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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2007-07-01 get a skew ahead of others [長年日記] この日を編集

[企画] OFF会

準備はできたんだがね。ちょっとね。独り詩ねるかもな。

そろそろ出発。飛び入り参加も約4人まで歓迎です。嵐山駅か清滝でお会いしましょう。

[懐古] 2002年6月30日

そのくせ懐古は続く。いい加減動かないと苔が生えてしまいそうだ。ラジオの「昼から雨」を信じて午前中に八風、中峠を回る。

八風峠の峠道はあまり記憶に残っていない。retrospectに書いたルートも「そうだったけ?」という対象。ただ途中で猛烈な腹痛に襲われ、ここで事切れるかと思ったのは記憶にある。誰も助けには来ない場所・日時・天候。つくづく無駄な人生だったよな、と観念した。

けれども私の神は「もっと働け」と宣った。30分ほどで何とか動けるようになり、峠まで。真新しい風化花崗岩の白い谷。途中で道を誤って、峠でない鞍部に出てしまう。広場な峠。霧の中にいた。

田光軍人会による八風大明神の碑。簡素な鳥居が建っていた。東斜面から猛烈な勢いで霧が吹き上げてくる。オレハレイカイニキテシマッタ。

本当は東側に下るつもりだったが、腹のこともあって、大人しく縦走する。高低差の激しいアップダウン。霧。不思議と自転車の重さは記憶に無い。たどり着いた中峠の記憶もない。これで下るだけ・・・と思っていたがその下りこそが最大の難関だったのだ。

最初は2、3m幅の道がある。それを西に下れば、すぐに道が無くなって。道とも沢とも区別がつかない、まばらに広葉樹が生える、複雑な地形の谷に。斜面が小さな襞を形成して、どこを辿ればいいのか解らない。間違いの沢を辿れば確実に命が一つ減るだろうという斜面だ。そうして頼りの赤テープも途中で消える。

絶望的な状況になるほど「生」への固執は強くなる。そんな自分に現金ささえ感じるほど今は冷静だ。慎重に、慎重に下って行くnagajis。当然、自転車を引っかけて転倒したりするような愚もおかさない。

麓は今までの傾斜とは全然異なる平地であったと記憶する。綺麗に整列した杉林の中、一筋の道。抜ければ大きな川に出て。落書だらけの看板を見る(親切に所要時間やその訂正など書かれているが、地図にない地名ばかりで一切役に立たず。たぶん山高しか持って来ないのだろう。連中)

紫のテープを選んでゆく。地図にはない、小さな峠を越えていけば、さっき八風の麓まで登ってきた林道に出る。

淡々と下って、半分顔馴染みになりつつある杠葉尾のお店「ひろせや」で休。ああ、自販機あったな、あの角度で。

10.5kmの林道をゆく途中、再び腹痛。ひいひい言いながら、押し、休み、押し、乗り、休み、押し。帰ってきた茨川の、自分のテントの前には、自分が留守にしていた間にやってきたRV族が撒き散らしたゴミが待っていた。

人里離れた山の中で、人知れずブチギレたnagajis。記憶せよ諸氏。2002年6月30日、茨川にてゴミを放棄したRV族のありしことを。

お前等と同じニンゲンであることは、この日限りでやめてやった。

[企画] OFF会終了

nagajis帰宅。みなさま、おつかれさまでした。ひとまず寝せてくれろ。


2007-07-03 腑抜けたnagajisの話 [長年日記] この日を編集

[企画][独言] 激しく独言・意味不明瞭勘弁・いつか解説するから

 OFF会から帰ってトップページとここに書いたところで力尽きた。起きたらもう翌日だ。丸太のごとくマグロの如く寝たnagajisだがOFF会のことが頭から離れない。

 あそこはあれで良かったんか? 湿布を忘れていたのは失格だな。広島風お好み焼き(nagajis焼という名称が広まりつつあるが誤解である。強いて言えば作り方を教わった同期の人物の名を冠して恵南焼あるいはspecial thanks to 観海とでも言うべき)も探索直後には濃ゆ過ぎたのではないか。などと反芻しつつ反省しつつ、楽しめたことは純粋に楽しめばそれでいいとも思う。全てを良でtaggingできるなら分類する意味などない。そもそも分類されたくもない。意味付けすることでつまらなくなる事だってある。

 だが、何としても、どうにもならない思い。「実際それで、nagajisは、何をしたかったの?」。単に音頭を取りたかっただけ? リーダーシップを発揮してみたかった? そういえば以前某へ氏に言われたっけ。「仲間内でワイワイやりたいだけじゃないの?旧道倶樂部に専念したら?」。ごもっとも。それ以上のことができてない以上、返す言葉もない。つい最近にはもっとつらい言葉も貰ったがな。身内から。

 もちろん自分ではそんな積もりではない積もりでいる。自分はリーダーなど向かない。器じゃない。掲示板に頂いた賛辞も私ではなくORJに向けられたものだしORJとしての功績。私個人ではなくて。じゃあ何故? 何故ORJの変臭長としてコトを起こさなければならない? ORJを「やらなければならない?」。その答えが解らないんじゃない、そう思い始めたきっかけが何だったのか思い出せなくて、ここ最近、ずっとイライラしていた。

 埋め草のつもりで始めた[懐古]。29日の晩に、30日の分も先行して書いておいた(それが7月1日の日付のもの)。その時に旅の記録を読み返していて、さきほどの「なぜ」がありありと思い出されたのだ。全く何で、あんな大事な事、忘れてるかな>nagajis。

 そうしてその「きっかけ」の時に誓ったーーーちゅうたら大げさやけどーーー通り、OFF会では「誰かの役に立てた」。それが自分の思い上がりでなければいいのだが、たぶん客観的に見ても役立ったんだろうと思う。そういえば、握手なんて久しぶりだ。徹夜してでも馳せ参じた甲斐があろうというものではないか。

 あれから5年。見知らぬ人の5000円の恩。貨幣経済的価値判断はしてくれるな。あの5000円があったから、今の自分はここにいる。行き着く先が宇宙だって、おれは構わない。

[ORJ] その報告書なのだが

 たぶん自分独りで書くと独り善がりになる(上記の件もあり)ので、wiki立てて参加者のみなさんにも加勢していただこう、いや私も一参加者となって、寄ってたかって書いてしまえ。ということを考えてwiki立ててみる。アプロダも連動。

 FreeStyleWikiは軽くていいのだけれど画像の貼りつけがイマイチに思う。wiki内にどんな画像がupされているのか把握することが難いし、1ファイルずつアップロード→記述しなければならないのが手間。そこでattachの中身を総ざらえして一覧表示するスクリプト(ええとプラグインまで書ける能力ありません)とattach内に複数一括アップロードするスクリプトを作成(「画像一覧」というページの添付扱い)。一覧表示に{{ref_image}}タグを書き出して、画像を見ながらwikiに貼れるようにした。

wiki自体の基本の書き方は触ったばかりのnagajisが30秒で理解できたほどに簡単。嘘だと思ったらヘルプみてください。しかし言い出しっぺのnagajisが未だ何も書いていない辺りが腑抜けだと言いたいのだ。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ 学生服のヤマダ [広く多くの人の役に立ちたい・・・と大それた考えはさすがに持てるヤマダではないけれど 見知らぬ人の・・・あの一言で・・・今の自分がいる・・・ その言葉に引きつられて、こちらにコメントさせて頂きました..]


2007-07-04 詐欺用報告 [長年日記] この日を編集

[ORJ] 報告書き始める

寄ってたかって書く!と息巻いてはみたけれど、ひとまず自分が書かないことには。しかし余計なことを書きすぎてしまうな>Wiki。だからWiki作るのが目的じゃないんだってばよ。

アップローダ作成に手間取って、帰宅直後にいただいていたメールに返信できないまま昨日は寝てしまった(参加者への同報メールはお送りしたのだけれど)。よって今頃になってRe:が届きます>皆様。申し訳ありません。また今日までにメールいただいた方々へはアップローダをご案内しています(はずです)。届かなかったら...いやそんなことは無いはずッ!自身を持てッ!

[独言]

そうして「昨日撮った写真だけど・・・」という題名のspamに引っかかるnagajis。そのタイムリーさが余りに悔しい。

[懐古] 2002年7月1日

5年前のOFFの日はまたもや雨の茨川。テントに籠って昨日のゴミを見ながら過ごす。ゆえにKIRINの秋味は未だに印象が良くない。というより一度も買った事が無い。坊主憎けりゃ裟袈まで憎いでキリン社員には申し訳ないが、そもそも自分が最初に嫌われる坊主なのだから堪忍してほしい(自分で書いておいてよくわからない)。

この旅の間は、暇ができるとシュラフを縫っていた。これも入部時に自分で見繕って買ったもの。あちこち破れて穴だらけだったのが、日を追うごとに修復されていって、ついには縫う所がなくなってしまった。

そうしてまた腹痛に襲われ、喉の圧迫感に悩まされ、痒みにやられ。だんだんと自分が自分でなくなるのがーーーしかも旅の途中でーーー何とも悲しく。そして悲しんでも腹痛は治らない。

[懐古] 2002年7月2日

一睡もできないまま、久しぶりの晴れ間が覗く朝。この日を逃せば後は無い。そう思って茶屋川を溯上した日。浅広の川原が続く茶屋川。これが自分の最後の姿になるかもな、と思って珍しく自分撮りしたやつが、「俺流」のトビラに使った写真だったと思う。ひどく煤けた背中だぜ、とつぶやけるような写真になれば良かったのだが、見直してみると何だかとても楽しそうだった。どうせそんな奴だ。

三筋の滝まではサンダルで。滝からブーツに履き変えて。いきなりの斜面登り。斜面よりも登ってからの水平移動が応えた。何しろ足場がない。幅3cmくらいの石のエッジくらしか足をかける場所がない。しかも一枚岩ではなく亀裂の入った岩だ。全体重を書けている瞬間にバガッと剥がれても不思議ではないような、そんなエッジ。もちろん手もとも手掛かりがない。縦方向に稜線状になった岩を必死で握ってまたぎ越えた。そういうごくごく微細な地形を覚えている。必死だったのだろう。

三筋の滝の上部は白い岩がゴロゴロしている。川原の石のサイズも三回りほど大きくなったような感じ。すぐに右手から大崩落が入ってくる。石灰岩質の白くて硬い石がほぼ山頂付近から谷底にまで渡って崩れていて、白い帯を成している。

それを過ぎた辺りで川が荒れだしたのだっけか。河原と呼べるような平地がなくなって、淵と崖と大岩の集合体となり下がる茶屋川。多分さざれ石であろうと思う、多数の小石を抱え込んで石灰化した大岩が3つ、平面的に並んで谷を塞いでいた。ちょうど∴のような感じで。自転車を担いだ自分はどこを行けばいい? しこたま悩んで左岸の岩に上がり、クリアした。その凸凹加減。懐かしい記憶。

その次は、さざれ岩が二つに裂けたような滝。滝それ自体は低くてむしろ沢なのだが、滝壷に相当する淵が物凄く深く見える。滝の両側は垂直で、滝口に近付くことすらできず、かといってこれを迂回するのにも相当な苦労をする。自分は右岸を通ったが、果してこれが正解だったのか(そもそも自転車を持ってきている時点で不正解間違い無しなのだが)。三筋の滝以上に足場のない高巻き。

その先で、力尽きた。川はどんどん狭くなっていき、もうすぐで尽きるか、というようなか細さになってしまった。両側から覆ってくる痩せた森の木々。こいつらまで相手にしなければならなくなった時のことを思ってぞっとした。そのくせ白瀬峠へ登るための分岐が見付からない。下手をすればこのまま御池岳標高1247mに登ってしまう。

引き返すタイミングはいつも難しい。志半ばで帰って悔しい思いを残すのか?それとも突っ込んで果てるか?はたまた脱出口を運良く見つけるか? いつも選択肢にはやばめなものを紛れ込ませている自分だが、それを意図して選ぶこともなく、死ぬこと自体を目的にして山に入ったりもしない。自分はただ限りなく死ぬ目に遭いたいだけ。KUWAHARAが共にある時は殊にそう思うし、死んだこともない。

引き返す途中で登山客に出会った。三筋の滝の上だったと思う。その先でも釣り客2人に遭った。ひょっとしてこの日は日曜日だったか?と思ったが2002年7月2日は火曜日だ(RV族がゴミを巻き散らして帰って行ったのが日曜日)。泊地に帰って荷を畳んでいる瞬間に大豪雨。茶屋川大惨事。そうだ、あの雨のカーテンも印象深いな。茨川入口の狭い谷間を雨の壁が迫ってきて、一瞬にして豪雨に転じた。山の天気は本当に変わりやすいんだと貴重な体験をした。3人の安否が気になったが荷が完全に水漬けになったのに追われていて何もできず。やがて小康状態になってからポツリポツリと帰ってくる。無事で良かった。自分が川にいた時だったらどうなっていたことか。

住み慣れた茨川を後にして下界へ。担ぎ続きで自転車がぼろぼろだ。こいつをなおさなければ。自転車もそうだが自分もボロボロ。永源寺ダムを下った辺りでもう何度目かの腹痛。鈍痛。ハリカ永源寺店裏でひっくり返って悶えた。買ったコーラ500mlが末期の水に思えた。それでも脳内を巡るのは「贈ーり物はハリカですー」のフレーズばかり。死んでも死に切れない。

考えてみれば、旅に出てからまともに風呂に入ったことがない。あちこちで水浴びしたり冷水浴したりしてはいたものの、やはり風呂というものは人間性活、もとい人間生理に欠かせないものなのかも知れない。そう思ってこの日は銭湯に行った。裸の自分を見て絶句。何だこの全身蚊に刺されまくり野郎は。みたいな。それほど蕁麻疹がひどかった。

コインランドリーで洗った服に着替えても、結局はまた晩に発症して。寝るための酒を求めて夜の八日市市を彷徨った。

[奇妙なポテンシャル] #10

記念すべき10回目である。「車輪の再発明」という言葉がある。Wikipediaによれば「広く受け入れられ確立した技術や解決法を無視して、同様のものを再び一から作ってしまう事」の慣用句だという。

いくらでもアプロダがあるというのに一から作ってしまいながら「ああこれは車輪の再発明だな」と思いつつその手を止められない。道路遺構の探索だってすでに誰かが作り廃止した道を好き好んで行くのだからある意味車輪の再発明と言えるかも知れない(この場合は「再発見」のほうが相応しいか)。nagajisはそんな車輪の再発明が好きだしそこから得られることは多々あると思っている。要は自分のためなのだ。事実Wikipediaでも「教育の現場では、ある技術の意味を理解させるために、意図的に車輪の再発明を行わせる場合がある」と言っている。

そんな独り善がりな車輪の再発明だが、その結果、まかり間違って人類共通普遍的価値を有する物凄い発見をしたりしたとしたら。誰もが気づいていないエレガントな/エクセレントな解法を見つけたりしたら。それは決して可能性ゼロの事象ではない。そんな場合に備えて、それを何と呼んだらいいのだろうと思って

車輪の大発明

という言葉を考えて、そこに奇妙なポテンシャルを見出した。

単に「再」と「大」を置き換えただけだというのに、そこから湧き上がって来るこの奇妙なイメージは何だ。驚嘆すべき、世界を揺るがす、人類の未来を左右するような発明が大車輪の勢いで次々と生み出されていく。号外。号外。駆け回る新聞売り。そんなイメージが湧いて来ないだろうか。エジソンもかくや、アインシュタイン も及ばない、あまつさえ全ての自然数を友としたラマヌジャンなど。や、ラマヌジャンは別格かも知れん。

とどのつまり、目的語的な扱いだった車輪が形容詞的に作用してこのような錯覚を感じるのだろうと思う。それに気づくと今度は「車輪の再発明」がいかにも不毛なデスマーチっぽい何かを連想させてさらに忌避すべきもののように思えてくる。みなさんにおかれましてはくれぐれも車輪の大発明などなさらぬよう、予め諌言させていただく。


2007-07-05 やばいぜ! [長年日記] この日を編集

Macが立ち上がらないぜ!

[独言] Macさんが天に召されたようです

システムをいれている方のHDDが逝ってしまったようだ。起動はするがHAPPY MACのアイコンが出た所で止まってしまう。システム領域かパーティション情報かの所にバッドセクタができた感じ。たぶんHDD入れ換えだろうな。。。(かなり喧しかったのは前兆だったのか???)

間違い無く飛んだもの
探索の栞の版下。バックナンバー#2用に修正していたpdfと版下(細かいページだけだが全ページの半分以上か)。取り掛かりつつあった江浪峠の版下。その他14号以降にMacに置いていたファイル。
ひょっとしたらヤバイもの
ORJ16号の版下。バックアップしたっけか・・・終了直後にメディアへバックアップするようにはしていたが。
大丈夫なもの
写真(別ディスクに入れていたので恐らく無事)。今号の原稿類(別マシンorサーバ上なので)。

15号の製作時にMacを入れ換えて、その時のHDDが残っているから、アプリケーションその他の復旧はすぐ済むだろう。しかし新ゴが・・・またモリサワにおくらなあかんのかorz 明日ノートン氏を試してみて、その状況によっては日曜日(の晩)がつぶれるな・・・

あ、TUKAさんのwebページも?!やべーっち。

[企画] OFF会報告用

写真のアップローダー(一覧)が使いにくかったのでもっとみっしりサムネール表示するページを作成する。ついでにExif情報を収集して時系列で並べ変え。デジカメの日付が合ってなかったら逆にややこしくなるよなーと思っていたら当の本人のデジカメが1時間近くズレていたorz。場当たり的な処理を施す。で、まあまあ使い物になるものに。

しかしこれ、全員のデジカメの時間を正しく補正すれば(各自で補正時間を入力してもらって/ユーザー登録してもらって基本情報として入れておく)、なかなか面白いものになりそう。OFF会専用アップローダとしてORJからリリース? ま、それは当分先になるだろうけど。

この修正とMacの所為で今日は何も書けず。そのかわりTenkeiさんが沢山写真をupして下さっている。レオの兄貴さんも。

[独言]

HDDだけ先に買っておくか。そのため懐古はなし。寝ます。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ MIMIZUK [ノートン先生の前に DiskWarrior を試すことをオススメします.当方はコイツで何度も救われています.ノートン先生は往々にして傷口を広げることもありますので最終手段で.]

_ nagajis [Yes。ノートン氏はあまり役立ちませぬ。。。何度も泣きを見ました。が、今手元にあるのはこれしかなく。 そもそもSystemのHDDのパーティション情報が(物理的に)ぶっ飛んだらしくて、何を以ってし..]


2007-07-06 2号飛んでる [長年日記] この日を編集

バックアップメディアを読めるまで持って行けたが、15号、16号ともバックアップしてなかった。。。HDDを増設して慢心してたか。うーむ。自分のは構わんがヨッキ氏(尾頭中編)と張子の虎さん(関西本線の煉瓦隧道群)、申し訳ない。そうしてバックアップ手段を提供して下さったあの方にも・・・。気を引き締めて、出直すぞ!

というわけではないけれど、ひとまず撤退する。明日は検版。

[独言]

差し出しても差し出しても鬼の首、か。。。勝手に取ってくれ。

[独言] 1件追加

今週土曜日日曜日は近畿大学で土木史研究会の研究発表あり。興味のある方はどーぞ。詳細はwww.jsce.or.jpのトップページ下方「土木史委員会」リンク先に。nagajisは日曜日に野次馬しにいくつもり。


2007-07-09 岡山SUGEEEEEE!!!!! [長年日記] この日を編集

[独言]

Mac故障で下がり気味のテンションを何とかすべく、初めて土木学会の土木史研究発表会に行った。「叡智のてっぺんちょに触れる」(確か(C)筒井康隆)という意味では美術館博物館に行くのと同じ感覚。それでいいかどうかは脇に置いといて、いやはや、面白かった。

「岡山SUGEEEEEE!!!!!」。なんとも貧粗な表現だがそれを自覚してなお使ってそう言いたい。我々は岡山が如何にもんげえ国であるかを知らぬ。少なくともnagajisは昨日初めてそれを思い知らされ目から鱗が落ちた。現存ほぼ最古、世界でも二番目級の石閘門については先日伺っていたものの、何故近世に地下ダムなのか。農業用水で山腹に50mの滝を創り出そうという発想はどこから生まれたのか。90幾つの石を組み合わせたパズル的庭石を作ってしまう備前石工の腕の良さはどうだ。何なんだこの国は。ここは魔法の国か。

そうしてそれを『非』行政主導で世界遺産化してしまえ計画を進めている/進めた馬場先生。観光資源としてではなく遺産として残すための世界遺産登録計画。研究者かくあるべし!素晴らしい!

「近世以前土木構造物調査」の件も聞いてきた。これはまた詳しく書き直そう。この研究発表が控えているから書けなかったこととか。

馬場先生もそうだが神吉先生も気さくに声をかけて下さるのがうれしい。単細胞nagajisはこれだけでも「頑張らんと!」と思ってしまう。何に頑張るのかは不明だが、(nagajisの)方向性がちょっぴり見えてきたような気がする。


2007-07-11 進捗状況 [長年日記] この日を編集

[ORJ] OFF会報告wiki

みなさんの協力もありnagajisも一通りストーリイを書き終えた。少しずつ膨らませ中。できれば

  • 鋼索線下山組の様子
  • 集合までの各自の動き
あたりを書き込んで頂けると幸い。感想はどうしようか・・・なくてもすでに掲示板に板抱いている、もとい頂いているしね。pdfにせずとも掲示板にあることで充分かも知れないと思ってみたりもする。

wikiへの書き込みよりも写真のコメントが充実してきたので、wikiにある内容を本文として、コメントつき写真多数という構成で報告にすることを考えている。重複するシーンの写真が多くなるかも知れないが、それで参加者視点が出せたらいいな。写真とwikiは20日頃まで募集するので宜しくお願いします>各位。

[ORJ] その他

旧橋、廃道を読むは原稿up。いつもの通り最後に後回し。これ以外にかかる時間、あるかなあ。。。できれば近世以前…のを追加報告しておきたいが、写真が全くないのでどうなることやら。TRDBは掛かるとすればキリズシ辺り。

[奇妙なポテンシャル] #11

「二兎を追う者は一兎をも得ず」

という場面で間違えて

「一兎を追う者は二兎を得ず」

と言いそうになってしまい、「当り前だ」とセルフツッコミを入れてしまったのだが、おい待てよ、本当にそうだろうか? と思い直した。

廃道探索でも「思いがけない発見」というのが多々ある。資料探しで偶々見つけた別情報というのもある(得てしてそういう遭遇のほうが記憶に残っているし、また実りも多いように思われるのは何故だろう)。このような時、自分は決してそれを追おうとしていた訳ではないから、ある目的の探求の過程で偶然得られた二兎目三兎目であると言えないだろうか。瞬発力的動態視力的観察力が要求される、それが廃道探索なのではないか。

という所まで考えて、しかしだからといって

「これからは『一兎を追う者は二兎を得る』時代だッ!!!」
と息巻いても仕方がないことに気づいた。その文章だけでは丸きり意味を成さない。一つの目標に向かって真っしぐらであれば見落とすだろうし注意散慢故に別の発見があっただけかも知れない。もしこの言葉の真意を知ってもらおうとするならとある時にnagajisが「二兎を追う者は…」を言い間違えそうになった場面から説明し直さなければならず明らかに無駄である。それなら素直に「二兎を追う者は…」を格言として受け入れるほうが早いし何より有益だ。

という結論に達するまでの所要時間約1秒、ああ無駄思考の刹那。さらに15分かけて文字にしてみて改めて解る無駄さ加減。nagajisはそんな詰まらぬ事ばかり考えて生きているような気がしてきて悲しくなった。それ自体が奇妙なポテンシャル。


2007-07-12 作業報告 [長年日記] この日を編集

[ORJ] 旧橋紀行up

TUKAさんの秋元橋をup。原稿はOFF前からいただいていたのだがなかなか掛かれずようやく今ごろになってしまった。勝手に旧橋にしちゃったけど大丈夫だろうか。あわせてnagajisのメモランダムも。メモというよりやったこと報告だなあ。人のにくっつけていいのか。

謎だった素性の5割が判明したものの、肝心の「誰が使ってたやつ?」が不明のまま。MoSIのDaberさんからの追加情報もなし。結局自分はpdf見つけただけじゃんorz

[懐古] 2002年7月11日

やあやあ前半の山場・白瀬峠越えを記述する暇がなかったよ。まあいいか。retrospectも報告書もあるし。

前回から鞍掛峠→白瀬峠→五僧峠と越えて滋賀県の荒神山公園に。体調不良と自転車整備不良Maxでここでも連泊続き。電車で行きつけの自転車屋に行ってパーツやキャリアを購入して復活(自転車が古いから部品が手に入らんのだよ)し、そうしてここから新ドライブトレインで進む。ずいぶん軽くなった気がするが腹痛蕁麻疹は治らぬままだ。

国道8号やら何やらで北上、伊吹山の麓から国見峠越え。大山塊の中を登る林道。昨日の晩に大変な大雨になって、そのせいであちこちひどいことになっている。峠の手前では工事中。無理を言って通してもらえたんだっけ。いやいや、「大阪から来ました」と言ったらひどく感心されたっけか。初めて嘘のない「大阪から来ました」だったと思う(何しろ大阪からここまで走ってきたんだからね)。しかし和歌山奈良三重と大迂回してなんてことは説明しなかった。写真は峠下の工事箇所付近から峠を望む。

「国見」峠というだけあって、峠からの展望が非常によい(ひょっとしたらかつては他の国見峠のように山の頂きを通るものだったのかも知れないが、現在の車道の峠からもスコブル絶景)。右写真は東側を見下ろして。

麓の春日では土砂災害の復旧工事が真最中。集落のかなり上を通るバイパスが潰れていて、狭い生活道を車に煽られながら30m近く登り下りさせられる。確かにひどい雨だった。一日経ったこの日でも、山の護岸工にある水抜き穴という水抜き穴から水がほとばしっておったからな。そうして春日もりもり村で風呂に入って元気もりもりになろう計画は断水による臨時休業でポシャッたのだった。

この日は朝鳥公園泊。隧道水道電気トイレ完備のゴージャスな無料。温見峠を越えるつもりでいたのにここも大雨で通行止というニュース。今日明日越える訳じゃないから少し様子見しようと決める。台風も近付いているらしいしな。そういえば5年後の今はまだ台風が一つも上陸していないような気がする。今年も空梅雨なのか>大阪

[独言] リンクに物申す

残念!ここにT氏の情報はありません! ワーレントラス・ボルチモアトラスほかトラスの形式については近代デジタルライブラリの金井彦三郎箸な橋梁編か土木学会附属図書館のデジタルアーカイブス戦前名著100選にある小池橋梁工学がおすすめだよ。構橋をキーワードにして読んでね。

謝罪文の書き方は…おれに聞くなっ! 知っちょるけど教えちゃらんけんっ! …というかとうとう「謝罪文例」でYahoo検索の10指に入るようになってしまった当部録"、どうしたものか。

そうか。悪SEOして弾かれればいいのか。よーしパパ無闇に謝罪文例書いちゃうぞ。謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例与謝無村謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例謝罪文例。

謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方射化分析書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方謝罪文の書き方。

さあこれでどうだ!(間違い探し:制限時間各3秒)

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ マフラー巻き [ヤメロ]

_ nagajis [叱〜ら〜れ〜た〜;_;)]


2007-07-14 独言ばっかり。重要性ゼロです [長年日記] この日を編集

[ORJ] 企画

旧橋。方向性はOKということで修正中。前半をつなげるために(nagajisが)少し無理をしているのでほぐさないといけない。地図も含めたら日曜日までかかるかも。

ちょっと別のことをしていて愛宕山報告が進められていず。表紙だけ作成。といっても写真と文字だけなのだがな。本編の構成をちゃんと考えないと。。。

現状ではnagajisの書いた「ながれ」にnagajisの主観が入りすぎていて、このままコピペする訳にはいかない。主催者スタンスに寄りすぎてるような気がする。後で分離するつもりで(とりあえず埋め草として)何も考えずに書いたのはよろしくなかった。分離するのが大変じゃ。

そもそもOFF会の記録にするのか?愛宕山鉄道の紹介にするのか?どちらかに的を絞ったほうが良いだろう。とすると愛宕山鉄道のことについてはネット上に詳しい紹介があるうえ殊更付け加えられそうなことがないから、やはりOFF会の報告という形にしかならんのかな。

思い切って、全く違う形式を試みてもようか? みなさん提供の写真+コメントだけで構成する、というのも一度やってみたい。いつも自分が総まとめ的本編を書いているのだけど、これって結構人の褌で相撲を取っているような罪悪感がある。

方向性:路線描写(Q数下げ、nagajis担、場合によっては囲み)+メイン写真1枚、写真コメント吹き出し。本文?を貰っているところはもちろん本文として。つまり今自分以外がコメントを書いてないトコロに自分のを入れる。路線描写との組合せは張子の虎氏のあれをイメージして。航空写真利用。ふむふむ。しかし写真全部入れるとスペースがないのよな。例のイレギュラーフォーマットで行くか。久しぶりに。このページはまあまず印刷することもないだろう。おお何だか見えてきたぞ。頭で考えてることでも書いてみないと固まらないものだな、というより書くと固まるものだな。

[独言]

だんだん独り言度が高くなってきたので別カテゴリで。A3横で作ってもA4横で作っても画面では一緒。A3縦とかにしないと。しかしそうすると、かえって写真コメントの配置を考えないとあれだな、ただ並べてるだけにしかならんな。場が持たん。どーするか。地図+白線書き込み、みたいな解。あり得るのではないか。

[ORJ][ToDo] リニューアル

毎日毎日ORJ(pdf)のことばかりでwebのコンテンツに全然手を入れられていない。寄稿のススメも1章しか書けてないし、プレスリリースも更新履歴も止まってる。ここにいらんこと書いている暇があったら修正すればいいんだが。ただ言いたいことは誌面で言ってるしwebはpdfの補足情報置場だと思っているからpdfより後回しになるのは仕方がない。

かといって、何もしてない訳じゃない。少しずつリニューアルを始めている。ほらそこ、AAつきてハァ?なんて思っちゃだめだ。これでもリニューアルなの。まだ途中なの。BACKNUMBER CDのままだし掲示板を取り込むのに失敗してるの(多分取り込むの無理なの。perlな.cgiをvirtualしたら生で吐き出されるうえ、どうもpostが渡らないくさい)。

方向性:プレスリリースを廃止。必要事項はWhatsnewで事足りている。そのかわりhistoryを確実に更新して行く(そのため自動化導入)。メニューの整理。そろそろ常設アンケート変えるか。はけ口として置いておいてもいいけど。久しぶりに見たら遊び場っぽくなっててちとびびった>PCアンケート。釣り師でなくても釣れた釣れたと言いたくなるな。

要書き直し:「日本の廃道とは」をもっと丁寧に。編集部に募集を。投書箱をメールによるものではなく投書型に(ORJ_readersの廃止)(これはorder_nth.phpを流用でほぼ完成している。未実証。たぶんspamは来ないからML直結でもいい)。"Project"の項目が必要。ORJが何やっているかわかるもの。1年越しのconcept noteを表に出す<書き直し要。

問題点:取り込めるもの/取り込めないものの統一感のなさ<半ば諦め。iframeが使えたら一番楽なのだけど、使わない(何でやめたんだっけ?)。メニュー部分が増えてきて2箇所スクロールさせなきゃいかんのが気に食わなくなってきた>フレーム

[独言]

pdfを作るのはwinnyに情報を放流するようなものか。web(HTML)は自分がいなくなれば消えてしまう。書籍はingooglable。十年後、数十年後にも確実に世界のどこかに残っている(かも知れない)リッチコンテントなフォーマットとしてのpdf。決して今限りのものと考えてはいない。未来に対する、今できる最良の備え。CDとadobeがそこまで持つかは、まあ、神のみぞ知るだがね。

[奇妙なポテンシャル] #12

きょうふのみそしる

という言葉遊びがある。「恐怖の味噌汁」と思わせておいて実は「今日麩の味噌汁」というアレだ。実に下らない、子供じみた口合いであるが、シニフィアンとシニフィエの結びつきが恣意的であることを幼年期から理解させられる大変良い例ではある(大嘘である)。

だがしかし待てよ、必ずしも麩の入った味噌汁でなくても良いのではないか。そう考えて反芻しているうちに「実は『負の味噌汁』なのではないか」と思い至り、はっとした。アウシュビッツや広島原爆ドームを「負の遺産」と呼んだりもする。味噌汁ならばなおさらあり得るのではないか。

「負の味噌汁」とは如何なるものであろうか。食べれば食べるほど腹の減る、身にならない味噌汁のことか。口の開いていない蜆しか入っていない爆弾味噌汁であってもいい。予想外の具が入った味噌汁、例えばセロリや焼き鮭の入った味噌汁という解もあるだろう。

しかし元電気系核物理学派としてはやはりエネルギー的観点から見た負の味噌汁が相応しく思われる。反物質のみで構成される味噌汁である。器からして大仰だ。るつぼ様のセラミック製器がまず思い浮かんだがそれでは不十分。壁面に触れさせないため電場磁場による閉じ込めが必要になる。存在時間はどう頑張っても10^-5のオーダー、炉を開けて一瞬で掻き込まなければ消滅してしまうだろう。かなりのスキルと閉じ込めエネルギーが要求される。朝の一時に周辺の電力制限をしなければ調理もままならない。まさに負の味噌汁である。

その前に、負の味噌汁を食う必然性がない。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ MIMIZUK [飲めば飲むほど(食べれば食べるほど)喉の乾く味噌汁というのは飲んだ(食べた)ことありますが.  ]

_ nagajis [やはり存在しましたか>負の味噌汁。子供達に負の観念を理解してもらう良い例になりそうです]


2007-07-15 (胸を張って)作業報告 [長年日記] この日を編集

と言いたい所なのだが予定通りにこなせず。TUKA氏旧橋修正と自分の旧橋をupした迄。朝7時からかかってた割に何で時間食ったんだろうな。。。ちょっと一休みのつもりでここを書く。

[橋梁] 荒神橋の大正桁は根本の2連だけです

まず自分のは大きな勘違いが一つ。掲載しようと思っていた荒神橋、最後の最後まで撮った写真が大正のRC桁だと思っていた。そうではなくて、河川敷の所に架かる短い桁が大正2年のRC Iビーム桁なのだった。何しろ行くつもりではなかったのに、道を間違えて行ってしまった橋だから。下調べがちゃんとできていなかった。まあ、それでも残り2つで鞍馬街道のRC橋としてまとめられただけ運がいいと思わないと。と言った時点で完全ネタバレ。

[] 猪苗代第一発電所は近年全面改修されました

TUKA氏のほうも自分が勘違いしていて、初代の発電所が(外部改修のみで)内部は昔のままだと思っていたのだった(だから取り出して云々は無理と言っていた)。そこに生じる理論の穴を塞ごうとしてかなりの時間を資料探しに費した。結果、工学会誌に良いほうの知らせが載っていて事無きを得たのだった。つうか最初に見れ>nagajis

[独言] 「工手学校」読む

気晴らしに昼から本屋に行ったのもアレか。中公新書ラクレに工手学校というものがあることを知り、いても立ってもいられず。創立前夜のことや直後のことは詳しかったが、いちばん知りたい明治40年代のことはわすかしか書かれていず。とはいえ日露戦争の終結で(一転して)人材過多な買い手市場になっていたらしいことを知ったし、What it was 工手学校、特にその気風が良く判ったので満足している。

卒業から入庁までに数年のブランクがあるのもそのせいだろうか。あと、大正15年時点で勲八等。勤続で貰ったとは(直感的に)思えないので、ブランクのことも考え合わせたら、山東省辺りに出兵していたのかも知れない。

[懐古] 2002年7月12日

前回あんなことを書いてしまったが、ちょうど5年前の今ごろも台風が接近してきて朝鳥キャンプ場に封入されてしまっていたのだった。ここ2、3日は食っちゃ寝の腹痛痒いを繰り返している(いや、旅で初めて病院に行ったな。気圧変化に伴う自立神経の失調云々。薬を貰って気分だけ楽になった)。それでは余りに振り返ることがないので7月12日、鳥越・品又方面へ行った日を振り返って懐古したい。

朝鳥公園に荷を置いて、空身になって出発したのが朝10時。√417を北上して坂内村を目指す。前前日の雨の影響はここでも顕著でまっ茶色に濁った揖斐川を見ながら遡った記憶がある。藤橋村中深部横山から先は一度通ったことのある道。少し懐かしかった。

そういえばこの旅の目的は書いたっけ? 以前から「分水嶺の峠」に興味があって、分水嶺の峠ばかりを巡ってきた。どんなにマイナーだっていい、分水嶺の峠であればいいというようなコレクターマニヤな心持ちで走ってきた。この旅では行き残していた地域を重点的に回ろうと計画し、だから大阪を出発して和歌山奈良三重と大回りして今ここにいるのだった。瀬戸内〜太平洋分水界の峠をずっと辿ってきた訳だ。

中央分水嶺の峠だからといって別段特別なことはない。峠に立った途端に雨が降る事もなければ株価が大暴落したりすることもない。数ある峠の中のいくつかに過ぎない、といい切ってしまうと語弊があるが、ともかくそんな峠ばかり知っていてもちっとも偉くはない。だから分水嶺の峠が好き。この日もそんな捻れた嗜好に従って、瀬戸内〜太平洋分水界の最北端にある峠を目指したのだった(厳密には違うけど)。

その前に寄り道。日坂峠に立ち寄った。何もなかった。続いて新穂峠。上部はひどく廃道になっていて(ホハレ林道と同じ西建産業(株)の作)それなりに面白かった。峠もこの林道でざっくり削られている。越える方向とは垂直に。正面の崖の上に見える看板が新穂峠の看板。

新穂峠から藤橋村方面。眺めはたいそう良い。ひょっとしたらホハレ峠(林道の峠)から見えるかも知れない。

南側へ下る道はほぼ純正な登山道。半分くらしか乗って下れない。倒木も多くてほとんど使われていないように感じた(ああ、何かこの道とそっくりな道を見て「あの道はどこだっけか」と悩んでいたことがあったような記憶が。こっちは思い出したのに。。。悔しい)が、道半ばにはお地蔵様もおられる由緒正しい道。

滋賀に入ってから、今度は奥伊吹スキー場のてっぺんにある品又峠へ。ゲレンデには何故か四角い穴の開いた滝があって魅了される。まさか天然のものではないと思うが。

品又峠。今はスキー用リフトの降乗車場があるばかり(写真は横から。峠道は左右に越えていた)。昔の姿を見る事はできなかったが、正面に伸びるリフトの鉄塔から「この稜線の先には自分の見知った峠が一本の線で連なっている」ことを思って少し嬉しくなった。半フル装備で滑落した五僧峠。土石流翌日の沢登り・白瀬峠。治田峠。桜青山白髪請取芋風の森七越紀見大川。ぶっ飛ばしてもまだ追い付かない、越えてきた峠の数々。走馬灯ってこれだろうな、と思った。

面白い事に峠の北側はすぐそこまで車道が来ていた上、何故かロータリー(径10m)になっていた。のっけの薮で「こりゃきついかも」と思ったのがぬるぬるヌルベーの如くすっぽ抜けた。その抜け具合は下りで動画を撮っていることからも伺える。得てして意味の無い、自分も見返すことのない動画。記念にYoutubeに揚げておく。先に断っておくが期待するような出来事は起こらない。

帰りの√303では旧徳山村に向かった日の思い出が甦るが、ブレーキシューがひどい片利きになってしまった上に修復に必要な工具を忘れて来た。行きがけにひどく漏水していた久瀬トンネルはショートしたのか真っ暗に。帰ってあさりのクリームスープを食い、過去最大の蕁麻疹。


2007-07-17 ちっちゃな作業報告 [長年日記] この日を編集

[企画] OFF会報告書

版下作成にかかる。構成は前回書いたような感じで、航空写真を基礎にして配置。左上に区間の概略を入れて、残りは写真+コメント。それでもスペースが足りなさげなので(特に閉塞隧道の辺りは)そこだけ別ページにするか。久しぶりにアーティクル使うかな。

そのほか写真をeps化する作業。点数が多いとこれが結構面倒だ。全て終えたのであとはガンガン配置して行くのみ。

[橋梁] 蓬莱橋

日曜日の台風は(自宅周囲は)それほど大変なことにはならなかったのだけれど、太平洋に面した地域でかなりおおごとになったようだ。新潟では地震も加わってさらに大変なことに。お見舞い申し上げます。

そんななか、静岡県の蓬莱橋が流失[Googleニュース]というニュースも入ってきた。この橋は世界最長の木橋と表現されることが多いけれど、自分はむしろ作った人々のことにまず思いを馳せてしまう。大井川右岸に広がる牧ノ原は今でこそ茶畑が広がる土地だが、それを開いたのは明治という時代に取り残された旧幕府側の人々だった。曰く徳川家直参の武士たち、曰く大井川に架橋されたことで職を失った川渡し人夫。徳川慶喜の護衛隊だった新番組や彰義隊の生き残りも加わった。そうして数多の苦難を嘗めながら一大茶畑に仕立てあげたのだった。

最初の蓬莱橋は明治12年、その茶畑の茶を対岸の島田へ運び出すために作られたという。当時は簡易な丸太橋で、もちろん維持管理は開墾者たちの受け持ちだった。昭和33年7月の台風で壊滅的な打撃を受け、災害復旧事業として再建、40年4月に作られたのが今日の蓬莱橋。橋体は木製だが橋脚をコンクリートにして災害に耐え得るようにした。そうして今でも、基本は土地の人によって維持管理されている。人20円、自転車1台30円の通行料を取って(以上、参考文献:松村博・日本百名橋)。

今回のような流出はたびたび起こっていて、平成に入ってからでも7度も壊れ、今回で8度目だとか。また地元の方が懐を痛めなければならないことに、いらぬ気を揉んでしまう。

[懐古] 2002年7月17日

記録によるとこの日にようやく病院へ行ったことになっている。小さな皮膚科兼小児科だったと思う。診察の時には蕁麻疹がほとんど収まっていてアレだったのだが、状況を説明すると「激しい発汗や気温差により自律神経が参っていて、それが原因」と言われた。とりあえず謎の伝染病だったりしなかっただけ良かったが、しかしそれで腹が痛くなったり喉が詰まったりするものなのかは聞いてもわからんかった。さらに「薬を飲めばすぐに直るというものではなく、月単位で出たり引っ込んだりする。休養しても旅行を続けても同じ」との仰せ。うーむ、としか言いようがない(実際この蕁麻疹、旅行から帰っても長い間患っていた。最近は出なくなったが、そういやいつ治ったんだろう?)。

失礼な話だが、どうも自分はお医者さんの診断や薬なんかが信用できない。何に限らず「薬で治る」と思ったことがなく、成るようにしか成らんと思っている。そんな自分がその通りの診断をされて、ハタと困った。

とりあえずかゆみ止めの薬を貰ってーーーそれが何という薬なのかも忘れたーーー病院を後にしたが、それ以降はさほど激しい腹痛もなかったし、かゆみも少し和らいだような気がする。単に精神的な何かだったのかも知れない。


2007-07-18 [長年日記] この日を編集

[ORJ] OFF会報告デザイン案

実際にページを作ってみる。20日からかかる積もりだったから、当初の予定に比べれば着手は早い。アーティクルとふせんを組み合わせることでそれなりに機能しそうな気もする。

[懐古] 2002年7月18日

(ここも)長く住み着いた朝鳥公園キャンプ場を出て温見峠越えした日。

 √157の道すがらには有名な根尾断層がある。日本史の教科書で見た写真と全く同じ構図なので気がついた(看板もあるけれども)。今ではそれと知らなければただの崖だと見誤りそうだ。

 この断層のそばには資料館や喫茶店もある。その名前はちょっとどうか、と思うような。時節柄にもちょっとどうかと思ったが、掲載。

 温見峠の酷道ぶりはここでnagajisが言を重ねなくてもよく知られていることと思う。自身もあまり写真を撮っていない。これは道中にある小切り通し。「落ちたら死ぬ」の看板のもう少し手前ではなかったか。

 途中にある黒川は、半ば廃村化した集落。家々の雨戸は固く閉ざされ、丸太でつっかえ棒がされていた。そんな中でたった一軒、人けのある家。そういう断片だけ覚えている。国道157が国道と指定されたことで、この人達の暮らしは良くなったのだろうか。そんなことも思った。そうして私は道にも集落にも責任を持たない、一介の旅人。

 峠南側は3段の大ヘアピンがあった。時間をかけてゆっくり登ったせいか、しんどかった記憶はない。裏日本と表日本のブナが混じり合うという森の奥からヒグラシの鳴き声が響く。この旅で初めてではなかったか。夏の一日が終わるという合図のような、寂莫感を伴うカナカナカナカナ.....。

温見峠は名前に反して厳しい表情の峠だ。雪の重みで潰れてしまうのだろう、あらゆるものが傾き、へしゃげていた。看板もポールも無傷なものが一つもない(シャッターのごとくにクシャクシャになった看板さえある)。峠の地蔵様もまるで檻のような頑丈な囲いに囲われていた。自然の木々だけが平然として育っている。

下ってダム湖畔の青少年旅行村に泊。旅行に出て40数日にして初めての有料キャンプ場。そうして食うのはまずいレトルトカレーのみ。

[橋梁] 明治PG@近鉄道明寺線

以前撮った玉手橋の写真を見ていると、同じ時に近鉄道明寺線の大和川橋梁の写真も撮っていたことを発見した。歴鋼集欄などによれば明治31年に開通した河陽鉄道時代のものらしく「作30年式類似の形式」とされている。

以前鞍馬で見かけたポーナルガーダーもこれと似たような形式。ガーダー端の処理が少し違う(大和川橋梁の内部はどうだったか・・・・そこまでは撮っていない)。なお道明寺線大和川橋梁のPGにはCochrane社の銘板があるらしい。鞍馬のガーダーには見つけられなかった。


2007-07-21 (ここの)遅延予告 [長年日記] この日を編集

さあこれから忙しくなるぜって時に。タイミングが悪いぜ。

本部録"は月末まで遅延しまくります。しまくるからな。しかし遅延はここだけだからな。ORJ次号はちゃんと8月1日に出すつもりだがらな。

[ORJ] OFF会報告

版下部分は第5号の巻き道を越えた所まで作成。残りは

  • 〜6号隧道
  • 〜愛宕駅
  • 駅周辺・飯
  • 下山×2

だから、ここまでは1日で片付けよう。むしろその後、画質の調整とアーティクルとふせんが時間がかかりそうだ。できている分はざっくりpdf化してwikiに上げた。付箋・アーティクルまで行かず。

間にルポ文章を入れたくもある。しかしそうするとまた中途半端になりそうな気もする。導入とまとめ、参加の感想は必ずいるだろうけど。


2007-07-22 [長年日記] この日を編集

[奇妙なポテンシャル] #13

いわゆる青春時代を体育会系自転車部という世間一般の常識の斜め上を行く組織に所属して過ごしていたせいだろうか、ある事象なりアイデアなりを表現しようとした時に咄嗟に出てくる表現が、一般常識と乖離したところに由来するものが多く、困っている。

例えば今日、「土木史フォーラム」のバックナンバーを読んでいて

ああ、おれは「跳ねる係」をやればいいんだな

と思った。

自分としてはひどく適切な比喩表現だと思うのだがそれは恐らく他の誰にも伝わらない。大分弁の「よだきい」を説明しなければならなくなった時と同じようなもどかしさがあり、かといって代替となる一般的表現もすぐには思い浮かばない。これこそ奇妙なポテンシャルでありその真骨頂であると言える。

これを読者に解説するためには数段のステップを踏まねばならない。解説しなければ伝わらない言葉ほど無益なものはないが何しろここは奇妙なポテンシャルに関する考察の場である。しないでいられない訳がない。

我が自転車部には「イノコ」という風習があった。 さらに呆れた顔が目に浮かぶが我慢できる方は我慢して読んでいただきたい。「イノコ」は合宿打ち上げやコンパのシメなど祝いの席の絶頂において行なわれる。祝いの対象となる者(以降仮に「被祝者」という言葉を宛てる)の四肢を掴んで空中で振り回すのである(図1)。囃し言葉もある。

イノコ 形態2イノコ 形態1

図1.イノコの動作模式図

イノコ イノコ
イノコ餅ついて
繁盛せい 繁盛せい

察せられる通り、イノコは関西地方に伝わる「亥の子突き」(亥の子祭)と関連があるらしい。陰暦10月の上の亥の日、藁を束ねて結わえた棒や、石を藁苞に入れたもの−−−これらを亥の子槌と呼ぶ地方もある−−−で地面を叩き五穀豊穣を願うという、古式床しい行事である。つまりイノコは被祝者を亥の子槌に見立てて振り回している訳である(しかも祝いのベクトルが微妙にずれているという可笑しみがそこにある。なお何故餅なのかは不明)。両者を区別するため「イノコ」というカナ書きを採用しておくが、ともかく我が部にはイノコがあった。裏イノコ捻りイノコ乗りイノコ等のヴァリエーションも存在しそれ相応の作法さえあったがここでは割愛する。結婚式の披露宴で突如乱入した後輩達によりイノコされ参列者の度胆を抜いたという逸話もあるがやはり割愛する。

それでようやくスタート地点に戻ってきた。イノコには非公式ながら「跳ねる係」というものが存在した。何しろイノコに直接参加できるのは被祝者を除いて4人までである。何故ならば人間には手足が4つしかないからだ。ゆえに祭りに参加したくともあぶれてしまうものが大勢出てしまう。そういう時、跳ねる係が登場する。

イノコ 形態4イノコ 形態3

図2.跳ねる係が加わったイノコの動作模式図

イノコ イノコ
イノコ餅ついて
繁盛せい 繁盛せい

何のことは無い、被祝者の上下動に合わせて跳ねるだけである。

さあ、ここまで丁寧に説明したのだ、なぜ「土木史フォーラム」を読んで跳ねる係の必要性を感じたか。判っていただけたことと思う。

[ORJ] 作業報告

OFF会の本編は一通り完成。pdf化してふせん等を入れる作業は今日中に終わるだろう。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ やの [あの囃しことばがエンドレスで聞こえ始めました。ああっ。]

_ nagajis [やはりありましたかっ!!!]


2007-07-23 作業報告 [長年日記] この日を編集

[ORJ] 愛宕山報告up・その他

がっつり働いたダス。全編up。今回はpdfの機能を使って遊んでもらうダス。

TUKAさんの旧橋もひとまず終える。+メモランダム。自分の旧橋は地図を描いて了(結構時間がかかってしまった)。ペースとしては悪くない。明日は旧橋と廃道を読むup。2ページだけだけどな>廃読

[独言] HDDがやばい@Letsnote Comm

ノートパソコンのHDDが悲鳴を上げている。文字通りの悲鳴だ。流体軸受けの静かなHDDだったはずなのに、シークするとギーーギーーギーーカコンッを繰り返すようになった。治ったり治らなかったりでバックアップのタイミングが計りづらい。でも間違いなくそのうち昇天するだろうという音だ。

いま現在この文章を打っているノートパソコンが一番よく使っているメインマシン(Macはオペレーヒョン専用だしWindows2000/BeOSのPrecision420はあまり使わないし)。PanasonicのLet'snote Comm。殆んど使わないWin2000と漢字調べにしか使っていない超漢字と普段使いのBeOSのトリプルブート。マシンそのものは最近ジャンクで入手したやつだがLet'snote Commは2002年の旅行前から使っていて地味にこれで3台目。そうしてHDDは2002年の旅行前に新品に差し替えたのをずっと使い回している。

思えばずいぶん酷使したHDDだ。ヒップバッグに入れて3カ月間自転車に乗っていた。ほとんど全ての峠を友にしている。よく壊れなかったものだと思う。それより先にキーボードが使えなくなってしまうのだ。いつも。

ひとまずBeの必要データはバックアップした。あとはWindowsでリカバリできる体勢を整えておかないと。何しろWinが入らんことにはBeOSも入れられない。


2007-07-24 作業した [長年日記] この日を編集

[ORJ] 廃読・旧橋(10)

ひゃあ、3ページになってしまった。230KBの半分がテキスト。旧橋は曲線法のコピーがクシャクシャニナッテタ・・・どうするか・・・どこまでもダメな回になってしまいそうな予感。

[ORJ] 愛宕山OFF報告

やはりアーティクルは鬼門だったか。でも多分鬼門の上楼甍の裏にこそ天の邪鬼は住むめり。画面比率に合わせて2パターン作るべし。で、おれがあべし。

アーティクルで画面が遷移する時に連続的にスクロールするようになればなあ。一瞬で切り替わるから余計な混乱を来すのだ。3Dオブジェクトの埋め込みよりそっちを先にやってくれ>Adobe。ってすでになってたりしたらヤだな。8.1出てます。

[ORJ] 寄稿あり□

実はtaiheiさんが中国地方の明治隧道projectを進めて下さっている。tunnel webのtaiheiさんだから内容は保証済みだ。全部は無理でも半分は次号に間に合わすべく(nagajisが)奮闘中。いただいたWordドキュメントで完全に組んで下さっているのでそれをイキにしないと勿体無いよなあ、ということで新たに版を起こさず.doc→PS→Distillerしてみたのだが、何故かシステムにあるはずのフォントが埋め込めず。一つひとつの文字を画像にしてくれやがる>MacのWord98。どないなっとんねん。

いやいや、taiheiさんのほうでpdf化して下さるっていうんだから何もしなくていいのか。一応、今後の寄稿も視野に入れて、実験。結果としては

  • フォントの置き換え
  • 余白の調整(一旦余白を大きく取る&95%に縮小印刷設定)
  • プリント→ファイルに保存
  • 蒸留
  • pdf上でトリミング変更

でレイアウトそのままのpdfを作ることができた。だからWordでかっつり作り込んでいただいても大丈夫、と。あとはWordのバージョン間の再現性だけだなあ...これが最大の案件ですが。(taiheiさんのは全くズレなかったのはちと驚いた)

...というかWindowsのWordを買えよって話か>ヲレ。で、PDFcreateにかけると。いや最近のは直接pdfにできるんだっけか(でも2kじゃ動かんだろうな)

[企画] 山行が通販部でバックナンバーCD取扱い開始

ヨッキ氏の所に送っておいたCDの販売が山行が通販部で始まってます。せっつくとヨッキれんサイン入りCDが定価+120円で購入できるぞ!少なくともthe-orj経由で購入するよりヤニ臭くないぞ!急げ諸氏諸嬢!(注:勝手なこと言ってますスミマセン)

ヨッキ氏の所での販売は新規層の開拓?に期待するのだけれど、それに任せて何もしない訳にもいかないよな。何かいいアイデアはないものか。

それよりも、真っ当な価値upができないか。+αの分に半ば期待して売っている現状はあんまりいいものじゃない。何か付加価値をつけて810円なり何なりで売れないものか。500円だと言った口で、いや違うな、打ち込んだこの手で何を書くかという話だが。「それは情報の価値が限りなく低くなっていくこの社会の中で編集をして食って行こうとする者の葛藤なのさ」。今なら鐘が坂の煉瓦のカケラがつきます!とか佐和山で水没したCDです!とか、全然嬉しくないアイデアなら幾らでも出てくるんだが。我ながら商売センスが皆無だと思う。

ちなみに9月から郵便局の民営化で振り込み手数料が120円になるとのこと。ということはthe-orj.orgで買って振り込むのと通販部で買うのと同じになるのよね。

[奇妙なポテンシャル] #14

何度か名前が出て来たことで察せられることと思うが、小生は筒井康隆の小説が好きだ。高校の頃にそのドタバタ・スプラクティックさに魅せられて読み始め、殆んど全ての作品をーーーえっと文庫本の古本でーーー集めて読んだ。今となっては「中隊長」以降の文体に多分に影響されていると思うがそう思うのはnagajisの勝手であり氏に失礼な話かも知らぬ。

酷くこんがらがった内容を硬い文体のままですらすら読ませる氏の力量に魅せられるが、それを真似たところで足元にも及ばないし何よりオリジナリティがない。硬い文章で酷くこんがらがった内容をこんがらがったまま提示する自分に「コレハオレノカキカタナンダ」と開きなおってみてもそれは開きなおりでしかなく、困ったものだとつくづく思う。そこに柳田國男の影響まで受けているものだから始末に負えない。まるで駄目文章の見本みたようなものではないか。

そういう自分の書き方をどう命名したら良かろうかと思案した結果、

凝古文

というワードを思い付いた。いかにもガチガチの古くさい文章だというのが伝わりそうな気がする。読みはぎょうこぶんでもぎこぶんでもいい。自分にそのワードが相応しいかどうかは別としてワードそのものに奇妙なポテンシャルを感じた昨今。


2007-07-26 あと5日 [長年日記] この日を編集

[ORJ] TRDB

表紙を作ってみたが記事(タイトル)が少なくちょいと寂しい感じ。慌ててTRDBのでっちあげにかかる。その中でちょっとした発見あり。「キリズシのトンネル」=「清水堀り」説浮上。読めないと思っていたあの彫り文字、今読み直すとどう読んでも「シ水ボリ」なんだよな。その左が深水。右端が「小田」ナントカと読めるのだがこれは該当する地名がない。あと何故か「くり」と落書されている。何なんだくり。あのくりか。

いずれにしても総ページ数は大変少ない号になりそう。それでもOFF会のしおりは冗長になるから入れない。サーバに置いておきますので。

[独言] あちこち侵出しはじめたnagajis

繁盛せい、反情勢。KINIASからリンクを張つてくださつた(加古川の見学報告書に)。nagajisを1匹見たら0.5匹いると思ってください。半分はフェイクか受付だ。自分で書いておいて何を言っているのか解らない。

一応私個人のサイトではない旨をお伝えした、というのは書かんでもええか。むしろ8月にリンク切れるので別所に置いたという小心さを書くべきではないのか。


2007-07-27 [長年日記] この日を編集

[奇妙なポテンシャル] #15

夢は奇妙なポテンシャルの宝庫であると思う。昨日もこんな夢を見て身悶えした。再現率はほぼ100%である。

画像の説明 オリンピックに出ている。○○オリンピックとかいう紛い物ではなく本当のOLYMPICである。競技はハンマースロー。現実にハンマースローといえば室伏選手の活躍で御存じの通りな「投げる」競技なのだが、いま自分が出ているのはちょっと違う。スローされたハンマーをキャッチする、強いて言えば「スローハンマーキャッチ」とでも言うべき競技である。しかもそのハンマーは本物のハンマーだ。金槌の親玉だ。
 ハンマーの柄の尻に皮ヒモがついていて、誰かがこいつをスローする。競技者はスローされたハンマーのハンマー部をよけつつ、皮ヒモ部分を捕まえることでキャッチしなければならない。失敗すれば大怪我どころの話ではない、大変危険な競技である。

画像の説明 自分はいきなり決勝戦にいる。最後の一投が投げられる。落下点に押し寄せる競技相手を押さえつつ、ジャンプ一番。左手で掴もうとした皮ヒモの輪にスルっと腕が入ってしまう。意図せぬ大技。そうして自分は優勝してしまった。

画像の説明 オリンピックで優勝する、という普段考えたこともない状況に置かれてちょっとうろたえた。本当におれ、優勝していいの??? しかし何の咎めもなく今、与えられたメダルが目の前にある。正確に言えばメダルを収めた箱だ。よくある羅紗張りのケースで、とても濃い紺色をしている。ナス紺にスミ50%くらい加えた色だ。蓋の左上に象眼で種目名が書かれている。平行四辺形の連なりの中に1文字ずつで書かれた種目名はちょっとFIATのロゴに似ていなくもない。(しかし今考えてみれば日本語で書かれているのはちょっとどうかと思う。図にしたらしたで錯視酷いし)

画像の説明 蓋を開けると内側にも文字が書かれていた。「パンのことなら小倉屋本舗」。スポンサーらしいのだ。小倉屋本舗が。そうかオリンピックだからな、いろんなスポンサーがあらぁな。と変な納得をするおれ。その違和感にはまるっきり気がついていない。

画像の説明 手にしたメダルはひどくくすんだ色をしている。ピカピカと輝くようなものでは決してなく、まるでズボンのポケットの中に入れたまま洗濯したうえ1週間生乾きで放置した後の500円玉のような色だ。ひでえなあ、金メダルのくせに錆びてやしないか。そう思って布で拭いていると、それが単なる金メダルではなく半分が銀になっていることを知る。そうだった、同点で1位が二人いたんだっけ。で、金メダルと銀メダルを半分ずつにして。今思えば「友情のメダルかよ!」とツッコミたくなるが夢の中の自分はさもそれがルールとばかりの納得をしている。しかしもうちょっとうまく切れなかったのか。縦半分でも横半分でもない、79度くらいのいやらしい角度で切り分けられ繋げられている。

画像の説明 何気なく箱の裏を見ると、裏にも競技名が書かれていた。こちらは「走り幅跳び」だ。あれ、おれ走り幅跳びに出たんだッけ? いやいや、これは運営委員会が経費をケチッて作り損ないの箱を流用しているのだ。オリンピックの運営も財政難で大変なのだろう。そう納得して、流用に腹が立ったりはしない。オリンピックで優勝したことには変わりなく、それはそれとしてメダルとは全く独立した誇りではないか。とはいえちょっとどうかと思わなかった訳でもなく。何か釈然としないが納得するのが吉、みたいな。

 そういえば、優勝者には賞金も出るんじゃなかったっけ。慌てて添付?の書類を読む。$149という文字が見える。え、たったこれだけ? と思ったら「million」がついていた。す、すげー!!!149ひゃくまんどるだぁー!!! とっさに円換算できなくったって大金であることに間違いないことはわかる。そしてすぐ

これで心置きなく「日本の廃道」が作れるッ!!専念できるッ!!

 と思って、嬉しくなった。いや、これは決して嘘でも義務心からでも受け狙いでもない。夢の中でさえ本当にそう思ったのだからおれはおれ自身がどうかしていると思うのだ。

 辛かったこれまでの作業が思い出される。お金のこと、もう心配しなくていいんだ...。そんな幸せな気分に浸りながら、メダルを握りしめたまま横になり、うとうととしてしまうおれ。ハッ、これ夢じゃないよな? と思って目が覚めて、確かにメダルを握っていることを確認した。硬い手触り。箱もある。良かった、夢じゃないよ。ウフフ………………。

 と思ったところで目が覚めた。
 一際寂しい朝のひととき。


2007-07-28 作業報告:独言=1:4 [長年日記] この日を編集

[ORJ] 明治隧道、TRDB

taiheiさん作のpdfにnagajisがオマケを加えてほぼ完成。ピカさん以来のpdf入稿、何とかクリアできそうだ(自分が)。実際、自身の手でレイアウトを組むのは大変なことだと思う。その大変さも含めてtaiheiさんオリジナルな記事が出来たのではないだろうか。

あわせてTRDBもほぼup。ちょうどtaiheiさんがキリズシに行かれていたので情報と写真を拝借することに。峠道の肝心な場所をnagajisは撮り忘れているうえ記憶もずいぶんあいまいになっている。考えてみれば2年前の5月なんだよなー。早いものだ。

残りは明日明後日に働いて、1日発行を目指す。目指すったら目指す。

[独言] しかしメインマシン(Comm)が

お亡くなり寸前。ギーギー言って起動しなくなったり。。。メールが嫁ねえよウワァァァン!と思ったらとある場所のwebメールでpop受信できるようにしてたのだった。とりあえずnagajis_at_会員数No.1(らしい)とnagajis_at_the-orjは受信できます(あ、あとgoogleさんも)。返信はthe-orjから。それ以外は切り捨てられる可能性大ですごめんなさい。

CD注文のメールを自動で拾うscriptもcommでしか確認してないんだよな・・・旧メインマシンのprecisionでやるか・・・。スクリプト自体はこの間バックアップを取ったから大丈夫だと思うんだけど、改造attribute.pm入れてたッけ? まー最近はCDの注文もあんまりないし大丈夫だよね・・・と思ったら1つ入ってた(汗。明日(28日)にはきっと発送します。いざとなれば手動でもできるし大丈夫だよね>nagajis。

[独言] CD

先日えらい所に納入されてしまつた。販売先の情報は接して、もとい決して漏らして来なかったのだが(ウソだと思ったら編集部に聞いてみなさい)、今回ばかりは言わないと腹が膨れて仕方がなく、ここに書きたくてうずうずしているのだけれども、それでは販売ページの約束を破ってしまうことになり、やはり書くことができない。ということを書くことで自分がいま感じているもどかしさを皆さんにもお裾分けする。案外「折り箸が無関係」とかで陳列却下されたりして(汗

[奇妙なポテンシャル] #16

有言不実行

幽玄フジッコ

は余りにも似ている。それはイ・ソジンとイソジンが似ていること以上のポテンシャルを有していると信じて疑わない。何しろお豆さんが幽玄なのだ。観阿弥世阿弥の申楽談義の世界、「全て言い得て何かやある」領域に佃煮が存在するのだ。大和の山田大夫の五男がイソフラボンだったりするに違いないのだ。

…と、捲し立ててはみたものの、そこから先がつながらない。これは理論に一抹の瑕疵があるせいだと思う。「有言不実行」とは普通言わない。

「有言不実行」の例がない訳ではない。自分などはまさに「有言不実行」の人である(と威張っても仕方ないが)。例えばTシャツ。この夏に作るぜ!と言っておきながらまだできてない。先日のMacさん昇天によりデータも飛んだ故出せるかどうかも正直わからない。例えばCD#2。取り掛かり出した1週間ほどは頑張ったのだがやはり中断して今に至っている。CD#1という前科もある。

だからもし、nagajisが何かをしようとした時には「またか・・・」などと思わずに老松を背景に三番叟を舞うカスピ海ヨーグルトとか小気味良い小鼓の音がする黒酢大豆とかを思って気を紛らわしてほしいと思う。そのほうがきっと体にいいはずだ。

。おい、そんな結論か。


2007-07-30 暮れの作業報告 [長年日記] この日を編集

[ORJ]

ひととおりpdfを仕上げたところで、8日に聞いて来た「近世以前土木構造物調査」の件を書き始める。ごく簡単な文字文字したのになるだろう(間に合えば)。つうかヨッキ氏原稿クレ。

[独言] 日本の硬貨について

奇妙なポテンシャルに分類しようかとも思ったが明らかに発展しそうにないトリビアレベルの詰まらぬことなので独言扱い。硬貨についてちょっとした発見があった。

50円玉と100円玉だけ、年号表記がアラビア数字だ

だから何なんだと言われても仕方がないが。1円、5円、10円、500円玉は漢数字で作られている。1〜10円は作られ始めた時期が早い(筈だ)から漢数字でも不思議でないが、昭和57年に製造開始の500円玉が漢数字なのはなぜなのか。一国の貨幣制度という秩序の見本みたような体系の中にこっそりと潜む綻び。おそるべしニッケル硬貨。それ言い出したら10円玉だけ建築物が描かれているぞ、という言い方もできるのだが。

[独言] 酔ったついでに

誤変換ネタ。

名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 香具師の身一つ

嫌すぎ。柳田翁に叱られたり島崎藤村に破戎されたりする前に寝る。


2007-07-31 担当分終了 [長年日記] この日を編集

[ORJ][近世以前土木] 近世以前土木ほかup

内容的にはこの部録"で書いてもいいような薄さだが(だってnagajisの感想文なんだもん)、皆さんに協力をお願いしているのだからそういう訳にはいかない。記録として残しておかないと。特に「ナニを挙げたらいいの?」という方には参考になるかも知れない情報なのだから。なお8月半ばからサイトをリニューアルして近世以前土木調査の件(リストへのリンク等)もトップページからたどれるようにしたく候。8月はもうちっと働かんとな>nagajis

そのほか、次号予告や表紙やREARTYREやhyなど一通りをupする。仮組も完了。リンクも終えた。nagajisの建前上の任務は完了。のはず。もう一度チェックしとくか。

で、ヨッキ氏どーすんのよ。

[] 8月の予定

盆休みなんてない。その見返り(代休とか給与とか)がある訳でもなく。クソッタレだ。。

次号予告にも書いた通り(と期待させておいて実は実がないからな>次号予告。いつものことだが)8月のどこかの日曜日に「徳川道」を通ってみたい。あとは府立図書館で職員録とにらめっこ。埼玉には、行けるかどうか・・・。そうして秋の市蔵新道の資料探しも、自分のほうでもしておきたい。

確かあの辺りは走っているんだよなあ・・・深い谷の続く箇所で、国道でさえ「よくまあこんな所を道通したもんだ」と思った覚えがある。それなのに、その対岸に。全長は短いが近世以前の道としてもぜひ拾っておきたいところだ。

その他、webを整理しておかないとな。あ、バックナンバーCD#2もある。Tシャツもある。

山積みもいいところ。。。

[独言]

ここで一発、奇妙なポテンシャルに関する考察をぶちかましたら男が上がるだろうとは決して思わないが、なんとなく、つい出来心で、何か書きたくなってしまう。動機が不純なので独言扱いとする。

スパゲティを折ると必ず3本以上に折れる

という。昨年度のイグノーベル物理学賞を受賞した、歴とした研究である。brief noteを読むと確かに真面目なモデリングと物理的解析がなされていて面白い。何でも一端を固定端とする弾性棒と見なして反対側にモーメントをかけ一気に開放するモデルを考えると、衝撃波が固定端で反射されて増幅し、スパゲティが破断する力を(あちこちで)越えてしまうらしい(もしくはスパの中途が一種の固定端になる??)。実際にやってみても、サイトで紹介されているような綺麗な破断は起きないもののーーーMade in Japanな麺だったしなーーー、10回中8回くらいは3本以上に折れるから不思議だ。皆さんもぜひお試しあれ。そのかわりとても食いにくいスパゲティが出来上がることになるが。あとソーメンひやむぎの類では起こらなかった。弾性が足りないのか。

畢竟、学問・科学とはまさにこういうものなのではないかしらん。「なぜ?」「どうして?」を突き詰めればそれが学問になる。理論的に考えて自然法則に従うと見倣せるならばその考察は科学と言える。奇妙なポテンシャルも追求すれば学問や科学になり得るのではないか。いや、その一歩手前のスパ麺くらいにはなるはず。いや、どうあがいても食えないか。気弱に終わる。


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