nagajisの日不定記。
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mission 篠原 complete. 聞き取り調査で大概が判明。その後の十津川行き@近遺調は、少しは涼しいかと思っていたが、そんなこたあちっともねかった。溶けて無くなるかと思った。
写真は長殿発電所の現状。発電タービンが覆いを被っている。新しい変圧器?が置かれ、西方へ送電を行なっている様子だった。
自分で作った石積みの祠の中にいる。寝そべれば中に横たわることができる程度の大きさで、なんとなく自分の墓のように思っている。中に入って遊んでいるうち、入口(50cm×30cmほどの横長の長方形)が崩れ始める。端がぐぐっと垂れ下がってきて、地面との開きが20cmもなくなってしまう。這ってすり抜けることのできない高さ。
最初はヤベーヤベー程度にしか思わなかったのだが、徐々に“詰んだ”ことがわかってきて、ひどく焦り出す。垂れた部分に触れば崩れてしまうのは確実で、そうなると大量の石に押しつぶされてしまう。腕と背中で踏ん張って、一気に壊してナントカとも考えたが、うまく行くはずもない。悩んでいるうちに入口の垂れ下がりが増して10cmも隙間が無くなってしまう。なんて馬鹿なことをしたんだろうと悔い、情けなくなったところで目が覚めた。ほっとした。
なんで関東ばっかりやねん、と文句を書いて関西人の評価を貶める策略である。
だから最初に断ったのに。一般的に興味を持たれそうなコトに絞り混んだらそらそうなりますわー。
もうちょっと辿りたかった>山五。聞けば聞くほど奥にモノがあることがわかり、何とかしたいところなんだが、あの土砂ダムがクリアできなかった。そのための秘策も授かったのだが、帰りがけであったし、一ヶ所にばかり力を注ぐわけにもいかぬ・・・。次は大分後になるか、二次調査にねじ込んで正式に一度本格調査を・・・って無理かなあ。
垢離掻林道は現地調査で否定されふりだしに戻った。諦めるか。
内原小学校は表側のみ化粧トタンで覆っている。裏側と内部は正真正銘の古い学校建築がそっくりそのまま残っているようだ。近代化遺産的見地からは惜しく思われるが、内原の景観の中心になっているためみずぼらしいなりを晒したくないという思いがあったことはよくわかる。
肉、肉、魚。しか、しし、川、ほか。
月報と長殿破を蒸留にかけたところまで。11:59なんだから13日でええやろ、自分の脳内スケジュール通りということでいいだろ。
大体いつもこのへんでやる気が尽きる。版下を作ったところで満足してしまう。残りの作業ーーー 切り取ったり ポップアップ作ったりリンク張ったりーーーが面倒臭い。読まれもしない記事にそんなに力を注いでどーするの、ってな。どうせ自分の評価をあげるためのことはしたくないだろ>nagajis。ま、これでやっと自分の頭のなか整理+踏ん切りがついたわけなので丸々無駄ではないだろうさ。
この調子で16日行けるんやろか・・・洗濯すらできてねぇ
夢の実現のためでもなければ将来の糧になるものでもない、目の前のやらなきゃいけないことなんて、誰にだって、数えるのも嫌になる位に沢山あるもんだ。
版下を作る段階になって丁度いい写真を撮っていないことに気づくこと数次。まったくもって話にならない(記事にならない)。仕方ないと思う。誰かに見せるために写真を撮っているわけじゃないし、事にするための探索はなんてしたくもない。こんな場面を突破した!と自慢するためになんか撮っちゃいない。これからしんどくなるとわかってる場面の写真を撮ったところで先行きが明るく訳でもなく、その分の集中力を次の一歩に込めた方がいい。撮ろうと思った光景を撮ることのできた余裕、撮る気にならなかった光景を撮らなかったという投げやりな気分、取捨選択がそれを十分記録している。どうせ細々載せたって離散値で現実を全再現できるわけがないのだ。できてると思ったらそりゃ思い込みだ。嘘だ。見たいと思えば現地へ行って自分で見てくるといい。自分で感じるといい。
とは書いてみたものの、ただの言い訳だな。
ここに書くことがねえと思っていたら、書きたいことはみんな月報に放り込んでいたのだった。それ以外を書こうと思ったら愚痴とか保身の弁とかばかりが出てきて(その場は凌げるかも知らんけれども)後々キモい。それがわかったので敢えてキモいことを書いておく。
救低=時局匡救低金利融資とかだったら例の簿冊に載ってたりしたのかも知れぬ、と今さら気づく。工費15000円に県・国庫補助は加わってなくて、体裁としては自力開発と一緒なのだよな。そんで開削はS6なんだよな。75歳=S12生まれで存在を知らんくても不思議じゃないのだよな。
できれば昭和10年以降のが読みたい。そんなものは存在しないのかも知れんが。
S20に二村区が事業主体となって600余mを開削しているのは方杖ピーア@4の下地橋と下地の隧道と高原河原の土場までのことを言ってるんじゃなかろうか。とすると魚の谷>栗平>内原T花折/下地ということになる。その前に下降線辿ってるはずなのでtee以降が曖昧Meまいんちゃんだが学校の側にも社員宿舎があったというし。
二次調査対象になるのであればF澤さんに会って話を聞かなければならぬ。そうして あの公文書をお見せせねばならぬ。栗平施業土工森林組合がのっとられた?経緯がわかるかも知れぬ。
きっかけ資料>探索>証言>探索>濃い資料という順で来たので請取峠や野又峠のような展開になってしまいそうだ。長殿も似たようなもんだ。3度も同じことをやっているとさすがに自分が飽きる。さも最初から全てを知ってたつもりで嫌らしく書いてみるか?nagajisにできるもんならやってみいや。
4哩の軌道っつったら相当な長さじゃん!
時おり無性にピザトーストが食いたくなる。マーガリンをたっぷり塗ったパンに取レッドチーズを山盛り乗せてHEINTZの逆さケチャップをちゅるちゅるかけて焼いたやつが食いたくなる。そこに輪切りのウィンナーとか刻み玉葱とか載ってたら贅沢の極みだ。マヨネーズをしゃしゃっとかけてもいい。それをゲホゲホ咳き込みながら貪るのだ。手についたチーズともマーガリンともマヨネーズ由来ともわからない油分をケチャップの滴りとともにネロネロねぶるのだ。嗚呼。
最近ピザトーストが食いたくなるタイミングがわかってきた。ポストに投函されたピザ屋の広告を見たときだ。「旨そうだ」と思って手に取って見るけれども値段が高くて手がでない。Mサイズでも一度に食い切れないだろうと思う(食い切れたとしても勿体ない)。それで行き着く先が、もっと安上がりにピザの感じを楽しめるピザもどきトーストなのだった。ピザトーストなら安くできるうえに好きなだけチーズを載せられる。300g398円だろうがなんだろうが一枚1000えん以上に比べたら屁のようなものだ。そうして量も適宜調整可だ。食べたい時に食べたい枚数を焼いてアツアツをいただくことができる。これを合理的と言わずして何と言おうか。
ピザトーストの旨さ利便さ合理性を、世のお金持ちたちは知るまい。ちょちょっとTELしてバイクに持って来させて何とも思わないに違いない。食った割に持たない腹持ちを抱えて不満足を感じているに違いない。ざまあみろとは思わない。そういう滑稽を演じずに済む自分の安っぽさと、その安っぽさをひけらかして恥じる気もない自分の精神を有り難いと思うばかりだ。ブラボー赤貧。ブラボーピザもどきトースト。
資料読み込む暇がねえ。長殿1修正する暇もねえ。ていうか表紙に誰も突っ込まねえ。あっKINIASの議事録も作ってねえ・・・。
紀和索道と弓手原索道のコピーを忘れるな。今月後半・来月前半が勝負。
新カテゴリ。コアダンプほど明確な考えでないが捨てるにおしいもの。奇ポテみたいなもん。
AKBとSKBの演技力の違いを考えていて「役を演じる」のと「役になりきる」の違いを考えた。素をさらけだしているから上手いor人気が出るんじゃないよな。お約束をお約束として演じられるかどうか。人そのものの人気と役の人気の違い。歌舞伎の役と役者みたいなものか。市川団十郎が普段の生活で見栄切ったりしない。助六が白血病になったりしない。
記事書くのも似たようなところがある。中途半端だよなー。演じるわけでも晒すわけでもなくで書いてきた、多分後者のつもりだけれども、よっぽどの人格者か他人の見本になるような人間性を持ち合わせてなきゃ参考にされることもないだろうさ。表向きには役者だといいながら自分の感性を売り込もうとして必死なのだから、そりゃ違うわ。
せっかく気合いを入れてゴーヤーチャンプルーをしばいたろうと思ったのに豆腐を忘れた。これではただの野菜炒めの卵とじではないか。
しかし何げに入れたキュウリのぶつ切りがいい味を出している。これは新基軸。
とさも新発見のごとくに書いてしまったが、よう考えたらキュウリもゴーヤーも同じ仲間じゃん。キャベツの千切りに赤キャベツ混ぜたようなもんじゃん。ちぇ。
「本を書かせていただきました」「料理を作らせていただきました」。その卑屈は確か近江商人が発祥だと聞いた覚えがある。悪くはない。悪くはないが、時おり鼻につく。そんなに卑屈になるなら最初から作るな。お前は近江商人か。近江商人ほど慎み深い暮らしをしてきた上でのその発言か。そう思う瞬間がないでもない。そうしてこれが大事なのだが、自分自身そういう物言いをすることが多い。自分自身に感じる情けなさの裏返しの八つ当たりなんだろうと思う。
自分の所作を素直に表現できるようになるには、あと何歳年を重ねたらいいのだろう。いつになったら池シャアシャアな境地になれるのだろう。死ぬまで無理だろうなこの生き物は。生物(ナマモノ)でも可。
バカjisめ。
関東の番組に関西人は洋梨なのだ。いやそのまえにnagajisだから用無しなのか。
NHKラジオ第一の6時台のニュース。よくわからない感情的な怒りを一方的にぶつけられて視聴者が困惑しただけではないのか。これまで経験してきた苦労はわかる。これで万事解決という策がないのも理解する。だからといってその苦労だったり文句だったり行き詰まり感ばかりを投げられても「じゃあどうしたらいいの」に繋がらないだろう。一方的に腹を立てている姿が全国放送されて悪い印象を与えただけだ。自分としてはほげふががぴげなみょーん問題を語る姿を彷彿とさせ、ひどく反感を感じた。
ああいう態度に反感を感じるのはなぜだろう。自分が正しいと思うことを主張するのは憲法でも保障された権利なのだけれども、それを「ふりかざして」いるように見えたり、主張を他人に押し付けようとしているように思え、腹を立ててしまうのはなぜだろう。
権利は義務を果たしてこそ得られるもの、何の義務を果たしてその権利を主張しているのか、それがわからないから(こちらがよく理解していないから)違和感を感じるのかも知れない。要するに「どこの馬の骨が」的な直感的嫌悪感。それはちょうど廃道のなんたるかを知らないnagajisがグダグダ言っているのと似ている。はたから見ればああなんだなあと思うことしきり。かといって権利を笠に着て何かをするつもりはない。
「節操のなさ」に反感を感じるのか。しかし節操のあるなしなんてそれこそ個人的感情による判断しかしようがないじゃないか。節操ばかり気にしていたら、それこそJAPの具現じゃないか。
主張と主張がぶつかり合い、軋轢を生じるのが、社会のあるべき姿だと考えるべきかも知れない。すべてが自分の思い通りに運ぶなんてあり得ない。個の集まりであるがゆえに集団内部では価値観の衝突が起こる。当然の帰結。それに一喜一憂する必要などなく、一喜一憂するほうが可笑しいのかも知れぬ。
権利<>義務の関係は適当。多分違う。「生きる権利」には義務が必要ないはずだから(納税の義務とか国民としてのキンジはあるだろうけど)。
7/31~8/1の篠原籠り、2日の十津川訪問の調査物件を一次調査票に落とす。篠原索道・沼田原軌道は記事のおかげで圧縮が効いた。逆に長殿発電所の調票が手薄な感じさえする。栗平土工森林組合・山五林業関連は未着手(あ、吊り橋だけ先にあげたんだっけ)。そういや蔭地橋どうしような。東吉野村のあの橋とよく似た作りの下路ガーダーなので戦後のものである可能性が高いが。
16日の最大の成果はI先生にお任せするのである。
西河橋と小倉橋の追加訂正も忘れずに・・・。3ページとかいう中途半端なものになりそうな気がするが、どうせファイルはA4なんだから構うものかと思ったり。
時間をかけて回った割に成果が出てないなあ。仕方ないよなあ。
蔭地橋は十津川村に問い合わせてから処理。ついでに聞いておくべきことはないか?
軌道の写真が行くかも知れない件、野迫川村役場に伝えておかんでよかったかのう。しかし小辺路が軌道だったなんて。大丈夫なんかな>世界遺産指定。
そして明日明後日は留守にしなければならない。私用だ。
coreで受けるようにしてからcoreのlibを書き直さなければならないことを忘れてた。前号までは反映させてあったからテストはちゃんと通ってるのな。66号を誤購入されたり「おためし購入」ができなかったりしたのはすべてそのせいだ(厳密にいうと違うんだけど表向きにはそのへんで止しといたほうがよさげ。前者はlibの最初の最新号名を放り込んである箇所を書き直していなかったから。それ見てページのあちこちを自動生成してる。お試し購入のほうはlibに第76号の名前ハッシュがなかったせいで購入ログが正しく記録されてなかったから起こった(購読期間はこのログのほうを見て判定している)。その一方でアカウントの購入号記録にはちゃんと記録されてたので、買ってるのに購読ログが見当たらず、購読期間が切れていると判定される謎現象が起こる羽目に・・・。 今までcore.the-orj.orgの左カラムが表沙汰?になることはなかったからlibを書き直す必要がなかった。core.the-orj.orgを立ち上げた時に丸ごとコピーしてそのままだったのだ。んが、paypalの戻りをcoreにしたことでそれが表に出てしまった。一見同じような作りだから見過ごしとってん)。
しかしlibが二箇所にあってどっちも書き直さないといけないのは面倒だな。今後同じ間違いをしないとも限らん(というか絶対やるだろ>nagajis)。http越しにincludeできれば話は早いんだが確かcoreでは出来なかった筈。うん確かにできない。いちいちフラグ立てて脆弱にするのも何だしなあ。
16日のKINIAS訪問、18・19の私用と立続けに野迫川村を訪れた。話に聞いていた通りの、いや、それ以上の僻村で−−−ここでこの言葉を使わなければどこで使うのだ−−−、日本の広さを思い知らされたというか、自分の見識の狭さを見せつけられたというか、ともかくちょっと呆としている。
「奈良のチベット」。そんな表現が村史でも使われている。そこに蔑みや哀れみの意味合いを読み取って、あまり使いたくなかった表現なのだが、実際に訪れてみてなるほど確かにそうだと思い、そして侮蔑の意を含んでいないことを感じた。別天地、桃源郷、そういったプラス成分を多分に含んでいる。確かに暮らしは大変だけれども、高野竜神スカイラインのおかげで並の山村レベルの暮らしができるようになっている。高野山まで40分で行くことができ、暮らしに必要なものはそこで全て揃う。都会から見た時に、その高野山なり高野竜神スカイラインなりまで到達するのにやたらめったら時間がかかるせいで不便に見えるだけだ。
この村に近代化が訪れなかったわけでは決してない。KINIAS調査で素敵なトロッコ軌道が残っていることを教わった。在所さながらの飯場集落や、製材用のミニ水力発電所まであった。そして5kmの木軌道跡が丸々残存している。搬出用の索道だって、大正4,5年というかなりな初期から存在していた。村域に4本もの荷送索道が存在した村は奈良県下でもここだけだ。金屋淵の鉱山が県下一の盛況を見せていた時期すらあるのだ。
今それが残っていず、現代に直結していないだけで、この村にも確かに近代化の波は押し寄せていた。それが1000m級の山脈群に遮られ、ちょうど消波ブロックの役割を果たして、勢いが弱められてしまっただけだ。静かに押し寄せ全てを覆い尽くしてしまう雲海のようにはならなかっただけなのだ。
そういったことを自分なりに消化しようとして四苦八苦している。たった2度の訪問じゃ無理なのかも知れない。
あちこちで「40分」という単位を聞いた気がする。役場から高野山まで車で40分。役場から弓手原まで40分。役場から立里まで40分。これが30分だったり1時間だったりすることはない。それだけかかることを身に染みて、厳密に覚えておられるということ。「おおよそ30分」と言ってしまうには遠く、1時間見ておいたほうがいいと不便をかこつこともなく、きっかり40分、なのだ。
今月号長殿破のアレ。
ひょっとして、これじゃねえの?
写真のは横に太いが三国木材=北山索道=玉村工務店受注なので若干つくりが違うのかも知れぬ。少なくとも大和索道の絵葉書に見える滑車はこんなつむじ型をしてる。
おれには3日前に作ったゴーヤーチャンプルーを消費し尽くすというミッションが課せられていたのだった。前回のはうっかり放置して華美させてしまった。今日こそは食わなければならぬ。
ただいま加熱中なう。などと余計なことを書いているから焦がしたりするのだ。
ふと「サッカロミセスセレビセハンセンとルプリンケルナ」というワードが思い出されて検索して確認してみたりなどしている。サッカロミセス属セレビシエの間違いであったらしい。ルプリンケルナのほうは無視。
焦がすことなく第二フェーズ・ご飯温めに入る。ここで油断してはいけない。火にかけていたのを忘れて容器の底を焦がしてしまった前科持ちである。
建築の分野の人がうらやましい。地方では確実に建物のほうが残っている。由来も比較的はっきりしている。見ればすぐわかるし資料の調べようもある。
交通不便な地方では各在所に一つの勢いで小学校が建設された。その費用は在所がもつのが普通で、廃校になったあとで返還され、区の所有物になっているもの(それが今日まで大切に遺されているところ)が多い。十津川村はそのへん徹底していて「学林」という制度まであったという。学校の建て替えやその他の費用を捻出するために学校所有の山を用意するというもの。そうしてその森の手入れは学校の生徒が行う。子供の頃から植林育林に関わることにもなり、ある意味英才教育のような性質のものだった。今でも学林が残っているところは多いと聞いた(それが吉野郡のアタリマエだと信じていたということも。他では聞いたことのない独特の制度だと私は理解している)。山が財産になった昔は一石二鳥で良かっただろうが、一山いくらでも売れない今日では教育という以上の成果がないのは残念なことだ。
などと余計事を書いて自分を追い込んでみたがフツーに炊き上がり美味しく頂けている。そのままでも充分旨い。旨いがしかし、戸村本店の焼き肉タレを垂らしたりしようものならなおさらヘブンである。なおさらへヴン。自分で書いといていい響きだと思う。
そうした僻地の小学校には必ずといっていいほど小住宅が付随していた。学校の先生が泊まり込んで暮らす建物だ。野迫川村今井の小学校でもその跡地だという広場があった(たまたま出会った村の方が親切にも案内して教えてくださったのだ。有り難いことだ)。自分の父親もそういう僻地中学校ばかり選んで?赴任していたから、親近感のような小理解を覚える。この「小」は小理屈・小賢しいの「小」ね。
そうして校庭がびっくりするほど広い。山に張り付くようにして広がっていて、前の家の軒先の高さに我が家の庭があるような在所であっても、校庭だけは潤沢に広い面積が用意されている。大人でも広いと感じるくらいだから、すべてが大きく見えた子供達の目には如何程に映ったことだろう。田舎は土地が余ってるから広いのだ、などという輩がもし居たら、首根っこ掴んで吉野まで引きずってってこの校庭を見せたい。そうして「ゴメンナサイ」言うまで校庭を周回させたうえで草むしりを命じたい。って何仮想敵と戦ってるんだ>nagajis
mission complete! ああ旨かった。
あえてORJカテにはしない。nagajis個人の感想である。用語集つくってほしいという要望を頂いているのだが、あまり乗り気じゃない。理由1、本人がちゃんと理解して書いているわけじゃないから。理由2、A・ビアスの「悪魔の辞典」の辞書編纂者の項目をかなり本気で正しいと思っているから。理由3、言葉なんてナマモノなのだし、間違いだと思ったら間違えた奴を間違えて使ってやんのプギャーAA略してればよい(陰で)と考えているから。誤字脱字誤用を指摘して下さるのはありがたいことなんだけど、それよりも内容についてだとか自分の説に対する反論反証を寄せていただくほうが嬉しい。誤字脱字しか指摘してもらえない程度のショボイ原稿だからしゃーないんだろうけどな。
国道に「線」をつけるか否かなんて正直どうでもいい話だと思っている。どうでもいい話だから突っ込んで考えて見せて「無駄なことだなあ」と思わせたいと思っている。コンセンサスの得られない言葉を使ってはならない、なんてことは絶対にないわけで、そうやって変な言葉遣いを繰り返しているうちに見えてくるものだってあるだろう。新しい言葉、新しい表現の生まれる余地もあるだろう。日本全国が標準語になって「こんにちは今日はいい天気ですね」「ええそうですね」しか言わないようになるよりも「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな」が成立している世界がある(と錯覚している人々をあげつらって笑う世界がある)ほうがなんぼか健全なんじゃないかしらんと思う。獣道をウサギミチと呼んでいたところもあればシシバシリといっていた地方もある。多様な表現の中からその時その時の感じたイメージをもとに直感的に使い分けているに過ぎない(あるいは勝手に作り出したりもする)。自分だけに限らず世の中にはそんな曖昧な表現が溢れ返っている。その中から、自分がもっともしっくり行く解釈なり使いやすい言葉なりを見つけてきて自分のものにすることが「学ぶ」ってことじゃないかしらん。勉強なんて小賢しい言葉は使わなくてもいいだろう。
話の流れ的に関西弁を例にあげたが別にどこの方言だっていい。それをキモいと思っている人がいることを重々承知の上でわざと使っている。ことばの多様性を守るためにな。そして茶柱タツは伊勢茶のイメージキャラクター。エコロじいさんのことも忘れないで。
ここにぐだぐだ書いている時はたいてい眠れないで困っている時であり本当はさっさと寝てしまいたいと思っている。頭を使って疲労して眠ろうという魂胆である。して特に翌朝早く起きたい時だったり明日しなければならないことがあったりする。そういう時に限って頭が冴える。お前は遠足前日の小学生か、と思う。思ったからといって眠れるわけでもない。どうにかしたい。どうにかしたいけれどもどうにもならないのでぐだぐだ書いている。面白いことを書いているという自覚も誰かに読んでもらって共感してもらいたいとも思っていない。その点では最も気楽で、書いていて楽しい一時と言えなくもない。
いくら自由の身だといっても、探索前日とかおでかけ前日とか 生活リズムが崩れて困ることはある。非常時にはアルコールを摂取して強制終了させるが明日はそれほどの大事でもない。うまく眠れてうまく起きれれば行こうという程度の気安い予定である。
九州生まれだが酒に弱い。好んで酒を呑んだり浴びるほど何杯も飲める人の気が知れない。父親や兄貴は酒に強かったが、自分はチューハイ一缶程度で充分だ。そうして飲めばすぐに眠くなる。寝ると2、3時間後には勝手に目が覚める。結構便利である。ただし過信すると失敗する。その失敗のせいで目覚まし時計なんていう二律背反なものを買わなければいけない羽目になった。羽目なんて書いたら叱られるな。起きない自分が悪いのだから。
新しく買った安物の目覚まし時計は鳴る時刻をセットするツマミが異常に固い。脂ぎった手だとうまく回せずとてもイライラする。必死になって回しているうちに目が覚めてしまったこともある。ちょっとどうかと思うが便利なものに買い換えるほどの余裕はなくそこまで切羽詰まった困惑でもない。貧乏なのだからそれくらい我慢しろとも思う。お金持ちはこういう時に後腐れもなく買い換えることのできる人のことを言うのだろうと思ってみたりして、そんな貧相な発想にモッソウ幻滅したりもしている。あまり書くと今度は目覚まし時計が送りつけられる危険性を招来してしまいそうなのでこの辺でやめる。
昔から寝るのが下手だった。さっさと眠りたいのに眠れず、いろいろ考えているうちに目が冴えてきて、これまでしでかした数々の愚行が甦ってきて赤面したり、的外れな批評を思い出してイライラしたりし始めることが多い。そうなるともう手がつけられない。あとで思い返すと何でそんなことにそんなに一生懸命になれたんだろうと思うくらいにそのことしか考えられなくなる。答えのない、あるいは答えが解りきっていることをただひたすらにグルグル考え、嫌になるほど疲れる。そうしてやっと眠ることができる。グルコースの無駄遣いだと思う。
弓手原索道の起終点を特定したうえに記録にない軌道まで発見したったと思ってホクホクしてたらこのザマだ。でかい花火打ち上げ杉>北今西施業森林組合。ここにある「軌道五哩五五」はたぶん高野竜神スカイライン。そして索道動かせよ。
しかし製材所は出来てたんだろ?>復命書。大正4年から昭和10年まで全部追えってのは余りにもあんまりだ。
不用意な発言にツッコまれたのを隠すためいろいろゴチャゴチャしてしまったので明日に書く。奈良図に籠ってきた。北今西施業森林組合は大正4年の設立後の資料が別建て簿冊で保存されている。んで軌道・索道の計画を把握。高野竜神スカイラインの元になった軌道が北今西のものだということ、弓手原からそこまでの索道だったことを把握。弓手原索道は弓手原索道会社が大正4年に申請・許可を得たものだが、それを北今西が買い取って組合員の利用するものにしようとしたらしい。ついでに索道起点から奥へ入っていく木軌道と木馬道を開設して「完全なる林道網」を開くつもりだった。
計画が壮大すぎたせいで日本勧業銀行が資金融資を渋り、県の勧業課がずいぶん苦労した。 何とか事業を成功させようとしてあれこれ取り次ぎ取りなした結果、京都と和歌山の材木商二人(それぞれ資産20万円と15万円)が保証人となり、県からも官吏を派遣して事業の監督をさせることを約束したことでようやく融資が成立している。それが大正6年の4月2日のこと。
弓手原索道は大正7年に完成したことになっている@ 架空鉄索道台帳 。しかしこの索道、昨日の画像にもある通りまともに動かなかった(S10低利融資申請書)。そうしてその資料にある「五哩五五」の軌道というのが、辻ノ茶屋から高野山大門まで引っ張ってた軌道のことと思われる。大正5年の計画書にあるその軌道が五哩七分とされているうえ、その敷設が終わり、最後の砂利入れ?をする段階にあったことが、技手の視察復命書に書かれてある。。。残りの「林間軌道」はどうなったんねん、という話。仮に作られていたとしたら一部が車道化されずに残っているはずで、二つの製材所跡などは間違いなく残っているはずなんだが(製材所については復命書にも書かれている)、軌道については期待薄だろう。大正5年時点での軌道長と昭和10年時点でのそれとが若干異なるということだけが 微かな希望。そうして計画を前倒しして甲区の第一林班だとかを伐採していた。それを出すなら林間軌道がなければならぬ。しかし索道が機能しなかったらしいからアレなんだけどな。
以上の話が、16日の調査で教わった紀州林業の木軌道につながっていくのかも知れない。北今西の計画では紀州林業木軌道が作られた谷も組合の事業地になっていた(そこまで索道を延長する計画まであった!)。しかしYさんの話では高野竜神スカイライン方峠まで牛馬車で引っ張り上げていたという。昭和7年頃の話。そうしてそこから索道で下ろしたと。もし弓手原索道がまともに機能していたらそんな苦労をする必要などなかったのだ。
北今西施業森林組合の件が期待倒れに終わったかわり、 野川土工森林組合が紀和隧道を開削したことを資料で裏付けられた。これで調査票がまともになるぜ。ついでに和歌山県内に二つの軌道を発見。なんだか軌道ばっかりだが、わかりやすいんだから仕方ないじゃろ。
その他に軌道を敷設したのは、川迫土工森林組合、笠捨土工森林組合、伯母ヶ谷土工森林組合。 中奥土工森林組合もそうかも知れない。計画だけなのが洞川土工森林組合(S14までの時点で)。ここはずいぶん杜撰だった。電索の終点から山上川沿いに入っていく軌道を計画して資金2000円を借りたくせに3年9ヶ月経っても着工すらできず返済方法も決まらなかった。吉野銀行が怒って知事に掛け合ったりしている。なんだかなあ。ちなみに川迫の軌道はかなり残ってる筈。
これだけ豊富に森林組合関係の資料があると、どういう変遷をしたかまとめてみたくなるのだが、自分では役足らずだろう。組合法とか補助制度とか資金の借り方返済方とかわからんちんなことが多すぎる。資料の量も半端でないし。本来ならその方面から(経済学的アプローチで)分析すべき対象なんだろうな。そうして軌道ばかりに注目するのも変。せめて車道開設も含め「軌道以上の林道を開設した組合」でくくらないと。
それから大和山林会の果たした役割も要調査。植林育林の技術指導や研究なんかはもちろんのこと、林道敷設の指導や設計の請け負いみたいなこともやっていたようだ。洞川だったか川迫だったかは県から技術員を招いて相談をしていたようなんだけど。いろいろなつながりがあるものだねえ。知らないことが一杯だねえ。
ああ、奈良図の子供になりたい。なって泊まり込んで資料分析したい。往復にかかる時間も費用も馬鹿にならないし、何より落ち着いて読んでられない。北山川の河川占有物一件とか永田家文書とか東熊野街道縦断図但廿一葉とかも読みたいんだ・・・。
話が4週して2時間近くに及ぶうち、 様々な発見と謎が解決し、 気になっていたあの隧道が世にも珍しい物件であることを教わった。そうしてホクホク顔で帰ってきた。が、念のためにと思って確認した村史でそれが序に過ぎなかったことを思い知らされた。マジで。かなり泣ける。全容解明なんて殆ど不可能じゃん。
これだけだと眠れないのでクダを巻く。行きがけに小倉橋に寄って頂けたのでレーシングの歪んでいることを確認できた。上流側新子方から数えて3本目の斜材・垂直材が特に顕著に曲がっている。構門構の下辺の材も曲がっていたが、こちらは施工不良かも知れぬ。
ここに流木がぶつかることなどあり得るのかというような位置である。そうだという事前情報なしに歪みが意味するところを看破るのはまず不可能だろう。だが橋を通る人全員に遍く知ってもらいたいものである。否知るべきである。知って川面の高さと見比べてよっぽどの水害であったことを感じてほしいものである。物語や昔の写真でもいいのだろうけれども、実物を目の前にし自分で見て考えた時ほど理解が深まることはないからね。
続いて住吉橋主塔。いつ行っても天気が悪くてきれいに写せていなかったのを回収した。そのついでに架設年まで判明してしまう。なんのこたあない、橋の裏側にそう書いてあった。銘板も塗り潰しじゃねえし。手抜き杉>nagajis
上北山村では天ヶ瀬橋を再調査。間違いない21分の1のコンクリートアーチをゲットー。おそらく有筋の結構スレンダーなアーチ。スパン約20m。すり付け部はハンチで支えてある。上流側から見ると一発でアーチだとわかるのだが、伯母峰峠のほうから下ってくると植生その他で気がつきにくい。
メインとなる下北山村の軌道探索は、結果的に要所を押さえたものになり充分満足なものになた。はるか昔から複数回にわたって・複数企業が入って林作業をしていたらしく、誰がいつ作ったものか特定し切れないものの、話を伺った方の96最という年齢(!)と「子供の頃」という言葉から算出すると、大正15年頃には稼働していたものらしい。落ちていたアレも古そげだったし。以前からの謎と現地の謎とが証言ですっかり解決したものの、それより奥がどうなっているか見れなかったのは心残りだ。あと50年もすれば朽ちて元通りになるだろうけれども流石に冗談抜きでそこまで生きていられない。
そういやここでも昭和4年8月だったのだな・・・
_ おこぜ [もうカキコするなと言われたのでやめていましたが,ひとつ教えて下さい。前日の孔の写真は下桑原の人道隧道なのでしょうか? ORJの氏の記事は毎回楽しみに読ませてもらっています。ただ,最近,ヘタレな足..]
_ nagajis [ん?私が書くなって書きましたっけ? ここは誰がどう書こうと構わない欄ですよ。それに対して心の狭いnagajisが一喜一憂したりするだけですし。 足が痛いのは、さあ・・・。書かなくなくなることはな..]
_ おこぜ [人は,言われたことは忘れませんが,言ったことはすぐ忘れるものです。私も含め皆その傾向があるようです。正確には,「ツッコミを入れる」ボタンがあるのに,「あまり突っ込まないで」というような表現でしたの..]
積年の宿題のつもりで橿原神宮を再訪したのはいいが(よくないという話しもあるが)、そこで興味深い水準基標(というのかどうかは知らない)を発見し、これはひょっとしたら神宮建設時の基準点なのではないかと想像し(妄想ともいう)てしまったからさあ大変だ(自分でやっといて何が大変だ、だ)。身の程もわきまえずに社務所に突入して迷惑がられた。結局は教育委員長さんなり何なりの偉い方の判子がなければ動いてくれんのだ(当たり前だ)。そして足が痛くなかった。
自分よりも格が上の人だったり、大きな団体だったりに相談事を持ち込む時、上を通してコンタクトすることは社会通念的に正しいことだとわかってはいるつもりでいる。せっかく委託してもらった身なのだから、委託してくれた人を「利用」するほうが賢いこともわかっている。けれどもその委託が解けたらどうなるんだろう? 結局は自分の身一つで勝負しなきゃならないじゃん。だったら今もそうしたらいいじゃん。なんか失敗したら尻尾切りして捨ててくれればいいんだし(上の人の首が怪しくなるようなことはしてないつもりだ)。というような覚悟で歩いているつもりでいる。社会通念を守れるほどの社会経験も素直な心も持ち合わせていない。ほんと、nagajisは役に立たない。身分証並みに役に立たない。ここでもう一度足のことを持ち出したらますます筒井氏の真似になるのでやめる。
その他、深田池が土木遺産相当の物件であること、帰ってからネットを見て洞池や共同井戸なんかもあることがわかった(帰ってから気づいたので立ち入ってはいない。するなら宮内庁に申し込まないと)。後者は結構デリケートな扱いになる。果たして公の刊行物で取り上げてもらえるのかどうか。せっかく竣工記念碑見つけたんだしなあ。載せたいなあ。せめて一次調査票くらいは書いてあげたいよなあ。
難しいのよね。生半可な知識しか持ち合わせていない人間が首を突っ込めば、ただの珍玩にしかならないだろう。深く学んでからしようと思ったら途方もない時間を要する。うえにその側へZBZBZBと踏み込んでしまいそうで、そうなったが最後その立場でしか喋れなくなる。どちらか一方に立つことが嫌なのだ。自分自身はそうだと知ってもちっとも気にならないことなんだが、あえて声を大にして語り継いでいくことよりも黙って忘れ去らせるほうが(どっちにとっても)得だろ、というのが持論。それを貫くならばなおさら面倒くさいことになる。
拠り所にするなら、やっぱり技術なのかなあ。技術は誰でも平等に恩恵を受けられる。分け隔てすることがない。一歩間違うと科学万能主義の弊に陥ってしまいそうなくらいに技術を信じている。だからこそ土木遺産とか近代化遺産とか云々言ってるのだ。橿原神宮外苑だって、偏った皇国思想とその反動との狭間で宙ぶらりんになっている状態を技術視点でなんとかできそうな気がしているからこそ再訪したりしているのだ。実は神武天皇稜のギテー地が怪しいとか、本当の地でマンセーを叫んだとか、は正直どうでもいい。今から約70年前にそれが本気で信じられていたことや、その思想の元で沢山の人が働き、橿原神宮が作られたことを「そういうもの」として理解するだけでいいんではないか。それが正しいことだったのか、正しくないことだったのか、白黒つけようとするからややこしくなるんじゃないか。
とは書いてみたけれども、技術=善の観点から見ようとしている時点で同じ穴の狢なのかも知れない。そう、=善としちゃいけないんだな、ここで。
で、結局橿原神宮外苑道路のどこがレムニスケートなのかはわからずじまい(ばく)。もうちょっとしっかり書いておいてほしかった>藤田氏。 BMもNo25の一本しか見つけられなかった。
結論。あんまり敵を増やすと生殺しにされちゃうよ>nagajis。すでにそうだけど。最近は自販機にすら顔認証がついているご時世だってこと忘れるなヨ。
この夏は結構エアコンを回したつもりだったのだがいつもの月と略変わりがなかった。増えてはいるのだが目玉が飛び出たり冷や汗が垂れたりするような上がりぶりではない。これだったら暖房に使ってしまった数年前の冬のほうがヤバかった。
なるべく外に出るようにしてたのが良かったのかな。
TF101があるお陰でいろいろなことが捗っている。目的地の行き帰りに原稿打ったり書いたことが気になったときにちょちょっと手直ししたり過去に書いた記事pdfを出先で参照したり。もしこのマシンが10年前にあったらもう少し実のある旅になっただろうし、書く癖もついていただろうと思う。
IMEをいろいろ試した結果日本語フルキーボードに落ち着いた。これが最も違和感なく使えている。変換エンジンはOpenWnn固定で。辞書登録できないのは辛いがそれを避ける工夫ができないでもない。単漢字の語彙はたくさんあるしね。要はBeIMEとか初代ことえりと一緒だ、使えないなら使いこなせるようになればよい。使いこなせなければなれるように慣れるまで、という話。
電車の中で打っていると左右の人に圧力がかかる。満員の時には使えない。空いたとき、座席の端に座れた時、あるいは大和路快速でボックス席ゲットした時だけがOKタイム。ポイント数でかくして書いているので隣の人にまる見えだが別に官能小説書いたりしてる訳じゃないんだから堂々とおっぴろげている。キモい人と思われても構うものか。もとよりキモいのだnagajisは。
そういう開き直りがあるせいか、はたまた人前であるせいで書き急いでいるのか、案外すらすら文字が書けている。不思議なものだ。巣束で勉強とか図書館でカリカリしているとかと同じような効果があるのかも知れない。自分がやっていることが人より優れてるなんてことは微塵も思っちゃいないが。規定期日までにまとめられない能無しだからいつでもどこでもダラダラ書いているだけだ。
昨晩あたりから「涼しさ」を感じられるようになった。いつまで経っても生ぬるい感じしかしない夜ではなくなってきている。有り難いことである。
そうなんだよな、9月に入るとこんな感じなのだ。昼間は滅法暑くてパンツが腐るかと思うほど汗をかくのだが、夜になれば涼しくなって鈴虫蟋蟀の音も清い。こういう季節がいちばんうれしい。その昼の暑さを「残暑」と表現する言葉のセンスも捨て難い。残暑いいザンショ、とか無駄口を叩きたくなる。
そんな季節がいつまでも続いてほしいものだが、そうでないところにも日本のよさがある。肌寒い秋が来て、霜が降りて、冬が来て、また春が来て夏が来てというサイクルがあるからこそ今がいちばんいいのだ。せいぜい今を謳歌したまへ>nagajis、とうまく纏めてしまったのが残念だ。もうちょっとグダグダしないと夜は長いぞ。
TF101を持っていったお陰で帰りながら追記という姑息も可能になった。その場で完成原稿になることはまずないが、骨組みくらいは仕上げられた。ここからまたしばらく生理のもとい整理の日々が続く。まあたダダ長くなるな。ていうか本編どうするのさ。
きにちょの本願は、あれこれな方面に一度に手を伸ばさないといけない自分にとっての備忘録である。きっちり読み直すことはなくても、あそこで書いた、ここで書いた(筈)という記憶は残るので、あとでその場所を参照できる。自分にしかわからない言葉で書いておいても何とかなる。なかでも一番記憶に残るのが、あれ曖昧なままで書いちゃったなあという部分。次に書くとき何を抑えるべきかがわかっていると、例えば図書館でそれ関係の本を探したりできる(漠然と行ってしまって失敗すること多々ありなので)。そういうものを憂慮卯しに乗せるなという批判は甘んじて受ける。度重なれば嫌でも方針を変えたくなるだろう。
ちなみに自分の中ではあの記事を「きにちょ」と呼んでいる。テキストで書いている原稿のファイル名もきにちょである。謎のきにちょファイルがどんどん溜まりつつあるTF。他人に拾われたらえらいことになる。しかしメールもwebのパスも記録されていないので実害はゼロのはずだ。そのへんはちゃんと考えてある。
野菜の価格が平常通りになったので野菜たっぷり生活に戻っている。今日はラーメンを食った。キャベツの葉をむしって入れて輪切り茄子を放り込み卵1ケを落としただけの代物だが旨かった。袋ラーメンはうまかっちゃん派である。子供の頃日曜日のお昼はたいていうまかっちゃんだった。そこに焼き豚が入っていた記憶はない。常に野菜が多かった。当時はそれが嫌で嫌で仕方なかったが、いざ作ろうと思うとそういうもののほうが落ち着く。肉を食うと贅沢した気分になり罪悪感を覚える。昼にこんなに食っていいものかと思う。
一時期はサッポロ一番みそラーメンばかりだった(毎日ラーメンという意味ではなく、たまにラーメンを買うと味噌ラーメンに手を伸ばしてしまうということ)。それがうまかっちゃん回帰したのはなぜだろう。余りご飯に汁かけて食う侘しさに耐え切れなくなったためか。それとも「それじゃ猫マンマと同じやん」と気づいてしまったからか。わざわざ味噌ラーメンを作って残り汁をかけるよりも味噌汁を作ってかけた方が炭水化物過多にならないだろうからな。
一昨日の晩は蕎麦だった。蕎麦2把をぶっ茹でてもぐもぐ食ったれと思い、その通りを放り込んだはいいものの、規定時間以上茹でてしまってちょっと大変なボリュームになった。何とか余すことなく食い切ることができ、蕎麦栽培農家への顔向けもできたている次第なのだが、相変わらず進歩がないと思う。そういえば麺類の「ちょうどいい量」を測るのは難しい。物足りなくも余りもしない量を茹でるのは大変だ。筒井氏曰く「自分の勃起した陰茎の直径が適正量」とのことだったが、強ちただの戯言というわけでないように思われるのが嫌らしい。いろんな意味で。
食い物のことを書いていたらまた腹が減ってきた・・・。袋ラーメンも量の調整が難しい。消化がいいせいかすぐに腹が減ってしまう。かといって1.5袋2袋を茹でると確実にダレる。最後のほうを美味しく頂くことができない。単価100えんくらいで一日持つ食いもんなんてないもんかしら。タコの入っていないタコ焼きなどはいい線を行っているような気がするが試す気にはなれない(タコ焼き器ないしな)。お好み焼きも案外早く消化されてしまう。あれは疑似広島風だからだろうか。溶いた小麦粉に刻みキャベツをみっちり入れて焼くタイプのものであればもう少し腹持ちしそうな気がする。
人間はなんて贅沢なんだろうと思う。米と味噌だけでも生きてはいけるのだ。それに飽きたりするから他の料理に手を伸ばすのだ。美食文化を否定するつもりはないが、そういう気分でない時に満足させられる何かを用意しておいてほしい。あるいは美食欲を抑える何かがほしい。貧しいから買えない作れないというのは勘弁だけどもな。
落ちていたU字の金具はカン(うろおぼえ)なんじゃないかと思うのだが、 楔様の金具が必ずセットになっていた理由がよくわからない。まるでベルトの金具とそのベロのような関係。
S6修正高野山に「牛馬軌道」として書かれてる。じゃあ伯母子岳に続きが載ってる筈・・・なのに何で気づかなかったんだろ。
豆トロの車輪がぶ厚いのは、直径が小さいからではなく「木軌道」をうまく噛むためだったのではないかという仮説。無理無理、妄想でしかねえ。
大和西大寺駅の橿原線の出発ホーム、橿原神宮駅の南大阪線ホームはJR天王寺駅の大阪行き並みにトラップ。普段阪急宝塚線しか乗ってないからこんなに迷うんだと思う。
道路の改良「産業道路」。元から府県道だったような重要な府県道が地方長官管理・内務省監督の道(主要府県道)になり、それを改良するために「産業道路改良予算」がついた?それが産業道路? そういうことに検索が答えてくれた試しがない。
買った切符は必ず財布の小銭入れに入れるようにしている。でないと無くすからだ。そのことを徹底しはじめてもう数年が経つはずなのだが、また今日も切符を無くした。また梅田からの帰りだ。岡町駅の駅員さんに「またか」という顔をされ、まるで汚い野良犬をシッシするかのうように、あるいは慈悲たっぷりなまなざしをもって、切符を通さずに抜けられる改札を送り出されることに辟易している。なので今回は最初から220円を用意して渡してこれこれこういう理由でございますと断ったうえで有無を言わさずに出てきた。我ながらちいせえなあと思う。それに梅田から乗ったという証拠がない以上220円が適正料金だと判断してもらえるわけがないではないか。くそ。仮に京都から乗っていて同じことをしたら200えん以上も浮くじゃないか。そうでなはいことを証明するために切符があるんだろうが>nagajis。
いったいどうして切符を落とすのだろう。最初に改札を潜る時に右手で切符を取るだろ。それを胸の財布に持っていって仕舞うだけの作業じゃないか。時間にして1秒もかからない動きじゃないか。なんでそれを忘れるのだ。そこでポケットに手を突っ込んだり鞄を持ち直したりするから無くすんじゃないか。それはわかっている。わかっているけれどもしかし、それをし忘れるのだ。やらなければならないと分かっていることがその通りに全部出来たら人間みな君子になれる。戦争のない平和な社会も築けるだろうし船場吉兆の女将がテレビで醜態を晒すことも長島が一塁を踏み忘れることもなかった。人間の必然なのだ。きっとそうなのだそうに違いないのだ。そう考えて慰めることにしている。
冷蔵庫の奥底にハムが1パック残っているのを発見し賞味期限も消費期限も確認しないまま投入してモリモリ食ったった。変な味はしなかったのでたぶん大丈夫と思う。卵も入れたので動物性タンパク質てんこ盛りだ。おお卵よおおハムよ我が肉となれ血液となれ。ついでにこの目のショボショボもなんとかしてほしいものだ。
食べてすぐ横になると牛になるというけれども、横になって飯を食うことの多い自分は牛以下になるかも知れない。このはしたない癖は狭い1テン生活で培われたものだ。大きな前室を作ることのできるダンロップのRー107は雨が降ったときに特に重宝した。テントの中に居ながらにして飯が炊ける。ただしそこで座位を取り飯を食うのは若干難しい。天井が足元に向かって傾いているので心地後ろに下がることができない。かといって前に出すぎると水が滴る。入り口の網も邪魔だ。中に籠って飯を食わねばならぬ。すると勢い横になったまま食うことになる。牛以下の完成である。
それほど頻繁には使わなかったが長年使い続けたせいでポールを入れる袋に穴が開いた。ポールのゴムは切れていないので一本二本が飛び出すことはないが、インナーを釣る青い棒(これだけ単独のパーツなのだ)が落ちて紛失するところだった。それを機会に袋を新設し、さらに重たくかさばるものになってしまった。材質はケツが破れたジーパンの裾だ。ケチらずに丁度いい大きさのスタッフバッグを買ってくれば良かったと若干後悔している。
31日に調査委員会が開かれるとのことなので慌てて調査票を書いている。これまで撮影し貯めておいた道路元標を一気に調査票化したらなんだか水増ししたかのような勢いに。そういうつもりは毛頭なのだが、候補リストにしつこく入れ込んだ割に誰も調べてくれてなさそうなのと、それくらい忘れられている付帯構造物がちゃんと存在していることを証明するためのつもりで書いている。町制施行で建て直した畝傍町(最近周辺が苅り払われて目視しやすくなった)とか奈良市の復元された里程原標のように地元の方に注目されつつあるものもあるのだ。そういうことを書いて皆に知らしめたい。そうして各地の元標を今一度確認してもらいたい。特に元標に関しては全市町村で徹底して調べないと意味がない。一次リストには載っていい物件だとは思うが、現存が知られているのに調査票が上がってこなかった場合、リストに載らない=現存しないと勘違いされる=変に調査欲を刺激=新発見した!と糠喜びする人続出、という構図が今からでも見えるようだ。自分が書いた元標だけしか上がってこなかったら尚たちが悪い。
西河橋小倉橋は8月月報の古写真を追加。加えて先日の下北山行きの際に撮ってきた歪んだ綾構の写真を追加。すでに川上村の調査員さんからあがってきているのだから越権行為かも知れぬ。しかしそこに漏れていて気づいてしまったことがある以上、書いて残しておかないと物件に申し訳が立たぬ。
長殿は調査票より付録資料のほうが長いという極悪仕様。して索道と軌道と堰堤を分けたった(水増しじゃないぞ!)。請け取り峠も年表を加えて再提出。二次調査対象にしたいとか、せっかく調べたんだから自慢したいとかいうわけでは決してない。決してだ。
橿原神宮と池はまだ。五新線も作りかけて置いている。地元の調査員さんの動向を見極めてからでも遅くないだろう。
Before...
_ nagajis [似たような話は各地にあるのですね。街ナカの学校をのほほんと出た私にはとても新鮮なことに思えます。 そういえば、区が学校を建てるお金を出すのは都市部でも同じで、立派なものを競い合って作って、それが区..]
_ cme_sgx [はじめまして! 「本日のツッコミ」という欄ですので、ささやかなツッコミを・・・ 上から2枚目の写真は「三国木材=北山索道=玉村工務店」北山索道ではなくて白川又索道ですね! 尾鷲市史には北山索道と書..]
_ nagajis [あ、確かにそうですね。風袋に「三国木材と北山索道」とあるので、当初から高木道之介が両者の社長をやっていて、北山索道も白川又索道もひとつながりのもんだと理解していました。厳密にはわけるべきでしょうな..]