nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
夢の中では理智的な判断力が低下する。その割に妙に現実的であったりして、夢の中の自分は芯からそれを現実と受け止め、そして苦労することが多い。
先日見たのは表題のような内容。大鉄が路線を建設するときに難波の築堤を超人間的存在の力を借りて建設したという新聞記事を読んだ記憶があり、それを確証するために該記事を探すという夢だ。大量にコピーしてきた記事の山の中からそれを探し出そうとしている。いくら捲っても該当記事が出て来ない。おかしい。絶対コピーしたはずなんだ。「鬼斧神鑿」という形容ではなく実際にそんな力を得て奇跡的な工事をしたという記事が。
目が覚めた時、妙なリアル感とともに、じっくり考えたらそんなことあるわけないだろうという判断が湧いてきて、なんでそんな無駄なことをして疲れたんだろうという後悔の念に苛まれた。
続けて思ったのだが、痴呆症状というのは、この夢の中のような状況をいうのだろうということ。あり得ない、おかしい、という判断がまったく働かずに、始めに思ったことに妄執して、離れられなくなる。どこかがすっぽり抜け落ちてしまっている。リアルに近ければ近いほど。
痴呆と我との間は思っていたよりもさらに近くて具体的なのかも知れない。
メーリングリストの設定を誤ってwww.ドメインでMLつくってしもうた。変なところにアクセスが取られてページが表示できひん。削除はしたのでしばらくしたら元に戻るんだろうけど。@22:47
13日夜
作成したpdfをアップする時、そういえば数日前にあげていた大鉄のアップロード通知が来てなかったと気づく。アップロードCGIから編集部MLに自動でメールが行くようにしてた。同じlibを使っている他の通知(直接自分に届く分)は動いていたので、MLがおかしいらしいと思う。それより以前、9/3にレンサバのアップグレードがあってあちこち不具合を起こしていた。ここが表示されないとか。その余波かと思う。
それでレンサバの提供するメーリングリストを修正したりしてみたのだが、ここで間違って「www.the-orj.orgドメインでメーリングリストを作成」してしまう。本来ならサブドメインを作成してそれに対してMLを設定しなければならない。上記のようにしてしまうとwww.the-orj.orgでアクセスした時にMLプログラムの設定にアクセスを取られて「Mailman」とだけ表示される状態になる。
これは最初にML作った時も嵌った罠なんだが、今回はその設定を消去しても元に戻らなかった。あれこれやっても埒があかない。ので、サポートに泣きつく。
MLのほうは何故か復旧。
14日
全然反応がないので「チャットサポート」を試してみる。しかし「対応部署に連絡します」という紋切り対応。食い下がっても仕方ないので諦める。
15日昼
全然進展せず。泣きながらpdfを作る。
夕
今日が金曜日だと思い出す。今日直らなかったら来週頭までだめじゃん。きっと土日休んでるだろうし。仕方なく自分で出来る範囲であれこれする。www.the-orj.orgが駄目ならwww2.the-orj.orgとかでも、と思ったらログインの時にss1.coressl.jpを噛ましているのが引っかかって不可能だった。DNS書き換えとか,htaccessでリダイレクトも無理(ユーザー設定の上位にMailmanの設定があるらしい)。www.the-orj.orgをサブドメイン運用するとかも考えたがコピーで済むものか不安だし時間がかかりすぎる・・・。
あれこれした挙句、最初の操作をもう一度やってみることにした。www.the-orj.orgドメインでMLを作成し、もう一度削除したんだ。最初のML作成・削除はサーバが移転した時にできた新しいコンパネから行なったんだけれども、どうも挙動が怪しい。旧コンパネでやってみたらどうだろうと思い、試してみる。
それをやっても戻らないので、策尽きたと思って「だめだこりゃ」メールをMLに投げた直後に復旧した。ちゃんと繋がるようになっていたのだ。この時点で。www.the-orj.orgで。無論サポートの返事はないまま。
くそっ、余計なことで時間を食った、と思い、まずはMailmanでつながらなかったことを詫びるHeadlineを出したのが17:55。
夜
復活後、pdf作成の続きをやって、ちょっと吉牛で労うか……と1時間ほど席を外して戻ってきたら、また繋がらなくなっていた……。もうわけがわかんねえ。
MLのプログラムはサーバ的に動いているものみたいで、その設定はコンパネ経由でしかできない。設定といっても作るか消すかMLの初期設定くらい。根源のところには触れない。どうしろというのだ状態。
それでまた、サブドメイン作ったり消したり、DNS書き直してみたり、あれこれ2時間。
今度こそ鬱だ氏のうになって、アカウントのMain運用を空にしてwww.the-orj.orgをサブドメインに設定→できたフォルダを削除→再度Main運用に指定しなおしたら、Mailman表示が消えてくれた。これが大体10時半過ぎ。 この動作で復旧した理由もよくわからないが、ともかくwww.the-orj.orgにくっついているMailmanの設定を剥がせたんだとおもう。
そこから統合版作ったりDLページを作ったりしていたら、今度はDLページが軒並みInternal Server Errorを吐いているのを知る。なんでやねん、今まで動いとったろうが。突然こんな事態になったのではなく、9/3のアップグレード後からだったのに全然気がつかなかった。体たらくもいいところだ。
あれこれ手をつけて、.htaccessの書き方に問題があるらしいと気づいたのは30分後。BASIC認証のAuthName、AuthType他が個々のファイルに対して指定されていないとエラーになることを発見するまでまた30分。以前は外に出していた。
原因はわかったけれども、これを135号分するのは相当な手間だ。と見限って11時半には白旗をあげた。間に合わせるのを諦めてとにかくpdf作成をする。出来上がったのは16日1時。そこから.htaccess書き直し。最後のは以前作っていたツールを発見してまとめて書きなおすことができた。
世の変化についていけなくなっている。泥縄式の対応しかできない。熱意が冷めたんじゃない。大事に思っていることがどんどん失われていって精神力を削られている。もう何も残っていない。
TUKAさんに突っ込まれた件は書いた本人も気になっていたところなので京都府立総合資料館へ行って原典に当たってみることにした。今は名前と場所が改まって京都学・歴彩館とかいうものになっている。
さいきん喋ることが少なくなったせいでnagajis語が他の人に伝わらない。窓口の人に公文書のこれこれを読みたいと伝えたのに図書しか検索してくれぬ。引用本の引用を見せてやっと公文書と理解してもらう。隣の窓口へ行ったら今度は古文書担当さんが来て「ああこれ公文書ね、他の係につなぎます」といって待たされる。それほど言葉が通じないのかと気が滅入るばかりだ。
該文書はほんとうの意味での原典ではなくて、売間九兵衛が府に提出した願書を書き写したものだった。故に原典から1クッション置いたところにあるうえに担当者が相当なクセジュ、もとい癖字である。読めそうで読めない走り書き、例えていうならアジ歴の由良要塞関連のアレくらいある。それでもアレで鍛えられたせいか結構読めてしまい我ながら驚嘆した。
肝心の「三十五間」のところ、現場では「三十五尺」と読み、なんだ11.6mの掘り下げならあり得るな、と納得したのだけれども、撮影した画像を帰りの電車のなかで確認し、くずし字サイトで裏付けしているうちに「間」なのだと思い直させられた。ないわけではない略し方なのだ。実際の地形も、10m程度の掘り下げでは劫も役に立たない。
「順上ニ仕掛ケ」の後2文字に苦労する。発破、だったらずいぶん様相が変わってくるし、何だろうこれ、と最後まで悩んだが、何の事はない一文字目はその直前に出て来る「コットイ谷」の「谷」であった。+1文字であり得そうなのといえば「崩」しかねえ。児玉せんせえのくずし字解読辞典にもないくずし方だが省略すならそうなるだろう。
結局のところ、この文書からは「コットイ谷の水を頂上に仕掛けて谷崩して流砂を以て絶頂上より三十五間切下げること」と「その土砂を水力で海岸に押し流す」ことが読み取れた。図でもついておれば良かったのだがそこまで親切ではなかった。コットイ谷ってどこだろう。
この写し、後半になるほど略がはげしくなっていて担当者がだんだん疲れていっているのが読める。そのせいか売間九兵衛の住所がおかしい。与謝郡第一組波路村でなければならないはずなのに与謝郡第一組波町になってる。順上も頂上でないと意味が通じない(順当に上からという意味かも知れぬが)。
そうそう、担当者さんが親切に教えて下さったによれば、該綴は「文223882」であるそうだ。
2枚めの発起人売間九兵衛の間がソレだ。
うーん。新たに発見したものの数は多いんだけど、肝心の兎が捕まえられなかった。可愛いトガリネズミには違いないが消化されずに排便された骨のシーケンスだ。それ一つ分析して組み直すだけで大変な手間。そして他に結びついて行かぬ。特に新道。
ランプ小屋を見に行って、そこでランプ小屋通信を手にしてしまった辺りから予定がじゃんじゃん逸れていった。敦賀港駅→敦賀市博物館→鉄輪町眼鏡橋→疋田のアーチ暗渠→麻生口隧道→新道→小刀根隧道でタイムアップ。柳ケ瀬隧道まで行けなんだ。頑張れば隧道口くらいは見れただろうけど。
トガリネズミ3匹で兎1匹と交換してくれないだろーか。
ちょうどその頃若狭国は滋賀県の一部であった。かといって滋賀県統計書は明治16年からしかなく。福井県も16年から。
10年以上前に撮った春日野道の写真の冒頭らへんに見覚えのない泉の写真があって何だろうと思っていたらこれだった。金ケ崎隧道にあがる道と間違えて入り込んだ小路の奥にある泉だ。昔ながらの洗い場造付けの清水。
敦賀市国広町の公園。記憶が正しければこの公園で二度野宿をしている。一回目は1999年の北海道旅行の帰り。二回目は2003年の長旅から帰ってきた時だ。
新日本海フェリーの上り便は嫌がらせかと思うような真夜中に敦賀港に着く。そうして土地勘のない旅人を真っ暗闇に放り出す。哀れな他所者たる私は、蛾が灯し火に引き寄せられるようにして駅へ向かった。そうしてそこから駅前ロータリー向かって右のアーケードをとぼとぼと押していって、そう離れていないところの小路に右して入り込んだ。その先にあった公園で野宿をした。小さな公園で民家も間近だったからテントは建てずにロールマットとシュラフだけで寝たと思う。蚊が多くてちっとも眠れなかったのを覚えている。
4年後に同じようにして敦賀の夜に放り出され、記憶を頼りに同じ公園を探し当てて泊まった。敦賀で知っている場所はそこしかなかったからだ。
1999年は翌朝日が明けやらぬうちから脱出して敦賀駅に向かい、始発の電車で帰阪した。2003年の時も早々と退却して馬背峠経由アゴウオ越ピストンを実施している。故に公園以外の記憶はない。
今回改めてその公園を訪れてみたのだが、正直なところ、ここだったっけ?という思いのほうが強い。周囲は潔癖な新興住宅街で、こんなに新しかったような気がしなかった。ここ十数年の間に区画整備されたのだとしたらなおさらこの公園でない可能性が高くなる。公園だけ残して周りを整備することはないだろう。
左手にあるシーソーは若干記憶に反応があった。こういうのがあったような気がする。そして何よりこの公園には水道がある。実はこの手前にもう一つ公園があるのだが、そちらには水道がなく、当時の私ならまず利用しないだろうと思われた。水道があるからここに泊まったという微かな記憶がある。
それにしても、人の記憶、思い出なんて、突き詰めて明らかにしたところで何にもならないものだと思い知らされたことだった。いまの私には何の由縁もない感情移入すら拒まれる見ず知らずの日常がそこにはあったというだけだ。
http://meta01.library.pref.nara.jp/opac/repository/repo/1582/?lang=0&mode=0&opkey=R150668009129154&idx=
188コマと199コマ。あれ、定款はどこだ?
結局無難な感じに落ち着いてしまう。A4に印刷→コピー→ばらして。