nagajisの日不定記。
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尾鷲 104x54x215, 106x53x220, 54x106x217, 55x103x219, 56x106x222
相賀 103x54,224, 105x55x220, 107x57x220, 105x55x222, 102x55x223
相賀には大阪窯業の手整形煉瓦が使われている。 あの整った綺麗な小口は、そう言われてみれば確かに大阪窯業製らしい。よほど市中でだぶついていたのだろう。抑、明治時代から米子とか台湾とかに輸出してたくらいだから充分あり得る話である。
大正2年着工・同5年竣工のでも手整形。そもそも大阪窯業の刻印が押されている機械整形を見たことがない。2通り考えられる。
1.機械整形煉瓦の用途が限定されていた
鉄道局納入用とか水道局とか。特級品の位置づけ。
2.機械で切り出したものを撫でて整形していた
機械整形のささくれが粘着力を高めると言われていはいたけれども、日本煉瓦製造の「煉瓦要説」の話であって、関西圏ではどう取られていたものか。機械切り出し+手整形と考えれば、大窯の手整形煉瓦のホモぶりに納得がいく。
そうか、 大窯の手整形煉瓦を割ってみればいいのか。割るっていうよりも切断。断面を見てみればわかるはず。
相賀には大正九年一月の銘のあるお地蔵様。頭が欠けておられて痛々しかった。なんで気づいてあげられなかったのだろう。申し訳ないことをした。
夏の探索を書き終えて手直し中。大きな発見がない分余計なことを書いている。ただ書いているうちにそれでよい気がしてきた。要するに峠行がしたかったのだ。
12月のぶんをどうまとめるか・・・はやいうちに十津川村にお尋ねしなければ。
メーリングリストを作ろうとしたら設定がふっとんで焦った。バックアップも反映されねえんでやんの。多分サブドメイン拵えたうえでそのドメインでML作ろうとしたからMailManのフォルダとサブドメのがバッテングしたんだろーと適当な理解。解決方法は時間。
間借りしていたxreaが容量不足になってしまった。ということはenlのMLも設置できない。いろいろ思案した末kyudou.orgの下に持って行くことを決意。私物化しよう。
いつのまにコピったのだろうあの本を(うむこれは盗作だ)。何故か本棚に該資料があってM34調の補助里道一覧が載っておった。補助里道制度は明治19年に成立し20年度より実施。ただし当初は河川と同様のざっくばらんさ。ザック・バランサー。荷物の偏りを解消するために重石として入れる煉瓦のこと。
これを使えばもう少し正確に路線を追うことができるだろうがあまりに多いので一気にやる気が起きない。その前に府下の地形図を揃えるところから始めたほうがよさげ。
縦貫線・横断線の分類は府誌独自のものだろうな。支弁法ではそんなふうにはなっていない。
役立たずに終わった高架橋と件の生活空間の組み合わせが哀愁。未成線ではなく廃線だったらまた違う印象を受けるんだろうか。稼働中のだったらただの下町でしかない。
仕事中は眠くならないのに帰ってから急激に眠くなるのはなんとかならないものか。せっかくのフリータイムなのに。その時間帯に起きれば寝るのが大変なのはわかってるだろ。べつにキーが進んでいるわけでもないのだし。興に乗っても時間がかかり、打ちあぐねても時間がかかりじゃ、いつになることやらだ。
しかし考えようによっては人生を最大限に活用していると言えなくもない。普通は一日一回の睡眠なのだから、日に2度寝て起きていたら2倍の人生を生きていることになるのではないか。うむ、こういうのがポジ恥部シンキングというものだろう。
会話のキャッチボール
という慣用句が使われるべき場面で
会話のドッジボール
という句が用いられたのを聞いた。特に違和感もなく、ああそういう言い方もあるのだなあと思っただけだったのだが、その時はあとで周囲の一人から「面白かった」と言われ、はたと膝を打ったことだった。
確かにそうだ。ぶつけて退場させるために力いっぱい投げつけてみたり、ひらりと交わしてみせたり、フェイントをかけて別の人間にぶつけてみたりと、およそ元の句の意味するところと異なるものになっている。下手すれば鼻血出たりもするのだぞ。同じだと思ったnagajisの思考が奇妙なポテンシャルだ。
とはいえ、今は昔ほどキャッチボールをしなくなった。ドッジボールの経験者のほうが遥かに多いのではないか。経験に則って理解しやすいか否かという点ではドッジボールに軍配があがる。となると今後
会話のドッジボール
のほうがマジョリティーになる可能性もある。その日に向けて特訓をしておくべきである。それ。うりゃ。顔面セーフ。
ところで顔面セーフってあんま意味ないよね。たいていの場合ショックで続行不可能になっちゃうし。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/796879/126
小野田氏のhttp://library.jsce.or.jp/jsce/open/00044/2000/20-0269.pdfでは明治9年の12ftウェルになっているという不思議。 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2942281/164
無料版のgooメールが3月10日で廃止とな。はるか昔に取ったアカウントで確認したら、まだ生きてたが一通もメールが来てなかった。すげえ!
今日中に終わらせたると思っていたけれども。あと1/6くらいのところで力尽きた。明日には仕上げる。んで次のを作らないと。
モノが出てこないから展開が単調だなあ。だからといって何かを仕込むほど余裕がないわけでもない。そういう探索だったんだという記録だ。
うむそれよりも問い合わせをどうしよう。したらしたでまた長くなるけど、しないとますます締りがないかも。でもまあ「謎だー」で終わっても連載企画なのだから後日追記したってよいじゃないか。
今回の原稿を書いている最中にハタと気づいたことがあった。今までいくつも峠を越えてきたのに気付かなかった、しかし気づいてみると真理のようなものであるらしく思えるものなのだが、それがうまく表現できなかった。今もモヤモヤしている。無知は罪ならず。拙いのが罪。
生き死にをかけて越えていた峠、そこまで大げさでなくても暮らしていく手段として越えていた峠ほど、さり気なく、粗野でいて、に続く部分。深く考えずに越えていた峠だから、お地蔵様や堀割のような「目を引くもの」が欠けているという説。ないなら記憶に残らず、残らないゆえに振り返り思い出そうとする。思いが懸かる。印象を残さなかったことがかえって峠への誘引剤となる。
峠が目的地でないからか。あくまでも通過点であって、そこを無事越えられれば充分だった。峠で煙草をくゆらしらり立ち小便をしたりしたのは旅人ばかりで、道を使って暮らした人々は必ずしもそうでないだろう。そうそう、家の前の路地を遠く離れた地で思う時のような感じ。旅に疲れた時、天神荘前の細路地が懐かしく思えたような。んで実際に立ち戻ってみても道があるだけで失望する。
思うばかりでなかなか越える機会がないという点では「あれは峠だ」と思う人々と同じ心持ち。ゆえに石垣りんの詩に共感するところがあるのだと思う。行きたくなるのは可哀想な峠だから?Noとは言い切れない。誰も興味を抱かないから思いを懸けてみたくなるのはある。構ってあげようというスタンスではなく、共感をもって、対等なものとして接したくなる。ここがいちばん伝わらない。
越えて、麓から仰ぎ見て初めて実感が沸くものかも知れない。峠に立つことじゃない。越えたという記憶を得るために越える。形態は物見遊山に近いけれど、はてどうか。それと観光地巡りとどう違うのか。違わない、特別なもの、と思っているのは自分だけで。ならば何故特別なのかをわかりやすい言葉で表現してみろってんだ。
じぇいおう、ぎばらんじぇあ。おげぐるっぱびもびも。ふんじるげってんはいさるい。
訳:しかしながら自分を公開することもないしは閉ざすことも相互存在というその都度の在り方に基づくばかりでなく実にこの在り方そのもので在ると同じく他人の改めてはっきりした顧慮的な開示作用もまた第一義的な他人との共同存在の働きからだけ生じます。
再訳:pdfを仕上げてから校正かかって終わったのが午前3時。牛丼大盛汁濁玉で恍惚し帰ってきて今に至る。さっさと寝たい。
その月の20日から入寮して集中訓練受けることになっていた人生の分岐点を重ね合わせて云々という話は省くことにした。だれも欲しがっちゃいないそんな情報。唐突に挿入される道ロストを嗤えばいいさ。人がいたらの話だが。
しかし38MBにもなったのはどうするべか。解像度結構落としたつもりなんだけど。8でsqueezeしてみようか。あまり変わらない気もするけれどな。意味もなく大画像を侈ったのが原因の一つではあるがそれが全てでないはずだし最後のほうのはまだ意味がある。 数MBしかかわらないだろうけど。縦使いのを100dpiまで落としてみるか?
ここで二分割するのも変だしな・・・。
ずいぶん以前にTUKA氏に倒置法使い杉と怒られた。倒置法使うのはべつに凝ってそうしているわけではない。希望・願望が先にあって、でも問題があってすぐには解決しないんだよね、どうしよね、っていう順の発想のしかたをしがちだからだ。と2段落上を書きながらおもった。障害となる○○があるけど△△しよう、ではないのだな。△△したい。まずそれが出てくる。でも実際は|本当は|結局は○○なんだよな、と。あるいは原因ー結果を一意に結び付けたがらないからか。
回を重ねるごとにページが増えていく。もっとちょろっとしたのでいいのに。
今回Cアーチでひとまとめにしたのはやりすぎだったかなと思わないでもない。次どうするのだ。使ってないCアーチの絵葉書もいくつかある。ほんとは3ヒンジのとかほしい。ものすっごく限られるが。<ほらね
あと言えるのは何だろう? 連続アーチと単アーチとか? 同じ絵葉書を使うことになるが見え方の違いとかしてもいいんじゃねと思ったりするがそれじゃ形式じゃないよな。それはまた別の機会でもいい。
木橋。鋼桁橋+ランガー。桁橋だけだと地味なので。鉄道のが多くあれば作○式とかやってみたい。鋼アーチ。スパンドレルブレースドとブレースドリブタイド。長六橋と白鬚橋あるからな。忘れそうだ>白鬚。数はSBAのほうがはるかに多い。
そのうちトラスももう一度やらなあかん。木造。ハウトラスだった頃の両国橋。石橋は結構地味になりそう<これ桁とアーチとまとめてしまうとよくない気がする。
ゴミ袋が切れたと思って買ってきたはずなのだが見当たらない。どこへ放ったのか。
プラゴミだからまあいいかと思って袋のないままもポリバケツに放り込んでいる。よくないことである。溜まってから泣きを見ること必至。
S30発行のアサヒ写真ブック入手。結構貴重な記録かも知れない。メインは丸山ダムの建設の一部始終で、ときどき他のダムも出てくるが、残念ながら吉野熊野はナシだ。同じシリーズの「熊野をさぐる」があったらよかったのになあ。
一日置くと味が落ちるなあ。やっぱり揚げたて作りたててないとだめだ。
短くしようと思えばできる記事。水増しと取られて泣けばいいよ>nagajis。しかしまあこれでまたnagajisの悪行リストに一つ二つ追加されることになるんだろうな。通報したければ編集部住所でもwhoisでも調べるといい。
とか書いておきながら今度はサンポールとタワシを持っていくつもりでいる。
自分から開示していかないと人間関係なんて構築できない。受け身だから進まない。それに気づいてくれるかどうか。それは自分を大きく見せるためだったり優位に立つためにやるんじゃないのよ。開示していくことで相手も変わってくれるんよ。相手がどう思おうと構わないのよ。2度3度でめげるからいかんのよ。ということを集中訓練で学んだ。うっとうしがられてもいいから仕掛けていかないといかんなぁ。
MさんもYくんも元気にしているだろうか。会いに行こうと思えば行けるのだろうけれども、終わったことだから懐かしく良い思い出として思い出せるのだろうとも思う。頑張っていること信じ、遠くで思うほうがよいように思っている。
問い合わせで判明した書籍、どう検索しても見つからぬ。電話を通じていただいた情報はそれはそれで充分に充分なのだが、それ以外に書かれていることが非常に重要なもののような気がしてきた。今後道を追いかけていくにあたっては、特に。
考えてみれば今回は閏月を挟んでたのだな。その割にはよく頑張ったと思う。この調子で次号も頑張ろう(と終わる前から次のことを考えておくと結構進むことを学んだ昨今)。
次号は蓮根峠の下。他の峠は補遺でいいかなと思った。少し間が開くだろうし。モノは特に出てこないので工夫が要る。なくてもよいかも知れない。その時は廃毒でどちらかをやる。煉瓦は再来月(再々来月?)だとちょうど一年でいいのかも知れないが密度足りんと思う。サブは七三峠を片付けておきたい。ホントは今月がちょうどよかったのだが資料を読み込む暇がなかった。もう4年も前?の資料だもの、すっかり忘れている。
そろそろ定点観測を始めてもよい気がした。H氏と2つ行っている。もう一回行くし。これはサブサブくらいの扱いでよい。
3月か4月には一度西熊野街道へ行っておきたいな。可能だろうか。行かなくてもあと2回書けると思うが。5月は水無谷か大塔行きたいです>masaさん。
今だに結果がどうなったのか知らないが、いざとなったらあれでもいいのだなあ。そう考えると結構安泰だなあ。問題は自分が当時のことを覚えているかどうかだ。
今回のスケッチで津越野周辺の写真を出し尽くしたつもりになってたが、ひとつ忘れ物があった。川津の国道県道分岐点にあったこの標柱。「道路工手」とある。「工手」というと技術職のあの工手を思い出すけれども、戦前まで遡るような古いものじゃないことは確かなC製だ。
たったいまこの写真を見て思い出し、戦前の職制がいまのようになったのはいつのことだろう、と思って調べてみたら、そうじゃねえ、奈良県ではいまも道路工手という職が存在する。服務規程が現行であるなら職もそうだろう。
というわけで一件落着。奈良県は時折そういう古いのが残っててびっくりさせられる。件の道路愛護規定とか。
桃が流れてきたのを不審に思い、川を遡っていって、桃の花咲き乱れる素敵な世界を見つけたから
桃源郷
とはいう。
もしその発見が、今の時期のことだったら。梅の花が流れてきて、それで見つかった、というストーリーがあり得るだろう。透き通った青い淵に、せせらぎに、梅の花が一輪二輪、くるくると廻りつつ流れ来る。まだ薄ら寒い銛の木陰に幽かに薫ってくる梅の香。なかなか様になるシチュエーションじゃないだろうか。
という想像はよかったのだが、その結果できる熟語が
ばいげんきょう
だということに気づいて一気にワヤになった。なんだろうこの残念な響きは。嘘だと思ったら2、3度つぶやいてみるといい。ちっとも心地よい印象がしないから。
とりあえず発行した・・・@11:40ころ
下が大阪方『B』、上が京都方『B』。
製作が佳境に入った午後九時頃、「原子核物理漫才」というネタを思いついてどう仕様も無くなった。
238U:どもー、ウラン238でーす。
235U:どもー、ウラン235でーす。
238U:兄弟で漫才やってますねん。よろしゅうお願いしま。
235U:いきなりで悪いんやけどな兄ちゃん。
238U:なんや?
235U:わしら兄弟やったん?
238U:いきなり前提条件崩すよなこと聞くな。
235U:せやかてわしら、中性子の数違うだけやろ。化学的には全く同じ性質なんやろ。
238U:せやで。クラウンエーテルにくっつくかくっつかへんかの違いくらいしかないわな、化学的には。
235U:せやったら、わしら双子ちゃうの。
238U:何ゆうてんのや。わし238やで。お前235やで。わしのほうが上やんか。兄貴やんか。
235U:でも原子番号は一緒や。周期表で云うたら同じ欄や。兄弟いうたら原子番号が1個違うとか、そういうのちゃうのん。
238U:そんなことゆーたらお前は一年経ったらNpになるんか。三年前はAcか。そりゃおかしいで。やっぱ質量数で比べなあかんで。
235U:確かにまあ、兄ちゃんはおれより中性子肪多いもんな。
238U:中性脂肪ちゃう! そういうお前こそ中性子吸収しやすいやろ。んですぐに二つに分裂しよる。えらい迷惑や。いきなり弟が2人にやるんやで。こっちの身にもなってもら・・
99Y:お兄ちゃん!
135I:お兄ちゃん!
238U:ゆうてるそばからこれや。
135I:お兄ちゃんお腹すいた!
99Y:お兄ちゃんおしっこ!
238U:あーあー待て待て! こら!そこでβ線放出すな!
99Zr:そりゃ無理やわ兄ちゃん、わて半減期1.47秒やもん。あーまたおしっこー。
99Nb:ふう。
238U:ダダ漏れやな……。
そんなこんなでわやになっていく。オチはこうだ。盛り上がったところで238Uが屁をこく。
135Ba:うわクッサ。なにさらすねん!
234Th:あかん、α崩壊してもうた。
135Ba:その心は?
234Th:He2+が出た。
問題は、オチに至るまでに相当な時間がかかること。238Uの平均寿命はおよそ1015年だ。
↑あーあー
地形図じゃなかったか。waybackmachineから発掘してきたけど図書かなあかん。しかも解像度めっさ荒い。図をトレースするって簡単なようで難しい。どこが必要なのか、どこを省略できるのかわからない。あーあー。やるならやる、やらないならやるでさっさとやっちゃえばいいのに。あーあー。
奈良図に行きたい。行かねばならない。行きたいと思ってもすぐに行けない状況をあーあー。
あーーあーー。つぎ滝川のときは風屋ー野尻を確認のこと。あーあー
歩かなければ新たな興味が広がらない。進まなければ止まらない。ああー
まどみちお氏逝去の報を聞いてやぎさん達の行動事象歌に思いを馳せている昨今である。あーあー
知事引継書はなぜ別表を省略しておるのか。大事なことがわからぬではないか。あーあー
文用。Introduction。大阪の煉瓦製造業。全国の40%を製造したこともある主要産業。けれども完全解明からは程遠い。そもそも刻印ー会社の対応ができてない。あーあー。
2。古い煉瓦には刻印。(ex.大阪府庁跡から頒布樹三書刻印煉瓦。泉布観の煉瓦) 考古学資料としての価値。 刻印(煉瓦)からその建造物の建造年を推測。しかし 刻印ー会社の対応は不完全。
水野新太郎氏の研究。主に大会社のもので、採録されていない刻印は無数にある。
そこで
研究の目的:刻印と会社のマッチングを行ない、より網羅的な対応表を作成したい。あわよくば関西圏の煉瓦製造業の長消を研究。
手法:刻印採取と分析。文献資料渉猟。
まず「いつどんな会社が存在したか」洗いざらう必要。先行研究として泉南市紀要。より徹底的に資料調査(工場一覧のほか商工録ほかの資料も。ただしwebで)。かわりに関西圏全部作っといたから。(この部分は配布資料に委ねる)
以下手法の解説しつつ特徴的な刻印の説明。あーあー1.資料から。2.刻印から。3.煉瓦分布状況から(工場跡地とされる場所での採取、その周辺における分布状況)。4.「共使い」からの絞込。
成果は配布資料見てね。不完全だから計画はご利用的に。
今後の課題。分布状況の調査。年代既知な煉瓦建造物に見られる刻印の例の採取(特に大会社以外のもの。発掘調査報告書。建造物移設改築調査報告書の類薄い)。煉瓦製造業に関する文献資料の収集。とくに明治初期の。
話す用。 関西の煉瓦製造業。最盛期には全国の40%の煉瓦を製造。始まりも古い(造幣寮、砲兵工廠。京都神戸間鉄道)。全国を代表する産業だった。にもかかわらず研究進んでないんじゃね。まあ全く途絶えた産業ではあるけれども。
とっつきやすいところ。刻印<>会社名のマッチング。言い換えると会社がどんな刻印を使ってたか特定。煉瓦刻印。会社が自社製品であることを示すために。だから会社が使っていた刻印がわかれば年代推定のものさしに使えるんじゃね。そのへんに転がっている高々2000ccくらいの物体から製造年がわかるってのも面白いやん。あーあー
煉瓦刻印の先行研究はある。第一に水野氏の研究があるが不完全。意外と関西のが少ない。
この時点ですでになげえな。言いたいこと整理しとかないと無理。あーあー。
1.資料から。おもに「大日本商工録」。大正期の5大窯業。先行研究から貝塚。と言われてるけど一次ソースわからんかった。まあ年代合わないことないけど。知ってる人いたら教えて。
旭窯業。実物存在。
2.刻印から。刻印の形自体がヒントに。さきほどの旭窯業、旭日マークだから旭窯業ともいえる。これは奈良の例だが「小」を図案化。丹治煉瓦工場跡の「丹」マーク。
3.分布状況から。大阪狭山市の大阪煉瓦。六稜星。「★」。転石の活用。
4.共使い。旧府神社。日本煉瓦と堺煉瓦と★。部屋とYシャツと時々私。 岡町の井桁。
以上のクロスチェックで絞り込んでいくことが可能ではないか。
ああーうあーあー。
_ 佑有子 [まだ言葉に出せるから大丈夫です。本気でそう考えていたら怖くて言葉にできないと思うから。 今までたくさん山を越えてきたと思うけど、今度はその山がちょっと険しいだけです。 気持ちも身体も休む時間をとれ..]
_ 猫R [あれ?、ネタにゃなくて本当に落ち込んでる…?。オイラはnagajisさんのことを尊敬してますよって、浮上してきたらまたおもろいことよろしゅうたのんます(ストレートなことしか言えませんが)]
_ おこぜ [かませ犬でも捨て猫でもいいけどさ,「落ち込む」なんて高級なことほざいているうち(本人は言っていないねw)はまだまだ。あんたはそんなもん関係ない境地にいずれ至るよ。保証する。金持ちにはなれないけど,..]
の簡易報告を25日の晩に書いたつもりだったのにプレビューしただけで消したようだ。不抜けめ>nagajis。バツとしてアサリ起こし三千歯。終わったら左下の隠しカメラに向かって尻振り百回な。
常三郎さんとこで。明治20年代から大阪で耐火物を作り続けているこの会社の耐火煉瓦を、会社の工場前の縁石以外で見たことは、実はない。
三木市街をじっくり歩いて回る時間がなく、管見では古い赤煉瓦を見つけられなかった。鍛冶屋の多い街だから耐火物の古物はたくさんあるかも知れない。現に常三郎さんのところにはマーク入りのOYKなどが転がっていた。そういう場面で見つかると流通を跡づけられていいのだが、インテリアやガーデニングの素材としてヤフオクされているご時世だから、たいていは同定に使えない。ちょうど、人の移動が昔よりも自由にかつ頻繁になって、苗字で出身地を言い当てることができなくなったのと似ている。
移動中のバスの中から見つけた。あると知らずに見つけたものほど嬉しいのはなぜだろう。自分が知らなかっただけで、自分が生まれるはるか前からそこに在ったものなのに。
廃道や遺構も同じ。自分が第一発見者なんてことはあり得ない。誰も知らない廃道なんて存在せず、あるのはただ己の慢心と顕示欲だけだ。ということを前提に書くと廃道ルポはかなり難しい修行になる。誰にもおすすめしない。
最後に立ち寄った道の駅三木で。アスファルト舗装のロードローラー。会社のマークを見て
新和窯業と吉名煉瓦の組み合わせだ
と思って独り興奮した。
ワケワカメを投げつけておいて一旦中断。
吉名煉瓦の刻印の拓本。つい先日帰りがけに採取した。空き地に猫がいたので近寄っていったら雨に洗われて露出していた。猫そっちのけで掘り返した。
YoshinaのYを○で囲ったもの。一本足すとピースマークになる。ということはどうでもよく、広島の煉瓦がここまで及んでいることに驚きを禁じ得なかった。とはいえすでに山陽煉瓦のSRKは見つかっている>岡町。大阪でもここまで広域の煉瓦が集まっているところは少ないはずだ。だんだんこの街の特異性がわかってきた。どういう流通機構があってこうなったのか知りたいものだ。
んでロードローラーの話である。新和窯業は○にSである。○にYの吉名煉瓦を足せばこのマークになる。それに気づいたことに奇妙なポテンシャルを感じたのである。もうちょっと正確にいうとそれに気づいたnagajisの神経にである。その気づきを記録するためだけにこの写真を撮ったことにである。
おそらく世間一般では「俺ってスゲー」か「俺って異端」と続けるところだろう。新和窯業の刻印が○にSだと知ったうえで吉名煉瓦のことも識り○Yだと知ったうえ重ねてみるという発想がなければ出て来ない気づきだ。偉業か阿呆業かのどちらかだろう。しかしあいにく私は一般以下なので同じ轍を踏まない。誰にも伝わらない発見をし独りで悦に浸っているnagajisを哀れに思っただけだ。
続いて思ったのは
あれ、そうすると○が重なるんじゃね? 打ち消されてS+Yになるんじゃね?
であった。さらには
いやいや、SとYの重なったところも消えるんじゃね?
とも思った。誰がXORを取れといった>nagajis。
結論はない。強いて言えば「煉瓦刻印を知っていると暇つぶしができる」ということくらい。
そのうえ吉名煉瓦の採取地を見失った。それまで数度その前を通っていた空き地だったのだが、採取後にもう一度行こうとして、これまで3度失敗している。古いクリーニング屋のある辻を南に行った所だったようにも思うがそのクリーニング屋の場所からして定かに覚えていない。もっと171寄りのような気もする。あまり行き過ぎると豊島煉瓦予定地のあたりになる、あの辺り。帰りに二宮金次郎の交差点の信号操作函の上に置いたのは覚えているから、そこから南下したところであるはずだ。
そういや豊中には大和煉瓦もあったんだよな。庄内のほうだけど。これで江州煉瓦の○Gとか和歌山の分銅形とか見つかれば最強。
くだらねえことはいくらでも書けるなあ。楽だなあ。それに引き換え、といういつもの感想。そして探索中に思ったことを書くと妙に説教臭くなるのはどうしてか。根が坊主だからか。隠れ坊主。響きだけはいいな。
前編で背景を説明し切ったので楽っちゃあ楽。
流行りものに手を出さないくせに、世間から忘れられた頃になっても頭から離れないものが多く、どうしたものか、と思う。
アガリスク
などはそう。不意に思考の中に浮かび上がってくるうえ、その言葉尻だけから判断して、
血圧が上がるリスクを有する何か
だと連想してしまう。「茸」なのを未だに知らない。
無駄な思考の連鎖を食い止めるよい方法はないものか。それこそドコサヘキサン酸か何か摂取したほうが良いのかも知れぬ。
納得がいかないものを列挙していくと自分の頭の硬さがわかる気がしたのでやってみる。
安直なネーミング、未だに馴染めない。 例えば「まとまるくん」。消しカスがまとまるので摘んで捨てられて便利という消しゴム。その機能は便利かも知らぬが「まとまるくん」はないだろうと思う。安直すぎやしないか。そのうえ言うほどまとまらないし。ゆるキャラの名前も腑に落ちない最たるもの。「ひこにゃん」は確かに可愛いが「彦根のにゃんこ」だから「ひこにゃん」というのは安直すぎる。その安直さのくせに人気者なのがまた納得がいかない。
そういう安直なネーミングは消費者を馬鹿にしてるんじゃないかと思う。難しい名前つけたらお前らわかんないだろ。覚えられないだろ。そんな憐れみ目線が読み取れる。してまたそんなネーミングじゃないと売れないらしいのがなんともだ。
というところまで書いて、我が身を振り返ってみて、いろんな角度からブーメランが帰ってくる気配を感じた。まあいいか。そういうのに気づくためのカテだ。
名前をただの識別子と割り切ることができたら楽なんだけどな。世の中がすでにそうなっているのかも知れない。名はなくても存在するものだってあるぜ。
ちとコーヒーを飲み過ぎたようだ。さっさと寝てしまいたいのになあ。
いつものことだが〆が甘い。もっとも物語として書いているわけじゃないからな。
上がった尾根筋は合っているのだ。そこから先でどこかで折り返さなければならなかった。古道はその尾根筋を真っ直ぐあがっていたはずで、写真のトタン板のあたりを登って行かないといけなかったようだ。もも。もといむむ。
[A-Z]*?[0-9]+-[A-I]-M?[0-9]{4}\.?の[0-9]+の部分を4桁に揃えたい欲求があるのだが、ExcelなのでVBA+マクロのほうがスマートなんだろうと思うものの、VBAは触ったことすらないうえ、それをやったところで大した効率upにならないのがわかりきっているので躊躇っている。さいごのほうで行ったり来たりするのがなくなるだけだ。馬鹿の一つ覚え的にphpに投げたほうがいいのかも知れぬ。
あ、ちゃうなあ。([0-9]+)-でマッチさせて$1をzero fillしたのに置換すればいいのか。
と思いつき、preg_replace_callbackで一発ヤンヤンとか思ってしまったために一晩無駄にした。5.2じゃ使えないのかYo。あと、それだとpaddingすべきでしたのとそうでないのにしたのとが区別できない(区別する必要があるかどうか微妙だが)。通るなら[^\d][\d]{1,3}とかにしたほうがいい。
受付が出資したという映画を見に行く。昨年奈良県各地で行なわれた「はならぁと」というイベントの記録映像である。「はならぁと」は古い町並みや町家を使って現代アートを展示したイベントだ。
前半はドキュメンタリーでもイベント紹介でもなく、会場のようすを(おもに裏方から)撮影した動画をつなげただけの構成。裏側が垣間見れたのは面白かったが、出展者の仲間内か、イベントに参加した者でないと楽しめないだろうという内容だった(受付ははならぁとのいくつかを見に行っているので楽しめたみたいだが)。とはいえ私も一度は訪れたことがある場所が会場となっていたので「へーそんなことやったのかー」という面白さはあった。
最後の15分くらいで展開がガラッと変わる。取材者(映像の作者)がイベントで知り合ったという人物(S氏という)へのインタビュー。全部の会場を回ったと豪語するこの人物、実はとんだ食わせもので、アートに対するうんちくを語ったりするものの、場で見たはずの作品を何一つ答えられない。「具体的にどの作品が良かったですか」「どの作家さんが良かったですか」と 外堀を埋めていくような質問が繰り返され、どんどんしどろもどろになるS氏。それはちょうど、嘘をついている子供を声を荒らげることなく追い詰めていくのを傍で見ているような心地悪さがあった。最後に「結局あなたは奈良に何をしに来たのですか?」と問われ、S氏は黙り込んでしまう。その後S氏とは連絡が取れなくなった、というナレーションで終了。(今日で上映は終了だそうだから書ききってもよかろ)
あれが実在の人だったら胸糞の悪い追い込みだし、かといって演技でもない気がしたし(あれが演技だったらイッセー尾形も顔負けだ)で何とも判断しようがない。けれどもこのシーンが現代アートを象徴するものとして映像に取り込まれたのだということはよく理解された。作品を見て何ということも感じない、あるいはすぐに忘れてしまってそこから何も得ていない、というような人が現代アートを語る鑑賞者であること(多かれ少なかれ誰もがそういう鑑賞スタンスだろうと思う)、そしてそういう人すら来なくなってしまった時、現代アートはどうするのか、という命題を提示していたのだろう。上映後の挨拶でもそのようなことを仰ってたし。ひどいS氏の扱いも、映像では省略されていたゴタゴタがあり、斯様な仕打ちを受けるべき人物であったのかもしれない。
帰りがけにカフェで軽食を食べつつ受付と議論をした。口下手なのでうまく纏められなかったが要するにこういう感想を持った。現代アートは自己表現だという。作者の思想や理想、要するに作者が( ・∀・)イイ!!と思うことを形にする芸術だ。それを見てもらう時、あえて解説を加えず、鑑賞者の感じたように受け取ってもらいたい、と言っていた作者が映像に出ていたが、あれってどうなのだろうと。そのスタンスはわからないでもないが(文章だって読者に誤読の自由が与えられている)、ならばなぜ展示をし「はならぁと」のようなイベントをするのか。自分の作品を見てもらいたい、批評してもらいたいから展示するのだろう。作品すなわち自分の自己表現すなわち自分自身を見てもらいたいから展示するのだろう。あわよくば共感を得たいと思っている作者もいるかも知れない。しかしそこでS氏のような的はずれな批評、見て見ないと同値の鑑賞をされた時、作者は何を思うだろうか。そこから得た何かをインスピレーションにして次の作品を作るのだろうか。それとも無視するだろうか。いずれにしてもそれは結局負のスパイラルにしかならないのではないか。作者と鑑賞者の乖離が進み、結果「現代アートは難解だ」という地位を確固としたものにするだけなんじゃないか。作者と鑑賞者の交流の場として展示をするならさらに、 表現したいという思いと誤解の許容が矛盾を起こす。フィルターを漉すようにして共感が得られたとしても、同じ志向の人が見つかったというだけで、結局はなあなあの輪が広がるだけじゃないか。そのためのイベントならもとから鑑賞者不在ではないか。云々。映像では「連鎖反応」という言葉が多数出てきたけれども、何かこう、安っぽい別の言葉で置き換えても通用するなあと思ったことだった。
別に現代アートが嫌いなわけじゃない。美しい絵・写実的な絵は美的で当たり前であって、そんな王道に阿らない新しい美を探求しようとする姿勢なんかはすてきだと思う。自分だって似たようなことをしている。だからこそ感じる違和があり、その違和を表明する自由も、以て他山の石となす自由も持ち合わせている。いち無責任な鑑賞者として。なお、私は自己表現のつもりで書いているわけでもないし、共感も求めていない。生きていくために自分が唯一できることをやっているだけだ。
ようやく入手した。 奈良図で。これがあったらSketch要らないんじゃね? と内心ドキドキしていたが、主に徒歩時代の熊野街道を対象にしたもので、近代以降をメインにしたがっている自分の立錐の余地が残されていた(例えば津越野峠は出て来ない)。助かった……。
帰りの電車で管見しただけだが小森周辺は思っていた以上に複雑な模様。小代周辺も面白いようだ。地元の先生が書かれたものゆえ土地に馴染んだ仔細な記述で勉強させられることが多かった。文字だけで終わるのがもったいない。
吉野町の吉野貯木場を紹介する冊子。 奈良図で無料配布していたものだが、これが意外とよい出来で、近年稀に見る良書と思った。
地域おこし協力隊として吉野町に移住してきた若い女性が、女性らしい|新参者らしい初々しい感性で吉野貯木場や吉野林業を捉えて紹介したもの。木材の競りや樽丸作りのこと、吉野でなどをとてもわかりやすく書かれてある。頭の固いおっさん(nagajisお前のことだ)が4ページに無理矢理押し込んだ近遺調報告書よりも何倍もよい。特に私が書けなかった「吉野貯木場の現在」、そして「未来」が書かれてある。こういう冊子を作る人・作るのに協力した人がいる限り吉野の未来は明るいと思った。
今年の3月にできたばかりの冊子。吉野町役場や吉野スタイル、ねじまき堂(ここであってるのかな?)などで配っているほか、Re:吉野と暮らす会(吉野林業振興協議会内)0746-32-8731/yoshinotokurasu_at_yoshinostyle.jpに申し込めば送ってくれるそうである。
_ おこぜ [世界の滅亡の時を知った日本政府は,月への移住計画を極秘裏に実行に移したのであった。まずは某山中に輸送船の発射台がその姿の一部を現した。(つづく)]
_ nagajis [その名も「クロベノキ」.地方特産のヒノキ科の樹木から採られた名前である.またの名をネズコともいう.常緑の生命力あふれるこの樹に国民の未来が託されたのだった.(続かない)]