nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
何もなかった日曜日から中部工場のEXCEL化を始めて今しがたやっと全部放り込み終えたのだが名古屋県だけで200軒以上あるという状況を再認識させられる結果となり悪寒を覚えている現今である。ここから旧市町村の合併情報を手繰り現在の市町村にあてはめたうえで北↓東←に並べ替えねばならぬ。土地勘のない地域故にその作業の煩雑なこと筆舌に尽し難い。先に始めた岐阜県の多治見市だけで既にもう凹んでいる。然しながらお陰で名古屋県隣接地域谷間いに相当集中していることがわかり(但し耐火煉瓦である)一寸面白かった。ここなら中央本線で愛知にも長野経由関東にも出せる。海上輸送ではなく陸上輸送なのである。きっと。
愛知と三重は県統計書を真面目に作ってはるので明治期特に前半期の工場消長を追うことができ有り難い。三重県にも明治10年代から煉瓦工場が存在し四日市煉瓦などはその頃から戦後まで赤煉瓦を作り続けている。しかし最後は美濃窯業の四日市工場と伊賀窯業だけになってしまう。三阿耐火煉瓦も昭和50年に入って消滅するんでなかったっけか(現時点ではS51までしか放り込んでない;それ以降はほんとに耐火煉瓦しかなくなるので)。岐阜と愛知の耐火煉瓦は相変わらず盛況で現業の会社も多い。
時おり「インターネットの果て」を想像する。正確に言えばカテゴリタイトルのように「ウェブの果て」というべきだろう。ハイパーリンクによって複雑に連綿しているからこそ蜘蛛の巣に擬えてウェブとはいうのだけれどもそうしたリンクの関係を被リンクの少ないサイトへどんどんと辿って行けばやがて外部リンクを全く持たないサイトに行き当たるんじゃないか。例えばYahooのようなポータルサイトとは全く反対の存在、どこにもリンクを貼らない、ただ一つの被リンクだけでウェブと繋がっているようなサイト。そういうサイトはインターネットの果てといっていいんじゃないか。無論グーグルに拾われていたりしてはいけない。そういう中心から最も遠い所にあるサイト。部録”とかwww.kyudou.orgはいい線行ってるんじゃないかと思うがgooglableな時点で失格である残念ながら。冥王星の宇宙ステーションみたいな存在になりたいものである。
どこからもリンクされていないページ(サイト)を作ることは簡単だが、それだとウェブの一部を構成しているとは言い難く目指すものではない。張り巡らされた蜘蛛の糸の端っこを見てみたい/なってみたいのである。ま、PCやタブレットがすでにネットの端末なんだけどな。
何もなかった日曜日から中部工場のEXCEL化を始め今しがたやっと全部放り込み終えたところなのだが名古屋県だけで200軒以上あるという状況を再認識させられ悪寒を覚えている現今である。ここから旧市町村の合併情報を手繰って現在の市町村にあてはめた上で北↓東←に並べ替えねばならぬ。土地勘のない地域故にその作業の煩雑なことは筆舌に尽し難く苦行の第二クォーターとでもいうべきシーケンスである。先に始めた岐阜県の多治見市だけでもう既に凹んでいる。然しながらお陰で名古屋県隣接地域谷間いに工場が集中していることがわかり(但し耐火煉瓦工場ばかりだ)一寸面白かった。ここなら中央本線で愛知にも長野経由で関東にも出せる。海上輸送ではなく陸上輸送の便があってこの場所が工場地帯になったのであろう。きっと。無論耐火煉瓦に適した土がふんだんに手に入る立地であったことも大きいだろう。してそれが戦後になって隆々興々したものだということを自らの手で読み解いた愉悦。与えられた史実としてではなく自己の目自己の指自己の脳によって知ったということは大きいと思われる。年々の工場通覧を追いかけてゆくことは年々の変化を追体験することでありある意味リアルタイムな経験として認識を形成してくれる。この認識はずいぶん硬い。
愛知県と三重県は県統計書を真面目に作ってくれているので明治期特に前半期の工場消長を追うことができて有り難い。どちらの県にも明治10年代から煉瓦工場が存在し四日市煉瓦などはその頃から戦後まで赤煉瓦を作り続けていた。しかし最後は美濃窯業の四日市工場と伊賀窯業だけになってしまう@三重県。三阿耐火煉瓦も昭和50年に入って消滅するんでなかったっけか(現時点ではS51までしか放り込んでない;それ以降はほんとに耐火煉瓦しかなくなるので)。岐阜県と愛知県の耐火煉瓦製造は相変わらず盛況で現業の会社も多い。美濃窯業やYMT山増耐火煉瓦がそうだし他の工場も他会社の分工場となって名を変えて存続し続けている。
深い意味はないが先日の書き込みを書き直した。本当はウエブの果てのほうを書き直したかったのだが疲労蓄積により断念。特に目新しい発想でも特異な展開でもない。
第一章「S・カルマ氏の犯罪」を読み終わる。S・カルマ氏は高校時代に使っていた国語便覧のあらすじ書きそのままに名前に逃げられ壁になってしまって終わってしまった。奇妙なイメージの連続で少々くたびれた、というのが率直な感想。嫌いではないのだがここまで畳み掛けられると疲れる。どういう寓意が込められているのだろう、何を意味しているのだろうと考えながら読んでしまい、多分それは間違った鑑賞方法だ。映画を観るようにシーンを胸に描きながら読まねばならなかったに違いない。あっちこっちする意思と基本なすがままにされるばかりのカルマ氏、そういう人間を文章で描いてみせた作品を芥川賞として迎えた昭和44年という時代に思いを馳せつつ読むのがよい。
昨年の秋だったか今年の冬だったかに電気代未納で電気を停められた経験があるせいで帰宅の瞬間が落ち着かない。帰宅してドアを開け真っ暗な部屋へ立ち入って照明のスイッチをまさぐった時「また電気つかなかったらどうしよう」と思う。ルーターの小さなランプもパソコンのファンも動いていない室内で呆然としたあの夕まぐれは二度と経験したくない類いのものである。
ようするに緑の催促用紙が来た時に払ってしまえばよいのだ。黄色の用紙が来てから慌てて払うから毎回催促されることになる。緑の時に払わないと引き落としコースに戻らないのだ。それがわかっていながら毎回スルーするのはそろそろ変更したほうがよい。
[入力したらカテゴリ補完しようとしたりしなかったりするこのクソ機能はどうにかならんもんかいな。邪魔だと思ってクリックすると書き込んだところを吹き飛ばしてカテゴリ入れやがる。つまらん内容だったら構わないが長文だと一気にやる気が失せる。
いや待て、最初からやる気なんて無かったんじゃないか。無かったと思えばすべて丸く収まるのである。
朝のミーティングで苛々するのは何故だろうと毎度のことながら思う。自分がこれだけ苦労してるんですというアピールでしかないと捉えているからだというのが第一案。それを考えているとここを読んでる人も相当イライラしているだろうなと思う。ざまないね。
共感を得ることを本願として持っているとああなるんだろうなと思う。それが生まれつきの性質なら仕方あるまいが、じゃあ周囲は未来永劫それに付き合わされ、我慢するしかないのであれば、どこで我々は救われるのだろうか。我慢していると考えるからいかんのだろうなあ。関わらないのが最善手なのだろう。
人は何で苦労話をしたくなるのだろうな。こういうことをしたから苦労した、同じことをすると苦労するから気をつけよ、という教訓であればまだ、聞き手の役に立つかも知れぬ(分かりきったことを、と笑われる可能性はあるにしても)。そこなのかもな。自分の身に翻って来ない、役に立たない愚痴を、延々と聞かされるのは誰にとっても苦痛であるだろう。
共感、共感かあ。共感ほど嫌なものはない。押し付けがましいものはない。せいぜい私は誰にも共感を求めずに行こう。
何かの調査会社の一員としてとある市街地の一角に来ている。場所に見覚えはない。強いて言えば大阪城東区の商業地と住宅地の渾然一体となった辺りをもう少し黄昏色にした感じだろうか。大きなビルもあれば民家もある、しかし一体的に古ぼけて見える場面である。
私はドローンに乗る役を仰せつかる。ドローンに乗る?というのも変な話だが、要するにプロペラのついたバックパック+骨格スーツのようなものを装着して飛ぶもので、ロスオリンピックの開会式で飛んでいたアレがプロペラ式になったようなものである。例えるならヘリコプターよりも「ドローンに乗る」が適当だろうと思う。
何を調査するのかという肝心なことがよくわからないまま私は飛ばされる。基本的にリモート・コントロールで飛ぶようだが自分の意志で向きを変えたり進行方向をずらしたりすることはできるようだ。ビルや住宅が建て込んだ中にある学校のような建物の周りを、その学校の屋上すれすれの辺りをぐるりと回っていく。中々爽快である。
学校を回っていくと住宅街の中にある公園に出た。公園の縁には住宅が密集しているが、その手前、公園の縁に沿って、何やら不思議な構造物が並んでいる。二階建て構造三径間のπラーメンが等間隔に連なっている。まるで高架の線路のようだが、柱や路面に煉瓦が使われてあって、妙に古い感じがする。
それを見て急に、ここに高架鉄道の遺構があったことを「思い出す」。そうそうこんな高架橋がこの辺には残っていたのだ。それを調査しに来たわけではなかったはずで、夢の中の私は思わぬ発見として喜んでいる。
ドローンがその高架に沿うように飛んで行くのをいいことに、ちょっと軌道を変更させ、島状になった高架のひとつに降りてみた。両足でポンと着地した程度だったが妙にうれしかった。高架なものだから地上からアクセスすることはできないし、隣のπラーメンとの間に架かっていたはずのゲルバー桁は取り外されていて---よくもまあそんなリアルな設定を持ち出したものだ>夢---渡れない。こうでもしない限り上に立つことはできないのだ。高架を離れながらパンして眺めた高架の名残惜しいことといったらない。
そうやって軌道をずらしたことで予定コースから外れてしまった。両手をわっさわっさ振って一生懸命高度を稼いでみたり、体を傾けてスピードを上げてみたりして、遅れを取り戻そうとする私。それが上手く行き、無事出発地点に戻ってくることができた。周囲を回っていた学校の校舎前にある広場であった。
上司の指示に従ってドローンを所定の位置に戻し、さあ後は自由時間だとばかりに歩き始める。そうだ今度は地上から高架を眺めてみよう。そんなことを思いつき、高架のほうへ向かおうとする私。と、そこへ軟式テニスのボールが落ちてきた。
「おーい、6年、それ投げてくれ-」
上の方からそんな声がする。見上げれば校舎の最上階から身を乗り出して手を降っている学生がいる。なんで6年なのかと思ったが、そうかここでは級式なのだ(6級→5級→…→1級と進級するのである。と勝手に理解している)。投げねばならないのだな。
肩とコントロールにはそれなりの自身があるから、そのつもりでほいと投げた。が、あとちょっとというところで届かなかった。めいっぱい身を乗り出してわずかに足りない位置に投げてしまったのだ。いかんいかん、次はバッチリ決めちゃる、と本気を出そうとすると、場面はどんどんおかしくなり始める。校舎の建物が上に行くほど奥へ引っ込んでいって、その上に網が張られていて……何と例えればいいのだろう、甲子園の銀傘を1/3ほどにして、座席が3段のベランダになったような感じの構造物、その三段目のもっとも引っ込んだところに向かって軟式テニスのボールを投げている自分になる。あるいは映画館のスクリーンのところから映写機に向かって投げるような感じか。相手はもっとも引っ込んだところにいて、高く投げれば網に引っかかるし、低ければ無論届かないしで、中々上手くいかない。高めに飛んだボールがネットに引っかかって落ちて来なくなったりーーー網の上でポーンポンポン・・・と跳ねて「ああ」となるーーー、横投げで投げたら妙な変化がついて横へ逸れていったり、何故か真横に積み上げてあったCDの山に手をぶつけてコントロールを狂わせたり。結局、5、6球投げたが、相手の手に収まることはなかった(いつのまにか球の数が増えている)。
ちぇ、腕が落ちたなあ、とか何とか思いながらその場を去る。そうそうさっきの高架を見に行くのだった。確かこの方向へ飛んでいったはず、と思って向かった先には、校舎建物と隣接する住宅との間に開いた幅1mほどの隙間。あれ、さっきはこんなに狭くはなかったぞ、そうか上は開いているのだな。地上を通ればこうなるに違いない。隙間には金網などなく、向こうに公園が見え、子どもたちが遊んでいる姿もある。場所はあそこで間違いない。けれどもその隙間と公園との間には幅3mほどの溝川が流れていた。こんなこともあろうかと思って持ってきていた長靴に履き替え、渡り始める私。
久しぶりに細部を思い出せる夢だった。ドローンのプロペラがヘニャヘニャで、だからこそモノに当っても壊れないのだと理解したこととか、ボールが柔らかいせいでひどく投げにくかったこととか。基本的にたのしいゆめであるところもいい。しかし夢の中でも遺構に拘っているのは哀れというほかない。
して、煉瓦が夢にも浸出し始めているのは注意すべきである。溝川を渡る時にも何か煉瓦の構造物を認め、気を取られたような気がする。そのうち刻印煉瓦とか探し始めるんじゃないだろうか。実際そんな刻印探しの夢を見てしまっているような朧げな記憶もある。
夢を構成する論理は奈辺から生まれてくるものなのだろうか。何が夢の論理性を規定しているのだろうか。高架橋が三径間πラーメンとゲルバー部の繰り返しであることは、それを見ればそうだとわかるという程度にしか理解していず、夢に見るほど考えたことがあるわけじゃない。廃止されれば桁が外されるだろうこともまあ理解できるが現実には稀だ。あれか、この間阪急京都線に乗って淡路辺りの高架建設現場を見た記憶が沸いてきたんだろうか。にしても視点の高さが全く違うぜ。
ボール投げの場面なんかはどこかで経験したことがあるとは思えない。引っ込んだところに投げ込むことの難しさは容易く想像できるけれども。その「難しい」という理解が場面をどんどん歪曲していったようには思われる。逃げようと必死になればなるほど足が動かなくなるとか、犬が出てきたら嫌だなと思った途端に出てくるとか(私の夢ではあまりないことだけど)。投げる位置の隣に障害物ができて、腕がぶつかったらいやだなと思ったとおりにぶつけたり、天井にあがって落ちて来ないかもと思ったとおりの展開になったりしたのはきっとその類のものだ。上手く行くことを想像していたら上手く行っていたのだろうか? それだったら第一投で成功しているはずなんだが。ばっちり届くことを多分に想定して投げたからなあ。
自分が見る夢は細部の設定が妙に現実的。そのくせ一人乗りドローンのような非現実的なものをすんなり受け付けたりする。プロペラは確か1つしかなかったはずで、それであんなに安定して飛べるわけがない。
先に見たのは垂直ケーブルカー跡探索だが「また探索かよ」と思うので飛ばす。
テレビ番組のような展開。夕方5時6時のニュース番組でやっているような地域情報発信コーナーの模様。アナウンサー二人が喋っていて、背後のスクリーンには国道2号の舞子辺りと思われる歩道が映っている。子供を対象にした地域再発見ハイキングをやっていて、そのようすや舞台裏を報じているようだ。
はじめのほうははっきり思い出せないのだが、ともかく舞子の辺りから国道2号を通って東へ歩いていくというものらしい。最終目的地も喋っていて、目覚めた直後ははっきり覚えていたのだが、それから16時間経過した今では思い出すことができなくなってしまった。確か○○タイ山だったかタイ○○山だったか、タイの二文字が入っていた気がする。その四文字は実在する固有名詞と一緒なのだ---例えばタイヤキ山とか、シマタイ山とか、そんなの---が夢の中の私は二つをマージすることなくあくまで○○タイ山orタイ○○山という固有名詞として認識している。(ここはちょっと興味深い。ワナビーと聞けばピョンピョン跳びはねる動物を連想せずににられなかったり摩耶山とテクマクマヤコンが連動したりしがちな自分が夢の中ではそうならなかったということで、連想に関する回路の働きが夢の中では鈍ってしまうらしいということだ)
ハイキングの成り行きも報じられていたはずだが覚えていない。目的地と思われる山につき、案内の大人の話を聞いているシーンからははっきりとし始める。現地はあいにくの悪天候。しかもその山は岩山で、雨風を遮るようなものはない。吹きさらしの馬の背のごとくな山頂に子供らが20人ほど寄り添って立ち、こちらを向いている。その前に立って話をする大人が一人。霧がかかったようになっている周囲はどんどん暗く、寒々しくなっていく。
やがて雨が降り始め、我慢して聞いていた子どもたちがざわつき始める。うつむき、背を向け、寄り合ってギュウギュウになる。子供らはみな鮮やかな発色の服を着ていて、背景の底寒さとは対照的な活気を発散しているのだが、その服の背や肩がポツポツと濡れていくのを見ているといかにも冷たそうで気の毒になる。
やがて傘を差す子がでてきた。パッパッと開く傘の花もまたVividな色をしていてなんとも不思議な光景が現出する。もうその頃になると説明の大人も諦めて子どもたちの一団のなかへ混じり、自身も傘をさして風雨を凌ぎ始める。その一部始終がドキュメンタリー番組のごとくに放映されている(と見ている)のも妙な感じだった。こんな放送事故的なの流してええんかいな、みたいな憤り。
場面は変わって案内人の暮らしぶりのドキュメントになる。晴れた草原にさっき喋っていた男が一人で立っている。別の日の撮影なのだろう。男は何とかという大学の先生でもある。その仕事の傍ら地域再発見イベントをやっている。云々のナレーション。当の男は何やらカラフルなボールを取り出し、傘を一本差して、大道芸のようなことをやりはじめる。右手に高く掲げた傘からボールを落とし、頭で跳ね、肩で跳ね、肘で跳ね、手の甲で跳ね、というようにボールを階段状に跳ねて落としてゆく。地面に落ちたボールはどういう具合かわからないがひょいと跳ね上がってまた傘の上へ戻る。そうやって階段落としを繰り返すのだ。そのうちボールが2個になり、3個になり、終いにはどの段にも常に一個のボールがあるような状態になる。しかもそのボール操りが正確無比で、跳ねる高さも跳ねのタイミングも一緒。まるで本物の階段と機械仕掛けの揚玉機による繰り返し運動のように見えてくる。男が階段状の何か?を被っていて、その上ではねて落ちているかのような規則正しいボールの跳躍に、しばし見とれてしまう。
それを見て自分が連想しているのは、足にローラーのついた小さなペンギンがコースをぐるぐる回り続けるおもちゃだった。途中に氷山に擬した階段があって、そこをヘコんヘコんと登って行って、重力でコースを滑り降りていくやつだ。滑り降りた先はヘコヘコ階段の麓で、階段を上がって振り出しにもどる。商品名は忘れてしまったがネットで画像を見た気がする。ともかくそのおもちゃみたいだ、と思った。よく考えたら主体の進行方向が逆なんだけれどもな。
この場面でもボールの色のカラフルなことが目についた。緑の多い公園(いや、田の畦か休耕田といったほうがいいかも知れない、そんな草生した広場だ)に在ってなおその色が際立って見えた。私の見る夢はカラーであることが多いらしい。人によっては注目しているものにだけ色がついて見えるという人があるそうだが、そこまでピンポイントではないにせよ、それに近いほうかも知れない。岩山の場面も公園の場面も明らかにカラフルな色とりどりのほうに注目していた。
C/O。補遺を入れたのはがんばったと思う。町の歴史とか入れたらもっと良かったんだけどな、力不足。
恐ろしく勾配のきついトンネル状の構造物の中にいる。見上げる高さに入り口が四角く小さく光っている。そこから今いるところまで、横に膨らみながら降りてくるトンネル構造。勾配は60度近くある。ほとんど崖である。
足を滑らせれば一気に転げ落ちていくだろうというそのトンネルは、そんな無茶な勾配ながらロープウェイの遺構であるらしい。膨らんでいるのは行き違い箇所の付近にいるからだ。
いま自分が立っている場所は、膨らんだ隧道が再びすぼまっていく辺り。その辺りに何やらごちゃごちゃとひっかかっていて、そのおかげで留まっていられる。ちょうどその辺りに横坑?らしい通路があって、自分はそこを通って入ってきたらしい。。
下方は10mほど下で出口だが、その辺りの勾配は上方よりもさらにきつく見える。うえに出口の光りようが怖い。ただ青く光っているばかりで、まるで空だ。空中にポンと放り出されて終わり、というふうに見える。
一体どうなっているのだろうーーーケーブルカーであれば路面くらいはあるだろうに、あるいは周囲の植生とか、駅構造物とかあるだろうにーーーと興味を持ってしまったのが運の尽きだ。わさわさと引っかかった雑多なモノを乗り越えて下方へ行ってみようとしてしまう。ごちゃごちゃの上に立てば、まるで真下に穴があるような立ち位置になる。あ、これ、落ちたら死ぬな、と思った瞬間に足を滑らせ、案の定な展開に。反射的に床のごちゃごちゃに手をかけたおかげで墜落死は免れたけれども、そこから這い上がるのにとても苦労した。足がかりになるものがなかったからだ。土塊か腐木かよくわからないが、踏めば崩れるモロモロとしたものが下方の床には詰まっていて、そのせいで中々あがることができない。
腕にばかり力を入れていたら、手をかけていた木製の構造物(路面にべったりと張り付いたようになっていて、まるで路面コンクリの型枠のようだ)がガバッとはがれてしまった。うはっ、と思ったけれども幸い堕ちることはなく、そのかわり、木構造物の下に隠れていたコンクリートの地肌に、何やら書かれているのを発見する。墨と筆で書いたらしい達筆な文字が大書されている。隅にある大正云年という文字がまず読み取れ。
そこでフェードアウト。そのまま墜ちてしまえばよかったのに。
ポンチ絵を書こうと思ったが最初のシーンから断念した。下の出口の青の虚ろさも表現できないと思う。地面も木もなくただ青く光るだけの開口部の恐ろしい感じは重力感覚を伴わない限り誰かに伝わるものではないだろう。
夢にも重力が作用するのだな、と思ってそりゃ当たり前だと思った。その前の階段ボール教授だって重力でボールを回していただろう。飛ぶ夢でも機械力を借りないと飛べなかっただろう。身一つで空を飛ぶ夢は一生で数度も見ていない。重力が異常を来したのはパルクールの夢くらいじゃないか。
文庫X、ページだけ作って放置するな>nagajis。そのうち誰かが遊んでくれるだろう。てか名前そのままだとどっかから怒られそうな気がするな。文庫aとかにしとくか。
サンデルせんせの「これからの正義の話をしよう」を読んでいる。完全に理解できてるとは思えないし今更感たっぷりなので[読]タグつけまいとしたのだが読んでる事実は確かだしなと思い直して[読]に入れた。
世の中には様々な主張があり其々の立場から物事の正否を論じている。どれが絶対的に正しいということは言えない。主張の正否があるわけではない。そこに正否とか優劣とかを見出そうとしてしまうのが(絶対的な正しい事があると思ってしまうことが)間違い。主張と主張が小競り合って、優勢になったり劣勢になったりして、そこからまた新しい、より多くに受け入れられる主張が生まれたりする。それを果てしなく繰り返している世界。そこで生き残る?ために必要なことは結局のところ自分自身の確固たる意見、揺るがない信念、あの人はああ言っているが自分はそうは思わないと打算なく言えること、なんだろうなと思った。だからよその国では自己を主張することというか旗色を鮮明ならしめること立場を主張することが確立してるんだろう。単に主張するのではくてその相剋に意味があることを知っているんだろう。
私たちはそこが弱い。例えばテレビの言っていることを鵜呑みにすること。テレビでやってたから正しいのだと思い、こぞってバナナを買ったりキムチに走ったりすること。メディアで取り上げられたからといって有難がること。本に書かれていることを毫も誤りのないことと信じて疑わないこと。そういう傾向を感じる。優劣だけで判断したり、断じた発言・文章に付和雷同する傾向。そういう意見・ものの見方があると知って自分の考えと擦り合わせてみたり一致する点や相違する点を考えてみたり論を戦わせたりすることが真に必要なのではないか、というのを今更のように考えている。国会の論戦を見て、不毛な茶番劇をやっていると感じるのではなく、そうやっていることの意味というか、何故不毛と思うのか、だったらどうすればよいかを考えてみる、そんなふうな習慣になっていない。だからますます茶番に見える悪循環。メディアは答えを提示しているのではくあくまで事象の一側面を伝えているに過ぎず、それをどう吟味して摂取するのか、情報は素材として与えられているのだということをもっと若い頃から知っておくべきだったと思う。小学校で教えたら……と書きそうになってそれはさすがに責任逃れだなと思ったのでやめる。
もし自分が本当に廃道を流行らそうと思うのなら、本当に大事なものなのだと思っているのなら、そういう論を張ればよいわけなのだが、それが結局優劣判断されるだけに終わるから(終わるだろうという予想があるから)虚しくなってできないのだろうな。やってないうちから言うばかりでただの負け犬の遠吠えなのだが。
そもそも流行らそうという気はないのだった。自分が正しいと思うことを・よいと思うことをし続けていたい、追求してみたいと思ってやっている。大事だとは思うがそれを人に押し付けてまで主張したくはない。同意を得るためにやってはいけない。そう考えることが間違っているのかも知れないし自己正当化でもあるのかも知れぬがそこはどうしても譲れない。譲り方を知らない。
てな感じに内容とはまったく関係のないことが読後感(読中感か)としてある。あと何年かしてここを読み返した時どう感じるだろう。
廃道や廃墟、産業遺産を弄び物にすることに(されることに)反感を感じているのは、自分が良いものと信じているものがないがしろにされることに対する感覚敵な反感嫌悪感であり「生理的に受け付けない」というのと同類の無根拠だと思っていたのだが、その行為が道徳的でないからそう感じるのかも知れないと、サンデルせんせのカント解説を読んでいて思ったことだった。
「ある行動が道徳的かどうかは、その行動がもたらす結果ではなく、その行動を起こす意図で決まるという。(略)重要なのは、何らかの不純な動機のためではなく、そうすることが正しいからという理由で正しい行動をとることだ。」(p.146)
カントは人と物との違いを自律性の有無で捉えた(そうだ。以下すべて伝聞形省略)。ビリヤードの球が落下する。これは重力に作用されての落下でありビリヤードの球自身がそう望んだわけではない(他律)。人は自分が定めた法則に従って自律的に行動することができる。自分の意思で行為できる。そこに人の人たる所以があり人を尊敬すべき理由である。
この自律といもの、喉が渇いたので水を飲む、とか、小便したくなったからする、というようなものではない。生理的欲求だとかその時々の思いつきだとか、「自然の命令や社会的な因習ではなく、自分が定めた法則に従って行動すること」(p.143)。してその法則(原則)に基づく行動だけが、その行動に道徳的な価値を与える。子供に対して高い値段をふっかけていたパン屋が悪評が広まるのを恐れてふっかけるのをやめたとする。やめたことは正しいが、その動機は「悪事がバレたらまずい」という私利に基づいていて、道徳的な価値はない。それが間違ったことだという認識のもとふっかけるのをやめることは道徳的に正しい(そもそもふっかけるなちう話やけど)。
てな解説を読んでいて思ったわけだ。廃道だとか遺産だとかを私利私欲のために用いよう−−−その行為で金儲けをしようとか、自分の地位名声を高めようとか−−−という姿を見て取って道徳性の欠如を感じているらしいことを。好奇心の充足、だって本当は傾向性であって人のことは全くもって言えないのであるが。ORJ売っているならなおさらだが、金儲けのためにやってるわけではないことはもう何年も前から言明しているしー(逃げ)。
廃道も道。道は歩かれることによって道たり得るのだから、そのために歩いているのだ、という思いから廃道を歩くこととか、どうだろうな。道を訪ねて道を知りたいから。道を通して過去を見たいから。体感したいから。その体感が思索を深めてくれるので人にも勧めてみたい。そんなところに拠って行動しているつもりでは来た。理性をもって。それがcategolicalに通用する、道徳的に価値のあることだと思うので。
哲人の威厳を借りるつもりもないしそもそも曲解していると思うので誤飲だと明記しておくが、それよりも私のようなヌルポな人間が感じるモヤモヤとしたことを300年も前にもっと的確な言葉で叙してくられているというのは人間誰しもに共通する不変の真理を言い当てているからであってだからこそカントが偉大な哲学者なのだとされる所以なのに違いない。
あのおぞましい量の工場を整理しないといけないと思うとassの穴の辺りがむず痒くなる。整理できるかとも思う。そこはそれ、中国四国編ができあがった時に眺めて●を見た時の感慨を思い出しつつ予期しつつやるしかねえでガンスリンガー。ハットした時にはもうちゃんぽんなのだった(意味不明)。
無論これがメイン記事にはなり得ないので次号に間に合わすことは考えていない。だいいちあれだ、刻印表はどうするのか。まだふみもみぬ煉瓦刻印の印影をまとめてみたところで。そういう印影*かもしれない*の煉瓦が関西地方では絶無*に近い*|*な筈*ということをいう時の参考資料にしかならないのだ。そもそも印影と確定してないんだから印影とは書けぬではないか。ネットで画像を拾ってくるにしてもまああれだし、煉瓦探すためだけにあの辺へ出かけるのも行き過ぎている。(ここでしばし停止。然るべき場所に然るべく依頼とか考えてみたが忘れられてるだろうからな。しかし他に良案がない)
ともかく工場表は作らないとな。愛知に行くより先に伊賀上野とか四日市とかだろうし。近鉄沿線三重県内はまだ行ける圏内やけんな。平賀圏内エレキテル・ビリビリ。
ケータイ小説だからといって馬鹿にできないな。需要があるということは即ち読まれる価値のあるものであるということだ。本という物の役を立派に果たしている。単に提供のしかたが不味かっただけだ。届くべきところに届けられればそれでよいのである。
ラノベも何とかしてあげたいところである。地平を開拓するセットをさっさと作ろう。
日本人は動物やモノといった人以外のものに人格を見出すことができる。人格を仮託するっていうべきか。人的に扱って格を感じることがわりかしある。鳥獣戯画の兎や猿に、人の真似をしている動物という以上の親近感を感じたり、アザラシに市民証を発行したり(これは他国のほうが先かなOracle犬とかいたし)、大事にしているものを落した時に「ごめんごめん」と謝ってみたり、針を供養したり、さつまいもを「おいもさん」と読んでみたり(これは関西限定か。にしてもそういうことを言う文化圏を内包しているのは確か)。そういうのって外国には少ないんじゃないか。人形を人のように扱うのはどこでもあるけれども、草木さえ弔って草木塔立ててみたりとか、珍しいんじゃないか。
墓に参るという時、外国ではたぶんそこに眠る霊=遺体が礼拝の対象であって上に立っている十字架に礼拝しているわけじゃない。日本はどっちかというと破壊しもとい墓石のほうに向かいがち。墓石に霊が宿ってるみたいな捉え方を(いつのまにか)している。墓石を綺麗にしてやらないと祟るんだったらそもそも墓の中に閉じ込めとくなって話。
仏教の影響か、輪廻転生の思想があるからか。それともモノに神が宿るというアレか。トイレにはそれはそれなきれいな女神様がいることになっているのとか、あの騒がしい外人さん聞いたらワイワイ叫んで止まらなくなるんじゃないか。
アニメのキャラクターとかゆるキャラとかに馬鹿に細かな設定をつけるのが流行っているけれども、それも同源の国民性なんじゃないかなあ。そうやって実在の人間存在に近づけることが好き、というかそういう性質の国民。あらゆるところに神が宿っていて人間生活を律しているというのは唯一神の堅苦しさがなくていい。いろいろなものに対して優しくなれる気がする。その気になれば。
南方熊楠が書いている田辺の?トイレの神様はとてもかわいそうである。厠の肥溜めの中にいて、右手で糞便を受け、左手で小便を受く。そこに唾を吐けば受ける手が塞がっている故仕方なく口にて受く。故に便所に唾を吐いてはならぬ。と諌められていたそうだ。五目並べも新喜劇も関与する隙がないというものだ。(そういう話を作ってまでして諌めなければならなかった理由は何だろう? 唾する行為が不衛生だからか? 唾に特別な意味・用途があった? 単にはしたないといえばそれまでかも知れんが、便所限定なのは何故。)。
曽根で人尋ねの収穫がなかった話も愚痴も本も消えてもーた。とことんついてない日だな。しっと。
全く同じ形の部品を製造し、互換性を持たせることで、機械や商品の大量生産を可能にした「標準化」。それがいつ、どのような形で始まり、人間生活にどんな影響を与えたかを教えてくれる本。産業革命以降の技術史を「標準化(規格化)」の観点からよみなおす本という言い方もできる。
以前KINIASの先生だったか会員さんだったか(企業を定年退職した技術者が多かった)に伺った話では、戦後にアメリカの機械が入ってくるようになって一番驚いたことはその部品の互換性の高いことだったという。どこかのネジを外し、別のネジ穴にはめてみても何の違和感もなくはまる。他の機械からとってきた部品に交換しても何ら支障が出ない。そんなことに驚いたと。今からすればなんでそんなことにと思ってしまうが、戦前戦後の日本ではまだ「標準化」が貫徹されていなかったのだ。工場やメーカー内では互換性が取れていても他社の機械であったり他分野の製品であったりするとダメ。素材としての部品(ネジとか鋼管とか)もそう。航空機のエンジンでも使用する鋼管のサイズが無数にあって製造を困難にしていた(規格化されていれば規格のサイズのうちから適当なものを選択すればよい)。というような時代から「ものづくり大国」と自賛するような国になるまでの間に何があったのだろうと常々疑問に思っていたのだけれども、それは要するに「規格化(標準化)」が透徹したことによって製品を精密に・大量に生産できるようになったからだった。
職人がすべて手作業で作っていた時代から共通部品を機械で作るようになる変化は連続的というか漠然というかな感じだろうと思っていたのだけれども、「この時から標準化が始まった」という時期および工場が案外はっきりとわかっているのだった。はじめはフランスで大砲や銃の製造に共通部品を採用すること(標準化の概念)が始まり、それを学んだアメリカが工業的に確立させた(アメリカ式製造方式)。そうして産業革命発祥の地イギリスに渡ってという順。それもちょっと意外だった。イギリス辺りで出来上がったものとばかり。蒸気機関のピストンも設置ごとに研削してアタリを調整する必要があった。
機械で作っていれば簡単に同じものができる、と思ったら大間違いで、互換性を有するほどの精度を保つことが大変。そこを高精度な工具の開発とか測定技術とかの工夫でクリアしてった。やがてあらゆる産業にかかわる部品、ネジとか鋼管とかについて規格を設けるのが有利だということになり規格が生まれた。けれども浸透にはやはり時間がかかったようだ。戦後の日本は標準化の果実が熟れた頃にそれを受け取ったので「おいしくいただきました」てな感じかも知れない。もっとも大正期からJESを策定してたりはする。徹底したらこんだけ有利よ、っていう姿を太平洋戦争で見せつけられて目が覚めたんじゃないかな。
ふだんあまり意識しない「規格(標準化)」にもちゃんと歴史があって、実社会に多大な影響を与えた、というより標準化が近代化の鍵だったのだと思い知らされ瞠目した。2002年に講談社メチア選書で出たものを加筆訂正して学術文庫にしたもの。行き帰りの電車で読むつもりが昼飯+行きでほぼ読み終えてしまう。それだけ興味深い内容。
あと、煉瓦積み仕事の体験から動作研究(作業の動作・動線を分析して、より早く効率的に作業する方法を見つけていく研究)が始まったという話が興味深かった。単純作業の繰り返しのなかで「どうやったら早くできるか・うまくできるか」を考えることは誰しもすることだろう。それを定量的科学的に分析して突き詰めていくと学問にもなるのだな。
ずいぶん前に「大きなハム&たまご」を買ってそのままにしていたのを思い出した。小腹が減ってきたこともあり今それを喰っている。消費期限が3日過ぎている。一口目がなんとなくアルコール風味だった気もするが、気のせいだろう。黴臭はない。
以前奇ポテで書いた「ノーパソがブリーフから復帰すると画面が真っ赤になる」というフレーズが目に止まって馬鹿みたいに笑っている。自分で書いたもので腹の底から笑えるってえのは幸せなことだな。笑いの地産地消と表現してもよい。
軽レールに刻印、なんて初めて見た。しかも独逸製。Oさん曰く「あると言われているけど見たことはない」という物件を、まさか大台ケ原で見るとは思わなかった。恐るべし畏るべし。
流行りネタに乗っかる軽薄さは唾棄すべきものと考えていて、基本的に無視するようにしているが、ここまで換骨奪胎されていると逆に得も言われぬポテンシャルを感じる。大幅な書き換えによって元ネタを思い出すことが難しくなっているうえ、既に風化して久しいネタである故にやはり思い出すのに支障を来す。仮にこの文字構成で背景画像が別のものであったら元ネタとの間に脈絡を見出すことはなかったんじゃないだろうか。
何故このネタを持ってきて、剰え斯様な改変を施したのか、というところに思いを馳せていると、現代の孕む闇が見えてくるような気がしてならなくなった。流行りネタに安易に乗っかる風潮がここまで先鋭化したものなのか。大のつく改変を加えることで著作権的グレー色を漂白しようと試みたものか。流行ネタは風化するものであり消費され忘れられるものであるべきと主張する看板とも取れる。風化の過程を早回しで見せつける看板とも見える。いや待てよパンツが見えていたら履いてますよネタにならないではないか、とするとこの看板は件の一発ネタとは無関係で抵触すらしていず私が勝手にそこに類似性を見出しただけなのかも知れぬ。連想力を判定する踏絵的な看板。いや看板は垂直であって踏むことはままならないか。云々。
いろいろ考えさせられるという意味においては比較的高めの奇妙なポテンシャルを有しており、記憶に残る看板となった。そう謀って作られたか否かはさておき。
岐阜は数日前に終わった。今は愛知にかかっている。断続的に5日ほど消費。愛知を半分ほど終えたところでA3を1枚半消費しそうな勢いなので、完成の暁には愛知だけで3枚超えしそうである。1度顔を出すだけの工場とか4、5年操業して消えていく工場が多く、その殆どが耐火煉瓦工場という状態で、果たしてこの表が役に立つんだろうかという疑念に苛まれる。やる前からわかってたことではあるんだけどな。
普段は?陶器製造業で、ちょっと耐火煉瓦も作ってみた、的な工場が散見されるのも疑念を強くする。兼業耐火煉瓦業が多いのは中部特有の傾向のようで、数年で廃業した工場と副業的製造工場を区別することは不可能だ。後方には外挿できるーーー過去から現在に向かって工場通覧をめくっていったため、別のもの作り始めたなと気づくことはできるが、出現するより前の製造品を知ることはできない。煉瓦以外の全工場の名称を頭に入れておかなければならず、それはまずもって無理・無駄・無策だ。
中小の耐火煉瓦工場が多いのは原料粘土が近場で入手できたからであることは疑う余地がない。瀬戸や多治見の陶土が利用できたからに違いない。大阪だと遠くから原料を取り寄せねばならず(岡山とか島ヶ原とか大陸とか)それだけでも大きな不利であった。資本があって輸送費にカネをかけることができ、大量に作り大量に売るルートを確立しているような大会社じゃないとやっていけない。原料が安くで手に入れば焼成は陶器焼き窯で充分間に合った。名古屋その他の大量消費地も近い。
数年で消えていく工場の刻印が判明することはまずないだろうが、在ったという事実は消せないのだし、そういう工場にも通覧に現れることのないドラマがあるに違いないと思う。社会の一構成員として矜を正して始めた仕事、明るい未来を描いて始めた一世一代の大事業であったかも知れないし、暖簾分けでもしたのだろうか、同じ番地で同じ苗字の人物が異なる名称の工場を営んでいた例もある。線の数だけ人生があったのだと思うと蔑ろにすることができない。
似たような名称の工場、工場主があちこちに出現して困る。大和耐火煉瓦とか加藤氏とか。関連があるのかそうでないのか、いまの時点では判断材料を持ち合わせない。同じ番地で違う名称の工場を電話番号一致を根拠につなぎ合わせたりもしている。
この表が完璧なものになる日は来るのだろうか。多分来ない。後世に託すしかない。と序破急で書くことが染み付くほどに最近の作業は単調だ。うむ遺憾なことだ。
NHKラジオで「意識高い系と呼ばないで」というテーマをやっている。そう呼ばれると傷つくのだそうだ。3つのことを思う。
意識高い系と言われて傷つく側は別枠扱いされること・壁をつくられることが嫌だという。なぜそれが嫌なのか。自分がそれが正しいと思うのだったら貫き通せばいい。そういうのが受け入れられる世界へゆけばいい。アメーバの触手、尖った先端がなければ、文化文明は広がらない。日本人的同族意識を誤った方向に向けている愚者である。
意識高い系といって足を引っ張る側は要するに日本人的陰湿さがある。まるで自分が意識標準であるかのような物言い。「一般的には」とか「普通は」とかいう言葉を乱発して、その基準が自分だからタチが悪い。そんな人間が日本の基準だから社会水準が下がるのだ。
昔は意識高いというのが褒め言葉であったという。それが違うように使われるようになった。それが悪と。本当だろうか。言葉は変わるのが普通じゃないのか。敗戦を信じなかった「勝ち組」が人生における成功者の意に使われるようになった、のような例はいくつもあるだろう。
意識ニアイコール自分の理想像・目標に高いも低いもありゃしない。そうありたいという願い、理想像に対する自信確信、が強いか弱いか。「いいね」で裏付けされなければ崩壊するような脆い意識なら捨ててしまえ。
日本のSF界は星新一が切り開き、小松左京がブルドーザーで地均しし、そこへ筒井康隆がスポーツカーで乗り付けてきた、といわれる(確か)。そのブルドーザー小松巨匠の作品は実はあまり読んだことがない。というわけで昨日入荷のこれを読んだ。
さすが巨匠やね、面白くて一気に読んでしまった。「日本三文オペラ」で哀愁漂う最後を迎えたアパッチ族が奇想天外な生態変化を遂げて日本に逆襲する。生身の人間である私なのに全力でアパッチ族に肩入れし、まるで雪辱を果たしたかのような気分になった。やはり「日本三文オペラ」とセットで読まなければ楽しめない。「鉄を食う」っていう暗喩はオペラにも出てきてなかったっけか。
「日本三文オペラ」が実史の脚色で、人間の生への執着としたたかさ、愚かさを描き切った名作だとすれば、「日本アパッチ族」はSF手法でもってそれを風刺しひっくり返すことで逆に生きることの意味を考えさせる傑作と思う。最底辺の生活にはまり込んで抜け出せなかった者たちが超人的な進化を遂げて、地位とか名誉とかにしがみついている、あるいは無気力無関心に生きている現代人と丁々発止の渡り合いをし、ついには壊滅させてしまうという流れは、実在した虐げられた人々への餞のようであり、そこに快哉を叫びたくなる気分の出処があるようだ。
またあの辺りを歩いてみたくなった。何も残っていないのは重々承知だが、片隅に転がっている煉瓦どもはアパッチ族と同じ時間を経験しているはずで、それが唯一の証人というか形見というかなものどもである。しかし両作品とも煉瓦はただの瓦礫としか扱われてなくて一寸可哀想だ(おやまあ
中部煉瓦工場表を作成してはみたものの感動がない。な・ぜ・だ。関西版や中国四国版よりもはるかに苦労した気分なのだがそれを補って余りある達成感を感じていたりはしないし世の役に立つ気もしない。
理由はいろいろあると思う。
・土地勘がない地域ゆえ感情移入しづらい。あのへんとかこのへんとかいう感覚がないまま作っているから本当にデータの羅列という感じ。実際に煉瓦刻印を目にしていたら随分違うだろうと思うけれども未見のものばかりだし。
・実は「日本煉瓦史」で歴史がかなり詳細にわかっている(特に明治初期の工場)。愛岐トンネルさんの調査もあるし。
・屋号が判明したものがずいぶんあるが、それが刻印として使われたかどうか定かでない。岡田煉瓦が○平でありながらヒノマル型の刻印を使ってたりする。○平の印母が残っていたりするのにね(「岡田煉瓦100年史」)。
てなわけで、不完全であることがうすうすわかっておるから手放しで喜べないのだろう。まあ仕方ない、これが限界。これを携えて西尾市街とか常滑とかをぶらつくつもりもないのだ。鈴鹿関を越えて入ってきた煉瓦がほとんどないことがわかりさえすればよいのである。現状は。
そもそもの話、中部地方で見られる刻印ちうものを汎く知っているわけではないから、不明刻印それ自体を識らず、従って不明刻印を工場表と突き合わせて推測するという醍醐味を味わうことができないのだった。
ともかく中部版はイレギュラーが多い。窯業名鑑T13に「煉瓦業集会所」なるものが載っていたので無理やり入れている。大野煉瓦はたぶん同一工場だと思うのだが確証が持てなかったので変な分け方をしている。後述の資料で昭和6年だったか12年だったに刈谷就産所が現れて混乱する。あと名古屋市に「名古屋鉄煉瓦」なる工場があったがこれは入れていない。鉄煉瓦って何やねん。
全国工場鉱山一覧ちうものを発見し、S2(T15-S1)、S7(S6)、S12(S11)を追加。S22のあれだけじゃないのな。S2の存在はちょっとありがたい。工場通覧はT10の次がS4、窯業銘鑑がT13・14だけどもデータ出自の年度が不明なので、ぽっかり開いた穴を埋めてくれるデータになる。
といっても従業員数50人以上縛りなので本当に大きな工場しか載っていない。逆にここに載ってれば相当な大工場ということになり、そんなS2に大阪煉瓦が載っている。リストには反映させていないがこの年の工場主が林十五郎。他には岸和田綿業煉瓦と大阪窯業だけだ。
てゆーか、諸会社役員表のデータは一覧に反映させてなかったのだっけ。あれやり始めたら骨が折れるんだがなあ。やっても中部は株式・合資の煉瓦工場がほとんどない。耐火煉瓦くらい。いや明治煉瓦とかあるけど。
3表の整合性。操業年を横三角にするとかして区別、中四国も一部実線タイプ導入。関西はデータ数が多いからそのままでよいことにしよう。
出典とその年度の対応表、および掲載の閾値の一覧。←がないとこの表だけではイミフである。
中部の刻印表。三重がまったくわかんねえな。伊賀窯業のIGYと四日市Y.B.くらい。
という見通しを立てたところで今月は終わり。しばらくげ書きせにゃならん。
日本工業要鑑. 明治40年第2版
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/803742/294
日本工業要鑑. 明治41年第3版
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/803743/393
日本工業要鑑. 明治42年第4版
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/803744/380
チャンバーブラザーズ煉化製造機 https://archive.org/stream/ChambersBrickMachineryCatalogueNo.21/ChambersBrothersCompany0001
日本工業要鑑. 大正3・4年度用(第6版)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952873/245
工業人名録!
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952873/329
日本工業要鑑. 大正5・6年度用(第7版)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952874/401
日本工業要鑑. 大正7・8年度用(第8版)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952875/449
大阪窯業に足田鉄工所煉瓦製造機
朝日窯業
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952875/909
日本工業要鑑. 大正9 〔下〕年度用(第10版)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952878/216
安全索道広告
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952877/33
愛三土管煉瓦同業組合
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952878/420
日本工業要鑑. 大正10年度用(第11版)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952879/326
日本工業要鑑. 大正11年度用(第12版)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952880/715
日本工業要鑑. 大正13年度用(第14版)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952881/776
日本工業要鑑. 大正15年度用(第16版)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952882/564
日本工業要鑑. 大正16年度用(第17版)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952883/511
日本工業要鑑. 昭和4年度(第19版)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1077365/659
日本工業要鑑. 昭和7年度(第22版)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1077431/633
昭和7年度まで済ませたところで大変なことに気づく。この本のデータは毎年きちんとは更新されていない可能性が高い。昭和7年度版時点で播陽窯業が載っているし(S3に山本窯業所と中播煉瓦と合併して播州煉瓦合同になった。S4版にも載っているけれどもこれはS3年内の発行でデータ更新が間に合わなかった可能性があるが、S7版=S6発行でもそうなってるのは明らかにおかしい)、そもそもその播煉が出てこないのだった。それから徳島の大正窯業は昭和3年頃に窯を築いて数ヶ月で廃業したと「鳴門市史」にあった。その大正窯業がS4版にもS7版にも載り続けている。吉野煉瓦が載っていたのは有難いがS7版まで出続けているのは少々怪しい気もするのだ。創業年の表記は役に立ってもオシリを見極めるのには使えないようである。
だいいちデータ年の記載がないのだな、この本。何年何月時点のデータなのかわからんちん。
昭和4年以降であれば工場通覧が毎年のように発行されているのでそちらをアテにすることができる。S4以降は切捨ててしまって良いかも知れぬ。一応S16版だけは見ておこう。
_ 山本陽子 [大正10年3月 加藤レンガ工場 工場長 加藤標太郎 についてご存知でしたらお教えいただきたく 加藤標太郎は一族で大叔父にあたりますが、昭和29年の火災で市資にも一文しかないとの事です。それ以上あり..]
_ 永冨 [コメントありがとうございます。残念ながらお尋ねの件、社名と所有者の名前くらいしかわかっておりません。上に掲げた表は、戦前に発行された「工場通覧」という本に記載されていたデータを拾って作成したもので..]