nagajisの日不定記。
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一日過ぎたが。50号記念企画のページを作成中。早く仕上げないと。
OFFもテもそうだが自分で何かを企画して実行するというのが経た糞だもとい下手糞だと思う(驚くなかれ、こういうのがORJの変臭長なんだぜ!)。人に頼って生きている現状を少しでも改善したいと思って焦っているのかも知れぬ。人一人生きるのが精一杯で他人を思い遣るまで至らないと言えば言い訳になるのだろうな。今は何をしてもダメッポだははは(乾いた笑い
つくづく思う。人を思い遣る事の難しさ、喜ばせることの大変さ。それが難しいからといって避けて通っていてはいつまでも人になれない。早く人間になりたーいby溶解人間ジス
振り返って後悔するんじゃなくて、それを糧に・踏み台にして前とか遠くとか見たいよね。そう思うことにする。駄目だーで黙ってたら進歩がないし、人を幸せにすることなど出来ないじょ
歴史関係がさっっっぱり進まなかったので困っている。これはもう一度現地へ行って、『緑色の店の方』へ聞き込みせねばなるまい。
ダイジェストすると、
参加者:ピカさん、よととさん、むねぞうさん、こけさん、みつさん、私
あったもの:手押し軌道と思える軌道跡。犬釘と枕木(自分でもゴッドハンドかと見紛うような奇蹟的発見、&よととさんの鋭い観察眼による発見)、事業所跡でまさかのレールベンダー!byこけさん、そして切り通しと化していた隧道跡。索道上部盤台も(その形状だけ)見つかった。
見つからなかったもの:木梶川右岸のトロ道(それかも知れない小径は見つかったが・・・確証が乏しい)、索道下部盤台(何しか道はあったけれど!)、そして流浪するnagajisの魂の帰る場所。
前日に行った大津古谷も発見があって有意義だった。謎だらけの採石場跡の秘密もわかったし、上流の木馬道と下流木馬道の2本であったということも判明。前回ので気づいとけよ>nagajis!と思わんでもないが久しぶりの野宿は心地よかった。楽しんでもらえただろうか。こちらももうちょっと上手く回せたら良かったのだけど。
そうそう、大津古谷の上流木馬道の傍らに山の神の祠があって、ちゃんと由緒書きが残されていたのが強く印象に残っている。何でも明治44年に此の場所へ移設してきたのだという。木馬道の桟が残っていたのも初めての経験で、学ぶ所大だった。こういう日の目を見ない道が無数に残っているのだろうな・・・。
こちらでは初めてとなる古本市が開かれるそうな。6/18より数日間。どこかで必ず行っておきたい。四天王寺の古本市も久しぶりに行きたいなぁ。前回はたまたま立ち寄っただけだったから、今度はちゃんと腰を据えてあれこれ探したい。見つかってもおいそれとは買えないだろうけどな(漠
北海道の林鉄について少しずつ情報収集中。たまたま近くの古本屋でS31・5万図・十勝川上流を入手。どこも車道林道化しているものと思っていたが、細かく見ていくと案外残っているものだ。最新地形図では集落丸ごと消滅しているのが寂しい。
北海道の林業事業を俯瞰できる報告も入手。北海道の林鉄の始まりは大正期なのだね。ちょと意外。北海道ほど林鉄の似合いそうなところ(似合うというより機能するというほうが妥当か)はないのになぁ。
それで今日もまた足を運んでみると、今度は和食に林鉄線をハケーン&衝動買い。行く暇なんてないだろ>nagajis。興味のある方はご一報ください。那賀川周辺(ほぼ消滅)・八重地隧道付近から西→稜線越え→北の谷に入ってく軌道がありまする。
携帯がなくても認証できるルートが用意されていて、その通りに申請したら(ちと間違えて滞ったものの)ちゃんと入札できるようになった。なるほど、こうするべきであるのか。一見しただけではわかりづらい所にあるのはこの場合正しいと思う(制作者サイド的な意見)。
お陰でまっくで地図ソフトが使えるようになった!
ネタが尽きてしまい過去の物件に手を染めなければならぬようになった。いい兆候なのか悪い兆候なのか。
某氏からの頂き物が入っていた袋。何でも長野の地方銀行が昭和50年代?に作成したものらしい。この勢いがORJにもほしい。「15日はともかくORJへ!」「消費予定があろうとなかろうとORJへ!」「ボーナス払いが待ち構えていようともORJへ!」とか臆面もなく言ってみたい気がする。あくまでも気がするという所に弱さを露呈しつつそう思う。無理にとは申しません。買って下さると編集部員が悦びます。少しだけ長生きできます。
調子に乗ってもう一丁。右の看板に中程度の奇妙なポテンシャルを感じる。所謂色抜け看板だが抜けた結果が何とも言えぬ味わい。誰が見てもカエルだとわかる絵に「カエル」という説明。ただそれだけなのに込み上げてくるものがないだろうか(この場合、「ゴミは持ちカエル」だということに気づくべきではない)。ぼんのくぼに「ぼんのくぼ」と書いてあるのを見てしまったような可笑味。
むしゃくしゃしてやった。自作なら何でも良かった。今は反省していない。
改善点・こんな機能欲しい要望承ります。あ、デザイン的なところはまだ全然触ってませんので。
どうも最近、発送ミスやらメール不達やらが続いている。不可抗力のこともあるし、完全に自分の見逃しであることもある(割合としては後者が7割? もちろん何十件も起こっているわけではないのだが、被害を受けた人にとっては100%なのだから、件数の多寡はこの際関係ない。それ以外の所でもさんざんっぱら失敗しているしな・・・。
気が弛んでいるのだろうか・・・50号記念はひとまず終えたし、そういうところで安心しているのかも知れない。勘違いするなよnagajis、お前が何かを達成したわけじゃない。
某氏から「納得がいかないポテンシャル」としてこんな画像をいただいた。
対抗してGIFアニメを作った。ストーリーというほどでもないものを一生懸命GIFアニメにしたところに奇妙なポテンシャルがある。中々味わい深くなった。
時間が無いのでt/o。いつもすみません>かみさま
何年も前の過去号を見ていると何だか哀しくなるな。哀しくなるようなものを作るな、という叱咤は甘んじて受ける。
32号まで。おそらくこのままでは役に立たない。KVMで取り出してほげふがせんとあかん。50号通してみられないと意味がない。
・号の区別>トップ画像で代用する。
・ルートは?
・説明は入れる暇がないと思う。
マップからマップへのコピーみたいなのは出来ないんだな・・・。ちょっと不便だ。
誘いを受けて行って来た(写真の人物は無関係なとおりすがりの人である)。これという見所はないにも関わらず人が多かった。見所がない=つまらなかったと短絡してもらっては困るし、そういう前置きをする所につまらなさを感じたのだろうと勘ぐられる可能性を考慮したうえでやはり見所がないとしか評しようがない催しだったのだが、いろいろなことを考えさせられ、記憶に残った。funnyではなくinterestingともやや違う、しかし根源的な発見と納得とをした。
奈良盆地はいつ訪れても茫洋とした感じがする。そのまっただ中で行なわれている1300年祭りはさらに輪をかけて茫洋としていて、その茫洋とした感覚に身を委ねて歩き回ったことでさらに呆とした。例えば等伯展の松林図の如きカタルシスを齎すものはない。伯母谷全景も谷坂隧道竣工記念写真帖もない。広い広いそして広い平城宮跡の中をてくてくと歩いて回るだけの催し−−−奈良貴族の格好をするとか遺跡発掘体験をするとかの「参加」をすればまた違ったふうに感じただろうが−−−に行ってきたという事実だけが残っていて、それが全てである。
マーケティングとして考えた時、そういうのもありなのかも知れないと思う。本質は傍らに置いておいて、二次三次の何かで人を呼び儲けるしかないご時世なのかも知れないし、元々人はその程度を求めているのかも知れない。ORJも然り。幾ら高尚な理念を掲げようと要らない人には要らないものだ。多くの人々は一瞬の喉の乾きを潤すことができればそれでいいのだろうし、それすら出来ない(してあげられない)nagajisは無駄である。
それにしても人が多かった。呆れるほど人が多かった。そして思った。つかみ所があるようでない、漠然とした奈良である故に人はつかみ所を求め、理解のキーワードとして「遷都1300年」を求め、奈良を知るよすがとして「せんと君」を求め、1300年祭に向かうのかも知れない。私もそのクチだった。しかし漠然としただだっ広い世界に身を置いてその目論見が甘かったことを悟った。いつまでも解らない奈良であり続けている。おそらく参加者の8割はせんと君しか思い出に残らないだろう。そういえば奈良シルクロード博もものすごい入りだったと聞く。
奈良町散歩も興味深かった。知らない街を歩いて迷子になるのが好きだ。そういう時に街を知り案内してくれる人のいることの、何と有り難いことか。そしてその対価的な何かを何一つしてあげられないnagajisの、何と情けないことか。そういう後悔をしている暇があったら改善しろ>nagajis。と思いながら春日大社界隈を歩いた。
人を恋う状況は簡単に作り出せるが、それを表現すること、および現実に即して振る舞うことはとても難しいと思う。
_ とと [だから言ったではないですか…。孤独を歩め悪をなさず、求めるところは少なく、林の中の像のように。パヲン…]
場所は言えない。口が裂けても言えない。展開して手を叩いて笑って少し気が晴れた。
宇野峠と川端線。出だしは順調だったがすぐに血糖値が下がって駄目になる。そもそも大きな発見はない。え。何とかならんもんかいな。少なくとも川端線はいまwebにある以上の出来にせねばならんとぞ思う。
無理庫裏書き進めて骨格をつくる。歴史部分は後回し。あと1wもあるのだから何とかなるだろう。
the-orj.orgドメインの更新が遅れてちゃんと表示されてない。カードで支払ったあと購入し忘れるという阿呆パターン...
10日8:00時点で対策開始。どうなることやら。
AM9:53富貴。ふ〜。
_ ハイチオールC [道東に伊勢ワンニャン道を飛躍的に伸ばす方策! 弱者ビジネス同士(をい……)仲良くやってください(笑)。 ちなみに梅干しとSPAMは喰い合わせがいいらしいですよ。梅干し喰ってSPAMってフレーズを..]
前号のアンケートの「ぷに」というコメントに対し,受付が「ぽね」と返事した件について考えている.受付が咄嗟にそう言ったものだからそのように書いた迄であるが,なぜ受付は「ぽね」と言ったのか.
たぶんこういうことだと思う.
ぱ
ぴ な
ぷ に
ぺ ぬ
ぽ ね
の
大羽弘道氏が大橋銅鐸の「クモ+カマキリ」を「カモ=賀茂」と読んだのと同じ手法である.『銅鐸の謎』を知っているとは,年がばれるぞ>受付
例によって意味はない.
何となくそんなことを思う。頼りにできる何か、あるいは生活の中で指針となる何かを人は求めているのだと思う。その点では科学も宗教だと思う。
すべて自己完結するので何もする必要がない。たとえば
やる気が削がれる>勝手に削がれてろ
利用されるだけの人>それで満足しろ
人はさあどうだか知らない。推測しても無駄だから取り合わないほうがよい。
成立しない編集会議でTUKAさんと歓談しつつ寝落ちしてしまった。ひどいやつだ>nagajis
起きて旧橋を書きすすめる。構想は前からあったがいざ書き出すと中途で投げ出してしまいたくなる。文字を書くのがたいそうめんどい。一度書くと書き直しが大変だし。
そうそう、今日はパレットへ行ってみよう。月に2日だけの店鋪営業日だ。
ロベルトがキモい。
ジスオもキモ化が進行している。
ふつうに書いたらあんまし旨くなかった。個々の物件に思い入れがあるわけでなく、書くことがないせいで写真をあまり入れられない。思いきって土倉街道のような感じにしようかという構想(=逃げ)から始めて探索ゲームのような作りに。
うん、こんな感じ。少なくとも現況はわかってもらえるんちゃうの。
歴史記述と現況報告のギャップが大き過ぎる。しかし知識無しのnagajisにはその間を埋められない、というより現況報告の底上げができない。できるだけ生のまま提示して識者の判断を仰ぐという姿勢・・・にはならんのだろうな。
歴史も不足多し。最も繁盛したはずの大正末〜昭和にかけてが欠如している。国鉄貨物線の営業成績なんてどうやって調べたらいいんだ? 大和索道とか吉野林業とかから逆算するのか? とりあえずは現状ママで行くしかあるまい。
こういう状況になると1カ月で原稿完結させることの難しさを痛感する。一度記事にしてしまうとfollow upする機会がないしあとで補遺るのも格好悪い。格好悪さと読者の不評を買うのを厭わなければそうしてでも完全に近づけておいたほうがよい。でないと一過性の駄ネタになってしまう。川端線が可哀想だ。
今日は進まず。最後のオチに悩む。他の探索の部分はどうする? そこまで漫画にしているとさすがに時間がないぞ。
やっと思い出しつつある。一度に2、3の原稿にかかったほうがよい。できるだけテイストのちがうものを。詰まった時や気乗りしないとき、そっちにかかることで気分転換できる気がする。
引用符なしで「盤台責任者」と検索したら株式会社バンダイしか出て来ずがっくりした。余計な翻訳をしないでほしい>Google。しかし引用符をつけて「“盤台責任者”」にしても該当ページが存在しなかったからプラスでもマイナスでもない。
検索の仕方が変わってきているのだろうな。「盤台作業者とは何か、あるいはいつ頃使われた言葉か」、あるいは「pdfつくるだけの人が嫌になりました。旅に出たいのですが出られません」みたいな自然文で検索するのがふつうなのだろう。ユーザーが検索エンジンの癖を呵って検索文を考える時代は過去のものだということだ。
自分のことしか考えない奴は云々、と憤慨したものの、2号分のチェックを強いることになることを忘れているnagajisも人のことを言えない。
ふむ。仲しいたけ園の方も対象になるのか。
川端線の延長のつもりで書いてみたらさっくり終わった。今のうちに水増ししておこう。
次に何かかるかが難しいな...音水は中途半端だし、旧橋は昨日ガッツリだったから気が乗らない。いまは原稿を書くよりもちまちま図を書いていたい気もする。散歩して気を紛らすか。
時間がかかるところはひとまず終わった。最後のページは構成変えたほうがいいかも知れぬ。残りは基本写真のみで。旧橋ではない(こともない)がこの機会に片付けておきたい。
森水さんからいただいた画像の中に大和索道の五條駅の絵葉書があったのを忘れていた!!! これは使わねば。
拝復。気取った苦悩ですね。僕は、あまり同情してはいないんですよ。十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。真の思想は、叡智(えいち)よりも勇気を必要とするものです。マタイ十章、二八、「身を殺して霊魂(たましい)をころし得ぬ者どもを懼(おそ)るな、身と霊魂(たましい)とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」この場合の「懼る」は、「畏敬(いけい)」の意にちかいようです。このイエスの言に、霹靂(へきれき)を感ずる事が出来たら、君の幻聴は止む筈(はず)です。不尽(ふじん)。
行けなくなった。各種資料が無駄だ。
_ とと [ギャフ]
_ Bee [子ども手当てでORJを!]
_ nagajis [ORJをッ!]