nagajisの日不定記。
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もう一ヶ月が経っていたのか。早いものだ。
10年近くほっぽっといて、今更ながらに新発見。
広石一匡 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940931/57 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940939/58
駒田 普明 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940939/66
どちらも名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)の卒業生。広石さんは大分出身だったのだな。明治40何年かの土木科卒業生。福岡県庁や山口県庁に勤務した形跡がある。そして大正14年頃奈良県庁へ移り土木部長。ほかに陸軍軍人の肩書ももっている(これは名前で検索して出てくる「道路の改良」の叙任辞令欄)。
駒田さんは大正の卒業生。愛知出身。9年だったっけ。んで名古屋工業大学の卒業生会の奈良支部主任を、広石→駒田と受け継いで勤めている。たぶん奈良県庁で同席していたよしみでバトンを渡されたものと思う。駒田さんは昭和50年代まで支部長をしていた?
http://nit-osaka.com/organization/history.html
わかったのはここのおかげ。時たま思い出して検索してみるものだな、昔は検索してもここしか引っかからなかった。
月ヶ瀬ローゼ橋は山崎博が設計。駒田だったか広石だったかは計画指導。
未だ治っていないのだが食物アレルギーが関係している可能性が強くなった。甲殻類がよくないようだ。もともと出始めはmasaさんらと但馬に行ってから。あの時帰りがけに香住に寄って飯を食べたのだが、用心して海鮮丼を食わなかったかわり、定食の味噌汁にカニが入っていた。カニ味噌でだしをとった味噌汁だったらしい。小マダニに食いまくられたのはその2週間前だからちょっと離れすぎている。んでこの間、讃岐製麺でエビと夏野菜のかき揚げを食った晩にひどくなった。その前日頃には薬を飲み忘れるほど小康していたのにだ。
だからエビ類は避けていくつもりだったのに、夜食にカップヌードルを買ってみたり、どん兵衛そばを買ってしまったりしている。カップヌードルはノーマルのやつでもエビが入っているのを忘れていた(湯を入れた後気がついてエビだけ取り除いて食ったがやはり若干悪化した気がする)。どん兵衛そばは後乗せサクサクの揚げ天に入っている。カップヌードルじゃなきゃいいだろうと思ってそっちを買ったら入っていたという阿呆なことをしている。その阿呆さ加減が嫌になって結局食ってしまった。いま尻の辺りがジモジモしている。
自分の生まれ育った環境によって常識は左右される。日本に生まれ育ったので飯は箸で食うものと考えてしまう。蝉の声を風物詩と思う。日本に生まれ育たなかったら箸なんて使えないだろうし蝉の鳴き声はうるさいノイズでしかない。汎日本的な事物に対してはまあある程度のコモンセンスとしての常識はあり得るかも知れない、しかしその及ぶ範囲が狭くなればなるほど常識は危ういものになる。いや逆か、誰もが知っている物事であればあるほど種々な見方がなされていて自分の常識から外れる見方が増えてくるかも知れない。
自分が慣れ親しんだもの・ことを基準にして考えているから、見慣れないものに対して忌避感を覚える。見慣れないものをありのままに見て批評を加えることは難しい。自分が持たない知識に立脚してものごとを考えることはできないから。
何もないときはしぬほど暇で生きているのか死んでいるのかわからなくなるほどなのだが、一度何かが始まると立て続けにどんどん追加されていくから不思議である。落とさないよう扱わなければならない玉が3つも4つもあって戸惑っている。
たぶん1個は返却した。残りはしばらくエッサホイサしなければならない。まあどうせ、終わればまた何も起こらない日々になるんだろうから。ある時にせいぜい遊んでおくといい。
にっかり青江という言葉をうまく覚えられない。特徴的なエピソードがあり言葉自体も特徴的なのだが、ふいにこれを思い出そうとすると躓いてしまう。起きた直後のぼんやりした頭では特にだめだ。
「にっかり」まではすぐに出てくる。その次がいけない。「にっかり……にっかり何だっけ……」と逡巡してしまう。そうしてやっと、ブルーのイメージが湧いてくるのだが、なぜがそれが修二会の「青衣の女人」へ直結してしまい「にっかり青衣」みたいな言葉になってしまう。これもおかしい。青はたしかに合っているが修二会のは「しょうえのにょにん」であって「あおえのにょにん」ではない。頭の中では「あおえのにょにん」という読みで登録されているらしい(だから「あおえ」繋がりだと言えなくもないが)。
思い出せなくても困らないような単語なので別にいいっちゃいいんだけれど、脳の劣化をまざまざと見せつけられているようで嫌な気分になる。昔はもっとすんなりと、砂糖壺に雫を垂らすように吸収できたように思うのだがといたたまれない気持ちになる。どうしたものか。
昼の弁当にエビチリが入っていたのだが一つ食べたところで気づいてしまった。まあええかと思って全部食べたら案の定蕁麻疹が出て痒い。困ったことである。まあ、米にも小麦にもアレルギー反応出すようなポンコツなんだから何食べても同じような気がしないでもない。どのみち食う前から少し出てたんだし。
さてさて、いつになったら治ることやら。気にしているから酷くなるようにも思われるんだが気にしないでいろというのもなかなか難しいことだ。あとこの蕁麻疹が治らない限り新型コロナのワクチンも打てない。壊れた免疫系にワクチンなんぞ打ったらどうなることやらだ。やってみる価値もありそうではあるがその前にどっかいっちゃった予約券を探しだしてこなければならずそれがまず面倒臭い。よだきいで人生の半分以上を無駄にしているnagajisである。