氏が語り、開会に漕ぎ着けられたことへの感謝を重ねていく声を聞いていると、オリンピックはスポーツマンの祭典なんだというごく基本的なことが身に沁みて理解できたように思った。

こんな状況下での無観客の開催となり、経済効果とか何とかが全く期待できない状況になったけれども、それはかえって本来的なオリンピックの意義の純度を高めることになったかも知れない。人間の能力の限界を追求し、同じ人間としてこんなすごいことができる人がいるんだと教えてくれるアスリートの、その戦いの場を提供し、最善のパフォーマンスをしてもらうことが、開催国の義務というものだろう。途中で投げ出したり止めてしまったりせずにここまでやってくることができたのはいち国民として誇らしいというかほっとしているというかな心境。そうしてその責任の大部分を背負って牽引してきた氏の言葉だからこそ共感を覚え「ご苦労さまでした」と言いたくなるのだ。

考えてみれば、スポーツほど多くの人が心を寄せ得るものはないかも知れない。ゲームもアニメも(多くの人の心を掴んでいるとはいっても)その影響の範囲を全人類にまで押し拡げることはできまい。「どれだけ早く走れるか」「どれだけ高く飛べるか」「どこまで精密に身体をコントロールできるか」みたいなことはどんな人間にもよくわかる指標だし、それに向かって挑戦してみることもできる。超人的にできる人=メダリストに対して覚える経緯も素直な純粋なものになりやすい。妬みやそねみではなく純に「すごいね!」「よくやった!」と思える。こういう気持ちになれる機会は、年を取れば取るほど減っていくものだ。

ゲーム音楽のアレンジオーケストラで入場行進だったけれども、任天堂ゲームがハブられているとかドラクエなんて日本ローカルな人気だとか何とかでいちゃもんをつけている層もあるそうだ。どうでもいいと思う。ドラクエのオープニング曲は、たとえゲームを知らなくても、何か壮大なことが起こりそうだという予感を感じられるいい曲だと思う。行進にもぴったりなリズムだし。なまじドラクエのオープニングだと知っているから余計な批評の気を起こすのであって、知らない諸外国の人々には普通のマーチ曲のように聴けたんじゃあるまいか。自分なんかは最初のそれがわかったのとFFの勝利のテーマのアレンジがわかった程度で、残り17のゲームなどわからなかったが、行進曲として不相応なところは感じられなかった。

あと任天堂はリオの閉会式で主役級の活躍をしてるからな、まるで日本代表企業かのような活躍ぶり。他に道を譲ってもよかろうもん。あの安倍さんが出てきた引き継ぎ小芝居は素晴らしかったと思う。たぶん全世界に伝わったはず。ああいうのを開会式にも期待していた時期もあったけれども……まあ最悪な状況下で落ちに落ちた底のところから仕切り直しているのだから多くは望まない。皆さんよくここまで持ち直してくれたね、と思う。

[独言] 強いられる

自分がこれだけ苦労|我慢しているのだから他の人間も同様の苦労|我慢をしてほしい、というかしなければならない、そうでなければ気がすまない、という人間が多い。自分という個の見地を基準にして他に何かを強いる人間が多い。主義主張ではなく、より高次の視点からの言説ではさらになく(そういうのは今度は「上から目線」といって反発される)。マスク警察とか自粛警察とかいうものが存在するのはそのせいだと思う。

コロナ対策でレファレンスは一人15分までとお願いされているのに「わざわざ2時間もかけてきたんだから」としつこく尋ね続ける老人を見かけて嫌な気分になった。自分の都合のみを優先し、自分がこれだけ苦労しているのだからと我を通す姿は決して見習いたくなるようなものではない。ああはならないようにしなければと思う。

これは日本人特有の性向なのだろうか。私の観察対象が日本人に限られているせいで「日本人は~」と感じてしまうだけだろうか。諸外国だとどうだろう。東洋では等しくその傾向がある気がする。アメリカは個人の権利として自身の思いを主張し通そうとする傾向がある気がする。ただしその場合受け手も同様に人としての権利を主張し議論を戦わせそうな気もする。感染症対策であることを懇々と説いて納得させようとしそうだ。日本はそこで「規則ですから」を拠り所にしがち。互いに平行線を辿るばかりである---だから公務員と一般市民みたいなステロタイプなイメージができるんだろう---。そこに気づいてなんとかしない限り双方とも不幸になる気がする。

[独言] 時刻表

必要なのは餘部駅ができる前後の2点のデータだけなのだが、せっかくなので大正元年から追いかけておいた。まるで鉄道マニアな出納で恥ずかしい気がしたがいずれ必要になるかも知れない。最初は日に4、5本だが昭和に入るともう2本くらい増える。夜行の急行も始まるようだ。これが片道なので上り下りを考慮すると通過可能時間は結構時間は限られてきそうである。その間に約2km歩かなければならない。1時間はかからないが30分では足りないくらいかな。


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