nagajisの日不定記。
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前回訪問時には筋状の×刻印を見つけていた。長手小口に対して見れば+字のように押されていて、少し判断に迷うところがあったが、今回見たこれは、明らかに×。
これを第一煉化会社と見るか、日本土木会社と見るか、という、おそらく今この世でただ一人私だけが感じている戸惑いがある。
歴彩館所蔵の行政文書、明19-0007は、目次のデータが他の帳簿のと入れ替わってやしないか。簿冊の目次の番号と綴じられている文章に振られた番号は確かにあっている。が、この簿冊には「田辺朔郎」がタイトルに入っている文章が綴じられているが、歴彩館サイトの検索では見つからない。
いい旅をした。
死んだイモリと生きた志賀直哉。死ななかったnagajisが死んでまた生き返った道を歩き鬼籍に入って久しい志賀直哉を思ったりした。桑の木の下りがやっと理解できた。
https://www.gracesguide.co.uk/Arrols_Bridge_and_Roof_Co
彼もまた死に損なった桁かも知れない。いや、生きているのに忘れられている桁。
その他写真約500枚分。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/931903/616
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00055649&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA
+震災誌
明治十年代泉州岸和田におけるプロテスタント伝道と士族信徒 山岡尹方について(1) 萩原俊彦「沢山保羅研究」3 昭和45.3. pp.131-163
明治期のプロテスタント伝道-特に岸和田における山岡尹方の貢献について 上下「史朋」9号 1974.4. pp.42-60、10号 1975.3. pp.58-63
後者は https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2248677
で、やっぱり尹方さんが第一煉瓦の初代社長ちうことになってるのね。例えばfile:///C:/Documents%20and%20Settings/nagajis/My%20Documents/Downloads/025000330001.pdf 。明治15年受洗。
http://www.kyudou.org/cgi-bin/tdiary/?date=20191223#p03
スコットランド→プロテスタント→セントアンドリュークロスの国旗。新島襄はプロテスタント系
いちばん詳しいのはM34大阪府誌http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765472/263
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1212988
神戸市立中央に豊岡市史と城崎町史を見に行くか、岡町図書館に史朋を見に行くかで悩む→市立中央で両方見れるんじゃね? と思ってそうしたのだが、神戸市立中央図では図書館カードを持っていないと国デジデータ送信が利用できないことを現地で教えられた。じゃあ帰りに中之島に寄ったれ、一緒に岸和田市史も見れるじゃん、ということで道を枉げてったら今日は土曜日で5時まででやんのばーかばーか。神戸市立中央は土曜日でも8時までだと確認していたのに。ばーかばーかばーか。
むしゃくしゃしてKYKで豪遊したれと思ったら一杯だったので簡単に折れた。ばーか^4。
うまくいったのは想い出写真集までだなあ。中エレンが向上、むちゃくちゃでかい。丘式の登り窯を3つ、丁字型に組み合わせてあったらしい。堀川橋につながる県道よりも北側の辺りのようだ。そのへんは見ているけど、耕地整理と震災と都計事業と円山川改修で還付無きまでに浪費されていた。周辺市街地には煉瓦のカケラすらない。
わずか数行だが煉瓦商況を発見した。収穫はそれくらい。4月に入った辺りから急に西郷南洲生存説が載るようになって長々細々と関連話題が掲載され続けている。
最後にM20.6.28~7.3を眺めて第一煉瓦の記事を探したが毎日には載っていなかった。朝日新聞だけなんだな。
大津事件発生。第一報は号外で、読めてない。オンタイムで読むと雰囲気がわかって面白いが津田とか三蔵とか使わない決議の話を読んで今の日本の思考の源泉を見た気がした。この感覚が社会的背景を離れて精製され化学調味料になったのがいま。
3度目の煉瓦商況。3度も出てくるあたりにどん底感が滲んでる。それほど資料的には貴重ではないが。
うどん県へ行って饂飩を食わないというのはうどん県への冒涜乃至は反逆として訴追され得るかもしれない。すまぬ。
だって、掃いてかたすほど饂飩専門店があるもんだとばかり思ってたんだ。そう考えて鷹を括ってたんだ。それにさ、うどん県へ行っておきながら丸亀製麺とかはなまるうどんとか食ったらそれこそ冒涜やろ。
結局、地域の御食事処でフライ定食とか串カツ定食とか食った。それが押しだったみたいだから。みな自宅で饂飩を食べ飽きていて、外ではそれ以外を食べたくなるのかも知れない。
司馬さんばりにとんかつ定食でも良かったのだが私は食のワンダラーもしくは味覚のブラックホールなので何でも構わないのであった。とんかつはかつくらという上限値あるし…
明石海峡大橋を渡って帰ってくると、神戸や大阪の灯りの多さが空恐ろしくなってしまう。こんだけの灯火を灯すためにどれだけ電気を必要としているのかと思う。灯りだけじゃなく暖房とか圧縮とか吸排気とかもあるはずで、そういうことを考え出すとこわくなってしまう。
大阪の夜景は赤い。ビルの角に灯る赤色灯がひどく目立つ。同じものが神戸のビルにも灯っているはずなんだけどな。
といってもまたApple pro keyboardなんだけど。
フリマサイトで安くで出ていたので購ったらキーが一部反応しないでやんの。そうして文句も言わずに分解清掃して接点復活剤とシリコンスプレー散布して使えるようにしたった。キーは入力できるようになったがCapsLockのLEDがつかんくなったのはnagajisの脇の甘さである。戒めのためにそのままにしておく。
ほとんど使われていなかったようでキーがこなれてない。うむ。新しいPro keyboardはキーボードはこんなタッチだったのか。くたくたになったやつにシリコンスプレーしたのじゃないと気に入らないらしいnagajis。
菱Sを四国産業と推定したのは、自分自身の感覚では確度80%強なのだけれど、客観的な証拠があまりにも不足していることに、書いた後に気がついた。川窪の東で一個見つけただけだものな。数だけだったら近鉄大和田駅の辺だとかのほうが数が多い。ただGHQの受注を受けて生産量が飛躍的に増加したという話(これはおそらく陶管も含めての話と思う。陶管は農地改良に欠かせない土木材料だったし)を知るとここの製品がかなり広範囲に広がっていったことを想像せずにいられない。広島の諸工場、香川の讃岐煉瓦(松葉菱サ)、印南郡の工場群の製品が京阪神地区に大量に流入した中に高松の煉瓦があったとしても全然不思議でない。
見目はあきらかに播州煉瓦より上。すごく整っていてザ・工業製品という感じがする。
川窪には押切型の痕のある無刻印機械成形煉瓦が多かった。おそらく後半生には刻印を使用しなかったのだろう。ただしサイズは厳密に210×100×60でなく、その辺に古さを感じられる。同じものを府下でたくさん見た気がするのだがそれを証しすることができない。菱SはJIS工場以前の作のような気がする。
そういえば、菱S煉瓦の肌は手成形でも機械成形でもないような独特な肌をしている。平全面が梨地のような感じ。小口はどうだったろう。してそれが、井桁菱Kの肌に似ているように思われるのだ。
井桁菱Kは小口長手が機械成形だった。これは神在港のポンプ小屋を見ると明らか。他所で見たものも機械成形だった気がする。このへんは手持ちのを見れば早いが山の下の方にあるはずなので気軽に引っ張りだすことができない。
珍しいもの・ことに「奇跡の〜」という頭冠詞を付けて宣伝するのが余りに多い。「奇跡の〜」をつけることでかえって有難味を損ねていやしないかと思うのだが、一向に減らないところをみると、世の中一般にとっては未だ新鮮味がある言葉なのか、あるいは元から食傷していて不感症になっているのかも知れない。後者ならますます虚しい。
考えてみれば「奇跡」という文字面には尊さを含んでいないな。奇妙な跡、不思議な跡、というだけで、まあ多少稀なものであれば別に奇跡でいいのかも知れない。キリスト教の聖人の奇跡、みたいな畏れ多さを他の奇跡に感じなくてもいいのだろう。あ、納得がいってしまった。
要するに何か泊をつけようという魂胆で被せられた「奇跡」ばかりな現状が気に食わない。なぜ気に食わないのか考えてみるとなかなか奥深い問題のようで、またどんなものなら「奇跡」の冠に価するかということも考えてみる必要がある。気に食わないから嫌いだ、では袋小路に猫まっしぐらである。何も生み出すものがない。
看板設置者の気持ちが痛いほどよく伝わってくる。憤怒ではなく気弱さが伝わってくる。最後に「ろ」をつけたくて仕方なかったことはそこに在る空白が如実に物語っている。しかし「め」まで書いたところで次の一字による効果を思い角が立ち過ぎることを慮って止したのに違いなく、書かれてはいない逃げ口上を読むかのような思いがする。「はいはい、止め止め、解散」みたいな。
あるいは「よう」と書きたかったのかも知れない。それも一字分の空白が不可能にしてしまい諦めざるを得なかっただろう。いずれにせよ警告者と被警告者の関係がかなり親しいことは推察されてよい。建てた本人は糞をさせている人物を見知っている(それくらいの小さなコミュニテイのなかにこの看板はある)故に強く出ることができなかったのだと思う。
一字一字をじっくり読み、かなを漢字に改めていると、だんだんと文章がゲシュタルト崩壊を起こし始める。文字がでなく文章が。「犬の糞」「ここで刺すの」「早め」。犬の糞を樹の枝でアタタタタタと突いている姿が思い浮かんでしまい居た堪れなくなってしまう。
本来なら「ここでさすのは」で改行したほうがよいように思われるのだが七文字は入らなかったらしい。わずかに大きな「や」が区切りの気分を帯びている。
_ しゃちお [赤文字が消えてたのかもしれませんね。]
初めて試みた。考えてみればこれが最正攻法のような気がする。小っ恥ずかしいのであまり推敲せずに出力して封して出したのだが、これはたいてい失敗するパターン。
今月は「大きな風景」を2度も見た。日本は広い。なんて多様なんだろう。という感慨を新たにする。吉野に通い詰めだった頃とは正反対の感慨かも知れない。
都市は狭くて息苦しい。都市が異常なだけなのだ。そういったことも再認識させられて、他の世界への興味がますます膨らんでいく。行ってみたいところが増えるのはいいことだ。
忘れないようにメモ。6、7月分をとりあえず読み終えて、煉瓦話がほとんど出ないのに耐え切れなくなってM18代に飛ぶ。この頃は日本立憲政党新聞という名前なのだな。ほんのわずかな情報を得ただけで。いや少し意味あるな、堺煉瓦石製造所に勤めていた鹿児島県人田中隆秀氏が耐火煉瓦?を作って皇居に納めたき旨申請あったという話。はじめこれが田中坩堝の人かと思ったがそうでない。この名前は初見。しかしここでも鹿児島県人。
胸踊るような発見はナシ。眠くて眠くて参った。
M18.6.に大洪水。旋回橋だった頃の安治川橋が爆破されたやつ。同じ頃安治川口の雑居地の拡張が始まっている。M19、20頃の煉瓦業流行のきっかけがこの辺りにあるのかも知れないと思ったりしたが、直接には大阪周辺での紡績業の勃興であるはずなので、まあ県恐怖会であるだろう。
スマホのグーグル日本語入力は牽強附会が一発変換できないのか。やだな。
行き帰り含め5時間で3ケ月分。読み終えるのはいつのことか。そもそも読み終えられるのか。しかし今もっとも読みたいものがこれであるかもしれない。明治初期から中期にかけての日本の(大阪の)空気感を感じていたい。しかしあれだな、M18から読み始めたのは失敗かも知れぬ。M19、20頃であればまだ煉瓦絡みの話が多かったに違いない。M18は景気の谷の底だったようで景気のいい話はほとんど出て来ない。阪堺鉄道が着工した程度。いや、加太に要塞を建設するという報道を見つけたのと、藤田組の皮靴工場が難波新地六番町にあったのを確認できたのは収穫か。それをbdbに追記しようとしたら何をトチ狂ったか大阪鉄道湊駅と書いてあった。こっそり訂正しておく。
パンチがすぐに見つかった時にはバインダーが底をついていた。バインダーを買ってきたら今度はパンチが見つからない。新手の嫌がらせであるか。
_ しゃちお [香川のうどん屋は看板ない店も多いので目に入らなかったのかも。 はなまるうどんは香川初のチェーンなので、そこそこのものですよ。 香川出身者より。]