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旧道倶樂部録"

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1942-06-01 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月一日 月曜日 晴

早前期も半ばを過ぎんとし今から前期の総仕上なり。即ち正々堂々戦わん。
授業は久しくの休により以〔意〕外に要領を解し得ずして始の中は本気出でず。午後旅行携行品の検査・柔道あり。柔道の際又も腕はれ手の自由を奪わる。
平凡なる一日に過ぎず。一日一善を為さんと決心したり。


1942-06-02 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月二日 火曜日 晴

昨日のきずの為練兵休になり戸山学校教官殿の指導をも受くること能わずして残念。無為の日。
八板生徒監は昨日我々と別れをつげて今日夕上京せられたり。何となれば陸大専攻〔「攻」朱線で消〕科に入学された故なり。別れ亦残念の点なり。別れに臨まれ言われしことは
一、死生論ずるに足らず。本分に邁進すべし
一、部下を持ちたれば愛を以て教育せよ
一、物事をなすにあたりては何事も力なり
佐中の先生、石田・久保田先生見学に来られ一泊の予定。


1942-06-03 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月三日 水曜日 曇後雨

午前中佐中より副島先生他生徒五十五名見学に来られたり。佐賀中学如何に陸幼受験に努めをらるゝや知るべし。然し残念ながらひまなくして話しするを得ず。
午後郊外訓育あり。即ち高等工業に行き高圧電気実験・音波実験等数種ありたれど予定の液体空気実験が機械不良の為すること能わざりしは遺憾の点なりき。途中雨に逢う。自習開始十九時十分なりき。愉快の日なりき。


1942-06-04 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月四日 木曜日 雨

梅雨となりたるか早雨は降り出したり。然して終日降る。誕生日会ありて、食後直ちに月例身体検査あり。されど五月に比し余り何物も増加せず。術科は工作計算力の見方を習う。随意運動時は一年の者と話す。一層の奮励を求む、何故昨年中期の如き精出でざるか、残念なり。家より時計送り来たり。此の品こそ紛失せず。


1942-06-05 マダガスカル島・豪シドニー港戦況 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月五日 金曜日 晴

天気当に日本晴なり。診断十五時三十分より劇動級となる。術科・剣術・教練なりき。夕食後台上の切磋会を行う場所に棒を中心に半径五米の円を画きたる芝植をなす。
戦況ニュース
我が特殊潜航艇は五月三十一日未明阿弗利加の印度洋にあるマダガスカル島タマタヴ〔朱消線〕湾内に潜入、英戦艦クゥインエリザベス(三万一千トン)及び乙巡一隻撃沈〔破〕す。
同時〔日夜〕シドニー港に於て英戦〔軍〕艦一隻撃沈したり。


1942-06-06 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月六日 土曜日 曇後雨

朝の天気いずこへか午後に至りて雨となる。午後は教練後赤痢予防接種あり。されどあまり痛からず。
我が父の誕生日なり。されど父はおられず。家にては此の日赤飯をたきて昔の名残を惜しむとぞ


1942-06-07 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月七日 日曜日 雨

日曜日と雨はつき物なり。思うに四月以来半分は雨天なり。今日は外出者少なく大方は校内特に、午後は生集に行く。予は起床後直ちに点呼取らずして三十分間みっちり剣術をなす。服装検査は八時半。午前中は自習室にて勉強し、手紙を九枚書く。午後生集に過す。十六時半頃より雨やみたる故軍歌演習ありて雨より出で存分に声を出す。


1942-06-08 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 六月八日 月曜日 晴

大詔奉載日なり。定例行事は毎月同じなるが今日は当に開戦以来六ヶ月を経ておる〔たり〕。其の間の戦闘、誠に、我々として心に充分感謝せざるべからず。
独乙語は斉藤教官殿休まれて、三浦教官殿のベートーベンの話あり。彼は三十前後にして耳が聞えなくなり非常に苦をなめたりと。
午後は十三時より生徒監殿話あり。診断の結果治癒となる。教練は被甲のつけ方のけ方なりき。柔道は見学す。(大内刈)。防暑衣袴渡されたるが、此の一枚々々衣袴が銃後国民の各々の努力に依り作られたるかを考うれば之等の服をあらヽしくぞんざいに着用する気にはなれず。十分愛護して使わん。随意運動時は今日の予非常に調子がよく、充分なる活動行えり。


1942-06-09 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月九日 火曜日 曇

久方振りに体操をなすも、一週間の休養に依り、以前に比しやゝ腕にきつさを感ずるも、調子より行われ鉄棒の際は豆を七つ作り、今回二度となすを得。斯かること非常に可とする所なり。夕食後台上の芝植工をなす。


1942-06-10 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月十日 水曜日 晴

朝より清爽なる日にて涼しき夏の朝の範を克く表わしいたり。故に朝より外套を芝生の上にほす。午後は続けて草かりなりき。随意運動時には、三年振りに、空中回転をなし怖よりはなれ、将校に必要なる決断力及び体の錬磨に努めたり。午後続けて四時間日光に照らされ、爽快なる気分を得ると共に皮膚の鍛錬になりたり。
熊本市に於ては本日十三時より二十一時に至る間防空演習を行えり。


1942-06-11 アリューシャン戦・ミッドウェー海戦戦果 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 六月十一日 木曜日 晴

今日より梅雨なれど僅かも似ず夏日和なりき。午前中の頭脳の鍛錬より剣術・体操の運動に入る。何と清なる哉。終日昨日のちょう躍のみの運動のためもゝが痛し。今日も各方面に錬えたり。何よりも嬉しかりしは腕力が非常に増加したることなり。
六月四日・七日の、アリューシャン群島・ミッドウェー島方面の海戦々果左の如し
一、ダッチハーバーにて米機十四機撃墜 島には陸軍部隊も上陸しつつあり。
二、ミッドウェーに於て
一万九千九百トンの米航空母艦二隻撃沈。残るは二隻、
米機百二十機撃墜
我が方の損害
一、航母一隻撃沈、航母・巡各一隻大破
二、未還の飛行きは三十数き


1942-06-12 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月十二日 金曜日 曇

今日は未だ曾て今年になき暑き日なりき。又昨日の疲れに伴ないて授業中は意識朦朧として余りわからざりき、されど術科となりて、元気大いに出で午前の疲れいづこへかと思いたり。運動班運動は二年のみ剣術をなし約三十分を憩わず続けて八人となす。その為暑くて汗の出づること此の上なく水をかぶりて漸く止まる。十七時まで亦体操をなす。疲の中にも調子は良好。鍛錬々々なり。体力の向上が目的なり。武技の錬磨


1942-06-13 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月十三日 土曜日 雨

雨は午後に至りて益〃悪化す故に午後の体操を取止めて相撲なりき〔「撲」字朱訂正〕。即ち裸体にて雨中を土俵に行き元気になしたり。十五時より接種あり。〇・六瓦なりき。雨の為以後今まで自習室に過す。門松は感冒のため就寝許可となる。


1942-06-14 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月十四日 日曜日 雨

いよヽ梅雨となりたるか。終日早朝より大雨にて降りては止み止みては大降りとそれが五回程続きしが十五時頃よりは益〃本降りとなり今に至る。点呼後直ちに剣術をなす。我ながら以前とは大部上手になれるを知る。いよヽ武を練り、おとろえつゝある熊幼伝統の精神の表〔現〕われなる剣術を将来の立派なる伝統として残さん。雨の為外出者少なし。予は午前中三時間物理を続けてなし、午後は集会所に伝統〔「統」字に朱傍線と「?」〕を読む。予近日に於て、源兵盛衰時代の書を最も好みて読みたし。今日は北条時宗伝を読む。
一番湯に半年振りに入り澄みて清きこと此の上なく爽快の気を思わしむ。夕食後は軍歌演習なくして食堂に於て学年全部の談話会あり。


1942-06-15 九九式短小銃授与 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月十五日 月曜日 曇

命令に依り今日より防暑衣袴を着用せしが、十二時頃まで震えいたり。誠に近日にふさわしからざる寒き日なりき。
午後九九式短小銃を授与されたり。いよいよ銃を与えられたるかと考うると何気なく心の緊張を覚ゆ。五時間目は銃の諸元に付き学科あり。次は柔道。随意時間にも夕食後も手入れに、一苦労をなす。
三年生は終日射撃に行かれたり。


1942-06-16 ミッドウェー海戦戦果追記 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月十六日 火曜日 晴

父の命日なり。今日にて四十四ヶ月にもなりたるか。朝は銃の手入についやせり。昼食後一年二訓の生徒監となられる阿久津大尉殿に対する命課布達式あり。六時限は剣術、七時限は訓育学科銃の名称・手入等あり。
先日ミッドウェーに於ける海戦に於て、更に甲巡一隻を撃沈したり。飛行機撃破数一五〇に及べり。


1942-06-17 特別攻撃隊 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月十七日 水曜日 曇時々雨

午後郊外演習あり即ち神園山登山をなす。往復四里なりき。山頂にて宮本武蔵・大津街道の話あり。半ば雨中の行軍なりしが復りは立田山よりよく帰ることを得たり。
修身は特別攻撃隊の話なりき。
予銃床のうるしぬりの為両手共うるしまけしたり。予の最も苦労するものなり。


1942-06-18 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月十八日 木曜日 雨

大雨なりき。昨日よりのうるし負けに依りかゆさに苦労す。然も全身に無数に生じたり。
午後教練・体操いずれも舎内にてあり。十五時四十分より大講堂に於て部長殿訓話ありその内容は教育総監閣下の話と予科にいる四十三期生の話なりき。


1942-06-19 ダッチハーバー戦戦果追記 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月十九日 金曜日 雨

手はうるしになやまされ、天は憤り、鍛錬的に見てもめぐまれざる日なりき。かゝる状態にありては体力おとろえるのみなり。〔欄外朱:「素力は衰うべからず」〕
自習室にて教練あり後十四時四十分より血沈検査あり、予は八・七五粍なりき。運動班運動は柔道。予は左手うるしの為きかざる如くなる。残念
先日ダッチハーバーに於ける戦果は敵機二十一機撃墜、軍需し設約半数に損害を与えたること判明せり。


1942-06-20 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月二十日 土曜日 雨

正后を以て寝室取締を終了し、取締となる。元気は依然として前日に同じ。午後は剣術を見学、次の銃の手入法も充分ならず遂に右手をもきかなくなりぬ。夕食後集会所に於て四と共に運動班会あり。


1942-06-21 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月二十一日 日曜日 雨後曇

五時に起床し皆は運動班にて雨中を武蔵塚まで行きしも予は行かず。七時までに帰りたり。服装検査なし。十時半まで夕も十九時二十五分まで手の治療ををなす。勉強は全くせずして午後は集会所に遊ぶ。字書くのに難かる故なす気になれず。
幼年学校より初めて地方中等学生柔道試合をなし十人中八人は勝たれたり。


1942-06-22 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月二十二日 月曜日 晴後雨

近日目ずらしき晴天なる故朝より諸々を乾したり。されど二十時二十分に至り大風となり。三十五分過大雨となれり。晴れたる故後日をあやしみ体力機能力検査あり。然し予は掌もうるし負の故参加せず。実に残念なり。此の快い日に残念なり。柔道は試合なりき。


1942-06-23 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月二十三日 火曜日 雨後曇

今日亦雨なりき。唱歌の後七時限目は体操なりき。即ち柔道場に於て「マット」「バック」を利用して回転運動なりき。うるしもからびたれば非常に好調にて十分目的を達成したり。治療は十九時二十分まで罹りたり。掌のうるしのからびつゝあるは喜とする所なり。


1942-06-24 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月二十四日 水曜日 晴後雨

朝に霧かゝりしが昼は晴天なりしが持久駈歩の際〔最〕中約十五分に至り雷鳴と共に雨を見る。未だ露〔梅雨〕は過ぎざるか。
取締を終う。午後は体力機能力検査あり
 懸垂 十八回
 投擲 四十米突
 二千米 七分二十秒
二千米は訓育班にて一番にて生徒監殿より褒められ恐縮したり。
うるしは九十%まではからびたり。最も喜とす。腕の不自由亦知るべし。昨日よりエビオスをのむ。今日は愉快なる日なりき。


1942-06-25 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月二十五日 木曜日 雨

亦しとヽ雨なりき。午後は剣術・訓話なり。思うに予は小銃を授与されしより手入・うるし負けの手入等に自〔時〕間を有利に用うることあらざりき。人々が机につきて学ぶを見てうらやましく感じたる次第なり。七月に至るまで一心塵界をはなれ而して努めん。
 為せば成る成さねばならぬ何事も
  成らぬは人の為さねなりけり
実にも然り。精神と意気。必勝の信念然〔而〕して攻撃精神。がんばり持久力必要なり。


1942-06-26 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月二十六日 金曜日 雨後晴

今日は実に鍛錬の日なりき。即ち午後予と森木と其他行わざる者のみ体力機能力検査あり。
走巾跳 四米八四糎
運搬31K 九秒二
百米 十四秒二
計三十九点をとり優秀をしめしたり。なお益頑張るべし。〔欄外朱「見事なり尚勉めて胸囲の拡張を図れ」〕
運動班運動はぶゝづけ三年五人とあたり平常に比し大分価値ありき。後益〃剣術に励み我が第三運動班の熊幼の名声をあげんがため又鍛錬のために努めん。


1942-06-27 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月二十七日 土曜日 曇

午後は教練・剣術あり。予は剣術終了後二十五分間剣術なしあとは柔道をなす。当に教練の必要を知る。
土曜の夕食後は切磋〔石偏抜け朱訂正〕会あり。伊東さん曰く、試験も近づきたれば正々堂々一心に勉強すべしと。而に然り。

〔nagajis:「而に」は不分明〕


1942-06-28 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月二十八日 日曜日 晴

約三十分の剣術を終え直に運動衣袴を着して校庭に出で七時三十分の朝食まで運動をなす。八時服装検査。午後二時半集会所に行きし他は殆ど意を学習に用いたり。十八時より軍歌演習、終に除草をなす。


1942-06-29 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月二十九日 月曜日 雨

点呼の際除草をなす。朝を除き他はしとヽと雨なりき。教授部にては生理衛生の訓育部にては学科・柔道・剣術の考査あり。柔道にては平川より忽ちにして破られたり。残念なり。無念なり。益〃武道鍛錬の必要をおぼえたり。


1942-06-30 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]六月三十日 火曜日 雨後曇

午後は体操考査後作業ありて九九式短歩銃の構造機能あり。六月も今日を以て終り、いよヽ明日からは七月、期末考査も終えたれば残りは遊泳演習・夏季休暇なり。あと算うるに四十五日なり。総仕上の月七月を有意義に過さんことを覚悟す。


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