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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2014-10-02 [長年日記] この日を編集

[] 三島由紀夫『金閣寺』

金閣寺。金閣寺を焼かねばならぬ。金策に焼かねばならぬ。柱一本残してはならぬ。焼かねば自分の人生が生きられぬ。そういうお話である。

ふと手にしたこの本を読んでしまっていろいろと後悔している。吃りであることに負い目を感じ空気のような存在でありたいと願う主人公と自分とが重なったりとか破滅の甘美に舌なめずりに思い当たる節があるとか。やがて大事なものに火を放って台無しにするんじゃないかと思ったが案の定だ。いまのご時世、マッチなしでも金閣寺に放火することはできるのだ。

しかし解せなかったのは、主人公にとっての人生とは何だったのか、ということ。女を抱こうとした途端に金閣寺が現れるということは、女=人生、あるいは女ー>結婚ー>子供ー>往生というスキームをば人生だというのだろうか。私はそれが理解できない。よい女性を娶って子を残して孫に囲まれて死ななければ人生でないのか。それ以外の人生は人生として認めてもらえないのか。金閣寺に火を放ってまでして勝ち取らねばならなかったことなのか。「それ以外も人生だ」、と言い切ってしまえばただの自己肯定にしかならないとも思うが、あんまりにステレオタイプでつまらない。そういう愚かな、つまらない人物として三島は描いて見せてくれたのだろうか。

現実がどうあれ、またそれが実現可能かどうかはさておき、いま自分には心からやりたいことがある。外因誘発的アラウンドドリブンな 「やらねばならないこと」ではなく、自分の中から発露した「やりたいこと」がある。それは幸せなことじゃなかろうか。それを可能な限り追求し、あわよくば全うすることが、私にとっての人生であり金閣寺から庇うべき抽象物なのだと思ってみる。

[] かく

今回こそは14日中に完成させるッ!と息巻いてみたものの案の定な進み具合で呆れている。「梅田地下オデッセイを歩く」は写真不足が次々明るみになりこれで3度目となる梅田徘徊を余儀なくされた。23時になっても人混みの途絶えないミズノ前を撮影するのに苦労したうえラストシーンの最適な構図を見誤ってイマイチなclimb max。あそこはどうやっても無理なんじゃないか。柱が邪魔すぎる。西梅田駅構内から狙っても同じような写真にしかならないだろう。

定点観測は地図を乗せようかどうか思案の段階で置いてある。これも早く片付けとかないと知らないぞ。んで西熊野は全くの手つかずだ。大記事2つは無理かなあと弱音が漏れる午前三時。

[] 筒井康隆『文学部唯野教授』

学生時代に単行本で読んでいたが引っ越しに際して手放してしまい内容もうろ覚えになってしまったため文庫本を再取得したわけだがちと丈が長い特殊サイズゆえ100均カバーが使えないのはどうでもいい悩みとして脇に置いておくとしてもいやはやこういう面白い本はあまり読むべきじゃねえなあと認識を新たにした。影響されないわけがないじゃないか。

読み直して気づいた。そうか自分は唯野教授に憧れていたのだなと。文学や批評理論の構築がしたかったわけでは決してない。処世の立ち回りを汲々しつつもこなしつつ自分の真にやりたいことを追求している教授のような生き方を是と思っている節がある。とはいえその実生活を支えるにも至らないORJで自涜を続けているにすぎないわけだからなあ。

[奇妙なポテンシャル] #三百数十幾ら

ふいに

nagajisダメ、ゼッタイ。

などというフレーズが湧いてきて壺に入った。常習性がどうとかいう巫山戯たことをいうつもりはない。あるのは自堕落な義務感とだらしのない習慣だけだ。


2014-10-03 [長年日記] この日を編集

[独言] えーまたかよ

勤務中に電話がかかってきてレッドウィングのオールソールがあがったとの連絡。放役後取りに行くついでにまた地下街を撮ってきた。2日続けて写真を取りに来た変な男に西梅田駅の駅員氏も警戒のまなざしを向けていた。はず。

それにしても萬字屋まで移転するとはなあ。この間入ったのが最後になっちまった。まあ古書街最北端で営業再開するとのことだったし、自分の欲する本を見つけられた試しがない古本屋だったから、ひとつの歴史が終わったというだけで私にはさほど影響しない事案である。それよかあの一帯を改修するとなるとウメチカダンジョンはまだまだダンジョンであり続けることになるのだろうな。どういうふうに改修するんだろ。下手に塞ぐと<ドーチカ>と〔梅田センター街〕<ホワイティうめだ>が分断されちまうぜ。

[] 桂芳男『幻の総合商社 鈴木商店』(現在教養文庫)

鈴木商店。昭和恐慌の発端となった会社というただその一点だけで認識していた会社だが、実はものすごく影響力を持っていた総合商社であり産業のorganizerとしても多大な功績があった会社だったことを知る。空中窒素固定法の特許を取得して日本で最初にアンモニア合成を工業化したりだとか人絹作って帝人の基を作ったりとか。想像も及ばない壮大なスケールで商社業やって、想像も及ばない収益をあげながら、わずか数十年で没落した。不思議な会社だ。

まだ途中。大正末の没落を金子直吉が語ったところまで。これだけだとなんで落ちぶれたのかよくわからない。

[] 地図かく

首を洗いながら全体図に使う地下街略図と撮影方向を示す詳細図のためのS48図を作成する。阪神電車以降はS48図にないので全体図を流用する。多少不格好だが仕方あるまい。あと〔ドージマ地下センター 〕の範囲を書き直さなければ。正確にはドーチカまで行っていないのだな。

地下街の歴史をまとめるためにあと一回市中央図書館に行かねばならない。梅田地下街が大阪駅前都市計画事業で始まったはずなのでそれの裏を取らねばならない。なにげに金と時間がかかっている。ああ、あん時コピっておけばよかった。

[ORJ] DLページ修正

サーバ更新後のどたばた修正でprint_rをひとつコメントアウトするのを忘れていた。実際に購入しないと出てこないものだから気づかずにいた。ご指摘感謝。

[独言] さて

どこまで落ちぶれようかなあ。自分で自分をカスだと思ってるんなら行くところまで行ってみ。


2014-10-04 [長年日記] この日を編集

[独言] おもったとおり

右足踵が変形してしまったせいでレッドウィングが痛い痛い。長く履いて歩くのは無理やな&変な削れ方するだろうな。無理して直さんでもよかったんじゃね、とすでに決定したことを蒸し返して思うが、無駄を承知で直したんだから納得しろ>nagajis。それに無理に履いてりゃ靴のほうが変わってくれるやろ。


2014-10-06 [長年日記] この日を編集

[] カート・ヴォネガット・Jr『チャンピオンたちの朝食』

『虚人たち』の冒頭、金物屋の親父が電話の相手にこういう。「気をつけろ。チャンピオンたちの朝食の中にタイタンの妖女が混じっているかも知れないからな」。 それがカート・ヴォネガット・Jrのこの作品のことであり『虚人たち』の作中世界に関するリークだということは、ずいぶん後になってから知った。

そんな作品を手にする機会があったので、せっかくだから読んでみた。なんともへんな小説である。段落頭が↓で始まったり、誰もが知っているだろうというごく当たり障りのないものがわざわざイラストで描写される。こんなふうに。

(ここにジスオのイラストが入る)

その他いろいろ。

 

→結局、作品の中に作者が混じり込み、あまつさえ自分の創造したキャラクターと会話を交わしたり握手をしたりしさえする虚実皮膜なところを金物屋の親父は語っていたようだ。作者がキャラクターに出会って興奮気味なのに、出会われたほうのキャラクターがあまりに無感動なところなどは「普通そうだわな」と思ってみたり「いやそもそんなのあり得ないから」と思ってみたり、忙しいこと限りなし。ストーリーを読んで楽しむ小説ではなく、文章でここまで自由なことがことができるのだという極北点を知るための一冊と捉えるべきだな。あと、作者の病み具合が直接的に表現されていて、そのストレートさが一周回ることなく直に刺さってきて怖かった。

これ、原文で読んだらどんな感じなんだろうなあ。読めるわけもないのだが、日本語を介さずにラストを読んだらまた違う印象になったんじゃないか。

[] 追加

ガーデンモールを追加したうえ一度はボツにした「あとがき」まで復活させてようやく終わるめどがついた。残りはいちばん面倒なバックグラウンド。資料はすでに入手しているけれどもさっくりまとめられる気がしない。「あるく」や導入、そして独白が予想以上にくどくなったから、そのうえBGまでくどくしようものなら胸焼けしか残らない。

ここでガス抜きしておくか。最初の「大阪駅前拡張計画」では御堂筋線に6本、梅田十三線に1本、計7本の地下道を通す計画になっていた。この「7本の地下道」という表現は紛らわしい。各号路線の起終点を番地から厳密に追いかけてみると、すべてが交わっていて、1つの地下空間をなしていたことがわかる。要するに阪神パンフのあの地下道だ。実際に出来上がったものとほぼ変わらない。けれども計画は途中で一度変更され地下道は6線になっている(阪神梅田駅より西方が削除された形)。その次の改正で「御堂筋及び地下道を」「付図のように変更す」とあってその付図が省略されているのがつらい。概説で最終的に7線となっていたはずだから結局元に戻ったのだろうか。

ゆえに駅前地下街を第一号〜第七号に分割してみせることはできるのだけれども、記事中でそこまですると枝葉過ぎるだろう。それよか御堂筋が大阪駅前西方を起点にしてたことのほうが書いて置いて意味があることだろう。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ 一ORJ読者 [paypalでの入金で2400を入れると手数料が131.12033195020746と出て、総計が2532となる。最終的には131が引かれて残高が2401になる模様。 四捨五入云々書いてありますが..]

_ nagajis [おっしゃる通りなのですが、どうもうまくいかないんです。逆に1円少なく請求してしまい、2399円の入金になったり・・・。paypalの手数料がドル建てで行なわれている&レートを手動で追従しているせい..]


2014-10-09 [長年日記] この日を編集

[ph.] (レンズの突き出した雪だるまを連想しつつ)むーん

画像の説明

2度目。トリミング&シャープフィルター上等も2度目。これで実売\2.5k円のコンデジの画なのだから笑う。

[独言] 無駄な努力

求められてもいないレポートに1日を費やしたうえ分析結果が「古書は見合わない」じゃあ遣る瀬も立つ瀬も取り付く島もないじゃないか。おまえはそんなに自分の首括りたいのか。締める真綿はもうないぞ。この間捨てたからな。布団ばらして作るか?

[独言] 枕を買った

穴が開いてそばがらを撒き散らすようになったのを縫って直していた枕が再び開口し閉口したため枕を買わねばならない枕を買わねばならないと思いつつ主に金銭的な理由から購入を躊躇っていたのだけれども朝晩めっきり寒くなった昨今とみに寝首が痛くなり目覚めが悪くなり昨日に至っては水濡れした文庫本の如くに首が凝り固まった状態で目覚めてみれば出役5分前というひどく不快な状況を経験したためいい加減諦めて598円のクッションを買ってきた。これで少しは幸せになれる。

[独言] タージマハル・エベレストのコーヒーが旨い

なぜあんなに旨いのか。

[] 進んでない

以上のような理由により進んでいない。今日は死ぬ気で進めなければならぬ。狛犬に、もとい駒井野に、いえ細いのに逃げようか。あ。明日はカメラ持っていくこと。


2014-10-10 [長年日記] この日を編集

[ph.] 曙光

画像の説明

個人的にはこの写真が印象に残っている。寂しい海であった。途中下車して心ゆくまで眺めたかった。

[納得がいかない] ノーベル賞と観光

映画「ノルウェイの森」の映画撮影地である神河町で、村上春樹の受賞成るかを見守っていた旨ニュースで流れていたが、こういうのはどうも腑に落ちない。受賞→観光客増が見込まれるから発表を見守っておったわけだろうけれども、そんな他人任せでええんかいと思う。そりゃ受賞したら観光客激増でウハウハだろうけどさ。どえらい人来るだろうけどさ。神河町がこれまで築いてきた文化とか観光振興策とかと全然無関係じゃん。そんなキレイゴト言ってられないほど疲弊しているというのなら仕方ないけどさ。

境港の水木しげるロードとか、コナン通りだとか、やっぱり他人の褌だよね。

じゃあそれ以前の文化資産だけで発展が見込まれるかといえば絶望的だ。これは境港だからというわけじゃない。どこでもいっしょだ。奈良だって東大寺と薬師寺だけで未来永劫食っていけるわけじゃないだろう。手を変え品を変え魅力的に見せないと発展はないが、そう簡単に新しい価値を生み出せるわけがない。目先の目新しさだけでやってきた結果が人を不感症にした。

以前の観光がデタラメで、いまの落ち着いた状態が正しいのかも知れぬ。疲弊するため・ 「行った」という既成事実を作るためだけにすし詰め電車に揺られて観光地行ってなんも頭に残らずに帰ってくるのが「光を観せる」であるだろうか。いやない。

人が阿呆になり贅沢になったのも衰退の一因ならん。友ヶ島を「ラピュタそっくり」といって喜ぶ層に、観光客としての価値がどれほどあるか。そんな人々が意味を読み取れるか。あと数年もすれば行ったことすら忘れているんじゃないか。うわべだけで判断される遺構が哀れである。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ TUKA [富岡製糸場なんかも「アリバイ作り」のオジさんオバさんで連日盛況のようですな。 興味の中心は「世界遺産だから」ってなトコでしょう。 まあ、福島の場合だと「理由は何でもいいから来てくれ。自分の目で見て..]


2014-10-11 [長年日記] この日を編集

[] 三島由紀夫『潮騒』

金閣寺から吹き寄せられて歌島の浜辺に寄り付いた。登場人物がすべて善人、技巧も悲劇のかけらもない朗話というだけの内容であるはずなのに、この鮮烈な感動は何だ、と思う。

最後に主人公が困惑の表情を見せたのが特によいと思った。初江の加護でなしたのではなく自分の力でなしたのだという自負が。自分を信じて生きることの、というより信じる云々の儀式をせずとも自分の思う通りに生きて行ける人間は強い。 自然に即した、狡猾さのかけらもない生き方が美しいと思う。そういう人間にはどう頑張ってもなれないことがわかっているからなおさらそう思う。

斯様な主人公を羨望のまなざしで見、よい絵・よい写真を鑑賞するような思いで読んでいる自分にオヤと思った。ははあこれが歳を重ねないとわからない妙味というものか。

[] すすまない

本を読んでるから進まねえんだハゲ、などと罵られると応えようがないが(だからそれが狡猾だっつってんだろ)、体調不良であったのだから仕方ない。頭が重い目が痛い脳が腰痛貧乏症その他いろいろ。愚痴っても仕様がないのでようやくすっきりした今日から頑張っている。明日中には終える。それでいいだろう。

くどいところはばっさり切ってみた。ずいぶん楽になった。あとはオデッセイに入る所を整理して、<>と〔〕の使い分けの意味を書いといて。後者はさりげなく付箋でいれてもいいかもしらん。使い分けていることを流れでわかってもらえばいい。

[ph.] クシャミの出そうな青空三回目

画像の説明

これは9月に撮ったもの。月蝕の日の昼間もこれに近かった。もっと深かったよなあとは思うが、左下のほうばかりやけに幾何学的なのが面白く感じられたのでこっちを使う。

明るい所に慣れた目の感じる青空と、眩しくて目が開けていられない青空とではまたちょっと違う。慣れるほどに藍が深まってゆく。魂を根こそぎ持っていかれそうなあの青が、怖くもあり、憧れを抱いたり。


2014-10-12 [長年日記] この日を編集

[ph.] かまきり

画像の説明

いい顔をしている。

[ph.] 老兵

画像の説明

死なず消え去るのみ。そりゃ毎日丸一日走り続けてたらこんなになるわ。

[] かいた

やっと終わった・・・。サイズがえらいことになるんじゃないかと心配したが30MB以下に収まった。

そこから一気に帝展感速を仕上げる。

おかげで風邪を引いた模様。


2014-10-13 [長年日記] この日を編集

[] 深川英雄『キャッチフレーズの戦後史』

CMとかキャッチコピーとかは好きな方である。巻末の「戦後キャッチフレーズ500選」に惹かれて読んでみた。参考に成ること多々。「芸術はバクハツだ」が日立マクセルのCMだったこととか忘れてた。

「大きいことはいいことだ」。高度経済成長の浮かれた雰囲気を直反映したものだとばかり思っていたが、そうではないという。GDPは世界第二位になったものの、国民一人あたりの所得は20位で、一般家庭レベルでは豊かになったという実感はなかった。小さい家、小さい車に甘んじていたところへ投じられたCMであって、だからこそ大きなもの大きな暮らしに憧れていた人々の共感を得たのだ。

帯には広告コピーやCMが時代を語っていると書かれてある。たしかに巻末表や本文を読むとその時々の雰囲気がわかって面白い。私はCMが世の中を誘導することもがあると思っているのだけれども、CMが牽引する場合もあれば、時代の要請的に、その当時の人々の思いから滲み出てきたようなCMもあるのだなと気付かされた。さっきの森永のCMもそうだし、サントリーのアンクルトリスシリーズとかも。

まあ結局は「売れればOK」「目立てばOK」な世界。あんまり関わりたくはない。イメージだけで売るのは卑怯やん。

[独言][力尽きた] 風邪が進行

鼻奥の乾きと首凝りが真性鼻風邪に発展した。痛みは薄れたが水鼻ズルズルである。終焉に向かって前進したわけなので自分としてはさほど案じてないのだが、見かねたSさんが栄養ドリンクを呉れた。なんてやさしい人なんだ。

それ飲んで野菜スープ作って食っておとなしく寝る。

ああ、そうか。金が貰えても痛みが引かないんだったら大変だよね、心配だね、っていうことをちゃんと伝えねばならなかったのだ。保険屋さんのやり方を云々いおうという気は更々ないのだ。時おりそんな短絡をされる。

[奇妙なポテンシャル] #300いくつ

時々思うことがある。性交行為に「おまんこ」「おめこ」と女性器の名称を充てる日本の文化と、男女の性別(性)をそれに充てる欧米の文化とでは根本的なところで違うんだろうなあと。日本の場合、必要なもののもう片方として「ちんこ」を充てていても可笑しくはなかったはずなのだが、あえて女性器なのは文化的に何か意味があるんじゃないだろうか。男尊女卑思想とか何とか。そういう使い方になる以前があったんだろうか。違う言葉が使われていた頃は。

あるいは日本だけの特異な用法なのかもしれないな。 「セックス」が主に性行為を指す言葉として使われるのは。make loveとかいろいろな言い回しはあるものな。性差がある=子を作るという関係はごく自然な感じがする。隠語的に女性器名称を借りてくるのはなんだか妙だ。行為を表す語を他所の国から借りてきて口憚りつつ使っている現状はそれに輪をかけて妙である。あけすけに言う必要はないとしても、態々隠してもったいぶって使うほどの言葉でもないのではないか。

いや、そうじゃないのか。言霊の国ゆえ大事な言葉(行為)に敬意を表して憚っているだけか。

[独言] うむ

栄養剤のせいでかえって目が冴えたのかも。たしかに効いている気はする。帰り際のだるい感じはなくなった。鼻は一眠りすれば止まるだろう。相変わらず喉はいがらっぽく、脳がモヤッてる感じはぬぐえないが。

栄養剤なんて普段飲み慣れてないからなぁ。そういうのに頼らないと体力回復しない歳になったのだなあ。

小さな連想と大きな転覆。寄せては返す波の如き思考。思索でも思惟でもないただの妄想。当たり判定のあいまいなビックバイパーに乗って弾幕を交わし続けているような感じ。シナプスが痺れて連動していない。てんでばらばらなエイトビートの泡沫雪崩。そうか明日は土曜日か。

「眠れない夜」なんて今じゃ詩的な表現になっちまってるけど、実際はそんな切ないものじゃあないぜ。眠らなければならぬという義務感をジンジンする頭が生理的に拒否しやがる。眠らねば体力は戻らないのに、なぜわかってはもらえぬのだ体は。おれの副交感神経はいつも大事なところで反旗を翻しやがる。旗振るだけならまだ可愛いが実力行使に出られるとちょっと。退治てくれるわけにもいかないからな。あくまでもあくまでも幣原外交で強調路線するしかない。一蓮托生するか、もしくは刺し違えて果てるかだ。

強調外交の一環としてキーを打って疲れようという魂胆なのだが脳が疲れる前に腹が兵糧を欲しておる。鍋一杯の野菜スープじゃ不満か。もっとガツンとくるものがいいか。帰って下痢質の便を大量にしたのもよくなかったか。あれじゃすぐに腸へ流れる。そのうえ消化のいい野菜群だ。そりゃ腹にたまらない。

「お腹いっぱい」の感覚が胃袋からではなく腸から起こればいいのにと思う。そうすれば宿便で悩む女子群も救われよう。満腹感の幸福と排便の快感が立て続けにやってくることになるけれども、それはそれで畳み掛けるようでよいじゃないか。

というわけで野菜スープの第二弾が煮込まれつつある。サボイでは何故かコンソメスープを見つけられなかった。かわりに鶏ガラスープを買おうとしたのだがレジへ行く途中で味覇が安いのを発見してしまいあっさり鞍替え。いつだってnagajisは旗色不鮮明であり幽玄フジッコである。

このスープにスパゲティ入れたらうめえんじゃね?などという不埒なことを思いついてしまい逡巡中。国家は復興途中でありあなたは中暗刻であった。ちくしょう茹でる鍋がねえ。

やばいスープを半分近くにまで煮詰めてしまった。何を作ろうという魂胆か。えらく塩辛い、体に悪そうな……と書きかけて、いや、今は塩分が足りていないのかも知れぬと思う。ここのところスティックスナックチョコチップばかり食ってた気がする。もちろんそれは気のせいであってそれ以外の栄養のあるものーーー吉野家の牛丼しかもギョク付きとかーーーも食っておる。にもかかわらず体調不良なのは、これはもう慢性的な何かだとしか認め得ないではないか。

あしひきのやまどりのおのしだれおのながののやまのおくのあけぼの。「ぼくのあけぼの」ののほうが語感がよい。あれ海外で俳句っていったら5語+7語+5語の英語でなかったっけ。日本語で書いたらもう単なる俳句じゃん。

怪しからぬ着想のせいで食事があと10分ほどおあずけとなった。麺を茹でねばならぬ。何度も布団を出るのが面倒になってきたので水に麺を突っ込んでおいた。そうやってフニャ麺にしたほうがこの場合旨いだろうとも思う。しかし開け放しの隣室の窓を閉めてくるのを忘れた。冷気が部屋を徘徊しておる。

だいたい風邪を引いたのは窓開け放しで寝ているのも関係しているはずなのである。開け放しで布団着込んで寝て起きたら毛布を蹴り飛ばしている。何をしたいのか一向にわからぬ。とんと見当がつかぬ。


2014-10-14 [長年日記] この日を編集

[] 旧橋

受付の写真で旧橋を作る。見てきたように書いても良かったのだがやりとりが面白かったのでそのまま使ったった。我ながら草不可避であり大草原の小さなイェアである。

今日のうちに訂正と統合までやってしまいたいものだ。できるだろうか。手抜きでもなく諦めでもなく無理でもなく15日早いうちに発行できなければ目標は達成されない。

[独言] 台風擦過

はやあがりして帰る頃が一番キツい頃だったというヘゲモニー。今は雨も風も止んでいる。偏西風に打ち返されて飛んでくるコースだったからそんなものだろうと思う。もっと南でするする上がってきて上陸するやつが一番やばい。室戸台風とか。

ていうかもう埼玉県なんだなあ。すごい加速だ。

[独言] サーバ代忘れんなァ

t/o


2014-10-15 [長年日記] この日を編集

[] こち亀100冊100時間無料

ORJでも同じことができると気づいて卒然とした。

(当然、503でダウンタイム9割というオチ)

[独言] 幸せを計る機械

n「幸せを計る機械を作ったら儲かるんじゃないかな」

受「幸せを計る?」

n「そ。手のひらをかざすとか、指を徹すとかでもいいや、そしたらその人の幸福度が表示されるの。『あなたはいま、幸福度76%です』とかさ」

受「はあ」

n「幸福って絶対値じゃ表せないと思うんだよね。いくらお金があったって足りないのと同じさ」

受「金持ちにとっての1万円と、変臭長にとっての1まんえんじゃ、幸せを感じる度合いも自ずと違ってくるでしょうしね」

n「そういうこと」

受「でも、それで幸福度がわかったとして、何かうれしいことあるんですか」

n「ものの価値を逆算するのに使うんだよ。『金持ちが1万円受け取った時の幸せ』と同じくらいの幸せを感じるにはどれくらい包めばいいか。幸福度10%の額を包めばいいわけさ」

受「はあ」

n「モフモフの犬を抱きしめて、そのお腹に顔を埋めてぶわっさぶわっさした時の幸福感を、お金に換算するといくらくらいになるか、とか」

受「お金の話ばかりですね」

n「わ、わかりやすいようにっていう例えだよ、例え」

受「私は「いまどれだけ幸せか」なんて知りたくないわ。ましてや%なんて」

n「どうして?」

受「幸福に上限があるなんて思いたくないですもの」

[ORJ] ううむ

503祭で進まねえ。

まだなおらねえ@23:00

pdfはだいたいできてるんだけどな。リーボが仮のままだ。

発行したぞという既成事実のためだけのトップページ。無料記事だけダウンロードできる状態。あれcoreにコピっただけで機能するよう作ってあったつもりなんだけどな。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ ゆうさん [>受「幸福に上限があるなんて思いたくないですもの」 素晴らしいじゃないですか。 ところで500GのHDDの幸福度はあまり高くなかったのでしょうか。]

_ nagajis [ああっ、すみません、ほしいですっ (取りに伺いますので後日改めてご連絡します~)]


2014-10-16 [長年日記] この日を編集

[ORJ] というわけで

503祭が片付かなかったので一部未完成のまま発行したぞ。祭りが収まったらwww.the-orj.orgから普通にDLできるはず。リーボ以外は。

15日発行縛りははるか昔に誰かさんのせいでできなかった時点で有名無実化してるからなー。はっはー。

せめてspamで連絡しとこうと思ったのだが、あれもブラウザからなのよな。そのうえcoreじゃ動かねえ。DLとログインとスパム、coreで動かせるよう修正しておこう。面倒くさい人は放置で。

[独言] 友ヶ島の桟橋破損

今回の台風で桟橋が破損したため渡航不可能になったそうだ。観光協会にとっては災難でお見舞い申し上げるが、対策を考える時間的余裕ができたと前向きに考えてはいかが。

まったく、あれを最初にアニメと結びつけたのはどこのどいつのどんな脳味噌だろうね。嘘を被せて都合よく解釈する愚はいいかげんやめてみ。んでそういう食いつきやすいキーワードはマスコミも喜んで使うから正フィードバックがかかりやる。一部はルールを守ったってそれ以外が8割9割じゃどうしようもなかろうもん。そういや今日のNHKラジオ第一でその系のニュースが流れていたが9割の耳には届くこともないだろうし、そもそも元凶がどこにあるか理解してるのかしらんという感じだった。どの口が言うか、っていう。

但馬竹田の竹田城阯も同様に哀れ。入山制限するというニュースが数日前から流れていたのに当日400人が追い返されたそうだ。「もっと告知を徹底してほしい」なんてよく言えるな。全国紙すべてに告知広告でも出せってか。TVのゴールデンタイムにCMしろってか。全国全てのJR駅に竹田城阯入山制限しますってポスター貼りますか。それでも「見てなかった」言うだろうな。

↑蔵書点検日に図書館に行きがちなnagajisがそう言った。

[独言] 首残り

首の凝りが取れず鼻奥のカラカラもママのまま今に至る。葛根湯を幾らも飲んだが抜本的な解決にはならなかった。はてどうしたものか。 栄養のあるものーーー例えば吉野家の牛丼とかーーーでも食って寝るしかねえか。

[独言] ネタ

そろそろレンジ回りの掃除をせねばならぬ。まずはそこからだ。あとはぶっつけ本番でいく。でないと時間がない。できんかったら2枚で提出するまでだ。

[独言][ネタ] 金鵄道路

戦時中に計画されていた中部横断道路(の構成要素)。金沢からブナオ峠越えて県境越えて鳩ヶ谷まで。鳩ヶ谷からは越美西線までバスが通っていた。ブナオ峠は富山大学サイクリング部のTTコースかトレランコースでなかったっけか。あのへんも一度行ってみたかったな。

「金鵄」などという大層な名前がついているから大きな企画物かと思ったがそうではなかった。要するに金沢と鳩ヶ谷を結ぶから金鵄なのだ。語呂と語感だけでものにしたような報文だ。

[独言] 「オデッセイを歩く」反省会

全ページpsdで作ったのでこれだけで29MBにもなったのは遺憾である。加えてページごとのファイルで作ったせいで、繋ぎ合わせて初めて貫く芯がないことに気付いた。前に書いたのを蒸し返して書いていたりナニしたり(前半なしでも意味が通じるようにという狙いも若干はあったけれどもな)。.qxpとか.inddのように全ページを見通せるフォーマットで作るべきだったな。最初に書いたテキストは作りながら加筆訂正全書き直ししたので上記問題点を解決してくれるものではない。

山場をもっと強調すべきだった。絵面が全然変わらないため起伏なしで終わってしまう。それにくどい独白がついているものだから、そのくどさが余計に目立って仕方ない。そうなるだろうとは思っていたがじゃあどうするかが思いつかなくて結局そのままになった。ポップアップでなしに地図ベタ張りで入れるべきだったのかも知れないな。それで万事解決とも思えないけれども。イメージとしては白背景文字のみページくらいの切り替わりが必要だったはずだ。

梅田駅拡幅を詳しく書かなかったのはそれでいいんじゃないかと思う。どうせ知らないことなんだし、実際を体験している人もあるだろうし、脇道を長くすると迷子になる。

「梅田ダンジョン」の揶揄のことはもうちょっと触れるべきだったと今更気づいた。冒頭導入で触れておくべきだ。阪急百貨店、阪神百貨店の位置づけも。

大阪北部限定のことかも知れないが、阪急百貨店は中高年の間で非常に高く格付けされている。それ以外と阪急とではスーパー玉出と成城石井くらいの格差がある。阪急のお中元・お歳暮というと非常に喜ばれるし、お世話になった方へ商品券をプレゼントするような時でも、 寸分も変わらないものがダイエーやイトーヨーカドーのサービスコーナーで買えるにもかかわらず阪急百貨店へ行って買うと聞いたことがある。阪急の包装紙で包んでもらうためだ。大阪ぐらしが長くなった自分でもそういう感覚は持ち合わせていない。

[] 石光真人編著『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』

古書の箱に埋もれているのを発掘した。明治後期〜昭和にかけて陸軍軍人として高い位にあった柴五郎という人物が書き残した半生記(を編者が本にまとめたもの)。明治維新の際に会津藩が嘗めた辛酸のほどがよくわかる、そして幕末〜明治に生きた人間の強さを知ることのできる書。遺書とあるのは五郎老齢の汀になって書き留めたものであるからで、菩提寺に納めて父母の供養とするつもりのものだった。それがあれこれの紆余曲折を経て世に出た。昭和46年のこと。

会津藩の武士の子だった柴五郎は、幼少の砌に戊辰戦争に巻き込まれ、一夜にして「ただの子」もしくはそれ以下の身になってしまう。捕虜として東京に護送されたり下北半島に入植して辛酸を嘗めたりした末、青森県庁雇(だったっけ)となったのを足がかりに立身出世してゆく。最終的に陸軍の幹部になるが、その行程に平易とか幸運とかは一切ない。与えられたのはきっかけだけで、それをものにしたのはすべて自分の力。何のために? すべては薩長の芋侍を見返してやるために。故郷で待つ父のために。戦争で自刃し果てた母親や姉妹のために。

誰しもひとかどの人物になりたいと思っているだろうけれども、実際になれるのは一握りの人間だけで、どれだけ信念があるか、義理を抱えているか、恩に感じているかによって、その一握の砂の粒になれるかどうかが決まる。昔の人には嫌でも背中を押してくれる存在があって大きかった。家とか身分とか所属する藩とか。そういうものに対する恩義?務めを果たさなければならぬという強迫観念的なもの?にドリブンされていたから明治人は強かった。いつかは薩長を見返してやるのだ、家を再興するのだという思いにすがって、極寒の掘っ立て小屋の中でただ黙々と縄をない、縄をない、口惜しさを噛み殺して生き延びた。犬を食ってでも生き延びた。そういう強さを誰もが持っていた時代だった。

今は人が強くなくても生きていける時代だ。なんとはなしに生きていても命を繋ぐことくらいはできる。守らねばならない家も名もない。地位ある人間は多少その座に拘泥するかも知れないが、例えば自分のようにそれすらもなければ「ただ生きている」ことに罪悪感も焦りも感じやしない。あるいは、さくっと落伍していずこへか消えてゆくだけだ。その屍すら省みられることもない。気楽なものである。

最低限しなければならないラインもずいぶん下がってきた。「家」を守る→「妻子」を守る→独り身ならば「自分の自尊心」だけで済む。それすら不要と言われるような昨今だ。何を拠り所にすればいいのやら。だから早いこと己の芯を見つけなければならないわけだ。

見つけられなかった人間は微温湯から抜け出せない。熱くもなく冷たくもなく刺激もない湯に浸り続けて、真っ白にふやけてしまうか、飛び出した途端に湯冷めするかという結果しか待ってない。

「守らなければならないもの」かあ。おれは(表向きは)身ひとつだけだものなあ。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ あきら@大阪 [JR東海道線磯野橋梁と言うか、あの名前も知らない煉瓦巻き無くなったのか。合掌。 今回の見出しで知った。だからと言ってORJ買わんけどw この日の柴五郎遺書の話というか感想が面白かった。面白いと言..]


2014-10-19 [長年日記] この日を編集

[独言] 風邪悪化

罰が当たったのだろう。朝起きたら咳が痛い。血が出るかと思うような謎の痛み。鼻はほとんど止まっているのだがたまにすすって咽たりすると氏ねる。時間が経つにつれて体の末梢部位が痛み始めた。喉に始まった痛みが体の隅々に行き渡っていく感じ。あとちっとで治りそうな気もするのだが進行が遅すぎる。

[奇妙なポテンシャル]

画像の説明朦朧としながら葛根湯を飲むのに使っているカップ。このあいだ四天王寺さんで購入したものだ。

コップの表と裏で物語になっているようなのだが、わかるようでわからないモヤモヤする内容になっている。こちらの側にはカウボーイ姿の少年。右手に銃を持っているのだが引き金に指はかかっていない。手のひらで弄んでいるという風。光の具合でよく見えないが「ワン!」「ツー!」といっている。

中央に猫がいる。そうして万歳をしながら「クワバラクワバラ」といっている。少年の銃の扱い方がぞんざいで暴発しそうなのを怖がっているようにも見えるのだがしかし「クワバラクワバラ」はないだろうと思わないでもない。よほどの年代物なのだろうという推測の鍵を与えてくれるだけだ。

左の木には芋虫らしき緑の物体がぶら下がって明後日の方をみている。特に危機感は感じられない。最初にこのコップを手にした時、この場面だけで話が完結しているものだとばかり思って「芋虫打つつもりなんだな酷いなこの少年顔色悪いくせに」とか思ってしまった。

画像の説明そう思って手に取ったら裏に続きがあった。ブーツを履いた女の子が二人顔を突き合わせて「アタルーカシラ?」といっている。と思ったら違った。「あたるのかしら?」だった。んで右に瓶が置いてある。

どうもこの瓶を撃とうとしているようなのだ件のカウボーイ君は。女の子を前にしてカッコイイ所を見せようとしているらしいのだ。けれどもその腕前には疑問符がつきつけられている。そういう一連の場面。

まずもって、こんな場面を絵に書いた理由が謎。そういう場面設定を思いつくのはいいとして絵に書くまでに至った理由が知りたい。それがナウなヤングにバカウケすると思ったのだろうか。

見ているうちにこの瓶と女性の近さが気になってくる。手腕が 怪しまれるのにそんな近くにいて大丈夫なのか。しかもこの絵の正面から打つとすればまだ被害は起こりにくかろうがカップを一周して撃とうとしているようだから外れても当たっても女の子のどちらかに当たるのではないだろうか。だから猫が「クワバラクワバラ」と言ってるのか。いやいや止めろよ猫。芋虫も我不関を決め込むな。つぎの「スリー」の掛け声とともに阿鼻叫喚の巷が現出するのだぞ。

などということを考えさせるカップである。


2014-10-20 [長年日記] この日を編集

画像の説明

擬似立体視ができると思ったらキモいだけだった。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ あきら@大阪 [先生!これアカンやつや!w]

_ nagajis [うん、何度見てもキモい・・・酔いそう。]

_ ゆうさん [地震みたいだ。 立体的に見えなくもない。 でも不安定さが勝ってしまう。]


2014-10-21 [長年日記] この日を編集

[独言] やけどした

ビーチコーミングの成果がおはよー牛乳だと看破したあとで晩飯を作ろうとしたら左手小指をやけどした。熱していた油がべちゃっと撥ねてかかったのだ。ひさしぶりにこんなにやけどした。風邪がようやく抜けかけたと思ったらこれだ。ついてねえむいてねえ。

オロナインH軟膏なんてない、グリスでも塗っておこうかと思ったがモリブデン中毒になるのもいやなので止めた。そのうちジンジンしはじめて泣きそうになったけれども、気がつけば我が家には冷蔵庫があったのだった。氷水で冷やしてみると確かに効果があった。ありがとう文明の利器。ありがとうnさん。

翌日、すりおろしたジャガイモで湿布するとよいとYさんに教わった。塗ってラップで巻いとくのだそうだ。アロエよりも効果があるということだったので次回やけどした時には試してみようと思う。いまなら諸般の事情によりジャガイモが大量にある。

件のやけどは水ぶくれに発展した。直後に冷やしたおかげかそんなに広範囲にはなっていない。

[独言] そうだったのか

以前から念頭にあって気にかけていたつもりでいたものが、別件を書いているうちに不意をついて連綿してきた。そうかあの廃道が五條への搬出を可能にしたのか。主塔よりもそちらが重要だ。

路線バスの開通:風屋まで昭和7、山崎まで昭和12(ちな折立橋昭和9)。ちょうどその頃に滝川森林土工協同組合の設立と山五隆興とIさんの証言が直交する。川下に向かう主塔はさほど働いていない。そっちは管・筏流。製板された材はトラックで五條へ。おそらく阪本から大和索道で。だから二見にトオモッキョウの倉庫があったのである・・・!!!

[独言] そうか

そういう発見があるから面白いんだ。自分で見つけた課題があって、その答えを自分の力で見つけ出すのが楽しいんだ。与えられた物語をただ消費してゲラゲラ笑ったり賢くなったつもりになったり人間本性の深淵に触れたつもりになったりするよりもはるかに面白い。虚構や匿名を盾に好き放題書き散らすよりもはるかに生産的。惹きつけて止まない魅力がある。敢えて愉しみとは書かぬ。ちいと捻った気になって何百年も使われてきた言い回しを使って悦に入るような愚はしたくないからな。

そこに焦点があるから別に廃道でなくたっていい訳である。煉瓦とか隧道の建設方法とか土木史とか産業考古学とか。ただ道のほうが物理的構造的に連綿していて意外なところで相関しやすく発見がネットワーク化しやすいので対象にすると面白く広がりも出る。身近な道ばかり興味があるのもそれが今の生活と大きな係数αで結びついているような気がするからだ。なある。

ついでにいうと、発見なんていうてみたけれども、数年前数十年前の現実でしかなくて、探せば簡単に答えが出てくるものだ。その努力をオシムか吝まないかというだけの違いしかない。しつこく追いかけてるかどうかの違いしかない。ちなみに廃道趣味を「わからないしわかろうとも思わない」とか宣った単細胞な即物主義ライターがいたことを忘れていない。あっちはそんな愚な発言をしたことなど忘れて同じような物言いをしていることだろうが。プゲラ!

[独言] というふうに

今まで何度もしたはずのつまらない気付きにエウレカを重ねてみたり無性に怒りが湧いてきたり忙しい今は要するに冴えた頭を疲れさしてはよ寝たいと思うゆえの自暴自棄である。これもまあ代わり映えしないっちゃあ代わり映えしない暮らしで、まあ好ましい。好きなことが好き放題にでき、誰にも影響しないということはいいことだ。


2014-10-23 [長年日記] この日を編集

[独言] 疲れた

今日(22日)は朝から歩いたり2時間暇つぶししたり胃がキリキリしたり大変疲れた一日だった。ここで国玉区暇があったらKINIASのひとつでも更新しろってんだ>永冨

なんば古書センターで絵葉書を購入。つぎは吊橋やるんだったな、と思っていたところ運良くかずら橋の絵葉書しかも側面景が入手できた。3枚100円なので四天王寺産よりもお手頃。受付に高く転売するつもりでいる。

それにしてもしんどいなあ・・・一度しんどいと思ってしまうと際限なくしんどくなってしまう。どっかで断ち切らないとと思い無理してでもサイトを更新した。たった数十分の作業じゃないか。え。

[絵葉書] 日露国境碑

画像の説明

明治神宮外苑聖徳記念絵画館の壁画だそうである。ここに上げた理由は受付に聞いてくれ。

[絵葉書] 展望エレベータ二題

画像の説明

明治43年(1910)年に完成した和歌山県和歌山市は和歌ノ浦の展望エレベーター「望海楼」。漱石さんも乗ったそうだ。

画像の説明

こちらは三重県鳥羽町(当時)にあった日和山エレベーター。昭和9年竣工。鳥羽駅前から高さ50mほど上昇して展望地点へ。

どちらも同じような立地で同じような形をしているのが面白く感じた。ただそれだけで購った絵葉書。

[独言] 芝山トンネル封鎖される

コンクリートで蓋されたのだそうだ。あんなばかばかしい事故が起こり、その前にはあすか撮影のばかばかしい撮り鉄が列車運休させて、そりゃJRも対策せずにはおれんだろうと思う。もともとJRはこの手の遺構に冷淡だ。JR西は特に。

まったく、産業遺産って何なのだろうと思う。企業活動の遺物の価値は誰がどう評価すれば定まるのだろう。所有者は要らないと言っている。邪魔だといって蓋をする。その行為に対して所有者以外が口出しをし、保存・活用を訴えることが果たして良いことなのか。意味があることなのか。所有者だけのものに非ず、社会に大きな影響を与えたモノだから社会が声をあげるのはまだわかる。社会のコンセンサス不在のうちに余計な闖入があり事故が起こり塞がれて元機能を失う。そうしなければ所有者が困るからだ。その困るのを無理やり止めさせることが良いことなのか。

産業遺産は保存されるべきだと心の底から掛け値なしで叫ぶことができない。産業遺産というものへの信心が足りないからか? TICCIHは産業革命の遺構・遺物の素人研究から始まった。自国の産業革命が全世界に及ぼした影響が大であり功績があると信じてのこと。では、極東の島国に本国に遅れること約百年後にようやく波及してきた 産業革命の痕跡を、近代化遺産を、研究し、調査し、保存を訴えていくことの意義は如何。ニッポンの産業遺産の価値や如何。活用する気のない企業にとってはただの厄介者でしかなく、一部マニアの弄び物にしかなってない現状を欧米の産業遺産と比較してしまうと、なんか格が違う感じがして、大手を振って主張できない。「いいものだ!」と叫べない。残したところで「観光資源に「しかならない」」現状を、さんざん見せつけられている。

見方が違うのだな。遅れてやってきた産業革命のお陰で、日本は短期間のうちに列強と肩を並べる国になれた。高々40年ちょっとの期間で近代化を完了した。本家が示したお手本を忠実に&貪欲に吸収してものにしたから本家よりも短期間で済んだのだ。産業革命の余波とは書いたけれども、震源から遠ざかるほど高くなる津波のようなイメージかも知れない。そうして過去をすっかり洗い流して、跡地に違う日本を残していった。日本の近代化遺産は産業革命の到達点としての価値はある。

そのことはまあ価値があるだろうけれども。戦争に負け、過去がすべて誤りだったと反省した時に、それまで水に流してしまったきらいがある。して、昭和20年以降の現代的発展ばかりが「どん底からのV字復活」「ものづくりニッポン」的な捉えられ方をされ賞賛の対象になっている。だから戦前が霞んでしまうんだ。今更富岡や八幡製鉄所を持ち上げたところで・・・という諦め。このシラケムードの根源はその辺りにありそうな気がする。それ打破するために世界遺産化しようとしてるのだろうけれども、なあ。余りに泥縄過ぎる。

ドイツの人は自国の産業遺産をどのように捉えているのだろう。全く同じでないにしても参考になりそうな気がする。


2014-10-24 [長年日記] この日を編集

[道路元標] 大阪市道路元標訂正

以前ここで大阪市道路元標のことを書いたけれど、ちょっと認識が間違っていた。昭和57以前の道路元標も現元標と同じく梅新交差点の北西角にあった。

画像の説明

第1ビル建設が始まった頃のダイアモンド街。梅新交差点の南東角のビルから写したものだと思われる。手前の富士銀行が現第3ビルの角、左奥に建設中の第1ビルがある。区画整備が再開される以前はこんな感じで不法占拠の木造家屋が密集していた(そんなところによくこんなでかいビル建てられたな、富士銀行)

画像の説明

してその富士銀行の前に旧道路元標らしいものが建っている。頭の丸い所だとか、台座が縦縞模様に見えるところなんかは以前掲げた写真にそっくりだ。

ただし、上の俯瞰写真を拡大すると下のになるというわけではない。上は第3ビルが出来る前で、下のup写真には第3ビルが写っている。時間的にちょいとばかり隔たりがある。なおかつ碑の位置が変わっている感じ。碑と第三ビルの間が結構離れているから第三ビル工事の際に交差点角に移されたんじゃないかと思う(そのせいで前回道路の南側と勘違いしていた)。

画像の説明第4ビルまで完成したあとで国道2号が拡張されている(昭和54~)。その時第3ビルのある区画が少し切り取られて国道2号の一部になった。上の図はダイアモンド街の上水道の図だが、○つき1点鎖線が区画整理対象区画を示す線で、それが国道側にはみ出しているのがわかる。最初このような形に区画整備されていて、そこに第1・第2ビルと南辺ラインを合せる形で第3ビルが建てられていた。区画の南辺~南東角が余る格好だ。そこに旧元標があったものだから、撤去して新しいものを置いたという次第のよう。

以上、大阪市都市整備局『大阪駅前市街地改造事業史』+nagajisの想像より。写真も同書から引用した(旧標up写真除く。それもこの本に載ってる)。

[独言] HDDいただく&飲ませていただく

久しぶりにアルコールを摂取したのでふらふらしながら帰った。まだドーチカ辺にいるつもりになっていて、目の前の道路を渡ったのだが、違う違う、それは梅田新道だ。地下街を通って行っても良かったのだが、そんな成り行きと酔いざましのために地表を歩いていくことにした。

梅新交差点の歩道橋からダイアモンド街を見渡し、上記のことを思い出し、そして地下街のことを想像した。足元にあるはずの巨大な空間のことを。自分が今日経験してきたような飲み食いが、完成から今日に至るまで毎日毎日飽きもせず繰り返されているはずのその空間。快活な笑いやら深刻な話やら罵倒やらゲロやらが30数年間絶えることなく撒き散らされてきたのだろうなと思い、それが大阪の核心の一つなんだなと思うと、妙に愉快な気分になった。大阪ばんざい。混沌ばんざい。と。

そんなウメチカを通って行っても良かったのである。だが敢えて地上を歩きたい気分だった。地下街を体感することなく、あの区画は昭和50年代、この区画は梅田地下センター第一期工事の産物、と、隅々までお見通しなのだぞというつもりになって歩いていった。

何のことはねえ、薬師寺五重塔を敢えて無視して歩いた司馬遼氏の真似だ。そうして結局曽根崎警察署の角からノースモールに入っていったnagajis。

昨日はばたんきゅーで検証できなかったが今日接続して無事動くことを確認した。ぽこぽこぶつけたから心配だったのだ。これで空き容量を気にせずORJ作り続けられる。有難いことである感謝である。

[看板] @舞鶴

画像の説明

受付撮。いろいろなところに鑑賞のポイントがある。例えば冒頭の「ウェーデング」。「ィ」がねえよ!と笑うのは下衆である。左下の囲みの中では「ウエーディング」になっていることに注意せねばならない。作者はちゃんとわかっているのだ。Weddingであることを。むしろ当時はどちらでも良かったのだ、そんな細かいことを気にするようなやつはバカだ、結婚式の晴れ着のことを書いていることが伝わればよいのだし読み手もそういうものだと汲みとるリテラシーがあるのだと認識したうえで「ィ」を省略しているのだと読まねばならない。省略した理由はただ一つ。左上のスペースに収まりきらなかったから。あと「ィ」まで入れると左8文字右3文字になってあまりにバランスが悪い。

「エレガンス」というそのまんまな店の名?商品名?はまあいいのではないだろうか。形容詞「エレガント」を間違えて使うよりはるかによい。

が、右囲みで喪服の仕立ての宣伝をやっているのはちょっといただけない。この囲み空間だけが異質なものになっている。しかも喪服で個性出しちゃいかんだろ。そればっかりは過去のある時期の一傾向とも思われないし思いたくもない。

あと、冒頭の「ウェーデング」のカッティングが風化つつあってちょっとこわい感じになっているのがいたたまれない。この文字を切り貼りしてものを吐くカットに貼り付けても違和感がないだろうと思う。

[奇妙なポテンシャル] @那智

画像の説明

那智大社の駐車場の辺りにある看板。無駄にでかい画像なのはご容赦を乞う。道路の法面にこれだけがぽつんとある状況を伝えるにはこうするほかなかった。

場所が場所ゆえに「滝」が那智の大滝を指していることはすぐにわかる。くだくだしい説明を省いた秀逸な省略と思えた。けれどもよく考えてみるとまったく用をなしていない。那智の滝(滝坪近くにある飛瀧神社; 一般に滝へ行くといえばこの神社へ行くことを指している)は駐車場から下ったところにあって、それは看板のぎざぎざの矢印が指し示すとおりなのだが、目標の滝は下にあるわけで、となると看板の「滝」の文字は矢印の下になければならないだろう。看板通りに取れば滝から下へ階段で降りていくことになってしまう。

それでもこれが那智大滝への道を示しているのだと直感的に理解し、ツボを突いたよい看板だと思ってしまったところにポテンシャルを感じる。滝という文字や矢印の配置はどうでもよくて、ただその2つがありさえすれば脳内で勝手に翻訳してくれるものなのかも知れない。例えば右上の離れた所に「滝」の文字があっても事足りるのではないか。

「滝」の文字が階段を降りていくように見えなくもない。ひょっとしたら「滝」は私自身かも知れない。「滝に行こう、滝に行こう、滝滝滝」と滝のことで頭がいっぱいな、あるいは空っぽの中に滝のことのみ入っている状態の観光客の表現としての「滝」なのかも知れない。あ、滝って書いてある。階段状の線と矢印が書いてある。降りていけばいいのだな。的な。

いずれにしろ今一つな感じが拭えない。これだったら島唄の歌詞の可視化のほうがはるかに写実的で正確だ。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ ゆうさん [遅くまで飲んで仕事に差し支えるのは 素人だとかつて上司にいわれたことがあります。 でも、なんについての素人呼ばわりしたのでしょう? 酒飲み素人だといいたかったのでしょうかね。]

_ nagajis [まさしく私のことですね! (仕事には差し支えませんでしたが(笑))]


2014-10-26 [長年日記] この日を編集

[D] 10/25

詳しい内容を忘れてしまったのだが、世界を救う的なことであったか積年の誤解を解くだったかですっかりいい気分になるという珍しいタイプの夢を見たのだけれども、最後の最後がこれ以上ないという位にひどかった。

お世話になった家で話し込んでいるうち、尿意を覚えたので、ちょっと席を外して厠へ行った私。しかし便器の前でいきんでも出るものが出ない。下腹部の辺りに力を込めてようやく捻り出したところ---それはちょうど目の詰まった細口のマヨネーズ容器をむんずと掴んでその圧力で噴出させたような勢いで出た---、何故か尿の放物線が2筋で、しかも赤い。痛くもある。えっ、と思って自分のものを見直すと、亀頭の尿道の5mmほど上に小さな穴が開いていて、そこからもぴゅーっと出ているのだった。「ひいっ」と小さく叫んだ反射で尿は止まったけれども、開いたもう一つの尿道は厳然としてそこに在る。

なんだこれは。なんでもう一個開いているのだ。本来の尿道の先っちょが塞がっていたせいで別のところが裂けたのか。それとも怪我か。さっきは血尿が出ていたが穴から血がにじみ出ているようなことはなく、しかしその周囲がカシス色にぬめっている。いかにも粘膜然としている。2口になったのはまあいいとしても、いちいちいきまなければならないのと痛いのはかなわんぞ。どうしよう。こういうのは泌尿器科なのか。それとも外科なのか。

ここまできてハッと気づいた。これは夢だ。夢に違いないぞ。尿が出にくかったのもそのせいだ。と思い至ったところで目が覚めた。前半の幸せな気分が全く以て台無しになった。

なお、幸いなことに就寝中に漏らしたりしてはいなかった。その危険を知らせるべくな夢であると考えればnagajisGJなのだが(実際目が覚めて非常な尿意があった)、それにしても加減というものがあるだろう。年を重ねた結果奇っ怪イメージへの耐性がついているとはいえだ。

[独言] そうなのか

画像の説明どの神社だってそうじゃね? と思って撮った写真。使わないと撮ったことすら思い出せない。


2014-10-28 [長年日記] この日を編集

[独言] ねる

明日に備えて英気を養うべく寝る。寝るったら寝る。

なんとラーメンにチャーシューを8きれも入れてしまったのだ。贅沢なのだ。

結局読んでしまったじゃないか。

[] 『悪文(第3版)』(岩淵悦太郎編著・日本評論社刊)

いわゆる「美しい日本語のほん」である。自他ともに認める悪文書きなのでそーゆーのを読んで勉強したらどうかと思わないでもないのだが、読んだら読んだでショックで立ち直れないに違いなく、何より読んだ程度で治るわけがないという確信めいたものもあったから、意図的に避けてきた。なのにこの本を読んでしまったのは、古書棚にあるのをたまたま見つけたことと、まさかこのタイトルでそのような内容だろうとは思わなかったこととによる。要するに暇つぶしに手にとってみたらそんな内容だったということだ(悪文の見本)。

読書の効果の程はさておき、中々面白い内容だった。通常この手の本だったら「よい見本」を示して教えてくれるものだと思うのだけれども、そうじゃなく、タイトルの通りの悪文がこれでもかという位に列挙され、ここが悪い、そこが悪いとあげつらわれる。例えばこんな感じ。ある飲料の広告だそうである。

新発売!

舌でまさぐる宇治の香りに 平安の昔が偲ばれる味です 異国の方にはグラスの底からショウ七リキの音が聞えてくるそうです またお若い方にいわせると十二単重の胸元から 豊かにこぼれる現代女性のにほい そんな酔心地です。

確かにこれは気持ち悪い。飲み物の風味を味わうのに「舌でまさぐる」という表現はどうかと思うし、宇治=平安時代という等式を成立させようという誘導も苦しい。宇治茶を飲んでいちいち平安貴族気分に浸れる人がいるものか。ショウは笙、七リキは篳篥なんだろうと読み解いた苦労は異国の方限定で腰砕けるし、 十二単重はかろうじて「じゅうにひとえ」のことだとわかるけれども何だか単位重量のことを言っているみたいだし、そのくせ胸元から現代女性の薫が漂ってくるという時代錯誤で混乱が極まる。挙げ句の果てに「そんな酔心地です」と逃げられる。さっぱりわけのわらない比喩を並べておいて「そんなです」はないだろう。筆者も「普通の文章の常識をはずれている」と評している。

てな感じで文章を批評するのは簡単なことなのだ。揚げ足を取り、ペケポンをつけて突き放すことは素人にだってできる。この本のえらいところは悪い理由をちゃんと教えてくれるところだ。時には添削だってしてくれる。上記の場合はさすがにさじを投げた格好だったけれども、思いついたイメージや通りのよい言葉をつらつら並べただけの例としてあげているので、それがよくないことだということはわかるのだ。

そこなんだよね。難しいのは。自分が書いた文章を読んで、なんか気持ち悪いなと思えたとしても、ではどう直したらいいのかがすぐにはわからない。当たり障りなく書き直せば新聞記事か報道原稿か、ってな体裁になって、するする入ってするする抜けていく。一生懸命直してみるものの、何度もその一文を読んでいると頭の中に流れが出来上がってしまって、省略してはいけない部分が省略されていたり、論理が飛躍していたりすることに気が付かなくなってくる。気が付かないというよりも不感症になってくるといったほうが合っているかも知れない。そうして力尽きて「もうこれでいいや」となってしまうのだ。あ。なんかすごくぎこちないのは本の影響があるからです。そういう時はしばらく放っておいて、間をあけて読み直すことにしている。そのうち何とかなるだろうという魂胆。もしくはゼロから書き直すかだな。どうせ脳味噌は有限なんだし、捻ったところで100%逹意なものになる見込みはないのだし。

あと、自分がよく読む文章がこんな感じなものばかりで(戦前戦後の雑誌だとか本だとかが圧倒的に多いことに最近気づいた)、そこから真意を読み取るようなことばかりしてきたから、この手の悪文に寛容になっているというのも良くないのだと思う。美しい日本語とやらに拘泥して悪文を目の敵にしていると本当に得たい情報まで切って捨てることになる。悪文の中から書き手の主張なり気分なりを読み取れるようになったほうがなんぼか有益なんじゃなかろうかねえ(自己弁護)。

「文章は人に伝えるために書くものなのだから、わかりやすく、伝わりやすく書くべきである (とかなんとか) 」という言葉は耳が痛い。そんなことわかっておるのだ。書くだけだったらここだけで用は済ませてあるのだ。くそ。びっぐしっと。と反抗する気概が残っている辺り、そんなに影響されていない証拠だろう。良かった。それを一番心配していた。今後も大手を振って悪文を書こうぞ。


2014-10-29 [長年日記] この日を編集

[ネタ] でけた

うはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは。うは。うはははは。うはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは。うははは。うはははははははははははははははははは。うはうは。うはははははははははははははははははははははははははははははははははははははは。

製作に9時間、食い切るのに2時間半かかった。今後の課題である。あと毎回計算が合わないのはどうかしている。側壁が低すぎたのだ。ほんとうは4段積まなければならなかった。

[] 長岡新吉「産業革命」(教育社歴史新書)

あまり聞かない新書だったのだが、ピンポイントで興味のある分野に刺さってきた。標題の「産業革命」は我が国の明治以降の急激な近代化を指して用いられているもので、要するに日本の近代化の歩みを教えてくれるものである。日本の近代化の過程を「産業革命」と呼ぶことの是非は今でも時々議論になるのだけれども、この本は1979年第1刷(手元にあるのは1980年第2刷)なので、かなり早い時期からそんな捉え方があったということになる。

著者は経済学の先生で、経済学の視点から近代化を分析しーーー産業革命によって日本に資本主義が成立したのだという視点からその時代の産業史をいようという容だ。自分にはいちばん欠けている視点なのでたいへん興味深く読んだ。

本書では我が国@近代で起こった産業革命として、紡績業、鉱業(石炭採掘)、鉄道業の3つを指摘していて、中でも紡績業に大きな比重を置いて解説がなされている。最初にガラ紡の発明があり、洋式紡績機の輸入と普及、その改良、中小紡績業の勃興と普及の陰に座繰紡績機の発達があった。そうやって生産した糸の質がたまたま諸外国の織物業の要求にマッチし(特にアメリカでの織物業発達に因るところ大という)、シェアを拡げていったこと。そんな紡績業の歴史を技術変遷も踏まえて細かく解説されているのがありがたかった。ただ単に安価な労働力を頼りに低価格の絹糸を作ったから売れたのではないのだ。

冒頭で宣言されているように「機構」の解説に結構力が入れられている。紡績機が均一な太さの糸を紡ぐために様々な工夫が凝らされていたこと(および機械によって紡げる糸の太さが違うこと)などはこの本を読んでようやく理解できた。ガラ紡とリング紡織機とどう違うのか、とか。もうちょっと動作がわかりやすい図だと良かったのだけれども、そこは出典を読めということなのだろうし、本来なら自分のほうがちゃんと知ってないといけない話題なんだよな。機構とか構造とかさ。

紡績業だけでもかなり複雑な経緯があって、一読しただけでは頭に入らない。 何度も読まないといけないな。そんなものだから、富岡製糸場の果たした役割をきっちり理解している人なんてどれほどいるだろうかと悪態をついてみたくなる。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ tyaffic [これだけ並んだ「は」の中に、ひとつだけでも「ほ」を混ぜないというところが、まさにnagajisクオリティ!]

_ nagajis [心の底から沸き上がる感情に嘘偽りだまくらかしを混ぜ込んでどうするのさ?]


2014-10-31 [長年日記] この日を編集

[独言] うむ

さんざん悩んで試行錯誤を重ねた結果、実質的には何も起こっていなかったということを確認しただけだった……。どういうことだ。削除したのがまた上がっているという認識が間違っているのではないか。だいたいあのフォーマットであげてもフィールドがあってないからacceptされるはずないじゃん。なのにAmazonは31万件処理したとか宣う。チェックの意味ないぞ。

というわけで処理が遅れてます。すみません>各位 特に小学校の先生へ。明日発送しますのでお待ちください(とここを見ていないに違いない人に向けてのメッセージを書くなと何遍言ったらわかるのか)。

[独言] そーゆーことか

一台だけ動きがめっさ遅いパソコンがあって、そいつにメインが動いているもんだから、他のパソコンの作業にも影響を及ぼしていた。プロパティ見たら2G載ってるくせにアプリ2つ動かした状態でオーバーしかけてた。どっちもJavaなんで余計にメモリ喰いなんだと思う。これでは動くもんも動かんだろ。

ということで、Sさんを唆して4GBに換装したのだけれども・・・32bitなWindows7だから3GBちょっとしか使えないのな。いまだにXpな自分はそうなることを知らなかったものだから「1GBどこいったん?」と悩んでしまった。オンボードビデオに持ってかれたかと思った(んなわけあるか。だいいちノートじゃないじゃん)。

とりあえず物理メモリ3GBでPF2GBちょいだからまともにはなった。それにしてもWindowsのメモリ管理は頭いいんだから悪いんだか・・・重くなったら途端に重くなってアプリ落とすのもできなくなるからなー。MacOS9はその点ちゃきちゃき終わらせられて回復できるからありがたい。でも開放されないメモリが多数。どこいっちゃってるんだろうな、あれ。

[] かいてる

地味にひととおり書いている。pdfにするのがまだ。たぶん前の書き方に戻っているので面白く無い。

[] Amazonが国立国会図書館デジタルライブラリー蔵書を100円で販売

一瞬「おっ」と思ったけれども、どうせ著名本とか絵的に面白いものとかばっかりなんだろ。自分が見たい統計書とか郵便路線図とかがあがってくるのは百年後な。だいいち元データからして腐ってるやつを直してくれたりはしないんだろ。うんこめ。

あと、Amazonに紐付けされるんだったら自分でpdf連結してつくったほうが精神衛生上よろしい。

[奇妙なポテンシャル]

「まんぎょんぼん」という言葉が頭から離れない。何かにつけて「まんぎょんぼん」と呟いてしまう。ひと仕事終えてふうとため息をついたあと「まんぎょんぼん…」といってしまったり、さあ寝るぞというウキウキした心情が言葉になってでてきた時に「「まんぎょんぼん!」だったりする。時既に末期である。

まんぎょんぼん。これは間違いなく強い言葉だ。オタフクソースは弱い言葉。オリバーソースは中くらいに強い。最強はハグルマソース。そんなヒエラルキーのかなり頂上付近にいると思う>万景峰

ああそうか。いま気づいた。町中で韓国語が耳につくのは強い系の言葉や語尾がおおいせいだ。アンニヨンハシムニダ。これは間違いなく強い。北朝鮮の国営放送がよい例だ。一方中国語は若干弱い。ニーハオなんてずいぶんじゃないか。


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