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旧道倶樂部録"

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1942-10-01 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月一日 木 雨後曇

田村教官殿より雨天に於ける第一時限の集合、五時限の集合おそしとて注意を全般に受く。要は時間厳守・攻撃精神にあり。苟くも授業をうくる者は教官殿より先に行き待たざるべからず。誕生日会。教練昨日に同柔道。二千米、鉄棒を存分になし、一時間を誠に有意義に過しぬ。
自習時間の利用不十分なり。考うるに第一自習に於て数学をなすは不可。余りに時間を用い過ぐるが故なり。依って数学は暇の時間になすを可とす。朝は主として独単語の暗記に適するものなり。
整頓棚及び冬服の消毒あり。


1942-10-02 五省 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月二日 金 晴

五省

一、大義に徹し専心本務に勉励せしや

一、淡白にして喜んで命令に服従せしや

一、気力に欠け校則に恥ずるなかりしや

一、然諾を忽にし情誼に欠くるなかりしや

一、質実剛健、進で汝〔難事〕にあたりしや

此の五ヶ条は本日定められたる反省時間の反省事項の特目なり。即ち黙念となるや灯を消し取締が之を声高く唱えるなり。
本務に邁進したり気力も旺盛なりき。終日前項に辱づることなし。特に感銘したるは質実剛健の四字なり。之なくば熊幼生徒に非ずの念を頭に置き行動せざるべからず。
月例身体検査
視力 右一・五 左一・二 身長 一六三・五 胸囲 八一・〇
体重 五一・四 呼差 五・〇
未だヽ不十分なり。よく噛むを主眼とすべし。運動班運動の交換駈歩は前に四回駈けあるに依り相当に鍛われたり。鍛錬々々にあり。予の理想は高橋の如き人間にあり。


1942-10-03 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月三日 土 晴

一品検査兵器に付きありたり。銃剣の柄頭を光らすは不可。生徒監殿の命には服従すべきものぞ。午後工作。作文は菊池氏論にして十分研究をなし菊池精神たるべきものを汲み取る。 天皇を奉じて大義に生く。忠の道なり。随意自習中心動揺して専心務む事を得ずして唯残念なり。


1942-10-04 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月四日 日 曇

今日は誠に剛健なる一日なりき。日朝点呼後剣術にて二本なし、後朝食までに、二千米及び懸垂十五回をなす。冷やかなる大地を履み、東天には当に出でんとする太陽を見て。服装検査後千六百を走り引き続き短距離をなす。十五時半より一年の短艇競走を指導し、後存分に九百米を駈く。誠に気力うちに充溢し剛健なりと痛感したり。門松と三時間に亘り奨棋をなし三戦三敗したり。実に残念なり。之より見て勝負事の娯楽はやり過ぎると遂には身を亡ぼす本になりと感ず。多数時間を費やし得る所なくつまらぬものなり。
昼間一切勉強せず。今日より運動会までは否々中期中寸陰惜しみて腕力を練るに務めんと思う。


1942-10-05 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月五日 月 曇後雨

朝二、三回(千二百米)駈く。運動方面の気力旺盛なるも学科方面の気力不充分なり。休憩時間と真剣なる授業中の態度と精神の転換を計るべし。此の点未だ不十分なり。
校長殿御注意
1、返事並に一般に声小さし。特に語尾をはっきりと。
2、授業中の姿勢不良。書く時は書き、書かざる時は姿勢を正して聴くべし。
3、授業中眠くなりたれば教官の許可を得て立つべし。
4、停止敬礼不充分なり。止りてより手を挙ぐべし。
1、2は特に厳守せざるべからず。之を我が三学班の風紀となし益〃向上発展せん。
十三時より堅実、後に血沈検査あり。


1942-10-06 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月六日 火 晴

予の欠点は集合がおそきにあり。思え二年前中学一年の三学期を、予も人間なり。此の性根を捨てゝ唯之のみに注意すべきなり。
今日より朝の掃除は自習室をも兼ぬることとなりぬ。然して此の神正なる道場を磨かん。掃除をなす事により自の心も磨れつゝあるものなり。
七時間目は執銃にて須屋方面の一里行軍をなす。左程きつからず。肩いたからず。然し変え銃をなして左肩に担える時稍痛さを覚ゆ。千二百を走る 4分30秒なり。未だヽ。
今日の切磋会は生徒監殿の御意図に従い未だ曾て無く徹抵〔底〕したる会にして正に志気旺盛なり。発点の余地未だヽあり。口にて言うより実行せざるべからず。

〔nagajis:「発点」は「発展」か〕


1942-10-07 シドニー特殊潜航艇勇士 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月七日 水 晴

修身の時間終了後校長殿の御注意あり
1、姿勢未だ悪く、いねむりする者あり。
2、目玉に威力なし。
共に精神を引きしむるべき御注意なりき。不動の姿勢は中に軍人精神充溢せざるべからざるものなり。要は緊張にあり。
代数の時間予科受験問題をなす。容易なり。如何なる問も軍事的なるを知る。田村教官殿欠勤されし故市川教官殿が火野氏の比島兵に就きての書を読まれたり。克く比島人の現在のあわれさを思わしめられたり。比島人にして国語を知らず英語にて語る等然り。午後愛校作業。千二百米の練習はきつきものなり。然れど之を制服してのみ喜はあるものなり。人に負けずに頑張るべし。
酒保行かず。修養と、きらいなりと二つの因ある故なり。
五月シドニーを強襲し敵軍艦を撃沈したる特殊潜航艇の四人の勇士が発表せられたり。海軍大尉中馬(ちゅうまん)他三名の勇者なり。二名将校、二名兵曹。将校の方は鹿児島と熊本の方なり。此の四柱はシドニーに於て敵英軍に依り薨儀が行われ、昨日日英交換船鎌倉丸にて横浜に無言の凱施をなしたるものなり。

〔nagajis:「凱施」は「凱旋」。火野葦平「フィリピンと兵隊」か〕


1942-10-08 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月八日 木 晴

昨日より気温4C゜下り冬になりたる感じしたり。然れどいまだ15℃乃至16℃と聞き驚く。歴史の時間は教官殿欠勤せられし故、両洋思想(民主・自由・個人主義)の発達に付き研究す。午後は 御左遣予行あり。我特別十三名の中に入り鉄棒(振り上り)をなすことゝなれり。当日失敗せざらん如く十分に練習せん。以後は明日の教育総監の兵器検査の為手入に眼をまわす。敏速に、且つ徹底して充分なさゞるべからず。


1942-10-09 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月九日 金 雨

教育総監の兵器検査あり。五時半起床し雨の為室内に準備す。昼食は検査官の大佐の方(広幼出身)と会食す。午後教室掃除・兵器手入・生徒監殿訓話あり。
雨の為心も常に無く暗く、行事も晴々しき課目無く、腕がむずヽし且つ運動をやりたき一心に居るも居れざる感のなす日なりき。日月は次第に、一刻々々と過ぐ。此の有意義ならざるべからざる日に無さゞるとは唯残念の至りなり。
米戦艦ミシシッピー(三万四千トン)は大西洋に於て伊太利潜水艦に依り撃沈せしめられたり。又我が護送船リスボン丸(七千トン)は南支那海にて米潜艦の為撃沈せらる。会戦と共に捕えし船にて、中には英兵数千の捕虜ありて内地に輸中なりしと。米の仏より購入せし豪華船(八万トン)は沈没しぬ。前者最高者豈喜ならずや。

〔ミシシッピ撃沈は誤報? りすぼん丸


1942-10-10 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月十日 土 晴

午後は愛校作業。黙々として実施したり。後青年体操あり。一・二・三年七人揃いて走る。競争(千二百米)は平常になくきつきものなりと感ず。又其の為の練習なり。
運動会に於ける他班の敵何ぞ怖するに足らん。予は当日の予想をなしては緊張し身震いする程なり。実に今から武者振いするなり。
母よりの手紙に依れば前田知成の家の後に転居したり と。以前よりの苦労かないてさぞかし嬉しき事ならん。
月曜に侍従武官御左遣の日は迫り明日の日曜に茂〔若〕し体を悪くする者あらばの儀に依り明日は火曜の授業ありて火曜日は代日休暇となる。今日は随意自習に非ず。
生徒監殿如何なされたるか今日は来られず。


1942-10-11 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月十一日 日 晴

平常通りにて火曜の授業あり。午後は愛校作業、其の前に明日出場する体操の者の予行あり。二千米を磯部さんに随い駈く。度を越さゞる如くなし前後の運動を怠る勿れ。光栄の日を明日に迎えたる今日誠に愉快に、一日を送りぬ。愉快に物事をなすは物事の能率上るのみならず有意義なることなり。
我が良友次第に出来つゝあり。然れど之を見るに、三より四学版の者が多し。同学班内に非ず、同訓内なりと雖も他班に多きは何物か語る。要するに三学班の者は明朗活発にして他人と交るにあり。多くの人と語りてより其の人の心を解するを得、依りて沈みがちなる三学班の友、進んで友と交し然して良友を選ぶべし。


1942-10-12 侍従武官御差遣 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月十二日 月 曇

今日こそ誠に光栄の日 意義深き日なりき。何となれば 天皇陛下には我が熊幼に侍従武官を御差遣になられ本校の教育を実視あらせられたるなり。
聖旨

天皇陛下に於かせられては将来国軍の根幹たるべき将校生徒の上に深く大御心を注がせ給い侍従武官を陸軍幼年学校に差遣わし其教育状況を実視せしめらるゝ旨御沙汰あらせらる

之は侍従武官九時半着校の後伝達されたるものにして我々は此の旨を慎んで受け、益〃意を体して本務に邁進せざるべからず。
先ず点呼後大掃除をなし、後冷水にて身も心も清め、晴々しく何時になき心持にて遥拝・奉読をなす。思うに元旦の朝の如き清々しき感にうたれたり。被服其の他すべて皆真新しき物を着用す。術科として二年は鉄棒をなす。それに予は光栄なる哉訓育班十五名の代表として肘掛け上りをなす。嗚呼彼の緊張振りは実に初めてなりき。之というも小学生時代よりなしたる賜と思えば恩師に対し一層感謝の念を忘れざるべからず。引続き本校伝統の精神の発露たるべき棒倒しをなす。会食、十三時御離校になられたり。嗚呼此の日 曩に、李王殿下 梨本宮殿下の御台臨をかたじけのうした以上に我等にとりては光栄の日なりき。明治四十年来の行事とて吾々は一層感激したる次第なり。
結びとして今日は正月の如き、否其以上に清々しさを感じたる日なりき。
御此の日を記念すべく樹を雄健台上に植う。木が益〃繁るが如く。
雨の中を運動会の準備として基本体操・青年体操をなす。
今日より一般に冬袴着用し、今日は随意自習なり。
記念すべき光栄の日一生涯忘れざるべからず。

1942-10-13 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月十三日 火 曇

(欄外「井内のお父さんの御命日」)

起床後青年体操の教育ありてより後中距離を走りぬ。外出す。渡辺と吉田と三人にて撮影に行きぬ。岩田先生に送らんが為なり。昼飯は近頃になく欲を感じぬ。食いたき時は共に多く食し、体力を養わざるべからず。此の調子なれば腹工合も克く一層食欲旺盛とならん。午後は紫帽を被り運動班全員揃いて練習なり。走るも今日にて終りなりと考うれば必死に走りぬ。二千米七分四秒なり。自信は出来たり。思うれば思うる程武者振いしぬ。消灯後も当日を想えば速に眠ること能わず。たゞ山根には一足おきいる所なり。他者に負けてなるものぞ!!


1942-10-14 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月十四日 水 晴

昨日の為か比良目筋とはいちょう筋痛し。今日は栄気を養うべく走らず。午後運動会の予行並に準備をなす。此の割なれば三運だんぜん一等即ち優勝ならん。自尊心持たずに着々と準備せん。十分練習をやりたればいざとなりて悔いることなきものなり。


1942-10-15 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月十五日 木 晴

授業は運動会を明日にひかえたる故か積極的ならず。然し一年に一回の此の行事を前に明日六個運動班の覇を得るべく千磨必死の訓練をなす以上、之に力を注ぐべきなり。必勝の信念は千磨必死の訓練に似り生ずるものなり。戦闘は訓練よりきつからずというが如くならざるべからず。
午後準備(物品方面)として我々は天幕を建つ。後軍歌演習の予行あり。千二百米の行路を緩く足ならしに走る。自信は出きたり。訓練も充分行いたり。かゝる上は当日全力を挙げて戦うのみなり。思えば思う程武者振いなすなり。夕食後運動班集りて気えんをはく。日光を明朝拝む事を得ば必ずや優勝するなり。一・二・三年克く団結し進んで難事にあたらん我が心は唯今清浄潔白にして力に満ち自信もあり計画も着々たり。初の勝負に依り後の競技は支配せらるゝ故願わくば初を一層頑張れ!!


1942-10-16 運動会優勝 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月十六日 金 曇雨

靖国神社臨時大祭にして、十時十五分畏くも御親拝あらせらる。ハワイ戦の九軍神及び同戦に於ける空軍の勇士及び加藤少将等に対し特旨の論功行賞あり。
 功二旭三 加藤建夫少将
 功三旭四 岩佐中佐
 功三旭五 古野少佐
 同 同  横山少佐
 同 同  広尾大尉
 功四旭六 他の軍神五名
今日は父戦死せしより丁度四年を経たる命日なり。つゝしみて前線の将兵の武運長久を祈り、護国の花と散られし幾多の英霊に対し感謝の念を捧げ、同事に今日の運動会に優勝せんことを雄健神社に祈りたり。
前の二つの事に依り我にとりては今日は誠に意義深き日なりき。
体育大会あり。我が第三運動班は全力を振い遂に優勝したり。我は千二百米を駈く。惜しくも三位となりぬ。思えば後悔する所なり。一は有馬(5)二位は山田(6)三位は我四位は松浦(4)五位は柘植(1)六位は山根(3)なりき。ゴールいは我三人揃いてなしたりと思う。要はラストとて最後の頑張りにありたり。今日はの棒倒しは常になく猛烈にて実に死にもの狂いなりと言うべし。小雨の中を奮戦したるなり。午前中より母と裕子は来りて会を見、十七時隈府の厚子さん宅へ行く。運動班会は感謝の中に行われぬ。
嗚呼彼の閉会式に於て第三運動班万才を唱えたる時は一時涙は目を被い唯よく戦ったの語のみなりき。団結し、熱を以て之に臨み、三月十日四十三期生と別れし時の誓を思いてこそ勝ちたるなり。
 優勝  第三運動班 64点
 第二位 〃六〃   61点
 〃三〃 〃四〃   59点
 〃四〃 〃一〃   57点
 〃五〃 〃五〃   56点
 〃六〃 〃二〃   29点
但し校風の棒倒しは偶数が勝ち、之をも又3点加えたるなり。


1942-10-17 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月十七日 土 曇

神嘗祭により休業。

六時二〇分の下りにて隈府に行き菊池神社を参りてより厚子さん宅に行く。十一時まで母や妹や厚子さんと緩りと語り昔を偲び今を思いたり。望月・佐牟田・神野・脇・森田は八方ヶ岳に登るとて菊池神社まで同行す。社は我にとりては初めにて、高所より彼の下に連なる田畑・人家の景は優美にて、又勤王一徹菊池氏の社にとりては当然ともいうべし。市内へ行き、十六時一分にて送りて復る。妹曰くあと六十九日なりと。此く今日は母と妹と終日を愉快に過したり。妹の喜如何なりけん。
運動班会あり。
先日町田生徒監殿は家庭の都合により上京せられたるも今日生徒監殿の御母上様が死去せられたる旨通知あり。我等一同つゝしみて哀悼の意を表せざるべからず。


1942-10-18 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十月十八日 日 晴

西部第百十四部隊(花房の飛行連隊)の開隊式に参加す。四時半に起床し運動班全員揃いて出発約三時間にして徒歩連隊着。一般民衆を後に入隊し、○○大尉他十二名の英霊を祈れる慰霊祭に参列、続いて式典に臨みぬ。兵器供覧・特殊飛行を見学せしもさしてめずらしからず。急降下爆撃・通信筒の空地間の連絡・落下傘による輸送等は初めて故為になりぬ。

画像の説明地上の通信筒を機に送る所。乗務員の後の者が2と3を1の重のついた網にて釣る。近代にては無線通信が最も利用さる。


高江より電車にて。今日あは行軍の見学が目的にて、充分之を達成したり。此の二日の休暇を優勝の心の中に克く有意義に昨日は母と、今日は此くの如く過したるを喜ぶ。
百十四は偵察機隊のみなり。


1942-10-19 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月十九日 月 晴

久しくして授業あり。稍〃気力に欠くる点あり。三日来の怠気を去り力を入れなおして学科に努力すべし。然し内務は確実なるを認む。
午後は普通にして、二週間振りに剣術をなし、又近日初めて鉄棒に下りし故掌にまめを生ず。之は鍛錬不足を物語るものにして、今日からは運動会も終了せし故、剣術を主として幼年学校時代の運動の華を作るべく、又後悔せぬ如く充分行わん。持久駈歩も亦必要なり。寸陰を惜しみて腕力の増加に努む。その方法として、暇さえあれば腕立て俯せをなして臂を曲げ、起床後、消灯前に、五十回なす。素振りもつとめてなす。懸垂は勿論なり。切磋益〃熱あり。熱ある訓育班は向上々々とて終りなきものならん。


1942-10-20 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月二十日 火 晴

克くヽ考うるに我は陰なる時間は常に机にありて学ぶことを癖としたきものなり。寝室に於ける馬鹿話し亦何の利なし。画家の休憩時間独り影に学ぶ岡木を見て、我もなさんとの心を生じ、十分なりと雖も勉めんことを考えぬ。塵も積もれば山となり、之にありてこそはたして成るものなり。実に、中学時代の陰あれば遊ぶの堕落せる気分は無し。思えばつらき事ならん。此くの如くつらき事を推してなしたればこそ我は之を後人に語りて其の効果大なるを伝たきなり。猛進々々。
雄健神社参拝を人より一歩早くなすは一日の初めに於て人に先んじたる感なして終日快にして能率何事にも上るなりと確心す。現に実行中なり。


1942-10-21 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月二十一日 水 晴

午後は雲仙の校外訓育の予備養育として、島原の乱。橘中佐の事につき話ありたり。気力に欠くれば必ず眠くなることを今日現に感じぬ。気力内に充溢し一つも、もらさじと努むれば自から眠くなることなし。
今後諸行事に依り剣術大会まで日数は僅かなり。生徒監殿の■りて、運動会も終りたれば専心剣術に重きを置き随意運動を行わん。真面目に。
久方振りにて酒保に行く。近日急に、飯少き故か空腹を覚え、腹に気を奪われ真剣味が物事に欠くることゝなる故なり。然して一時なりと気を安んぜん為なり。今年の二・三月の事を思うべし。実に当時二杯も三杯も克く噛みて食いたればこそ一月二、三キロ以上も増えたるなり。あの戦法行うか。否か。
要するに食えヽ。人生きんが為食う、然り。


1942-10-22 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月二十二日 木 晴

今日亦光栄ある日なりき。即ち師団司令部にて東久邇宮稔彦殿下を拝したることなり。九時徒歩、宇土櫓下にて、宇土櫓に行かれ給う途中、御徒歩の所を拝し、又行幸坂を帰られ給う所を御車の中に拝したるなり。何と栄ならずや。我等の御殊遇に感激し本務に邁進せざるべからず。
午前中一時間午後三時間授業あり。以後明日の雲仙旅行についての準備をなす。独逸語は第三文科とて台上にてホルストベッセルリートの練習あり。学術練磨会にてなすなり。
頗る緩りとしたる日。一方光栄の日なりき。


1942-10-23 雲仙島原訓育旅行 五冊目~六冊目 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十月二十三日 金 曇

靖国神社例大祭なり。
四十五期は二泊三日の予定にて雲仙・千々石方面郊外教育を実施せんとす。
1、五時起床し六時集合。(百四十名訓育班混合とす)
2、子飼橋まで行軍し、熊本駅まで車送。三住を経て船にて島原へ。波荒れ風すごく寒膚をつく。初め稍〃気分悪し。厳として甲板に立てば何時しか爽快を覚ゆ。
3、市にては昼食後森缶城を見学す。雄大なる景、深き壕に驚く。

[陸幼日記] 六冊目

昭和十七年十月二十三日 第二学年第三学班

[陸幼日記] 十月二十三日 前日記帖続き

4、南有馬まで島原鉄道にて輸送され同地に於て原城跡を見学、宗教的戦を跡を偲びたり。農民の一揆。板倉重政の事。
5、十六時半南有馬を出発。トラックにて千々石に至る。夕より十八時半まで台上は相当に冷えたり。此かる事は初めてなる故珍しくもあり、又習う所多大にありたり。即ち自動車にて輸送の時は周囲のへりに手を出さぬ事等之なり。
6、橘神社を詣でて国民学校に至り今夜の分宿の途につく
7、我の宿りし所は南高末郡千々石町野田寺之元 田中政之方にて、総家族は十人余りいたり。近くの親戚に泊まりし戦友九名本家に集りて入浴し、夕食す。果物・菓子類・食事等余りに多く、且つうまき故全く食するを得ず。
池田と我は二人、二十三時半寝ぬ。誠に恋しき■〔蒲〕団なりたり〔き〕。
そこの長男は先生にならんと励みいたり。共に励まし合いたり。


1942-10-24 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月二十四日 土 雨

〔欄外「正取締となる。」〕

五時五十分起床。三寒となりたるか、又島原特有の気候なるか相当に冷えたり。此の時に当り、実に圃〔朱棒線〕団の有難味を感じぬ。敷圃団上を自由にころげて安眠する時の感じ目覚めたる時の感じ、共に心地よきものなり。家、我が家思えば二年前我は親の手元に我儘に過したるものなりき。思えば思う程当時より以上に孝養を尽くさんものをと感じぬ。
国民学校に七時集合。橘神社に正式参拝し続いて各個に、橘中佐興津城を詣ず。此の千々石湾を一見する景ありてこそ軍神も出でたるかと案ず。続いて中佐御生家を訪問し、御遺品・日誌・陣中日誌を拝観、特に日誌が綿密にて字〔理〕路井然とし、又名古屋幼年学校長としては生徒の事を真に思いて其が日誌上に総て表われ、又日露の役に出征しては陣中日誌(個人的の物)に部下の勲功を記す。平常此くありてこそ軍神たる人は生ずるものなり。平常悪のして、いざとの場合に努めんには之は不可能とも云うべし。要は平常の修養にあり。
 裏庭の柿に登りて千々石湾
  かくありてこそ軍神や出づ
御生家の裏に柿の大木ありて、軍神が幼少の頃よりよく登りいたりと聞き作りたる和歌なり。
 海の景 山の景色に 心の景
  橘神社のかの崇さを
山高き橘の社の境内にて作りたる歌
十一時より十四時まで雨の中の行軍し雲仙温泉地帯古湯に行く。蛇の如き道を登りたるなり。柚木崎生徒監殿の注意ありて宿につく。室に入りて急に寒さを感じぬ。海抜七百米、聞きしに勝る寒さなり。ゆかた・どてらに身を変え湯に入る。温泉なりと雖もぬるくてきたなく感じなし。十八時まで外出は許されぬ。然し大雨の為外出せず。
又予定の仁田峠、普賢岳にも登ることを得ずして残念なりき。二十時就寝す。
今日は大分教訓を得たり。軍神橘中佐の俤を偲びたる其の一なり。又雪やあられの降るに遭う。途中有明海・大村湾・橘湾を一見する絶景あり。豈偉ならずや。
稚児落滝とて硫黄の成分を相当に含める落あり。徳川の初め、切支丹信者の従わぬ者はかの高き所より抜け落としたると聞く。


1942-10-25 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月二十五日 日 晴

六時二十分起床。七時三十分集合す。八戸教官殿の温泉並に紅葉に関する話あり。七時五十分雲仙を去り一路島原に、途中又蛇行の路あり。今度は天草全体を眺め見る景なり。はるかに塵の落ちいるが如くなりたり。俵石展望所にては教頭殿の三十分間に亘る御教訓あり。共に橘中佐に対する感を述べられたり。だらヽ下り坂を下り十二時四十五分島原市内島原第三国民学校に着し休憩。船の故障により先発六十名、後発八十名に分れ先発は十四時にて後発は十七時の船にて三住を経て帰校す。我は後発にて二十二時帰校す。⇒菊池電車にも乗りぬ。二十四時の消灯までは取締なる故非常に忙しく入浴するも漸くなりたり今日は別に得る所無かりしが五里近くの行軍は大いに益ありぬ。又取締の指揮法に対し得る所大なりき。天気も良く雲仙に登る客途中にて多く会う。


1942-10-26 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月二十六日 月 晴

普通のごとく授業あり。生徒監殿は今日東京より復られ学校に出てこられたり。生徒監殿の不在間はやはり寂しきものなり。十三時より自習室にて生徒監殿の母を失いてよりの堅き今後に対する所感を述べられ、又親無き者に対する同情の感一層生じたりとの有難き又、最後にたよるべきは己の力なりとの教訓浅からざる御話あり。衛生講話ありて後、明日の本部長初度巡視の予行あり。残念にも腕力減じたる感せ〔し〕ぬ。
自習時間中は勤務日誌・日誌の記入に忙し。三日の行事の後なるも克く気力を入れて今日をやり通したことを喜ぶ


1942-10-27 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月二十七日 火 晴

本部長初度巡視の為授業なし。清水中将閣下なり。九・〇〇御着校、我等は棒倒しのみなす。他に、授業・剣術・体操・滑空教育の巡視あり。此の頃の棒倒しは誠に剛健に為りたるを感ず。会食の際は正取締の名を以て本部長閣下の眼前に会食す。諸々御質問ありたり。十三時御離校。会食に際しての閣下の訓示に曰く
1、成績に拘わることなく毎日ヽの本務に邁進せよ
2、卓越せる武将の素地を作れ
3、陸軍の制度は幼年校、予科、本科、大学、専科と段階あるを以て、もし一つに失敗したなれば次で頑張るというが如く勉強せよ。
と。
解散後我学術練磨会に物化を希望せしを以て、田中教官殿より指導あり。
朝香宮鳩彦王殿下を十四時三十分清宮郵便局前に奉送す。嗚呼此の光栄。然るに殿下には思いがけなくも自動車を止め給い下車されて我等の前を敬礼を受け給いたり。時の感激如何ばかりか言うに法なし。剰え終りに臨みて激励の御言葉を賜わりたり 此の光栄に浴するにても充分なるにかゝる御殊過ぎを受く。豈唯皇恩の厚きに感謝するのみならず国恩に報いざるべからず。
昨日隈府より電話ありたるに違いて祖母は来られず好気〔機〕を逸したり。
今日は誠に光栄の日なりき。
取締にて自習時間勤務日誌の起栽〔載〕に忙しく自習すること能わず。皆命に服し、此の四日間を愉快に過し得たり。


1942-10-28 南太平洋・ソロモン海戦戦果 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十月二十八日 水 晴

〔欄外「戦果」〕

取締っも終え誠に愉快なり。取締になりて常に思う事は責任の重大より自ら緊張し以外にうまく仕事がはかどることなりき。今回は特に責任観念に付き僅かながら会得したる如き感なり。又取締の指揮法に依り列兵の動作・感じが如何に変ずるかを知り、之に一層注意せざるべからず事を知りぬ。

●南太平洋海戦大戦果
二十六日―二十七日に行われしもの
撃沈
 航空母艦  4隻
 戦艦    1〃
 艦型未詳  1〃
中破
 戦艦    1〃
 巡洋艦 3 駆逐艦 1
 飛行機 200以上撃墜
  我が方の損害
   航母2
   巡洋1}小破  飛行機未帰還40き以上
●ソロモン方面大戦果
 八月二十五日―十月廿五日
撃沈
 米航母ワプス
 巡洋艦 3  駆逐艦 5
 潜水艦 6  輸送船 6
 掃海艇 1
大破
 戦 1  航母 1  巡 1
 潜 1  輸  2  掃 1
中破
 航母 1
飛行機撃墜四百三機
 〃 地上撃破 九十七き
我方の損害
沈没 巡 2  駆 2  潜 1  輸 2
大破 駆 1  輸 3
中破 巡 1  輸 2  駆 2  潜 1
飛行機 自爆 26  未還 78
    大破 21

午後は伸写図。十七時大幼四十四期来る。いずれも立派なる体格なりき。大幼の運動場は草で覆われいるとのことなり。熊幼の美に驚きいたり。 

1942-10-29 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十月二十九日 木 晴

起床後直ちに大幼生徒を送り、校門前にて点呼あり。授業身に入らず。
午後は明日よりの野営に関し準備をなし、十四時より軍装検査ありたり。十九時三十分消灯し十分鋭〔英〕気を養う。今日の一日は非常に長きを感じぬ。


1942-10-30 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]自十月三十日 至十一月五日}大矢野原にて野営演習

訓育手帳に依る。
浩然の気を養うに足り愉快なりき。


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