nagajisの日不定記。
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神子畑選鉱場が操業停止後異例の早さで撤去されちゃったのは「廃墟マニアが立ち入るから」ってのが第一の理由だったと聞かされていろいろ物思わされる.それが理由で国内最大級の産業遺産かつ観光資源としても活用出来たかも知れないものが失われたわけで,だからマニアは云々と思ってしまいそうになったが,所詮私も同じ穴の狢だ.勝手に入り込んで主観でいいものだと騒ぎ立てるだけじゃ何ら変わるところがない.
廃道の「廃なところ」にばかり焦点をあてて喧伝していては自ずと行き詰まる.廃道の価値が「廃な状態」だけにあるとするなら,そうでなくなった時に一切の魅力を失ってしまうことになる.そんな薄っぺらいもので廃道があるわけがない.
間違い電話なうえに訂正の機会も与えられずそのまま強引に冠婚葬祭互助会を勧められた.いろいろムカつく.正木じゃねーっつの.互助の必要もねえっつうの.
書いているうちにアレコレ見逃してることに気づいた.もとから完全究明でない廃隧道なのだから「ネタ提示」のつもりでTRDBにしたのだが,だんだん勿体無く思えてきた辺りが貧乏性である.こんなnagajisは無視して続きを調べていただきたい>誰か.次行けるとしたら来年春とかそういう頃になるだろう.
うむ.何をしたかったのか早速わからんくなってしまった.
「文化財」になれば「文化財」という価値が認められたことになる.保存の義務が生じる.保存される.「近代化遺産」にはそういうものがない.とりあえず古いものをそう呼ぶことにしただけであって,何か価値が生まれるものではない(近代化遺産だからといって価値があるとは認められてない.文化財になれば違うが)? 調査報告書では価値判断を下してないし.
いや違うか,「近代化遺産」という価値は認められてるけど法的に云々なんか.「近代化遺産」の考え方が一般に浸透すれば自然と価値が認められるか.
うーん,「価値」と「認定基準(認定対象)」を分けて考えないといけないな.ごっちゃになってる>nagajis
それからすると「近代土木遺産」は思い切ったことをしたのだなと思う.認定と価値判断を同時に行なったので,たとえそれが恣意的なものであるとしても,どんくらいの価値があるかひと目でわかるようになった.利用する側としてはわかりやすい.土木学会がAランクと認めたよ!というようなことが言いやすく,言葉が浸透し認知される前から「土木遺産=価値あるもの」というイメージを与えられる.勝手に「超A級廃道!」て言っちゃうようなもんやね.
一方でわが産業考古学会の「推薦産業遺産」は影が薄い.しかし制度が始まったのは行政や他学会よりも先んじているし,なにより制度の趣旨がいい.文化財指定*されていない*物件を対象とし,認定することで,物件の価値を世間にアピールしようというもの.こういうボトムアップなやり方は地道だが必要なことだろう.
ToDo:近代化産業遺産
http://www.jsce.or.jp/committee/jyuten/files/H19j_03.pdf
文化庁の文化財行政
重要文化財(建造物)
- 定義の典拠
- 文化財保護法
- ものさし(対象)
- 建築物,土木構造物及びその他の工作物のうち,次の各号の一に該当し,かつ,各時代又は類型の典型となるもの
- 意匠的に優秀なもの
- 技術的に優秀なもの
- 歴史的価値の高いもの
- 学術的価値の高いもの
- 流派的又は地方的特色において顕著なもの
登録有形文化財
- 定義の典拠
- 文化財保護法
- ものさし(対象)
- 原則として建設後50年を経過したもののうち,
- 国土の歴史的景観に寄与しているもの
- 造形の規範になっているもの
- 再現することが容易でないもの
重要文化的景観
- 定義の典拠
- 文化財保護法
- ものさし(対象)
- 地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された次に掲げる景観地のうち我が国民の基盤的生活又は生業の特色を示すもので典型的なもの又は独特のもの
- 水田・畑地などの農耕に関する景観地
- 茅野・牧野などの採草・放牧に関する景観地
- 用材林・防災林などの森林の利用に関する景観地
- 養殖いかだ・海苔ひびなどの漁ろうに関する景観地
- ため池・水路・港などの水の利用に関する景観地
- 鉱山・採石場・工場群などの採掘・製造に関する景観地
- 道・広場などの流通・往来に関する景観地
- 垣根・屋敷林などの居住に関する景観地
- (うち太字のものが『産業遺産』にかかるもの?として挙げられてる)
近代化遺産
- 定義の典拠
- 見つけられず.文化庁施策「近代化遺産(建造物等)総合調査」により,各都道府県の教育委員会が調査を行なう.
- 主として近代的技術によって造られた産業・交通・土木に関する構築物(文化庁サイト)
- 参考:近代の文化遺産の保存と活用について(報告)(平成7年10月16日 近代の文化遺産の保存・活用に関する調査研究協力者会議の報告)
- ものさし
- 文化財としての価値の評価基準は明示していない.
- 県によっては「価値評価」の項目を設けたところがある(福岡県).山口県・愛知県・岡山県・兵庫県は共通の「調査票」を用いて調査.
- ※大分県は保存状況・利用状況をA-Dの尺度で評価.保存状況「A:良好,B:普通,C:不良,D:その他」利用状況「A:当初のままで利用,B:一部変更して利用,C:廃棄・廃屋,D:その他」.ある意味物件の価値判定と取れなくもない.
歴史的砂防施設
- 定義の典拠
- 歴史的砂防施設の保存活用ガイドライン[国交省・文化庁(2003)]
- 江戸期以降の砂防関連施設で,文化財指定されているもの?
- ものさし
- 登録有形文化財に準拠しながら具体的な例示を加える
- 国土の歴史的景観に寄与しているもの
- 特別な愛称で親しまれている
- その土地を知るのに役立つ
- 絵画など芸術作品に登場する
- 新たな景勝を創出した
- 地域の発展に貢献している
- 造形の規範になっているもの
- デザインが優れている
- 著名な設計者や施工者が関わった
- 後に数多く作られるものの初期の作品
- 時代や建造物の種類の特徴を示す
- 再現することが容易でないもの
- 優れた技術や技能が用いられている
- 現在では珍しくなった技術や技能が用いられている
- 珍しい形やデザインで,他に同じような例が少ない
- 歴史的砂防施設の価値をどこに見出すかについて,
- 施設自体に係わる事項
- 材料:構成する材料(材質・色調)
- 形態:構造形式(外観と構造)
- 技術:技法の継承,再現
- 土地との関係に係る事項
- 地勢,地質を考慮した特徴的な形態
- 周辺の自然と一体となった景観
歴史的公共建築物
- 定義の典拠
- 国交省・文化庁「公共建築物の保存・活用ガイドライン」(2002)
国土交通省及び文化庁の指導のもとに平成13年度に「歴史的公共建築物の保存再生活用に関する懇談会」を設置し、保存・活用にあたっての障害となる問題の解決方法を調査するとともに、これまでの事例をもとに歴史的公共建築の保存・活用の手法をガイドラインとしてとりまとめた。(Google BooksのAbst.より)
- 対象
- (古い公共建築物.詳細は未見)
- ものさし
- 公共建築物の多様な価値=5つの評価軸
- 歴史的評価
- 建物の時代的特徴からみる先進性,成熟性,希少性(学術的位置付け)
- 記念性
- 文化的評価
- 芸術性,観賞性,設計者の意図
- 地域文化への貢献
- まちづくり上の評価
- シンボル性(ランドマーク)
- アイデンティティの形成,地域振興
- 誘発性
- 機能的評価
- 建物位置,利便性
- 安全性(耐震,防災,防犯等)
- 快適性,環境負荷
- 経済的評価
- 土地利用,施設利用状況
- 維持管理費,不動産価格(および将来的な費用対効果の可能性)
文化的景観・歴史的風致(地区)
- 定義典拠
- 採掘・製造,流通・往来及び居住に関連する文化的景観の保護に関する調査研究会『都市の文化と景観』(2010)
- 同会報告[文化庁]
- 地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律[国土交通省]
- 対象
- 文化的景観.ものさしにあてはまるもの(と思う)
- ものさし
- 一定の場・空間に所在し,自然的・歴史的・社会的主題を背景とする一群の要素が全体としてひとつの価値を表していること
- 諸要素の関係及び機能が,現在に至るまで何らかの形で維持・継続されていること
- 記憶・活動・伝統・技術等の無形の要素に特質が観られること
- 一般に広く受け入れられていること
- 景観が歴史的・社会的に重層して形成されていること(景観の重層性).例えば
- 都市の計画又は設計理念が明確かつ特質を持つこと(例:金沢市街地)
- 計画の全部又は一部が地割(緑地を含む)として残存していること(例:宇治)
- 過去の計画における土地利用の区分が現在の地割に影響を与えていること(例:萩市街地)
- 各時代に計画的に配置された街路・水路等の都市の骨格を表す痕跡が残存すること(例:堺環濠都市)
- 景観がある時代又はある地域に固有の伝統・習俗,生活様式,人々の記憶,芸術・文化活動の特徴を顕著に示し,象徴的であること(景観の象徴性).例えば,
- 地域における伝統や習俗等によって象徴的な意味を持つこと(例:高山市街地)
- 地域の人々の記憶の中で象徴的な意味を持つこと(例:平和通り)
- 芸術・文学などにおいて多様に表現されていること(例:城崎温泉街)
- 特定の場所とそこで行なわれる人間の行為(活動)との関係が景観形成に影響を与えていること(景観の場所性).例えば,
- 地域特有の生活・生業等によって独特の特性を持つ場所であること(例:巣鴨地蔵通商店街)
- 地域社会・信仰等の観点から意味ある場所又は聖なる場所であること(例:浅草界隈)
- 諸要素が形態上・機能上,有機的な連関を顕著に示し,全体として一つの価値を表していること(景観の一体性).例えば,
- 自然環境とその持続的な利用システムが景観形成において重要であること(例:四万十川流域)
- 地域におかる社会的・経済的なつながり又は諸制度(例えば,産業地−都市−港湾,都市−農村−産業−流通等)が,計画的・非計画的であることを問わず,全体として景観形成において重要であること(例:佐渡金山)
建造物
- 定義典拠
- 日本建築学会「建造物の評価と保存活用のガイドライン」
- ものさし
- 5つの基本的価値
- 歴史的価値
- 文化・芸術的価値
- 技術的価値
- 景観・環境的価値
- 社会的価値
産業遺産−推薦産業遺産(産業考古学会,1985)
- 定義の典拠
- 産業遺産(Industrial heritage):国際産業遺産保存委員会(TICCIH)のニジニ=タギル憲章
Industrial heritage consists of the remains of industrial culture which are of historical, technological, social, architectural or scientific value. These remains consist of buildings and machinery, workshops, mills and factories, mines and sites for processing and refining, warehouses and stores, places where energy is generated, transmitted and used, transport and all its infrastructure, as well as places used for social activities related to industry such as housing, religious worship or education.
産業遺産(Industrial heritage)は,歴史的,技術的,社会的,建築的または科学的価値のある産業文化の遺跡(remains)で構成される.これらの遺跡は,建物や機械,工場,鉱山およびその処理・精製のための施設,倉庫,店舗,エネルギーを生成・送信・利用する施設,輸送,それらすべてのインフラ,産業に関係する社会活動のために使用される場所(住宅,宗教礼拝,教育施設など)により成り立っている.(nagajis勝手訳)
- 産業技術の歴史を実証する遺跡・遺構・遺物の総称(産業考古学会『日本の近代を開いた産業遺産 推薦産業遺産1985〜2010』P197)
- 推薦産業遺産制度:産業考古学会公式サイト
「産業遺産の多くが,文化財保護法などによる有効・安定な保存措置を受けていない現状を考慮し,「保存を必要とする重要な産業遺産のうち,国あるいは地方自治体による文化財指定を受けていないもの」について,本学会が独自に選定・推薦を行って発表」(『日本の近代を開いた産業遺産』P197,強調nagajis)
- 対象
- 具体的には「北見市のハッカ取卸油生産機械群」「住友赤平立坑櫓と関連資料」「積丹半島泊村の田中の袋澗」等々.機関車単体,設計図面と関連資料等も.
- ものさし
- 会員推薦を審議し認定
近代土木遺産−選奨土木遺産(土木学会,2000)
- 出典典拠
- 「日本の近代土木遺産−現存する重要な土木構造物2800選−」(土木学会,2005)
- 土木学会公式サイト「選奨土木遺産
- 対象
- 土木構造物.
- 橋梁
- トンネル
- 水門(樋門・閘門)
- ダム(砂防,水道,発電,農業)
- 河川構造物(堤防・堤),海岸・港湾構造物(防波堤・灯台)
- 発電・水道施設
- それぞれに対し3つの評価軸で評価.
- 技術
- 年代の早さ
- 規模の大きさ
- 技術力の高さ
- 珍しさ
- 典型性
- 意匠
- 様式とのかかわり
- デザイン上特筆すべき事項
- 周辺環境との調和
- 設計当初のデザインに対する意識の高さ
- 系譜
- 地域性
- 気象
- 地形・地勢
- 材料の供給
- 運輸状況
- 地場産業
- 起業意識
- 外交・行政
- 人脈・技術者
- 土木事業の一環としての位置付け
- 故事来歴
- 地元での愛着度
- 保存状態
について,構造種別に評価,A〜Cのランク付け.
機械遺産(機械学会,2007)
- 対象
- Site(機械遺産のある歴史的な風景)
- Landmark(機械を含む象徴的な建造物・構造物)
- Collection(保存・収集された機械)
- Documents(記録に残る機械関連文書類)
- 評価
- 機械技術発展史上重要な成果を示すもの
- 機械技術で独創性または新規性のあるもの
- 品質または性能が優秀なもの
- 機械技術の進歩発展の過程において一時代を画したもの(改良発達)
- 新たな産業分野の創造に寄与したもの(波及効果のあったもの)
- 設計上特筆すべき事項のあったもの
- 日本のものづくりの心と技を端的に示すもの
- 機械技術で国民生活,文化・経済,社会,技術教育に対して貢献したもの
- 国民生活の発展,新たな生活様式の創出に顕著な貢献のあったもの
- 国民生活・文化に貢献したもの
- 地域の発展と活性化に貢献したもの
- 社会,文化と機械技術の関わりにおいて重要な事象を示すもの(最初,最古のもの)
- 動態保存で現在も活用されているもの
- 製造当初の姿を良く留めているもの
- 意匠上特筆に値するもの
- 機械技術の継承を図る上で重要な教育的価値を有するもの
重要科学技術史資料「未来技術遺産」(国立科学博物館,2008)
- 典拠
- H12「産業技術史資料の評価・保存・公開等に関する調査研究」
- ものさし
- 産業技術史上重要な成果を示すもの
- 産業技術の発展の重要な側面及び段階を示すもの
- 国際的に見て日本の産業技術発展の独自性を示すもの
- 新たな産業分野の創造に寄与したもの
- 地域等の発展の観点から見て記念となるもの
- 産業技術を次世代に継承していく上で重要な意義を持つもの
- 日本のものづくりの心と技を端的に示すもの
- 我が国産業技術の発展に貢献した代表的人物の創造的活動の事跡を示すもの
- 試行錯誤,失敗の事例など産業技術の継承を図る上で重要な教育的価値を有するもの
- 次世代の技術者となる若者の創造性や技術開発意欲を高めることに貢献するもの
- 国民生活,経済,社会,文化のあり方に顕著な影響を与えたもの
- 国民生活の発展,新たな生活様式の創出に顕著な貢献のあったもの
- 日本経済の発展と国際的地位の向上に一時代を画するような顕著な貢献のあったもの
- 社会,文化と産業技術の関わりにおいて重要な事象を示すもの
情報処理技術遺産(情報処理学会,2009)
- 典拠
- 対象
- 技術史的成果・製品
- その時代において独創性または新規性が著しかったもの
- その時代において性能が格段に優れていたもの
- 情報処理技術の発展過程において一時代を画したもの
- 新たな産業分野の創造に寄与したもの
- 技術的波及効果の大きかったもの
- 製造技術上特筆すべき工夫があったもの
- 日本あるいは世界の標準的な技術となったもの
- 日本独自の技術で他国に類を見ないもの
- 最初あるいは現存する最古のもの
- 動態保存されあるいは製造当初の姿をよく留めているもの
- 意匠上特段の創意があるもの
- 情報処理技術の継承を図る上で重要な教育的価値を有するもの
- 生活,文化,経済,社会に著しく貢献した情報処理技術・システム
- 国民生活の発展,新たな生活様式の創出に顕著に貢献したもの
- 社会,文化と情報処理技術の関わりにおいて重要な事象を示すもの
でんきの礎−礎賞(電気学会,2008)
- 典拠
- ものさし
- 技術史的価値
電気技術の発展史上重要な成果を示す物件,史料,人物,技術,場所など
- 未来技術に貢献をしたもの(途中で埋もれた技術も含む)
- 独創的で第一号になったもの<礎賞>
- 世界的業績になったもの
- 技術革新をもたらしたもの
- 社会的価値
国民生活,経済,社会,文化のあり方に顕著な影響を与えたもの
- ライフスタイル,コミュニケーション方法を変え,新しい文化を築くなど,社会変革をもたらしたもの
- 広く世の中に普及し,一般的となったもの
- 伝記に関連する産業あるいは事業に著しく貢献したもの
- 世界標準になったもの
- 循環型社会を支える技術のさきがけとなったもの
- 学術的・教育的価値
電気技術を次世代に継承する上で重要な意義を持つもの
- 新しい概念の提案,電気理論の構築を行なったもの
- 学術として電気工学に貢献したもの
- 電気工学の教育に大きく寄与したもの
化学遺産(日本化学会,2010)
- 典拠
- 対象
- 化学の発展史上重要な成果を示すもの
- 独創的または新規性のあるもの
- 進歩発達の過程において一時代を画したもの
- 新たな市場,産業分野の創造に寄与したもの
- 技術革新を伴う原料転換によって化学工業の発展に寄与したもの
- 国民生活,文化,経済,社会,教育に対して貢献したもの
- 国民生活の発展,新たな生活様式の創出に顕著な貢献のあったもの
- 社会・文化の発展,地域の活性化に貢献したもの
- 歴史的遺産として保存され,当初の姿をよく留めているもの
- 動態保存で現在も活用されているもの
- 化学の継承を図るうえで重要な教育的価値を有する歴史的遺産
- ものさし
- 対象物が,独自性を有すること(たとえば,日本国内で初めて開発されたもの,日本国内で初めて生産されたもの,現存する最古のもの,国際的に見て独自性があるものなど)
- 化学史上に重要な位置を占めるもの
M先生に就いて京都へ行ってきた.若干遅めだが紅葉もきれかった.
叡山電鉄のケーブル駅近くの吊り橋跡.目的はこのそばにある2つの橋なのだが(旧橋紀行用に),紅葉はこっちのほうがきれい.色調調整済み.
市街に戻って正面橋.1952竣工だが古い薫りのする桁橋.薄さと直線具合がnagajisの「いいね!」を刺激した.以前も一度行ったことのある橋だ.たもとに釣鐘屋?がある.
振り返ると虹が出ているのに気づいた.あれは何橋だっけ……五条橋か.宝物が埋まってるのかも知れない.
七条大橋.大正2年竣工という古い古いRCアーチ.やはり橋を撮る時には16:9がいいようだ.そのほうがナニを被写体にしようとしているのか明確になる.
選奨土木遺産になってるが,そのプレートが歩道に張り出して張られてることにクレームがついたらしい……わずか1cmの出っ張りなのだが.自転車でひっかけたとかすれちがいざまに膝ぶつけて煩悶したとか,そういうのがあったんかも知らんな.さすが京都さんやでえ.
明暗.若干調整.
阪急河原町駅と京阪駅を連絡する通りの四条大橋.というか京都びとなら四条大橋で一発変換するのだろうな.かつては七条大橋と同じRCアーチだった.今はただのRC桁.
こちらは一つ北の通りの三条大橋.これはRCアーチにならなかったのだっけ……,今も同じような作りの桁橋が架かっている.しかし橋脚は作りなおされたようだ.
上の絵葉書を見て,四条五条大橋のたもとに置かれてある石柱がかつての橋脚だったことを確信した.三条大橋の辺りにもあるそうだ.
わざと混乱させるわけではないが,五条大橋.三条大橋が木製の軒庇なのに対してRC桁+パネルになってる.西日を受けて輝く輝く.
五条大橋の下流側の擬宝珠.8つ?あるうちの6つが昭和26年に作り直された.残りの一つは明治10年に作ったもの(西詰めから3つ目)と,最も古い正保2年のもの(西詰め2つ目:写真)がある.一つひとつに銘が入ってる.M先生に教わって初めて知った.上流側や三条大橋もそうだろうと思う.
再びM先生に就いて京都へゆく.「明日の京都 文化遺産プラットフォーム」のシンポジウムに参加.「地震火災は近い」と題しながらそれに関する話題はごくわずかで,文化財行政に文句をいうことに終始したような気がした.まあ元々その観点の話が聞きたくて参加したわけではないし,脇道の話のほうも興味深かったので文句を言うつもりはない
京都で文化財と言った時,やはり近世以前の古いものしか注目されていないことを痛感する.それらを守ることは結構だが,その影でここ百年の歴史を置き去りにしたり破却したりしている事実にもっと目を向けてほしい.それこそ古いものばかり有難がってやしないかと思う.ここ百年の歴史は継承しないでいいのか.数百年後に後悔したって間に合わない.
技術批判・行政批判は,それがやりやすく,しかも一般受けしやすいからよく行なわれるのだろうと思う.そちら方面ではない自分たちに矛先が向くような話,一般民衆が懐を痛めるような話には誰も耳を貸さない目を背けたい.文化財=行政が守るもの,お上が何とかするものという構図を,どうにかするか,もっと考えるべきではないか.無論,全体を総括し方向を定めるような大きな視点は必要で,そういうのができるのは国レベルの機関でなけりゃ務まらないと思うが,1から10までそこに頼り切りでは保存する意味などない.文化庁長官がいう「国民の声・盛り上がりが最も必要」というのが第一の真実だろうと思う(「明日の京都 文化遺産プラットフォーム」はそうした声となるべく設立されたものだという).
結局は市民一人一人の熱意にかかっているのだろうと思う,こういう運動には.しかしながら本当の市民の声は微々たるもので,例えば私がここで文句を垂れている程度にしか影響を及ぼさない.かといって上を突き動かすためには有識者とか実務経験者とか議員とかの「名のある人」を担ぎ出さなければ効果がない.古臭く回りくどく悪弊もあるような手法を取るしかない.それなしでコトを進めることができるとすれば,ネットなんじゃなかろうか.あるいは最小の自治体である市町村レベルが頑張らなければ.
みたいなことを偉そうに考えた.さて自分はどう行動するか.微々たるものだからといって何もしないでいては本当に何も起こらないだろう.メキシコで蝶が羽ばたけばアメリカにハリケーンが襲来するらしいから,溶剤の匂いにラリりながら「楽しいなァ,楽しいなァ」と嘯きつつ壁にペンキを塗る作業に戻るんだ>nagajis
http://wiki.scribus.net/canvas/Download
ほんとうの意味での日本語対応が進行中.ようやく使い物になりつつある….横書き記事であればこれで作れるはずだ.今度試してみようか.
オブジェクトのエフェクトとか半調とかがさっくりできるのは便利そう.フォントもOTF使えるXpのほうが便利やね.だがしかし日本語フォントはすべてアウトライン化されてしまう模様.
http://www.umetani.jp/
濃厚なゆず果汁のぽん酢醤油.鼻腔を突き抜け海馬まで達するような酸味にベースの醤油も旨い.べっとりつける食し方には向かない.ちびちび足しながらが旨い.飽きのこない味である.
_ ocoze@三重 [おぉ,奇遇でんなぁ。うちもここの特選丸大豆醤油ですわ。前にちょうど店置きがなくなっていて,「いま入れてきます」って新しいのを瓶に分けてくれた。ラベルはいらないって言ってるのに,まぁまぁと言いながら..]
_ nagajis [どこかへ出かけた時は自分用の土産に醤油や味噌を買うことが多いです.地方色があっていいですよね. 個人的にはやはり大分の甘口醤油が口に合います.関西の醤油はしょっぱいばかりで・・・]
_ ocoze@三重 [私も地方に行くと地元のスーパーに必ず行きます。大分で自炊用に醤油を買いましたが,甘くて驚きました。結局ダメでした。すみません。宮滝の丸大豆はそんなにしょっぱくはありませんが,勿論,大分のみたいに砂..]
少しずつ献本を進めている.昨々々日に叡電へ行った折にはM先生に差し上げた.近代橋梁や増田淳に関して様々な助言を頂き,こと技術者視点の増田淳像について大きな示唆をいただいて,それを柱にして書いたこともあり,執筆協力者の欄に(勝手に)ご登場頂いていた.そのくせ本編の出来は芳しくない.正直なところ差し上げるのがちと怖かった(嘘大袈裟紛らわしいには結構厳しい方なのである.そのへんもまた技術者らしい).
昨日話がその本のことに及び,来たっと思って身構えてしまったが,意外にも「よくまとめてる」とのお褒めの言葉をいただいた.心からほっとした.内容が先生好みな技術の話だったからというのもあるだろうが…….
世に広く出回る論文集でないのだから,例え微力であっても『引用』して世に知らしめることに価値がある.本にすることで,増田淳という人物に興味を持つ人がいること,及びそれが彼の設計橋梁に価値あることをアピールするのに役立つ.そういう主張にこの本を使うことができる.云々.そうなってほしいと願いつつ立てた構成が願いどおりに受け取られたわけで,ひとまずは赤点回避といったところか.
阿仁鉱山の現地事務所の方に阿仁隧道の件を伝えようと思い、手順を踏んで尋ねてみたのだが、そこに至るまでの間の足尾事業所のところで「個人の問い合わせには一切応じない」というスタンスにて追い返された。同じようなマニアが沢山いて迷惑らしい(意訳)。筋金入りに硬い。金属鉱業だけに。どうりで阿仁に何も残ってないわけだ、とたった一人の対応をもって全てなつもりで書き記しておく。
生野や佐渡と並ぶ官営鉱山の一つだが、現地には資料や資産の類いが一切残されてないと聞いた。生野のように活用しようにもモノがないから何ともし難いと。近代最初の官営鉱山、近代化産業遺産に認定されていながらこの有様、と長々話された理由がわかった気がする。
ああいう場面で「マニア」と言われると余計に腹が立ってしまう。マニアと言う言葉がますます使いたくなくなる。とはいえ彼我の間に明確な差があるわけでもなし、自分のほうが正しいというのが根拠のない自信であることも承知している。ただ一括りに括られて面倒臭い人扱いされるのが気に食わない。
もしやと思って電話した島津製作所のほうも不発。大阪市発注のS13.12.21.に完成した橋梁模型に関する資料、といってすぐに出てくるものではないらしい。成果物の集約とかあるかな〜と思ってたのだけど、それもないそうだ。やっぱり迷惑な話だな、うん。わかったところで島津製作所創業記念館に見返りがあるわけでもないのだし。この件に関しては。
ああいう模型はその後どうなってしまうんだろう。やはり2、3年で破棄なんだろうか。勿体無い。
まだモヤモヤが収まらない.追い返されたという個人的な辱はどうでもいい.ならば次にどうするかが思い浮かばなくてモヤモヤする.会社も地域も知りたい人も納得できるような方策はないものか.これは今回に限ったことではない.似たような探究をしようとするならいつかはまた突き当たる壁である.ここでぶつくさ言い続けても仕方がなく,かといって解決の良案があるわけでもなく考えがまとまってるわけでもないのでダラダラ書き殴ることになる.
そういう探究は大学とか機関とかに任せておけということか.それはどうだろうか.大学や機関が手が回らないから放っておかれているのではないか.個人の機動力,いわゆるマニアの狭く深くな掘り下げのほうが役立つ場面だってある.ニジニ=タギルでもそういうこと言ってなかったっけか.
問い合わせが相手のリソースを割くことになることは重々承知している.どんぐらい面倒くさいことかは,図書館の参考室のカウンター近くに2,3時間座ってればよくわかる.そんぐらい自分で調べなよ,という問い合わせが次から次に入ることが(別に聞き耳立ててるわけでもないのに)聞こえてくる.それだけの労力に対する見返りをこちらが用意しなければならない,ということは常日頃意識しているが,果たしてどんだけ役立つものなのかは保証できないのだよなぁ.自己満足で終わらないようにといったところでそうであるかないかの境界線は無いも同じ.ペーパーになったかならないか,本になったか否かで判断されたりしたら,自分を含む一般人はみな足切りに合うぜ.
団体には徒党を組んで対応するしかねえのかなあ.どこの馬の骨かわからぬような人間は,馬の骨らしい活動をしろってことなんかなあ.嫌だなあ.
かつての公共物を対象にしている限り&欲を出さずにいればそれほど厄介なことになることはない.歩いて楽しむとか写真を撮るとか.馬鹿な行ないをして若さを自慢してみるのもいいだろう(あとで虚しくなるだろうが).一方,それだけじゃつまらないと思っている.その道が作られたor廃止された社会背景だとか関連産業だとかに首を突っ込んでみる面白さがある.そういうのを踏まえて包括的に道を見ることで得られるいろいろがある.個人的にはそちらのほうが好きだし,広めたいと思う.しかしそれを追究していると古川機械金属のような問題に行き当たる.行政だってどこもそんなに協力的なわけじゃない.安治川隧道がらみの大阪市役所の対応はまだいいほうで,今の御時世それどころじゃない所も多い.
どこかに落とし所を見つける必要があるのか.そうでないのか.まあ,今絞り込む必要はないのだろうな.私は私の方面で尖っていればいい.
いちばんよいのは,そこに住んでいる人の得になる−金銭的でもいいし精神的にでもいい−ことか.ハイフン内前者はすでにビジネスとしてあるんだから後者を追究するといいのかも知れぬ.金にもならない戯れた夢で,nagajisにはお似合いだ.
右に左にブレているように見せかけて収束していきたい.exp(αx)・sin(π/2・x),α<1.いや別にαのx乗でもいいんだけど.
日本語に翻訳しておく.やがて行き止まりに至ることを承知でその道を進んだっていいじゃないか,ということ.それが廃道探索ってもんだろうし,そういう道には獣道なり旧旧道なり,どこかにエスケープが存在するものだ.行ってみなきゃわからないじゃないか.
書いているうちに結論が変わってしまうというありがちなパターン.そうなんよね,高速鉄道計画ありきなんよね.第一次都計事業には北野豊津線含まれちょ乱視.
文は明日中に仕上げてしまいたい.が全体の1/3くらいしか進んでない.しかも出来上がったところで夢幻.探索ネタは月亭るのである.
市立図書館には結構な数の絵葉書が収蔵されてて,それがネットからも検索できることを知った.
http://www.oml.city.osaka.jp/cgi-bin/img_src/s_all.cgi
さがす種類を「その他:絵葉書」に設定し,「書名 図名」にワードを入力して検索.このフォームは前方一致しか対応してないらしく(<これが最大のミソ),例えば「橋」だけだと何も引っかからない.「(」で検索すると幸せになれる.複写は不可だがデジカメ撮影はできるそうだ.
10:14頃.若干縮小・シャープ
23:03.暗くなるとピントが合わないという当然のことに気づく.
色はこっちのほうがきれいかな.ISO400だとかなりボケてしまって使い物にならない.
Hmm...今日中にお笑いとやばいな.いや違う,終わらないとやばいな.
原稿と図の合成と作図は出来てる.必要資料も用意してる.いちばん手間で面倒なレイアウトがまだだ.さっさと寝て起きてガリガリつくれ.
暫定報告も修正せんといかんのか(汗)
あれだなあ.最近オモロイ方面に頭が回らんなあ.奇妙なポテンシャルの一つ二つ浮かんでくれれば気が晴れるのになあ.考えてひり出すようじゃあ駄目だァ−
今回は受付の寄稿が入ることになり今日いっぱい使って仕上げた.慌てていろいろ取っ付けたのでかえって汚してしまったかも知れぬ.しかし自分も気になってたところだから口を挟まないでいられない.あ,「さしはさまない」で「挟まない」なのか.いま知った.
自分の次の原稿はどうしよう.このまま自転車操業的フェーズで冬に突入することになりそうなのが若干サムい.小ネタベースをもっとスピードアップしてあれとかこれとかそれとか盛り込む方向で行くか.
よく考えたら10月頃からすでに自転車操業なのだな.以前みたく書き溜めて寝かせてあるような記事はないまま来ている.休み過ぎか.ネタの枯渇か.違うな,10月より前が異常なのだ.
とりあえず上げた.どう頑張ってもいつものカンジやね♪ こういうのはさっさと投げるが吉.〆が若干いまいちなのでそこだけあとで修正する.うまくいけば.
どうやら暫定版の修正は必要なさそうなので気が楽なりよ.あとは晴れるか,生きて越えられるかだな.油断するなよ>jis
乞う御期待くださいって日本語に不自由してるよ.
つまりはこういうことだろう.そうだろう玉村.
T/O.「風呂場に置いていたマグカップでコーヒーを淹れたら石鹸味が醸し出された」でも可.いずれにしても面白くない.
しんどい状態に数時間置かれた程度で蕁麻疹出すな>クソJIS.何か聴きながらのほうが良かったかのう.
T/O.先手を打っておけば怖くない怖くない.
於昨日の探索.この写真を撮った3分後に紛失した.落とした範囲はすごく限定されていて,探せば間違いなく出てくるはずだし,実際15分ほど歩き回って探したのだが,見つけることができなかった.下山時間が迫っていたので諦めて帰ってきた.結局その分だけ遅刻した.
1997年の春にダンロップのソロテンを購入した頃から使っていたはずのシルバのNo.2.蓮根峠から塩久峠へ縦走した時に助けてもらったのが最初(縦走というほど大袈裟なもんではないか).地形図に赤線を入れる必要を教えてくれたのもこいつ.どこかへ出かける時は必ず持っていっていたが,実際のところ出番がなかったことのほうが遥かに多い.ナタと同じで,いざという時のための備え,お守りのようなものだ.むしろ初めての街で方角を知るのに重宝した.ライターのオイルが切れてしまい,こいつのレンズで火を点けたこともある.それを再現できそうにない位に擦り傷だらけになってしまっていたが,古くからの朋友であることに代わりはなかった.
物ローグを語らせたモノはこれですべて遷化し畢んぬ.残るはずのモノは残らず,やってることは微塵も変わらない自分だけが残って,無駄な時間と金とモノを消費し続けている.その引き換えに何を残せたというのか.nagajisのくせに何をか謂わんや,である.
カードを持たない主義の人に便利かも知れない.定額プリペイド式のクレジットカード.審査不要,ネットで申し込みコンビニで代金を払えば使えるようになるとか.もちろんORJの購入にも利用できる.
http://vpc.lifecard.co.jp/ad/index.html
大阪市立図書館に。兵庫県立までいかんでよかったばい。
一冊200えんで叩き売られていたのを保護。うろ覚えでしか覚えてないから重複しないものを探すのに苦労した。多分これはまだ読んでいない。
柳田国男は性的な話題を意図的に避けたと言われるけれども、決してそんなことはないというのが私の持論で、例えばこの集なんかも性民俗史といってよい編を集めてある。妻求めだとか婚姻の事だとか娘組の話だとか。要するに柳田翁は将来の国民のために残して然るべきと考えたもの、当時の問題点の解決になるだろうことを、翁ならではの優しい言葉で(わかりやすいとか読みやすいとかではなく、愛情の篭った言い換えとでもいうべきもので)残しただけだと思っている。人の耳目を集めるだけの下がかった話(笑話とか艶話とか)を相手にしなかったというだけで、わざわざ集めなくとも当時の世間にはそんな話は掃いて捨てるほどもあったのだ。
感銘を受けた一文を引用。
女性を独立不覇ならしめる為には、職業を与えよ財産を分けてやれというのは、私にはどうもへっぽこな議論のように思える。それで購われるような選択の自由等は、行かずに帰るとか、出て来るとか、又はつまらぬ相手を養うとか、どうせそう有難いもので無いことは、社会が今までにもう数多く経験して居る。楽しい婚姻の為の自由ならば、相手にも選択することを予期しなければならぬ。最も正しい選択をする相手を、選択しようとすれば方法は一つしかない。男女が合作しなければ出来ない事業は多かろうが、主要なるものは次の代を明るくすること、人が生涯を傾けてもなお完成し得ざるものを、死後にたしかに完成してくれると思う人を残すことである。誤謬は勿論訂正してもらわねばならぬが、それをも危ぶまずに任せられる者を、作り上げるということは大切な仕事である。国が総括して次の世代の国民を、育成する趣旨も全く同じだから、もっと大きな合同に委ねたらよいと言えるか知らぬが、人間は決してそう粒揃いでない。めいめいの血に伝わる特徴をもり立てて、互いに相補う必要は多いと共に、親というものに与えられた自然の愛情を、利用しないということはうそである。多くの未完成を歎いて居る民族に於て、是が家族組織の新たに考究せられるべき、一番重要な論点であろう。
これだけ引用しても伝わらないのは承知である。
神社の脇の雑木林に林檎が落ちていた。仏閣だったらテラシュールだったのだが。残念。
最近のお気に入りは林檎シチューである。一口大に切った林檎をシチューに入れただけだが、フルーティーな香りがステキ。鶏手羽か胸肉と入れるといいようだ。あと、煮立ててから一度火を止め、さましてやると柔らかくなる模様。高温のままだと若干歯ごたえが残る。
旧山の神社趾から神子畑小学校の裏手を山肌伝いに歩いて行くと,山手のちょっと高いところ石垣の連なりが見えた.向かって左に切れ目があった.はじめはこの石垣が牛馬道だろうかと思っていて,そこへ取り付くべく切れ目に入っていったのだが,そこにあったのは
こんなオブジェのある空間だった.いかにも子供のという拙い筆跡,およびイラストが刻まれた塔.微かに苔が侵食して前時代的雰囲気を醸しつつある.ははあ,小学校の卒業記念だなと直感した.いかにもその通り,向こうに回りこんでみれば,「岩石園 昭和39年卒業制作」と彫られた小さな石碑がある.自然石を不可思議な形に刻んで積み上げた石の塔もあった.この学校の卒業生か,その親でなければ知らないだろうという,小さな小さな史跡である.
コンクリートの塔は一人一個のブロックを刻んだものと考えるのが妥当だろう.そう考えてはみたけれども,数から推測される子供の数は,神子畑のかつての賑わいぶり(の伝聞)に比べてあまりにも少ない.昭和39年頃にはもうその程度になってしまっていたのだろうか.
刻まれたイラストは,オバQやバカボンのパパ?のような他愛もないものばかりだが,その中に一つ,時代を象徴するようなものがあった.オリンピックマークとスキーのジャンプを描いたものだ.とっさに「日の丸飛行隊」というワードが頭をよぎり,そうだと信じて帰ってきたが,時代に若干の齟齬がある.札幌オリンピックは1972年(昭和47).その前にメダルを得たのは1956年(昭和31)のコンティナダンペッツォの大回転である.この塔だけ製作年度が違うのかも知れない.根元に「神子畑分校」云々と書かれたプレートが埋もれていたのだが,遠慮して掘り返さないで帰ってきてしまった.
冬は雪に閉ざされる但馬の国である.オリンピック,スキー,という組み合わせに寄せた想いは特別なものがあっただろうと思う.例えば今の私達がなでしこJAPANを応援するのとはもう少し違う切実さ,あるいは「希望」と言い換え得るような身近な期待があったろうと思う.そう思うと何だか切なくなってしまった.深く触れずに帰ってきてしまったのもそのせいだ.
神子畑小学校.昭和47年に新井の山口小学校に併合.そして今日は,検索すれば真っ先に廃墟サイトが引っかかってくるような存在.
せいぜい2,30年生くらいだろうと思える杉の林.幹は細いがその植え方が密なせいで「鬱蒼」という言葉が当てはまる.そんなしづやかな雰囲気の中に一ノ段はあって廃村である.聞けば一世代前まで在所があったという.民家ばかりか水田すらあり,他所と変わらぬ暮らしが営まれていたとも.私が見た石垣の連なりは人家の区画割ではなく段々畑のそれであったらしい.
集落の最も下手には墓地があった.小さな石垣で設えられた区画に,降ろされることのなかった墓石が5つ,まるで雛壇の五人囃子の如くに並んでいた.三人官女の位置には舟形にはっきり読めぬ文字を従えた石地蔵.百日紅の古木を背にし,墓石とは異なるほうを向いて佇んでいる.無理やり読むと江戸年間らしい年号と「○○女人講中」らしき文字が読めた.
ここでもか,と思う脳裏の反対側で,心はむしろ百日紅の古木のほうを思っている.生気が感じられないのは季節が冬なせいではなく,枯れてしまったからであるようだ.周りは杉枯葉で覆い尽くされていて百日紅の葉が見当たらない.幹の根元に苔が走っているのも枯れてからの時間経過を示している.
この木を伐り残して置いたのは,跡地を利用しようとした人々の最小限の譲歩であっただろうけれども,昔風の思いやりとまでは言い難い.植林されて数年,十数年のうちは,年に一度花を散らして供養にもなっただろうが,やがて日が当たらなくなり此様に枯れてしまうだろうことに気づくべきであった.年に一度の弔いの花すら失った墓標群は,ただに寂しい廃村の墓という以上に寂しく,かといってそんな境遇をかこつことなく笑み続けている石地蔵がまた,「人が生きて暮らすこと」の業深さを思わせて切なかった.
たった10幾つの発送に丸一日+半日×2もかけんな>nagajis.
2,3irregularが入ったくらいで混乱するな>nagajis.
蒸留したpdfを持ってくの忘れて15分往復2度すんな>nagajis.
そしてまだ終わっていないという愚鈍.明日には必ず発送します>各位.そして具のないうどんは素饂飩である.
どうせ無茶をやるんなら無茶振りを徹底すべきだろうと思う.奇人を“演じる”くらいならいっそ狂人になりたまえ.自身そうだと悟った奇人ほどサムく迷惑なものはない.ということでそういう内容のお手紙を同封している.どちらに転んでも甘んじて受け入れるように>jis.なお“”使うのが嫌で「」にしたらカッコカッコしい格好悪いのになったがまあ結構.
擦過傷だらけになっていい加減換えないと気持ち悪くなってきた.飛蚊症も悪化しつつある.安いのでいいからレンズ変えたい.
贖罪の食材の用意だけはしてあるが先にラーメンを消費し始めてしまい,それで満足してしまっている.その前がシチューを3日も食い続けたのでルゥものに飽きているというのもある.飯盒で飯を炊かなければならぬのも手間だ.その前に台所部屋を片付けたい.片付けてどこへ何を動かそうという計画もそのためのスペースもないままそう思っている.早くしないと冷蔵庫の奥底で鶏むね肉が干からびるのではないか.
あるものとあてにするなよ時と金.驚いたことにあと11日で今年が終わってしまう.きっと世の中ではあちこちで年末進行とか忘年会とか教師の早歩きとかが静かにもしくはあからさまに行なわれているのだろう.クリスマスとやらも近づいているのだろう.そういうものと全く縁のないnagajisは微塵も実感が沸かない.季節の移ろいもいまいち明瞭でない.とくに今年は進行がたらんたらんな感じ.真綿で首を締められる勢いで冬になった.18日に寒波が来る!と脅されていたのにそれも感じられなかったのはなぜか.加齢か.貧しさ故か.
このままだらだら時間が経って1年が終わりそうだなあ.いやだなあ.よし.こうなったら一人で勝手に忘年会をしよう.うんそうしよう.
ノーパソをスリープから復帰させると画面が真っ赤になる.そしてじわじわ色味が抜けて白くなる.ディスプレーの発光体がヘタってきているらしい.このまま放置しておくとやがて明かりがつかなくなるはず.それが明日のことなのか1ヶ月後のことなのか,はたまた1年後のことなのかは不明.ううむ.ぴったり合うやつって手に入るんだろうか.少なくともこの部屋にある屑共で合うものはないはず.この間の超ジャンクも液晶周りがすっからかん.
超ジャンクとショーシャンクって似てるよね.
廃道は素晴らしい 何にも替え難い 廃道は永遠の命だ
上のパラグラフ,自分で書いといて
ノーパンをブリーフから復帰させると画面が真っ赤になる.
と読んでしまった.ついに奇ポテの自給自足体制確立である.素晴らしいことだ.そして湧き上がるポテンシャルもなかなか高度だ.BLゲームか何かか.
なんでもござれじゃな.いってくるべし見てくるべし.
新カテゴリ.暇な時に遊べそうなネタを仕入れてきた.最初の方はよかったが徐々に後悔し始め途中で投げ出した.続きはまた今度.
http://www.ipdl.inpit.go.jp/Tokujitu/tjsogodb_back.ipdl
玉村式の構造がわかりさえすればよかったんだが,複数あって混乱させられた.要は特明9896が該特許.他のもちょろちょろ見てるが,コレって数字あげてwikiでやってもらったらいいんじゃね.一人で全部できるはずもなく,興味も限界がある.
今村式と玉村式ェ・・・
一 本文並に別紙図面に明示する如く二本の軸(ヌ)及二個の顎(リ)及頬(チ)との組合により索条を緊握する装置を含む索道搬器
二 本文並に別紙図面に明示する如く搬器を常に一定の方向にのみ走らしむる場合に適せん為め(ハ)(ニ)の股一対を備え前方にある鋏部(イ)の旋開を図る装置を含む索道搬器
三 本文並に別紙図面に詳記する如く適宜なる形状の頭部框(ロ)の両端に鋏部(イ)を包蔵し及其前後に索受車の縁を掴むべき股(ハ)(ニ)の二対を有し框の一側に二個の車輪(ホ)及其中間に位し框に嵌入する吊桿(ト)及貨物の容器を含みて成る索道搬器
軌条或は索道の勾配度を大ならしむる目的に於て本文に示す如く貨匣は車匣内に上下動をなし得べく又可動圧挟顎を備えたる滑動体に吊下せられ其特色は貨匣は滑動体或は其延長の一点を中心として動くべく其中心点は軌条又は索道より低き所にあらしめたる構成より成る架空鉄索道搬器
一 前記の目的を達する為め本文並に別紙図面に詳記せる如く索条の半周宛を掴むべき鉄片(3)(3)の縁辺に欠歯輪(7)(8)を刻みて互に噛合すべくなし結合板(4)串軸(5)丁字桿(2)を組合せ回転し開閉し得らるべき鋏体(ろ)若くは二以上を以て索条を緊握すべき索道搬器
二 前記の目的を達する為め本文並に別紙図面に詳記せる如く前方には回転すべき鋏体(ろ)を具え後方には摺動栓(11)によりて回転せざる鋏体(ろ)を具うる索道搬器
三 前記の目的を達する為め本文並に別紙図面に詳記せる如く螺旋によりて捻込みたる腕(1)の作用により鋏体(ろ)の位置を調整し得可き索道搬器
四 前記の目的を達する為め本文並に別紙図面に詳記せる如く索受車(を)の給油筒(わ)の螺[草冠+益](18)を推進し得べきため随時付設し得べき給油桿(ち)を有する索道搬器
五 前記の目的を達する為め本文並に別紙図面に詳記せる如く鞍框(い)の四隅にある腕(1)に軸頚(10)を嵌入する鋏体(ろ)によりて索条(9)を握み其一側には側框(は)小輪(に)横軸(ほ)吊桿(へ)及貨物の容器(と)を有し又随時に付設し得べき給油桿(ち)を有する索道搬器
一,本文所載の目的により本文並に別紙図面に示す如く回転し且つ摺動し得可く片側に横置せられたる二本の長短ある臂長を有する鋏片を蝶したる鋏体を具え量鋏片若くは一方の鋏片の上下動と各臂長の差異によりて両鋏刃若くは一方の鋏刃を開閉し搬車の下部重量に依りて索条を緊握す可き機構より成る架空索道搬車
一 本文に記述し且つ図示せる如く原式索道搬器に於て突子を設けたる可動性の鈎を吊鈎の一端に框着し突子を他物にて支持するときは鈎は回動して鈎に懸吊せる索道用容器を分離せしむべくなしたる原式索道搬器吊鈎の構造
二 前記請求範囲第一項の目的に適合せしむる為め容器(チ)を吊持する臂(ト)に受車(ハ)及軸(ホ)を装置したる臂の構造
一 本文所載の目的に於て全文に詳記し且別紙図面に明示する如く索条に抱着せる吊杆(2)の下端に回動性の懸環(3)を付し搬器の(5)に回動性の懸鈎(6)を付し且つ懸鈎(6)の背頭(7)に上下両端にて吊杆(2)と(5)とを挟定せしむべきS字形をなせる可動性の制止器(10)を框着して成る前澤式索道搬器
一 前記目的を達する為め鉄鞍式扼子溝内頂部に弾機により常に押し出さるべく保たれたる突子と溝内側方の突起とをして索線の撚り目「ピッチ」と合致せしめ此頂突子と側方突起とを索線の撚り目に食い込ましめ以て急勾配に際しても扼の褶辷することなからしめたる架空索道搬器
二 前記目的を達する為め本文に詳記し図面に示す如く鞍扼子(ロ)の中央位に深く縦溝(ハ)を設け此内に弾機(二)と下先端鋭状(ホ)をなせる突子(ホ)とを嵌装せしめ突子(ホ)は弾機により常に押し出さるべく保ち此突子(ホ)の先端と側方突起(ハ)又は(ヘ)とをして索線の撚り目「ピッチ」と合致せしむべく構成したる扼子を具えて成る前記第一項記載の架空索道搬器
一 前記目的を達する為め鉄鞍扼子式の搬器に於て索条に常時跨がるべくなしたる又状保護桿を設け搬器が受索軸上に来たりたるとき受索輪に又状保護桿が支障とならざる様該又状保護桿をして適宜に動作すべくし以て受索輪上を無事通過し終りたるとき直ちに原位に復すべくし受索輪以外の位置に於て搬器が索条に対して躍り上り再び落下するとき其又状部によりて制限せられて索条をして安全に扼子溝内に嵌合せらるべくなしたる架空索道搬器
二 前記目的を達する為め鉄鞍扼子式の搬器に於て索条に常時跨がるべくなしたる又状保護桿を設け此保護桿をして搬器が索条に対し躍り上がり再び落下するとき其又状部によりて制限せられて索条をして安全に扼子溝内に嵌合せらるべく且つ該又状保護桿をして搬器体に対して自由に上下に摺動し得らるべく構成して搬器が受索輪に達したるとき受索輪により保護桿を押し上げ以て支障なからしむべくなしたる前記第一項記載の架空索道搬器
三 前記目的を達する為め本文に詳記し図面に示せる如く両脚又状形保護桿(ハ)をして搬器体(a)と[木+内]形又は蟻形其他の嵌接合となし且つ両体の接面に滑転球子を装設し螺釘其他の手段にて両体の分離せざる様接合して成る前記第一項又は第二項記載の架空索道搬器
一 本文所記の目的を達せんが為め本文に詳記し且別紙図面に示すが如く相連結せる2個の滑車の後車に框着せる連版には甲鈎杆を固定し平時斜立せる連版が停車場に達し前車が軌条上に乗駕するときは水平に転位し自然に甲鈎杆を伏せしめ更に軌条上を送行する際他の乙鈎杆に関連せる装車版に付設せる滑車を伏車子により圧下せしめ以て該鈎杆と装車版との関連を脱せしめ以て之を開かしめ出発の際は先乙鈎杆を摺行杆に懸合せしめたる後甲鈎杆を懸合せしむべくせる架空索道搬車
二 本文所記の目的を達せんが為め本文に詳記し且別紙図面に示すが如く装車版に設けたる載欠内に鈎杆(9)に連着せる転子を嵌合せしめ鈎杆を起し其嵌合を脱するときは鈎杆を伏せしめ得べく装車版には滑車(11)を付し以て之を圧下して転子の嵌合を脱し又滑車(11)を軌条(17)上に乗駕せしめて転子を嵌合せしむべくせる前記所載の架空索道搬車
一 前記目的を達する為め鉄鞍式架空索道搬器に於て其扼子を二分し之れを夫々扼子框に枢着又は関着し搬器が索線上に架載せらるる時両扼子片は閉鎖して索線を挟齧すべく且其挟齧状態にある時両扼子背部にある楔孔を開らき此内に楔杆が自働的に嵌入せられて両扼子片を開らかざるべく楔止し以て両扼子の索線挟齧を確実ならしむべくなしたる濱田式架空索道搬器
二 前記第一項の搬器に於て扼子背に挿入せられたる楔杆が停留場に達したる時軌条其他の手段により自働的楔孔より抽出せられ両扼子の拡開を自由ならしむべくなしたる濱田式架空索道搬器
三 前記第一又は第二項の搬器に於て扼子背に挿入せられたる楔杆が停留場に達し抽出せられるたる時両扼子の背部にある弾条(d)の作用により両扼子が一点を中心として自然的に拡開すべくなされたる濱田式架空索道搬器
四 前記目的に於て本文に詳記し図面に示せる如く二つの扼子片(a)(b)は扼子框(c)に夫々軸(a')(b')にて枢着せられ其軸に纏付せられたる弾条(d)を以て常に扼子(a)(b)の扼口を開らき勝手に保つべくなしたる前記第一項の濱田式架空索道搬器
五 前記目的に於て本文に詳記し図面に示せる如く両扼子片(a)(b)の上背部に設けられたる楔孔(9)が扼口が閉じて索線を挟齧状態にあるとき開らきて其上位に弾条(k)に依り圧し付けられつつある楔杆(h)が其上背部の扼子開孔に自働的に嵌入せらるべくなしたる前記第一項の濱田式架空索道搬器
六 前記目的に於て本文に詳記し図面に示す如く楔杆上部は框筒(i)を貫通し之れに依り誘導せられて上下動をなし其上部にある滑車(n)と停留所に設けられたる突出軌条(o)との関係に依り搬器が停留場に入りたる時楔杆(h)は扼子上背の楔孔より抽出せられ楔子口の拡開を自由ならしむべくなしたる前記第一項の濱田式架空索道搬器
一 本書に詳記し且つ別紙図面に示すが如く一の搬器に対し其左右に突出せる臀部(3)(3)に設けたる各一個の透孔(4)内に二片より成る突起(5)(5)をして常に外方に開くべく緩挿し其上端を枢軸(8)によりて連接し突起の下部は斜めに外方に張出して其下端には内面に索条の撚目に一致すべき撚目(12)を分割して設けたる扼子(6)を二個所に具え扼子の下辺は索条の断面約七分を抱擁すべくなし以て重量又は動搖の増加するに従い益々把握の度を加うべくなしたる長谷式撚目鉄鞍扼子
一 前記目的を達するため鉄鞍式索道搬器に於て其鉄鞍[手+厄]子の尾[木+干]をして搬器体に貫通せしめ其両者の負荷に滑転球子を装子して器体に対して自由軽快に機動し得べくなしたる濱田式架空索道搬器
二 前記第一項の搬器に於て搬器体と共に油溜室を鋳成し之れより導溝を経て器体と[手+厄]子との接触部位に油を自由に供給し得べくなしたる濱田式架空索道搬器
「ハリッデー」式架空索道の改良
鉄道マニアの人はどうぞ.罫線はどういう意味があるのか不明だったがとりあえずそのまま入れた.
http://www.ipdl.inpit.go.jp/Tokujitu/tjsogodb.ipdl?N0000=101
文献種別「C」,文献番号を下記コピペで栗.ハイフンの前,表記のないものは昭和なのでS20とかS26とかにする必要あり.12/25に修正.でてこないときは文献種別「B」で.
OCRでも結構面倒...
割れ着和暦を検索しやすいように変更。前のも書き改めるか。
本棚の整理をしていたら買ってそのままになっていたのを発見.少しずつ読み進めている.文庫本だがガチ経済の話.最初はとっつきにくいが戦後からの各論にかかる頃から「なるほどなー」が増えて印象深くなる.戦後間もなくの日本はスイスのような文化国を目指していたとか(日本国憲法第九条につながる話),敗戦後に高炉がさらに減って八幡の3基だけになったとか.戦後史観は自分に身についてない分野だから,これで補えたらいいな.
廃道がらみで歴史の微細構造を見てばかりいると大局が掴めない.歴史の教科書では大筋過ぎて身近に感じられない.間を埋めるのは自分でしなければならない.大変っちゃあ大変.まあ,いまの日本ではそういうのを知る必要もないのかも知れないけれど.
売れているかどうかはさておき(実際のところいま段階ではわからない),出来たものに対する認識?評価?については2人とも同じ方向性であったことを確認し安心した.読まれた方の評価も(ピー)ということで何よりである.自分は怖くて見に行けない.書いて垂れ流し・投げっぱなしが良くないことはわかっている.だからこそ自分で各所に送りつけておるのだ.
献本先を一つ漏らしていた.今年中に送っておかなければ.そういえばクロネコメールで厚2cmまで送れるのだったな.そっちを使ったほうがよかった...あと,追加で数部いただくことができたのでどこかへ送りつけたいと思う.どこがいいだろう?おすすめの場所があったらお教えいただきたい.てか個人購入の分も捌かないと.+1
珍しくいまの時期に大掃除が済んでいる.本棚も少し整理ができた.
もう読むこともないだろう本(Vine Linuxの入門書だとかネタで購入した良悪パソの本とかHTMLのタグ辞典旧とか)を片付けたほうがよいような気がする.数年前から本棚の肥やしになってるやつなんかはヤニまみれなので捨てるしかないだろうが.蔵書の大半は古本で購入したやつで,そういうのは捨てるに忍びないが,新しく購入したものでもう読むこともないだろうものはさっさと捨てるに如かずだろう.いつも思う.自分は書籍のターミネーターである.
紙資料の片付けも徹底したいような.どのクリアファイルに何入れてあるのかわからんくなりつつある.エリア分けもちょっといまいち.背表紙に何も書いてないのがいけない.毎回毎回『林道のあゆみ』を手にして違うと舌打ちするのはさすがに愚だ.
あと,抜き出して断片になってしまった資料のナイナイ.あとで自分が困ることは屁を見るよりも明らかである.日本近代の架空索道とか.ページ抜けると府立中央まで行かなければならなくなる.その面倒くささから逃避するために特許タグをやってたりするのだがまあ無駄な話だ.時間はもっと有益に使え.
純粋に「この情報を広めたい」と思う時の宣伝の難しさ.自分が感じたことを書いても共感を得られないことを知っていながら広めなければならないという難しさ.いろいろ考える割にちっとも答えがわからない.どっかで新次元な何かをせにゃならんのだろうがそれが何なのかわからないから困る.いろいろやってみるしかあるまい.まず最初は恥をかくことを厭わない辺りから始めなさい>nagajis.嫌われることから取りかかりなさい.手を拱いてたら何も進まぬよ.
九州・山口の近代化遺産は景観法に基づく指定から始めようかという話に落ち着いた云々という話を読んだ気がする.世界遺産も文化財指定も若干お役所仕事的なところがあって,その指定以前に何かの文化財指定(例えば世界遺産なら国の重要文化財とか登録文化財とか,国文化財指定なら県とか市町村の文化財指定とか)がないとならないみたいな風潮がある.それがその物件のもつ価値を端的に&普遍的に示す指標として有効だから仕方ないといえば仕方ない.人の能力を測るのに「資格」が幅を利かせてるのと同じ.
だけどもなあ,とは思う.能力があればどんな資格でも得られるが(得られる権利がある.実務経験とか要資格とかあるだろうが),物件はステップバイステップでしか許されない.ということは個人が「いいものだ(遠い目)」しただけではいいものにならず,自治体や政府のお墨付きがない限りそこで終わってしまうということになる.公的にお墨付きを貰わないと両者ともただの馬の骨で終わってしまう.
何度も引き合いに出すが,産業考古学会の推薦産業遺産制度はその点に注目した面白い試みといえる.あえて未指定のものに限って推薦し,人々の注意を喚起するという.権威の笠を着る行ないといえなくもないが権威の使い方としては間違っちゃおらんよな.近代土木遺産制度,近世以前土木遺産制度も同じようなところがある.破壊され失われやすい土木構造物を守るための箔付けだ.
逆説的だが,人が「○○遺産」という箔に左右されず,自分がいいと思うものをいいと信じ,誇ったり宣伝したりして省ることがないような世の中になれば万事うまくいくんじゃないか.他人の「いいもの」を素直に自分の「いいもの」とできるような風潮になれば.廃道は好きだが廃墟には距離を置きたいなどと面倒くさいことを云うnagajisのようなやつが減れば.世の中は徐々にそのようになっていってて,nagajisは要らない子確定なのだから,そこは心配しなくともいい.時を待て.その間自分がどう食い繋いでいくかはまた別問題.
世の中に迎合する練習をたまにはしておくべきだろう思い、独りケーキを買ってきて食べている。お世話になった方々に感謝しつつ。ケーキである必要はなかったかも知れない。
クリスマス(イブ)は彼女と過ごさなければならないという風潮で,そうでない人を憐れむような放送をラジオがやっている.どうだっていいじゃないか.その通念は通念として伝え残す必要があるもののように思われない.
自分がそうありたいと願うことを,さも常識のように述べ立てて誤誘導するような振る舞いは差し控えなければならぬ.自分の理想我を人に押し付けるなと.それって廃道を喧伝するのと同じじゃね? と思われたらnagajisの負け.廃道が流行になったところでnagajisの価値が上がったりはしないのだ.廃道探索が流行って過去が見直されるようになればいいのであって,nagajisの名を売るために廃道を喧伝するようなことがあってはならんのだよ.と思った.ケーキの効果が全然ない.
新調した。レンズは8年ぶりである。クリアな視界がこのうえなく有難く、今度は傷だらけにしないよう気をつけながら使おうと思っている。机の上に適当に放っておくとレンズを下にして転げてしまうので注意すること>nagajis。
メガネの仕上げに時間がかかるということだったので、時間潰しにふと思い立ち、部室へ行ってみることにした。ついでに偉人伝献本してこようという魂胆。その途次、待兼山の住宅街にロータリーがあることを発見した。そういえばそうだったな、ここにはロータリーがあった。記憶が擦り切れるほど何度も通った場所なのだが、ロータリーだということにこれっぽちも関心を持っていなかった。
ちゃんと標識もある。
村田鶴との脈絡がこんな近くにもあったとは。とはいえこんなものまで脈絡のうちに入れていいのか>jis? そのうち村田姓の表札まで撮り始めるかも知れない。
で,行った部室にはクリコンの日であるにもかかわらず誰もいない.そのうえOBお断り的な張り紙がしてあって門前払いの格好.ううむ.
まるでアリバイ工作のごとくに大量の書き込みを投下する.[特許]カテゴリをやめて[戦前特許]に変えた.最初のやつも和暦表記を一発クリックで済むように修正.
眼鏡のアップデートを待つ間,ぶらぶらと歩き回った.たまたま鞄に偉人伝が入ったままになっていたことを思い出し,それをチャリ部に呉れてやろうと思い立ち,2駅歩いて部室まで行ってみることにしたのだった.
明道館.学生時代に一番長く居た場所.要するに部室長屋である.文化系クラブや古くからある体育会系部が居着いていて(チャリ部も一応体育会系だった),各部が好き勝手に使っていた,やや無法地帯的な場所.言い換えれば最も自由のあった場所である.卒業してからはめったに訪れることもなく,現役生と交流や面識があるわけでもない.昔を懐かしむおっさん風情でふらっと訪れるのが好きだった.
自分が現役だった頃はコンクリート打ちっぱなしの壁,および床天井の汚い建物だった.革マルゴシックで「造反有理」とか書かれてたっけな.入り口の軒下部に軽音の謎の倉庫とピアノがあって,その隣にチャリ部の自転車が詰め込まれてて,ひどく邪魔だった.明道館の中庭は,アメフトの防具,灰色の猫,そしてゴミと腐敗が常にあった.それが今やすっかり小奇麗になって,タイル貼りになっていさえする.違和感しかしない.
昔のチャリ部はBOX2.正面の階段の脇を入ったところ.鍵などなく,土日祝日年末年始関係なく入れていたのだが,自分らが卒業した頃からボヤ騒ぎや盗難事件が相次ぎ,セキュリティーがうるさくなったそうだ.新部室には鍵がかかっていて,それっきり.クリコンの日だというのにケーキ&鍋の用意をする姿も見られない(実は昨晩やってたのかも知れないが).
献本は取っ手にぶら下げてきた(この一冊は自費購入分ということにしておく).
変わらないのはこの銀杏くらいだろうか? 生協食堂との間に銀杏の大木が生えていて,秋口にはそこそこ綺麗だった.すっかり葉を落として寒々しい姿になっていたが,唯一当時と同じ姿をしている.銀杏の葉をモチーフにした図案が校章だ,といちよう説明しておく.
イ号館前の池は埋め立てられて小奇麗な建物が建っている.そのうえ公園風ひろばまで作られてある.一帯が学生の憩いの場になっているらしかった.こんなものはなかったぞ.せいぜい埋め立て後の更地くらいしか記憶にない.石橋配水池のほとりを歩けるテラスまであった.こんなおしゃれ臭いもの,似つかわしくないと思う.
かつてのロ号館前のメインストリート.ロ号館は建て替えられ,ロ大講以外現存していない.なおロ号館は文字通りロの字形になっていたがイ号館はイの字形でなかった.単にイロハで命名してた頃の残滓というだけだ.
このほかにも図書館が作り替えられすっかり様変わりしている.書庫は相変わらずだったように思う.自分は工学部図書館の旧館最上階が好きだった.
入学シーズンにはこの通りでクラオリ(クラブオリエンテーション)が行なわれる.各部寄り集まって一斉に勧誘滑動をする行事.入学した春,何も考えずに自転車部のブースへ直行したのが運の尽きだった.そういえばSさんが泳いでいた池はどうなったんだろう?
イ号館.たぶん現存最古の建物.桃色の塗装が品のなさを体現している(当時からそうだった).西門から入るとまっさきに見えるのがこの建物で,よく目立つことからシンボルタワー的な扱いをされることもある.しかしここで講義を受けた記憶がほとんどない.
西門を入った所の植え込み(大仰に「待兼山庭園」なんて名前がついてたな,そういえば)に,こんなものが建っていた.前身の浪高時代を懐かしんで建てられたものらしい.吐き気を堪えつつ大高全寮歌を謳歌していた我々世代からすると今時感・今更感しか感じられぬ.どの面下げて今頃か.
私の通学路であった西門の坂.自転車部OB会の会報のタイトルにもなっている.私がいた頃はまだアスファルトだった.合宿から返ってくる時,ポタ帰りの時,最後のこの坂を登るのが辛かったり嬉しかったりした.一番思い入れのある坂道だったが,それも変わってしまって,こんな人造石張りの小奇麗なものになっている.
なにより驚いた変化.7時〜20時の間は自転車以上通行禁止になってしまったようだ.まるで学校の所有地みたいじゃないか.そうなったのか.確かにこの坂,調子に乗って下ると危ないのだよな.人が多くて.石張りにしたりしたら余計に危ないだろうと思う.
阪大坂を外れ,石橋配水池の堰堤から見る眺め.この貯水池の堰堤も新しくなっていて,ともかく小奇麗な感じばかりがする.愛校精神が強い方ではなく,むしろ没交渉で通っていたことすら黒歴史だと思っているほどなのだが,変わった姿を見せつけられると本格的に「お前の来る場所じゃないんだよ」と言われているように思われて切なくなる.唯一の拠り所だった部も明道館も変わってしまって,殊更その感が強い.
ネームバリューというか拠るための大樹というか,そういうものとしてOUCCを考えたことはなく,そういうものでないからこそOUCCが好きだった.部の隅にいて主に傍観する係,時折突拍子もないことをやって石を積む係であることに喜びを感じた.Since1966をカウントアップするいち回生であることが誇らしかった.そういうものを感じる対象では,すでに無くなっていることを,改めて感じさせる.nagajisの居場所はいつだって無いのである.
堰堤の上をゆく道を進めば,写真の階段,待兼会館前を経て明道館に直行できる.授業をサボって部室に篭る学生の御用達の小道であり,通称「留年坂」という.自分も留年したがこの坂を登り過ぎたからではない.自転車だと西門入っていったほうが早い.
坂下の通り.全国一湿気た学園通りだと思っている(ちなみに正門前はすぐ外環なのでほんとに何もない).よく利用した2つの古本屋もお好み焼き屋もなくなっている.あるのは二升五合を掲げたいこい食堂(の建物.相変わらず営業してるのかしてないのかわからないボロさ),あまりいい思い出のないクレストウッド,向かいに別館ができたダイワサイクルくらい.
坂下交差点.自分が住んでいた下宿は正面の高架(√171)の方へ進む.左手前−右奥が北摂へ向かう√173.右へ曲がれば√176.この関係,慣れるまで少々かかった覚えがある.一つ北の井口堂交差点のところで三者が分かれるように,長いこと勘違いしていた.
√171の高架沿いに降りていくと,もう1つ,お世話になった古本屋がある.ここは専門書教科書の類が充実.あと時々歴史書の面白いのがあった.串田孫一の「峠」もここで買った覚えがある.かなり初期のこと.水曜日曜定休で,こうやって休みの日に来てしまい落胆するという愚を何度もやった.
近くに主将のI氏宅があったはずで,記憶を頼りに向かってみたが,到達することができなかった.建て替えられたのか,自分が記憶違いしているのか.
√171下の阪急の踏切.すぐ隣に石橋駅があり宝塚線と箕面線が分岐する.この踏切で長く待たされた時は決まって緑のプレートを掲げた準急箕面行きもしくはその逆がやってきた.箕面線は全くといっていいほど利用したことがない.その方面への用事は自転車で済ませていた.
チャリ部御用達の石橋温泉.通称「バシオン」.私は下宿近くの共栄温泉のほうへ行くことが多かった.
駅前通りの丁字路を過ぎ,天神橋を渡って川沿いの細道へ入っていくのがいつものコース.その道から振り返った光景.川の名前は今だに覚えていない.商店街の赤い橋の下を流れている川の末だ.
2002年に長旅に出た時,最初に撮ったのがこの風景だった.もう二度と見ることはないのだろうなと思いながら撮った覚えがある.しかし今,行こうと思えばいつでも行ける距離に暮らしていて,そして数年ぶりに同じ場所に立ってみている.その程度の思い入れである.
昭和43年架設の赤い橋のたもとで川沿い道を離れ,この小道へ入っていくと若干近かった.中央に見える小さな十字路を左へ曲がる.この角で何度ゲロを吐いたことか.追いコンでちゃんぽん酒をピッチャー一杯飲まされたうえ江田賞のトロフィー(とは名ばかりの操舵輪.マジモンの操舵輪で重い・嵩張る・抱えにくいの三重苦の物体)を抱えながら帰る時も吐いた.
天神荘.元は会社の寮だったという建物で,廊下を挟んで部屋が向かい合うという,まさにそれらしい作りの建物.最初は1階の端から2番目の部屋に住んでいた.共同トイレ,風呂なしの六畳+四畳半+申し訳程度のキッチンスペース.やがて2階に移った.部屋の改装が済んでないからということで部屋を移らされたのだ(その改装で風呂がついたが,2階の部屋は未実装で,その部屋に最後まで住んでいた).N氏が置いていったクソ重いドラフターを分解して一人で担ぎ上げたのを今でも覚えている.眼の前が真っ赤になるという比喩を初めて理解した.
大家さんはいま住んでいるところの大家さんでもある.学生時代の縁でいまのアパートに入れてもらったのだ.器用な人で建物の改修や補修なんかも自分でしてしまいはる.この看板も大家さんの手製だったはず.
天神荘前の通り.昔から自転車置き場には屋根がなかった.駐輪ポストもない.この通りに自転車を並べて停めるだけだ.スタンドのない旅行用の自転車には辛かった.
奥に見える茂みは民家の勝手口.イヌビワが植えてある.毎年5月〜6月頃にはいい薫りがしたものだが,イヌビワだし民家の植木だしで食べることはしなかった.そういえば明道館のそばにもイヌビワの木があったっけ.一つ試しに齧ってみたが香りばかりで旨くなかった.
この通りから一つ表に出たところが√173と√171を結ぶ府道で,高架になったその下に小さな公園がある.この公園もなんだかんだでよく足を運んだ.素振りとかしてたような.
フェンスの向こうに見えるオレンジ色の庇は「宮崎たばこ店」の跡.CAMELのある自販機があって便利だったのだが,自分が院のときだったかに廃業して無くなった.
府道を越えて駅方面とは反対方向に進めば,住宅街の真ん中にスーパーと少々の店が集まっていて,小さな商店街を形成している.何でこんなところにあるんだろうと思うような奥まったところ.この商店街が自分が最もよく利用したところだった.
スーパーの隣に共栄温泉.要するに銭湯.ここのコインランドリーは24時間営業(といっていいのか・・・鍵を閉めずにいるので勝手に入れるのだ)で,バイトが24時上がりデフォだった自分には大変有り難かった.
懐かしさのあまり,思わず入ってみると….当時と変わらぬ設備のいろいろ.200えんのこの洗濯機ばかり使っていた.1つ30円の洗剤はいまでもちゃんと機能しているようだ.
そして相変わらず置かれている聖教新聞.どこが契約を取っているのかわからないのだが,必ずその日のものが置かれていた.暇つぶしに眺めていたこと多数.傍から見るとシュールな4コマ漫画も健在.
日が暮れる頃,駅に戻った.ついでに東口へ足を伸ばしてみた.石橋駅は非高架駅なくせに西側の商店街と東口のとを行き来できる通路が1つしかない.それが王将前のアンダーパス.2回の時だったか,大雨で附近が水没したことがある.その時運悪くこの高架下に自転車を停めていて,えらい目に遭った.腰まで浸かって足で掬い上げて回収した.あと,ここで高度計つきのサイクルコンピューター定価8000えんをパクられて泣いた覚えがある.それ以来サイクルコンピューターの類を使っていない.
我が部御用達の飲み屋「すずめのお宿」の跡.引退してからも何度か一人で飲みに行った.人生で初めての行きつけの店だったのに,これもなくなって,面白みのない串カツ屋になってしまった.メニュー立てに挟まれていた「そのひぐらし取って−」「ハッ!」というイラストを今でも覚えている.ママさんは孫ができてよいばあちゃんをしていると風のうわさで聞いた.
もう一つの御用達店の跡.名前を思い出せなかったが,そうだ,「ふるちと」ならぬ「ふるさと」だ.日本酒党はこちらへゆくことが多かった.二次会・三次会とかも.先輩に連れられて行くとこわいことになる店だったので若干敷居が高い印象を持っていた.すずめより先に廃業し,ファーストキッチンになったあと今の店になったはず.嗚呼栄枯盛衰.
石橋駅東口.阪急沿線では最も雑多で不便な駅前.かろうじて車が入れるが,√176高架脇の細道を入って行かねばならず,箕面線踏切を渡らねばならず,うえに学生が絶えること無く行き来したり酔っ払って暴れたりゲロってたりして邪魔なこと限無なところを割り込んでいく必要がある.西口も駅前まで道路が通じてはいるが似たような賑わい.ここで輪行するのは恥ずかしかった.大阪駅とか都道府県庁所在地の駅では平気なのだが.
駅の作りはほとんど変わらないが,入り口に何やら店ができたりエレベーターが設置されたりしている.古レールの扱いも変わった.以前はまだ刻印を読むことができていたが,新たに重ね塗りされてしまい,一文字たりとも読めなくなった.阪急創業時代の古レールが並んでいた覚えがある.
以上,おしまい.
子ウィンドウで開いて補完したれって,そりゃXSSになるわな.面倒だが一つずつ手でコピペしてもらうしかねえ.
やななの制作費は1万円らしい。あれでもいちまんえんもかかるのか!
馬鹿の一つ覚えでWiki化しようとしているが若干躊躇っている.tdbやpdbと違ってスタートライン以前の話だしゴールテープも遠い.霞んで見えないくらい遠い.作っても自分がまったく手を加えないだろうことも明らかである.完全に他人任せである.やってもらうことはフォームにコピペして画像の文字を入力してもらうだけなんだが,その「だけ」が面倒だ.いちいち画像認証せんといかんのも(仕方ないとはいえ)面倒.先に土木関係から始めようか.それともその練習として第78,79項をやっておくか.とりあえず少し寝かす.
t/o.贅沢な味わいである.
大阪市立図書館は思わぬ稀覯本が蔵されてて吃驚させられる.稀覯本といってもnagajis的に価値があるというだけなのだが,この本なんかは特にそう.堀威夫が土木学会功績賞を受賞した年に記念に行なわれたという対談の記録だ.国立国会図書館はおろかOPACにさえない.大阪市立図書館にしか存在しない.交通科学博物館の南和鉄道史の如きもの.知りたかったこと色々がさりげなく書かれてあって久しぶりにカタルシスを得た気分になった.
―技人一如― 序にかえて
「君子は器ならず」といふ。一技一藝の達人は、立派な人格を備えてゐなければならぬ。技術者が如何なる精功な道具をもっても置き代える事の出来ない人間としての価値が茲にあるのだ。
一技一藝に秀れる事もなかなか難しいが、人間として完きを得ることは愈々至難の業である。
専門的素養と道徳的人格とを切り離しては、達人の資格は成り立たない。自らの立場を、正しく理解して全体の理想に向って綜合的効果をあげる様に行動することは、人間のモラル、キャラクターに據るのである。
技術の作品は作者の創作である。創作だから進歩がある。創作は作者の人格の顕現である。
「礼を知らざれば立つことなき也」と云ふ。礼を知る事は他との調和を知る事である。調和を知るためには正しく全体を見なければならぬ。正しく全体を見て他との調和する事を知らずして自分の立場のわからう筈がない。調和といふのは、他を食わず自分も食はれずの事である。礼を知るのが人格である。茲に「技人一如」の境地があるのだ。
斯くて技術者の行動への信念は、彼の素養と人格とに根ざすことを自覚すべきである。
凝っては百錬の鉄となり発しては万朶の桜となるのは偶然ではない。何者にも畏怖せしめられず、何者にも歪曲を許さぬ正に堂々の信念である。技術の結論に妥協は許されぬ。即ち素養と人格の顕現である。
練達の素養、完璧の人格は技術者の人生にとって最高至難の目標だから、常往坐臥、不断の反省と真摯な修養とが要る。これは終生の問題であり、終生反省と修養とに情熱と謙遜とを怠ることは出来ない。棺を蓋ふに至って、なほ円熟に遥かなるが一般である。況んや、幾莫かの処世経歴は、技にしては一知半解、人にしては未熟半成。然るにも拘はらず、兎角慢心に堕することは、心すべきである。敢て巻頭を汚す所以である。
附記
本文は凡そ40年前に(私にとっては大正12年以来の敬友である)中川辰夫君に添削して貰った事がある。勿論茲にある文章の通りではない、同じ趣旨の文章は何処かで幾度か活字になってゐるかもしれないといふことを附記しておき度い。中川君はあらためて紹介する迄もなく土木学会では忘れてはならぬ功績者である。
東熊野街道でお世話になった石本伊三郎先生から御礼状が届いた。自筆の葉書を頂くとめったにないことで嬉しくなると同時に身が引き締まる思いがする。今も古文書整理に勤しんでおられるようでなによりだー。
24日に片付けてから綺麗な状態を保てている。こまめにゴミ拾ったり皿洗ったり本棚から出した本を片付けたり。ここに書いて驚いてみたくなる程度に珍しいことである。これまでの人生に於て初の出来事である。この調子できれいなまま年末を迎えてみたいものだ。さて持つやら。
今更そう思った訳ではないのだが近頃つくづくそう思う.以前はものを識らなかったおかげで気安くいろいろ言うことができた.体力に任せて無茶をすることができた.自分を主張するためにあえて脇道を選んだりする徒労を厭わなかった.その結果としていろいろなことがわかってくると,考えてものを言ったり沈黙したりすることを覚えて,逆に慎重になってしまう.得た知識で帰納的に答えが出せるようになることはいいことだが,その結果として考えが一本道化してしまっている気がする最近.こんな時はこう.あんな時にはあれ.延髄反射で親父ギャグが出るのと同じ理屈で思考が単純化してきている.
ものを識らない時のほうが総当り的にあれこれ試して,その過程で思いがけない知識に行き当たって知識の幅が広がっていたように思う.頭が固くなるのはいやなことだ.だからあえていろいろなことを書いてみたり考えてみたりしている.もともと芯のない人間で,それはよくないなあと思っていたけれども,しかし指向があちこちを向いていること(いたこと)は逆に利得とみなせるのかも知れない.そのそれぞれを放縦に任せておいたらいいわけだから.アメーバの手のごときもので.てな具合で自己完結しがちなのも宜しくない傾向であることよ.
信念はあるつもりでいるけれども,それを不可侵唯一神のごとくに考えるのは止したほうがいい.信じ奉りながらもどこかで間違っている可能性を考えておくべき.新たに積み上げる何かを探しているべき.自省,研鑽,して再構築.その面倒を厭わないようにしたい.ということを「技人一如」を読んで思った.いや別に自分は技術者でもArchtectでもないのだけれど.
人はいい人になりたくて模索をするから,聖人とか達人とかイチローとか,完成形に近いように見える人をあやかる.常に未完成であろうとする自分のようなものは不要なのである.
堀のいう「キャラクター」.設計した構造物,あるいは例えば彼の助役としての仕事のような,には設計者のキャラクターが出るという話.「性格」もしくは序でも何度も出てくる「人格」という言葉で置き換えても良さそうなのに,あえてキャラクターという言葉をもってきたのはなんでだろう.
Websterでは第一に印章の意味があって,第二義に性格的なことが書いてある.
2 a : one of the attributes or features that make up and distinguish an individual
(個人を作り上げ,区別する特徴・特性の一つ)2 c:the complex of mental and ethical traits marking and often individualizing a person, group, or nation
(人,グループ,国民を特徴づけ,時に独自のものにする,精神的倫理的特徴の複合体)
[Merriam-Webster]
2cのような意味合いを含ませたかったのだろうな.いまキャラクターというと「キャラが立ってる」みたいな軽いイメージばかり先行するから,かえって浮いた感じがしてしまうのが惜しい.これは自分の意識を改めなければならない.キャラクターとは内面から滲み出てくるもの,仕事や作品に否が応でも発露するものであると.
片付けついでにディスプレイしてみた。覚えているうちにタグ付けておかないと、どこで拾ったものかわからなくなるからな。研究資料として必要があれば貸し出します。
高原豊隆鉱山軌道/神子畑上部軌道/沢川林鉄/音水林鉄赤西上部軌道/大杉谷林鉄水越線/大杉谷林鉄日浦杉線(枕木共止め用長尺)/加賀山軌道(仮)/内山鉄之助の軌道/南和鉄道(JR和歌山線)川端支線
_ nagajis [いつも深い示唆をありがとうございます。年を重ねないとわからないことが沢山あって、そういうもののほうが本質なのですよね。慌てて求めても仕方ないのだと思う昨今です。]
_ ocoze@三重 [ひとのブログでの失礼をいつも許容頂き感謝しています。 ただ年を取ればわかるというものでもないでしょうし,何が本質であるかも私には今でもわかりませんが,ただ,その時にやるべきことのうちで出来るこ..]
_ nagajis [そうですね,無為に年取るだけではいけませんね.常に考えておきたいものです. 絵葉書の袋に路線図が書いてあるんですが,紀勢西線が木之本駅で止まっているので,S15〜S31のものと思われます.峠の茶屋..]
28日の朝になって今日が紙資源の最終日らしいということに気づき,慌てて不要本を処分した.その勢いに乗って懸案だった棚片付けを敢行した.その結果御覧の有様である(断っておくがこれでも片付いている).ここまで片付いたのはnagajis史上初なのではないか.
柳田国男棚.私にかかればハードカバーもこの通りのボロになる.函だけどっかいっちゃって,モノに紛れて踏んづけるからな.持ち歩いて繰り返し読んだ文庫本全集第2巻(「雪国の春」収録),第20巻(「地名の話」,「風位考」収録)なども表紙が取れるほどぼろぼろになった.セロテープで杜撰に補修したった.
その上2段が峠本棚.学生時代からの蓄積.半分以上内容を忘れているくせに読み返すことが無くなった.勿体無いことだ.最近は『北海道の峠』が追加されたくらいで全然増えていない.あ,コーヒー漬けになってた『兵庫の峠』を300えんで買い直したな.
片付けをした結果『岩手の峠路』や『京・近江の峠』をコピってたのを発見.後者は使い手がある気がするが,いまの自分が喜ぶような近現代の話は少なかったような覚えもある.
文庫本の『街道をゆく』やら『この国のかたち』は収納ケースに入れてよそにやった.『存在と時間』だけ抜き出してこれ見よがしに置いてみたあたりが小物である.ああ内容はちっとも覚えてないさ.『善の研究』ナイナイしたから許してよ.
実質的に機能しているのはこちらの2棚.あれやこれやの本の抜刷.主に地誌,報告書,時に○年史,ほか雑多なコピーの束.始めた当初はクリアファイルに入れて整理していたが,だんだんおっつかなくなってきて,最近はフラットファイルを使うようになった.そうして以前のファイルはラベルがヤニで真っ茶色になってしまっていた.いい加減汚いと思うようになったので全部剥がして貼り直したった.どうだすごいだろう(ドヤァ と主張したくなるほどに快挙である.ただし『村田鶴』と『墓』だけはそのままにしてある.8年分の経年劣化を保存しておこうというつもりである.
この棚でも有益資料が塩漬けになっているのを発見した.『大分県交通史』とか偉人伝で使えばよかったのに.矢ノ川峠の絵葉書もここで発見された.何故か和歌山の地形図(プリンタ出力)を挟んでいたレバーファイルの中に紛れていた.熊野街道繋がりのつもりか>昔のnagajis.
聞かれてもいないのに解説を続ける.左棚の上段は参考文献.人とモノの文化史『石垣』,小野田滋『鉄道と煉瓦』,長妻廣至『補助金の社会史』辺りはそこそこ役立ち,また身になっているように思うが,他は若干持て余し気味だ.『昭和の道路史』はまだその時代まで達してないし,K先生に頂いた『土木人物事典』は宝物だし,『日本百名橋』は東寄りだし(大阪人には『大阪の橋』がおすすめ.今でも書店で買えるよ).小林紫郎『隧道工学』は表紙が取れてほつれてしまうほど読んだので今はpdfを読むようにしている.後列に高等土木工学シリーズの『隧道工学』と三浦七郎『橋梁工学』がある.
その他は琴線に触れた読む用の本.大島亮吉と“ワンデー”板倉の紀行文が収録された『日本山岳名著全集5』,『現代紀行文学全集 山岳編上・下』は直接の参考にはなっていないが思想の糧になっているかも知れない.『虚航船団』も裏列に隠されてる.最も重要なもの,『評伝土倉庄三郎』や『こうだに誌』,『日本の近代土木遺産』,廃道本,辞書の類は右棚上段に並べてある.『道路トンネル大観』『林鉄の軌跡』のコピーは左棚の上だ.
下段に詰まっていたゴミのようなやつらも片付けたった.いまは比較的重要な本や喫緊利用予定の資料が収まっている.最近やっと発掘した『くずし字解読辞典』『五體字類 増補机上版』もこの棚だ.ついでに『篆書辞典』と『寄席文字』もこっちへやっとくか.
この棚にあるものの中で最も読んだのは,右棚上の端っこに挟まっている『標準国語便覧』かも知れない.高校の時の参考書だが,毎月この本を範囲にして国語基礎力テストなるものが行なわれていた.必死で覚えたものだ.お陰で国文学史が粗く頭に入っているのは怪我の功名的幸いである.山川出版の日本史の教科書もよう読んだな.今だにこれが歴史観の基線になっていて,読まないと歴史が思い出せない.
幅を効かせていたパソコン関係の書籍も今朝ざっくり片付けてやった.perlとphpとSQLのポケットリファレンスだけ臨戦状態にして,あとは後列に控えてもらっている.
写真で見ると右のラックがひどく歪んでいるように見える.最初は広角で撮ったからだろうと思ったが,そうではなかった.実際これだけ傾いている.ダンガーである.いつもこの棚の前に棚に並行して布団を敷いて寝ている.地震で倒れてきたらまっ先にわかる仕掛けである.
気をよくして『近衛歩兵第一連隊歴史』のコピーを読み直したりしてみたりしている.そうなんだよな,戦がたけなわの頃に徴集され,1年ほどで日露戦争は終わっているのだった.その後M41までいたのは兵役期間の関係だ.
近衛歩兵連隊は第一大隊附属,入営時期からすると沙河会戦,奉天会戦に参加している可能性が高い.補充大隊(増設第二中隊)に入った兵卒はどういう配属をされたんだろうか.花の梅沢旅団に混じってたりしたら面白いのだが.一応砲兵いたみたいなんだが.体格も良かったというし(確か身長180オーバーだったと思う.背が高すぎて国産の自転車が乗れなかったという).
この書,少尉以上の人事異動に関しては詳しいのだけど,実際に戦地でどういう動きをしたのかは能弁でない.なんかページ抜けてるし(コピーし忘れてるし).これだけではよくわからない.『明治三十七八年日露戦史』とか『機密日露戦史』とか読まないとだめなんだと思う.
対・公機関は投げっぱなしを覚悟してたので吃驚した.そういうフォーマットがあるみたいだけども,やっぱり礼状がくると嬉しい.そういう自分は礼状を出したことがない非道の極みである.
『日本の分水嶺』でお世話になった堀さんに報告がてら献本しにゆく.半ば押しかけたようなものだが快く迎えて下さったうえに秘策を授かってしまった.なるほど,そうするべきなのか.
2000年に山と渓谷社から出たこの本,ご存知の方も多いんじゃないだろうか.日本の背骨に相当する稜線「分水嶺」を隅々まで紹介したもので,テーマとして取り上げられたのは書籍史上初のはずである.確か3刷が出るほど売れた.そして間接的に日本山岳会百周年行事へつながっていった.大分水嶺辞典をやってた自分は写真と情報を提供したくらいで何もしちゃいないのだが,初めて本づくりに関わった一冊なので非常に思い出深い.ついでに情報提供者として名前を載せて頂いている.自分の名前が書籍に載った最初は『偉人伝』でも『廃道をゆく』でもなかったりする.
ここしばらく品切れ状態が続いていた(一時はAmazonのマーケットプレイスで1まん5せんえんの値がついてたこともあるらしい)が,今年の秋にヤマケイ文庫で再刊されることになったそうで,ついでだから加筆・写真入替するということになり,ウチにもご連絡を頂いた.というのが今年の6月か7月のこと.その時に偉人伝の話をしていたので,無事完成しましたを報告に行ったのだった.
初版第一冊から11年,いつのまにか堀さんの真似事をする身になったが,到底及ぶものではない.堀さんは本来ビジネス書籍を主にしていて,趣味でやってた山歩きの延長で書かれたものだという.それでも売れたというのだから真に力量がないとできないことだ.
しかしながら密度の高さに吃驚していただけた(って変な書き方やな).『偉人伝』の1ページの文字数は今時のふつうの本の1.8ページ分ある計算になるそうだ.それを考えるとお買い得なのかも知れない.内容はさておき.
で,紀伊国屋のWebの検索で「道を拓いた」で検索しても出てこないことも発見された.“”つけても同.著者名で検索してやっと出てくるという(たぶん「偉人伝」なら出てくるとおもう).どういう事だ紀伊国屋.前回檸檬ゴッコをした罰か.
嘘臭く片付いている以外は年末という気がしない.年末進行も特に無い.平和そのものの年末である.このままでは腑抜けた年末になってしまうのではないかという危惧がある.事実ゴミ出しの日を一日間違えてしまい可燃物2袋+αが年越しすることになってしまった.喝を入れる何かをせねばと思う.やるか.あれを.
先日の四天王寺さんで購入しておいた皮でベルトを作った.時計自体は300えん+電池代の安物である.
前からあるんだけどな…役に立たねえやつが.常に見えてるところに.匿名問い合わせは返答のしようがないから困る(AA略
ついでに表紙を無料公開化する.毎号無料公開していたつもりなのだが毎号バタバタ発行するので毎号忘れている.よくないことだ.2010年の夏以降の号は表紙だけダウンロードして記事名をクリックすると該当号をダウンロードする.きちんとフォルダ分けしてないと機能しないので注意(『「日本の廃道」とは』ページのふせん参照されたし).
圧力鍋が欲しくなって出かけたはずがバタークッキーと金鋸を手にして帰ってきた.どういうことだ.
仕方ないので不要になったパイプハンガーとリムを長30cm以下に切り刻んで不燃ごみとして出せるようにした.600えんの粗大ごみ代を節約するために500数十円の出費というのが愚かである.バタークッキーは普通に食う.
リムは2002年の旅の前に自分で組んだやつの末路.確か後輪に使っていたもので,歪んだと思い込んで前輪のと交換した.長いこと狭いベランダの隅で嵩張っていて,いい加減どうにかしてやるべきだった.全て捨ててしまうのは惜しいのでバルブ周辺の数十センチだけ取っておくことにする.こういう屑な思い出の品ばかり増えている.それが何だか思いだせなくなった頃になってようやく捨てられるのだ.
起きてから準備する.たぶん12時前後には現地にいる.誰ひとり私を知っちゃいないを確認してこよう.
鏡餅は買ってある.すでに飾ってある.そうして昨年同様林檎が落ちた.柔らかすぎるのだ.搗きたてで.
まるで全国各地にお母さんがいるみたいだ.言葉にするのも勿体無く,黙って感謝を抱え込んで居ることにする.
市街地にある割に2階建て+屋上駐車場という巨大さのコーナン豊中南店を目の当たりにしてその大きさに驚き「デケー」とか「でかっ」とか呟いたあと脊髄反射的に何か口ずさんだはずなのだがそれが何であったか思い出せなくてもぞもぞしている.
デカデカマヤコンやー
だったような気もするが違うような気もするし仮にその通りであったとしてもちょっとどうかという口合いで自分自身卒には信じられない.それならばむしろ「デカデカ45」とかのほうがhistoricalで普遍性一般通用性もあるのではないかと入眠直前のnagajisは思う.
「あいつ酒強ぇ」→「ツヨツヨや」あるいは「あいつは薄口な奴や」→「うすうすや」のように形容詞頭2文字を々てしまう癖は自転車部の先輩から伝授されたものではなかったか.後者は避妊具の商品名と掛けてあったのかも知れずそれを確認するためにわざとひらがなにしてみたがやっぱり違うかも知れない.こんな発想しかできない奴にインテリジェンスなんてあるわけがないのである.
何も売れず,しかし一冊いただいた・・・果報者である.
そしてぶり大根に挑戦中である.
しょうゆはまだ入っていないにかかわらず旨そうな匂いが立ち込めている.
それっぽいのができている.汁多すぎた.
5年前と同じ場所で同じ事をしにいった.何も変わってないことの再認識,或いは周囲の冷ややかな目に耐える訓練のつもりだったのだが,持っていった資料を読むのに熱中してしまいそれどころでなかった.しかもまっ先にmasaさんが来て下さって差し入れを頂いたりなどしてしまう.誰も来ないものと信じていたので少々失礼をした(うえに今日は眼鏡を忘れてきた.乱視で周囲に気を配れないのだ).相変わらずな阿報者である.
で,結局はmasaさん以外に寄ってくれた人はいず,何も売れず,誰からも相手にされなかった.にも関わらずこれっぽっちも落胆がないのは5年間の成果だろう.というこの感情を強がりで約分されずに受け取ってもらうことは恐らく無理に違いない.清々したというわけでもないが結果に満足している点ではやや似ている.
自分が作ったものを自分の手で売るということはかくも大変なことであると再認識.より積極的に仕掛けないと,何も起こらないのだよ>nagajis.
(写真はmasaさんに撮っていただいた)
差し入れの数々.コーヒーはすでに1本頂いた.この秋に出たばかりという『吉野川上の源流史』も頂いてしまった.この本は紀の川・吉野川源流としての川上村の歴史をふりかえったもので,なかでも伊勢湾台風の被災状況紹介が半分以上を占めている.代表的な写真しか見たことのなかった自分には参考になった.なにより地元に住んで村の変化をつぶさに見てきた方が書いたものというのが尊い.大迫ダム,大滝ダムの建設に関する話も考えさせられる逸話が多かった(著者の辻井英夫氏は『大迫ダム誌』にも関わっておられる).ダムの建設の裏にどれだけ多くの犠牲があることか.
ぶり大根に若干時間がかかったので早めに蕎麦を食す.実はそばの味付けってよくわかっていない.とりあえず塩と醤油だろ,旨みは中華スープの素でいいだろ,といって適当に放り込んだらこうなった.愚具も盛りだくさんで蕎麦には見えないが,旨ければそれでいい.
ぶり大根もよく味が染みてグッドな出来になった.ずいぶん昔にやった時にはすごく残念なただの醤油煮になってしまったが,文明の利器を導入し,手順を遵守してかかった今回は見違えるような出来だ.ぶりあらがとろとろなのである.骨まで食えそうな勢いなのである.やや渋くくどい感じがあるのは焼酎のせいだろうか.次回は控えてみよう.
ここまでの流れを重んじて今年はちゃぶ台で終える.昨年の今頃は見通しの立たない愁傷感のなかにあった.「なるようにしかなるまい」と思って8割方諦めていた.実際なるようにしかならなかった1年間だったが,それでも今,こうして年越しを迎えることができ,コーヒーを飲んでまったりしたりすることさえできている.意のままに歩き回り,こまめに部屋片付けをしたりできている.トランクを抱えて梅田と自宅を往復したりできている.有難いことである.
振り返ればいろんなことのあった1年だったが,瞬く間に過ぎていった気がする.それは自分自身が立ち止まっていたからかもしれない.怪我で身動きがままならない分,立ち止まってじっくり考える余裕があった.忙しく駆け抜けていく時間をうすぼんやりと眺めやることのほうが多かった.どんどん追い抜いていく時間を笑顔で見送るスキルが身についた.そりゃ置いてかれるわ,と思うが後悔はない.なるようにしか,ならないのだ.
来年はもうちょっと走るようにしたい.しなければならないこともいくつかある.どうぞ,よろしく.
Before...
_ sudofoo [発売日以降、彼方此方本屋で捜しても自力で発見できず。 KINOナビで在庫○のレシートを尾根遺産店員に見せてこれ何処にありますか?で、漸く入手。 発見できなかった敗因を考察すると、 1.廃道本と同じ..]
_ nagajis [確か神通川橋梁の説明のところにあるURLやったと思います>ocozeさん. あ,大丈夫です,理解してまする>isoさん]
_ nagajis [配架場所に定席がないので探しにくいですね>sudofooさん(お久しぶりです). 梅田では道路なんちゃらハンドブック等と同じ棚にありました.土木>道路>関連書籍という分類のようです.]