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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1942-01-06 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]一月六日 火曜日 曇

帰校後初めての一夜なりたれど〔なりたるが〕、寒さのため一時もまんじりともせず度々眼をさましたり。朝は零下六度正に清水台の真の寒さ表われたり。十時より帰校申告をなす。前後の時間は整頓並に検査。午後は愛校作業一時間にて以後は随意自習なりき。霜どけの為運動場は土水と化し、歩くに苦難す。入校以来今日は最も寒き日なりき。


1942-01-07 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]一月七日 水曜日 曇時々晴

雨日故に昨日に比し大部温なりき。授業始まりたれど休暇の為少し要領忘れたり。要領悪し。午後は雨の中に体操をなしぐしょ濡れになりぬ。随意運動時には裏山に登る。品田は愈、面白く六寝室人気の中心人物たり。今日より寝室取締生徒は自習室・野外にても十人を取締る如く新に定められたり。


1942-01-08 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]一月八日 木曜日 曇

陸軍始・第一回大詔奉載日行事に雄建神社にて詔書・勅語奉読。七時五十分頃より出発し帯山練兵場にて師団の閲兵分列式を見学す。十一時半終了し十六時過まで八人にて生徒監宅へ行く。今日はまことに意義深き日にして一方緊張したる日なりき。


1942-01-09 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]一月九日 金曜日 雨後曇

独語共感殿欠勤のため二時限は習字に変更せり。第六時限目は体操にて棒倒しあり剛健身〔心〕を発揮したり。続いて月齢身体検査あり共に大部増加し嬉し。運動時は雨降りたり。


1942-01-10 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]一月十日 土曜日 曇

我々にとりて土曜日程嬉しきものはなし。何となれば休日をひかえいるなり 。日曜は忽に過ぎ、月曜を翌日にひかえいる故なり。午後は一時間自習ありて後消火演習ありたれど、大体に於て常日より緊張のためか良好なりき。腕力減少せしことよくわかる一層の努力をせずんばあらず〔ざるべからず〕。

日本潜水艦は米の水上機母艦を撃沈す。敵潜水艦は伊豆にて日本野船をおそう。

ねまきわたる

〔nagajis:「良好なりき」は「良好ならざりき」か。最後の一文不明。寝巻き?〕


1942-01-11 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]一月十一日 日曜日 雨

朝より「ダンロ」に火ありたる故に、寒さを感じず、火辺にて集合し四方山話をなし、忽ちに昼に至る。十三時版酒保来る故に行きたるも、すでに売り切れぬ、何となれば、今日より公徳販売となるにてかゝわらず、皆が、どっと一時におし寄せ一人にて五十銭も買いたる者ある故なり。其の結果一年は二十銭不足となる。かくの如き事にては一年の恥なり〔「一年の恥なり」朱線し、欄外朱「同感」〕。近日始めて澄みたる風呂に入り何とも云えぬ感せり。今日の予定行動行うこと能わず。赤面の至なり。

〔nagajis:公徳販売はオフィスグリコのルーツのようなもの。商品代金を代金箱に入れる。誰かが20銭分払い忘れたということか?〕


1942-01-12 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]一月十二日 月曜日 晴

剣術は連続斬撃を行う。随意運動時にては二千米コースを走る。冬に於ける運動は走ることに勝ることなしと思う。何となれば自熱を生じて温る以上、将来約立つ故なり。一日の行動が近日愉快になりたり。特に食事時・入浴時・日夕点呼後なり。今日は一週間振に太陽半日顔を出ししが、満天白雲に被われ、如何にも冬の気候をそのまま表したる日にふさわしき日なりき。

特に「ニュース」なし、マレーに活やくする将卒の武運長久を祝すのみ。

〔nagajis:「温る」は日偏に誤る。「約立つ」も訂正なし。〕


1942-01-13 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]一月十三日 火曜日 晴

二週間ぶりの快晴にて春を思わしむ。体操にては球戦をなし始めて後列に勝つ。随意運動時にては三年の方(一訓)とバスケットをなし十二対四にて勝つ。一年は十三人、三年は九人なりたり。


1942-01-14 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月十四日 水曜日 晴

校外演習ありて新地と須屋に分れて前後列の対抗演習なりき。予斥候となる。

我が潜水艦は、ハワイ沖に於て米国航空母艦(三万三千トン・レキシントン)を撃沈せり。

〔レキシントン:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3_(CV-2)〕


1942-01-15 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]一月十五日 木曜日 晴

誕生日会ありて、その際体力章を与えられ、予には乙体力章を授与さる。此れ中期の鍛錬賜なり。昨日、病院船ハルピン丸撃沈さる。英の卑怯いうべきなり。

〔ハルピン丸は病院船としては未登録で病院船としての表示塗装もされていなかった:https://nisikiyama2-14.hatenablog.com/entry/20181024/1540387909〕


1942-01-16 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]一月十六日 金曜日 晴後雪

父の命日なり。池田教官殿休まれたる故に鹿島教官殿の太平洋に付きての話あり。運動班運動なく、予定の愛校作業行われたり。実施課目は生徒集会所南側の土運搬なりき。途中に於て兜山(今日定められたる岩倉山西南部の山なり。)の登山をなす。


1942-01-17 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]一月十七日 土曜日 晴

雪解けにて校庭は一層悪し。今日も池田教官殿休まれ鹿島教官殿の所謂線なしの話あり。午後は一時間自習あり、後河野軍曹殿の竹刀に付きての諸件の注意あり、後剣道具の検査ありたり。竹刀を予には二本まで竹を交〔代〕えたり。夕食後は運動班会あり。柔道場に於て実施さる。面白からざるも、後期に於ける第三運動班の団結はわずかにてもあり、結ばれたり。


1942-01-18 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]一月十八日 日曜日 晴

寒稽古始まる。五時起床し、一・二・三段に分れ区分に於て四十分間行わる。今日は第三段にて十八時四十分からなりき。朝食は粥なりき。稽古中、朝は粥なりと聞く。朝食時は七時四十分より。外出せず集会所へも行かず、専ら、一日を休養したり。午後に至りて、やや熱生ず故昼食せず。午後は全く寝ねたり。夕近くなるに随いて頭病む。夕食後就寝許可となる。此の日曜日は実に陰気な日にありたり。未だ日曜の活用不可なり。


1942-01-19 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]一月十九日 月曜日 晴

熱無けれど気分朝に悪し。昼に至り全く癒ゆ。稽古には不加。腹工合なおりたり。授業八時半に始まり四十五分間なり。午後は主として、「モールス」の暗記をなす。随意運動時に生徒監殿の自習室に於ける諸注意あり。国語はみよし教官殿にかわり徳丸教官殿の担任になる。一日外套を着用す。今日は時間経過するにつれて気分次第によくなり、何とも云えぬ爽快な気持になりたり。然し寒稽古に加わらざりしは残念の極とするところなり。


1942-01-20 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]一月二十日 火曜日 晴

寒稽古に参加せず。第Iなりたり。惟うに第一が最も良しと。午後は教練一時間の後に雄叫台に於て消火の為の駅を火になげつけ、消す実験あり。依って、こゝに予は火は最初の五分間にあらざれば、此の液に於ては消火困難なる事を通節〔痛切〕に感ず。夜に生徒監殿より御注意を受く、それは、「予一月八日生徒監殿宅に於て昼食の際に茶碗の予のと児玉のと代りをるを見、此れを直ちに代えたる事は礼にもはずれ、又小さな事に気をとめすぎる」ということなりき。予此の際生徒監室にて涙流す〔「涙流す」に朱線、欄外朱書き「軽き気持にて注意を受けよ」〕。

扨て明日のため今夜は今より眠らん。安らかに。

〔nagajis:欄外朱書き一文字目心許無し〕


1942-01-21 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]一月二十一日 水曜日 曇

四時間目は三十五分にして終了し、直に昼食し、十二時二十分集合す。校外訓育にて、動物園に動物見学に行く。服装は外出服装たゞし二装にして脚畔不要なりき。今日は何時になく時間の経過するが早く感じたり。寒稽古に参加す。脚のつめいたきこと前日よりはげしくありたり。朝は粥をうまく食う。此に於て食前の運動効果大なることを感じたり。


1942-01-22 東條首相談話(占領地の扱い) [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月二十二日 木曜日 晴

寒稽古は第二回なりき。午後に、字号通信考査・体操・自習あり。随意運動時は予定の二千米持久駈歩は中止となりたる故、ドッチボールをなす。

東條首相曰く「香港・マレー半島は日本の領地となし、ビルマは手向わざれば戦後独立させ、壕洲・蘭印は以後手向えば徹底的に撃つ比島は独立をなさしめる」と。


1942-01-23 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]一月二十三日 金曜日 晴

代数考査あり。午後は訓育部長殿訓話あり。後運動班運動にては遊戯あり(戦艦・水雷艇)以後バスケットボールをなす。今日は実にのんきな日なりき。


1942-01-24 ウェーク島 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]一月二十四日 土曜日 曇

終日どんよりした日にて陰気なりき。六時二十分起床にて八時四十五分授業なり。十一時四十分より寒稽古納の意を以て、会食なりき。十三時より試合開始し、十四時半終予す。以後一時間生徒監殿話あり。理髪する。ウェーク島は大鳥島と命名せられ我が版図に入る。

〔nagajis:終予→終了〕


1942-01-25 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]一月二十五日 日曜日 晴

朝の寒気一入寒し。然れども臨時外出したる者二十七名なりき。予は熊本市に外出をなす。吉武にて写真をうつり、偕行社にて食う予定なりたれど、食わずして復る。服装検査におくれたる三十余名は午前中外出止めになる。午後は十四時より集会所に遊び、酒保へも亦行く。

昭和十七年春場所大相撲は今日を以て千秋楽をつげ、十四勝一負を以て双葉山の優勝となる。五ツ島は残念にも休場せり。


1942-01-26 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]一月二十六日 月曜日 晴

終日素〔粗〕食日なりき。午後は自習一時間と体操一時間なりき。随意運動時に体操を行いたれど体力中期より増々低下せるを知りたり。走幅とび四米、投てき三三・五米になりたり。入浴時は楽しきものなるかな。


1942-01-27 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]一月二十七日 火曜日 晴

朝の気温は零下十一度なりき。字号の手旗通信考査あり全部出来たり。十四時より変になりたる腹は十八時半に至りて遂に絶頂となり、五年前の痛さ其のまゝの如し。故に就寝をなし、注射もなしたり。故に十九時半より治りぬ。


1942-01-28 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]一月二十八日 水曜日 晴

腹痛は治りぬ。地理・漢文は田村・小林教官殿欠勤のため自習又は〔及び〕鹿島教官殿の話なりき。午後は三十日の李王殿下御台臨予行あり後愛校作業ありたり。診断を受けたるも何ともなし。自習時間は何為るわけか不明なれど自習欲せず。


1942-01-29 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]一月二十九日 木曜日 晴

朝より気分悪く七時に至り遂に胃痙れんとなる。故に就寝し授業に出ず。十時に入室す。以後は寝ねいたり。


1942-01-30 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]一月三十日 金曜日 晴

授業を受く。李王殿下御台臨のため、三時間あり。予十一時半校門にお迎い申したり。十四時半御言葉の際参して、お送りしたり。中間にては会食・棒倒し等あり。殿下をお迎い致し、感慨深きものあり。十五時より大講堂に於て、鹿島教官殿の明日菊池会に依る訓話あり。夕食後三好教官殿御入営のため送別の義にて教官殿をお招き致して会をなしたり。実に別れつらきものありたり。高知の連隊と聞く。消灯二十一時なりき。


1942-01-31 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]一月三十一日 土曜日 曇

菊池会なり。

 起床 五時四十分
 食事 六時(各個)
 集合 六時五十分

七時に出発し以て隈府の菊池神社往復行軍をなさんとす。往復十一里余なり。

予は三時に再び腹痛のため、行かずして、終日就寝し、二・三度眼をさましたのみにて他は眠りいたり。故に夕方にすぐなりたる感じしたり。六時半友は復りぬ。皆大部へたばりたる模様なり。朝・昼食は断じ、二十時に至り始めて食し、腹の満てるを知れり。以後は再び寝ねたり。  


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