nagajisの日不定記。
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アジ歴を徘徊していて面白い資料を見つけた.「要するに」はあとで書く.原文旧仮名漢字をかな新字に改め適宜句読点を入れた.
道路の制を更定するの議
道路の制は土木事務の沿革に従て維新以来数回の変遷を経歴したり.則ち明治六年大蔵省に於て道路規則を発布して,道路に三等の級を立て,廃藩置県前の旧慣を斟酌し,其等級に応じて処弁の定規を設け,既往五ケ年の工費を平算して官給の額を定め,八年地方官会議を以て国県里三道の制を定め,各道に三等の級を設たるも,経費は仍(な)お旧慣に依らしめたり.然り而め此時に至る迄管理上の事は全く政府の担任に係りたり.十一年府県会の開設,地方税規則制定の時に際し,管理及び経費支弁のこと共に著(つ)き変更を生じたり.則ち地方税支弁の費目中土木費の一項を置き,地方利害の大小に因て地方税及び協議費負担の別を定め,其区別は一に府県会の議決に委ね,其管理の事に至るまで併(あわせ)て地方に任じ,是より自ら維新以前の旧慣を破り,往々実際の不便あるを見る.然れども当時官給費額は仍お旧慣に依て支給したるを以て,幾分か地方の負担を補助したりしが,十三年第四十八号公布を以て土木費官給の事を廃止し,道路費悉皆地方の負担に帰したり.爰(ここ)に至て管理経費共に全く地方に放任し,政府は直接に道路修築の事に関預することなきに至れり.蓋(けだし)当時財政の急務よりして,従来の慣例に依り,地方税と連帯支弁に係りしものを以て地方税支弁に委ねたるに止り,管理の事に至るまで挙げて地方に放任するの廟議にはあらざりしなるべしと雖も,方今事実上に於ては全く放任の状を見るに至れり.
抑(そもそも),道路経理の良否は国家の盛衰に至切の関係を有し,運輸の便未だ洽(あま)ねからず,且軍備の拡張に急なるに方[於?]ては,其制を確定し,修繕周到の方法を索むるを以て今日の要務なりとす.加之,国県里三道の制は八年以前より既に制定せられたれば,其種類等級に応じて経費支弁の法を設け,首尾相全うせざるべからず.今や財政大整頓の緒に就き,地方政務の如きも較々(やや)着実に趣き,政府に於て漸次行政の基礎を鞏(かた)うし,其改良を計るの時機に任(あた)り,此際宜く財政上便宜の処分に係る一時の令を更(あらた)め,永遠の制を定め,以て内政改良の一端と為すべきなり.
近時交通運輸に車馬を用うるの繁多なるに至りしも,全国を通観すれば,修路の功は却て昔日に及ばざるもの少なからず.蓋,全国に貫通せる国道の修繕を以て,一府県地方税の支弁に帰し,管理の事を併て地方官に委任したると,十四年度財政更革の際,百万円余の巨額を以て地方の負担に属したるより,民力に堪え難きものあるとに因る.而て十三年度地方税より支弁せし国道修繕費の現額は十万八千二百六十五円,協議費より支弁せしもの四万六千五百七十四円,外に橋梁費若干,十四年度地方税協議費篤志寄付金の三種より支弁せしもの合計五十六万九千五百七なり.而るに既に行政の事務を中央と地方とに分ち,随(したがい)て経済を異にする以上,国道の如き全国の利害に関するものの経費を以て地方の負担に属するときは,情勢止むを得ず,管理の事に至るまで自ら地方に帰し,甲乙相接する所の府県にして道路の修繕互に異同ありて,全国を連絡せる国道の体裁に適わざるの実況あり.名実共に具当を得ざるなり.是に因て国道は悉皆政府の管理する所と為し,以て其修築の体裁をして全道一轍に出でしめ,傍ら工事の改良を計らんとす.
国道を政府の管理に属するに付ては,夫の国県里三道の制を定められたる旨趣を体し,県道は府県の管理に属し,其経費は地方税を以て支弁し,里道は町村若くは郡区の管理に属し,其経費は協議費を以て支弁すべきものと制度を定められんことを冀望す.
国道の総里数千九百四十里余,此平積千四百五十万八千九百六十四坪余,此修繕費一里に付千六百七十八円三十二銭即ち一坪に付十九銭四厘と見積り,其額二百八十一万四千七百三十九円一銭六厘,毎年全道の一半を修繕するものとすれば,其額百四十万七千三百六十九円五十銭八厘,其三分一を修繕するものとすれば其額九十三万八千二百四十六円三十三銭八厘強なり.外に治道,橋梁費の目途高を二十万円とす.
右の費額は国道全線の経費悉皆官給の目的を以て計算したるものなれども,従来の旧慣に依り,若しくは近年地方税改定以来の例規に依て,地方に於て実際支弁し来りたる費額にして,特に困難の状なきものは今遽(すみやか)に之を廃止するを要せず.道路掃除丁場と唱うるもの等,幸に猶お全廃に至らざる由.此等は詳細実地の調査を遂げ,或は旧慣に依て力役を課徴するか,又は沽計して分担せしむるの法を索(もと)むべし.依て此際は右一半若くは三分一と,外に橋梁費目処高の二分の一十万円,若くは三分の一六万六千六百円余を支給し,以て国道管理の実権を占めんことを要す.尤従来道路橋梁補助費として別途に官費支出せしもの,十五年度十八万五千七百三十円,十六年度二十四万四千六百六十二円(十七年度に於て稟議の積現今調査中の分凡三十余万円あり)あり.右国道管理の制を定めらるるときは総て此支出を廃止し,実地国道修繕の緩急に依り,其の費額に余裕を生ずることあらば,之を以て幾分か新道の開削を助成し,且国道の開削にして地方の発起に係るものあらば之を補助することとせば,政府に於ては従来地方の請求に因て補助金を給与し,往々出願の取捨に苦むが如きことなく,地方に於ては国道修繕の負担軽きを得て其余力を県道以下の修繕改良に施し,以て交通運輸の便漸く開進を期すべし.
国道を管理するに付ては,土木工師の任用職権を完むる等,其主務局たる土木官僚の組織に多少の改正を要すべしと雖も,今遽に其運びに至り難きの事情なきにあらず.且,創始の際なるを以て,地方官の意見等も篤(とく)と聞得たる後,猶お改正の案を呈すべし.依て此際先別紙の通地方官へ内達せられ,厚く右趣旨を論し,土木局員と協議の上地方官をして管理せしめんとす.
又治水の事業たる,方今土木の大要部分に居り,多少の沿革を経て全国屈指の十四大河は既に直轄に帰し,其工費十三年度より十五年度に至る迄は二十万円乃至二十八万円なりしも,本年度に於ては四十七万三千三百十一円の巨額に達せり.その工事大に改良進歩の緒に就きたりと雖も,猶お漸次直轄の河川を増加するか,若くは地方と連帯経理の法を設け,其管理の制を更定し,一層水利土工の改良を計るも亦内治上至要のことたり.港湾修築事業の如きも,善く其緩急を査定し,漸次着手の順序方法を確定するは,経済上寔(まこと)に緊要のこととす.不日更に現況を具し,併せて改良の方案を上陳すべし.道路の制度を更定するに更定するに至切の関係あるを以て,特に之を附陳す.
以上具陳する所幸に御採聴を蒙らば,十七年度より実施候様相成度,謹(つつしん)で仰御採択候也.
明治十七年二月 内務卿 山形有朋
太政大臣 三条実美殿
要するに,の前に前提を書いておく.明治6年に道路等級制,明治8年に国県里道制ができた頃は国が道路の改修費用を出すことになっていた(官費下渡金).それが嵩んで重荷になってきた明治13年,官費下渡金を廃止して道路にかかる費用を地方税負担,すなわち府県が負担するように改めた.
引用した山県の上申は,それを改めるべきだというもの.国が国道の改修費を継続的に出すことで,国の国道に対する権限を強化し,国道網の整備をするべきだ,ということだ.
M13以前は国が道路の監督権限(国県道を定めたり何とかしたり)を有し,かつ¥を出していて,一方で工事をしたり改修したりといった管理権限は府県にあった.「国に代わって府県が道路を維持管理する」という関係が成り立っていた.しかしそれが,財布の紐まで地方に委ねてしまったことで,道路行政を地方に丸投げする格好になっている.国の幹線たるべき国道の改修が疎かになっている.このままじゃいかん,国が積極的に国道改修に関わるべきだ,と山県は言っている.
こういう上申をしていたことは聞いたことがあるようなないようなだし,要は旧態に戻せということなんだが,結構先見の明があったんじゃないかと思う.大正8年の旧道路法では道路管理権(道路管理者)を明確に定め,道路の体系的な管理を可能にしたけれども,国が道路管理者になることはなかった(国道,府県道の管理者は府県知事).国(国務大臣)が管理者となり国道の建設を行うようになったのは昭和27年の新道路法からのこと.その結果としてようやく四通八達の国道網が出来上がった.
山県の上申は大蔵卿・松方正義の“つっこみ”が入っている.
地方官に御内達案
道路の修繕を善くし其改良を図るは方今の急務に有之候に付,来る十七年度以降国道修繕費総額の幾分は官費を以て補助可致儀も可有之に付,詳細の儀は内務卿の指揮を受け,国道管理の方法一層行届候様可致,此旨内達候事.
別冊内務卿上請之趣審案候処,実際不得止筋とは相考候得共,来十七年度予算之儀は既に其概計上に於て無慮四百六十万余円之不足を生じ候に付,歳入出減削支弁之方法目下苦慮計画中に有之,同年度に於ては支出之目的相立□中候間,内達並実際に施設之緩急等者,尚当省協議之上追而申出候様,御指揮有之度,此段及副申候也
明治十七年三月十四日 大蔵卿松方正義
太政大臣 三条実美殿
要するに,山県案には賛成するけれども,十七年度の支出はすでに赤字超過になっているので難しい,工事する箇所や費用等はうち(大蔵省)と相談して決めてくれ,ということ.
そうして三条実美の回答はこう.
上請之趣聞届状尤大蔵卿上申之趣有之に付金額支出の目処並に一般施設の順序等は詳細取調更に可伺出其迄の内実際之儀は右の目的に拠り臨時支出の金額等大蔵卿へ協議の上適宜御取計事
但金額前途支出の儀は其都度伺出候儀と心得べし
明治十七年三月十五日
一応は山県案を容れている格好.大蔵省と相談の上,詳細を決めて再度問え,ということになっている.
でも,その後はそうなっていない.先述の通り道路の維持費用は府県が負担し続けた.翌年に内閣制が始まったことで話がポシャったということだろうか? それともこれが国庫補助の制度につながっていったのか?
あ,原文の資料番号はA03022908500.「道路ノ制更定ノ件」.アジ歴は資料へのリンクが取れないから困る(AA略
今更感たっぷりな一枚.旧戸倉隧道の西口坑口の上にこんな大木が育っていることに,この間気づいた.コンクリートの塊から白飛びしつつある路面までの高さと比べてみていただきたい.相当な巨木である.
斜面から斜めに突き出した坑門工の上だから,隧道以前からあったものではあり得ない.隧道が作られた時に植えられたか,その後に実生したものだと思われる(石垣が巡らされてあるところを見ると態々植えたものである可能性が高い.ただの土留め石垣かも知らんが,ご神木を護る玉垣と捉えたほうが色々捗る気がする).
こんな大きなものを載せてよくもまあ壊れないものだと思う.世界樹よろしく隧道を包み込んで,却って崩壊から守っているのかも知れない.
今日の外出のメイン目的はこちら.少し前に書いていたネタ×2の閲覧許可が出て,スケジュルール的な制約から今日くらいしか出られなかったから,台風接近で強まる風を衝いて外出した.
残念ながら工学的な新知見はなし.横桁も縦桁もトラスもいっしょくたに「市が支給」になっていて出所が特定できぬ.仕様書を深読みする必要あり.そのかわり「なんで浜中津橋っていう名前になった?」がわかるかもしれない.そのへんのこと書いて以前の旧橋を補遺しとくか.ずいぶん先の話になるだろうが.
時間があったので府立図書館へ足を伸ばし,その足が2うさぎ目3うさぎ目4うなぎ目を捕まえてしまって帰れなくなった.外に出たのは18時過ぎ.もう台風の中かと思うような暴風雨で足がずぶ濡れになり折りたたみ傘の骨が2本折れた.そのくせ岡町まで戻ってきたら雨上がってるって,どないな天気やねん.そんなやつには保安チョップだ.えい.
赤岩の墜道ェ・・・.結局のところそれが言いたいだけだったりする.要は丹生郡のほうではなく大野郡のほうが先に解決してしまったというオチ.あと「*福井県*大野郡誌」は神.じっくり読みたい併せて読みたい「*岐阜県飛騨国*大野郡誌」.というか上と中こそじっくり読んでくるべきであったことに帰ってから気づいた.こちらはkindai.da.に収録されておらぬ.また行くのもなんだから,岡町図書館経由で取り寄せるか・・・.すでにもう7冊依頼しちょるけど.
そういやそうなんだよね,県境挟んで大野郡が2つ隣っている.石徹白なんかは元福井の大野郡やったはずやねん.
向小駄良の□□□□牛は 親は黒うても子は白い
□の部分をわすれた.「牛を見やれ」だったかも知れぬ.今も白いのだろうか.そして翁は油坂隧道を抜けて帰っていくのであった.確か.全集3巻嫁>nagajis
FujifilmのS系の絞りって長時間露光したらあんま変わらないと思ってた.S200EXRはそうでもなかった.F8のほうが若干シャープ.ほらそこ笑わない.F10でないのはトラウマのせい.
東大阪市荒本の交差点にある白看.中央図書館へ行くたびに撮るつもりでいて忘れてくる.
そうしてあれからさらに賞味期限の過ぎたきしめんを手製うどん出汁で食べている(※もう一袋残っていたのを忘れていたのである).通算約1ヶ月超過しているはずだが悪いところなど毫もない.冷蔵庫という文明の利器を手に入れた我々は無敵なのである.
しかしその一方,昨晩帰りがけに買って仕舞い忘れていた焼き鳥(もも)はあっという間に傷んでしまった.やけに酸っぱいタレだなと思ったら8/31製造9/2消費期限と書かれてあって驚愕した.道理で20%割引だったのだなと思いつつ,そして文明の利器を使い慣れていない我が身を恨みつつ,3/5まで食べたところで胃が受け付けず断念した.勿体無い.罰が当たるぞ.飢えて死ぬぞ.殖えて死ぬのは構わんが飢えるのは良くない.できれば植えるのも避けたい.のっとうぇるかもだ.
例によって再構成に悩んでいる.悩みに悩んで書きまとめたものを解体することからしてまず難しい.貧乏性だから,一度書いたものを削るのが下手だ.一字,一句,フレーズ,失くしてしまうのが惜しい.
ようやく2/3に達したかと思うが,ここにあれとそれとを付け足して過不足無くすることも難しい.で最後に新規に書かねばならん.ぶぅ.
気楽に持ち運べるA6サイズのミニノートとかモペラとか欲しいとか思う.それが贅沢の極みアッーーーであることも豚に真珠であることもわかっているが.
人は誰だって自分のことなら幾らでも好きなだけ無限に近い量書けるのだ.手間暇時間キー入力に必要なエネルギーを厭わなければ.あやふやなニホンゴを並べ立てて恥をかくことに対する厚顔を持っていさえすれば.それすら節約したい感じな今の心境はあまり良くない.こういう歴史があったのだということを伝えたいと思う気持ちが,不足している.書いてどうするのさ,誰も読まないだろ,という思いが先行している.よろしくないことである.
結局のところ拠って立つ瀬は一つしか無いのだよ>nagajis.それ以外を高望みするから苦労するのだ.こう書いてみたいということを書き散らして,勝手に死ねばよろしい.
とうひー。
9/4から出るか9/7からにするかで悩んでいたが,9/3の台風禍で影響がありそうだったので止めておいたのは正解だったと思う.出ていれば電車の遅れがあって予定通りに行かなかったはず.
それはともかく,逃避中に徐々に状況が明らかになってきて,いろいろと思わされるところがあった.H16の台風禍で大台周辺がずたずたになり,その爪痕を見て戦慄することしばしな私だったわけだが,今回の台風でまた紀伊半島がずたずたになって,明治23年水害を彷彿とさせる状況になっている.そういう厳しい土地に人が住むということはとても大変なことだ.ひとたび道路が寸断されると数千人が孤立状態になるという紀伊半島の山奥に,それでも人が住んでいるという現実がある.数億年・数千万年のスパンで考えてみれば,今回のような大雨で何度も何度も崩れて今のような険しい地形になった.道が流されるなんて日常のことだっただろうし,人知れず土砂ダムができて決壊しただろう.そこに恒久的な道をつけても,いつかは必ず流されてしまい,恒久物ではなくなってしまう.土砂ダムができて暮らしが脅かされてしまう.そういう場所に住み続けるということはある種の覚悟がなくてはならないのだろう.三陸海岸,福島沿岸の津波の時もそう思った.
橋が落ちて不通になった国道168号が約1週間で復旧したというのはすごいことだと思う.そう思う一方で報われない作業だなとも思う.崩れることを前提にして作るわけにもいかないし,絶対に崩れない道を作ることも不可能だ.そういう場当たり的な?スクラップ&ビルドの繰り返しが,道の歴史というよりも人の生き様,生活史,生態とでもいうべきものなのかと思う.これを機に紀伊半島はどう変わるだろうか.
※ nagajisではアリマセン
助けられて無事終了。言葉にできない無上の感謝をしつつ寝る。
留守にしている間に資料と仕事ががっつり届いていた。働き詰めに働かないといけない。黒ばむかも知れない。
名物唐揚げの看板。所謂共食いキャラ。君が頑張ってもダメだから。筋張った肉はあんま美味しくないから。
ギギギ,という擬態語を駆使して残り図3枚まで.今日中にはカタをつける.
請求図書が思いの外早く届いてしまい,しかもそれを10月頭に返さなければならないと言われている.結構大変である.一冊1500ページもある本3冊に1000ページ弱4冊をたった2週間かそこらで読んでしまえというのは非情な話じゃないか.かといって全く見ずに返してしまうわけにもいかない.救いなのは図書館留めになっていること.行きさえしなければよいだけの話である.
とはいいながら送られてきた複写物に目を通さずにはいられない.便所に篭る時にちらちら見ているが,なるほど宮崎村誌は素晴らしい出来である.越前町教育委員会の担当さんが一押しするだけのことはある.どこの町村史もこれほどものだったら,と勝手な消費者気取りで思ったり思わなかったり.しかも天爵大神大降臨.
と書いて寝たところで間違い電話に起こされる.月が近いとかいう夢に陥るところだったのに.おしい.わたしはいしいさんではありません,きのうのこともおぼえてません.
原稿を書き始める前から作っておいた模式図を発見したまではよいが,随分間違っていたうえにいろいろアラ!が出てきて佃煮状態であった.書きなおして配置して,終わりかけたところでまた間違いに気づいて.あれこれ書き足していったらちっとも模式でなくなってたという.これでどっとはらい.しかも出来上がるとテンション下がるの法則が大発動していまいちな感じしかしなくなった.そりゃま,画像がほとんどないもんな.それは覚悟しておきべきだ.というわけで昔こっぽり泥鰌の目.
作りかけで放置していた図リストもアップした.背景画像を25分割したのは褒めてほしい.このほうが描写時間が短くて済む.というか最新式の蒸留器なら勝手に分解してくれるはずなんだ.手動で25分割して5×5並べ直すのは愚なんだ.
Deshakerにかけて手振れ補正した動画の縁を削り落としたいのだが,いまいちうまくいかない.Pass1でcrop指定しといたらいいんじゃね?と思ったがそうでもないらしい.ちゃんと説明書を読むべきだな.パラメタの意味もあまりわかっちゃいないのだし.
JR京都駅.I'm feeling lucky済.何をどう間違えたからこんな緑色になったのかよく思い出せない.PL+CPLで遊んだような気もするしホワイトバランスをぶっとばしただけのような気もする.元からそういう照明だったかも知れない.どのみち使い道のない写真である.
某都民とOSCAをヘビーローテーションさせつつ9時間ぶっつづけでなんとかあげた@AM3:30。pdf一式を。まだチェックと統合版とアンケートとDLページが残っている。発行は夜か・・・
何かすごく印象的な夢だったんだが朝方蚊に刺されキレ気味に目覚めたため細部をよく覚えていない。断片的ながらメモしておく。
・そこそこ知られた廃隧道?なのだが写真を撮る目的で行ってみようということになる。
・そこには何故か高校大学の同級生がいて一緒に探索することになっている。苦手なあいつもいたりするが最初にちらと見かけただけで終わる。
・入ってみるとそれは廃隧道ではなく何かの遺跡の如き地下構造。壁と廊下があり窓?があって……それが「ロ」の字につながっている。しかしこれが古代遺跡だという事前情報はなかった。ひょっとして世紀の発見?
・外に出て近くの民家の人に聞いてみる。するとどうだ、実はこれ、アイヌの秘宝を収めた地下神殿なのだという。尋ねた古老が実はアイヌの血を引く由緒正しき長であった。だんだん話に熱が入ってきて、こちらも真剣に話を聞く。気がつけば町の人総出の歓待になっている。
・話を総合すると、球形に掘られた地下にロの字×3階建ての神殿が収まっているという。自分達が探索したのはその最上階に当たる所だけだ。それより下は水没していた気がする。2階1階に何かありそうな気がするのだが排水する方法がわからない。
・その後何かひどく悲しいイベントが発生。そして場面はその町から離れる電車に乗ろうとするシーンに移る。ものうげな夜の繁華街。その電車が車止めを突き破って暴走しビルに激突するところに居合わせてしまう。「何でこんなひどいことばかり起こるんだ!!!」と憤慨する自分。
・この電車を何とかしようとする(あるいはこの電車に乗らなければひどくまずいことになるので焦る)ところでフラグメンテーション。フェードアウト.
結局写真はどうなったんだ.
アイヌの長と話をしている時に,彼らを日本人と違う別の文化として接するべきなのか.そうでないのか悩んで,言葉遣いがあやふやになったのをはっきり覚えている.「アイヌの・・・アイヌの人の? いや,あなたがたの財宝の……ぼそぼそ」.現実生活で尊敬語を使うべきか謙譲語を使うべきか迷ってモゴモゴ言ってしまった時の情けなさとそっくり同じだった.夢のなかでも同じ事をしている自分に幻滅した.別にこれは相手がアイヌびとだからではないと思う.天皇陛下と話をしろって言われたら同じように口篭る自信がある.
探索がしたいんじゃなくて,何かしなきゃいけないこと・追求しなきゃいけないことをでっちあげて気を紛らしておかないと怖いのだ.そうやってよそ見をしておかないと現実に気づいて愕然としてしまうんだ.ただ何か用を作って先延ばしにすることが人生だあたら,そりゃー行き詰まるわなあ.現状ではそれ(しなきゃいけないことがあること)を目標とは言えない.夢であるはずもない.ただ単に目の前の興味を追いかけているだけだ.
生きて何か楽しいことをしたいんじゃない.惰性で生きたいわけでもない.じゃあどう生きるのって考えるために,何か目標を持たないといけない.例えばそう,一食の食費に窮々しないて済むくらいの収入を得る,とか,人らしくなるとか,さ.いつまでもピエロ役で我慢できるんなら別だけど.
ここで「どちらでも良い」っていうセリフが出てきたのはヘビーローテーションの所為だな.なんかトカトントンみたいだが,それ受容し切ってしまうっていう解決方法もあるんだぜ太宰先生.
先日知ったことだが梅田スカイタワーは綿密なコンセプト(ストーリー)に基づいて設計されているそうだ.空中庭園のところに空いた穴は地面から飛び出した宇宙船が突き抜けていった穴で云々,その設計図もあって西側の塔の一階の壁に描かれてるかんぬん.確かそれが各所の細かな意匠の基本パターン?ひな形?になっていたはず.
そういうのを知って眺めれば「なるほどなあ」という感じになれる.ここで「だから何?」と思ってもいいわけだが,意図を汲み取ってあげたほうがいろいろなものが見えて面白い.ここがこうなっている理由とか,じゃああそこもそうなんだ,とか.国語の問題を解くのと同じだ.その意図や意図の表現が自分の感性と合わなくてもいい.作者の考えていることを読み取って,そのうえで目の前にあるものが作者の意図したものを表せてるかどうか考えて批評してみるのもいいだろう.
逆に,作者の意図を隠して,出来上がったものだけポンと提示すればどうだろう.宇宙船云々の説明なしに梅田スカイタワーを見た場合.人それぞれの解釈がさらにカオスな事になって面白いだろう.何も知らなかった自分はずっと,梅田スカイタワーはロボットの足だと思っていた.大阪が非常事態に陥った時には大阪城が浮上して梅田スカイタワーと合体し,超巨大ロボになって戦ってくれるものと信じていた.そういう発想があってもいいと思う.
なお#251だからニコイチの話をしたのではない.つうかよくそんなに沢山くだらんことを考えられるな,nagajis.
特濃!の無料公開分があったのを忘れていた・・・きっと忘れるだろうと思っていたらこのザマだははふ。ポストイットにメモしてディスプレイのどまんなかにはっとくとかしないとだめだな、この鳥頭はっ!
その前に寝る.この生物(なまものと読むのが正しい)はぎりぎりまで追い込まないとうまく機能しないからな.残り4/5だ.
今更感たっぷりな格好悪さを追求してみたい.じっと見つめていたらヒョウタンツギに見えてきた.
数少ない手持ちの隧道絵葉書の一つ.隧道かどうかもわからないような遠景の一枚を見つけて,キャプションに○×洞とあるからには隧道なんだろうと思って確保していた一枚があり,その後これをゲットしたという経緯がある.しかし馴染みがない土地なので使いでがない.今はもうオープンカットされてしまったらしい.三島謹製というから万世大路の飯坂の小隧道(名前忘れた)も当時はこんな感じだったんだろう.で最初の一枚をスキャンし忘れてる・・・どこいった.
キャプションの英訳,“HAKUUN GORGE”というのがいい.確かに素掘りの隧道をゴルジュと見るのも間違いじゃない.両側が絶壁になった峡谷といういつもの意味のほかに, (川・通路などをふさぐ)集積物,のど,なんていう意味があるらしい.素掘りのごつごつした感じと「ごるじゅ」という語感もマッチしている.これからこれ使おうかしらん.したり顔で.
自分で書いといて素晴らしくイケてる一文ができた。涙を流しながらげらげら笑っている。
規定量に若干届かなかったがまあこんなものか.書けば書くほど密度が上がっていくのが自分でもわかる.今回はそんなに詰め込まなくていい.あとでほぐそう.水増しでない程度にゆったり書けばよろし.
一文のなかに詰め込み過ぎて密度が激濃になる傾向がある.いかに短く端的なブンショー書いて文字数を節約するかが使命だったころの糞みたいな名残だ.あと,できるだけ打鍵数を減らして楽したいという怠惰の情.どっちもおさらばしたい.いくら日本語が膠着が許される言語だからといって読者に読解の労苦を負わせるのは宜しくなく何より後で見返した時の見辛さ汚さが半端でないから独りで勝手に居たたまれなくなる.蹴って捨てたくなる.
気分転換に乗った阪急電車にて.石橋駅に差し掛かったところでアナウンス.
「次は石橋〜 石橋 です」
という,いつもの聞き慣れた案内である.しかし今日の車掌さんは声が嗄れていた.おまけにLINE INが大き過ぎるのかスピーカーの音が割れていた.結果,
「次はビシバシ〜 ビシバシ です」
と聞こえてしまった.ビシバシ.次はビシバシ.名詞どころか形容動詞.イシバシビシバシ.一人で何度も呟いて笑ってしまった.乗客がまばらだったのが幸いだったが余りに笑って上の空になってしまい豊中で下車しそうになったのは頂けないことである.
この線には10年以上乗っていて,何百回何千回と聞いた駅名であるはずなのだが,石橋をビシバシと聞き違えたことなど一度もなかった.なのに何故今更このような空耳が聞こえたのか.わからない.何故なのかわからない.ただ単に疲れていただけかも知れないが,どうせならもっと他の原因がいい.死期が近いからとか,nagajis確変突入新ステージ開始<ルビ:スタート>したからとか.
あと,私の与り知らぬ所で既にそういうネタがやり取りされた過去があるに違いないと思う.それでもいい.大事なのは何も無い頭にそれが湧いてきて奇妙なポテンシャルを感じたことなのだ.それをこんな場でさも大発見そうに書く阿呆らしさを追求したいのだ.
参加してきた.現実逃避ではない,役務なのだ.そうに違いないのだ.仕方ないのだ.うん.
2011年の湊川隧道.今年で一般公開10周年を迎える.記念のイベントは明日も行なわれるらし.そして毎月第3土曜日は定例の一般公開日.グッと来た方はぜひ.
ナトリウムランプ下で無理矢理ホワイトバランスを合わすとこんな色になる.キモッ☆
相変わらずなローアングル.人が入ると少しは変化が出る.しかしこれやると漏水の雫がかかって大変だった.
昨日今日と雨続きだったせいか漏水がひどく,内部は水蒸気が立ち込めていた.以前見たような吸い込まれるような闇が写せなかったかわり全体的に明るめな仕上がり.
湊川隧道では神吉先生が案内をしてくださったのだが,その時に工手学校案内大正2年版を貸して下さった! わざわざ持ってきて下さったことに感謝.忘れず返すようにっ>nagajis
その後兵庫運河を見にゆく.写真は大輪田泊新川に架かる大輪田橋.大正13年竣工の3連アーチ.ちょっとわかりづらいがかなりスキューしている.50度くらいはあるんじゃないか.そういやスキューのRCの連アーチって珍しいんじゃないかしらん.
側面は石張り,橋体は(多分)鉄筋C.迫石の処理が面白い.大半は斜径に対して直角に並べられている(すなわち普通のアーチの迫石と同じ)だが,橋脚に近い所の数個だけはスキューの方向を向いていて,橋脚と平行になっている.この数個だけがねじりまんぽ構造になっている要領.一見しただけではその変化がわからない.これは力学的な要求から来るものではなく表面の凹凸ができないようにする目的の処理と思われる.橋脚の高さを越える水が流れた時,凸凹があると水流が引っかかってあらぬ影響が出るかも知れない.見目も悪いしね,
親柱もひどく凝った作りだ.本当はこの上に2m強の高さの石柱が載っていたが,震災で倒れて砕けてしまったという.その一個がたもとに置かれている.戦時中には空襲でこの橋の下に逃げ込んでいたところへ爆弾が落ちて大勢の人が亡くなったという.その慰霊碑もあって綺麗に手入れされていた.いろいろな見所があってなかなか面白い橋と思う.欲を言えば橋を正側面から見てスキューしていることを確認できるような視点場がほしい.大輪田泊の側から見えないこともないが水門が邪魔をして全景が見られない.
そうして復旧された親柱の一つには何故かカタツムリが.
ワルそうな猫.とはいえ襟カラー外してボタン止めにキンキラの龍の彫り物が入ったやつをつけている程度.本当に怖いやつはもっと怖い.
計算尺でおなじみのヘンミ! と思いきやそうではなかった.ヘンミ株式会社は始動用空気槽,オートクレーブ,汽水分離器,ステンレス製各種容器・圧力容器なんかを作っている会社.ヘンミ計算尺株式会社は今でも東京にあって半導体基板やその他いろいろを作ってる.もちろん計算尺も.特殊な計算に使うワンオフものとか作ってるんだそうだ.いろいろ勉強になるぜ!
川崎重工兵庫工場.車輌の製造・修理を行っている.道路を横断する線路と踏切?があって……
そこから覗き込むとこうなっている.どこの車輌だっけ.おっちゃん忘れちまったよ.
和田岬で見てみたいと思っていたJR和田岬線の旋回橋(跡).ここに着いた所で雨が激しくなったのは,「ニワカは(・∀・)カエレ!!」ということか.
旋回部分のアップ.旋回機能が完全に殺されていることがわかる(橋脚側のガイドレールは残っているがその上にコンクリ土台を噛ませていまの桁を載っけている).勿体無い気もするが回したところで幅3mほどの船しか通れないのだから要らないっちゃあ要らないのだろう.
帰りにO先生の勧めで電車を入れて撮ってみた.ありきたりな構図で面白みがないかも知れぬ.動態物込みで静物を主人公にするのは無理がある.むしろPL+CPLとかして減光して(MD持ってないのである)車輌を流してしまったほうがよかったかも知れない.
神戸のサッカースタジアムそばの公園に神戸市電の車輌が一台保存されている.最後に作られた車輌の一つで,広島で使われていたものが里帰りしたんだそうだ.
帰りはJR和田岬線に乗った.誰でも知っているだろうことがいろいろ新鮮で面白かった.例えば和田岬駅には切符売り場というものがない.乗って次の兵庫駅で改札を出る前に買うのだ.んで電車の中には広告がない.たった一駅の線だし,朝夕だけしか運行されないし(和田岬の工場で働く人の通勤帰宅がメインなのである),というのが無い理由であるらしかった.
で,神戸駅からモトコーを歩いて三宮から阪急〜と思いつつ歩いていると,神戸駅近くにD51があることを知る.あれ,こんなのあったっけか.
という感じでいつのまにか鉄道見学会になってしまった一日だった.
最後にもう一枚.残しておいてもしばらく使う機会がないと思う.傾き補正,シャープ一段.
一見意味が通っているようで実は通っていない言葉どもを縷々流々と書き始めたnagajisがヤバい。ここでいうヤバいは本来の意味通りであって決して肯定的意味を有さない。これっぽっちもだ。毛頭もだ。そうして延髄が際限なく眠い。この状況から眠さだけを取り去ってどかどか進めたい気もするが出来上がったものの保証は出来ぬ。気の抜けた炭酸飲料の如きヌルさ若しくは駄菓子の粉ジュースの如きベトベト感ばかりが際立ったものになって後で泣きを見ること請け合いだ。
頭の中で整理したものを書くのではなく書きながら頭の中を整理していたために生じたフラストレーションが爆発炎上したものと認められる。総てが\(^o^)/オワタわけではないにもかかわらず一仕事なし終えた気でいるのは何かの罠だ。改めなければならない。改めなければならないがしかし、改める暇がないのではないか、そんな隙があるものかとも思う。いまはしばし何か書いていたい。打って文字数を無駄積みしてみたい。した所で状況が改善されないことはわかっているが書いていないと落ち着かず眠れず明日のKINIAS幹事会も寝過ごしてしまいそうな塩梅だ。書くか寝るかどっちかにしろ。
フラストレーションを溜めながら書いた割に、というよりもギコギコ書いたせいで圧縮度合いに磨きがかかってしまった。せんだって「のんびり加工」もとい「のんびり書こう」と言った口はどの口か。全然のんびりではないではないか。というわけでここで冗長な文句を垂れているということかも知れぬ。これも一種の現実逃避である。宜しいならば戦争だ。
ISO400・STD・WB日陰+めいっぱい緑が出るように微調整。一段シャープ済。
同じ条件でASTIAシミュ。いつもはASTIAを使っている。
同上、Velviaシミュ。じつはASTIAとあまり変わらない。ただ標識の赤はこっちのほうが原色に近い。ASTIAだとマゼンダがかって見える。
フィルムシミュレートを使うと風景写真に味が出るのは理解したのだけれども、以前のような「見たまんま」感が出せなくてつらい。STDだと白んでしまっていかにもデジカメ画像くさくなってしまう。ASTIA、Velviaは緑より赤や黄色のほうが強く出てしまう。真夏の藪なのに萌えたり枯れたりして見える。S9100の日陰モードのじっとりした緑が懐かしくてたまらない。S9100の緑が欲しい。
むしろホワイトバランスを見直すべきなんかも知れぬ。例ではあまり考えずに日陰にした。日陰で蛍光灯にするとかそういうのをしたうえで微調整するとかしないとか、そんな方向で考えるべきかも(きっちり合わせるとやっぱり赤くなってしまう・・・)。
実際問題ISO80/900万画素なら画像処理して1200万画素にしてもそう大差ない。細部が塗り絵ってしまう分EXR(!CMOS)のほうが拡大に向かない。拡大して使う機会はそうそうないけど。
STDのほうが暗部が生きているように見える。FSとダイナミックレンジ400%は両立しないんだろうか。
_ ocoze@三重 [糸氏焼きの時の話でしょうか?]
息抜きである。こんな絵葉書を入手した。
画像では判りづらいが金泥を使った上質な出来である。にもかかわらず絵柄の意図が謎である。判じ絵の一種なのかも知れない。
蛇、蛙、ナメクジが書いてある。蛇は針のような鋭い土台の上に乗っていて、いかにも蛇らしいニョロニョロなポーズを取っている。他の2つも元はそんな土台に乗っていたらしく、倒れた針土台が2つ描かれている。
蛇、蛙、ナメクジとくれば「三竦み」を連想する。カエルは蛇に睨まれると身動きが取れなくなる。蛇はナメクジを食べると死ぬ(と言われていた)。ナメクジはカエルの大好物である。そんな3者が集まると3すくみになって身動き取れなくなる。そんな3すくみを題材にした絵と思われる。
のだが、U字磁石の存在が場面をカオスにしてしまう。なぜ磁石なのか。
針土台に乗った各々は玩具であって、磁石か何かが仕込んであって、みっつ並べると3すくみ状態になる(突くとゆらゆら動きつつ隣を追尾する)ような玩具が存在したのかも知れない。それを磁石で崩してしまったという構図、なのだろうかと思ったものの、よく見れば蛇の体が長過ぎて、そういうバランスゲームには使えないように思われる。蛇の長さ>カエルの長さ+ナメクジの長さなので三角形を描くことができない。
蛇が倒れずに生き残っているのは、これが巳年の絵葉書として作られたからかも知れないと思った。にしても絵には落款が押されている(絵を印刷したものなのである)のはどういうわけか。こういう構図の日本画が古くから存在し、それを絵葉書にしたものらしいが。
真相を、ご存知の方はあるまいか。昨日からずっと気になって仕方ない。
有名な錦帯橋。大雨で増水するとこんなになってしまうことがあった。橋の上に「ちょっと田畑を見に行ってくる」な人が大勢いるのが驚きである。あと1mも水が上がれば浮いて流されてしまうというのに。こういう時の対処方法があって、そちらもまた原始的直接的で面白い。橋の上に水を溜めた大樽を載せて重しにしておくのである。
ここまでなっても流されない橋脚がすごい。なんでも良く根固めがしてあって洗掘されないようになっていることと、橋脚の内部に比較的すんなり水がはいるようになっていて、内外の圧力差を打ち消すようになっているからなのだそうだ。水が抜けるとかえって崩れそうな気がしてしまうが、発想の逆転で勝利しているのである。何とも日本的な橋では中廊下。
別府名勝チンテクラ。幼稚園の遠足だったか子ども会の催しだったかで行った覚えがある。何しろJR久大本線にも乗り慣れていないような貧乏人だったからこのケーブルカーに心動かすこともなかった。えらい傾いていて怖かったことと、単線交走式なのを知らず「ぶつかる!」と思って焦ったことばかり覚えている。そっち系に興味が持てない理由は此辺にあるのかも知れない。
チンテクララクテンチではミラーハウスに入って頭をしたたか打ち付けるというお約束をやった。それも印象深い経験だが抜けた所に的ヶ浜での闘争?を再現したジオラマがあって不気味だったのも忘れられない。ひょっこりひょうたん島とかプリンプリン物語とかで出てくるような感じのデフォルメされた人形が首もげたり腕切られたりしてのたうち回っているというもの。あんなところに置かれてあった意図がわからぬ。幻を見たのかも知れない。
あと、人生初のジェットコースターを体験し「顔が青ざめる」というのを初めて実演した。自分は鏡を見なかったのでわからなかったが「青ざめるって本当に青くなるんか」と知った。小さい方のジェットコースターも結構怖かった。かっくんかっくん曲って振り落とされそうになるのだ。
絵葉書に一切言及せずに終わるのも何なので一言、このケーブルカーの路床構造は今でも現役とのことだ。
ぴょろりーん。
今更目が冴えても仕方ないのだが。次からそうしよううん双子葉。
先日徘徊の最大の収穫。吉田初三郎の絵葉書。しかも三重県鈴鹿峠だ。
鳥瞰図で知られる吉田初三郎だがこういう日本画的な絵も書いていたのを初めて知った。なんといっても題材がいい。雨にけぶる鈴鹿国道……。してその「間」の取り方もステキ。他に「矢ノ川峠」「大杉峡谷」「桑名」をゲトした。すべての発見のきっかけとなった「矢ノ川峠」は第一発見者から譲ってもらったものだ。感謝〜。
発行元は三重県と三重県観光協会になってる。印刷は京都祇園の観光社。
こちらはずいぶん以前の収穫。さりげなく写っているRC橋が中々面白い形をしているのに惹かれて購入した。阿曽のドライブウェイは昭和初期に開かれたもので、多分これもその時に作られた橋だろうと思う。今でも残ってるんだろうか。阿蘇には合宿で行ったことがあるはずなのだが綺麗サッパリ忘れている。草千里とか登ったはずなんよ。
眠気が訪れるのを待ちつつ寝穢く端なく上げ続けてみる。信州のこの温泉には馴染みがないが、コンクリート舗装の新道と多連のRC桁橋、デザイン処理に興味を持った。なんという名前の橋なのだろう。必要に迫られたら調べてみることにする。
これを上げる時に気づいたのだが左隅に「長野県特高課検閲済」と書いてある。なんだかすごく違和感がある。調べてみると府県の特高課は1923(大正12)年に主要9府県に置かれたのが始まりのようだ(長野県がそうだったのかは不明)。特高警察や特高課は共産主義を始めとする反政府思想の取り締まりを行なった。出版物も対象になったはずで、その一環で検閲されたんだろう。それにしても絵葉書にそういう思想を乗っけたら郵便出した時点でばれちゃうんじゃないか。
あと少しなんだと思う・・・という焦燥感(しょうそうかん)をよそに続く。橋の写真を撮るのが 下手だと思う。構図に悩んであれこれこねくり回してしまい、結局どっちつかずな構図になってしまうことが多い。全体を入れるべきか入れないべきか、向こうとこうちらのたもとがちゃんと収まるように撮りたいとか。これ、けっこう無理な難題だ。橋は川に対して垂直に架けられるわけで、そのたもとから手前のたもとを入れつつ向こうのたもとまで入れて撮ろうとすると、撮影ポイントがものすごく限定されてしまい、もしそこに何か邪魔なものがあったりしたら撮影不可能になってしまう(得てしてそういう場合が多い。木が生えていたり余計な看板が建ってたり)。たまたまうまく収まったとしても窮屈な感じになってしまうことが多く、そればっかり狙うからどれも似たような構図の写真ばかりになる。
かといって橋から離れて全景を撮りに行くと橋が小さく見えてしまう。どういう橋なのかよくわからなくなる。難しい。逆に言うと近くで見ても離れて見ても見栄えがするようなデザインの橋が名橋なのだろうと思う。
橋の絵葉書を見るといろいろ勉強になる。これなんかは手前を思いきって捨ててあるからよく映えている。橋の特徴が出てると思う。まあそんなにしょっちゅうあるようなシチュエーションじゃないから即参考になるわけでもないけれど。その橋の特徴を見ぬいて、それが最大限発揮される構図を見つけて撮れ、ということなんだろう。というごく当然の結論に達する。
こういう引き合いに出すと怒られそうだが・・・自分が撮ったらこんな感じになるだろうという例として。全体がわかるのは結構なことで、立体交差の橋だという特徴も伝わるのだけれど、何かこう、足りない感じがする。メタルカレーにインド人の顔が欲しくなるのと同様の物足りなさを感じる。かといってどう切り取ってやればいいのかわからないところもそっくりだ。
橋が微妙に傾いて見えるのが不安定要素なのかも知れない。この位置から取れば必然的カメラの原理的に斜めになることは必至だ。ならばもっと寄って思いっきり傾けてやったほうがいいのかも知れない。
地面すれすれの超ローから人影を入れつつ堀アングルで、とか何とか考えてみたがどうだろう。たぶんその通りには行くまい。
出だしはいつも低調だ。あれこれ悩んでも仕方ない。勢いで突っ走るのが吉。そのためにもここにてけてけ書いてみる価値がある。と思う。
結局のところキーを叩いているうちに出来上がるのよね。事件が現場で起こっているように。脳内でこねくり回しても仕方無し、延髄反射に任せてなんとかしよう。
ということで格闘したがあんまり進まなかった。基礎教養という割にはそれで過半になりそうな塩梅だし、字数稼ぎにしか見えないし。ただ本人が書き残したものが少ない以上、最適な代弁者としてご登場願うことは必要悪なんじゃないかと思う。思い切って進めるがよろしい。
ということで珍しくアルコール摂取して寝ようとしたが失敗した。ううむどうしてくれようこの手持ち無沙汰。
ということで絵葉書。徳島県の大歩危峡。金比羅瀬付近という解説もある。最初に手にしたときは「ふーん」程度にしか思わなかったのだが、よくよく眺めているうちに気になることを発見した。
拡大図。これって隧道じゃね? 白く光っている道はぐねぐねしながら繋がっているように見えるがよく見ると路肩の雑草らしき影が横断している。右へ曲って?隧道?に入っているように見える。どうなんだろう。
帰ってからいろいろ調べてみたけれどもよくわからなかった。そもそも大歩危の金比羅瀬っていうのがどこなのかわからない(似たような角度で金比羅瀬を写した絵葉書は見つかったんだが)。もちろん現国道32号の線にはトンネルなんて無いし。目の錯覚か、光と影のイリュージョンなのだろうか……
追伸。戸倉上山田の絵葉書について、tyafficさんから続報をいただいた。絵葉書に写る道は現県道77号線で、明治時代に作られた新道であるらしいとか。橋は「大正橋」といって昭和6年竣工。昭和なのになぜ大正橋?というのにも答えを頂いてて、先代の橋は大正3年に架けられたんだそうだ。残念ながら平成14年に架替済。感謝!>tyafficさん
_ おれぐ [これは黒薙第二発電所の専用線で、今もほぼそのままの形で現役です。使用頻度は低く、今は一応通行禁止ですが、以前は普通に観光客が通ってましたね…。]
アメショーハラショー。近くの畳屋さんのお澄ましさんもこんな感じだったような気がする。
やべえ、今日中にいろいろ片付けなんか。。。
Before...
_ nagajis [ORJ BEST!で無料公開中です。検索も便利ですよ。]
_ ocoze@三重 [「自分で探せよ」を遠まわしに言うと「検索も便利ですよ」となるなWW それもよかろう。うんうん,ネット人の常識じゃでな。 さて,29号に本体があるのじゃな。20号台と50号台はまだ買ってないんでと..]
_ nagajis [いやー,ツッコミは見逃しちゃうことが多くて・・・ここで尋ねられるよりも検索のほうがはやいですよーということです.他意はございませぬ. 私の記事をお読み下さりありがとうございます!]