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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2011-02-02 [長年日記] この日を編集

[][近代デジタルライブラリー] 近代デジタルライブラリー

宇陀郡有殖林経営一斑

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/944836/22

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/944836/26

まさかね・・・

政争と党弊

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952462/136

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952462/141

どこまで信用できる書なのかわからないが中々興味深い(筆者の知識に加え各地の朝日新聞記者から提供された情報をもとに書かれているとか。緒言参照)。明治27,8年頃東熊野街道の改修が決まったのは古沢滋の加担があったからという。かつて自由党員として吉野川上村方面を遊説した縁があり、県知事として戻ってきたときも政友会系寄りの県政をしたとある。しかし奈良県会史ではそんな素振りは書かれてなかったな。最初の原案執行がカウンターパンチとなって、任期中は事あるごとに議会と対立したという。それに明治27,8年頃に改修があったという話は把握していない。33年以降の改修のことか?

大和人名鑑

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780333/32

参考までに。近デジには紳士録の類が結構載ってる。


2011-02-03 [長年日記] この日を編集

[奇妙なポテンシャル] #222

節分

である。特に何かをする予定はない。何をしていいのかもよくわかっていない。「鉄分」という言葉から想像するにナナフシマニアの人だとか尺八を吹く虚無僧とかに関係があるのだろうと思う。節分多めの人は指の骨が多いとかね。

[D] 2/2?

画像の説明財布の中に入れている二銭銅貨を使ってしまう夢を見た。入っていることは事実で、2000円の支払いに対し「はいにせん(えん)」とか何とかいうギャグをやってみようと画策しているのも事実だが、実際に使って(といっても夢の中なのだが)ひどく勿体無いことをしたと後悔したのは、我ながらassの穴がちいせえなあと思う。

[独言] うー

ふじゃじゃしたーほげふがー

[ORJ][web] うむ

paypalのほうにはID記録されるんだから手動後追いでPDTチェックするようにしたらいいんじゃね、とか今さらのように気付いた。あれ、PDTってそういうのじゃなかったっけか。

(追記)ぱやぱやがトリガーになってぽよよんだから駄目なのかー。一方的にといあわせたらいかんのね。

[独言] こわいこわい

Macが急に立ち上がらなくなって焦った。ごにょごにょしているうちに復活。慌てて写真のバックアップを取っている。またDVD-RAMセット買って来なきゃ・・・

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936896

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/965769/65

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ バロック [南無阿弥陀仏]


2011-02-04 [長年日記] この日を編集

[] 明治28年:宮城県国県道

押し売りには押し売りで対抗するのである(何 たぶん役立たない。

近代デジタルアーカイブス収録「宮城県国県道道路表」より路線名と経由地表記を抜き出してみた。明治28年時点の宮城県の国県道の一覧。

県境はどれも把握しているつもりだったのだけどすっかり忘れている。あと軍衙絡みの国県道が目立つ。仙台市所管の(漢数字)道は互いに重複が多い(原本里程標参照)。

宮城県国県道々路表

国道第六号
一 福島県界より岩手県界に達する路線(陸羽街道)
刈田郡越河村福島県界に起り同郡越河、齋川、白石、宮、柴田郡金ヶ瀬、大河原、船迫、槻木、名取郡岩沼、増田、中田、長町、仙台市、宮城郡七北田、黒川郡富谷、吉岡、志田郡三本木、古川、栗原郡荒谷、高清水、築館、宮野、澤邊、金成、有壁を経て岩手県界に至る
(里程省略・以下同)
国道第拾五号
一 宮城県名取郡岩沼より福島県界に達する路線(陸前浜街道)
名取郡岩沼町に起り亘理郡亘理町山下、坂元を経て福島県界に至る

仮定県道路線之部

第一号
一 仙台より山形県下関山に至る路線(作並街道)
仙台大町芭蕉辻より起り二日町に於て国道第六号線より北一番丁に西折し宮城郡広瀬村大字下愛子、熊ヶ根、作並を経て山形県界に至る
(備考 本表中朱書は国道第六号線に属す)
第二号
一 仙台より秋田県下湯ノ台に至る路線(羽後街道)
黒川郡吉岡町に於て国道第六号路線より西折し加美郡中新田町、玉造郡岩出山町、同郡一栗村下宮、温泉村、鍛冶谷沢及鬼首村を経て同郡同村秋田県界に至る
第三号
一 仙台より雄勝浜に達する路線(石巻街道)
仙台市大町芭蕉辻より起り新伝馬町、名掛町、車通、鉄砲町、宮城郡原ノ町、岩切村、利府村、松島停車場前、桃生郡小野村、鷹来村、大字矢本、牡鹿郡石巻町、桃生郡二股村辻堂、横川、大川村字恭助橋を経て十五浜村雄勝に達す
第四号
一 岩切より寒風沢に達する路線(塩釜街道)
宮城郡岩切村十文字に於て石巻街道より東折し宮城郡塩釜町を経て海路浦戸村寒風沢に達す
第五号
一 長町より山形県下関沢に至る路線(笹谷街道)
名取郡茂ヶ崎村長町に於て国道第六号線より西折し同郡西多賀村鈎取、生出村茂庭、赤石、柴田郡富岡村碁石、川崎村小野、川崎、野上、笹谷を経て大字笹原字八丁平山形県界に至る
第六号
一 下愛子より山形県下山寺に至る路線(二口街道)
第一号路線中上愛子の西名取郡秋保村大字長袋字白沢より南に分岐し同郡同村字馬場、野尻を経て野尻山形県界に至る
(備考 本表中朱書は作並街道に属す)
第七号
一 古川より山形県下母袋に至る路線(中羽前街道)
志田郡古川町に於て国道第六号線より西に分岐し加美郡中新田町、小野田村字小野田、原町、門沢を経て山形県界に至る
第八号
一 古川より石巻に達する路線(石巻別街道)
志田郡古川町に於て国道第六号線より東に分岐し遠田郡小牛田村、涌谷町、桃生郡深谷村広淵を経て牡鹿郡石巻町に達す
(備考 本表中朱書は石巻街道に属す)
第九号
一 小野より岩手県界に至る路線(陸前東浜街道)
桃生郡小野村の東、同郡鷹来村大字矢本字鹿妻に於て石巻街道より北に分岐し深谷村広淵、前谷地村和淵、中津山村神取、寺崎、本吉郡麻崎村柳津、横山村南沢、北沢、戸倉村折立、本吉村志津川、歌津村伊里前、小泉村、大谷村、気仙沼町を経て唐桑村大字小原木岩手県界気仙郡気仙村字長部にて同県浜海道に接す
(備考 本表中朱書は石巻街道に属す)
第十号
一 鍛冶谷沢より登米に達する路線(登米街道)
玉造郡温泉村鍛冶谷沢の東同村大字名生定天神橋の東岸に於て羽後街道より北に分岐し栗原郡長崎村小僧、一迫村真坂、築館村、若柳町、登米郡佐沼町を経て登米郡登米町に達す
(備考 本表中朱書は羽後街道に属す)
第十一号
一 石巻より岩手県下一ノ関に達する路線(一ノ関街道)
牡鹿郡石巻町の北同郡蛇田村字高屋敷に於て石巻別街道より東に分岐し桃生郡鹿ノ又村飯野川村本吉郡麻崎村柳津、登米郡登米町、上沼村長根を経て同村岩手県西井郡長居村字杉山にて同県石巻街道に接続す
(備考 本表中裏町、蛇田村間は石巻街道に又蛇田村、新橋間は石巻街道に属す)
第十二号
一 高清水より佐沼に達する路線(高清水街道)
栗原郡高清水村に於て国道第六号路線より東に分岐し同郡藤里村瀬峰を経て登米郡佐沼町に達す
第十三号
一 鹿ノ又より和淵に達する路線(石巻岐街道)
桃生郡鹿ノ又村に於て一ノ関街道より西に分岐し同村字中山に至り陸前東浜街道に合す
第十四号
一 槻木より福島県下梁川に達する路線(梁川街道)
柴田郡槻木村字白幡に於て国道第六号線より南に分岐し伊具郡角田町を経て耕野村福島県界伊達郡富野村大字舟生字明神前に至る同県梁川街道に接続す
(備考 本表中槻木白幡間は国道第六号線に属す)
第十五号
一 大河原より荒浜に達する路線(大河原街道)
柴田郡大河原町に於て国道第六号路線より東に分岐し亘理郡亘理町に於て国道第十五号路線を横断し同村荒浜村に達す
(備考 本表中朱書は梁川街道に属す)
第十六号
一 石巻より金花山に達する路線(石巻北街道)
牡鹿郡石巻町に於て第三号路線より東に分岐し同町港、渡ノ波町を経て海路金花山に達す
第十七号
一 古川より山形県下界田に達する路線(北羽前街道)
志田郡古川町に於て国道第六号路線より北に分岐し玉造郡岩出山町に至り
羽後街道線に入り同郡温泉村大字大口界橋に於て南に分岐し同村の大字鳴子字湯元同字中山を経て山形県界に至る
(備考 本表中岩手山下宮間及び下宮温泉村境橋間は羽後街道に属す)
第十八号
一 仙台市より蒲生に達する路線(蒲生街道)
仙台市国道第六号路線大町芭蕉辻より起り第三号路線新伝馬町より東三番丁へ南折し新寺小路、宮城郡原ノ町字南ノ目、同郡高砂村字福田町等を経て同村蒲生に達す
(備考 本表中朱書は石巻街道に属す)
第十九号
一 福島県下藤田より宮城県下渡瀬を経て山形県下楢下に達する路線(南羽前街道)
刈田郡小原村大字上戸沢福島県界(福島県伊達郡小坂村大字鳥取字峠ノ下にて同県小坂街道に接続す)より同村下戸沢七ヶ宿村渡瀬、関、滑津、峠田、湯ノ原を経て同村大字湯ノ原字金山峠山形県界に至る
第二十号
一 白石より下戸沢に達する路線(羽前岐街道)
刈田郡白石町に於て国道第六号路線より西に分岐し同郡小原村大字下戸沢に至り南羽街道に合す
第二十一号
一 松島停車場前より佐沼に達する路線(佐沼街道)
宮城郡松島村大字根廻に於て石巻街道より北に分岐し志田郡鹿島台村竹谷、遠田郡涌谷町、登米郡米山村米岡を経て同郡佐沼町に達す
(備考 本表中朱書は石巻街道に属す)
第二十二号
一 佐沼より気仙沼に達する路線(西郡街道)
登米郡佐沼町に於て登米街道より東に分れ同郡錦織村西郡、米川村狼河原本吉郡御嶽村馬籠、津谷を経て同郡大谷村字大沢に至り陸前東浜街道に合す
第二十三号
一 気仙沼より一ノ関に達する路線(一ノ関東街道)
本吉郡気仙沼町より同郡神月村大字新庄岩手県西磐井郡折壁村大字浜横沢字中西にて同県気仙沼街道に接続す
第二十四号
一 大河原より川崎に達する路線(村田街道)
柴田郡大河原町に於て国道第六号路線より西に分岐し同郡村田村を経て川崎村川崎に至り笹谷街道に合す
第二十五号
一 古川より野蒜に達する路線(野蒜街道)
志田郡古川町に於て国道第六号路線より東に分岐し同郡松山町鹿島台村鹿島台(停車場前)桃生郡小野村大字川下字若張に至り石巻街道に入り同村小野橋西岸より南に分岐し同郡野蒜村に達す
(備考 本表中若張、小野橋間は石巻街道に属す)
第二十六号
一 澤邊より秋田県下湯沢に達する路線(羽後岐街道)
栗原村澤邊村澤邊に於て国道第六号路線より西に分岐し同郡岩ヶ崎町を経て花山村秋田県界に至る
第二十七号
一 澤邊より志津川に達する路線(本吉街道)
栗原郡澤邊村澤邊に於て国道第六号路線より東に分岐し同郡大岡村の大林、若柳町、登米郡石森村、米谷村を経て本吉郡本吉村志津川に達す
(備考 本表中浅水村馬籠道北沢間は一ノ関街道に属す)
第二十八号
一 湯ノ原より山形県下二井宿に達する路線(南羽前岐街道)
刈田郡七ヶ宿村大字湯ノ原に於て南羽前街道より南に分岐し同字山形県界に至る
第二十九号
一 吉岡より寒風沢に達する路線(吉岡街道)
黒川郡吉岡町に於て国道第六号路線より東に分岐し宮城郡松島村松島(停車場)、高城、松島(本村)を経て海路寒風沢に達す
(備考 本表中朱書の部は石巻街道に属す)
第三十号
一 宮より川崎に達する街道(猿鼻街道)
 刈田郡宮村に於て国道第六号路線より西に分岐し同郡円田村長野、猿鼻を経て柴田郡川崎村川崎に至り笹谷街道に合す
第(三十一)号 (抜け)
一 利府より松崎(本村)に達する路線(松島街道)
宮城郡利府村大字赤沼に於て石巻街道より東に岐れ同郡松島村(本村)に至る
(備考 本表中朱書は石巻街道に属す)

鉄道停車場に通ずる県道の部

第三十二号
刈田郡白石町鉄道停車場道路
刈田郡白石町国道第六号路線より分岐し白石停車場に至る
第三十三号
柴田郡槻木鉄道停車場道路
柴田郡槻木村国道第六号路線より北に分岐し槻木停車場に至る
第三十四号
名取郡岩沼鉄道停車場道路
名取郡岩沼町国道第六号路線より西に分岐し岩沼停車場に至る
第三十五号
名取郡増田鉄道停車場道路
名取郡増田村国道第六号路線より西に分岐し停車場に至る
第三十六号
宮城郡石切鉄道停車場道路
宮城郡石切村県道第四号(塩釜街道)より分岐し岩切停車場に至る
第三十七号
宮城郡塩釜鉄道停車場道路
宮城郡塩釜町塩釜街道より分岐し塩釜停車場に至る
第三十八号
宮城郡松島鉄道停車場道路
宮城郡松島村字初原県道第三号(石巻街道)より分岐しより松島停車場に至る
第三十九号
志田郡鹿島台鉄道停車場道路
志田郡鹿島台県道第二十五号(野蒜街道)より分岐し鹿島台停車場に至る
第四十号
遠田郡小牛田鉄道停車場道路
遠田郡小牛田村石巻別街道より分岐し小牛田停車場に至る
第四十一号
栗原郡瀬峰鉄道停車場道路
栗原郡藤里村字瀬峰県道高清水街道より分岐し瀬峰停車場に至る
第四十二号
登米郡石越鉄道停車場道路
栗原郡若柳町県道本吉街道より分岐し石越停車場に至る
第四十三号
登米郡石越鉄道停車場道路
登米郡石越村県道本吉街道より分岐し石越停車場に至る

仙台市県国道之部

市内国道道路

(一) 第二師団司令部より国道第六号路線に達する路線
第二師団司令部より大橋通大町を経て同町四丁目字芭蕉辻に於て国道第六号路線に達す
(二)市内に係る第三号路線(石巻街道)
国道第六号線大町芭蕉辻より起り大町五丁目、新伝馬丁、名掛町、車通、鉄砲町を経て宮城郡原ノ町字南ノ目界に至る
(三)第二師団司令部より榴ヶ岡兵営に達する路線
第二師団司令部より大橋通、大町、新伝馬町、名掛町、二十人町、榴ヶ岡を経て榴ヶ岡歩兵営に達す
(四)県庁より第二師団司令部に達する路線
県庁より勾当台通り、定禅寺通、定禅寺櫓町、今村本町、元櫓町、元柳町、大橋通、川内大橋通を経て第二師団司令部に達す
(五)市内に係る第一号路線(作並街道)
国道第六号大町路線芭蕉辻より起り国分町を経二日町より西に分岐し北一番丁、木町通、十二軒丁、八幡町等を経て宮城郡広瀬村大字作並山形県界に達す
(六)市内に係る第十八号路線(蒲生街道)
国道第六号路線大町芭蕉辻より起り大町五丁目、新伝馬町より南折し東三番丁より柳町通、東五番丁、北目町通、東七番丁、新寺小路を経て宮城郡原ノ町大字南ノ目界二軒茶屋に至る
(七)第二師団司令部より第一号路線(作並街道)に達する路線
第二師団司令部より川内大橋通、大橋、大橋通、大町、大町二丁目横丁、本材木町、木町通を経て北一番丁に於て第一号路線(作並街道)に達す
(八)第二師団司令部より澱橋を経て第一号路線(作並街道)に達する路線
第二師団司令部より川内大橋通、澱橋通を経て十二軒丁に於て第一号路線(作並街道)に達す
(九)第二師団司令部より川内各兵営に達する路線
第二師団司令部より第一号路線(作並街道)に達する(八)路線より分岐し各兵営及び衛戌監獄署に達す
(十)榴ヶ岡兵営より同兵営の西南隅に至る路線
榴ヶ岡兵営より同兵営西通同兵営の西南隅に至る
(十一)榴ヶ岡兵営表門より同営北裏門、東浦門前字松ノ木檀を経て宮城郡原ノ町
大字南ノ目字宮城ノ原練兵場に達する路
(十二)県庁より榴ヶ岡兵営に達する路線
県庁より勾当台通、禅定寺通、東三番丁、元寺小路、車通、二十八町、榴ヶ岡を経て兵営に達す
(十三)県庁より衛戌病院に達する路線
県庁より勾当台通、定禅寺通を経て衛戌病院に達す
(十四)県庁より宮城控訴院に達する路線
県庁より勾当台通、定禅寺通、東一番町、柳町、袋町、片平丁を経て宮城控訴院に達す
(十五)第二師団司令部より宮城集治監に達する路線
第二師団司令部より川内大橋通、大橋、大橋通、片平丁、六軒丁、田町、猿牽町、士樋、新河原町、河原町、古城丁を経て宮城集治監に達す
(十六)県庁より宮城集治監に達する路線
県庁より勾当台通、定禅寺通、東二番丁、五ツ橋通、連坊小路、長町通、古城丁を経て宮城集治監に達す
(十七)県庁より国道第六号路線に達する路線
県庁より表小路を経て二日町に於て国道第六号路線に達す
(十八)県庁より堤通を経て国道第六号路線に達する路線
県庁より勾当台通、北一番丁、堤通を経て第六号路線に達す
(十九)県庁より第一号路線(作並街道)に達する路線
県庁より勾当台通、北一番丁を経て二日町に於て第一号路線(作並街道)に達す
(二十)県庁より第十八号路線(蒲生街道)に達する路線
県庁より勾当台通、定禅寺通、東三番町、新伝馬町に於て第十八号路線に合す
(二十一)県庁より第三号路線(石巻街道)に達する路線
県庁より勾当台通、北一番丁、外記丁、花京院通、車通を経て鉄砲町に至り第三号路線(石巻街道)に達す
(二十二)国道第六号路線より仙台鉄道停車場に達する路線
国道第六号路線南町より南町通を経て仙台鉄道停車場に達す
(二十三)元寺小路より仙台停車場に達する路線
市内(十二)路線より停車場前を経て仙台鉄道停車場に達す
(二十四)榴ヶ岡兵営より□ノ原射的場に達する路線
榴ヶ岡兵営より二十人町、車通、花京院通より北に分れ東六番丁、宮町、北六番丁、杉山通を経て宮城郡七北田村字台ノ原射的場に達す

[独言] 片付け

昨年末に大掃除ができなかった分をしている。不要PCをまとめて処分しずいぶんすっきりした。

昨年の怪我を契機にいろいろ思った。そのなかの一つが「ものを捨てよう」。あとで使うかも知れないというものを取っておくほうだったが、そういうものが溜まりすぎていていろいろ無駄だと気づいた。ものがたくさんあるからといって豊かな気分になることもないし、残しておいたところで誰かの役に立つこともないだろう。要するに死に支度みたいなものだ。

今日も思い出の品をずいぶん捨てた。今は身軽になりたい。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ nyo [うわーw めっちゃうれしい、ありがとうございます! そっか、地図の街道名って、多分この時命名されたんですね。]

_ TUKA [いいタイミングでいい資料キタ! でも一行目のURLが間違っとるよ]


2011-02-05 [長年日記] この日を編集


2011-02-06 [長年日記] この日を編集

[] 明治十三年和歌山県:旧三等道路変換改築方稟議の件

甲第百四十五号 明治十三年八月五日

当県明治十三年<八月>甲第百四十四号布達旧三等土木費支弁の慣行を廃止候所新規の構造若くは巳成の形を変換改築する等の工事は県庁へ稟請の上実施すべし此旨布達候事

出典:和歌山県令達全書[第2冊]義

甲第百四十四号のほうを見てえ・・・

[] 明治十七年和歌山県:土工条規改正

どこまで決めてんだっていう位に細かい。土木費支弁法+施工法+請負法っぽいな。あと言い回しや用語の取捨選択が独特。すごく勿体ぶって書いているように感じる。単に古いから厳しく感じるんではなくて。

布達五十二号 十七年七月十七日

当県明治十五年<五月>布達第五号布達別冊の通改正候条此旨布達候事

 但別冊は郡区役所戸長役場へ渡置候就て閲覧すべし

(別冊)

土工条規

   第一章 箇所の定限

第一条
 左に掲る道路河港は地方税を以て修理すべき者とすその地方税と協議費と支弁の区分は第三章に於て判別す
 但旧三等箇所に属する道路橋梁中其最も交通の便否に関する著大なるもの主務官実地検査の上地方税より補助支弁する等の考按を起し常置委員に諮問の上翌年の県会議に附すべし
第一項 道路並に橋梁并木里程標
 大坂街道
 大和街道
 淡路街道
 熊野街道
 <粉川紀三井寺>街道
 高野街道
 龍神街道
 和歌街道
 青岸街道
 和歌山区内道路
第二項
 和歌山港  加太港
 大崎港   由良港
 大嶋港   浦神港
 勝浦港
第三項 河并に海岸浪除
 紀ノ川 伊都郡真土村紀和国境海部郡和歌山港まで
 新宮川 東牟婁郡土河屋村字  より同郡新宮海口まで
 有田川 有田郡粟生村字  より同郡北湊村海口まで
 日高川 日高郡舟津村字  より同郡北塩屋浦海口まで
 切目川 日高郡川又村字  より同郡西ノ地村海口まで
 南倍川 日高郡清水村字  より同郡山内村海口まで
 富田川 西牟婁郡真砂村字  より同郡高瀬村海口まで
 日置川 西牟婁郡近露村字  より同郡日置浦海口まで
 古坐川 東牟婁郡松根村字  より同郡古坐浦海口まで
 貴志川 名賀郡動木村  より同郡丸栖村紀ノ川出合まで
 土入川 名草郡土入村字島[?]橋并に土入橋下流より海部郡湊村御膳松境まで
 水軒川 和歌山港出合より海部郡小浦海口まで
 和歌川 和歌山大橋より名草郡毛見浦海口まで
 太田川 東牟婁郡小匠村<色川小匠川>出合より同郡下里村まで
 北山川 同郡玉置口村より新宮川出合まで
 和歌山区内堀川
 和歌村海岸浪除

   第二章 起工の順序

第二条
 第一条の第一項第二項第三項に掲る各般の工事は県庁土木課員の目論見を以て起工し其竣成は同課員之を検定すべきものとす但時としては郡区吏員をして之に代らしむることあるべし
第三条
 凡工事目論見は第三章第二十五条の価格に依るものとす
第四条
 第一条の第一二三項の箇所に於て破損を来たし修繕を要するときは其の町村戸長に於て付録第一号雛形に順次箇所書を作り県庁に申稟すべし然るときは県庁土木課員実地を検査し而後許容を指示すべし最新規或は固形を変換改築し及既成の位置を移転する等の工事にして地元町村の意見を以願出づるものは先づ最寄町村へ(<堤防又は水利の如きに対岸各村にも叶すべし下皆之に同じ>)協議し関係ある町村長連印したる意見書を添え其の工事を企図する事由を具状すべし但軽易なる修繕にあっては実地を検査せず直ちに許否を指示することある可し
第五条
 旧三等道路河港海岸浪除又は井堰溜池用悪水路等の工事にして区町村費若くは水利土功会又は関係人民の出費を以て施為すべきものと雖も新規或は固形を変換改築し及既成の位置を移転するの類は最寄町村に協議の手続を尽し爾後該工事を企図する事由を具し細密なる絵図面二葉目論見帖二本を添え県庁に申稟し允許を乞うべし
第六条
 旧三等土工の為に速及する第一条の第一項第二項第三項に掲る各般の工事は(<仮例ば第一条の第一項第三項に拘る道路或は諸河の堤防に埋設せる用悪水路の樋管伏□換に付道路堤防修繕等の類を云>)該村戸長より其事由を具申し之に目論見帖を副え県庁の允許を乞うべし但時宜に寄り県庁土木課附属員を差遣して該工事を視察せしむることあるべし
第七条
 凡工事は其難易を査別し成べく受負<町村受負入札受負>に付するものとし其受買に付し難きものは県庁土木課員をして之を施為せしむ 第八条 凡そ工事の目論見又は竣成検査として県庁土木課員を派遣するは一ヶ年中二回とす第一期は十月一日より第二期は四月一日より各日数凡三十日間とす故に其箇所書は此出発期日に先つて差出すべし若し期を[三水+行+心]るものあらば之を其次期に順延すべきものとす
第九条
 洪水其他不慮の災害に罹り予図の外俄に破損を生じ第八条の定期を俟つ可からざる至急の工事を要するときは戸長速に其事由を具し箇所書を作り該郡役所へ差出すべし郡役所に於ては直に吏員を派して実況を検査せしめ其破損の景状を詳具し目論見帳を製して起えて県庁に稟請すべし
第十条 
第九条に掲ぐる場合に臨み最も急を要し県庁の指令を俟能わずと思慮するときは旧形を変せざる分に限り郡長の指図を以て先づ現業に着手し而後第九条の手続に従い其の着手の事由を副申すべし
第十一条
 受負<所受負人札受負>工事竣成するときは(戸長)又は受負人は附録第二号雛形に準て届書を作り県庁に差出すべし然るときは土木課員其整否を検査す但軽易なる工事にあっては郡役所に於て検査せしむることあるべし
第十二条
 直管の工事に在って工事の支払及人夫職工の招集物品の購買は主務官員に協議し目論見帳金額を超過せざる様戸長に於て担当弁理すべし但時宜に依り県庁土木課員に於て弁理することあるべし
第十三条
 興産隆業の為め地方一般若くは数町村の公益を計り新に道橋を開設し又は河中岩石を鑿開して航路を開き及港湾改良等の工事は之を企図者の私業に任じ左の各項に準拠願出れば許可することあるべし但此場合に在ては先簡単に其要旨を申稟し指示を得て左項の順序を為すべし
第一項
本条の工事を企図するものは之より生ずる効益の所在を願牒に詳明具載し工事目論見帳及実測図を添付すべし
第二項
該業竣成の後費用償戻の為め相当の年限を定め被利益者等より償却銭を領受することを許可することあるべきに付其方法書を出すべし
第十四条
新に渡津を開き又は在来の位置を転換せんとするときは其事由を具し(<渡船を要するものは其賃銭額をも記載すべし>)及現地の実況を描出したる絵図面を添え県庁に願請すべし
第十五条
第四条第五条に掲る新規或は固形を変換改築する等の工事及第十三条第十四条に係る事件に就ては該郡長に於ても必ず其意見書を差出すべし
第十六条
各般工事の為め土地変換に係るものは附録第三号書式に準該潰地一筆限反別帳二本工絵図面を添え差出すべし但郡市役所に於ては該潰地反別を地券台帳に照合し主務吏員の印を各欄内に押捺すべし但該工事創竣中止等は左項に依り届出べし
一 創業再着手は  其当日
二 中止するものは 其翌日
 但中止する迄に送地となりたる部分は其番号地目反別地租も一筆限取調書を添ゆべし
三 竣成は     竣成後十五日間
 但工費精算帳を添うべし
四 七ヶ月以上に渉る工事は六ヶ月毎に施得べき工程を計之より生ずる該地番号地目反別地価地租とも一筆限取調書相添創業の当日届出べし
第十七条
第一条の第一項第二項第三項に掲る各般工事の為め人夫職工等死傷したるときは附録第四号概則に準拠し手当扶助料等を給与すべきに左の各項第二十七条の順序を為すべし
 但受負工事は此限りに非らず
第一項
此の場合に於て戸長は可成速死傷景況を具し医師の診断書を副え尚下項の各件を調査し県庁に届出づべし
第二項
一等に当る者戸主なる時は家族の有無戸主にあらざるものは妻子の有無
第三項
戸主にあらず妻子なきものと雖も死者に頼り生計を為さる送族(一戸籍内にあるものに限り)あれば其事由を申立つべし
第四項
死者若し他町村のものなる時は本籍町村戸長に照会し其調査たる書面を副うべし
第十八条
第一条の第一項第二項第三項に掲る各般工事の為め木石及諸物品を入札払になすときは附録第五号の手続を履行すべし
第十九条
水害表は当県明治七年<十一月>乙第四百一号達に従い其の被害の都度該郡区役所に於て調整し県庁に差出すべし

   第三章 費用

第二十条
第一条第一項第二項第三項に掲る道路橋梁河川堤防港湾並に海岸若くは並木規程標に依る工費は悉皆地方税を以て支弁すべきものとす
 但小入用は該市町村限り出費とす
第二十一条
第一条の第三項に掲る河若くは海岸浪除にして水防に係る費用は総て該区町村費とし地方税を以て支弁するの限りにあらず
第二十二条
第一条の第一二三項に掲ぐる場所の工事と雖も特に該市町村便利の為めに新設し又は固形を変換改築する等の工費は其之を企図区町村限の出費となし地方税に連及せず但堤防嵩置腹起しの工費は其全額十分の二を以て地方税より補弁し残額十分の八と小入用とは該区町村限り出費とす
第二十三条
第一条の第一項第二項第三項に掲る工事の為めに連及する旧三等工費は(<仮令ば第一条の第一項に係る道路修繕の為め該路線に埋設せる用悪水路の樋管伏せ換費等の類を云う>)地方税を以て支弁し其の第六条に掲る各般の工費は該区町村又は関係人民限の出費とし[享+丸]れも其本費に付属すべきものとす但第一条の第一項に掲る道路に沿いたる用悪水路にして其道片手と相互の関係ある修繕費は其五分通を地方税とし残る五分通は該区町村又は関係人民限の出費を以て支弁すべきものとす
第二十四条
工費の下金を要するときは渾て郡区役所に申出づべし郡区役所に在ては成規に照し之を県庁に請求するものとす
第二十五条
直営に係る第一条第一項第二項第三項に掲ぐる各般の土工に用ゆる人夫賃は金拾弐銭を目処とし諸工賃は時価に依り木竹其他の用品は定価表に拠り時価を斟酌し価格を定む可し而して用品は工事所在町村の受負とす最も著大なる事業若くは時宜に依り特に諸物品受負入札を施行することあるべし
第二十六条
第十八条に掲ぐる木石其他の物品を入札払に為したるときは其代金は当初支出の如何に拘わらず地方税雑収入とす
第二十七条
第一条に掲ぐる各般工事の為傷痍者死亡又は全癒(<薬用を止る時>)に至らば五日以内さらに医師をして其治療の経歴書及傷痍の等級診断書療養料の実費計算書等を差出すべし
第二十八条
土工経費は其年四月より翌年三月迄に下付したる目論見帳に対する金高の実費を以て一ケ年度とし精算を為すものとす

[附録省略]

[] 明治6年宮城県:一等道路・二等道路(日本道路史)

明治六年河港修築規則による路線指定の例@宮城県。明治9年に一等道路=国道、二等=県道になる。

なお,宮城県の一等道路及び二等道路は,宮城県史に次のように記されている。

一等道路及び二等道路の制度は,明治6年8月2日大蔵省達番外「河港道路修築規則」による制度であるとし,当時の宮城県においては次の道路があげられている。

一等道路
陸羽街道 越河−古川(28里(112km))
羽前街道 下戸沢−湯原(9里13丁半(36.8km))
浜 街道 岩沼−駒カ峯(8里16丁(33.6km))
二等道路
羽前街道 長町−二国(11里(44km))
宮沢−笹谷(10里11丁半(41.6km))
吉岡−軽井沢(9里25丁半(38.7km))
仙台−作並(6里23丁(26.5km))
茂庭−川崎(4里19丁(18km))
水沢県並石巻街道
古川−石巻(10里2丁半(40.2km))
小野−寺崎(5里9丁(18km))
 同じ羽前街道でも,越河−古川間は一等道路となり,長町−二国間が二等道路となっていることは注目される。路線としての正確を考えた制度ではなく,道路の改修等の費用負担区分を定めることを主たるねらいとする制度と考えられる。

[出典:日本道路史 P.128]

ここが出発点。「道路の改修等の費用負担区分を定めることを主たるねらいとする制度」という看破が個人的には目から鱗である。これがのちに土木費支弁法・一等二等甲乙等の独自区分に発展していく。

[] 明治15年宮城県:宮城県統計書

うおっプレビューだけして消してもうてた。

近デジにはM11版があるのだが裏写りが激しくて解読不能(後述)。かわりにM15年版を見てみた。ここではまだ国県道という言い方をしていなくて「街道」とだけされている。M11よりも明らかに数が増えて、M28国県道表に近い。この間に(国)県道の公示があったかも知れない思うのだが近デジの法令集(M11〜15の目録集、明治28の集覧)にはそれらしいものの原文が見つからなかった。明治13年に堤塘道路橋梁樋管修繕概則というのが出ていて、これが何か一里塚的なものであるようだ。

駅名所属郡区里程(里,町.間)道幅最広(間)最狭(間)
陸羽街道
 福島県界より長町駅に至る刈田郡 柴田郡 名取郡15,17.324.03.2
 長町駅より仙台芭蕉辻に至る名取郡 仙台区1,00.454.03.3
 仙台芭蕉辻より七北田駅に至る仙台区 宮城郡2,00.074.0 3.3
 七北田駅より岩手県界に至る宮城郡 黒川郡 加美郡 志田郡 遠田郡 栗原郡20,03.404.03.3
南羽前街道
福島県界小原村より山形県界湯原村迄刈田郡8,16.003.02.3
陸前浜街道
福島県界より岩沼本郷に至る亘理郡 名取郡6,18.002.32.0
二口街道
仙台芭蕉辻より山形県界に至る仙台区 宮城郡 名取郡 10,12.203.02.3
羽後街道
吉岡駅より秋田県界に至る黒川郡 加美郡 玉造郡 12,22.302.01.3
石巻街道
仙台車町より石巻を経て雄勝浜に至る仙台区 宮城郡 桃生郡 牡鹿郡20,28.113.02.3
石巻別街道
古川駅より小野駅を経て石巻に至る志田郡 遠田郡 桃生郡 牡鹿郡8,27.342.32.0
塩釜街道
岩切村より塩釜駅に至る宮城郡2,00.003.02.3
笹谷街道
長町駅より山形県界今宿駅に至る名取郡 柴田郡13,33.552.32.0
作並街道
仙台芭蕉辻より山形県界に至る仙台区 宮城郡9,31.122.32.0
中羽前街道
古川駅より軽井沢を経て山形県界に至る志田郡 加美郡14,17.371.31.0
羽前枝街道
白石駅より小原村に至る刈田郡 9,35.281.31.0
北羽前街道
吉岡駅より鳴子村山形県界に至る志田郡 玉造郡16,18.242.01.3
陸前浜街道
小野駅より小原本岩手県界に至る桃生郡 本吉郡28,00.292.32.0
高清水街道
高清水駅より登米駅に至る栗原郡 登米郡9,19.392.32.0
梁川街道
入間野村より丸森村福島県界に至る柴田郡 伊具郡8,02.452.32.0
一ノ関街道
登米駅より石巻駅に至る登米郡 本吉郡 桃生郡 牡鹿郡7,10.592.32.0
石巻枝街道
和淵駅より石巻駅に至る桃生郡 牡鹿郡4,20.052.31.0
石巻北街道
石巻駅より金華山に至る牡鹿郡陸 1,27.30 海 13,00.002.32.0
岩出県街道
古川駅より岩出山駅に至る志田郡3,08.562.01.3
猿鼻越
宮駅より川崎駅に至る刈田郡 柴田郡4,25.302.01.0
村田越
大河原駅より川崎駅に至る柴田郡4,33.002.01.3
二口枝街道
茂庭村より馬場村に至る名取郡 柴田郡4,02.002.01.3
上街道
上ノ目村より岩ケ崎駅に至る玉造郡 栗原郡2,29.303.32.0
宮沢街道
高清水駅より岩手山駅に至る栗原郡 玉造郡2,22.351.31.0
小僧街道
若柳駅より鍛冶谷沢駅に至る栗原郡 玉造郡10,27.352.01.3
金成街道
小泉駅より金成駅に至る本吉郡 栗原郡13,08.032.01.3
一ノ関別街道
登米駅より石森村に至る登米郡6,13.452.01.3
薄衣街道
気仙沼駅より秋月村に至る本吉郡3,32.401.31.0
狼河原街道
登米駅より狼河原駅に至る登米郡3,02.242.01.3
登米街道
築館駅より登米駅に至る栗原郡 登米駅8,23.432.01.3
蒲生街道
仙台芭蕉辻より蒲生村に至る仙台区 宮城郡2,22.292.32.0
官衙道
芭蕉辻より鎮台本営青葉城に至る仙台区10.004.34.0
国分町より北折県庁に至る1.408.38.0
芭蕉辻より榴ヶ岡兵営に至る23.403.33.0
県庁より榴ヶ岡兵営に至る10.304.03.3
県庁より控訴裁判所に至る13.423.33.0
県庁より鎮台本営に至る13.075.04.3
県庁より集治監に至る30.214.03.3
県庁より堤通を経て国道に接する者12.003.33.0
鎮台本営より北材木町を経て作並街道に接するもの8.004.03.3
鎮台本営より集治監に至る21.204.03.3
県庁より外記丁を経て石巻街道に接するもの11.003.33.0
県庁より寺小路を経て蒲生街道に接するもの13.304.03.3

[出典:宮城県統計書[第2冊]明治15年度

M11版を無理やり読むと

陸羽街道、浜街道、□□街道、羽州街道(七ヶ宿道、二口道、笹谷道、関山道、銀山越(たぶん軽井沢越)、保前越?(玉造郡鍛冶谷沢駅より山形県界)、秋田道)、塩釜道、雄勝道、石巻道、□羽後街道(高清水駅−□)、同(若柳−□)

という16の路線が「道路」として掲げられている。山形県境の道を「羽州街道」とひと括りにしているのがちょっと意図不明。この7つの道を羽州街道という1つの県道とみなしていたのか?それとも個々の道が独立した県道だったのか?このへんは地誌読まないと無理。

[独言] 昨日の写真

画像の説明どうも、素直じゃない細部の構図ばかりだ。せっかく連れて行ってもらったのに。

画像の説明式はとても興味深かった。500年来同じ事が続けられてきて、その1/500に居合わせることができたというのは、それだけで満足なんである。

画像の説明この、中央とは縁遠く見える山深くで・・・

画像の説明以前ととさんと議論したことがあるが、道の勾配がわかる写真を撮るのって難しい。神之谷戻木のこの在所道、下り勾配だということがどれだけ伝わるだろう。

こういう伝統行事に参加することで得られる安心感みたような感触。歴史という連続態に直接にではないにせよ関わっているのだという凛とした気持ち。そういうのが大切なもののように思えてきた昨今である。寄らば大樹の影、ではあるんだけれども、たぶんそれが人の根本にある。

[奇妙なポテンシャル] #223

祭文とガーファンクル

あの歌は呪符だったんだよ! ナンダッテーAA略

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ nagajis [お役に立ちましたか? 私は土地勘があまりないのでアレなんですが・・・(県境の道は多少はわかるんですけど。やっぱり鍋越峠じゃなくて軽井沢越なんだなとか) この頃の国県道指定の変遷を見てるといろいろ発..]

_ nyo [何か投稿できなかったのでもう一回だけチャレンジしてもしダメなら寝ます。 クラクラしてきましたw えと、「仙台領の街道」っていう痒いところに手が届かない本が手元にあるんですけど、街道名は陸羽街道(R..]

_ nyo [舌足らずでした、すみません。街道名のことです。]


2011-02-08 [長年日記] この日を編集

[廃道とは] 1

廃道に拘る理由を「何故廃」に書いていた。基本この企画は自分の思考を整理するためのまとめ書きだが、同時に「話の前提」のような意味合いもあった。私個人の話ではなく廃道の話をする時の前提だ。廃道に何があるから面白いのか。何を感じるから面白いのか。その面白いの中身は何か。だから廃道の話を書くのです、という意思表示・例示だった。

おハナシとして読めるよう、個人的な体験を芯にして書いたが、それがいけなかったと思う。すでに廃道に興味を持っていて、前々から読んでいたような人にとっては冗長だし、廃道に即物的な興味しか持たない人にはまったくもって要らない記事だ。そうなるだろうことはうすうす覚悟していたけれど(以下数十文字削除)。そういう人は第一部だけ読んでいればいい。

人に自分の趣味を紹介する時、今でも多少のためらいがある。「趣味は廃道探索です」と言い放って一片のモヤモヤも残らないわけではない。Дの入ったAAつきで問い返されることを恥じるからではなく、ただの数奇者と思われて(あるいは変に理解されて)自分の願う形での理解が得られないのではないかという心配があるからだ。私は道を通して過去の日本を知りたい。この世の仕組み、歴史の理解の一助として、今目の前にないことを理解するための手段として廃道を歩きたい。そこで見聞きし、調べたことを書き留めて、歴史という泰山に一個の小石を積み上げてなお高くしたい。仮令それが微々たる一個であるとしてもだ。

ORJは、「廃道」という字面言葉面から連想されるものを変えたいという挑戦でもあった。シニフィアン・シニフィエの関係は変えることができないだろうが、廃道から真っ先に連想されるものを変えたい。叶わなくても第二項ぐらいには意味が載っていてほしい。その場の喉の渇きを癒す程度なら他にいくらでも趣味はある。

[ph.] 赤

画像の説明珍しくぴしっと決まった。これが限界か。しかしISO400なので塗り絵が激しい。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ tyaffic [ヒラヌマ サイクル でない所が惜しい!!]


2011-02-09 [長年日記] この日を編集

画像の説明時折話に聞くブート失敗の場面。初めて実物を見た。
拡大。VIA C3に260MB+αのメモリという構成。エラー部分は隠れて見えない。Primary MasterがNoneになってるのでブートディスク?が壊れて見つからないのかも知れぬ。 画像の説明

[廃道とは] 2

いろいろな「廃」のジャンル(廃線、廃墟、廃村、etcetc)があるなかで、廃道趣味はどういう位置付けにあるかを考えてみたい。廃道が他より劣ってるとか勝ってるとかいう話をしたいのではなく、廃道趣味が趣味として独立できるか否かみたいなことを考えてみたいということ。なお、ひょっとしたらどこかでもう書いてるかも知れないことだがとりあえずは無視しておく。書いたものを読み返すことはあまりなかったりする。

廃道の楽しみ方は2軸あると思う。「歩いて楽しむこと」と「調べて楽しむこと」。写真に撮って楽しむ・写真を楽しむというのもあるだろうが、どの趣味にもあてはまることだし、必ずしもなければならないものではないと思われるので、とりあえず除外しておく。歩いた結果写真が残るわけでもあるしね。

「歩いて楽しむこと」は他の廃ジャンルにおける「歩いて楽しむ」の占める比重に比べて大きいように思われる。廃道探索は歩くことで一の完結を見る。地図で廃道を見つけるだけでは終わらないだろう。実際に行って、どんなところかを自らの目で確認し、その場の雰囲気を感じることが趣味の基本にある。実際に歩かなければ廃道の本質に至ることができないと思う。もちろん、他人のレポを読むだけの人もあるだろうが、そういう人にはぜひ実地を歩いてみることをおすすめする。

「調べて楽しむ」はこれと直交気味な軸(正確に直交でないのは、現地のさまから調べられることもあるから)。その道がなぜ廃道になったのか、どのような由緒があり、使われ方をして、廃れていったのかを調べる楽しさがある。廃道に残る遺構のあれこれを調べる楽しさがある。個人的にはこの「調べて楽しむ」に廃道趣味の独自性があると思う。

廃道写真は他の廃趣味の写真に比べて地味だ。「道が写ってるだけじゃん」って誰かが言ってたっけ。確かにそうだと思う。よほど絵になる場面か、隧道や橋、切り通し、看板、アスファルト等々の特徴的被写体がないとインパクトに欠ける。フォトジェニックさでは勝負になりにくい。

けれども、廃道は「見えないもの」のほうに価値がある。廃れる前にはこの狭い山道にトラックが走っていた。遡れば荷車を引いた人夫が汗を流し流し登っていった。崖を踏み外して命を落とした者がいたかも知れないし、逸る心地で急病人を運んだ夜があったかも知れない。そういう過去は写真に写せない。あるいは道に込められた思い。村の盛衰をかけた新道工事であった。難所と恐れられた崖道を迂回するための隧道だった。それがさらなる改良で廃道になり、喜びに湧いた人々の思いとともに朽ちて自然に還っていっている。過去から現在を見ることもできるだろう。命を賭して通した新道に因って町や村が発展し今がある。その未来は人々の思い描いた通りだろうか。それとも。

廃道はそういう場である。人の思いが凝り固まった遺跡であり、それを観るところに醍醐味がある。ただの妄想あるいは幻視として見るのではなく、史実に即して見たとき、その道に対する理解が深まるもので、そのためにも「調べる」が必要だと感じる。

そうして、道に対する理解は即ち、日本の過去に対する理解になる。

道はあまりに身近なものであるが故に、そこで起こった出来事は忘れ去られやすい。記録に残ることも稀だ。鉄道を写した古写真や絵葉書は数多くあるけれども、道を写したものはとても少ない(道路隧道の絵葉書なんてレアの最たるものだ)。鉄道だと記録がしっかり&体系的に残っていて、参照する手立てというか調査の方法論というかが確立しているから、幾らでも調べられる利点がある。これは廃線趣味が一歩抜きん出ている。道路の歴史は概略がわかっても細部が知れないことが多い(統計書とか)。突っ込めばあるにはあるが、セオリーがないのがネックになっている。

近代以降の道は特に顧みられていない。比較的最近の出来事であるせいで誰も残そうとはせず、しかし発展する速度は目まぐるしくて、結果、明治〜昭和初期の道の依って来たる所がすっぽり抜け落ちてる。

ここが重要。道の歴史を調べることは難しいが、決して不可能じゃない。やろうと思えば誰にもできる。現地で聞けばまだ記憶している方がいることが多いし、ネットでも多くの一次ソースにアクセスできる。

なんだかずれてきたので無理やり結論。歩くことと調べることは不可分。どちらかが欠けても物足らない。もちろんそうなったからといって下品(げほん)になるというわけじゃない。勿体無いのだ。
この2軸に依るところが(いまの自分の場合は「調べる」が大きなウェイトを占めているが)廃趣味の中における廃道趣味の独自性なんじゃないかと思う。

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_ tyaffic [突き詰めれば同じとこに行く着くのだと思いますが過程(往時の人々の思い(不幸や怨念も含めて)を想像し、想像が事実である証明になるように資料を調べると言う過程)が廃道は他ジャンルとちょっと違うような気..]


2011-02-10 [長年日記] この日を編集

ううー。賭に負けたッ。

また負けた・・・しくしく

[] 大渡隧道(仁淀川発電所工事報告)

http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/m_jsce/19-05/19-5-12080.pdf

「廃道をゆく2」を書くときには気づいていなかった資料を発見。errataはないがより明瞭な平面図あり。あと、建家設計者岡田千之助とある。隧道を設計したのも彼かも知れぬ。つーか建家の大きな写真はないものか・・・。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ 正直者 [この国ときたら 賭けるものなどないさ]


2011-02-17 [長年日記] この日を編集

[奇妙なポテンシャル] #224

空気なんて読まない。

シベリア歓喜団画像の説明

[橋梁] へえ!

よととさんのところで大発見。これはMさんが喜ぶぞう。

くるまみち http://sputoyo877.com/

[独言][][] 大阪市公文書館へゆく

順番間違えたかなあ・・・。今日は家にいるべきだったか。しかし一日家に居て連絡がなければもっと悶々としてただろうしな。

安治トンのあたかも知れない未来。唐突に挟まっていたのでいつの段階のものなのか、どういう意図で書かれたものか不明。ハンブルグのエルベ河底トンネルの参考図かと思ったがそうでもないようだ。
画像の説明

市公文書館には昭和9-12,13頃までの記録がある。これしか残ってないといったほうがいいか。一度中断して昭和17年頃にまた始まったように見える理由は何か、調べようと思ったら別のところを当たらないといけない。ともかく今はある資料に目ぇ通さないと。しかし残り7.5冊もある!

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ tyaffic [ウラー!!]


2011-02-18 [長年日記] この日を編集

[独言] 分類ムズ

沈埋函の仕様が少なくとも3種ある。橋梁化した場合の図(設計図にもあらず、落書きにもあらず)もある。けれどもそれぞれに年月日がなく、いつどの段階のなんかがよくわからん。これが「種々検討」の結果なのだろうと思うが・・・。だいいち着工後に大水害その1で設計変更してるのよね。その辺ちゃんと把握せんといかん。

昭和9:室戸台風 昭和13:阪神大水害。なる。だから濡れていたのか。

ちょっと待ってくれ。ラジオ深夜便の今日のアンカー、何か妙なことを言ってなかったか???


2011-02-19 [長年日記] この日を編集

[廃道とは] 3

とりとめもなく続ける。廃道はtyafficさんが仰るように過程が楽しめるのが他廃と違うのだろう。両者不可分というべきか、2度おいしいというべきか。うまい例えでないけれどもテレビと似ているところがあると思う。テレビが好きな人は多いだろうが、誰もがテレビの映る仕組みを理解して観ているわけではない。なぜ電波が目に見える形になるのか。ブラウン管やLEDはどうして色がついて見えるのか。番組制作の裏側の苦労は。そういう所に目が行く人は廃道も楽しめるんじゃないか。

歴史を掘り下げるという点では「ロマン」ということばが似つかわしいけれども、そればかりでは飽きてしまう。何も廃道でなければならないわけではない。「北山の峠」に代表されるような(と勝手に代表扱いすると東国の人が怒るだろうが)峠の盛衰を描いた本は数多くある。そこでは徒歩で峠を越えていた時代への憧憬、モータリゼーションの影で失われていく旧文化、自然回帰、みたいなことがよく語られる。というよりもそれしかないように感じられて、かえって食傷を感じる。「日本百名峠」は確かに名著ではあるのだけれども、あなたの憎むその現代社会に、あなたは住んでいるんじゃないですか? と問いかけてしまいたくなる極端な論が多い。嫌ならばどうするか、皮肉る以外に途はないのか。峠本ばかり買い集めて読んでいた頃につくづくそう思った。

「ロマン」の追求は結構だが、度が過ぎると過去に囚われてしまうおそれがある。廃道を楽しむということは、過去を現在に引き寄せて、現在視点で過去を見る、過去と現在がどうつながっているかを考えることに、趣味としての滋味があるのではないか。いや、自然と考えてしまわざるを得ないといったほうがいいか。打ち捨てられた隧道を見ればかつて人や車が通っていたことを思い浮かべるだろう。廃止されてからこの方の経過時間を想像したりもするだろう。廃れてこうなったという「現在」を目の当たりにして、同時並行的に「過去」を見ているということだ。両者がそう遠く離れていない−−−縄文時代の遺跡だとか古墳時代の埴輪だとかに比べれば−−−ところも、彼我の距離を測りやすく、身近なこととして捉えやすい。今に直結する過去だからこそ興味を持てる。

感覚的になってしまったので書きなおす。廃道探索は古きよき時代を懐かしむ趣味ではなく、過去から現在までの経緯を知る趣味なんじゃないか、ということが言いたい。現在の姿を肯定するところから始まって、順に過去へ降りていく結果、今の世の中や、時には自分の来し方を知ることになる。そういう趣味だと。

「峠本」には近代以降今日までの過去が欠けている(ように感じる)。身近すぎて興味の対象にならなかったのか。「わかりきったこと」として省略されたのか。しかしながら、近代以降の歴史のほうがかえってわからないことが多い。整理されていない。技術史なんかは特にそう。どのような構造物がどこに存在しどのような技術で作られたのか、全容解明されたわけでは決してない。今だにねじりまんぽ橋梁が発見されるくらいだ。道路の改修史も個別に当たって資料を付きあわせてようやくおぼろげに見えてくるありさまだ。整理されずに眠ったままの一次資料が数多くあって、誰もそれに手をつけていない。

そんな近現代史を抜きにして道を知ることはできないだろう。鎖の一つが外れているようなものだ。その失われた一こまを探してきて、歴史を繋いで見せる趣味。それが廃道探索。きっとそれは、単に自分が楽しいだけの趣味ではなく、も少し大きな意味のある活動になり得るポテンシャルを持っている。

[廃道とは] 4

廃道は、役目を終えたものだから心安く楽しめるのだと思う。仕事を終えて眠っているターンだから気安く近づけるのだと思う。より便利な道ができて退役した道のほうが後腐れなく楽しめていい。古老の昔語りに耳を傾けるような安心感でもって散策ができる。代替道路もないまま廃れてしまった道、未成道路のような「夢の跡」は見ても歩いても切ない。

本来、より便利に暮らすために作られたものだ。不便なまま使い続けられる道は不幸だし、二所を結ぶ機能からして廃止されたような廃道はもっと不幸だ。そういう不幸を不幸のままで置き去りにしないために、調べて書いて残すことは必要だけれども、微妙に書きづらいところがある。その道を利用した(利用しようとした)人が望んだ結果そうなったのかも知れないし、社会の趨勢上致し方ないこと、必然だとか予定調和だとか書くべき事象であるかも知れない。自分の場合は特にだが、そういう道を書くと単に廃道になったことを惜しむだけになりがちだ。本当にそうなのか? それは現象の一側面を見ているだけに過ぎないのではないか?

林鉄の探索なんかは特にそんなことを思う。林鉄の廃止を惜しむことは簡単なのだけれど、ではトラックよりも不便な軌道を使い続けたほうが良かったのかというと、そうでもないだろう。(たぶんつづく)

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ 渡辺 [永冨さんの廃道に対する捉え方・感性につくづく同感です。「自分の来し方を知ることになる」など正にそうですよ。]

_ nagajis [渡辺さんに教えられたようなものですよ・・・]

_ 渡辺 [今のところ自分一人で楽しんでいるだけですが、「単に自分が楽しいだけの趣味ではなく、も少し大きな意味のある活動になり得るポテンシャルを持っている」ここまで持っていきたいですね。 ]


2011-02-21 [長年日記] この日を編集

[ph.] グロ注意・死体画像

画像の説明

[奇妙なポテンシャル] #225

画像の説明

説明不要と思われる。判別不能と思わせておいて実は差異があるところが芸。

なおこの左にいるメインキャラクター「おコメちゃん」には言及しない。関西人への配慮として。

[奇妙なポテンシャル] #226

画像の説明その昔、神戸に移り住んだ友人N氏が「高速神戸やで。むっちゃ高速やねんで。」と力説していたのを思い出す。蕎麦まで高速だったとは気付かなかった。しかし写真はそばとも高速とも無関係なイメージ画像で、かつ色褪せてしまっているところに、奇妙なポテンシャルというより侘び寂びに近いものを感じる。

いや待てよ。新開地駅構内が高速の傍ということなのかも知れない。石仏まで一直線。

[奇妙なポテンシャル] #227

画像の説明そう落書きした意図がわからない。「、」に何か言外の意を込めたつもりだろうか。「ア、秋。」みたいな。

ひょっとしたら「ヽ」(繰り返し記号)であるのかも知れぬ。そうであるとしたら将来を悲観した不良中学生(14)の叫びと取れなくもない。あヽ死ぬ。不道徳な行為だと承知しながら書かずにいられなかった少年の悲痛な叫びである。

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ nagajis [目が死んでいます・・・]

_ tyaffic [「高遠そば」に見えたポテンシャル!!]

_ nagajis [ぜひやって欲しいですね高遠で。 注文したら3秒で出てくるとか、時速60kmで流れてくる流し蕎麦とか]


2011-02-22 [長年日記] この日を編集

[独言] 今日もまた寝過ごした

ので方々に電話する。

いつもこんな感じだな・・・調子に乗って一度にあちこちへ電話をしてこんがらがるのだ。


2011-02-23 [長年日記] この日を編集

[][] 安治川

続きを消化しゅる。残り4.5冊・・・道は長いぞ。頑張ればあと1回、かかったら2回。

市街地を歩くぶんには問題がなくなってきたが、さすがに立ちっぱなしとなるとしんどい。薬指から伸びる筋と筋肉とが激しく痛む。くるぶし方面はずいぶん収まってくれた。そして親指の力感覚?は以前の7割ほど。なんていったらいいか・・・かかと>親指のラインできれいに歩けない。足の外側で歩いている。そのせいで歩き方がまだヒョコヒョコだ。

戻る。安治川のあたかも知れない未来その4を発見。エレベーターを廃止し通常接続する将来のための計画の一つと思われる。アイデア賞ものだがこれ採用すると竪坑全部壊さないかんのだね。これは昭和16年前後の資料に挟まっていた。

それから潜函工事中に死亡事故が起こっていたことを知った。潜函内部が酸欠状態になっていて、それに気づかずシャフトを降りて行った作業員が転落死したのだという。しかも続けざまに2人。大阪市衛生局による調査結果の報告書があって、それによれば酸素濃度が数%しかなかったそうだ。初期段階の資料に潜函作業に関する仕様書や潜函病に関しての研究報告も載っていたから、その方面の注意はされていたのだろうが・・・。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ tyaffic [やっちまった時に比べれば格段の回復。そのうち治りますよ。良かった良かった。]


2011-02-24 [長年日記] この日を編集

[独言] Googleグループの返信

Googleグループの返信の扱い(ディスカッション:いわゆるスレ)ってどこを見てるんだろう・・・。メールのヘッダのどれかだと思うんだけどよくわからんちん。

新たに投稿すると新しいディスカッションになる。そのメールに返信するとディスカッションの続きにくっつく。返信するときに題名変えるとその題名で続けられる。そういう状況に受付が「ファイルアップされました」メールを送ると必ず新規のディスカッションになってしまい、ちょっとうざい>受付が。ディスカッションの続きになるように新規メールを送るにはどげんしたらよかとでしょうか>Googleさま

In-Reply-Toをつければいいんかな。テスツグループで試してみる。

ホホウできただ。カスタムへだーでいれたっただ。反映済み。

個々人のサブフォルダ作ってみたが、そのなかのフォルダまでは見れないのな・・・。修正すべきか諦めるべきか。それやるとdir作る機能までいれないといけないし。makedir一発じゃダメなんだこれが。

ダウンロードするときに一発でZIPできるようにするか。しかしそーするとSHIFT-JISのZIPつくれるかどうか確認せなあかん。使うのも一度だけだろうしな。やめとこう。

FTPで見た時も化けるしなあ。これは改善のしようが那須だ。

だいいちあれなんだ、2byteのファイルをネット経由であれこれするのは苦手なんだ。。。

[][] 安治川4

あまり書くとお楽しみがなくなるので小出しにする。表から見える資料はS9〜S13頃までしかなかったんだが先述のようにS16のものも含まれている。ひょっとしたら全部あるのかも知れない。残りはS12〜13の3部冊と記されたやつと不明な1冊。このへんは図面が沢山含まれているので撮影が大変だと思う。

資料の大半は請負業者との金銭的なやりとりの記録、工事の仕様書、その工事の場所を赤で示した青焼き図面だ。そこまで目を通す必要はないのかも知れないが、請負者とのやりとりは工期延長申請なんかも混じっているから、工事がだだ遅れになった理由がそのへんからわかるかも知れないと思っている。もちろん「3」ではそこまで書けないだろうが。

[独言] 3月大変

次号原稿一切手付かずのうえにKINIASの学会誌の編集もしなければならん・・・その状態で「3」書いて行けるのか?と心配になっている昨今。どれもやるべきことが決まっているだけマシであろう。ちゃっちゃと働けばよいだけだ。

[独言] 手紙を出すことにする

実力行使という名の蟷螂斧を振り回してみる。自分の首が落ちるかも知れない。


2011-02-25 [長年日記] この日を編集

[独言] 睡眠失敗

安治川5に備えて早く寝たつもりが24時に目が醒めてしまった。妙に目が冴えて眠れない。原稿書き始めてみたものの、こちらも思うように行かず。そうして今頃になって眠くなってきた。困った・・・ここで寝たら昼過ぎ確実だしなあ。

そう急ぐものではないから、来週でもいいんだけど…。なにもしない一日が辛い。

あちこちへ問い合わせをして、その結果が集まりつつあるが、これといった収穫がない。わずかに飼坂の件で収穫あり。明治30年代の中街道改修が飼坂峠まで達してた(時間軸では飼坂のほうが先)ということが判明した。ただ自分が思っていたような僥倖はなさそうな感じだ。

そういやウオッちずが変更になったんだよな・・・地形図にあった破線道が消えていてちょっと慌てた。河川の青色が目立ちすぎて道がよくわからんのも慣れない。

まあ、このへんはそのうち慣れるんだろう。以前地形図の書式を変える案があって、提示されたサンプルの等高線が赤茶色だったところ(そのせいで地図が真っ赤っかに見える)がひどく不評を買っていたのをふと思い出した。あれは結局なくなったんだっけ。書体がゴシックに統一されたのは見た覚えがあるが…。最近地形図を買ってないな、そういや。

[ph.] 雀々

画像の説明

望遠最大で適当に撮ったがそれなりによく写ってると思う。コンデジにしては上出来。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ トリ [スズメ可愛い・・・。昔、足を怪我したこスズメを拾い、ハチの巣を採ってハチの子をあげて飼っていたことを思い出しました。かわいいかわいい。たまらん。]


2011-02-26 [長年日記] この日を編集

[独言][] それでも行ってきた

約3000枚の撮影完了。考えて見れば5回くらいしかバッテリー交換してないな。フル充電のものに3回、半端に2回・・・連続撮影のほうが持つとはいうがこんなに撮れるとは思わなかった。HDDがいっぱいだ。

画像の説明今日の最大の発見は一枚の葉書。見てはいけないものだったかも知れないが、ひょっとしたら積年の謎を解くヒントになるかも知れぬ。これはORJ用にとっておこう。生臭すぎる。

それであたかも3の図面があることに気づいた。帰って見直したらすでに撮っていたけれど。S9の着工時まではあたかも3で進められてたらしい。あと下部工完了後に上部工の建設な。そりゃそうだ、あんなL字型沈められんだろJK

それで最終形態は4”ということになる。たぶん工事画報等にある図は4。

[奇妙なポテンシャル] #228

画像の説明そしてどうでもいい写真はさっさと片付ける。この看板から注射器?を連想する連想力は中々である。先端形状は無論のこと、下のくびれも発想の一助にになったのではあるまいか。

[独言] f−ん

ここで拡散させる→マーケティングに加担→売れる→ORJ忘れられる

拡散させない→ORJが不遜に思われる→ORJ売れない

どっちにしても売れないものは売れないのだ・・・ちぇっ

[廃道本] #3

今回の担当ネタは次のとおり。多分。と書こうとしたが何この偏り・・・&中古ネタと今更気づいてやめにした。いずれにしても今回の自分のネタは埋め草のつもりでいる(2,3の追加情報がある以外は)。かわりに記事間の関連を出せたら面白いかも知れないと思う。

企画ページはひょっとしたら変更かも。「林道のあゆみ」を忘れていた。+廃毒15?でそれなりに資料的に役立つのができるとおもうんだ。

それにしても知らないうちにたくさん本が出てるなあ。これだから情弱は困る。まあいいか・・・いろいろ切り捨てないと積みたいものが積めない。


2011-02-28 [長年日記] この日を編集

画像の説明いつまで経っても治らんな・・・。つま先に力が入らないせいで不安定な所を歩くのが怖い。急に足首を捻ったときに対応できない。山道を登れない。つらい。ただ何度か無理なひねりが加わって痛みをこらえているうちに力をかける感触を思い出したような気もする。そうそう、こうやって歩いたんだという記憶。痛みをこらえて歩くほうがいいのかも知れぬ。要は筋肉が衰えている。

例によってどうでもいい写真はよく撮れる。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ あきら@大阪 [痛みを堪える。というか痛みが生じるか否かの際で引き返すのが吉。 どうせ適当にほったらかして、自覚持ってリハビリもしてねーだろ?w 時間掛けて治さないと、後々泣く羽目になりますよ。]

_ nagajis [心配してくれるのはありがたいですが・・・ひどい言われようだな(泣]

_ nagajis [てすと2]


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