nagajisの日不定記。
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「お前らの頭も叩いてみれば?」>「文明開化の音がしたぞ」>「ザンギリ頭乙」というやり取りがツボにはまった。以前の「おはらいてう」と同系統のツボである。「音がするぞ」でなく「したぞ」なのがミソと思われる。新しい文明開化である。It's new!
そういやトマトの害虫避けに枝葉ごと振動させ続けるっていうニュースもあったな。遺伝子組み換えとか農薬とかいったややこしい手段を使わなくとも改善できる余地があるっていうのが面白い。
よく考えたら中国とか四国のとかも書いてるしな。現状中京でしか見かけていないが草津や米原辺で見つからんとも限らんし。
他地域のは関西圏で見つかっている不明刻印を解消するために必要なのだがそればっかりやっているとキリがないので程よいところで止めないといけない。煉瓦置く場所も潤沢にあるわけでなし、そもそも持って帰るのがしんどいし。
南海の孤島にいる夢。目的不明だが大人数のうちの一人として島を訪れている。日本の最西端だったか最南端だったかの人住の島だが(微妙に西表島だという認識)、例に漏れず過疎に悩んでいる。島の中央には住宅地の跡。住宅の跡ではなく広い宅地がまるごと空になっている。集落ごと退転して建屋もすっかり取り払われた屋敷跡に記念の小さな石碑だったか墓石だったかがちょこんと置かれていたりする(十津川村の栗平みたいな感じ。「○○家跡」みたいな碑が元住人によって建てられていた)。遠くの山の斜面にもハリボテのごとき建物の跡があった。3面が落ちてベニヤ張りの壁が一枚だけ残っている。
何かイベントがあったのち、エンジンボートに乗って海に出ることになる(何しに行こうとしたんだっけ…)。しかしボートは皿のごとくな浅いもので、波を被ったら、というかボートが進行する時の水切りですら水をかぶる。案の定出発してすぐに波に突っ込み船の中は水浸しになる。ああこのままでは水が溜まって沈んでしまう、と思うとまったくその通りになる。船だけがブクブクと沈んでいってしまう。
木曽川橋梁の"シー"は桂川橋梁"C"と違う大きさ……。そうなんだ、"シー"を"エー"と重ねたらぴったり同じだったのだ。本来は"エー"を打たねばならなかったのに、間違えて"シー"を打ったものと思われる。そして現場では刻印表示のほうを信用して?内側に配置したと。
そーなんだよな、添印は"エー"にしかなかったんだ。"ビー"は無添印。
ついでに"B"/"ビー"/勢陽組撥型の比較も。並べると厚さがタマラン。
奥義63、通称キバハゲデュエルのラスト、ボーボボの「『ガネメ』とはただの言葉にすぎん」に対するキバハゲのセリフの『ガネメ』には「現実」とルビ振られているんだ。つまりガネメ=現実。これを踏まえて奥義191を読むとさらに理解が深まる。
あと、奥義66に登場する輪ゴムは『虚航船団』文房具船の一級操縦士 の裏返し。「天体観測的に宇宙から見た僕達は等しく小さい」のですぐにゲシュタルト崩壊する輪ゴムがここでは真逆の言動をしている。
謎を解決しにきたはずなのに…却って爆増してしまった。どうしろというのだ…。
本日一発目がこれ。これを見て約1秒で「おうっ発進組は耐火煉瓦だけじゃなく普通煉瓦も作っとったんかいワレェ」と納得したのだが約1時間後に完全形に出会って早とちりだと判明した。いまこの世の中に生きている人で自分以外の誰にもできない早とちりだと確信している。しかしその完全形が教えてくれた会社名に心当たりがない。これと一緒に勢陽組印も転がっていたのは狙い通りであったのだが。
本当は今回の主題であった多度の畑。あちこち訪ねて回ったのに畑の所有者が判然としないという予想外な打ち切られ方をする。申し訳程度に数個確認(しかしそれで必要十分であったかも知れぬ。あってほしいものは確かにあったのだ)。そもそも焼損煉瓦が多くて採寸に向かないということに現場で気づいた。阿呆である。あと六華苑で教わった養老鉄道の変電所跡も意外と収穫があった。
そのまま養老鉄道で大垣へ移動。さらに樽見鉄道に乗り換えるつもりが次発が一時間半後と知り自棄を起こして歩いていくことにした。前回東大垣から大垣へ歩くのを断念したののリベンジも兼ねて。
揖斐川橋梁で狼藉の限りを尽くす覚悟であったのだけれども、掘ったらもっと扱いやすいサイズのが出てきて、そのくせ想像とは違う刻印が想像もしなかった場所にあって呆然とした。あるいは未見の二本の棒線刻印であったりした。冷たい北風に渺渺と吹き晒されながら思考停止してしまう。
剥がすだけ剥がして帰るつもりが、最後の最後の悪あがきのつもりで第4橋脚に寄り道した結果、そこで重要な発見をし、ひとつ得て帰ることにした。しかしだとすると木曽川橋梁の井筒がオリジナルのものということになってしまうのだが……。
夕暮れ時はまこと逢魔ヶ刻である。