nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
窯築造費の1万円、田原工場建設+資本金の1万円を借用→未納分が16140円弱、その利子は棄損扱い、この未納分を朝山が旧公債証書で代納。それとは別に繰替金残余5900円分があって、それを粟生が負担したのだ。全部足したら22040円。南部に泣きついた時の額。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1528093/1/455
明治19年4~5月に西尾士族生産所を見学した記録があり、この中で生産所が鉄道局御用の煉瓦を製造していたこと、その寸法が 9 x 4-1/2 x 3 in であったことが明記されている。3インチ規格の寸法を明示した数少ない記録。つーか現時点では唯一。鉄道局側にもそれを書いたものはないのだ。
偶々見つけたこの資料で知りたかったことの多くを知れた。街なかで意図せず刻印煉瓦に出会った時のようなうれしさありがたさ。
書き尽くした。知り得たことは全部書いた。書きたいこと全部書いた。読む方は嫌になること請け合い。どんどん目が悪くなってきてPC画面を見るのも辛くなっている昨今なので、本当に書けなくなる前に書き終えられてよかったと思う。
表題は海音寺潮五郎ではなく鉄道省。三部作は読んじゃないからな。
書きたいことを片付けている最中は他のことを書く暇がないのでここも後回しになりがち。おお仕事を終えたので多少は書く余裕が出てくるかも知れないが先述の如くなのでそう続かないと思う。
この時期まで待てば昼間に見れるんだ。それが待てないから夜中の0時とかに行って風邪引いたんだ。O.P.+30くらいまでは干潟全体が露出してるので安心してよい。
何回捜しても初代井筒の断片は見つからない。もし行っているとすれば海老江干潟のほうだと思うのだが、淀川左岸線の工事のせいであと10年入れないらしいからなクソ。
徳島県阿南市町筋。那賀川のほとり。たぶん若鮎街区公園。