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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1942-09-11 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月十一日 金曜日 晴

休暇の怠性を抜かんが為五時非常呼集あり。同半に雄建神社前ににて参拝及び生徒の勅諭の合唱あり。日出前冷気を感ずる中に溌剌と響く声、之れ若人の起つ響きならん〔ず〕や。八時五十分より大講堂にて帰校申告、後予は甲体力章を授与されたり。思えば前期は頑張りたり。尚此度も一層頑張らん。勉強は其の手始めとして終日寸陰を惜しみて充分なしたるなり。休憩。午後は南講堂、生徒舎、舎外の掃除あり。又十五時よりは月別身体検査あり。体重が前より愈〃少なるは残念の至なり。夕食後訓育班育班会実施。思うに今日は最全を尽くしたる日なりき。かゝる日は一日終るに臨み非常に愉快なり。
森田訓育部長殿及び横井学校副官殿は集会所焼失の責を負われて左に移転されたり
 部長殿は璦琿へ
 副官殿は香港捕虜収容所員に
誠に我々に於ても何とも言い得ず亦之に依り一層責任観念を旺盛にせざるべからず。〔一文に朱傍線、欄外「至情正に然らん」〕

〔nagajis:璦琿=あいぐん 黒竜江省北部の旧県〕


1942-09-12 週番司令・週番副官(週番下士官) [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月十二日 土 曇

終日授業無し。是れ又以外なりき。期頭なりし故か極めて緊張し何事に於ても今までの所人に一歩も後れは取らざるものと信ず。必勝の信念は心中に湧き攻撃精神を以て物事をなせば成らざる物は無し。午前中生徒舎内の掃除をなし午後十四時校長殿の検査あり。之に依り一層心を引き締められたり。後期始めての随意運動は極めて調子良好にて一ヶ月鉄棒なさざるに何故腕力斯くの如くあるかと驚く。思うに力を養うには鍛錬のみにあらずして或期間に於ては必要なる休養が大切なりと。夕食誕生日会。校長殿は曰く、和歌をなすことを進む。と。之に依りて真の日本精神を養うなり。〔欄外朱:「然り休暇は潜勢力を養うにあり」〕
何事に於ても緊張は第一の必要項目なり。後期(今日)より校長直属に週番司令週番副官(下士官)を設けられ週番士官は司令の下に置かれることとなる。日直教官は指導教官に改名称し、新たに巡察高等官を設け、夜間校内の巡察をなし特に火に用心することとなりたり。


1942-09-13 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月十三日 日 晴

昨夜の暴風警報に似ず晴れ渡りたる大空を見せいたり。今日は朝に剣術をなし不レ慣の故か左手にまめ一ヶ左足底に血まめを一ヶ生じたり。是により自由を奪われ残念の至なり。午前中は初め銃の負革を付け後手紙書き。午後二時間生集甲(柔道場)に遊ぶ。会〃十四時半演習の火災呼集あり。予職員伝令なる故其のまゝ服装(防着衣袴)にて本部前に行く。鬼木週番司令殿より注意され夏衣袴・帯剣に変え新に集合す。反〔却〕って遅れたり。落着きて物事をなすべし。十六時半より亦緊張して勉強。夕食後校内外の除草。日曜なれど克く予定通り愉快なる時は愉快に行動し得て終日が全部愉快なり。
大東亜省が新設せられ日本以外の事を掌ることとなる。満州・志那・南方の三つに分る。今日は乃木大将の殉死されたる日なり。今日にて三十年なり。


1942-09-14 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月十四日 月 曇

掌にまめを生じ仕事に困難なり。足底にも豆二つありて自由を奪われがちなりき。
今日より日課変り授業始まりぬ。二十分休は前例の如く教官殿と遊ぶ。午後は工作。随意運動はがまんし千二百米持久駈歩をなす。
二〇・三〇分点呼。同時消灯。前日程有意〔義〕ならず


1942-09-15 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 九月十五日 火 雨

満洲国建国十周年の祝いが新京にてあり。 高松宮殿下御代理として行かれ、各県より二名づつ遺児は之に列したり。目度たき極みあり。
藤崎宮例祭の為之を拝せんと三時五十分起床し四時半出発。町内の子等ボシタを唱う。滅ぼしたの変化されたるなりと。神前にて解散す。会〃大雨となるも予は○米〔マルコメ印〕程を走る。小降りとなりし故徒歩。急行軍にて六時二〇分着。九時より四〇分授業にて平常通りあり。午後は体操・剣術。第三学班の者は今に於て一層努力すべし成績芳しからずと。なにくそ精神を生ずべし。然れど今夜の自習はなせどもなせども頭に入らず。早刻起床により又激烈なる運動の疲れならん。左程不有意義。


1942-09-16 満洲国建国慶祝行事 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月十六日 水 曇

日中に於て防暑衣袴にては肌寒く感ずる気候となる。
昨日満州は十載の慶祝行事を迎え其の記念日にあたりて満洲国皇帝陛下は勅語を下し給いて其の中に 天照大神の神床と 天皇陛下の保佑とに頼り云々とあり、剰え我国を明邦に非ず神邦と称したる等当然にてはあるなれど益〃共に手を握り合わん、然して大東亜の建設に向わんと決心す。
昨日の落度を考うるに一昨夜の睡眠不足其の因少しとせず。予之を挽回せんとして終日努めたり。午後は兵器検査、真剣に物事をなすことを期す。酒保行かず。我欲を止め得て喜の至なり。要するに今日終日緊張したる精神にて之を失わん如く充分努めたり。時間厳守は今の所良好と見る。


1942-09-17 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月十七日 木 雨後曇

無為の日。午後は十三時に集合し陸軍病院にレントゲン撮影に行く。雨の為かむし暑く不潔なりき。田中に面会す。共に[文+子]びしときの面影今尚表われいたり。田中は唯完爾として眼を細めるのみ。其の心中察せざるべからず。病院内にて山羊に対する注射を見る。帰校十七時四十五分なりき。以外に脚がこわばりぬ。十四日の駈歩大部こたえたる模様なり。食堂の位置変え。緊張々々又緊張を常に念頭に置くべし。


1942-09-18 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月十八日 金 雨

近日霖雨降り続き例年に比し日中はむし暑く、夜間に於て稍〃冷え〔ゆ〕る傾向あり。梅雨時なるが如き気候にてカビ生じ人夫〃之を好まず。
満州事変勃発記念日に因みて五時非常呼集あり。昨夜より予期したる事なれど外出の服装と聞き面喰う。予は非常呼集ありと知りつゝも何故か落着かざる悪き性質あり。何事も沈着なるべし。それより大講堂に於て鬼木生徒監殿の当事件と我々の心構えに付き話されたり。折しも大雨なりき。昭和六年九月十八日柳条構〔湖〕に於ける一発の銃声により始まる。
午後は五・六時限共続けて教練あり。初めての執銃教練にて不動の姿勢・担え銃・立て銃・左右向けを行う。前半の予定は射撃にありと。我々のみ運動班運動の剣術をなさずして鉄棒(海老上がり・振飛び)をなす。
要するに、今日は事変記念日なる故今日の大東亜戦争を認識し本分に邁進するにあり。


1942-09-19 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月十九日 土 雨後曇

今日より朝の寝台掃除は五名ずつ東西に別れて一日交代にて行い一層寝室の整頓を確実ならしむる如くなる。午後十三時より鹿児島二中の校長先生池田氏の『南洲翁を語る』の題目に依る大西郷の講話あり。脈道は書物にあるのと全く同じにして如何に西郷さんが太っ腹であられたかを痛感せしめられたり。菊池氏に次ぎ我々が傾倒すべきは大西郷の此の精神ならざるべからず。終に先生が古〔昔〕学習院に居られた関係上乃木大将の話をされ、仏蘭西にて奈翁の墓に詣でし際の感想を述べられたり。是等有益なる話を克く自分の物となし克く噛み砕きて本分に邁進するのみ。
其の後昨日の続き 侍従武官御来校の際に出場する鉄棒選手を選定す。残念なり遂に四回目にして落さる。〔欄外朱:又何か機会あらん〕
 乙生徒集会所 科学研究室にして文庫のみあり
 甲 〃 〃  柔道場にして雑誌類ありて酒保あり。
今週を省みるに次第に緊張を欠く。残念にて何とも言うを得ず。


1942-09-20 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月二十日 日 曇後雨

四時品田等の為眼をさます。時に腹の皮張りて屁を多くふる〔「ふる」に朱棒線+「?」〕。半に大便に行き復りて山根と高橋及び平川・児玉等と成道寺へ臨時外出す。人に聞くに山根・望月・入江・田村いずれも屁が以〔意〕外に出たると。思うに昨夕の飯に悪き物ありたるか。六時半着。パンも食い、有名なる梨を二個ずつ、柿をも数個食し十時半帰校す。往復共に一時間半を要したり。学校に残りし者予等出発してより間もなく起され雄健台上・校庭にて剣術を行えりと。
午後は自習室に於て図画・代数をなす。夕食前後には明日の兵器検査に備えて手入をなす。鍛錬の日にてもあり又意義ある日なりき。
航空日にして帯山に於てグライダー及び戦闘機に於ける地上操射(実弾)あり。パレンバンに於ける落下傘部隊及び飛行部隊に感状賜わる。近日マレー・香港其の他各地に於ける部隊に感状賜わる。栄ならずや。


1942-09-21 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月二十一日 月 雨

校長兵器検査のため五時起床直に、雨天の為自習室の机の配置をなし配列し学科出場までに手入をなす。九時より検査行われたり。午後は柔道(高内股)及び作業(断面図の画き方)あり。
寝室学友団 北より二番目の寝室の者が予の団にて、一・二・三年計十六名なり。二十七日野営に行くを約す。
愉快なる日なるもそれに負け怠りがちなり。自習時間中極めて物音多し。思うに、二訓の者の悪欠点は友情に溺れ相手の感じを悪くさせぬが為に切磋をなさぬなり。〔欄外朱:「大乗」〕昨日寝室にて柿を蝕み生徒監殿の注意を受く。誠に言行不一致。残念の語の他になし。


1942-09-22 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月二十二日 火 晴時々雨

漸くにして晴れたるも十二時頃及び自習時間中に雨を見る。何故かくも毎日降るなるか。今朝より急に冷え、全員夏衣袴に着替う。七時間目の教練は捧げ銃・速歩行進其の他敬礼動作。それが了りて運動場を執銃のまま千米駈歩す。生徒監殿の要求は毎日持久駈歩・懸垂をなすべし。今週は三週の駈歩と五回の懸垂なり。中期は体育向上の好機なり。宜しく鍛錬に務めざるべからず。誓いて此の要求を実行せんことを期す。


1942-09-23 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月二十三日 水 晴

日本晴の天高く馬肥え当に秋らしき天候となりぬ。午後は十三時より約四十分間体操ありて、後に侍従武官御差遣の日の術科の予行あり。我は棒倒しのみ。其の外に、二、三年の剣術、二年の鉄棒、一年の教練あり。其の後一時半程除草す。会〃グライダーにて児玉生徒監殿は五米程上りたり。航空も気に入る。
夕食後三・四運動班会。第十二寝室は辛苦の余り劇をなす。秋里をも加う。斯かる事をなすは予初めてなり。又之を利用して心臓を強くしたり。茂し之れあらざれば外観上にても消極的に見え、いかぬものなり。定松さん(44き4がくはん)は今日、月曜以来の予等の日曜の計画を無視し予に随行すべしと。予等憤慨に絶えず。


1942-09-24 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月二十四日 木 晴

秋季皇霊祭に此の良天気誠に有難きものなりき。五時非常呼集に起され雄健神社を参拝後七時半まで校庭の除草をなす。冬の如き手の感覚を打く。東天白ずむ頃豈清涼ならずや。
 此の良き日除草をなすも国の為
午前中手紙書き午後は心を休めんが為品田・松元・志磨・上田と八景水谷に行き、十六時より菊池氏を研究すべく図書室へ行く。此の祭日に今日の行事誠に反省して恥じざるはなし。〔「恥じざるはなし」に朱棒線+「?」〕
彼岸の中日にして家にては祖先をまつる。


1942-09-25 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月二十五日 金 晴

近日急に忙しくなりたる感なし仕事に追われがちなり。必ずヽ積極的なれ。教練は膝撃ちの姿勢を実施。愈〃教練らしき教練となりぬ。新訓育部長殿工藤中佐殿(仙幼出身)の命課布達式あり。元気体内に満々たる方にて厳格なるを感ぜしめられたり。自習中の時間の利用今日初めて大率可なりき。
近日中最も有意〔義〕に過したる日にて予満足す。


1942-09-26 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月二十六日 土 晴

午後滑空機(グライダー)の命名式あり。熊幼はプライマリー三機なり。児玉生徒監殿の模範たるべき二米五十の滑空あり。頼母しかな。剣術は休暇後数少なき故今までの中最もこたえたり。素振りの実行を確実になせば剣も軽く、筋も正しくして効果大なり。
端川の近くに露営の為十七・三十出発す。人員は一・二・三年を通じて各十名計三十名。一・二・三年の親和を目的とす。大部冷々なりき。兎に角終日を業の為に追われがちなりき。時間の活用。


1942-09-27 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月二七日 日 晴

近くより栗を取り来りて食す。さすがにうまきものなり。十時半帰校、品田・脇を医務室に訪る。整頓をなし午後は休養す。愉快なる日なりしが有意義に感ぜず。


1942-09-28 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月二八日 月 晴

午後菊池会。詫磨ヶ原に全軍を東西両軍に分ち行く。着きてより下川生徒監殿及び池田教官殿の話を聞く。主に武朝公のこと。及び菊池精神に付き。幕舎構築・飯盒炊事をなし二十時より競技場にて会食。折しも月上る。二十二時就寝。
菊池氏実に忠誠無二の彼の精神愈〃是に慕いて赤誠を固めん。


1942-09-29 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月二十九日 火 晴

二時前非常呼集。疲れし故か昨夕は克く眠るを得たり。東軍(奇数学班)は帯山を起〔越〕え新外に至る。予は二時半より本田さん等と斥候に出ず〔づ〕。五時半より彼の帯山の台上にて相〔遭〕遇戦をなす。予初めて空砲を射ち愉快々々。歩兵砲。重機等も加わる。終りて分列をなし 皇居、菊池神社の遥拝をなす。時に旭暉燦〔朱訂正〕然と出で式荘厳ならしむ。彼の景亦忘るゝこと能わず。 十二時帰校、午後休養二十時点呼、二十一時消灯。
朝克く奮闘したり。菊池精神を体得すべく。午後ぐっすり眠りたり。


1942-09-30 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]九月三十日 水 晴

十三時半より部長殿の巡視あり。其際各自の姓名を言わしめて其の気魄を見んとせられたり。予は稍〃物の言い方早すぎる如し、落着く可し。教練は大講堂に於て据銃・照準・撃発を行う。愈〃今日より射撃に入る今が最も大切なる時なり。充分務むべし。一千六百を走り後は鉄棒をなす。町田生徒監殿は週番の故共に走られたり。中期こそ鍛錬の時なり。然も今は二年生なり。常に努めよ。酒保に行かざるは大なる精神修養なり。寝取となる。

〔nagajis:「撃」は略字、車+山のような字〕


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