nagajisの日不定記。
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今日もまた情報を右から左に横流しするだけのお仕事ェ・・・
伊賀街道の改修と其発起者
伊賀国より伊勢津市に至る伊賀街道は山嶺聳立するが為め往来不便にして之が改修を企つるに至りたるも嶮岨の山腹を迂回し蜿蜒羊腸たる道路を作るを以て其工事頗る困難なりとす初め明治七年の頃奥久三郎、西尾清四郎の両氏伊賀国上野より津市に達する路程十有二里の道路改修に着手せしか巨大の巌石重畳し路盤亦堅固にして其工事の進捗遅々たりしも明治十年に至り漸く中の瀬阪改修の功を竣えたり是に於て稲上農、中野信蔵の二氏力を合せ又伊勢国関係村有志者も協同一致して長野嶺開鑿の土工を起し之を[宛+リ]鑿低下すること直立六十尺凹道を開く長百二十尺余又嶺上前後一道路を新設すること延長二十余町其の工費数千円に及ぶと雖も事業甚だ困難にして意外に費途を要し開鑿の功全きに至らず従て運輸交通の便亦全きを得ず醵集の資金已に尽き事業の中止を見るに至れり然れども四氏は之に屈撓せず其成功を期せしも雨水の為め岩石崩壊して嶺上の凹道を填塞し将に廃道に帰せんとす時の県令郡長之を惜み四氏に援助せしかば明治十四年更に有志を募り改良の策を講ぜしが勢伊の間地盤の高低甚しく勾配を緩くするも普通の道路にては到底通車の便を開くこと能わず依て従来の設計を変し中間に隧道を穿ち前後道路の勾配を緩ならしめんと欲せしも巨額の工費は民力の耐ゆるところにあるざるを以て県に該工事費の補助を仰ぎ郡役所に道路改修主任員を置き爾来官民一致協力して測量工費募集其他改修に関する諸般の方針を一定し十五年九月より隧道の試掘に従い同年十二月より道路の試鑿に着手し明治十八年漸く工を竣え翌十九年十二月終に開道式を挙行せり是に於て昨の嶮阻は変して今の坦道となり物貨の運搬大に開け衆庶交通頗る容易なるを得るに至りしは四氏の功を推さざるを得ず
(第九回関西府県共進会三重県協賛会「三重県事業史」(明治四〇年)より引用・原文旧漢字かな:出典は龍渓書舎「明治後期産業発達史資料第361巻」)
ついでに「補造化」が掛かっていた頃の写真。昭和35三重県史より引用。
情報は一度公開してしまうと後で補うことがしにくい。目に付くところに置いておくが吉。Google検索して数ページ数十ページ目に出てくるようなページが目に付く所か(わらい)というツッコミはどうぞご自由に。
書いても仕方ないことや反感を買うであろうということを書いたところで何の益にもならないことは重々承知している。愚痴とか諦めとか疲れとか絶望とか。では黙っていればそれでいいのか、というより黙っていられるかと言わればそうでもないだろう。話してすっきりするという効能はあるのだし「ものいわぬは腹ふくるるわざなり」と兼好法師も言っている。人生を振り返ってみて、失敗談、辛い話、そういったものを誰かに話して共有したら肩の荷が軽くなったという経験をもつ人もいるんじゃないか。
とは言っておくが、そういうのを期待して書いているのではないことをご承知置き願いたい。仕方のないことをだだ漏らしに書き、反感を買うために書いている。腹にたっぷり愚痴とか諦めとか疲れとか絶望とかを仕舞い込んでいるから近寄るなという警告のために書いている。理由はそれだけだ。
波瀬選出の佃議員が自ら否に回ったのには2つの理由がある。一つは態勢を立て直して再建議するため。もう一つは高見峠を犠牲にすることで四角工事の三角を生き延びさせようという骨肉の策であったこと。そこを見逃してはいけない。政争の具にされたという点では変わらないが単なる哀話ではない。頭に浮かせて載せていた卵をたたきつぶして「これで満足か?え?坊ちゃんたちよ」と言っている、その卵であったということだ(ちょっと違うか)。
再三再四の延会とその内容を把握すべし。しかし松阪の人の反対理由が然としない。なぜそこまで反対する理由があったのか。おそらくただ一つだろうけど。
近現代史に関する論(創刊号と第3号)を思わずコピーしてしまう。常々感じていたことがそのまま書かれているから。近現代史観が確立していないところへ心棒としての新三重県史という位置付けになると思うのだがその結果が資料編だけというのはひどく試されている気がする。それだけ仔細に研究されていず、まとめるのが難しいということだろうか。
要するに「耳に心地いい音楽」だけ選り好んで聴いているようなもの。本人は至って真面目な学徒のつもりでいるが基礎のキの字もないド素人である。一番迷惑なタイプ。まあ誰も相手にしてないし、そのうち誰かが片付けてくれるだろ。
よう考えたらこれ三重図で読んでるんだな。昭和9年○月×日!(日付失念)で思い出した。創刊号に昭和の矢ノ子峠改修に関わった人の回顧録がある。
T2の廃案後も波瀬以西の改修は続けられたんだな。案だけでポシャったわけではなくそのきっかけとなる工事と続きの工事があったということか。ちょっとこの頃の流れが不透明になってきた。
考えてみれば野又でやったような統計っぽい手法が使えるのだよな。改修・修繕費の項目は明治初期からあったっけ? あとで要確認ただし「3」には間に合わない。あと上市街道ってどっかで見た気がするんだが・・・
あれを…するしかないのか。完全にストーカーだ。
2つかかる。1つは9割、細部のツメは持ち越し。1つは6割か……変化を出すためにいらんこと凝ってみたのがアレだな。前没覚悟でゆく。
文字数計算がかなりシビアに要るうえ後半の密度がただならない。他のネタに歴史依存できるのをうまく活用しないといけない。
追記:2も9割。ひゃひゃひゃ、読みにくいぜ! これは15文字折り返しで詰めないとしぬる。
ORJのほうもざっくり書いた。あとは余計を書き足すのみ。ここからが長い気がする。
「もする」じゃ怒られるか。週末最初にかかって文字サイズの手直しの必要が出てきてコンニチハ坊ちゃん一緒にWordの×××!!!とか何とか叫びながら一段落させているのだ。
明日(今日)はホウボウにPUSHしないといけない・・・結講胃が痛い。さらに痛くなること請け合いの一週間のはじまりはじまり。
街頭の光で15秒露出。ホワイトバランスはAUTO。個人的には納得行っている。
S100FSの筺体でEXRに載せ替えただけ(+あれこれ機能を削ってコストダウン)というS200EXR。世間評では手抜き作だとかハミ子だとか言われているけどそこそこ気に入っている。自分にはちょうどいいものだと思う。不満を言い出したらきりがないし、良さを追求したら天井ないだろうし。
不満:日陰モードで長時間露光したときに赤味が強く出過ぎる(S9100比)。あの緑色好きだったのになー。
細部がつぶれる。松の木を撮ったらモワモワの塊になる・・・。印刷してもそこまで出ないんだと割り切ればよい。
納得:光学系が変わらずセンサーだけ小さくなった結果、広角側が30mmからになった>そのほうが写真が歪まない。つーか引け。
外部液晶が固定>どっちでもよくなってきた。活用できるのは資料撮影の時くらいだものな。
手動ズーム最高。
満足:やっぱり手ぶれ補正があると違うよ、うん。
フィルムシュミレーションが面白い。単調な廃道写真に味が出るー。S9100 にも似たモードはあったけれど妙にケバくなり過ぎるので使うことがなかった。
絞り開放側の画質の向上。
電池がもつ。
微妙:ダイナミックレンジが広くなったのは正直微妙。いつもマイナス補正して使っている。使い方が悪いんかなー。
先週日曜日に購ったこんにゃくが消費し切れていない。端物の詰め合わせ1kgくらいが300円だったので思わず購入したのはまあ良しとしよう。おでんにしたのも間違ってない選択だと思いたい。しかし一つ袋に入っていて一度開けた以上はすべて調理しなければならないという罠、及びこんにゃくばかり食い続けるのは結構大変なことだということを後で気づくべきではなかった。味は一緒だし食っても栄養にならないし。食べ物を粗末にしてはならないという信念とこればかり食い続けたら餓死するのではないかという危機感を綯い交ぜにした複雑な目で大量に残った灰褐色を見つめている昨今である。
ドキッ!こんにゃくだらけのおでん大会!
語呂だけでそんな言葉を呟いたりしている。そこにはじゃじゃ丸もピッコロも孫悟空も介在しない。あるのはこんにゃくのみである。そもそも大会ってなんだ。こんにゃくが煮えてのたうっているだけではないか。
さらにそも、こんにゃくを繰り返し煮てもいいものなのだろうか。今食っているのはかれこれ4度も火を通したこんにゃくだが徐々に弾力が増して来た気がする。終いにはゴムの塊みたくなってしまうのではないか。一度凍らせてから煮たこんにゃくの食感には到達していないがそれを彷彿とさせるものになりつつある。
我慢して食べ過ぎたせいか腸が激しく鳴っている。そういえば「こんにゃくを食べると腸の掃除になる」と聞いた覚えがあるが、あれはどういう原理なのだろう。子供の頃は未消化のこんにゃくが塊のまま腸を通過するため不要蓄積物即ち宿便をこそぎ落としてくれるのだろうと考えていた。しかし固形のこんにゃくが尻から出てきた記憶はない。食物繊維が云々ということなのか。しかしそれも「云々」の部分がはっきりしない。やはり繊維がこそげ落として以下同文なのだろうか。少なくとも明白なのはいま腸が大変なことになっているという事実だけでありこのままだと固形こんにゃくを含む液状便をぷぴょぽんぼぽっと噴射しかねないということである。恐ろしいことである。
以上を読んで饅頭恐いの類と判断しこんにゃくを送りつけたりするようなことはゆめゆめなさらないよう願う。これ以上こんにゃくを食うと恐怖こんにゃく男かこんにゃく大王になりかねない。余ったこんにゃくは今夜食うとか寝言を言い出すかも知れぬ。あと、食する以外の使い方を提案するのも不可。すでに全部煮こんである。
寝て起きてうどんを食って再チャレンジ。無難にまとめる策で逃げる。書き出しがいいから後が続くとは限らんのだな。
他のネタどうしよう・・・どれも追加調査が必要なんだよな。安治川あたりから始めておくか。
本文は概要書いて終わるなあ。新資料の件まで触れる余裕がない…。末尾に少し書いて左ページにつなげるしかないか。
一度書いたネタだからといってさくっと書けるわけではない。そのことをすっかり忘れてた。結局はイチから書き直さないといけないのだよね。流用できるのは最初に書いた時の記憶と事実関係の裏付けをした結果としての書いたもの、だけだ。
バック完了の目処が立ったじょー。一気に肩の荷が軽くなった気がする!まだ全然終わりじゃないけど!
空気以下のnagajis情けねー。仕事依頼くらいちゃんと宛先確認して送ればいいのに!
ふと長年日記を見ると3月8日はほぼ毎年ろくなことが起こってない日だとわかって笑えた。が、一年365日ろくなことがない人生のような気もして妥当のようにも思える。幸か不幸かははわりとどうながい。自分自身は吟味する価値のない過去だから。
すごい泣きそうなことに気がついた!
2011年3月11日(金) 午後4時05分
タイトル: とりあえず無事
家の中足の踏み場もなし
しばらく活動不能
実家に手伝いに行く
TUKA氏からの第一報.その後14日に一時帰宅され,水が出ず余震で眠れない窮状を訴えていた.その後連絡が途絶えている.
59号の延期は11日のうちに私の判断で決めた.TUKA氏はただ原稿を書いているだけじゃなく,ORJのQuality Checkの役をしてくれている.ヨッキれん氏の原稿も私の原稿も見てもらっている.TUKA氏チェックによってORJのクオリティが保たれているといってもいい.(pdfがらみのつまらんミスは私のせいだ)
そのチェックがないから発行できないというのもあるし,そもそもTUKA氏自身の原稿の最終pdfを見てもらっていない.原稿はいただいていて,初校は見せているのだが,再校はまだだ.
水道が復旧すれば,自身の記事だけでも見てもらって・・・と考えていたのだが,その思惑もかなり不透明になってきている.放射能漏れの影響で非常な混乱を来しているはずだ.NHKの報道はチェックしているが市街の様子は充分に伝わってこない.おそらく報道以上に混乱していると思うし,そうでなかったとしても「それどころじゃない」だろう.
発行日が遅れても質の高い記事を作るべきだ,というのが氏の持論だった.かといってこのまま待ち続けても氏に全責任を被せるようで忍びない.しかし氏のチェックが(編集部の複数人によるチェックが)ORJの生命線である以上,それを守らねばならないようにも思う.そういう葛藤を一人で勝手に感じている.
ただ感じているだけでは前に進まんだろうから…近く決断を下さなければ.
ORJを読んでくださっている方,バックナンバーCDやカレンダーを購入して下さった方の中にも被災された方が数多くおられると思う(オッキライ君も無事だろうか).広範囲の方にお世話になっている割にはつながりが微かで,それ故に案じる思いをうまく対処できない.無事だろうか.家族や親戚は.そう思うばかり.
幸いなことに…廃道をゆく3は予定通り進行するとのこと.ORJの記事をあげたあと,全ネタ書き進めているが,互いに少しずつ関連していて,しかしカッチリ固めるための鍵情報がまだ入手できていず,ちょうどキーストーンを欠いている状態だ.来週半ばに一気に出来上がる感じになるかも知れない.
ヨ氏のpdf初校をup。TUKA氏のチェックが無理かも知れないが・・・待ち続けるわけにもいくまい。月末までに出来上がり次第発行する。すまぬ>TUKA氏
明日は三重県庁へ行かねばならず、帰りが夜おそになる。明後日はKINIAS役員会。
遅くなったが発行する。できれば27日のうちに。発行した後例によって?連絡簿で連絡します。
半ば逃避行動的に次号関連のネタを仕入れに行く。「鉄道と煉瓦」にねじりまんぽでない斜アーチの例として大阪環状線・桜ノ宮高架橋というのが出ている。これを使いたいので探しに行った。のだが。
駅周辺で煉瓦のアーチがあるのは桜ノ宮駅の下の通路だけで、これは特段斜アーチにしなければならない場面でも、そういうアーチでもなかった。もう少し東にある高架橋は確かに斜めアーチなのだけれどもねじりまんぽではない(場所打ちCだ)。他のこまごまとした発見はあったんだけれども肝心のものが見つからず失意。
中環に桜ノ宮高架橋があるらしいんだが・・・これってどこ?あの水道橋高架でいいの?
_ あきら@大阪 [手遅れだろうが、田楽味噌買ってきたらええやん。]
_ nagajis [すでにその手は使ってあるわな・・・]