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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2007-05-09 旅報告ほか [長年日記] この日を編集

[ORJ] 寄稿・原稿進捗

 連休前に張子の虎さんから関西鉄道(関西本線)の煉瓦橋梁についての原稿をもらっている。実に完成度が高く、.docをそのままpdf化したらおれ何もすることないヨ状態だ。さすがにそれでは編集部の意味がないので、文章について読みづらく感じるところを指摘して本日返却。レイアウトや構成、デザイン、歴史的背景等はほとんど踏襲する予定。読んで驚くなよ諸氏諸嬢。

 自分の原稿については須磨をupしたものの明治隧道の原稿をどう構成するかが決定していない。本体となる部分(今までの明治隧道の構成と同じもの)は出来上がっているのだが、おまけで作ったルポをどう組み合わせるかで悩み中。後ろに適当に(なんていったら怒られるか)くっつけるか。旧道倶楽部の報告書をイメージしながら書いたのがいけなかった。今回のGWツアーの結果も、この号に載せるのかどうか、まだ考えていない。

[独言] 無事に帰ってきてしまつた

 本当は、もっとゲロを吐ける旅がしたかった。7年前に氏ぬ目にあった北側も含め、全線を担いで越えてみたかった。しかし実際に赴けば、坂根から峰越峠までの600upと冷たい雨に気圧されて、峠から南側に向けて歩いて下っただけの、ヌルい探索になってしまったのだった(あくまでも出発前の意気込みに比べての話)。

 全線チシマザサの海だったりしたらどうしようと恐々としていたのだが、終えてみれば北側ほどの荒れようでもなく、チシマザサの区間もわずかで(大部分は回避できたし)、雨に濡れて冷たい思いをした以外には体力的なchallengedもなく。その意味では不完全燃焼だし、結局は不完全燃焼の側に傾いてしまった自分が情けなくもある。齢を感じずにはいられない。また再履修か。しかしまた行けるのか。

 7年前にほとんど撮ることができなかった写真を存分に撮れたのはせめてもの慰め。新たな発見もいくつかあったし(そしてBrown Treeも)。忘れてきた魂を回収したと思ったら、また別のかけらを落としてきてしまった。

 その前日に志戸坂峠へ行けたのも有意義だった。歴史の道として整備された姿とはいえ、明治時代の道路遺構として例を見ない立派さであり現存度であると思う。あのつづら折れを生み出した人々に畏敬の念が絶えない。
 もちろん志戸坂隧道も忘れずに訪問。洗い出しの化粧コンクリートに3段(5段)の持ち送りアーチ。ポータル壁面の穴には街灯がつけられていたと聞くし、扁額を使わずに前後の路傍に石柱を建てて隧道銘に代えるというのもそれまでにない試みだ。往時はさぞかしモダーンな隧道であったろうと思う。あんな山中だのに。
 ちなみに志戸坂隧道と峠はうちの部の先輩方が合宿で通った記録が残っている。80年代の前半だったか。隧道内部の「壁」はこの当時からあって、「ぬりかべの住むトンネル」と揶揄されていたのを思い出す。

 行き帰りに智頭急行を利用したので苔縄の隧道跡にも立ち寄ることができた。十分な時間がなくて話を伺うことができなかったが、オープンカットの切り残しや、南側の碑が直接的な関係がないもの(岩本蔀という人物の頌徳碑。明治中ごろには当地赤松村の総代であった)であることなどを確認。ただしこの人物、道路の改修にも功績があるようなので、全く関連がないとは現時点では言い切れない。何よりここに碑があることに意味がありそうだ。

 も一つ、久しぶりに野宿できたのが嬉しい。実はこれだけで十分に満足してしまっている。道端の山菜を摘んで山菜カレーを作ってみたり。ああいう自由な時間が、自分にとって最高の至福の時。これで暮らせと言われたら喜んでするだろう。むしろそうしたい。

 総じて言えば気楽な一人旅。悲壮感のかけらもなし。それがかえって自分のレゾンデートルを危ういものにする。

[奇妙なポテンシャル] #5

 韜晦誤魔化し目暗まし、露天の風呂は吹き晒し((c)筒井康隆)。ORJの云々とかどうでもよい葛藤とかとは独立直交した無駄話をまたする。

送信者 奇妙なポテンシャル

 岡山市街で見かけた看板。高い所に掲げられてあって何の看板なのかよく解らなかった。整備工場のマークなのか?それともタイヤメーカーの?

 目を引いたのは他でもない、あり得べからざる場所に組み合わせられたタイヤのせいだ。いや、そこにタイヤを嵌め込みたくなった作者の気持ち、ニ本の牙の間に収まるすっぽり感は、解らないでもない。最も安定した配置を求めるならば有り得る場所だ。しかしタイヤ+牙という方程式の解としてはチキチキマシン猛レースかタイムボカンぐらいしか思い浮かばず、一般常識的にはちと突飛と言わざるを得ない。そもそも象徴である長い鼻を取り去られた彼はモチーフとしてのアイデンティティすら失っている。大きな耳と牙がかろうじてパオーンであることを主張するが、それを上回って余りあるタイヤの存在感。そのせめぎあいから来る不協和音は圧倒的な違和感となって見る者を苛む。もしもあなたが夜道を歩いていて、ふいにこいつが追い越したりしようものなら。三日三晩うなされた挙句に事切れるであろうこと必至だ。

 このようなものが生み出された背景にはいったいどのような思慮があったのだろう。考えずにはいられない。有機無機の境界を乗り越えていとも簡単にキメラを創り出す現代の闇がそこに見え隠れする。

 いけね、ゴムは有機物か。

p> 余談になるが、幼少の頃、横浜タイヤの顔マークが恐かった。自転車を与えられて喜び勇んで出かけた隣町、町外れのガソリンスタンドにでっかいこいつが聳えていて、恐れ戦き、泣きながら引き返した。こんな奇ッ怪なものが世の中にあって許されるのか、平気なうえにあまつさえ会社のシンボルにしてしまう大人とはどういう神経をしているのかと、世界の不条理無秩序を呪ったものだった(そんな表現を子供の自分がしていた訳では当然ないが)。それ以来どんなことがあってもその道だけは避けて通ったという、ある種のトラウマ的な幼い記憶。そんなものまで呼び戻された一件。恐るべしパオーン。


2007-05-10 [独言]鳥取県境の峠に関するメモ [長年日記] この日を編集

 江浪峠の峠道で見かけた石垣は、やはり製鉄に関するもののよう。採取した土を水で流して比重でふるい分け砂鉄を取り出す「鉄穴流し」の遺構である可能性大。鉄穴流しをキーワードに検索するとそっくりな写真がいくつか出て来る(江浪のは少し小規模?)。もう一度、千種の教育委員会に聞いてみようか。製鉄はいつ頃まで行なわれていたのか確認。あと峰越、大通峠の開通年。

 旧千種町の辺りは播磨風土記にも鉄が採れるという記述があるほどの場所。花崗岩に含まれる鉄(砂鉄)を採取したらしい。確かに峠道には花崗岩質の岩がごろごろしていたし、どこかで風化花崗岩の白茶色っぽい崖を見た覚えもある。それを考えると峠直下のナルい谷や北側の不自然な地形も、実は土砂を掘り出し山を崩した成れの果てなのかも知れない。自然地形に見えて実は土工の跡だったとしたら、ちょっと面白い。

 花崗岩には鉄分を多く含む山陰型の花崗岩と、鉄分の少ない山陽型の花崗岩とがあるという。山陽側でも千種から波賀にかけて分布するものは山陰型に近いもの。この山陵にはかつて「カナゴ乢」という峠があって、若桜から砂鉄を運んだルートとされているが、もっと昔は千種でも豊富に採れたのだろう(西河内天児屋には大規模なたたら場・屋敷跡が残されている。資料館もあり)。

 江浪峠は元禄の頃に製鉄業者によって開かれた道。製鉄に使う木炭を運び入れるためのものだったとか。それまで千種から鳥取(若桜)方面に出るには大通峠やその西隣の中江乢が利用されていたが、江浪峠の開削で荷役や交通も江浪峠が主流になった。若桜からの荷が江浪ばかりを通るようになって、西河内と東河内の馬追の間で諍いも発生している。明治20年代半ばに幅員6尺に広げられ、一応、県道若桜南光線。ただし松波さんの大正県道表には載っていないから、それ以降の指定らしい。いつ頃まで使われていたのか。。。MAZDAのB360がヒント。つーか天児屋国有林から当たれ?

 島根県の主要道は明治20年頃に計画が建てられ改修されたものが多い。それが大部分残されているのも面白い。戸倉峠しかり、志戸坂・黒尾峠しかり、明智・四十曲然り。面白いことに、当時の国道(東京と鳥取を結ぶもの)は戸倉峠経由の道=若桜街道で、当時の県令も真っ先にこの道を改修しようとしたようだけれども(元々は山県有朋の案。それを山田県令が頑なに守り通し、県議会の反発を受けながらも改修を強行)、実際には智頭から志戸坂峠(駒返坂)を経由して姫路に出る智頭街道のほうが圧倒的によく利用された。この傾向は1900年代(以降)まで続く。輸出品の金額でいえば2倍近い差がある。

 戸倉峠は昭和18年5月20日に改修工事に着手。しかし旧隧道は昭和30年に完成とあるから、戦争による中断があったものと思える(戸倉に隧道を抜く必要性は明治の改修直後から認められていた。というか、山田県令自ら「隧道を作らないことには十分な効果を引き出すことはできない」(明治21年・土木政策の引継書)などとカミングアウトしている)。http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/dokai/htm/25-06.html


2007-05-11 [ORJ]たぶん作業報告 [長年日記] この日を編集

[ORJ] そろそろオペ開始

 張子の虎さんから原稿のバックをもらう。メールを受け取るこのマシン、この文章を書いているBeOSでは確認することができぬ故、明日の朝Macに移して取り掛かろう、と思った昨日だったのだが見事に寝過ごしてしまつた。明日こそはちゃんとかかります、ゴメンナサイ>張子ノ虎サマ。(あ、無事に受け取っていますので。1日前の25日までには校了まで持っていきますから)

 明治隧道の作っちゃったレポは、無理にくっつけなくても「喪われた〜」とか別の企画にして同じ号に載せればいいんじゃね?と思ったり。しかしそうすると文章の構成から変えないといけないので大変なのは変わらない。

 今さらだが、連載企画にはそれぞれのコンセプトを設けているつもり。例えば「廃道を読む」なら(役に立つかどうかは別として)廃道蘊蓄資料という位置付け、「喪われた〜」はルポとは対極にある静かな読み物として。現状の作っちゃったレポはレポそのままなので、「喪われた〜」のタイトルつけて終わり、という訳にもいかないのだ。しかも2つあるうちの1つは明らかに「喪われた〜」にそぐわないテンションで書いてしまっている。一度書き上げた文章を手直しするのはとても苦手なnagajisだ。

 最悪の場合、禁じ手の「倶樂部報告書pdf版」でゆくかも知れない。そこまでして載せたいルポか?と言われるとちょっとアレだが。でも、まあ、あれは、誰かに教えたくて仕方がないのだ(笑)

 それより江浪峠だよ。どうするよあの中途半端な探索。廃道を読むまで書いて時間が余ったら考えよう。。。と言いつつ一方で「自転車旅行の理論と実践」というネタ企画(しかも廃道とは何ら関係がない)を思い付いたりしているダメな自分。ハイテガーはどこへ行ったのやら。千町峠で頭冷やして来い。

 もう一つの作業は協賛リンクの作成。溜りに溜ったリンクをまとめてupする予定。只今査定中。お待たせしてすみません>各位

[奇妙なポテンシャル] #6

 奇妙なポテンシャルはあくまでもそのポテンシャルに価値があるのであって、説明し切れてしまったり現実のものになってしまったりしてはたちどころにその輝きを失ってしまう、という性質がある。それはちょうど可食性インキを使って餅を描くのに似ている。絵に描いた餅は喰えないからこそ価値があるのだ。愚挙と断じて然るべき行為であり、謹むべきものである。
 そうして昨年暮れの先行販売は、実は元ネタがあったことを告白せねばならない。そのかわりネタの出所はあくまでも自分自身であって、全ての責が私にあることに変わりはない。
 2002年の夏、秋田県仙北市。通称源太坂にて。実際にやってみて余りに居たたまれなくなり、このまま立ち去った。

 YouTubeに上げて、さらに後悔した。


2007-05-13 作業報告と妄言 [長年日記] この日を編集

[ORJ] 寄稿pdf初校、nagajis原稿流し込み

 昨朝upしてご連絡。解像度はもう50くらい上げてもいいかも知れない(50じゃ変わらんか)。一種の写真集と考えられなくもないから、今の荒さは少し惜しい気がする。特に小さい扱いの写真。

 自分の旧橋と喪われた〜も流し込みを開始。写真と原稿、耳を揃えて提出したとは言え文字数を計ってやったわけではないから思うように流れ込んでくれず。予定の枚数は入らんだろう。

 明日辺り、地図描き祭りになりそうな感じ。江浪をアレで行くんならその3倍くらいかかないといけない・・・こっちでコアダンプしそうだ(そこまで行ける可能性はたいへん低いが、解決方法としてはいい線行ってると思う>アレ)。今日はひとまず寝て、明日集中して作業しよう。

[独言] 夢見が悪い

 どうも最近、夢見が悪い。特にこのごろ立て続けに脳内空気嫁が出て来てあり得ない状況が展開する。夢の中での言動にまで責任を持ちたくはないが必ずアレしてコレしてアアなってしまう己れの短絡思考・指向・試行に呆れること三千丈。代名詞の辺りには同衾とか媾合とかゆう難しげな漢字を放り込んでおけばよろしい。時にはロオマンスも入っているようだが、ともかくそういうのは人間同士でやってくれと何度言ったらわかるのか>nagajis。

 自分が見る夢は色がついているのはいつものこととして、臭いとか感触とか音とかまでついてくることがある。そのうえ変に細部まで事細かに設定されているから、リアリティがあり過ぎて、たちが悪いのだ。

 例えば以前の弦巻部長の夢。ハードボイルドかぶれのこの男、名刺を見た訳でもテロップが出た訳でもないのに「弦巻」と書いて「つるまき」と読む苗字であることを、夢の中の自分は知っている(当然そんな変わった名前の知合いが現実世界の身の回りにいる訳がない。どこから出て来たのか)。自分の上の上の上くらいの地位にいる上司ではあるが会社の中でも常にコートを着て帽子を被りパイプ煙草をくゆらしているという奇行の人で、言うなればいい年したおっさんがステロタイプ的な探偵のコスプレを年中やっているようなものだ。しかもその煙草パイプはパイプと見せかけて強力なライターにもなるガシェットだったりする姑息さまで身につけている。点火する時に名探偵ポアロのテーマさえ流れる代物。自分の上司とはいえあんまり関わりたくない人物だ。

 その時も何かつまらぬ冗談を言われて、「へえ、さいですか」と軽く受け流したら、スネられてしまい、自分の机の横に立てかけていた自転車のステムを自慢のパイプライターで焼こうとしやがった。「そんなことしたら剛性落ちるじゃないですかっ!」と怒鳴ると(そんな怒り方をする自分も自分だが)、おおこわ、とでも言いたげに弦巻部長は肩をすくめる。奇人だがその仕草だけはほんまもんだ。まことにさりげなくてちっとも厭味がなく、まるで年季の入った役者のようでさえある。つい「あ、いいなあ」と見取れてしまい、そうして見取れてしまったことにまた腹が立つのだった。

 そういうつまらぬ夢ばかり覚えている自分。何かの暗示だったり比喩だったりすれば役に立とうというものだが、あいにく私は夢判断の知識がない。むしろ具体的に○○○とかXXXのXXXXXとか覚えてたほうが。

 いや、止めておこう。卑猥過ぎる。


2007-05-14 [ORJ]作業報告 [長年日記] この日を編集

 久しぶりに一日中作業していたような気がする。金がない暇がないと言っておきながら結構あちこち行っていたものな、4・5月は。お蔭で財布の中が大変なことになっているが忘れてしまおう。

 寄稿分の地図を購入・さしかえしてリンクを張って完了。いつもの場所にupしてますが最後のツメがまだなので明日改めて御連絡します。旧橋2本も地図描いてリンク貼って完了。大きな問題がなければこれでいきたい。こちらも例の場所にupしていますのでよろしく。その他こまごまとあれこれに手を出してみたものの、ものにならず。

 次週は週末までに明治隧道と喪われた〜を片付けたい。

[独言] 自分の文章

 書きかけの明治隧道の原稿を2、3日ぶりに見直して、やっぱり読みにくいやと思い知って凹む。いつものことだが。手元に置いてちまちま書き直すのが良くないのは解っているけれども、いつまでも抱え込んで手入れをしつづけたくなるのは、貧乏症みたいなものだと思う。そのくせ大幅な書き直しは恐くてできない。せいぜい段落の前半でこれ言って後半でこれまとめて、と前後数段をいじるくらい。どんどん読みにくくなってるんだろうなあ。いやだなあ。


2007-05-16 [ORJ]!作業報告 [長年日記] この日を編集

 眼精疲労で目がしょぼしょぼ、頭クラクラの状態で作業した昨日。「もう寝るヨウワァァァァアァン」を書こうとしたところで寝落ちした。今日は何もせんで寝るぞ!と思ってそのための酒とつまみも用意したのだが、やっぱりやめ。少し進めることにする。


2007-05-17 作業報告と雑 [長年日記] この日を編集

[ORJ] 作業報告

明治隧道up。その3倍近いサイズのおまけ記事つき。どっちがメインなんだか。今月はすこーしだけペースが早いよ。

[] ずいどう?すいどう?

 昨日会社で消費者問題についての原稿を書いていた。悪徳業者の例を出そうとして件の水道点検詐欺の話を入力したら「県の方から頼まれて隧道の点検に来ました」と誤変換されてしまい、激しく吹いた。何かあれか、「ポータルの裏側に亀裂が!修理しなければ危ない」とか何とか言って工事契約を結ぶのか。「パラペットに長手積みが使われてるのはレアですよ奥さん!」とか勝手に評価して次々販売するのも如何なものかと思う。そもそも奥さんって誰だ。何を売りつけるつもりか。少しは分をわきまえていただきたい>悪徳業者nagajis。

 解っている。隧道を「すいどう」で単語登録している私が悪い。大人しく「ずいどう」にしておけばこんな間違いは起きなかっただろう。しかし現実問題として隧道を「スイドウ」と読むべきか「ズイドウ」と読むべきかで迷っているのは事実だ。

 漢和辞典を紐くと、「隧」という漢字は漢音スイ、呉音ズイでどちらの読み方もアリらしい(スイのほうが主に用いられるとある)。nagajis個人は「隧道」の上につく語につられて濁音化したものだろうと思っていることもあり(根拠は一切無い)、カテゴリとしての隧道は「スイドウ」と発音することにしている。しかし辞典には中国古来の隧道(墓所に通じる横穴の意味)に「スイドウ」という読みが振られていて、国訓の隧道(トンネルを指し示す・日本だけで通用する語)は「ズイドウ」だ。これに従うなら「隧道ってホントは墓穴の意味なんだけど日本じゃトンネルのことなんだよね〜」と知ったか振りながら墓穴墓穴と言っていることになる。はかばかしくないことである。

 …ともかく、「スイドウ」なのか「ズイドウ」なのか、それともどっちでもいいのか、ご存知の方はおるまいか。いたらこっそりお教えいただけると幸いである。

 少なくとも、隧道を「スイドウ」と読むことで得することはあまりない。市町村に問い合わせをする時も「古いスイドウについてお尋ねしたいのですが」と言ってしまったがばかりに水道課に回されてしまったことが何度もある。昨日のような誤変換に笑ってしまい、変な人のレッテルがより強固になったりもする。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ 酷道774号 [悪徳隧道業者吹いたw]


2007-05-18 作業報告 [長年日記] この日を編集

[ORJ] 喪われた〜初校up、張子の虎さん寄稿四校

 追加の情報が手に入らなそうなので諦めてpdf化。元々の原稿から大きく変更になったのはそのせいだけじゃなく。読みにくいし構成悪いし。誰が書いたんだあんなもの。今回もあまり出来のよくない物語で申し訳ない。

 でも、アンケートの要望にお答えしてちょっと短めの7ページ。背景も軽い一枚画像にしましたので。16号の末席汚させて下さいまし。

 張子の虎さんの寄稿も四校目。修正しがいがあるぜ!

 残りはhyとTRDB。頑張れば江浪峠。その前に、最近全然触れていない近世以前土木のリストを仕上げてしまいたくもある。

[独言] にしても16号

 すごいよね。もうそんなになるのか。10とか15とかいう切りのいい数字でなく、16という中途半端な数字に積み重ねを実感しまった連日作業3日目。それはたぶん16進数でどうのとかいうものとも違う。ちょっと今までなかった感触。あれ、作業は4日目だったっけか。頭はいつまでも悪いまま。

[奇妙なポテンシャル] #7

 先日使い切ったトイレットペーパーの芯を何気なく見たら「毎度ありがとうございます」と印刷されていた。この言葉は果たして適切なのだろうかとしばし思い悩んだ。

 最後の一巻きを剥し使い切って初めてこの言葉が現われる以上、最後の一人に向けて用意されたメッセージと見るべきであろう。そうして「毎度ありがとうございます」という言葉からはこのトイレットペーパーを「購入」した者に対して向けられた感謝の念であることが想像される───使い切ったことに感謝するものでは*決して*あり得ない───。しかし必ずしも購入者が最後の一巻きを使うとも限らず、例えば複数の居住者がいるような一般家庭では購入した者以外の者が最後の一巻きに当たってしまう可能性が常にあり、居住者の人数をn人とすればその確率は(n-1)/nという高確率になるうえ、トイレの回数が多いお姉さんや不必要に巻取って遊んでしまう坊やなどのファクターを考慮すればより高くなるだろうことが容易に想像される。公共施設で用いられたりしようものならなおさらその感謝の念は行き場を失ってしまう。折角の配慮、ささやかながらも卑下だというのに、その成就への道が確率論的であるというのは、少々むごい話ではないか。

 ここはやはり、「最後の一人」に向けた言葉を印刷すべきであるだろう。紙が切れてしまったというある種の非常事態において現われる言葉なのだから、人の冷静さを失わないような、そんな言葉がいい。

 ここでいくつかの文例をあげて笑いを取ることは可能だが、それでは「奇妙なポテンシャル」のカテゴリで考察する意味が無い。ずばり提言したい。

 「紙が切れましたね」というのはどうだろう。


2007-05-19 [独言]王様の耳はいぷしろおぉぉぉぉんっ! [長年日記] この日を編集

 穴に向かって内向的な叫びを叫んだら気が済んだので寝る。そうしてNeXTのキーマップを確認して安心する姑息さも忘れずに。マイノリティであるのは変わらないんだけどな。そのうえ同系統だし。ちなみにアンケートの王様は全13種類。みなさんコンプリートしましたか?

 昨日はふと思い立って写真をひとまとめすることにした。間違って買ってしまっていた60GBのHDDに、バックアップ画像をすべてほうり込んで。これで今後の作業が楽になる(以前はいちいちバックアップから取り出していた)。Picasaはないけど純正のビューアが結構使い物になるからG4・400MHzのClassic Macでもしばらく戦えそうだ。

 画像はもう少しあるかと思っていたら20/60GB程度だった。そんなに撮るほうじゃないし、そんなものかも知れない。

[ORJ] 次回「喪われた〜」

 アンケートでご指摘いただいていた苔縄をやろうと思う。写真は撮ってきているので背景調査を進めている(上郡の役場に尋ねたら町史編簒室の方が親切丁寧にお教え下さった。有難いことだ)。現状では竣工年と正確な撤去年月日を把握。どなたか当時の写真をお持ちではありませぬか。

 というか、この企画、「喪われた道」という割には隧道ばっかりだよな。我ながら考え物だ。

[企画] Tシャツを作りたい

 夏に向けてORJTシャツを作りたい。唐突だがそう思う。

 …ええと着るTシャツが無くなったからだとかそうゆう貧しい理由ではありませんので念のため。自分が在籍していた自転車部では毎年夏になる前にTシャツを作る習わしがあって(侮る無かれこの風習、1966年の創部頃からあるという由緒正しいものだったりする)、その癖?が抜けなくて、ちょうど今頃に何か作りたくなるのです。以下続く。


2007-05-20 [長年日記] この日を編集

 ひとりでいったりきたり、忙しいnagajis。スルーされるのは慣れているけどスルーする力が足りないようだ。足助はまた今度、じっくり行こう。あの周辺は橋も面白そう。

 明治隧道の差し替えをup。無駄に時間を消費してしまったのでTシャツの件は後日。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ TUKA [行ったの? やったの? 面白い裏レポートが見れそうだw]


2007-05-22 廃道の法的位置付け と作業報告 [長年日記] この日を編集

 「立ち入り禁止」と書かれた廃道に立ち入った場合に受ける法的制裁がわからない。

 いや、急に何を言い出すかというと、「廃道を読む」の企画で廃道の法的位置付けがどうなっているかを考えていたことがあって。いつかはまとめてみたいと思うのだけど、なかなかそううまくはいかない(次の号でやりたく思っていたのだけど間に合わんなこりゃ)。

 ORJ第5号のエッセイでヨッキれん氏が書いているように、道路管理者(国や県や市町村)は道路に危険が認められるときは道路区間を立ち入り禁止にすることができる(道路法第46条)。その禁を破って立ち入ると道路法違反となり6カ月以下の懲役又は30万円以下の罰金(第101条第2項)。このほかにも道路交通法によっても立ち入り禁止区間には入っていけないことになっている。

(しかし、通行禁止にする時は明示的に看板あるいは標識を立てなければならない。立てていなければ禁止されていることがわからないから入ってもOK、という論(第47条の4)。これは間違ってないと思う。)

 しかし、これは「道路」に対する法律であって、すでに道路でなくなった道に対してはどうなんだろう? というのがかねてからの疑問だった。そもそも、廃止された道路はどういう扱いになるんだろう? 漠然と「誰かが所有している」とは思うけれど、その誰かって誰なのよ。

 廃止されるといってもいきなり廃道になるわけじゃない。国道から県道へ、町村道へとだんだんに払い下げられていく(あまり適当な語じゃないけど)。最終的には「不用物件」というものになるらしい。これについては第92条なんかに書かれている。(以下「法庫」の記述を引用。最近の改正の前のものだし、当然おいらは法律素人なので、間違っていることばかりだと思われるので鵜呑みになさらぬよう。間違いを指摘していただけるとうれしいです>その筋の方)

第92条 道路の供用の廃止又は道路の区域の変更があつた場合においては、当該道路を構成していた不用となつた敷地、支壁その他の物件(以下「不用物件」という。)は、従前当該道路を管理していた者が1年をこえない範囲内において政令で定める期間、管理しなければならない。

2 第4条の規定は、前項の期間が満了するまでは、不用物件について準用する。

3 第1項の不用物件は、土地収用法第106条の規定の適用については、同項に規定する期間内においては、不用物件とならないものとみなす。

4 道路管理者は、路線の変更又は区域の変更に因り、新たに道路を構成する敷地その他の物件を取得する必要がある場合において、これらの物件及び不用物件の所有者並びに当該物件について抵当権、賃借権、永小作権その他所有権以外の権利を有する者の同意があるときは、第1項の期間内においても、不用物件とこれらの物件とを交換することができる。

 廃止が決まってから1年間は少なくとも最後の管理者が管理する。新しく道を作る時は、その道路敷地の所有者と廃止道の敷地を交換することもできるらしい。ここに廃道の所有者候補として1パターン。

 土地収容法の第106条というのはこうした不要となった土地の買収にかかわるもの。

第106条 第26条第1項の規定による事業の認定の告示の日から20年以内に、事業の廃止、変更その他の事由に因つて起業者が収用した土地の全部若しくは一部が不用となつたとき、又は事業の認定の告示の日から10年を経過しても収用した土地の全部を事業の用に供しなかつたときは、権利取得裁決において定められた権利取得の時期に土地所有者であつた者又はその包括承継人(以下「買受権者」と総称する。)は、当該土地が不用となつた時期から5年又は事業の認定の告示の日から20年のいずれか遅い時期までに、起業者が不用となつた部分の土地又は事業の用に供しなかつた土地及びその土地に関する所有権以外の権利に対して支払つた補償金に相当する金額を当該収用に係る土地の現在の所有者(以下「収用地の現所有者」という。)に提供して、その土地を買い受けることができる。但し、第76条第1項の規定によつて収用した残地は、その残地とともに収用された土地でその残地に接続する部分が不用となつたときでなければ買い受けることができない。

2 前項の規定は、第82条の規定によつて土地所有者が収用された土地の全部又は一部について替地による損失の補償を受けたときは、適用しない。

3 第1項の場合において、土地の価格が権利取得裁決において定められた権利取得の時期に比して著しく騰貴したときは、収用地の現所有者は、訴をもつて同項の金額の増額を請求することができる。

4 第1項の規定による買受権は、不動産登記法(平成16年法律第123号)の定めるところに従つて収用の登記がされたときは、第三者に対して対抗することができる。

 事業認定(この場合は道路建設許可?)から20年以内に廃止されたものor不要となってから5年以内の物件は、元の所有者が土地と引き換えにもらった補償金を支払えば、その土地を返してもらえる。しかし土地収容と引き換えに別の土地を貰っている場合は×。

 ここにあてはまる1パターン。「新たな道を作ることもなく廃止された路線を元の所有者が買い戻している場合がある」。しかしそれって何十年も前に道になってつい最近になって廃止されたものだとかは所有者わかるのかなあ。買い戻すことも、あるんだろうか。そうして売れなかったら? だいたいいつもこの辺で行き詰まる。

道路の管理者!=土地の所有者という場合もある(確か国道なんかはそうじゃったんじゃまいか。国が所有して県が管理をしてる)。この場合は道路法の94条があてはまりそう。

第94条 第92条第4項及び前条の規定に該当する場合を除き、不用物件がその管理者以外の者の所有に属する場合においては、当該不用物件の管理者は、第92条第1項の期間満了後、直ちにこれを所有者に返還しなければならない。

2 前項の場合において当該不用物件が国有財産であるときは、国土交通大臣は、当該国有財産の管理者である主務大臣と協議の上、国有財産として存置する必要があるものを除き、国有財産法第28条の規定にかかわらず、当該不用物件のあつた道路の管理の費用を負担した地方公共団体にこれを譲与することができる。

3 第1項の場合において、不用物件の管理者が過失がなくて当該不用物件の所有者を確知することができないときは、当該不用物件を供託することができる。

4 民法(明治29年法律第89号)第495条第2項並びに非訟事件手続法(明治31年法律第14号)第81条及び第82条の規定は、前項の規定による供託について準用する。

5 第2項の規定により、譲与を受けることができる地方公共団体が2以上ある場合においては、そのいずれかが都道府県であるときは国土交通大臣が、その他のときは都道府県知事が譲与の割合を決定するものとする。

6 第2項の場合において、土地収用法第106条又は民法第579条の規定による買受け又は買戻しの相手方は、譲与を受けた地方公共団体とする。

 いろんなパターン。「国に返還され国有財産となっている」「地方公共団体に譲渡されている」「持ち主不明で供託されている」。供託ってえのは法務局に預けてしまうこと。確かある年度を過ぎると国有財産になるんじゃなかったか。

 結局の所、個人所有の所有地、地方公共団体の所有地、国有地のいずれかになるという、ごぐごく当り前の結果になりそうな稀ガス。うやむやのまま所有者不明で捨て置かれているということは多分あり得ない。こういう土地に無断で入ったら? 建物だったら住居侵入罪(建造物侵入罪)があるけれど。所有者に立ち入り禁止を宣言されたら(そこに立ち入ったら)? 所有権の侵害になるのか?

 逆に言えば、全く道として機能していないように見えても「道路」として指定されていれば道路法が適用される。例えば「よーしパパもっと廃道化しちゃうぞ」などといって道路に障碍物を置いたり、その反対に道路標識を勝手に設置したりしたらまずい。まさかそんな酔狂なことをする人もいまいが。いたらそいつはnagajis決定。特に最近毛が生えてきて浮かれているnagajisだ。

【道路交通法】

第七十六条  何人も、信号機若しくは道路標識等又はこれらに類似する工作物若しくは物件をみだりに設置してはならない。

2  何人も、信号機又は道路標識等の効用を妨げるような工作物又は物件を設置してはならない。

3  何人も、交通の妨害となるような方法で物件をみだりに道路に置いてはならない。

4   何人も、次の各号に掲げる行為は、してはならない。

 一  道路において、酒に酔つて交通の妨害となるような程度にふらつくこと。

 二  道路において、交通の妨害となるような方法で寝そべり、すわり、しやがみ、又は立ちどまつていること。

 三  交通のひんぱんな道路において、球戯をし、ローラー・スケートをし、又はこれらに類する行為をすること。

 四  石、ガラスびん、金属片その他道路上の人若しくは車両等を損傷するおそれのある物件を投げ、又は発射すること。

 五  前号に掲げるもののほか、道路において進行中の車両等から物件を投げること。

 六  道路において進行中の自動車、トロリーバス又は路面電車に飛び乗り、若しくはこれらから飛び降り、又はこれらに外からつかまること。

 七  前各号に掲げるもののほか、道路又は交通の状況により、公安委員会が、道路における交通の危険を生じさせ、又は著しく交通の妨害となるおそれがあると認めて定めた行為

    (罰則 第一項及び第二項については第百十八条第一項第六号、第百二十三条 第三項については第百十九条第一項第十二号の四、第百二十三条 第四項については第百二十条第一項第九号)

 あ、じゃあ廃道でテント張って泊まったりしてもいかんのか。

 売買や譲渡云々以前の話として、確かに管理者がいる道路なのだけど、経費や必要度の関係で整備が行き届かない道も多い。以前のOFF会の下調べて宇治市の道路課に伺って話を聞いたときも、そのへんの苦悩をちらっと伺った。いわゆる里道が市町村に返還されたけれども、かえって管理責任が増えて大変云々。そういう道で怪我をしたり事故を起こしたりしたらその管理者の管理責任が問われるから。極端に言えば廃道とわかっていて突入し怪我をしたのを管理者の落度にしたりもできる。道を整備していない管理者が悪いのだと。ちなみにこうした道の道普請をするのは悪いことじゃないらしい。いわゆる道路愛護の一環だからな(笑

 結局のところ、法律的に云々と言い出すときりがないし、何もできない。廃道あるきなんかできやしない。自分は(ORJの変臭長である云々をさしおいて、あくまでも自分は、の話として)法の裁きを受けるリスクを背負ってでも廃道を歩きたい。歩くことによって得られる事実、薮に埋もれた記録されない史実を、社会に還元したいから。それが正しいことだと信じるから。編集部の連中も同じ考えだと思う(けど念のため各人に聞いてね)。

 つーことでnagajisがタイーホされた時は放置の方向でよろ。後ろに手が回る前にCD売上は誰かに託すから。とある廃隧道に通帳判子一式を隠すとかするから。

[ORJ] 作業報告を忘れてた!

 ええとTRDB書きました。今回は志戸坂隧道。何だか今号は岡山県ばっかりになってしまったけど深い意図はありません。過去に旧道倶樂部の報告書でとりあげた物件のどれかにしようかとも思ったけど、出し惜しみするのも何だしね。いずれにしても知名度的にはそう大したものじゃないし、埋め草みたような回になると思う。

 とはいえ、「隧道レッドデータブック」は珍しい隧道をハイデフ(違 でフィーチャーする企画という位置付け。知名度はあまり関係ない(超有名隧道でも高解像度で隅々まで見せるために取り上げる価値があると思う)。「こいつぁ、凄いぜ!」というおすすめがあればぜひ寄稿ください。犯罪予備軍が参加している集まりですけど(爆

 残るはhyのみ。近世以前土木構造物調査について+Googleアカウント取得虎の巻を予定。逃げたな、nagajis。

[ToDo] Tシャツの件はどうなった

 明けない夜はなく明ける寸前は最も暗く寒いのさ。時間切れでまた明日。

 デザインコンペはやりたい。幸い、CDの売上で黒が出ているから、これを元手に製作できる。CDほど売れるとは思えないから、せいぜい数十着作っておいて、細々と売っていくことになると思う。「そんなことに資金を使うな!」という声があれば自腹を切ってもいい。もちろん出来たものは販売してORJ資金の足しに。利益も含めて1着1500〜2000円くらいか。

 あと、費用対効果の件で綿100%になる可能性大。何で化繊のTシャツのプリントはあんなに高いかね。

[ToDo] 近世土木構造物の件はどうなった

 明けない夜は(ry。今日手持ちのリストを片付けたかったのさ。明日明日。「能勢の道しるべ」に関しては付図があるから楽だ。箕面の目録は地図がないから大変。しかしmap_url_conv.phpを作っておいたからそう大変な作業ではないはず。あと、耶馬渓の二ノ迫ともう一つの江戸隧道のことを書き加えておきたい。馬場先生に報告するのはその後。

 実をいうと、Google Docs&SpreadsheetsはClassic Macから操作するのがひじょーに困難だったりする。Netscape7.01を使えばかろうじてSpreadsheetsを修正することはできるけど、セルを直接編集できない(コピー→テキストエディタで編集→コピー戻す)うえ、作業するたびに原点に戻ってしまう。産みの親に見捨てられたOSなど使うなというGoogle様のご神託か。しかし天の邪鬼はそういう所にこそ住み着くわけで。

 もちろん、常時お使いのBeOSからや、WindowzWindouzWinbouzuから修正することはできる。しかし常時立ち上げているノートパソコンの無印Pentium266MHzではさすがにキツいしわざわざそのためにPrecisionのWindows2000を立ち上げるのもなかなか億劫だ。特に会社のMacで作業してると見せかけてこっそり(ry ができない。何とかしてくれないだろうか>Google。してくれないだろうな。

[独言] 27日に見学会

 近畿産業考古学会というものがあって、興味本位で加入したのが今年の3月。4月にも見学会兼総会があったのだけど、都合が合わなくて参加できなかった。5月は27日(日)にあるというので早速申し込む。加古川の日本毛織株式会社の倉庫群と平木橋を見学する予定(しかもアノ神吉先生の案内で!)。ニッケパークタウンって、日本毛織のニッケなんですね。シランカッタ。

 土木遺産土木遺産という割には隧道とか道路とかごく一部の知識に偏っている自分。他の分野にも足を踏み込んでみたい(踏み込まないと余りにカタテオチ。不適当な表現というなら頭落ちでも胴体尾落ちでも可)と思うけれど、これまでの蓄積がない分、どこから取りかかったものか悩んでいた。渡りに船とはこのことだと思う。広く一般にも開放された会だから(何しろ自分が会員になれたぐらいだからな)土木遺産や近代化遺産に興味のある方は参加されてはいかがだろう。バックグラウンドを踏まえた上で物件と対峙することの重要性・感動度合いの違いはわざわざnagajisが言うまでもない。わくわく。

[バックナンバーCD] まだ沢山ある

 非常に不思議なことに、まだ3箱手つかず・都合4箱残りのままであるバックナンバーCDなのに、これまでの売り上げであまつさえ製作費を回収できてしまっている上に黒が出ている。本来ならば700枚売らないと赤字だったというのに。

 これはひとえに皆さんが寄付を上乗せして振り込んで下さったお蔭だ。一人ひとりにお礼を言いたいのは山々なのだけど、CDを購入して下さった一人ひとりにまずは等しく感謝を述べなければならない。寄付を下さったからといってその方を優遇することもいかにも現金な話だ。

 ORJができるせめてもの恩返しは、やはり良いコンテンツなり情報なり物品なりを提供することだと思う。あと、どんなことがあっても発行し続けるということ。くたばっても霊界から通信する位の覚悟がなければならんとぞ思うnagajis。あ、ここの部録"はnagajisの妄言集ですから。ORJとして言いたきことはORJにて言いまする。ORJとして。

 そろそろCDを使った企画第2弾に移らなければ。売上の一部を使ってORJの宣伝にかかります。あと、コミケで売るとかしてCD片付けたい。部屋を圧迫するうえに某氏に怒られたごとくヤニ臭が染み着いてしまって売り物にならなくなりそうだし(一応対策は取ってるんだけどね)。

[独言] しかし

 イタコがpdf吐くという構図も厭だな。憑依したと思ったらいきなりpdfを喋り出すイタコ。

%PDF-いってんよおおおおおん
%粤マモ
12 0 objえええ
<< 
/りにあらいずどおおおお いちぃぃぃぃ 
/O 16 
/H [ 970 181 ] 
/L 124129 
/E 64219 
/N 2 
/T 123771 
>> 
えんどおぶじぇえええええーーーーきえーーーーッ!
   : 

 デコードが大変だ。やたらと独自拡張されているようにも思う。

[独言]

 木は森に隠せっていう格言は言い得て妙。しかし一から森を作るのは大変。<!---あと、言うだけで行動しない奴もnagajis以下。含むnagajis。-->

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ 酷道774号(重複区間) [3行でおk]


2007-05-24 作業報告 [長年日記] この日を編集

[tdb] 検索になってない!

 隧道データベースで、「大分」で検索にヒットするのに「大分県」でヒットしないものが多いのに気づいた。あれ、おかしいなあ・・・調べてみるとフルフレーズ入れると当たらないような感じ。

 調べてみるとデータベースに渡す用に危険な文字をエスケープする関数にバグがあって、奇数文字を変換すると末尾に余計なスペースが入ってしまうことがあるらしい。ずいぶん前から指摘されてたみたいなので、その筋では有名なんだろうな。

 出力をtrimして渡すように変更。ちゃんと検索できるようになった。

[ORJ] 原稿

 昨日リストは修正したが、原稿のほうはまだ途中。個々のカテゴリの傾向?について触れると長くなりそうだがそうしないと体裁がとれないな。とはいえnagajisの狭い狭い見識のなかで知っている範囲のことしか書けないが。

[]

 taiheiさんのところで公開されているトンネルリストを見ていて、大分の旗返トンネルが明治竣工になっているのを発見。地形図ではどうだったかな・・・。実は案外古いものだとしたら、自分にとってちょっと面白いことになる。あのぶっつぶれたトンネルに遭遇したのは1996年のこと。この年の夏に鐘ヶ坂隧道に遭遇し(あんなものがあるとは知らず、道を間違えて)、大石峠隧道に出会い(これもまたあんなものがあるとは知らず)しているので、いわば隧道当たり年・隧道に興味を持ち始めた年だった。旗返峠のトンネルまで明治製だったとしたら、何か因縁めいたものを感じる。


2007-05-30 [長年日記] この日を編集

[ORJ] 次号も遅れます

 月末にかけてヨッキれん氏が出張。TUKA氏もそれにお付き合い。というわけで編集部が機能せず、3日まで延期します。例のごとくで申し訳茄子。他の原稿はみなできてるんだけどね。いや、nagajisのhyはできてないか。

[独言] 近畿産業考古学会 見学会@加古川

 去る日曜日に近畿産業考古学会(KINIAS)の見学会が開催された。ナガジsも会員になって初めて参加した。

 いやー、なかなか面白かった。分別のある、かつ好奇心いっぱいのイイ大人が10数人、寄って集って産業遺産を批評する。こんな光景はそうそう見られない。結構気ままに歩き回って、特に拘束されたりすることもなく(密かに自己紹介させられたりしたらどうしよかと思っていたけれども、そんなこともなく。ただし神吉先生や岡田先生とはちゃっかり名刺交換してきたりしたのだった)。詳細はまたいつか報告したい。ここでは概略をば。

 午前中は加古川市の日本毛織株式会社・加古川工場を見学。明治の末から大正にかけて作られた煉瓦造りの工場建屋がよく残っている。ちゃんと工場の方が付き添って下さり、現場視点で解説もしてくださるという(自分にとっては)非常にゴージャスな内容。もうこの時点で鼻血が出そう。

 ニッケというと大きな煉瓦塔が有名だけれども、これがある建物が最初に作られた第一工場(明治32年竣功)。一つの建物の中に動力室や作業場などが一体となった構造になっている。続いてその西側に第二工場、東南に第三工場が建てられた(川向こうの印南にも印南工場が作られている)けれども、第三工場は廃止となって、今のニッケパークタウンになっている。

 よく工場のイラストでノコギリ状になった絵を見かけると思う。自分もそんな工場をよく描くのだけれど、実はこのノコギリ状の工場って、ここのような織物工場を模したものだったりする。ふんだんに光を取り入れるため、垂直になったところに窓があるのだ(窓はすべて北側を向いている。南ではなく。これは一年中安定した日光を取り入れるための工夫)。

 工場の大部分が建設当時の煉瓦造りのまま。「どこを向いても煉瓦建屋」状態なので、一見するとどれも同じように見えてしまうが、仔細を見ると決してそんなことはない。建屋の性質によって構造が違うのはもちろんのこと、軒下のデンティルのつけ方が建物ごとに微妙に変えられていたり、丸窓の作り方、窓枠の作り方が異なっていたりと、小さな発見が続々。一人鼻血ブーになりそうなのを抑えてみなさんの後ろについて回った。

 午後は山田疎水の平木橋へ移動。山田疎水は稲美・加古川の台地を灌漑するために作られた疎水路で、平木橋はその末端に位置していた水路橋(大正4年竣功)だ。日本でも稀に見る構造・特徴がある橋なのだけれども、東播磨南北道路の工事区間と重なってしまい、移設されることになっている。実はその保存運動を推し進めた先生方がKINIAS会員であり今回の見学会でも解説してくださったのだった。これで鼻血が出ないほうがオカシイ。そんなこともないか。

 平木橋は建設資金のすべてを地元負担で賄ったという、地元の人による地元の人のための水路橋。聞いたところでは1軒当たり平均年収の3倍近い借金を背負ってまで作ったのだとか。しかし灌漑の最末端にあるせいでほとんど水が回って来ず、下流にある溜池が満杯になることはなかったそうで、建設直後から忘れられたような存在だったと言われている。それでも先生方が積極的に働きかけ、地元の方々と保存運動を繰り広げて、その結果として移設保存にこぎつけたのも、地元の人々が独力で作り上げたという「土木遺産」であるからだった。

 平木橋の技術的な特徴。何と言っても、アーチのライズとスパンの比が1:5という超スレンダーなアーチ。これだけアーチが浅いと施工や設計も大変だったろうし、ちょっとのズレにも敏感だったろうが、阪神大震災でも倒れることがなかった。縦横を交互に組み合わせたアーチ環の工夫が効いたのかも知れない。

 側面に「HIRAKI AQUEDUCT 1915」という銘板が張られているのもユニーク。橋側面に銘版があるのも珍しいが、そのうえに英語表記になっているのは全国でもここだけとのこと。設計者の自由な発想がそのまま具現化されていて、とても面白く感じた。

 平木橋は今年の9月から解体が始まり、来年には下流の池に移設されるとのこと。ただし池の中に小島を2つ作ってそこにモニュメント的に飾るという、あんまり橋らしくない方式になる予定。予算的にもこれが限界、といった所らしい。何しろ最初は解体撤去で済まされるところだったのだから、残されることになっただけでも素晴らしいことだと思わねば(そこまで持っていった先生方・地元の方々の努力や推して知るべし)。

 最後に、短い時間ながら周辺の水路跡を散策。ひとつは平木橋の下を通っていた江戸時代の水路跡(そうそう、平木橋はこの水路を跨ぐためのもの。水路の立体交差だった訳だ)を辿って下流の池へ。ここは昭和に入って使われなくなったため、今は草ぼうぼうの広場でしかない。続いて平木橋の上流方向へ。道路を挟んで反対側にある民家の庭に煉瓦の煙突みたいなものが建っている。これが実は水路に関係する遺構だ。このへんは土工協のこのページを参照されたし。

 山田疎水はこの辺りでは土手の上を通っていた。地面からおよそ2〜3mほどの高さ。これが2つの道路と交差するために、この付近で「逆サイフォン」になっていたという。その逆サイフォンの遺構だ。

 お言葉に甘えて、井筒の上に登ってみた。覗き込むと確かに底のほうに水が見える。おおお、これがあのエントツの中かー。フツーに一人で探索してたら、決して見ることなどできない光景。気分はもう有頂天である。

 そうして加古川駅にて解散。この日は特に何も無く、三々五々散っていく皆さんだった。自分はこれくらいサッパリしたほうが好きだな。次回もぜひ参加したい。

[pdf] 画質・解像度の最適化

 ちょっと思うところがあって、Distillerのパラメータがどれだけファイルサイズに影響するのか調べてみた。原稿ほっぽってそんなことしてていいのかと思いつつ。

 Distillerの画像圧縮には「画質」と「解像度」、それに圧縮方法のパラメーターがある。圧縮方法はJPEGかZIPを選べて、JPEGの時は画質を最低〜最高までの5段階に設定できる。これはJPEG画像の画質設定と同じものだろう。ZIPを選ぶと4bit、8bitが選べる。これは色のビット数?らしい。そのそれぞれで解像度が設定できる。

 ORJではふだん100から300までの解像度で作っている。そこで同じページを100、150、200、300の解像度で、画質をそれぞれ変えた設定でDistillerにかけた時、出来上がったpdfのサイズがどうなるのか、実際にやってみることにした。

 前提条件として「テキストが主で画像は画面の1/4程度」というページ(P2)と「画像メインで5点ほどの画像で画面が埋まっているページ」(P4)を用意。eps形式で保存して、フォント埋め込み、テキストとラインアートの圧縮をonにして「画質」「解像度」などのパラメーターを変化させたDistillerに通す。

画像の説明

 上図は解像度を固定して画質を変化させた場合のファイルサイズ。ちょっと端折って解像度200、解像度150のものは画質「最高」「中」「最低」の3種類だけにした。

 解像度が同じだと画質が高くなるにつれてファイルサイズが大きくなるのは当然として、正比例ではなく2次関数的に増加しているのがわかる。これで見ると300dpi/画質「低」と200dpi/画質「中」、150dpi/画質「高」あたりがほとんど同じサイズになっている。むやみに解像度を上げたり画質を上げたりしても意味がないということだ。

 解像度が高ければ高いほど拡大できるので、小さな面積を占める画像は高解像度にしたい。逆に扉一枚を画像にするような大きな画像の場合は解像度を下げたいところ。しかしDistillerではページ単位でしか指定できないから、大小の画像が混在しているようなページを作るときに苦労する。大きめに作って不必要なものの解像度を下げるなどの工夫が必要。

画像の説明

 「圧縮」のパラメーターをZIPにした場合はどうなるか。解像度を固定して画質を変化させたものにZIPを選んだ場合を並べてみた。解像度100の場合はZIP4bitはほとんどJPEGの「最高」と同じ。ただしZIPでは色が間引かれるようで、出てくる画像はなんとも情けないものになってしまう。ZIP8bitは本当に圧縮してるのかと思うようなファイルサイズに。画像多目のP4だとJPEG/画質「高」よりも大きくなる、Zip8bitでは爆発的にファイルサイズがデカくなる。

 「圧縮」のパラメーターにはもう一つ「自動」というのがある。場合によってJPEGとZIPを使い分けるらしいのだけど、実際に比べてみると、解像度100の時にはZIP4bitに近いものに、300の時にはJPEGに近いものになった。出力されたpdfもそんな感じの色になっている。一見すると賢そうな「自動」だが、出力がぶれるという意味で使い物にならないと思う。

 自分の参考のために、作成したpdfを一枚にまとめ、画像部分だけを切り抜いて並べた画質と解像度の関係がわかるようなpdfを作ってみた。出力は解像度350/ZIP8bitにしたので元のpdfの画像とほぼ同じものになっているはず(JPEG「最高」では少しダウングレードされてしまう模様)。お暇な方はどうぞ。

 末尾のページはZIPがどんな場面で役立つのか試したもの。A4サイズにPC画面のキャプチャ3枚を貼り付けたものをpdf化して並べている(キャプチャは解像度300にして100%で配置)。これを見ると解像度200まではZIP4bit>JPEG「中」で、300dpiではこの関係が逆転している。解像度が高くて色数減になってもかまわないような画像の場合はZIPが使えるのかも知れない(が、やっぱりJPEG「低」くらいでも充分使えているし小さくなる)。特に今回はグレースケールの場合にどうなるかを試していないので、こういう場合には使えるのかも。(あ、200/ZIP4bitと8bitが300のになってるっぽい。また今度直します)


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