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旧道倶樂部録"

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1943-06-01 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月一日 火 晴

早や夏ともあんり前期も後半の緊張すべき時となりぬ。今日は誕生日会あり。体操は全身倦怠にてどうにも体の自由がきかずして十分なすこと能わず。随意運動は明日の練習用具検査の為に運動具箱及倉庫の掃除に用いたり。体操をなす能わずして残念なり。一般に近日は時間がうまく利用し得ず自習も運動もなし得ず困る。早く倦怠なおりて元気溌剌やりたきものなり。夕食の際に田代生徒監殿話あり。二ヶ年前の六月を思いソ連国境の有様、米国は左手の小指、支那は左腕、ソ連は両腕を陸軍に力を要すると。日本の陸軍の作戦・訓練の相手はソ連なり。然して今や日本は大攻勢に出ずべく準備中なり。今に面白い事が始まるかと思うと愉快なり。日朝点呼は校庭となる。
秋里は痔の手術の為入院し美作及び寝台学友の久保は共に黄疸にて入室す。


1943-06-02 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月二日 水曜日 曇雨

日朝点呼にて喇叭より相当早く集合する故に起床後の十分間を利用し用便・洗面をすまし全速力にて来り三十秒くらい前に集合すべし。之が動作の迅速にして、点呼後も沢山人より物事をなすことを得余り早く集るが能に非ず。時間の厳守とは「プープー」となるや動作を起し迅速に時間までに集合することなり。我も亦之を然りとなす。訓学は兵科の本領、剣術→こせヽせず遠間の面の斬撃をなすべし。体当り亦熊幼の伝統となすところなり。剣術はつくヾ練習不足なるを感ず。もっと物事を熱心になすべし。やゝ良好。今一段。睡眠不足。


1943-06-03 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月三日 木曜日 曇雨

愈〃梅雨となりたる故か降ったり止んだりの妙な天候にして今日は又大風にてむし暑し。洗面して点呼に充分にして要領よくやれば相当に時間の余裕を生ず。独乙語は考査なりき。剣術は愉快なり。審判を習う。字号習技はさっぱり出来ず六十六の中二十一取ることを得ず残念なり。柔道は近日の中で最も真剣にやりたり。真剣にやれば愉快なるものなり。体の調子も愈〃出来て明日よりは一層奮闘せんことを決意す。八板少佐殿は金モールの参謀肩章をつられて来校、近日中に比島へ出征されることとなる。愉快なる日。


1943-06-04 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月四日 金 雨曇

しとヽ雨。午後は教練にて照準鑑査及射撃予行練習なりき。明日の狭窄射撃に備えてなり。第一回目に、四粍なりき。未だ不充分。運動班運動は体操・遊戯にして二・三年は球戦ををなす。三年には闘志なく、さんヾ二年に負けたり。三年よりだらけ残念なり。審判をして、立っているのは大概三年。思えば近日亦切磋が消滅しかかる状態なり。一般に、三学班の大きな方の連中は口だけは人以上に良いことをしゃべり実行之に伴わず。又私語・雑談多くして大きければ大きい者としての威厳がなく軽々しく感ぜらる。良好。愈〃好調。


1943-06-05 山本五十六国葬 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月五日 土 曇

故山本五十六元帥国薨〔葬〕なり。十時四十五分一億国民揃って遥拝・黙頭をなし元帥を偲びたり。故元帥は東郷元帥のそれにも優る立派なる方にして特に航空に意を用いられ第一線の南洋に散られたり。誠に武人の最大栄誉となすところなり。然〔而〕して山本精神は永久に海軍魂として歴史に輝くことと思う。 七時半服装検査、代数考査あり。長き一週間に感ぜらる。午後狭窄射撃にして依〔托〕なりき。前回丙なる故がんばり甲となりぬ。流石嬉しかりき。二回共的より下に行く癖ありたり。夕食後は無為。不可なり。やるべし。健康状態最も良好なり。


1943-06-06 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月六日 日 雨

朝から雨降り続けたり。剣術は六本す。二年とは以外に教官動作困難なり。午前中に二時間学習、午後二時間半午睡し充分に休養をとりたり。稍〃国漢乙・物理・独語に対し自習状態消極的に感ぜらる。之に力を入るればもっと勉強に興味を起すならん。良好。


1943-06-07 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月七日 月 雨

今日も降り続き夕方になり止みたり。身検体重減ず。食事早き事と過度の運動に依る。食事前後に激烈なる運動をせざること緊要なり。柔道は全身を用うるものにして、運動的にも良く又精神的にも暑くなりて持久力を養いて最も良きものなり。特に胸囲・腕力増加には可なり。剣術、佐中より副島先生始め受験生徒四十四名来る。雨にて充分見学も出来ず十五時半帰りたり。面会時間僅かに三十分にして何物をも話し得ず残念なり。愉快なる日。極良好なり。


1943-06-08 アッツ島占領記念 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月八日 火 雨

昨年今日はアッツ島完全占領にて北方アリューシャンにも旭日翻きし記念すべき日なり。一年後の今日アッツは正に敵手となりぬ。此の大詔奉戴日の朝以上の部長殿訓示に奮起したり。然して終日怨を心に秘めて一大決心の下に働きたり。午後は雨なるも予定の如く愛校作業ありて草を米英と思いて抜きたり。根本よりちぎるれば一人の米兵の首が斬られ、ふめば死ぬが如くに倒る。かゝる事を思いて行いし故愉快にして能率上りたり。然し草にも生命あり。切られても亦生え、倒されてて亦起つなり。之を思う時我等日本人須く油断せざるべからざるを感ぜしめられたり。地理考査ありたり。考査は我等をして知らしむるにあり。元気なり。


1943-06-09 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月九日 水 曇時々雨

午前中は雲、午後になりて日光を見、外にて工作講義ありたる故猛烈暑く夏なりと痛感す。夕方雨にしてむし暑し。ドルさんの独会話が単語むずかしく半ば不明なりき。今日の随意運動の利用価値百パーセントにして、二千米・鉄棒・縦躍・横躍全く疲なく好調
はがき五通来る愉快々々。今日は雨降らざる一日として体育の日なりき。良好。


1943-06-10 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月十日 木 雨時々曇

今日も亦雨なりき。実に鬱陶しきなり。化学国漢甲の考査あり。剣術は学年同時にして学班対抗の試合なりき。第二となす。所感として一訓は間合が二訓よりずっと狭く見にくい然し元気は慥かにあり。柔道は特に専心行いたり。熱心と努力が勝つことを痛感したり。十五時四十五分訓練火災呼集ありたり。切磋会=軟弱なる将校生徒らしからざる言語を用いざること。心に緊張を要す。良好。


1943-06-11 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月十一日 金 曇

漸くにして雨霽れ今日は愈〃夏らしき日となりぬ。血沈検査あり。〔アキ〕粍なり。大層は競技・さか立をなしたり。体操応用の競技はその後に於て大層を進歩せしめる端になるなり。軍人たるものは表面に非ず誠心を有すべきなり。交換駈歩にて一年を指揮し堀河・八景水谷に行きたり。一年を見て、つくヾと三年間の我々の進歩わかりたり。鍛錬されてこそ真に物になる人間が生ずるを思う。六月も中旬に入れば愈緊張すべき時なり。惜しまず真剣にやらん。良好。


1943-06-12 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月十二日 土 晴曇

昨夜は初めて月を眺め一面を覆う星を見る。暖き太陽の下にあるを最も好むなり。虫・蚊多くなりて夏らし。母より青島にありとの来信あり。予の鍛錬は腕力を作るにあり。毎日素振・懸垂・をなすべきこと。愈〃運動期間たり。然し我胸膜をのみ怖るゝなり。兵器検査あり。真に手入する者は必ず射撃も之に伴い上手なり。今が我に於ける発展飛進の佳時なり。努力により之をのばすべし。良好
町田生徒監殿週番なり。


1943-06-13 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月十三日 日 雨

終日雨なりき。招により京町の多田大尉殿宅を訪問したり。我が記憶は十二才の頃の士官学校卒業時の姿なり。昔話・近代の情勢が主な話にして、午後は囲基をなす。御馳走になり十六時辞す。なつかしき佐倉が思わるゝなり。父は偉しと誰も語るなり。恥じざるべからず。立派なる父を持ちし我、方々の御期待にそうべく勉励するを思いたり。良好なり。


1943-06-14 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月十四日 月 晴

昨夜二十三時半二訓全員起き藤江・神野を探さんとす。両人は昨日朝六時雨の中を勇躍出発八方嶽登山を行いしものにして、十分遅れて電車に遅れ生徒監殿よりの電話の命により駈歩出発。時に二十時半。九十九に至り自転車一台を借りついで一台を得雨と戦いつつ必死となり帰校せるものなり。隈府まで自転車にて我等行かんとしたるも幸に門前に両人ありたり。之一に時間観念なきものなりとて反省す。部長殿兵器検査にして四時起床、六・〇〇食事なりき。十二・〇〇校長殿の会議に於ける 拝閲仰せつけられたる時の謹話あり。生徒たる我等も感激したる次第なり。愈〃晴れて暑さを増す。良好なり。


1943-06-15 靖国神社の歌 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月十五日 火 晴

唱歌にて靖国神社の歌を習う。
一、日の本の光に映えて
  尽忠の勇魂祀る
  宮柱 太く燦たり
  あゝ大君の御拝し給う
  栄光の宮 靖国神社
二、日の御旗断固と守り
  その生命国に捧げし
  ますらをのみ魂鎮まる
  あゝ国民のおろがみ讃う
  勲の宮 靖国神社
我深く感ずるところあり。靖国神社、護国の神の祀れる社、その姿がそして父の姿がありヽと眼前に彷彿たり。以て反省し奮励の資となす。随意運動は特に調子よく充分の力を出すも、鉄棒が相当下手になりたり。元気々々又元気にて通したり。夕食後点呼まで明日の学科・区分及び学年切磋会を行う。良好。


1943-06-16 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月十六日 水 快晴

父の命日なり。昨日の事に相関連して一入今日一日を立派に過したり。終日かゝりて基本射撃あり。二百米・依託伏にて甲なりき。一般に時間長すぎるを感ず。又勤務が多きに驚きたり。一天雲なく復りの行軍は大部こたえたり。之にても歩兵なり。一・二年は終日新地・麻生田方面の麦刈あり。良好なり。


1943-06-17 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月十七日 木 晴

七時二十分集合。編成ありて第三運動班の前列の我々の小隊は麻生田神社へ至る。八時半より開始し午前中三時間、午後二時間麦刈奉仕を行う。已むに已まれぬ気持にてなすなり。武士とは田舎にありて農を営むを初いう。即ち我等も幼より畑になれることこそ大切なりと思う。生れて初めて行いしも以外に易かりき。然し我には毎日悠々と大陸的に行うこと能わず。瞬間的を好むなり。要するに、今日は農の精神を体得したるなり。良好。


1943-06-18 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月十八日 金 雨

午前中の頭の方は余りに振わず。午後は体操にて、二十分持久駈歩及び角力あり。六人抜きて気持良し。続いて六時限・運動班運動と剣術にして、特に後半は頑張れり。之にせよ、一訓の試合にせよ気魄こもり攻撃々々の者が強きを感ず。教習試合は真っ平なり。学科に努力すれば此の上なし。良好。


1943-06-19 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月十九日 土 晴

松浦紳助三ヶ月目の命日たり。此の日を以て遺言に従い切磋会を行う。郊外演習は斥候動作にして楢山に至る。要するに剛胆ならざるべからず。今日は平凡の一日なりき。良好。 


1943-06-20 米軍の戦闘作戦につき [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月二十日 日 曇

昨夜の点呼後の切磋会は特に予が一生忘れ得ぬ切磋会となりたり。神社を参拝し社前に於て行い一同誠意籠りて人の心を貫くが如き米英撃滅に燃えいたり。
三時より眠れず。四時起床、二・三年を指揮し藤崎宮に交換駈歩行い六時半帰校。一年は別なりき。和親に目的あるも一年に無理との故目的を鍛錬に変え駈歩をなしたるなり。夏の朝程爽快なる時はなし。偕行社に多田大尉殿・久保少佐殿(四六)と落ち合い約十五時まで佐倉当時の昔話し等々、色々と父に関しても語りたり。此の御二人の誠心には報いざるべからざる感に打たる。之も父の御蔭と思うと感謝に堪えざるなり。先ず体格を作ること。
十七時より下川生徒監殿の米軍の戦闘作戦につき話あり。それは飽くまで命を惜しみ其の結果科学が発達して物質的威力大なり。夜は早くよし眠し。良好


1943-06-21 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月二十一日 月 晴

冷々しき日なりき。歴史三時間・物理・幾何あり。昨日稀に一時間運動せし故今日はきつかりき。平凡の日なりき。良好。


1943-06-22 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月二十二日 火 晴

考査もあと一週間に迫り緊張したる空気が充ち始めたり。工作にて、先日ビルマより復られし掛林教官殿の下に受信器組立を行えり。投擲四十七米行きたり。他の運動は今日は振わずして体が心にともなわざりき。今日は人に負けんとしたる日なりき。頑張れ。良好。


1943-06-23 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月二十三日 水 晴

授業及び自習が眠くして緊張不足なり。之に克ちてこと真の人間ならん。ドル夫人の会話愈〃不明なり。午後も不振剣術は尻が斬撃に際して残り元気なし。之も練習の不真面目を物語るものなるか。体操に手は大振り一回上れるのみ。踏箱にてはもゝの筋痛くなり走れず。手榴弾も四十米のみ。返すヾも暑さに負けて残念なり。過古を顧れば腹立ち何事も手につかず。悔を忘れて邁進すべきなり。良好。


1943-06-24 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月二十四日 木 晴

化学の実験は愉快にしてなすが待遠しきなり。今日は半田を作りたり。代数が不解となりぬ。午後は機能力検査にして前回に比し大部悪くなれり。幅跳を除く
 運搬  九秒五 百米 十五秒〇
 走幅跳 五米一〇
実に予想以外に悪かりき。柔道にては未だ捨身攻勢に欠くるなり。特に感ずる所なし。良好。手島が自宅療養より帰り三ヶ月ぶりに隣の机に活気をおぶ。


1943-06-25 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月二十五日 金 晴

機能力検査あり。運動場は東風強くして砂塵多し。 懸垂 三〇回
 二千米 七分二十三秒
 投擲 四十六米
二千米は近頃力なく確心〔信〕なし。而して今日は山根・高橋につきたり。之は己きつからず人に苦労させて甘いしるを吸わんとする米英根情なりと真ず。又後二百米にて高橋出て、最後に六秒の差生ず。此の時としては一時的に疲れたるかも知れざる故にして真の持久力・攻撃精神に欠くるものと思う。最後の頑張りが戦の勝敗を決するものと確心〔「心」に朱傍線〕す。体操遊戯良好なり。


1943-06-26 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月二十六日 土 晴

好天気続きて誠に夏らしくなれり。思えば夏至も過ぎ日は短くなりつゝあるか。午後は細密内務検査に窮々たり。被覆が主眼点なりき。要は平常に於て官給品を愛護し、始末を確実になすことにあり。今日より集会所委員生徒に服務す。運動は行わず安らかなる日なりき。寸陰惜しき有様なり。良好。
四十六期三学班川畑は明日を以て幼年学校を体の都合により止むることになり。二年二訓の送別会あり。生徒舎まで「遠別離聞えて我等としても心に寂しさを感じあわれを催したり。


1943-06-27 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月二十七日 日 雨

昨夜零時まで田代生徒監殿の下に行き、長く、「米国に関する作戦」「ソ満国境」「現在の国情」「予科」に関して話を承る。実に有益なりと信ずる点なり。午前学習午後集会所・午睡二時間等休養、夕食後十分愛校作業なす。予定通り行かざる日。良好


1943-06-28 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月二十八日 月 晴

教授部授業改る。柔道考査にて、四人一組の試合(二本勝つ)・当身なり。試合最後に疲れて破る。之一に持久力の足らざるを物語るなり。最後までのがんばりにつとむ。良好。剣術に身入らず。


1943-06-29 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 六月二十九日 火 晴

昨夜点呼より約一時間半に亘り日曜の酒保の代金間違につき週番司令殿週番士官殿の御注意あり。もっと淡白なる思想家宅、品性ある人間となるべしと。学問は次なり。ついで切磋会をなす。
幾何・物理・訓育学科考査ありて全力出したり。体操は元気なりき。今や考査を前に寸暇も惜しく勉励中なり。根本を考えることこそ大切なれ。良好。


1943-06-30 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月三十日 水 晴 雨

兵務課長閣下巡視ありて、〇五・〇〇起き〇七・〇〇より開始四十分なりき。十一・〇〇より剣術を実施す。元気なれば何事も愉快なり。会食。教練考査ありて今一層の演習を望む。榊取りに随運は消せり。良好。特に所感なし。 熊幼の先輩の方は特に剛健なり。我も之にならうべし。


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