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旧道倶樂部録"

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1943-04-01 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月一日 木 晴

四十五期は三年に進級す。今日より日課時限改まりて五時半起床、二十一時半消灯となりぬ。朝三十五分自習あり。一段と自習時間が増したり。今日は四十七期入校式にして十一時より挙行されたり。校長訓示には幼年学校の重大なる使命、国家の悦なること、二・三年への指導等につきありたり。十三時父兄と共に会食す。十四時半より進級入学申告・体力章授与・同申告ありたり。我は甲体力章を授与されたり。訓育部命令により我は第三運動班副班長を命ぜられたり。部長殿に申告の際部長殿曰く、運動班対抗になりて不和になること勿れ。飽くまで学校の進歩の為と思いて職務を全うすべしと。第三の為なすを此に以上に固めたり。中講堂掃除をなす。終日真面目に努めたり。三年となりての自覚に依るなり。一年は躾にて我も入校当初がしのばれたり。良好にして桜花も開き天気も良好にして今日は誠に愉快なりき。


1943-04-02 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月二日 金 晴

起床時より校長殿は来られて見られたり。校長殿が此の熱意なる故我等は其れ以上に奮励せざるべからざる事を感じたり。今日より一年生の食卓に模範たるべく行く。今が最も真面目なりと思われたり。授業開始にて、愉快に四時間をなしたり。独乙語は三班(一・三・五班に学年を分つ)に数学は二班になりたり。午後は工作にて滑空訓練の目的・注意・機の名称及び機能を田中教官殿より学びたり。運動班運動は二年不在にて三年のみにて籠球をなす。夕食後新入生と面接あり。二訓は保育班なる故極めて体小なり。第一日目の印象は愉快にして能率大なりき。此の意気にて三年を過さん。


1943-04-03 高千穂丸・熊幼生の一部無事確認 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月三日 土 曇

神武天皇祭なり。昨夜二十三時非常呼集ありて軍装にて藤崎宮へ交換駈歩にて往き誰よりも早く三日零時参拝したり。復りは連続軍歌演習なりき。一時十五分帰校し二時就寝したり。極めて愉快なりき。六時半起床。八時半より田村教官殿の記念講演ありて、 神武天皇御東征の精神が、八紘為宇の精神が如何に大東亜戦争下の今日如何にそれが同一にして又必要なるかを感じたり。以後隋〔随〕意にして午後は休養なる故運動班長引率により水源地・八景水谷に行き、そこにて一時間休憩したり。そこにて御子供三人づれの部長殿に会いて、宮國台湾より帰りたる旨伝えられたり。然し乍ら疲労にて熱あり面会は禁ぜられたり。牧場の桜も見て十六時半帰校す。二、三年の和親、桜を見て浩然の気を養う目的は遺憾なく達成せられたりと思う。早朝より消灯まで誠に有意義なる日なりき。一年生は可憐なるものなる哉。それに反して、二年の或個人に対しては面白からざる気分起り遺憾なり〔一文朱傍線、欄外朱「人を相手とせず天を相手とせよ」〕。我が心を知れる宮内をして三年について来る事に努めん。良好。


1943-04-04 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月四日 日 雨

五時起床にて棒倒しの予定なりしも雨の為中止し剣術に行く。暑き故に相当にきつかりき。八時より外出の服装にて柔道場に於て勅諭奉読を行う。一月四日に行わざりし者あるにつき、学期の始めに於て行えとの校長殿御意図なり。午前中休養・学習、午後は集会所に於て一年の古賀・大場と語る。十六時帰り三十分眠る。我は現在副班長なるを以て一年の食卓にあるも次第に姓を顔を覚えたるか愉快になりたり。無邪気にして元気溌剌たり。我等も斯くありたるかと、つくヾと入校当時が思われたり。やゝ遊び過ぎたるも一年の心を知り、今日の効果大なり。一年の彼の意気にて今後頑張ることを覚悟したり。良好なり。日曜なる故二十一時消灯なり。


1943-04-05 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月五日 月 晴

〔欄外:今日二十一時半警戒警報発せられたり。支那の航空基地あやしう、敵空母が姿をくらましたるによる。〕

五時起床にて午前中五時間授業ありたり。起床も朝食も早き故昼近くなりて眠く然〔而〕して空腹を覚えたり。月例身体検査あり。
身長 一六四・八糎 胸囲 八三・五糎
体重 五七・〇瓩  視力 右一・五 左一・二
随意運動は課目が定められて今日は剣術なりき。一年は熊本城見学なりき。今日も亦緊張したる愉快な日にて特に一年と話すべく食事が待遠しくなりたり。良好なり。


1943-04-06 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月六日 火 曇後雨

朝より危き天候なりたるも遂に十一時には雨となりぬ。午後は作業・音楽にて随意運動には柔道をなす。柔道を最も好めばなり。校長殿個人訓育ありて第三学年に於ける覚悟の程を示したり。学科は独乙語・国漢乙を主としてなさん。今の調子を続くるべし。夕食後田代生徒監殿の下に予科士官学校の事を承りに行く。誠に有益なる話なりき。皇居遥拝を一生欠かさざることを誓いたり。軍人否日本国民たるべき者最も必要事項に非ずや。今日も亦心にやましからざる日なりき。良好なり。


1943-04-07 高千穂丸生還者座談 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月七日 水 曇後雨

今日は朝起床時より相当に緊張し張切りてやりたり。午後は学年会にて雨の為兜山上にてなし得ず柔道場にて角力・座団会・宮國の高千穂丸遭難の話・切磋会を実施したり。角力は六人抜きて優退したり。高千穂丸にては宮国・松尾が一組にて平田・川原・松浦が別になりいたる故他三名は不明なりと。唯ボートに乗る際平田と不思議にめぐり会いたりと。松尾は二発目の命中にて側にかたむける際壁につきいたるも歩かんとせしも軍靴の為すべり手すりにぶつかり、ついで其の傍に浮きしボートに乗らんとして波の為船はなれし故その間にはまり沈みしまゝなりと。横になり右舷より水に入りついで後を先に棒立ちとなりて沈めりと。然して助かりし者は主として左舷にありたる者なりと。
三年としての覚悟を新にしたり。自習時間は全く数学に用いたり。良好。
今日初めてドル夫人の独逸語会話授業ありたり。


1943-04-08  八冊目 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]八冊目

昭和十八年四月八日起

第三学年第三学班

[陸幼日記]四月八日 木曜日 雨

夜半より雨風強くして熟睡すること能わず。終日底冷えのするが如き日なりき。
大詔奉戴日にして前例の如く教は雨天の為大講堂に於て七時半より行事行われたり。高千穂丸遭難に照して一層米英撃滅の憤怒に燃えたり。午後は誕生日会にして校長殿は率先和歌を詠ぜられたり。剣術・自習・柔道あり。柔道は愉快にtたまらざるなり。
一年は今日より愈〃躾も終りて授業・術科が始まれり。頗る緊張の模様なり。然し一年は愉快にして之と話す事にして終日が楽しく、物事に馬力の出るを覚ゆ。四十七期生として補欠四名が今日入校命ぜらる。良好。


1943-04-09 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月九日 金 曇時々雨

今日も亦風ありて相当に寒かりき。修身は幾何に変更す。毎日校長殿・教頭殿は夫〃授業を視察に来られ、校長殿は我々の姓名を覚えておられる模様なりき。午後は体操・剣術にて運動班運動は交換駈歩にて二年を引率、五分五分にて堀川まで行きたり。校門前の坂を上り下り数回にわたりて駈歩すれば相当に鍛錬になることを思いたり。夕食後一年は軍歌を教え終りてより入校以来十日を経たる一年に対し礼儀に関して教え且つ切磋したり。言いたる以上、三年としても必ず行わざるべからず。寸陰を惜しみ励みたるも、未だに其の使用法不可にして能率上らず。良好なり。


1943-04-10 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月十日 土 晴

歴史にて 御歴代天王を暗記されられ百代までおぼえたり。午後は三時間教練の予定なるも変更し防火班の編成及び愛校作業をなす。昨日の切磋会につき運動班長は町田生徒監殿より注意を受け、入校間も無き故無理なりとて前期中余り口の切磋は行うべからず と言われたり。児玉週番司令殿も率先垂範すべしと。今日も亦元気にして愉快なる日なりき。次第に物事に熱中する為か時の経過の早きに驚く。熱心こそ大切なれ〔一文に朱傍線〕。良好なり。

〔nagajis:「されられ」ママ〕


1943-04-11 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月十一日 日 曇雨

外出する予定ならざりしも昨日急に思い立ち下川生徒監殿の許可を受け、伊藤佐々木と輜重隊に馬乗りに行く。小雨なりし故、決断力に欠け服装検査に遅れたり。此の点修養を要する〔「る」朱打消〕。隊は昨日入隊ありし故今日は平日にて十一時より面会を許されたり。馬はおらず目的を達すること能わず。則松伍長殿と十五時まで話し合いたり。帰は相当なる雨なりき。十六時半より一時間の中に、三十分集会所、残りにて手入・洗濯・入浴を終りたり。今日の外出は初から門前ばらいを受け且つ乗馬もし得ず不運続きにて面白からざりき。然〔併〕し歩くだけにても校内に残るよりは運動になりたり。少し真剣味に欠けたる日なりき。良好なり。


1943-04-12 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月十二日 月 晴

今日亦風ありて寒かりき。柔道はあて身にして、訓話は率先垂範につきありたり。剣術は明後日の予行ありたり。訓話の時間眠きを覚え生徒監殿より注意を受けて立つ。恥かしかりき。今日は朝より何か銚子が出ず憂鬱なる日なりき。四月当初の意気及び態度を続けるのみ。勉強すべし。此の心あれば雑談なきものなり。良好なり。


1943-04-13 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月十三日 火 晴

今朝も相当に寒く数度眼をさましたり。工作なりしも午後は全校共に明日の準備予行なりき。随意運動時運動器具取扱の申受けをなすも其のいそがしきことに驚く。又特に責任を感じたり。然して今までの副班長の労苦を知ると共に、今後絶対に毀損・紛失等せざることを思いたり。午後眠いのか眼が悪いのか、眼の上下多くぼーっとして充実せざりき。良好。 


1943-04-14 教育総監来校 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月十四日 水 曇雨

教育総監山田乙造閣下の本校第四回御視察の佳日なり。八時三十分御来校になり直ちに閲兵、九時三十分より閣下御来場の下に修身授業あり。後授業。如何なる時にても授業を休まざるは校長殿御方針なり。食堂に於ける総監閣下訓話

幼年学校の伝統
封縣武士より受けついだ武士的気風に根拠す。
明治天皇の幼年学校に対する 御心。
意気と律儀の挿話
食堂の三年生の意気
士官学校に於ける品川生徒の律儀性
三年は剣術、二年体操、一年は教練を雨の中にて実施、十五時十分帰られたり。作業にて目測あり。我今日にて三回閣下と顔を合せ、其の度毎に訓示・訓話を聞かんと欲し、常に感銘したり。実に有意義なりき。良好。

1943-04-15 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月十五日 木 快晴

工作は起床を学びたり。随意運動に於て我はポンプ班にてその指導の為柔道出来ずして残念なりき。今日も未だ眠くなることありたり。生理的の他に、心の緩みが必ずあるなり。要緊張。一年に羞じざる行動をとるべし。良好。


1943-04-16 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月十六日 金 快晴

父の命日なり。此の自覚の下に緊張したる一日を送る事が出来たり。学科は勿論、午後の消防演習に於てもポンプ班として奮闘したり。ポンプ班の努力そして苦労を今日体験してはじめて知りたり。運動班運動は剣術にて、二年と初めてなしたるも、教習試合に於て非常に迷い困りたり。指導も〔容〕易ならず。夕食後軍歌、元気々々なりき。予科数学教程を借る。学ばんヽ。良好なり。


1943-04-17 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月十七日 土 快晴

朝の自習時に校長殿の巡視あり。然〔而〕して昼食後生徒舎西側にて校長殿話あり。曰く、新入生は三年の立派なる態度に感心しあり、故に嬉しく感じて皆に話すわけなり。今朝の巡視にて寝室の清潔整頓に驚く。着々三年としての本務に邁進中と認む。今後も未だ何もわからぬ一年に対してなぐることなく率先垂範、立派なる伝統を作らんことを望む。と。予此に一層覚悟を新にしたり。午後二時間自習。十五時半接種(赤痢予防)をなし以後就寝。予等は池田大尉殿に運動器具取扱委員生徒交代の申告に行く。所感としては未だ使用特に、一年生の活用不充分に感じたり。夕食前、夕食後に於て此の時とばかり雑談をなしたり。然し予は二十時頃眠りたる模様なりき。稍〃熱出たり。


1943-04-18 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月十八日 日 雨後曇

六時四十分起床す。食後朝の定例行事を行い十時服装検査。日曜に何故雨降るかとうらむ次第なり。午前中は学習し、午後は引続き休養したり。夕食前憂鬱なる気分に蔽われたり。今日特に考えし事は正しき道をふめばおそれる事なしということなり。一般に気の弱き我にとりて、理論だけにては口に出せざる気象にて必ず行いし事の外は何事にても心臓強く平気でさも偉そうに言えざるなり。良好なり。今日より延灯せんとす。


1943-04-19 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月十九日 月 雨後曇

今日も亦雨。今年の四月斯様に沢山雨の降ることに驚く。雨は桜をも散らし、又我等をして野外に出さしめずして誠に怨骨髄に徹する物なり。授業が愉快なり。特に代数が好ましく暇さえあれば常に問をとき、自習を全く或は三分の二用うること度々あり。午後は柔道にて関節を訓学にて戦闘中の兵の心得を学ぶ。生徒監殿の問に対し意味をとり違う。的確なる解答をすべく落着き然して考うるべきなり。剣術。良好なり。


1943-04-20 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月二十日 火 快晴

暖かなる日。午後は体操・音楽・体操にて、運動時の体操には二千米、投擲(四十四米)鉄棒を実施、其の下手になれるに驚きたり。又今まで運動不足の故に走りて筋肉いたくなれり。いずれも裸体にて汗を生ず。夕食後切磋会なるも一年が我等の軍歌に混って歌い始めし故一年に軍歌指導を行う。良好。


1943-04-21 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月二十一日 水 晴

今日も相当に暑く、夏襦袢に変えたり。アンナ・ドル授業あり。坂井源治よりはがき来る。坂井も此に遂に出したり。午後は三時間教練にて復習を行いたり。教練は五十分にては効果なく三時間連続となりたるなり。此の方がたしかに精〔成〕果上るなり。今朝は朝食に間に合うも未だに遥拝の時等不充分なり。何より先に行うべし。元気を出して、言葉は緩リと明かに。良好。


1943-04-22 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月二十二日 木 快晴

相当に暖くして鍛錬への期間ともなれり。今日等授業は愉快に充分に受け得たり。要するにやるぞとの意気なり。陽気になりて眠ること勿れ。午後の剣術・柔道は暑き故か常よりきつきを覚えたり。作業は写景図にて高木牧場に至りて山室方面を写く。近日稀に行きし故に要を得ず。此に訓練なるものの効果を知りたり。四十七期三学班に大場淳二とて長崎の者あり。母五島なりと。幸に食卓を共にし心ゆくまで話したり。良好なり。


1943-04-23 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月二十三日 金 曇

国漢乙にて小林教官殿より頑張れと励まされたり。午後自習、十五時半より赤痢第二回予防接種あり。〇・九ccなす。夕食時一年は相当痛いとて参っていたり。二〇時半に消灯。此の前より相当痛かりき。予は此の時十分眠らんとす。


1943-04-24 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月二十四日 土 晴

靖国神社臨時大祭にて十時十五分 天皇陛下の御親拝に合せ日本国民一同遥拝をなす。犠牲につき訓示あり。十一時より山田乙三閣下御視察にて欠けたる水溶第一時限授業あり。午後愛校作業にて、台上の服装検査場の地ならし及び土俵作りありたり。約三時間克く仕事に熱中し得て愉快なりき。夕食後運動班会を実施す。一年は誠に溌溂〔刺〕たり。そして元気あり。以て我等の範となすべきものなり。終日が実に愉快なりき。思えば一昨年の今日父も靖国の神としてまつられたる日なりき。豈意義深き日ならずや。未だ右胸痛くして右手十分に上らず。良好。


1943-04-25 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月二十五日 日 快晴

天には終日一片の雲だに見ず。爽やかに剣術を行い、八時に臨時外出。旧食卓の一年生、大場・古賀・藤木・茂木・森田・池木の六名及び入江と八名にて菊池神社に行きたり。参拝人も冬以上に多かりき。内裏尾将軍宮址に休憩し月見殿跡にて昼食をとる。正観寺に武光公墓を詣ず。然して菊池精神を多分に汲み取りたり。一年にも知れるかぎりの菊池氏の勤王につき語りたり。一般に世間にては菊池氏に付き認識不足に驚きたり。あまり歩かざるもよく和親は出来たり。良好


1943-04-26 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月二十六日 月 快晴

非常に暑くなり是より寒くならざるを思う。午前の学科は実にぼんやりしていたり。陽気なる故か眼が疲れてとじんとし、全身だるく、何を習うも一つも頭に残らざる日なりき。代数考査あり。術科は相当緊張し特に柔道はかかる時に傷つくものなれば万全の注意の下に行いたり。体操は三八銃にて発進・停止を行う。今日は特に体操を行うを許されて、初に鉄棒をなしついで三年四人対一年二十人にて籠球を行い汗だらけになりたり。然し乍ら終日を考うるに捲〔倦〕怠なる故何も出来得ず良好なる日ならず。


1943-04-27 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月二十七日 火 晴後曇

夜に雨降りたる模様なり。午前及び十五時頃までは既に30°を越し風だになかりき。後雲起りて涼しさを増す。午前頗る倦怠なりき。坐るにも困しき時なりき。午後は工作にて分解・組立を行う。愛校作業→台上服装検査場所 涼しくなりより元気も生じ明日よりは元気に課業に臨めることを思いたり。元気然して努力を望む。暑さに負けるなとの御注意あり。


1943-04-28 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月二十八日 水 曇

涼しき日なりき。倦怠も相当良くなり授業も実が入りたり。アンナ・ドル さんの独語会話も面白く出来たり。午後は三時間教練にて密集教練・着剣捧銃・射撃予行練習。地形地物の利用に付き行われたり。酒保なく、一年の大場淳二・浜・茂木・森田が自習室に遊びに来て、それと語る。放課後より消灯まで何も行わざりき。稍〃気を緩めたる故なりと思う。夕より雨。良好なり。


1943-04-29 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月二十九日 木 曇

天長節。朝より小雨ありたるも、七・一〇より雄健神社にて 東方遥拝・君が代斉唱・校長訓示・神社参拝ありたり。七・三〇より外套携行にて帯山に行く。式は前の通り。十一・〇〇解散し二年の丹宗・江口及び一年の古賀と偕行社に食し一五・〇〇帰校、以後休養。 天長の佳日に於て特別に何もなし得ざるを残念に思う。町の人間の軟弱に驚き且つ憤慨したり。良好。


1943-04-30 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]四月三十日 金 晴

靖国神社特別大祭にして特に朝に於て勅諭全文を奉読し反省したり。八時三十分より遥拝ありて、其の後靖国神社奉納相撲にちなみて吉田司家の吉田先生(清々こー)より武道たるべき相撲道に付き約一時間五十分に亘り承る。心を修めて気を養い体を整える之が極意なりと。要は相撲とは「押さば押せ引かば押せ」という押の一手のみなり。十一時一年三寝室の者七名と共に兜山・岩倉山・兎谷に行き話し且つ遊び十五時帰校。以後一時間一年十四名と籠球をなし非常に疲れたり。今日は勉強とて何を行うことなく今考えて癪にさわるくらいなり。然し一年とは愉快なりき。生徒監殿は陸大試験に懸命に努力されあり。我等も必ず入らるることを祈り必ず入らるると信ずるなり。良好。


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