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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2013-11-18 [長年日記] この日を編集

[きたく] 帰宅

画像の説明思いの外強い喪失感を感じ、寂しさに苛まれつつ帰宅する。また独りの生活に戻るのか、と思うと「ホッとする」がガリガリ削られていくのがよくわかる。

上を見ればキリがない。下を見て歪んだ安堵感を感じたくもない。そんな思いを思いつつ参加した集中訓練。じつにさまざまなことを学んだが、その一つに「同じように悩んで苦しんでいる仲間がいる」と知ったことがある。筆頭かも知れない。文字にするとスッカスカな印象を与えるだけだろうが。

仲間がいるということがどれだけ励みになったことか。自分の行ないにレスポンスをくれる人がいることがどんなに有難いことか。何かをして差し上げたいと思う人、何かをしてくれる人が周りに常にいるということが、どんなに心の支えになったか。期間中何度もそのありがたさを感じ、全部終わったいま、改めてまた痛感している。

上の言葉を、嗤える人は嗤えばよい。「また例のセンチメンタリズムか」と鼻白む人があればそうすればよい。経験した者にしかわからない、文字にしてみたところで真意は伝わらないであろう言葉、人に伝えるべき類ではない思いである。無理に弄んだところで言葉の乾燥脱臭を手伝うだけだろう。

やらなきゃいけないことがたくさんたまっているなあ。いいことだなあ。

[煉瓦][煉瓦刻印] FK刻印煉瓦?

FK耐火煉瓦刻印

例えば煉瓦。大和郡山市で見かけたもの。耐火煉瓦の類かと思われ、MとYを組み合わせたようなマークもどこかで一度見たことがあるのだが、初めて見る質感と色で、本当に耐火煉瓦なのか心許ない。そのうえヨーカン。(@大和郡山市)

[煉瓦刻印] 大阪煉瓦@大和郡山市

大阪煉瓦刻印

大和郡山市では大阪煉瓦の煉瓦も見つけた。近鉄線の東側にある長屋街の一角にて。大和郡山なら大和煉瓦の本社があったところだから「^ト」のほうが多いんじゃないかと思っていたが、そんなことはなかった。市街では一つも見つからず。何のつもりで大和郡山に本社を置いたのか。単に最寄りの繁華街だったからか。(34.642627,135.781894)

[独言] おまけの洋館

画像の説明

おまけ。市街地にあった洋館。純和風の2階建切妻民家に建て増す形で建てられいる。孔雀の柄をあしらった丸窓ステンドグラスが採用されていたりして、非凡なものを感じるのだが、誰さんちかもわからなかった。

画像の説明

[独言] 哀しみのЧебурашка

画像の説明そこは、君がいるべき所じゃない。

[料理] 鰯の味噌煮

画像の説明

訓練期間中は毎日夕食を作った。与えられたレシピの通りに作るだけなので、献立を考える必要がないうえに料理のレパートリーが増えるという大変ありがたい経験をさせてもらった。この調子でこれからも作っていければと思うが、さて、どうなることやら。

写真は8/27の夕食の一品。鰯の味噌煮。生の鰯から作ると格段にうまい。水気をよく切ることと、生姜をケチらないことがポイント。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ tyaffic [上を見ればキリがなく、下を観るのは卑しいな…。だったら前か後ろだけを眺める!は、よくありますよ…。でも、長持ちしません…。 何しろ、人の頭は大抵重さ5kg。 振り回すには重すぎます…。]

_ nagajis [振り回す必要はないですよ。ふつうに前をむいていればいいんです。]

_ tyaffic [確かに!]


2013-11-19 [長年日記] この日を編集

[近遺調] しなければならないこと1

近遺調2次調査として吉野・樫尾発電所を見学。報告書はすでに書き上げていたのだが、それをチェックして下さった関電さんが見学許可をくれたのだ。関電さんにも、わざわざ私の空き時間にそれを設定して下さった教育委員会さんにも感謝しなければならない。

見学はIさんとともに。行き掛けに、以前から懸案になっていた葛城山麓のマンボを探してきた。ひとしきり歩きまわって見つけられなかったので、西北窪在所で訪ねてみて、3人渡り歩いてようやくマンボを現役活用しているというお宅に到達した。しかも偶然その家の方がおられ、詳しい話を聞くことができた。

以前はあちこちにあったが、耕地整理や吉野川分水の開通、市営水道の開通、あるいは個人宅に竪井戸が普及したことで、マンボを使っている家はほとんどなくなったそうだ(3人伺ったうちの2方は見たことがないと仰っていた。どちらも70overのご婦人だ。にもかかわらず見たことがない、あるいは話でしか聞いたことがないというほど少なくなっている)。

このお宅の水田は耕地整理がされていないのでマンボが生きている。&、住宅の飲用水として使っていたものもあり、今でも台風の時などはかなり水が出るそうだ。この辺りの水道はポンプで汲み上げている(圧送している)ので、仮に停電したりすると水道さえ使えなくなる。そんな時マンボの水があるのはとても心強いと仰っていた。

画像の説明

見せていただいたマンボ。論文から想像していたような、あるいは大野山麓長谷の棚田のガマから想像していたような開口部はない。棚田の法面を構成している石垣の一部分でしかなく、それと教えていただかないと見分けがつかなかっただろう。しかしこの石積みの隙間からしずしずと水が湧いていて、手を浸ければほの温かい、いかにもこの時期の湧き水といった手触りの清水だった。

この石積みの裏に「ドビ(土樋?)」が埋め込んであるという。ドビが具体的にどのようなものかよくわからなかったのだが、継ぎ継ぎして、とか、差し込んで、とかいう表現をされていたから、陶管のようなものと想像される。そしてその奥にマンボが掘ってあるらしい(掘った時の話も聞かせていただいた。昭和39年に80歳で亡くなったというおばあさんの兄弟が掘ったと)。そうしてこのようなマンボが所有のほぼすべての田にあって、合わせて2反の田畑を潤している。2反=2000平方メートル。

宅で利用しているマンボも見せていただけた。そのマンボは普段は枯れている。同じような石垣なのだが、こちらには特別大きな石をはめこんであったのでわかりやすかった。

画像の説明

おまけ。闇雲に歩き回っていた時に見つけた小学校。伏見西尋常小学校なのだそうだ。鬼瓦に「小学」「伏見小学校」と彫られている。隣の家の方が買い取って牛舎に転用し、今は倉庫として利用中。昭和30年代の終わり頃に廃校となったそうだが、いつ作られたものかはわからなかった。

奈良県にはこんな旧小学校があちこちに残っている。純和風な作りのせいでそれと見抜きにくい。

画像の説明画像の説明

肝心の吉野・樫尾は写真がない。詳細はNDA。


2013-11-20 [長年日記] この日を編集

[独言][KINIAS] しなければならないこと2,3

午前中は部屋の大掃除。土日だけとはいえ3ヶ月間使いっぱなしで放置し切っていた部屋を片付けようと試みた。土日しか帰れないということは即ち平日にゴミを出せないということである。 プラゴミだけで4袋溜まり、加えてペットボトルが大袋に一つ、空き缶も今日出したつもりだったのだが奥からもう一袋出てきた。さらには資料やら衣類やらがとっ散らかって山積みになっている。結局午前中だけでは終わらなかった。

午後からOさんと打ち合わせ。廃5は少し考えなければならない。そりゃ4回も同じような体裁では飽きられてしまっても不思議じゃない。そもそも3の時点で変えられなかったのが影響しているかも知れぬ。打ち合わせが終わってから妙案が浮かんだので後日メールする予定。道路遺産という言葉を使いたくないんなら使わなければいい。

夜はKINIAS役員会。集中訓練期間中、最後の一回だけはどうしても時間が取れず出席できなかった。その償いの意味も込めて今夜は出席した。何か重要なことが決まる回ではないのだが不義理は一つ一つ片付けて行かねばならぬ。

そんなこんなでなかなか自由時間が取れない。

[コアダンプ] フォーカシング

何であのとき涙が出たのか、今でも考え続けていて。答えを出しあぐねている。この間は「自分に共感した」と書いた。Oさんにはとりあえず「自分にレンビの情を抱いた」的なことを伝えた。どちらもうまく言い表せていない気がするし、かといって適当な語が見当たらない。

好き放題文句を言われ、いかにも知ったような口で非難をし、溜飲を下げて勝手に逃げ出した相手に対して中指を立てることもしない自分が哀れに思われたのだろうかと思ってみたが、どうも「哀れ」というのが合わない気がする。「可哀想」という感情は相手に対してしか起こらない。そんなデタラメを述べ立てて他者を攻撃していないと生きられない可哀想な人なのだろうから。批判に耐えて黙々同じことを続ける自分が不憫でならない、というほうが、まだ近しい。けれども決して黙々とやっているわけでも、不憫と思っているわけでもない。

それだけけなされて、書くものが面白くないと自覚しながらなお「書くことしか残されていない」と思っている自分の頑なさ。健気さ。諦めの気持ち。決して報われることのない努力。そういうものに触れ、感化されて流れた涙だった。削って削って、削り落としてなお残ったのが、純粋な「書きたい」という気持ちであったことに心を動かされたのだ。加えて、現実に帰ってきて、それがジブンの芯なのだと解ったときの誇らしさーーー人に自慢できるとか、人より優れているとかいう比較の感情でなくて、己に恃んで恥じない絶対値の誇らしさーーーも涙の誘発剤の役割を果たしていただろう。秋の夕三時の吸い込まれそうな青空のような透明感を伴って、そんなにもおれは書きたかったのか、と気付かされた。それが涙の流れる凹溝になった。

講義終了後、改めて「書いてどうするのか」と問うてみたが、ジブンの芯は答えてくれず。質問を「どう書いていくか」に変えてみても同上。結局のところ、外面は変わらないだろう&変えることもできないだろう。芯が確認できただけでも収穫だ。

一期生から二期生に向けて贈った言葉の、最後から二番目のひとことは、そんな経験をもとにして書いたつもりでいる。ラスト一つは照れ隠しそのものである( 「ちゃんこ屋の向かいが「にゃんこだ」」と書いておいた) 。


2013-11-21 [長年日記] この日を編集

[独言] しなければなら(ry4

近代化遺産総合調査の日報を作成。量は多くないのだが「フォーマット守って!!!」という悲鳴にも似たお願いがあったので、厳密にそれに従って書かねばならないのが面倒だった。面倒とかゆうたらイカンのだろうな。実際フォーマットの凡例の通りに書くほうがスッキリと書けた(すんなりと、ではなく)。最初の頃はいち探索に沢山の発見があったのでその個々の調査時間を書いたり住所を書いたりしていると用紙が足りなくなってしまうように思われたから勝手な書き方をしていたのだ。調査対象物が少なければそんなに大変じゃないのだ。

ついでに未提出の一次票も送っておく。何をいまさらなものではあるが。行整橋は多少は面白い物件なんじゃないかと思う。一次リストの肥やしになればいい。

難しいのは「探したけれど見つからなかった」物件の扱い。曽爾村の蚕卵紙貯蔵場on風穴は、諦めて帰ってきた時に場所確定し、実質的な調査ができないまま帰ってきた。集落まで帰ってきたところで地元の方の証言が得られたのだ。自分たちが入り込んだ不思議な雰囲気の杉林をもう少し詰めていたら見つけられていただろうという場所にそれはあったらしい。行っても石組みと涼しい風が吹いている穴があるだけかも知れないが、伊那谷の専売特許だと思っていた蚕穴が奈良県にもあったという面白い事実をこの目で確認できなかったのは残念至極である。そうして探索自体もなかったことにせねばならず日報も報告書も書けない。もったいない。あんだけ人に尋ね回ったのに。

[独言] 集中訓練後

生活リズムが崩れたままになっている。この一週間は後片付け期間のため仕方ないことと諦めている。7時起き23時就寝のほうがいろいろ捗ることはわかっているのだが、周囲の状況がそれを許さない。あと少し我慢してもらおう。自分に。

せっかく料理を覚えたのだから何か作りたいよなあ。

[煉瓦] 再燃

Fさんが印南郡周辺を追いかけ続けてくださったお蔭で根源的なところから判りそうな塩梅だ。バンレンと播煉合同と三津浜の三つ巴状態を何とか解きほぐしたい。

アンモナイトが中生代の示準化石として利用されているのと同じような立ち位置に、煉瓦刻印を持っていきたい。最大の目標はそれだ。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ TUKA [蚕紙保管用の人工洞穴ならば福島県にもあります。]

_ nagajis [テキトーに書きすぎましたね。確かにその通りで、群馬県なんかにもありましたね。ここは富岡製糸工場ほかと一緒に世界遺産登録に向けて活動中だったはずです。 風穴で蚕紙保管をするってのは古くからセオリーに..]


2013-11-23 [長年日記] この日を編集

[きたく] したかったことから帰還

本当は十津川村へ行きたかったのだが諸般の事情が積み重なって出かけることができなかった。代替案として蓮根峠へ。

画像の説明

97年2月、初めて1-JISで野宿した行き止まり。見上げるような勾配の坂道の上に平らな広場があって、その広場で泊まった記憶がある。正面は岩崖。右手に水量豊富な沢。一部ヌタっているが脇に乾いたスペースがあった。

広場の左にさらに急勾配のブル道がついている。この道を登っていけば蓮根峠道に出られたのだが、97年には見落としたのだろうか、あまり記憶がない。本谷まで引き返したところで榊?を取りに来たおばあさんに出会い、本谷沿いに登っていくことを教えられたのだと思う。

あれから15年。峠も峠道も、以前とほとんど変わらぬ姿で迎えてくれた。あちこちに砂防ダムができ、本谷の短絡歩道はすっかり様変わりしていたが、目当ての明治荷車道はダムにかかることなくきれいに残されていたのだった。

兵庫県側は旧版1:25000の道を完全トレース。京都府側は樽水に出る最後の区間をロストした(帰りに辿ろうとしたが旧道すら逃した・・・)が、巻き道が現行地形図のうねうねに繋がり甘栗に降っていくことを確認した。そのほうが線形的には素直だし、あとで「あの分岐が地形図道だろうか?」と思った道はあまりに心許ない幅だった。あれならむしろ旧道を通って降りたほうがよい。

府県道の座を巡り、 榎峠と競い合って敗れてしまった蓮根峠は、結果として国道に昇格するチャンスも逃した。樽水で話を伺ってもこれという話題が出てこなかったのは、敗北の過去を黒歴史として葬り去りたいという思いが働いた結果かも知れぬ。「榎峠に二度負けた」という恨み節を、恨み節として認識し、口にしなかった結果なのかも知れぬ。

また一つ、面白い来歴の道に出会えた。いや、「再発見」か。ここまで来るのに15年もかかったのは、いくらなんでも悠長に過ぎると言わざるを得んな。有巣峠よりも長くかかっているんだから。

[独言] 柏原駅

画像の説明

柏原駅のホーム柱には二種類のレールが使われている。足同士で溶接しているものは八幡製鉄所製の1925前後。頭同士で溶接しているのはCARNEGIEの1897だ。後者は阪鶴で使われていたものかしら。あと鉄道院製造の大正3年製造の柱が跨線橋に現役。この跨線橋、全体的に古めかしい感じが残っていて面白い。


2013-11-24 [長年日記] この日を編集

[ph.] 岡町駅

色がいい。画像の説明


2013-11-25 [長年日記] この日を編集

[料理] 11/25夕 野菜炒め

画像の説明せっかく習慣づいたので料理を作るようにする。

画像の説明野菜炒めは特になんという工夫もないフツーの野菜炒めである。キャベツの外皮を3枚、ニラ4束、玉ねぎ小半個、もやし半袋、豚こま切れ少々。胡椒メインで塩味のみの味付け。人参があれば入れたかったところ。少し余ったので明日朝また食べる。

画像の説明飯。例によってコッヘル炊き。旅行中の感覚で炊いてしまったため3口ほど余ってしまった。

画像の説明味噌汁。はるか昔に旅先で購入した即席赤味噌汁の味噌を消費。白菜半枚、わかめを入れて、食べかけて置いていたおつまみのソフトさきいかを入れてみた。これで適度にダシが出た気がする。

冒頭写真右上は旅行前に買って余らせていたチキン南蛮。以前ならそれだけ(おかず一品、但し大量)で一食済ませることが多かったが、少しずつたくさんの品が並んでいるほうが豊かな気分になれるうえ満腹度もそこそこあるということを、3ヶ月の訓練で学んだ。せっかく冷蔵庫を頂いたのだから食材保管以外にも活用しないと罰があたるだろう。

[ph.] 秋の写真

画像の説明

なるほど、シャッタースピードが遅くなるからブレやすいのか。

[独言] どくげん

「歴史にタラレバは禁物」と前置きするくらいなら最初から云うな。


2013-11-26 [長年日記] この日を編集

[料理] 11/26 朝

画像の説明トースト、スクランブルエッグ、サラダがわりのキャベツの千切り、昨日の残り。

味噌汁+パンという組み合わせが実は好きだったりする。マーガリンをたっぷり塗って焼いたトーストを浸してはしたなく食べてみたり。マーガリンがうっすら浮いた味噌汁がこれまた美味。

[料理] 11/26夕 白菜と豚肉の煮浸し+さつまいもご飯

画像の説明白菜、お揚げさん、豚肉、お揚げさんの順に重ねてめんつゆ+ゴニョゴニョをふりかけて煮浸し。最後にもやしを入れ、思いつきで溶き卵を回しかけてみた。悪くない。悪くないがしかし作りすぎた。明日朝もこれだ。

ごはんはさつまいもの炊き込みご飯。旅行中に無人市で購入したさつまいもが余っていたのでまた作ってみた。旅先ではさつまいもonlyで寂しかったので、ダシ+塩でほんのり塩味にした。大正解。

連投するとなんだか飯食ってばっかりに見えてしまうな。

[煉瓦][煉瓦刻印] 印南郡

Fさんが盛んに調査をして下さったお蔭で面白いことがいくつも見つかっている。三津浜煉瓦と同じ刻印を現バンレンが使っていること。○Sが新和窯業らしいこと。K1の出処もほぼ確定した。やはりKnシリーズは工場周辺で選択的に見つかる傾向にあるようだ。

Knの残りはK4。K1、K2、K8は該当工場の目星もついている。K4,、どっかで見たような気もするんだがなかあ。初回か2回目の阿弥陀・曽根歩きの時じゃなかったけか・・・。


2013-11-28 [長年日記] この日を編集

[料理] 11/27朝

画像の説明昨日の残り物とたっぷり野菜のスープ。卵は目玉焼きにした。

夕食は牛肉。「ナガジスのくせになまいきだ」と言われるのが目に見えているので写真は載せない。それぐらいの思慮ーーー自分よりも惨めな人間を設定していないと生きていけない可哀想な人がこの世には存在するので惨め役をやってやろうというボランティア精神ーーはある。

[料理] 11/28夕 頂きもののカレイの煮付け、および自前の煮物、白和え

画像の説明立派なカレイの煮付けを頂いたので推し戴くようにしてイタダク。26晩のさつまいもご飯を、やっと消費し尽くした。

画像の説明

カレイの煮付けは言わずもがなの旨さ。やや濃い目でご飯がすすむ。しかし今日の主題はピンの当たっているほうである。自前で用意した里芋の煮っ転がしのようなもの。レシピではさつまいもだけを使うことになっていて、それがちょっと寂しく思えたため、にんじん、しいたけ、これまた頂きものの筍を加えてみた。最初に砂糖、次にめんつゆ、最後にしょうゆを加えて煮通す。 薄味なのでいくらでも食べられる。

画像の説明白いのは簡単白和え。 本来は豆腐の水切りをよくしなければならないそうだが、乾燥ワカメを乾燥のままぶちこんで混ぜれば水分を吸ってくれると教わった。

味付けは味噌、砂糖。1丁につき即席味噌1袋、砂糖小さじ2くらいが目安。塩ゆでしたオクラを加えるのが本来のレシピだが、手に入りにくい昨今、わざわざそのために買うのも何だかなあということで道を外れた。余っていたニラをさっと湯通して加えてみた。

味はバッチリ。ニラの香味もよい。しかしちょっとシャバシャバ気味。もう少し水切りするか、ワカメの量を増やしたほうが良かったかもしれない。

[煉瓦刻印] 桜四@真田山陸軍墓地

桜四@真田山陸軍墓地煉瓦刻印

掲示板で直父さんに教わっていた刻印を見に行く。三光神社側から墓地に降りていく階段の、框に相当する所に使われていた。摩耗もせずによく残っていたものだ。

同じ並びに漢数字の一四?らしき刻印煉瓦と、画像の説明

画像の説明三ツ矢なのか三線なのか見分けづらい刻印があった。この組み合わせは初めてだ(そもそも桜マークを見たことがない私だ)。ちょっとした特異点であるかも知れない。 框に連続して煉瓦製の境界壁があったが平が露出していないため刻印を確認すること能わず。読み解くヒントはやはり「漢数字」か。漢数字だけならいくつか例がある。

軍人墓地の周縁部を一回りして、西辺〜北西辺にかけて煉瓦が散乱しているのを確認した。手成形のものが多く、かつ刻印の種類が多い。★、キシレン、大阪窯業、六稜星、丹治(小)・・・。あまりにバラエティ豊かなので、軍人墓地の建設、あるいは墓地の建造物に使われてたものというよりも、墓地周辺から持ち込まれた瓦礫のように思われた(桜四も当初からの構造物かどうか)。ただし刻印の年代は軍人墓地のできた頃とそれほど離れていないはずだ。

大阪窯業煉瓦刻印大阪窯業煉瓦刻印

この大阪窯業の刻印、珍しく綺麗に押されている。手成形である。

[煉瓦刻印] 英数字2

英数字2煉瓦刻印

順番は前後するが kousenさんに教わった物件にも行ってみた。大阪砲兵工廠の荷揚門の下に煉瓦混じりの瓦礫があるという情報だ。

探してみると、数字の2が刻印された煉瓦を発見。他に「13」もあった。他には日本煉瓦、キシレンなど。ここも同一出処の瓦礫ではない感じ。

「2」の書体、どっかで覚えがあるぞ・・・と思ったら、堺市の外れで見つけた起拱石風煉瓦の刻印と似ている。しかしこんなに小さくはなかった。

大阪城公園の北西隅に残っている理化学棟?周辺の煉瓦には刻印が見られず。確かここは大正半ばに作られた施設だったはず。

[煉瓦刻印] MTK耐火煉瓦

MTK耐火煉瓦刻印

玉造の住宅街の中で。三石耐火(煉瓦)株式会社? ということよりも先にJISマークに惹かれた。隣には三和煉瓦の菱S.T。

[煉瓦刻印] 菱K耐火煉瓦

菱K耐火煉瓦刻印

これも玉造。会社不明の◇K刻印。

[独言] 鳩じゃないよ

画像の説明

みやこどりだよ・・・。子供にはちゃんと教えてあげて>どこぞのお母さん。

[独言] 玉造駅ホーム支柱

画像の説明ホームの構造物でここをヒンジにしているのは初めて見た。どういう狙いがあるのだろう? しかも古レールをヘアピン状に曲げて作ってある。面白い。


2013-11-29 [長年日記] この日を編集

[料理] 11/29朝

画像の説明代わり映えしない朝食。唯一の変化はだし巻き卵が加わったこと。残りは弁当に押し込んだ。

[料理] 11/29夕

画像の説明作り置きのおかず2品に加え主菜まである豪華な夕食。しかし肝心の主菜がやや失敗気味だ。

画像の説明訓練中に作ったしぐれ煮を思い出しつつ作ってみたのだが、とろみがつきすぎた&大根おろしを入れてから煮過ぎたせいで、さわやかざの欠片もないものになってしまった。強いて言えば「不思議丼の具」である。ご飯にかけるとそれなりに食えないこともないが、再び食いたいとは思わない味。

肉はそのまま煮るか炒めてから加えるべきであった。かつ、おろし投入後はそんなに火を通してはいけない。

[独言] 寮

久しぶりに寮に顔を出してみる。気心の知れた人と話をするのはやはり楽しく、お互い励まされた。また明日から頑張ろう。

知れた気心の気安さに乗じて「廃道をゆく」についての意見を求めてみた。確かに3と4の間に大きな違いがあるようだ。自分では決して気づくことのなかった(もしくは気づいていても「そう大した違いじゃないだろう」とnegっていた)ことをいくつも指摘していただいた。有難いことである。

ついでに置き忘れていたあれこれを回収。ニンニクも1個持って帰ったった。


2013-11-30 [長年日記] この日を編集

[料理] 11/30朝

昨日の残りをかたす。ご飯。弁当にも同じものを入れたがブロッコリーのソテーを加えておいた。マーガリンで炒めた濃い目の味付け。

[料理] 11/30夕

画像の説明三連続で同じものだったが一つチャレンジをしてみた。高野豆腐をコンソメで戻してマーガリンで炒めたら洋風の食べ物になるんじゃね?という挑戦だ。結果として新しい世界が開けたが

・も少しこんがり焼いたほうが旨い
・とろけるチーズを載せればさらに旨い

に違いないとも思う。タンパク質を取りたいが肉が買えない/面倒くさい時によさそうだ。
画像の説明

[奇妙なポテンシャル] #325

画像の説明何に挟まっていたかは忘れてしまった。どこかの病院の特別メニュー注文票であるらしい。肝心の病院名はわからないが、そもそも内部で完結する書類のため病院名を書く必要はないのだろう。

ざっくり眺めて「特別メニュー注文票」だということはわかったのだが、仕組みを理解するのに少々時間がかかった。要するに+26円で特別メニューに変えられて、特別メニューを食べたい人は病室階と名前を明示して提出せよということらしいのだが、あちこちの書き方が不親切で、よく考えれば考えるほど躓く。例えば表題では「特別メニュー」とあるのにメニューの欄には「選択メニュー」とあって同じものなのかそうなのか考えなければならない。「ミシン目で切り取って」とあってもミシン目がなく、「選択メニュー(B)」はあっても「選択メニュー(A)」はなく、「朝・夕とも基本メニューを選択された方は提出の必要はありません」という断りと基本メニューの選択肢が同居している。選択肢で基本メニューを選択したら提出する必要があるのではないか。そういう小さなイライラが募る書き方である。「できるだけ 詳しく書く」が必ずしもわかりやすさに繋がるわけではないという事実の好例だろう。

個人的には昼食の「#REF!」が気になる。この一行でこの文章がExcelで作られたことがわかり、あらゆる所に入り込んでいるプロプライエタリに慄きすら感じるのだが、それはさておき、参照が外れる前の一品はいったい何だったのだろう。「井、れふ!ってなんやねん」みたいなクレームが出たりしなかったのだろうか。その日になる前に退院し、#REF!の正体がわからないままだったりしたら、気になって気になってまた病んでしまいそうだ。


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