nagajisの日不定記。
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あとちょっとだー
自分の頭のハエを追え、と思わないでもないが面白くて面白くて。ワンクリックで破壊的に一括書き換えとか快感。余談だが整理整頓がスキな私はB型です。
説明見ずに買っといて「付録ついてないんですけど」っていけしゃあしゃあと言える神経がわからない。「マケプレ定期でggrks」と何度言いそうになったかわからぬ。
かと思うと、以前ORJを買ってくださった人にブツを先送りすることになったり。相手はきっとそんなこと微塵も思ってないだろうなあ。すげえ奇遇だなあ。そういやCD代払ってくれたんだっけか。うん、くれてるはず。でなかったら怒りの波長を高速フーリエ変換するノミナリー。
単にレールが傾斜していて扉の自重で滑ってくるだけという単純仕様。しかもそのコマの交換だけで4まんえんとか。そしてその交換費用をケチられ。そもそもキチンとアトゼキしたら解決する話であるのだ。あらゆる方向に向かってどないやねんと愚痴りたくなる。
そんなスライドドアを見ているうちに不憫になって、あれこれ考えていたら、要するに重りをつけて引っ張ればいいんじゃねと気がついた。パズーの家の扉方式とでもいえばよいか。倉庫にあるものを組み合わせて適当に作ったらそれなりに機能するようになった。重りの重さは要検討。コンビニ本一冊分+でかいクリップ一個分もイランと思う。文庫本一冊ぶら下げておいたら。
暗いと不平を言うよりも進んでハゲて世を照らせ(笑
そんな工作をしていて左手にマメができそうになった。ふとわが手を見てみれば昔はあんなにタコだらけだった手がつんつるてんになっている。タコの痕跡さえもない。そりゃそうだ、キー入力じゃ指先しか使わねえし自転車は朝晩しか乗らないしクッション効いたバーテープだし。
働き者の手じゃねえなあ。働いてないつもりはないけれどもなあ。
野分来て秋の欠片を置いてゆく
10号が過ぎた頃には間違いなく秋という涼しさだったのに、ここへ来てまた夏に逆戻りしている。次の台風までの我慢。これって春の三寒四温の逆なのだなあ。気圧の関係なのかなあ。
サムネと大画像で分けてはることをすっかり忘れてた。しかしプログラムの骨格を変えず行も増やさずに処理できてしまいそうな塩梅なのがミラクル。決してそれを狙って書いてたわけではない。
が、今日はもう頭がまわらない・・・何しろ仕事で使うやつをいらっとったあとなので・・・すみませんT氏。
自転車を押しながら帰っている時にA→Rの自動化のアイデアを思いつく。要するに削除CSVを作ってftp_fputすればよいのだ。R→AもMWSさえ攻略すれば…。それがすごい障壁になっているのだけどな。
今日はマケプレ定期が2件立て続いていらいら。商品説明も読まずによく買えるもんだ。こういうのは根絶できないだろうからはんなりいなして次にかかったほうが精神衛生上宜しいと思う。そのうえで妙な問題に巻き込まれて翻弄されっぱなし。どいつもこいつもおらんだだぶるがりあだ。
それにしても人間の精神って不思議なものだ。いらいらすることとか思い出せば絶対煩悶するだろうという黒歴史ほど頭にこびりついて離れない。無駄に思考スペースを奪われる。それがいちばん困る。思い出していらいらしたり悶えたりしたところで未来の備えになるわけでもないのにな。
軍桟に吹き寄せられたポリ容器の如き我が身 朽ちも沈むも許されず揺蕩う
鳴門の陸揚桟橋にたまったポリゴミを思い出した。水はあんなにきれいで桟橋石組みもよさげに風化していたのに、そこへポリゴミが吹き寄せられて波に翻弄されていた姿が何とも興醒めであった。石組みに登りかけては落ち、また波におしやられて桟橋にぶつかりを繰り返していつまでもゴロゴロと転がり続けていて。穴が開くか砕けるかするまでああやってゴロゴロし続けるんだろうな。沈んだところで根本的解決にもならんけど。
「揺蕩う」はのどかすぎ。なくてもいい。
(以下購読仕組みに関する愚痴30行削除)
つか文句があるんだったらさっさとあまぞんにぺーじをつくるさぎょうにもどるんだ>ながじす
と愚痴を書いたら拾われてしまった。透明な愚痴でも溢すもんじゃないよ。散らかるよ。汚れるよ。
要するに戻りページとIPNで受ける専用のページを別に用意すればいいんだろうか。それでもcoreで混んでたらお手上げか……。同期・非同期ともチェックしてるはずなのに上手くいかないのは「してるのに」が間違っているに違いない。くう。
いまおれの運気は最低に落ち込んでいるぞ!そうに違いないぞ!近寄っちゃダメだぞ!太宰ばりに周りを不幸にするぞ!
ふーん。
不運その1:原稿書き終えてpdf化しようとしてる段階で若狭橋が長狭橋だったことを知った。
不運その2:その記事のなかで明治32年2月に竣工した無筋Cアーチがあったことを知った。
不運その3:両方共残ってない。
不運その4:せっかく見つけ出してきたのになぜ「伝説」を送る。
不運その5:他所宅の騒動に巻き込まれ気を揉み疲れている。
不運その6:奥歯に挟まったニラの繊維がまだ取れない。
不運その7:秋休みが10月20日以降に先送り決定。
不運その8:神社の手水柄杓にナメクジがついていた。ここんとこずっとだ。
不運その9:深山重砲兵連隊のお盆が落札できなかった。できたところで不運かも知らんが。
不運その10:エルゴテックシフター6500円からって足元見過ぎだろ。
不運その11:ま、無駄金は使わないに越したことはなく。
不運その12:待ちぼうけをくった。あるひせっせと野良稼ぎ。
不運その13:小篆と大篆を混同してはいけないのだと今更知る。
不運その13:堀田義次郎のは金文でなくて小篆な多分。
あれ。思ったよりすくねえなあ。
不運その14:気分転換に今日の夕景を書いたら書き終えたところで全部[OFF-uploader]に置き換えられた。ガッデム。”[”を入力したらタグ補完しようとするこの機能、要らねえ!
不運その15:「関西の土木100年」コピーがあったはずなんだが見つからない。そもそもコピーを取ってないのかも知れない。
遠くを過ぎ去ろうとしている台風の鉛色の雲の塊。夕陽が端々を赤く染めて、そのお陰で雲の高さと奥行きの深さを把握することができる。過ぎた方にはすっかり晴れ上がった空にいくつかの切れ端。細く糸を引いたそれがまるでダリの絵画のはるかかなたに描かれてるやつみたいでさ。かと思ったら頭上はひつじ雲の大行進だ。透かして群青の天が見えるほど薄く、そこだけが秋を演じている。さらに視線を南にやれば、昼間からずっとそこに居座っている鉛雲。ラジオのいうにはずいぶんな雨を降らせているらしいが、こちとらにゃそんなそぶりはなかったな、ただただ蒸し暑いばかりで。台風は北のほうなのに秋空を挟んで反対側に大雨を降らすのはなんでなんだぜ? あそうか、次の台風が来てたのだった。ここんとこひにちかんかくがおかしくなってる。先週末から何も進んでない感じ。
そんな夕刻を雲を眺めて過ごした一瞬があった。伊丹空港があるお陰で西方の眺めがいい。雲は見飽きない。雲が好きだ。みたいなことを書いたのだよ。
AndroidのGoogle日本語入力とPCのとで候補の傾向が変わるのはヤだなあ。ちゃんと全部出してほしい。
謎を追求し解明しようとして四苦八苦してばかりの人生と、謎など感じず日々に疑問を持たずに生きて死ぬのとどっちが幸せだろうかと思ってみたりした。台風一過の秋空のごとくに疑問が晴れることなんてないんだ。一つ解決したらまた次の疑問が湧いてくるんだ。それこそ雲のように。
雲は塊になって動いているように見えるけれども実際は何もない空から湧いては消えして移っていくもので、早回しの映像を見ているとそれがよくわかる。理解と忘却の繰り返しで進む雲。雲は人生みたようなものなのかも知れぬ。だからいつまでも眺めていたくなるのかも知れぬ。かたち・色合い・濃淡のあわいを眺めて飽きないのかも知れぬ。雲のひとつかみを掌に載せて転がして矯めつ眇めつして理解できねえかなあ。
解決した疑問も疑問に思ったことも結局は身一つの内に収まるくらいなもので世の発展に寄与することもなければそれで世界が幸福になったりもしないし意思を継いでくれる人もない独り身であればなおさら、自分の思惟思索は無駄なこったななあと思う。そうやって無駄に思考されたことどもは何処へ行くのだろうな。ニンゲンの歴史の中でどれだけの思考が無駄になったんだろうな。どうせ無駄になるなら始めからしないほうがいい、などとは思わない。そんな人生は退屈でたまらない。人はどうだか知らないが自分はそれを退屈に思う。退屈しのぎに謎を抱えているわけだな。何かを発見したつもりになり悦に浸るために考えているのか。しょうむないことをさぞ大発見のように誤認して、それで優位に立ったつもりでいるのか。いやいやそうじゃないつもりでいるぞ、しょうむないことだと自覚して世のため人のためにならないことだとわかっているから人生投じてやってるんだ。誰かに勝るためでなく、他人を見下すためでもなく、自分が知りたいからやっている。その意気や良し、とは言い切れないまでも悪くはねえ。
というわけで自分のことしか考えずに生きている。それでいいんでないの?
といったことを定期的に書いて確認していないと軸がぶれるなあ。あれそんな儀式が必要だってことはそれほど弛い軸なんじゃねえの? そうさな、それは認めようじゃないか、五重塔の心柱のような強靭なものは私の中にない。あちこちつっかえ棒しなきゃ倒れてしまいそうなほど緩いやつしかない。空回りする気分と虚数解の信念によってかろうじて立っている葦である。
なぜこうも立て続くのか。そしてイライラするのか。(以下略) ←だからそんな書き方するから誤解を招くんだろうが。ORJには全然関係ない個人的な話です。ふう。
サムネール作成は一度成功したんだけど出来上がったサムネがボケボケになってしまったのでシャープにする関数ないかしらんと思ったらおブジェクティブな書き方のサンプルを発見。よっしゃと思って書き直し、リロードしたら503という罠……嗚呼これも不運。しかし考えたらメイン鯖においておくとTUKAさんまで巻き添えにすることになるのだな。サブに移っていただくほうがよいのかも知れぬ。
ImageMagikを使いこなせるようになったらあんなことやこんなことができて便利なんだけど、はるか昔に書いたサムネール作成ルーチンから外れることができないまま今日に至っている。この機会に少し練習しておこう。このタイミングでというのもどうかとは思うが急がば回れだ(違
阿振川橋は長いだけで面白みに欠けるな・・・。話の筋も飛び気味だ。やはり旧橋をメインに据えようというのが間違っていたのかも知れぬ。そういう困難を敢えてするのはいいけれどもそれ乗り越えたところで誰も褒めちゃくれないよ。自己満足も得られてないなら正しく「何のためにやってんだ」っていう話だ。
いつのまにか深山軍道第一部が明治31年に完成したことが確定事項になっていて、その根拠となるはずのモンジョが見つからない。どういうことだ。お前が書いたんだろ。原本出せや。以前からボケたボケたと思っていたがここまで進んでいるとは思わなかったぞ>nagajis。
検閲諸表か何かで「本年竣工シ」みたいなんを読んだ気もするし、深山軍道第一部の竣工図書提出を見た気もするが、後者は見当たらず、前者はそんなに古いのがない。33年12月19日にあがった報告(いつも「検閲諸表」と呼んで引用してたやつ)が最古。一体おれは何を見ていたのだろう。
あれか、深山第一第二砲台の備砲時期か。たぶんそうだ。砲運ぶのに橋要るやろという推測が脳内で独り歩きして確定しちょる。そんな豆腐みたいな根拠を基礎に埋め込むな。ちゅうかそれは後で出てくる話じゃろが。
なんだかんだでそれっぽいモンジョを見つけてきて事なきを得たが(得たのか?)、この脳内確定リターンしがちな頭は危険過ぎる。だからえらいひとにはなれないのだ。バカが。ダボが。ハゼが。さかなクンさんにデコ助野郎と罵られとけ(圧縮)
M33提出の検閲諸表には深山佐瀬川堡塁間連絡交通路がない。それ以降完成の証拠。しかしそれ以降完成予定の表にはない。困ったものだ。
信州生山葵を頂いたので海鮮山葵茶漬けにして食ったら滅法美味かった。すりおろした山葵よりチューブ入り生山葵のほうが辛い気がしたのはどうしたわけか。摺った山葵は薫りがすばらしくそれはチューブ入りに敵わないのだけれどもツンツンしたのを予想していた口にはチューブのほうが適格なようだった。あと和歌山産シイラが予想外に茶漬けに合うことを発見した。そもそもこれ、焼き魚用のやつのはずだし、だいいちシイラがどんな魚か知らぬ。ひどいものである。
この夏は特に。結構な時間寝ているはずなのに朝起きるとダルい。疲れが取れちょらん。首から肩にかけていろいろ乗っている感じ。むかし貶したラーメンの霊とか刻印の入っていない手整形煉瓦とか腐ったデータベースとかが取り憑いている気がする。こういうのはどこで除霊してもらえばいいのだろう。お祓いで済むなら幾らでも払うのだが。
取り憑くならせめて刻印煉瓦にしてほしい。できれば会社がわかってるやつ。でないと余計に悩むことになる。
503祭の裏でデータだけアップしておいた。はて大丈夫か。.htaccess二箇所はチェックしたしライブラリも書き換えた保存した。ヘッドラインだっとも21:50のタイムスタンプであげておいた。あとでもう一度確認すべし。
一陽と想夫恋、どっちかといえば一陽のほうが好きだったように記憶するがどうして好きだったかおよび味は覚えていない。想夫恋の麺はやけにパリッパリでそれが本来の焼きそばなんだろうけれども子供の自分には食いにくいだけだった。口の裏に刺さる刺さる。そのへんは一応覚えている。一様におしなべて昔の記憶である。
24:00確認したがトップ画像を読み込むところで503になってもた。ちゃんと貼れてるんかな。
検索で引っかかったから買ったら違うセットだった、って、そこまで責任追わなあかんもん南海。あんだけ状態コメントに書いてるのによく見ないで買えるもんだ。福井晴敏+人類資金で検索したら終戦のローレライが出てきたんで買ったら終戦のローレライだったって言ってるようなもんじゃんか。とかくこの世は住みにくい。
それよか亡国のイージスのタイトル化け、いい加減直してほしい。確たる影響はないが見るたびにモヤモヤする。
別冊付録を作っていてこの際手持ちの耐火煉瓦写真をかたしてしまおうと思い立ち恐らく全部を突っ込んだ。ホシレンガのH.S.FIREBRICK★一個とか金屋淵のBYKとか。どれも中途半端ではあるが。
コメント書いている時に気づいたのだが現行のJIS(粘土質耐火れんが JIS R 2304)ではSK番号の記載が認められてないのだな。そうじゃなくてN1とかN2とかの略号もしくは製品名、製造者名およびその略号が記載可能。1952年に制定されたときにはSKの記載が認められたか必須だったかしてたんじゃないか。でないとSK表記の耐火煉瓦があんなにあるわけがない。もしくは現行の三石耐火の製品のように製品番号=SKグレードみたいな感じか。これだってSK廃止の後を受けての窮余策に見ゆるんだが。
お恥ずかしいことに耐火れんがと耐火断熱れんがが異なるものだとか粘土質/高アルミナ質/マグネシア/クロムで違う規格が作られていることだとかを初めて知った。そのへんの規格の変遷をきちんと整理すれば耐火煉瓦の刻印から一層多くの情報を読み取れるようになるかも知れない。しかし古いJISハンドブックを所蔵している図書館がなく旧JIS規格票は国会図書館関西館まで行かないといけない。コピー取り寄せでもいいんかも知らんが著作権云々で全コピー出来ないらしいし。
そもそも耐火煉瓦まで逸れていいんだろうかという逡巡もある。普通煉瓦と違って耐火煉瓦は工業製品として全国各地に流通した気配があり(ライオンの歯磨粉が鹿児島でも北海道でも売ってるようなもので)なおかつ廃棄品はガーデニングや舗装用によくリサイクルされているため1次の移動(製造工場→使用工場)や2次移動(工場→解体で近傍に転石)だけでなく3次の移動(解体後リサイクル材として他所に転用)が結構頻繁に起こっているように思われる。事実伊保の友田神経内科の建物には愛知産と岡山産と九州産が混じって使われている(集成には入れなかったが九州耐火煉瓦KTRも使われている)。さらに言えば耐火物工場は各地に分工場があった。同じ黒崎窯業でも産出場所が異なるかも知れない。こうなってくると煉瓦刻印の分布とか建造物の年代推定に使いたいとかいう発願は成就できない。調べてもあんま意味が無い。
ただ、ようわからんことがようわからんまま放置されている状態を整理したいとは思う。単に耐火煉瓦だとわかるだけより、三石耐火の耐火断熱れんが横せり1型やとかわかったほうが面白い。SKグレード表記はいつ頃からいつ頃まで、みたいなことがわかったら面白い。面白いと思うことをやりたい。
なのでいずれ関西館に足を運んでみようと思う。それと豆腐町遺跡2。兵庫県立図書館にしかないかと思ってたけど関西館にも所蔵あるんだな。しかしあそこはとてつもなく不便なところにあるんだよなあ。車以外でどうやって行けと仰るか。岡町駅から検索したら関空行ってリムジンバスで向かえと出た(笑)。なんぼかかんねんっちゅう話や。
耐火煉瓦の製造史については大日本窯業会による窯業史のなかで章立てて取り上げられているし、近年でも「耐火煉瓦の歴史」という好著があって新刊入手可だ。素人が無理してまとめる必要はない。ただ刻印から何をどう読み取ることができるのか教えてくれる文献はなさげ。その時々の専門家がその当時の読み方を知っていて、生産家もその需要と要求に答えられればそれで良かったのだから、誰も必要としていなかったものであって、存在しないのは当然だ。
薄曇りの隙間から拝むことができた。多少雲があったほうが風流に思う。もうちょっとで全部見えそうだ、あ、また翳った、ていう感じでいつまでも眺めていたくなる。
しかしこの状況(地球上の観測者ー雲ー月の位置関係)をスケールダウンして例えると
ていう感じなんだろう、と気づいてしまって一瞬で興ざめした。この印象を文芸してみたかったのだが断念した。
ハロさえも説明できてしまう科学の無粋
人類資金も終戦のローレライも某国の盾も内容を知らない。なんでそんな妙ちきりんな分冊なんだと思うばかり。あれだ、新田次郎の武田信玄単行本みたいな感じだ。
文庫本に落とす時にQ数大きくして2分冊にするのは卑怯以外の何物でもないと思っている。出版社と著者の都合でしかないと信じている。売れねえから文庫本にするんだろ。そこでまた金稼ぐのかよ。みたいな。だからといって出版文化が廃れてもらっても困るわけだが。要は主婦の井戸端会議の愚痴みたいなものでいちいち聞き入れていたら身動き取れなくなる文句である。無視されたい。
大岡昇平『堺港攘夷始末』を読んでいる。「歴史を文学に昇華させた」っていうオビ文句は的はずれなんじゃないか。徹頭徹尾な歴史考証・文献考証だ。ここまで念入りにしないと文学にならないのだったらみんな困ると思う。ガガガとか野いちごとか。この緻密な考察に例え瑕疵があったとしても私には見つけられない。そんなことを思いつつ半分ほど読んだところ。これなんか今再版したら3分冊くらいになるんじゃないかしらん。
書くという行為に責任が附随していた時代の作品は何を読んでも感心させられる。感心じゃ足りないが、あとは感服敬服平伏畏怖戦慄くらいしか語彙がない。
関西館って日祝閉館なんや……。無能無能アンド無能(今まで調べもしなかったnagajisに対して)。
食欲がなくて何も買わずに帰宅したものの夜遅くになって当り前田に腹が減り何か食うものはないかと思って冷蔵庫を漁ってみたら貯蔵期間が確実に1年を超えているはずの冷凍豚肉が出てきた。他に食うものもなく米を炊く余熱で解凍して焼いて食った。豚ロースとは思えないパッサパサな塊は牛ステーキと言い張ってもバレないかもしれないと思った。
この雨のなか姫路くんだりまで行ってきた。雨でではなく汗でびしょ濡れ。
そもそもは兵庫県立図書館に豆腐町遺跡の発掘調査報告書をコピーしに行くのが目的だったんだが、その中でrefられていた「塵界」第21号を手繰っていって、そこに「市川橋梁に[製]がある」と書かれてたので(いや、正確には写真だけか)、それを見に行くことにしたのだ。
東姫路駅で降り、右岸側の橋脚を見に行った時に上掲「乙」を発見した。山陽型の分厚い煉瓦の小口に打たれている。手書きではなく刻印な証拠に文字の底が平らだ。橋台から見始めて最後の最後の橋脚でこれを見つけたのでまさしくnagajis乙だった。同じ思いをしてもらいたいために場所は特に秘す。(全然秘してねえ)
「塵界」にはなかったが橋台側面天角に一つだけ平が露出しているものがあって、ここに「五」の刻印を検出した。漢数字刻印は左岸でも見つかっているが(後述)、いずれも生石山砲台の漢数字と書体が違うように思われた。生石山の「一五」の「五」には一画目がない。15だからかも知らんが。
目当ての[製]は左岸側にあった。これもやはり最も河道に近い橋脚の、洗われて露出した基礎にある。河道とは反対側だ。この基礎に「十四」と「二二」もある。もう一つ[煉]らしいものを見つけたがこれは秘匿する。
左岸側下り線の橋脚は基礎の露出が数か所あって「✕」と「✕」or「ヤ」or「4」らしいのを見つけた。後者はもうちょっとしっかり確認しておくべきだったな。一瞥で岸煉とみなしてぞんざいな写真しか撮らなかった。そのぞんざいな写真を見る限りでは「ヤ」か「4」に見える。棒の交差は直角だがハネみたいなのが写ってるんだ。困ったことだ。少なくとも下り線に岸煉煉瓦が使われているのは確かで、「塵界」に明瞭な✕刻印が載っている。自分が見たのは線描のような細いやつ。
ひとつ謎だったのは、上り線の橋台の天辺の煉瓦列が奇妙な割り方をされていることだ。小端立てて並べた煉瓦の一部が斜めにカットされ、そこだけ網代積みのようになっている。片側だけならまだしも左右岸ともだから余計に謎。枕木を直置きすることを想定したサイドストッパーとか、そういうことか。
で、何故かこんな場面を渡渉する羽目に陥った。しかも渡っている最中に左足が攣った。お前はギャグ漫画か。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160918-00000042-mbsnewsv-l28
うへー洒落ならん。
そもそもの目的であった豆腐町遺跡、即ち姫路駅高架化の時に見つかった転車台遺構(明治21年末姫路駅開業時のもの?)で採取された煉瓦刻印は、これ。
(『豆腐町遺跡Ⅱ』p.23より引用)
とても気になる刻印だ。1類に分類されている刻印は漢字を四角で囲ったもので、並べ替えると「末廣煉化製造(販)売部」とか何とかになりそうで、煉瓦工場の名前っぽいのだが、「吉」が余ってしまったりするし、そもそもそんな工場は存在しなかった。唯一可能性があるのは明治20−23頃に西宮市にあった勝部煉瓦製造所か。「勝」が見つかってなくて「部」だけという推測。それでも「末」「廣」「吉」辺りが余ってしまうが。西宮市末広町の辺りにあったとしても「吉」が要らない子になる。あ、「子」は「ネ」であって2類に分類されるべきなことは報告書に書いてある通り。
2類に分類されているのはカナ+□刻印で、これは京都府深草フチ町の一帯とかうちのアパートの隣ブロック(!)とかでも見つかっている。1類は一辺1.8㎝で枠線も太め、2類は1.5㎝角で細い枠線。後者の特徴は深草フチ町とか中桜塚のとも一致する。
1類は上記転車台のほか、市川橋梁、揖保川橋梁で採取されているそうだ。また西宮神社周辺の遺構?でも[賣]が発見されているとのこと。最後の一つを除いて山陽鉄道がらみの遺構。さてどこの工場が供給した? 勝部煉瓦製造所だとしたら西宮神社に行っててもおかしくはなく、明治21年から22年にかけて作られたという時期も合致するんだけどな。辰馬組でもいいんだけど。しかし兵庫港に荷揚場あったくらいだから堺から運んできてもいいんだよなー。
生石山第三砲台で1つだけ検出した五本線+○刻印(以下五光刻印と称す)が、実は豆腐町遺跡でも見つかっている。ただしここでも1つだけで、なおかつショベルカーによる掘削の際に出てきた遊離煉瓦とのことだ。転車台遺構そのものには検出されていない。ただ転車台の竣工(姫路駅開業)が明治21で、生石山第三の着竣工とさほど離れていないところからすれば(あれが要塞本体から出てきたとすれば)、山陽鉄道時代のものとみてよいのではないか。
さらに資料をみていると、鹿児島県の旧集成館の鋳造場遺構からも出土しているらしかった。ここでは大阪の盛秀館の耐火煉瓦も出土している。盛秀館は明治19年〜27年(自称11年〜)なのでやっぱり時期が合うのだった。
以上のこととM21の煉瓦産出量を考えると、意外と堺煉瓦の前身である共立社のだったりするのかも知れん(新聞記事の「協煉瓦石」がたぶん共立社)。五光−○=堺煉瓦の五本線、という図式も強ち妄想ではないのかも知れぬ。
そういや大阪煉化石も未確定のままだな。
確か西明石駅だったと思うのだが、駅に到着した電車の車窓から偶々この看板を目撃した。このテのキラキラ看板---金属製の可動式円盤が取り付けられていて、風が吹くとサラサラ動いて人の目を惹く---は最近ほとんど見なくなった。ひどく懐かしい気がするのは実家最寄りの長谷部ストアーの看板がこれだったからじゃないだろうか。ともかく私の子供の頃にはこの看板があちこちにあった。たいていのものは円盤が千切れてまだらになってしまっていたが。この看板のように。
改めて目にすると単純な仕掛けながら風流なもののように思えたことだった。風というか空気の流れというかが目に見える形でわかる仕掛けで、端からサーッと色を変えていくさまは見ていて飽きなかった。円盤がもうちょっと残っていたらもっときれいだっただろうに。
動くカンバンといえば昨今だとパチンコ屋のLED映像看板が筆頭格だろうが、あれはムカつく。やめてほしい。無駄に注意を奪われる上に結局は同じ内容の繰り返しだ。つまらない。同じ動くでも1/fゆらぎが潜んでいる円盤看板のほうが何十層倍もよい。
みたいなことを思いながらこの写真を撮ったのだが、実はそれ以外のところに突っ込みどころが満載であったのだった。この看板に篭もる奇妙なポテンシャルを、皆さんはいくつ見つけることができるだろうか。
ちなみにこのパブはもう存在していないらしい。存在しない店の看板が存在していて未だ稼働中というのも中々良いポテンシャルを有している。
丸三筧耐火煉瓦は昭和6年時点でも屋号○三を使ってた。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107975/1230
明治35年「大阪人士商工銘鑑」でも丸三。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779118/171
てことは男良谷砲台の○三は丸三耐火(丸三組)でいいんじゃないか。日本窯業の○三はfrom窯業銘鑑だからね、仕方ないね。
明石市魚住で見かけたYFB。横山耐火煉瓦があったのだった。 しかし横山氏は明治27年付で山二のマークを商標登録してる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/902305/379
樽井煉瓦が三つ鱗を使ってたみたいな謎。横山耐火煉瓦も昭和7年くらいまでやってたみたいだからなあ・・・。
9割できたところでイラレが落ちて1割に戻り作り直し。びっぐしっと。とーたりーびっぐしっと。作り直してこうなった。大きい奴は20160922_0.jpg〜20160922_2.jpgに書き換えてくれ。タブレットからはリンクURLが読めなかった。つかまた今度ORJネタにするんだろうけどねそのうちに。
難波の耐火煉瓦工場が軒並み昭和8年で姿を消すのはおかしい。この年から工場通覧の別のところに載るようになって、それを無視してるのかも知れない。これは要確認。社章屋号関係はほとんど全部埋めたと思う。
こんなん残しても死んでしまえばそれまでなんだなあ(小南館 せいぜいやりたいようにやっとこう。やり残したと後悔するようなことはできるだけ減らしとこう。兵庫はそれほど多くない。京都にいくつか、奈良に大和白煉瓦、滋賀和歌山にはなかった筈。
坩堝は英語で何ていう?
いつものところにあげている。大阪は三分割、兵庫は二分割し、この際だからということで印南郡をexpandした。他に京都と滋賀に追記。ここだけ妙に詰まっているのは諦めていただく他ない。もう行を増やせないという状況に鉄道窯業とか高山耕山とか突っ込んだからな。
ついでに中国四国版もいらっておいた。社章・刻印の肩書きのフォントをCourierに変更しただけ、のはず。
耐火煉瓦はメーカーが同じでも刻印のバリエーションがあって、それを細かく割り振っていけばものさしに使えるようになるかも知れないが、しかし流用転用の類が多く、なおかつ当時の使用状況そのままという例はほとんどないはずで、目論見通りには行かない筈。耐火煉瓦は消耗品だからな。男良谷の窯は意外と貴重な例外だ。
表記も時期によってずいぶん変わっている。広瀬耐火の壷マークとか横山耐火の山二とか、いつまで使われたことかわからん。
はなのおくのへんとうせんにえんかあえんをぬられていたい。原因がわかったのはよいがこの治療のほうがいたいというのはどういうことか。血止まらんし。
そういうわけですこし待っていただきたく>各位。
返事がないのはかんぶがへんとうせんというギャグである。
なわけないだろう。
せっかく社章を書いたので刻印集成に入れてみたくはあるのだが肝心の現物写真がないので締まらないことになること必至なのだった。受付にもらった高山耕山のタイ産レンガもとい耐酸煉瓦くらいしかねえ。その隣の飛行船マークの三石耐火とか、何で撮ってないのかね。
てなもんだから、入れたところで操業年とかの基礎データと、どこどこで発見されちょる情報くらいしか載せられない。現行版でもずいぶんスカスカなのに、さらにVoidicにしてもしゃあないような気はする。あと使用年度とか超不明。
耐火煉瓦は広域に分布するとわかっていながら関西中国四国の工場一覧だけで推断しようとしているのは我ながら笑止なのだが他に書くことがないのだよ。現時点で言えること・気がついたことのメモ程度に捉えていただかないと困る(勝手に困ってろ)。
↑の「言えること・気がついたこと」のようなナカグロの使い方とか、縦書き日本語のくせにコロンやセミコロンを使ってしまう気分は、今日泊亜蘭の作品の影響を受けたからでは決してない。氏の作品を先日初めて読んで、その中にそういう表記を多数みつけて妙にしっくり来てしまった。どこかで知らない内に読んでたんじゃねえかと思ってしまったほど。しかし。、てな句読点の使い方は馴染まないな。植かと思った。ニュアンスは理解できたのだけどそれが指をついて出てくるほどには馴染んでくれない。馴染んでしまっても困るけれど。
横書きの時に正規表現で表したくなることは(まま|時おり|ふと)ある。でも大半はパースエラーを起こしているので通らないはずだ?。一般には通用しないししかし先駆者は多数。
アレが食べたいコレが食べたいと思うことがなくなってしまった。焼きうどんが食いたくなったりペペロンチーノにはまったり鶏レバーを焼きたくなったりインドカレー禁断症状が出たりすることがここ最近なくなってしまった。在れば食べるが無かったら無いで何でもいいという感じ。よくない徴候である。
旨いものを食べたいという欲は基本的に希薄である。旅先の名物に固執することはない。逆に避けているほうだと思う。nagajisごときが外食か、贅沢な、と思うからだ。人は何もすることがないと食べ物に向かうものだと思っている。何もすることがないことは贅沢である。ブルジョワジーの所作である。土地のうまいものがその土地普遍の食でないことはとうの昔に気づいている。間人の住人がカニばかり喰っているわけでなく、だったら鳥味噌漬けとかささみの醤油漬けとかのほうがいい。
とはいうものの、腹が減れば自ずと食いたいものが浮かんできたものだ。今日はカレーにしようとか、ハンバーグ捏ねてみようとか。なんか野菜が食いたいな、とか。そういう自然と浮かんでくるものがここ最近なくなってきたことに危機感を覚えるのだ。食うことに飽きたのだろうかこの男は。そう思って愕然とする昨今である。
家庭菜園が農業のスケールダウンでありながら野菜の成長・収穫時期に変わりがないごとく、やっている保全活動は小規模な行ないに見えて実は熱帯雨林生態の縮図でなく熱帯雨林そのものの一側面なのだなと、自分でもよくわからない例えでわかったつもりになっている。沢山植えてみなければ何が育つかわからない。大きく育てと願って植えても立ち枯れるものは立ち枯れるし、適当に植えたほうがよく育ったりとかもする。その一見偶然・漫然に見える盛衰のうちに熱帯雨林特有の法則性が確かに潜んでいるのである。それを見極めたい。となると保全活動屋というより観察者だな。
いつものところに。なんか画像の数が足りん気がするが無視する。
改めて見ると、ようこんだけ作ったもんだと感心する。感心せざるを得ない。呆れざるを得ない。
いつものカレー屋でカレーを喰いながら筒井康隆『乱調文学大辞典』(単行本)を読んでいると店員さんに話しかけられた。何を読んでいるのか? と。どう答えたものか悩んだ末「えへへ、本が好きなんです」とか何とか答えてお茶を濁したnagajisは卑怯者である。あまつさえ「ぶんがく、ですか?」と聞かれたにも関わらずだ。「まあ、そんなもんです」という返答もちょっとどうかと思った。まるっきりの嘘とは言わないが着地地点がずいぶん離れてやしないか。かといって「辞典でんねん」と答えるわけにもいかないだろうけれどもさ。
そもそも本を読みながら食べるなちう話かも知らん。ちぎったナンを箸で食うなということかも知らん。勝手な客ですまぬ。
三重、愛知、岐阜の三県につき、工場通覧M35から。T14までは勢いで終わらせたがここからが大変なのだ。あちこちに耐火煉瓦工場ができ始め、特に愛知が虐めにかかってくる。その隣で岐阜が大ブレイクの萌しを醇している。赤煉瓦工場が無くなったら終わりにしようかと気弱中。
尾張だけに。
リフレインも百億万回行なえば既成概念になるんじゃないかな。もしくはコモンセンスオブワンダー。
nagajisが休むと雨が降るのは昨年からの既成事実なのでそれは諦めるとして、その結果として国立国会図書館関西館(以下関西館)へゆくことになった。起きるのがちと遅れて昼前に出発、関西館着2時過ぎというのはあまりにもあんまりだ。片道990えん+バス代というのも辛い。行くんだったら予約をして朝から晩までみっちり詰めないと元が取れん。
カード一枚で何から何まで済んでしまうのはちょっと恐ろしい感じがした。この場にいること、もしくは自分自身の存在可能性とでもいうべきものが、カード一枚によって司られているというのは初体験なことでうすら怖かった。社員証が入退場鍵になってるような大会社にお勤めの人々にはこの怖さをわかってもらえるかも知れないしもらえないかも知れない(会社だったら中に知己がいて誰それだと認めて貰うことができるだろうからね。図書館じゃ誰一人私を知っちゃいない)。もし館内でカードを紛失したり折損したりして自分自身を証明できなくなってしまったりしようものならどこからともなく現れるムキムキツヤツヤマッチョのお兄さんに連行され以降行方知れずとなりそうな気配がひしひしと感じられた。げに恐ろしき近未来的ライブラリイ・関西館。ムキムキマッチョが近未来か?というのなら別に万能文化女中器的ロボットでもよい。質量を持ったホログラムでも構わない(だがPepper、貴様はだめだ)。
肝心の資料についてはほぼ予想通り。1955年制定のJISでは「(耐火度or規格略号)and(製造者名orその略号)」となっているが、後年の改正で「規格略号and(製造者名orその略号)」となってSK記載が要求されなくなる。故にSK表記はある年度まで、でありえるのだが、三石耐火煉瓦の製品のように製品名称が「SK34」だったりする場合があるのでーーー商品名の記載は別に禁止されてたりはしないーーーだから「ニドヤキ」とか刻めたのだーーー、SK表記が年代の示準指標にはならないのだった。しかも耐火煉瓦も耐火断熱煉瓦もSK記載が認められていたので表記から耐火(断熱)?煉瓦を区別することはできない。要するにあまり役に立たない。むしろクロムレンガがCMとかキューポラ用がナンチャラとかのほうが有り難く。あと肝心なところをいくつもコピり忘れた。英訳版だと翻訳したことによる著作権が発生して全コピーできないという罠に注意されたし。これも担当職員によって対応がまちまちっぽかったけどな。
帰りの電車で緊急エリアメールを受信した。諏訪地震かと思ったら城陽市に発令された大雨に伴う避難勧告のそれであった。そっかそういうときもエリアメールが届くのだな。毎年の地震訓練でしか地震したことが、もとい受信したことがなかったからちょっと新鮮だった。
嚥下和えん以来腹が緩んでしまったようでちょっとどうかな状況である。下痢便のようでもあるしそれらしくないところもある。液状軟便がちゅるちゅると出るのは下痢そのものだし突発的なところやキレの悪さも下痢譲りなのだが拭いた後がちっとも痛くならないのは下痢らしくない。どういう違いなのだろう。下痢軟便は強酸性であったりするのだろうか。
演歌遇えんのせいでは多分なく、攻勢部室と胃薬と粘性分泌物抑制剤のせい。胃が活発になったらもりもりうんこになりそうなもんだがな。