nagajisの日不定記。
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Ref.を見ようと思って休んでたらずるずる休んでしまった(日記更新すると消えるねん>本日のリンク元)。まあその分いろいろ捗ったのでよしとしよう。結局何も起こらなかったし。
太ましい井桁刻印も大阪の灘萬が出願したこの商標がある。貝塚煉瓦も井桁だったがもっと細い。なにより明治40年に岸和田煉瓦に合併されたというから、岡町住宅地が分譲され始めた明治45年には存在しなかった。
同書には岸和田煉瓦や大阪窯業の商標もある。そのほか耐火煉瓦の商標多し(特殊なものなので製造元が主張したがったのだろう)。『刻印煉瓦集成』にないものもある。ただしこの商標が煉瓦に押されたという確証はない。あくまでも商標だからな。(2013.4.19さくじょ)
奈良図籠りをしたお陰で「復命書」簿冊の重要性に気づいた.知事の命令や他工区の仕事ぶりを学ぶ目的で他所へ視察に行った官吏の報告書の綴りだ.工事帳簿や鉄道免許申請に復命書が添えられていることは知っていたけれども,カテゴリーに収まらない復命書をまとめた帳簿が奈良図には存在していて,それが当時の道路状況等を知る手がかりになることを発見したのだった.
「復命書」帳簿に綴じられているのは他工区視察の報告書(おそらく若手技術者が勉強するために行かされたもの)が主で,天辻隧道に関する重要情報もこの中に発見した.他には道路行政に関して他県のやりかたを視察に行った報告が多く,栃木だとか広島だとか茨城だとかの工事仕様書(仕方書)も綴じられていた.これはむしろ他県の人にとって貴重な参考資料になるんじゃないかしらん.
視察制度は他県にもあったのだろうか.おそらくあったのだろうと思う.そうしてそれが,鈴鹿隧道に似たピラスターの高研・俵津・土屋隧道が遠く離れた高知県愛媛県に生まれた原因なのではないか.上記のような視察を通して情報が伝播したのではないか.
府県間で情報交換があったのだろうということは前々から言われていたけれども,それがどのようにして行なわれていたのかははっきりしていない.内務省技師(部長課長クラスの技術者)はよく移動したので,そういう人が設計図やアイデアを携えて移って行った可能性が当初は考えらていたのだけれども,村田の例で考えると,上級官吏は(隧道のような雑工事の)設計に関わらなかったように思われる.設計は技手もしくは奏任官待遇技師の仕事であったらしい.となると設計はどうやって伝播したのか.道路改良会が開催した全国道路大会,もしくは「道路の改良」誌や「道路」誌のような情報媒体はあるにはあったが.それが全てとも思えなかった.
「復命書」綴に残されているような行き来が全国的普遍的に行なわれていたとすれば万事解決する.視察に行かされたのは主に若手技手で,まさにそういう技術者が設計をしていた.視察を通じて設計例を伝え,あるいは設計例を学んで真似をしたことは想像していいだろう.復命書に当たれば,その想像を記録で裏付けることができるかも知れない.そういう発見をした.
もちろん道路以外の視察もあった.かつそんな視察に関して面白い史実を発見.駒田普明は大正9年頃に玖珠町戸畑と日田市女子畑の発電所を視察している.道路法令関係は道路書記もしくは道路主事が行ったらしく,そんな場面では滋井の名前を多く見た.
大正区浪速区東成区城東区と死ぬほど歩き回った。右足が真で居る。無理するべきではなかったかも知れないがこれで第一時都計橋梁コンプリートだぜ! ポケモンゲットだぜ行けピカチュウピッカー! と喜んでいたら百済橋(跡)と備前島橋(跡)を撮り忘れていた。ボウリングで7-10ピンを残してしまったような、アタック25第一問正答で角を取らないようなミスだ。あの世で児玉清に叱られてろ>nagajis
その他、蒲生橋の親柱と桜小橋跡で部材?らしいものを発見。忘れていた芦原橋親柱も回収。渡船二つを梯子してT13竣工の京橋も渡った。大阪市土木局が誇る器用な構造の橋・千歳橋も登った。写真の構図ではこの橋の珍妙さが伝わらない。かといって全景掲げても伝わらないだろうし。ムズイ。
無駄に長いな・・・。
良くない例。そういえば広橋でも畑に入り込んで撮ってたな。何かあってのことだったんだろうか。
こういうのを見るにつけ、いい構図・いい写真に素直な気持ちで向き合えなくなる。違法とかどうとかいうことより、そうでもしなければ見れない構図だということを隠して「さあどうだ!」と見せられている悔しさというか、生の目では捉えることのできない切り取りをいかにも現実感たっぷりで見せつけられる詐偽感というか。上の梅だってズームで切り取ったマクロな現実であり目でこのように見れるわけではない。写真はいつも卑怯である。
寝屋川に架かるこの橋.この辺でよく見られる戦後架設の合成桁のようなシェイプをしているが…
よく見たらリベットが使われていて「?」と思った.高欄形状も古臭い凝りがあった.リベットのPGでこの薄さっていうのは(仮令それが戦後架設であっても)グッとくるものがある.あの形式の魁だろうか? そう思って何枚か写真を撮っておいた.
いま調べてみたら,「新」のつかない鴫野橋は1931年架設という.ということは昭和6年製ということになる.意外.盲点.こんなところにこんな時期のこんな橋があろうとは.実は構造も特殊なものがあるのかも知れない.
鴫野は都計の対象外.ただしその北の蒲生橋は第三次都計事業対象になっていた.鴫野橋があったから蒲生橋が対象になったのだろう(都計事業以外で一切架けられなかったわけではない.腐朽したとか急遽必要になったとかいう橋は都計事業とは関係なしに架け替えられている).寝屋川改修もあるにはあるが,あれって河口周辺の一部分だけだったはず.鴫野橋はJR京橋駅よりも東にある.
その上流にある新喜多橋.新しい喜多橋,ではなくて「しぎたばし」という.かまぼこを超扁平にしたようなorガントリークレーン梁のようなシルエットの合成桁で,寝屋川平野川にはこの形式の橋ばかり架かっている.無問題児で無個性で,そこにあることすら忘れられてしまうような橋よりは,鴫野橋のような「!」がある橋のほうがいい.他所者的にはね.
昨日散歩をしている時に咲き始めの桜の枝がひとつ落ちていたのを拾ってきた.一輪挿しに挿しておいたら順調に満開になり,部屋の中でささやかな花見ができている.桜の生命力はすごいと思う.
親桜は今日の雨で散ってしまったかも知れない.それでもいいかなと思う.今年も弁当を拡げて酒を飲んでという嘘花見とは無縁でいられる.約束を破ることなくちゃんと咲いてくれる桜を見ることができればそれでいい.
_ ocoze@三重 [前日の記事の写真の続きですが,千歳橋というのは接続部の道路からの連続するラインといい非常に美しいですねぇ。色もいい。実にいい絵です。こんな私は変態でしょうかw? どこにあっても邪魔ものの電柱が入..]
_ nagajis [千歳橋は埋立地のはしっこをつないで架かっているので、いろんな角度から撮れていいですね。頑張れば電信柱なしの構図も行けるはずです。]
_ ocoze@三重 [>写真はいつも卑怯 裏返せば感性が入り込める隙があるがゆえに芸術にもなれるのでしょうねぇ... 一方で,旅行ガイドなどで巧みに撮られた風景写真と実風景とのギャップに落胆する人も多いのでしょう。..]
ごはんが炊けるまでの間の暇つぶし.三代目の海門橋.Wikipedaで手に入れた程度の浅知識によれば,昭和5年に完成し,昭和13年の洪水で流失したという.たった8年間しか機能しなかったわけで,そのわずかな間に作られた絵葉書だということになる.
意匠は結構面白い.ヴォールト+柱のRC開腹アーチで,側面の開腹部だけでなく橋軸直角方向の柱の間にもアーチを入れている.橋脚の辺りなどは丸い窓のようになっている.なんだか曲線の塊のような感じだ.ただその多用が即ち美になっているかというと,そうでもなさげ(だから「結構面白い」としか言えない).なぜだろう.アーチがヴォールトだからだろうか.リブにして,もっと透かして見えるようにしていたらどうだったろうか.
この意匠のせいであっさり壊れてしまったわけではないらしい.基礎杭の選定にミスがあって,洗掘でひっくり返ってしまったそうだ.
「絶対」なんてあり得ないからと書き直しを命じたというのは快哉だったんだが言葉遊びでしかない修正結果に鼻タレタ.
今度はカレーが冷めた….
不思議な形をした3ヒンジアーチ.『日本の近代土木遺産』を読んでこれでも3ヒンジ・アーチなのだなと知り,頭を悩ませた覚えがある.福島の秋元橋と同様,ガントリークレーンの梁を流用したんじゃないかとずっと思っているのだが,そういう興味を持っている人はいないらしい.だいいち箱ガーダーじゃないもんな.
この絵葉書は物凄く高かった印象がある.といっても高々500円もしなかったはずで(たぶん300えんだったと思う),その時買いたいものが既に何枚かあり,ついでに買うかやめるかでずいぶん悩んだせいだろう.買ったところで雑彩色だし,遠方だし.行ける可能性はあっても保証なんて蚤の爪垢ほどもないのだ.
カレーにリンゴを入れるときは煮立ったら一度火を止め5割方冷ましてから続きを作るとトロトロになる
カレーに豚バラ肉を入れるときは水から入れて弱火で煮るとトロ(ry
カレーに千切りキャベツを入れるととろ(ry
この看板を見て
マエカブの悲劇
ということを考えた.株式会社地球環境を勉強しています!と地球環境を勉強しています!株式会社とでは前者のほうが恥ずかしさが増すに違いない.電話を取りたがらない新入社員が続出し社内SNSに五月病スレが乱立するに違いない.
そういうことでないことは百も承知している.(株)△□商事もしくは△□商事(株)が看板を下ろして「△□商事」だけ取ったのだろうということは百も承知している.だがその時にもマエカブは悲劇を齎す.マエカブは容赦なく悲劇を齎す.もしマエカブであったなら,もっとアキが詰められて,私のような頓珍勘違いをするやつが一層増えるに違いないからだ.
ふと,マエカブって英語で何というのだろうと思った.やはりhead-tailなのだろうか.動物に見立てたポジショニングに対し,日本語は「前」「後」という抽象を用いるのは,何かを表しているのだろうか.「前」「後」なら縦書き横書きどちらでも対応可だ.どちらが頭でどちらか尻尾かわからない蚯蚓のようなものを想像したりする事故も防げていい.縦書きのもののheadを想像し,人間を連想してしまい,そういや尻尾ないやんけ,と一人でがっくり来ることもない.
Illustratorのデータでも行けるのだな.調子乗っていろいろ作ってみた.
食材をしこたま買い込んでカレーを作ったのが確か一昨日のことだったと思う.それから朝夕毎食カレーを食い続けている.飽きもせず凝りもせずカレーを食い続けている.中身はずっと一緒だ.豚バラとじゃがいもとたまねぎとセロリとほうれん草が入っているだけの,何の工夫もないカレーだ.あ,いや,初日のにはリンゴが入っていたな.頂きもののリンゴを一つかたし忘れていたので入れたのだっけ.それに加えて珍しく甘口のルーを買ってきていたものだからとてもとても甘いカレーになった.それはそれで美味だった(食べ終わった今頃になって学校給食のカレーみたいだったなと懐かしんでいる).
腹一杯食べられることは幸せなことだ.食べるものがあることは幸せなことだ.
全体像とか流れとか考えずに書いていた頃のほうが面白かったなあ.そうできればいいなあと思って四苦八苦してきたけれど,無理なものは無理なのよ.柳田翁だってあれ全部作ってから書いてたんじゃないだろうし,それを真似るのは不可能だろうし.その場の勢いのほうが重要な場面だってあるのさ.
いろいろ考えた結果都計事業ネタをpdfにするのは断念した.どう考えてもHTMLでやったほうが便利.都市計画とは何ぞやとか付属資料とかはORJにつけるとしても,写真とか地図とか場所指示とか橋同士のリンクとかを考えるとHTMLのほうが有利.というかHTMLでないと無理.河川で分類しつつ路線でも分類しつつ第n次でも分類するという三次元軸を上→下で読むのが前提のpdfで表現するのは不可能だ.しかも第一次~第三次事業を全部いっぺんに出してしまわないといけない.pdfに収まるわけがねえ.
そう決断してGooglemapsから取り出したKMLからページを作成する泥縄式書き捨てスクリプトを作りつつ作っているがやはり着手が遅かった.次号に間に合わすのは無理だ.やるやる詐欺で申し訳ないがこれは次号に回すことにする.
ToDo的メモ:S18都計事業一覧を活用すること.
今回は何か一人でばたばたしてた感じがする。表紙リンクを貼る順番とか、アンケチェックする前に統合版作ってしまったりとか、なんかやり方がちぐはぐで、時間をとった。いっぱいミスがありそうな気がする・・・。
latitude,longitudeのmax-minを比べ、latが大きければ南北に長い川、lngが大きければ東西に流れる川と仮定してソート。路線も同様。これで大体はいける。天神橋だけイレギュラー扱いすればいい。
路線と河川の前後の橋へのリンクを実装.結局4ファイルみることになるのでlibralylibrary作った意味がない.そこもlibに押し込んだらいいんか.そんなに変わるわけでもないのだし.
奈良県統計書より.いちばん見たいところが欠けてる>近デジ
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/973034/82
社名・駅 | 経由地 | 延長(マイル・年末現在) | 貨物数量・総数(貫) | 貨物数量・上り荷(貫) | 貨物数量・下り荷(貫) | 賃金(円) |
大和索道株式会社 | 宇智郡五條町大字二見 | |||||
五條 | - | 517,496 | 367,272 | 884,768 | 30,591 | |
樫辻 | 4 | 183,826 | 88,247 | 222,074 | 7,759 | |
富貴 | 3 | 197,772 | 131,752 | 332,524 | 11,564 | |
天辻 | 3 | 197,772 | 131,752 | 332,524 | 11,564 | |
坂本 | 2 | 453,552 | 320,768 | 774,320 | 26,786 | |
計 | 12 | 1,496,466 | 1,042,807 | 2,539,273 | 88,002 | |
洞川電気索道株式会社 | 吉野郡下市町下市 | |||||
下淵 | - | 378,536 | - | 378,536 | 72,174 | |
下市 | 1.5 | 464,387 | 61,150 | 528,537 | 19,402 | |
広橋 | 2.2 | 586 | 11,585 | 12,171 | 816 | |
長瀬 | 2.1 | 8,289 | 181,703 | 189,992 | 1,286 | |
笠木 | 1.4 | 535 | 164,813 | 165,378 | 1,342 | |
川合 | 3.2 | 134 | 1,932,794 | 1,932,928 | 9,932 | |
洞川 | 1.6 | - | 355,982 | 355,982 | 14,568 | |
計 | 12 | 856,467 | 2,708,057 | 3,564,524 | 119,020 | |
北今西施業森林組合 | 吉野郡野迫川村大字弓手原 | |||||
弓手原 | 4.5 | 3,500 | 8,500 | 12,000 | 3,600 | |
大坂荷箱材料株式会社 | 吉野郡天川村大字沖金 | |||||
自種?覆山 至沖金 | 3 | 42,000 | 252,000 | 294,000 | 8,820 | |
洞川 | 0.5 | 51,000 | 352,000 | 403,000 | 3,630 | |
計 | 3.5 | 93,000 | 604,000 | 697,000 | 12,450 | |
大峰索道株式会社 | 吉野郡下市町阿知賀 | |||||
自洞川 至笠木 | 2 | 61,000 | 441,000 | 50,200 | 5,200 | |
阿知賀 | 6.7 | 800 | 50,000 | 50,800 | 1,400 | |
計 | 8.7 | 61,800 | 491,000 | 552,800 | 6,600 | |
奈良安全索道株式会社 | 奈良市肘塚町 | |||||
自京終 至八反田 | 4.3 | 587,700 | 740,575 | 1,328,275 | 25,736 | |
天満 | 0.7 | 42,020 | 110,298 | 152,318 | 2,627 | |
山田 | 2.5 | 105,500 | 299,380 | 404,880 | 4,804 | |
計 | 1.3 | 105,050 | 141,812 | 246,862 | 5,252 | |
小倉 | 1.6 | 210,190 | 283,625 | 493,815 | 10,504 | |
計 | 10.4 | 1,050,460 | 1,575,690 | 2,626,150 | 48,923 | |
尾鷲索道株式会社 | 三重県北牟婁郡尾鷲町 | |||||
自本社/至矢所 索道 | 1.7 | 105,166 | 2,000,000 | 2,105,166 | 28,858 | |
製版材木業 明平商会 | 三重県北牟婁郡尾鷲町 | |||||
又口 | 2.4 | 35,295 | 421,088 | 456,383 | 5,269 | |
北山索道株式会社 | 三重県北牟婁郡尾鷲町 | |||||
自尾鷲 至河合 | 11.7 | 473,568 | 6,620,312 | 7,093,880 | 175,404 | |
三国木材株式会社尾鷲林業部 | 三重県北牟婁郡尾鷲町 | |||||
河合,白川又山間 | 3 | 57,034 | 2,217,997 | 2,275,033 | 7,981 | |
紀和索道株式会社 | 和歌山県伊都郡橋本町 | |||||
野川 | 0.7 | 125,258 | 79,074 | 204,332 | 16,767 | |
十津川索道株式会社 | 和歌山県高野村大字高野山 | |||||
高野山至野迫川村池津川 | 4.2 | 5,500 | 8,000 | 1,350 | 3,375 | |
総計 | 74.8 | 4,363,516 | 17,776,525 | 2,214,004 | 516,267 |
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448538/265
社名・駅 | 延長(km・年末現在) | 貨物数量・総数(kg) | 貨物数量・上り荷(kg) | 貨物数量・下り荷(kg) | 賃金(円) |
大和索道株式会社 | 19.3 | 7,883,706 | 2,700,648 | 5,183,058 | 32,780 |
五條 | - | 2,106,705 | 2,106,705 | - | 10,161 |
樫辻 | 6.5 | 313,289 | 54,129 | 259,160 | 655 |
富貴 | 4.8 | 1,441,708 | 405,097 | 1,036,611 | 4,916 |
天辻 | 4.8 | 653,017 | 134,717 | 518,300 | 983 |
坂本 | 3.2 | 3,368,987 | - | 3,368,987 | - |
洞川電気索道株式会社 | 19.3 | 3,854,518 | 636,319 | 3,218,199 | 20,948 |
市淵 | - | 2,394,330 | 266,325 | 2,128,055 | 13,918 |
下市 | 2.6 | 509,509 | 276,859 | 232,650 | 2,125 |
広橋 | 3.8 | 35,622 | 799 | 34,823 | 134 |
長瀬 | 3.1 | 47,989 | 3,278 | 44,711 | 149 |
笠木 | 2.4 | 137,625 | 29,812 | 107,813 | 258 |
川合 | 4.7 | 407,977 | 59,246 | 348,731 | 1,429 |
洞川 | 2.7 | 321,466 | - | 321,466 | 2,935 |
三芳索道株式会社 | 9.2 | 2,890,830 | 388,750 | 2,502,080 | 15,661 |
不動 | - | 373,800 | 3,800 | 370,000 | 968 |
小口 | 3.3 | 100,880 | 32,900 | 67,980 | 1,198 |
自 小口 至 佐田 | 1.1 | 1,963,150 | 168,000 | 1,795,150 | 8,294 |
自 佐田 至 池原 | 4.8 | 453,000 | 184,050 | 268,950 | 5,201 |
奈良安全索道株式会社 | 16,9 | 9,708,797 | 5,504,844 | 4,203,953 | 28,972 |
京終 | - | - | - | - | - |
八反田 | 6.8 | 516,007 | 291,502 | 224,505 | 1,047 |
天満 | 1.3 | 1,083,639 | 584,075 | 499,564 | 2,315 |
山田 | 3.4 | 2,341,354 | 1,337,539 | 1,003,815 | 7,629 |
針 | 2.7 | 1,827,079 | 1,398,119 | 428,960 | 5,749 |
小倉 | 2.7 | 3,940,718 | 1,893,609 | 2,047,109 | 12,232 |
大峰索道株式会社 | - | - | - | - | - |
紀和索道株式会社 | 1.2 | 2,029,860 | 1,054,620 | 975,240 | 3,663 |
野川/川合橋 | -/1.2 | 2,029,860 | 1,954,620 | 975,240 | 3,663 |
北山索道株式会社 | 18.8 | 3,494,486 | 168,608 | 3,325,878 | 15,949 |
尾鷲/河合 | 18.8/- | 3,494,486 | 168,608 | 3,325,878 | 15,949 |
年度 | 総延長(km) | 総合(kg) | 上り荷(kg) | 下り荷(kg) | 備考 |
大正8 | 47.0 | 44391240 | 7540462.5 | 36813277.5 | 289967 |
大正9 | 57.8 | 48154755 | 7805910 | 40348845 | 422081 |
大正10 | 224.0 | 102692524 | 40060522.5 | 62444501.2 | 441976 |
大正11 | 134.9 | 107668339 | 13014858.8 | 94653480 | 475459 |
大正12 | 120.4 | 8302515 | 16363185 | 66661968.8 | 516267 |
大正13 | 135.3 | 256326926 | 72120247.5 | 184206679 | 1498275 |
大正14 | 115.6 | 71056608.8 | 17540171.2 | 53516437.5 | 393379 |
大正15/昭和1 | 127.9 | 37642286.2 | 21576378.8 | 16065907.5 | 262827 |
昭和2 | 123.8 | 53593039 | 14323538 | 39269501 | 364951 |
昭和3 | 88.0 | 51980707 | 16236341 | 35744366 | 339522 |
昭和4 | 89.0 | 46902791 | 17923598 | 28979194 | 270855 |
昭和5 | 88.0 | 44045378 | 15377363 | 28668015 | 248882 |
昭和6 | 84.7 | 29862197 | 10453789 | 19408408 | 117973 |
昭和7 | 84.7 | 56536463 | 21846213 | 34690250 | 108712 |
昭和8 | 91.3 | 27476874 | 9749269 | 17727604 | 94726 |
昭和9 | 59.8 | 34550014 | 9635484 | 24914530 | 126648 |
昭和10 | 59.8 | 32444499 | 9753423 | 22691066 | 138335 |
昭和11 | 56.5 | 41724520 | 13461113 | 28263407 | 158051 |
昭和12 | 56.5 | 41809897 | 11023976 | 30785921 | 133899 |
昭和13 | 56.9 | 36391879 | 7294758 | 29097121 | 134105 |
昭和14 | 49.7 | 40518453 | 6207333 | 343311120 | 161258 |
データ出典
大正8~10:T12 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/973034/82
大正11~大正15/昭和1:T15 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448499/133
昭和2~6:S6 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448538/265
昭和7~10:S10 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448569/293
昭和11~昭和14 :S14 http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448602/113
備考
T12総量は上り荷・下り荷から算出
S14下り荷は総量・上り荷から算出
T10総延長はキロメートルか?(139.2:赤ライン)
T9de総延長が一気に増えているのは北山索道の完成が効いてるのだろうか.T13のピークは三芳索道小口線開通によるもの,S7で総量が増えているのに賃金が変わらないのは鉱山索道の要素が強かった大峰索道によるものであろう(ドヤァ
路線等級でソートまで実装.ハッシュ作り過ぎでどれがどれかわからなくなった.こうなってくるとDB使ったほうが早いんじゃねと思ってしまう.それは余りにも牛刀なので自重する.
仕組みはこのくらいにして記述を始めなければならない.ずいぶん把握したと思っていたのにもう忘れていること多数.鉾流橋(市道控訴院筋線)の出自がどういうイレギュラーだったかとか,辰巳橋筋線なのか九条市岡線なのか,とか.
繁栄という名の幻ばかり追いかけている世の中には用がない.過去を知りたいと思うのは,それが紛う事無き事実であり,決して裏切ることがないからだ.
と誰かが言って板,と書いておいたら誰も信じないだろう.
やっと学会誌編集が終わりそうだ・・・.もっと早く回せないものか.段取りとか対外とか入ってくると化けの皮がはがれるよな>nagajis.
以前も書いたがつくづくシングルタスクだと思う.頭の中ではジャグリングしているつもりで実は,掌には一個の玉しか載っていない.みんな足元に転がしてあって,それが気になって気になって一つの玉さえうまく回せないのだ.群論なんてクソ食らえだ.
うろ覚えのままだったので再確認しに行ったら見事に事実誤認してた.T9に郡道昇格,うち五条-西吉野間は即県道昇格.残りはT9の旧道路法では昇格しなかったがT12郡制廃止に伴う変動でこっそり県道になっている(県道五条新宮線).S15に十津川風屋?~和歌山県境までの改修速成決議,村でも山を売って資金捻出したりしてる(S17).そのへんのことTRDBに反映せねばならん.
敗因は「十津川」コピーが吉野6・野迫川のファイルに綴じられていて見つけられなかったため...という体たらくを雪辱するために県議会史を援用するために府立図書館に篭っていた.だれも待ってないにちまいないが待たれたし.<-損をするのは畢竟自分だけだからな,事実誤認は.
しかし明日は役員会提出用資料を仕上げねばならぬ.約10時間でUPできるか?
毎月第3週水曜日はKINIAS幹事会なのです・・・無念
アンケート協力のお願い.奈良県教育委員会の依頼を受けて近代化遺産調査に協力させていただくことになったKINIASという団体.会員が調査委員・調査員となって調査にあたることになっている.(産業組合向け:近代化遺産とは何か.具体例.やや詳しく)
市町村:近代遺産総合調査すでにやっておられることと思う.本会も調査員として協力させていただくことになった.下調べとして昭和10年頃に発行された書籍から工場・鉱山・発電所等を洗い出している.「工場通覧」,鉱山監督局「鉱区一覧」,逓信省「発電なんとか」.これが現在も残っているか,または社名を変えて存続しているか.もしくはその遺構が残っていないか.知りたいのです.
残っている>調査対象としたいので渉りをつけていただきたい.もしくは貴市町村の調査対象に含めていただきたい(その場合本会会員が都合がつけば調査に参加させていただくこともできる)<-ちっとアレかな,他人任せかな.「いただきたい」だ
工場建屋,倉庫(機械も),付属施設(例えば専用の発電施設,上水施設など)=近代化遺産に相当.ものが残っていなくても当時隆盛を誇ったものの遺構であれば価値があるかもしれない.また産業の伝承施設があれば教えてほしい(例:野迫川村の高野豆腐伝承館).
組合:○○○○○発行のパンフレットより,貴組合の産業が戦前からあったことを知った.(近代化遺産とは).戦前から営業を続けている会社,中心的な役割をしてきた企業等あれば教えてほしい.古い何かが残っていそうなアタリがあれば教えてほしい.例えば大和高田の金魚養殖:養殖池の大なるもの・古いもの・由緒がある会社.カイゼンの歴史.本会から出向いて教えを乞うつもり.もしくは貴組合で歴史を記したパンフレット・資料・調査結果があればぜひ.
連絡先,移転しているようであれば現住所.書き込めるスペースを作る<これは見本で一つ.
返信先はどこ?事務局?(委員会から振り分けてもらう?)
ローソンで100えんだと思ってレジにもってったハンバーグがいっこ350えんもして泣きそうになった.戻すのも恥ずかしいのでそのまま買った.肉は牛肉,nagajisはチキン.
お勤め終了...一つ片付けるのにこんなに疲れるのは「甘え」なんだろうなあとつくづく思うのだが,仕方ない,こなせていれば今頃こんな境遇にはいないのだ.社会不適応者なりに社会に恩返ししているつもりでいる.能無しの批判は甘んじて受ける.受けるが改善する見込みはない.ご了承いただくしかない.
まだまだ積み残していること多数.週末までに片付くといいが….
「これを食べるにはマヨネーズがぜひとも必要だ」と思って100円ショップで購入してきたら,そのようにして購入し,半分も使い切っていないマヨネーズが既にあることを知った.しかも2本も.愚の骨頂である.無駄遣いである.戒めなければならぬ.
普段の食事でマヨネーズを使うことがない.生野菜は生で食うし,他に使うとしてもカレーやシチュー等の煮物に用いる程度だ.時折妙な食品を作って一人で自爆することがあるけれども,そういうシーンの味付けにも登場することがない.マヨネーズが嫌いなのではない.他に利用する方法を知らないだけなのだ.
この有り余ったマヨネーズをまとめて消費するための何かを開発しなければならぬ.ごはんにかけてオーブンで焼いて偽ドリアとか,そういうものを.<食べ物を粗末にするな
ダムカレーに対抗すべく「隧道カレー」というものを模索している.といっても,ご飯盛って穴掘って,という程度の発想しか浮かんでいなかった.それが先日,ふとしたことをきっかけに一つの光明たり得る着想を得た.なるほどそうすれば目新しくなるのか.ダムカレーの亜流などと呼ばれる危惧を避けられるのか.
その計画でゆくと野菜>ご飯という比率になってしまいそうなのだが,それもまたありかと考えている.ドイツやオーストリアではじゃがいもが主食というではないか.問題は盛り付けに時間がかかることと,グリーンカレーを用意しなければならないことだ.盛り付けに関しては諦めるとしても,グリーンカレーは非常な難関だ.アイガー北壁にも匹敵する高い壁だ.グリーンカレーペーストなんてどこで購えばよいのか.そもそもそんな高価そうなものを使ってよいのか(自分しか食わないもののために).カレー神に対する冒涜ではないか.そのあたりの葛藤に現在苛まれている.
少なくともフードプロセッサーなどという文明の利器を持たない私にとっては迂闊に手を出せない存在だ>グリーンカレー.仮に擂り鉢+擂粉木で挑んだとしても敗北するのは目に見えている(摩擦ですりおろすとほうれん草の色が出ないに違いない.青唐辛子およびピーマンはまだ何とかなるにしても).
おとなしく普通のルーで作ったほうがよいのかも知れない.そのほうが,まかり間違ってどこかで採用されてしまった時にも困らないだろう.
たった2,3の物事を抱えただけで追われている気分になっている.いくないことだしょっぱいことだ.
生野牛馬道の件,ダメモトで尋ねた先で意外な回答を得た.そしてその本は目を通したはずなのだが見落としている.やはり「まとめ」に頼るのはよくない,例え先達の成果だとしても.要するに餅は餅屋,植木等はお呼びでなく田島治身は橋の小天才なのだった(意味不明
「各種橋梁の発達並に戦時下の橋梁」はよくまとまった内容だがジャストな答えでなかった.ただ宮原線のコンクリートアーチ(菅追橋)が無筋だと断言されているのを発見.竹筋ではない.繰り返すが竹筋ではない.いつのまにか全部竹筋ということになっていて鼻タレタので明記しておく.竹筋ではない.著者の畑中健三は鉄道寄りの人だったらしく,どちらかというと鉄道橋梁の記述のほうが詳細で日向線綱の瀬橋が別項立てで書かれている.そんな人がそう言っているんだから間違いないだろう.
竹筋に関しては別項が立ててあって,宮城,富山,滋賀で1〜4mほどのスラブで架けた例があること,愛知(大正橋),滋賀で橋脚井筒に採用されたことが書かれてある.滋賀のは河村協の教科書にもある大山橋のはず(それとあと一橋).それ以外の架設例は載っていない.本の出版はS18である.
竹の引っ張り強度は鉄の約半分.弾性係数はコンクリートとほぼ同じ.引っ張りに対する抗力を高めるために鉄筋が使われるのであって,その代用として竹を使うには不安があった.だからせいぜい短い板橋か,橋脚井筒の補強とか,黒門橋みたいな橋欄干だとかに使われた程度だろう(あとプールの底から出てきた例があったな).アーチは引張力がほとんどかからない(はず)ので無筋で良い.事実五新線のアーチからは竹は出て来なかった.
それよりも一緒に求めた「関西の土木100年」のほうが参考になった.都計橋梁をゆくでやってみたかったことが既に書かれてある.自分が考えていたことも間違ってはいなかったようだ.ただ橋梁種を分析するのには時代を考慮する必要があるんじゃないか.もっと言えば堀が活躍し始めた頃から変化しているのではないか.みたいなところの答えは得られず.
その後吹田の中央図書館へ行って社誌とにらめっこる.5年分見るのにこれだけかかったということは全部目を通そうと思ったら過与位詰めしなければならないということだ.次回は自転車で行こう・・・.あと北村科学研究所も調べてこないと.
元はと言えばTRDB修正から始まったのだ.県議会史を読み解いてあれこれ引っ張ってきてようやく昭和初期に至ったところでref.の返事がかかってきた.それで昨日本届いたよの連絡を受けていたことを思い出したのだった.そうだ図書館行こうと思い立ち,出るなら吹田でゲッツしておこうと思い,風呂に入ったところで奈良県からも電話がきた.何かが襲いかかってくる時はかくも集中的なのだ.そうして何も起こらない時は何も起こらない.まるで時間と世界が固着してしまったかのように.傍から影からプギャーAA略するために皆で口裏合わせをして自分を無視して無き者扱いしているかのように.
そうして明日はKINIAS総会.明後日もしなければならないことがあり月曜日はまた奈良県庁だ.またTUKA氏に叱られる.くそっ,議会図書館申し込むの忘れた.
資料を取ってくるのはいいがちゃんと整理できてない.コピって満足して終わりというパターンが多い.それが資産になることは間違い無いと思うし,少なくとも一度は目を通しているので自分にも資しているはずなのだが,2回3回と読んで自分の身にしたものというのはごくわずかな気がする.覚えてもすぐ忘れるし,平気で間違ったこと書くし.書く時に確認するためのコピーであるはずなのだが整理が行き届いていないせいで「必要な時に出て来ない」.
資料に限ったことではない.この部屋にあるものはみなそうなのだ.判子も辞書も爪切りも,必要だと思った時には出て来ない.30分近く探しまわってようやく出てくるか,忘れた頃にひょっこり出てきやがる.妖怪モノカクシとかラプラスの魔的コロポックルがいるにちがいないのだ.自分の要求を予測して先回りしてモノ隠す何者かがいるにちがいないのだ.と怒りの矛先を別の方向に向けて自戒をしないあたりがチキンだと思う所以である.
デジカメで撮影した資料なんかは特にそうだ.撮ったことに満足して,見直すことがほとんどない.媒体で比べれば紙に勝るものはないのだ.どんなにかさばろうとも,扱いが面倒だろうとも.A3コピーの地図なんか特に持て余すが.あとはそれを取り出して見る手間,整理して見やすくする手間を惜しむか惜しまないかで資料の価値が決まる.あと,その資料の情報を活用してこその資料.塩漬けにして終えるのは可哀想であり失礼である.わかったかnagajis.
帰ってきた.今回もまた刺激的な内容盛り沢山で大満足.近代化には「毒」が含まれているというお話.モノ=ハードではなくソフトであるというお話.自分が好きなものに矛先が向けられたような気がして一瞬身構えてしまうのだが,よくよく吟味すればその通りで,自分が漠然と考えていたことを的確な言葉で表現して下さったのだということに気付かされ,非常に腑に落ちた.自分にとっては戦争であったり皇国思想であったりが「毒」に相当する.物件を客観的に見ようとする時に邪魔になるものだ.モノ=ソフト論だって,ものづくり・道づくりに込められていた創意工夫,想い,妥協点,のような人臭さが面白く感じられるからこそ考究してみたいと思うのだ.ただ自分がどうしても技術者寄りの視点で考えがちで,技術=善のように考えてしまいがちなところに難がある.その視点もまたモノを見る際の客観性を損ねている.
KINIASは本当にさまざまな視点を持つ人が集まってくる.異なる意見も差し込まれる.そうしてそれを受け入れて視野を広くする懐の深さがある.そういう知的な成長が,私のような素人にも得られる,貴重な場なのだなと改めて思った次第.
庄谷先生も仰っていたけれども,産業考古学という学問は素人の寄り合い所帯で始まったものだった.素人が残されたものに対してあーだこーだと議論して究明しようとした所から始まった.だから私のような素人も参加することができる.単なる同業研究者の慣れ合いの場(といったら他団体からお叱りを受けるかも知れぬが)ではなく,それがいい意味でも悪い意味でも特色になっている.
個人的には,産業遺産・近代化遺産の研究をすることで,自分が生まれる前の世界を知るというか,近代とは何ぞやを明らかにしてみたいという思いがある.歴史学的・学問的な意味でと言うより「知りたい」という個人の思いを実現させたいということ.ちょんまげ脇差の時代からたった数十年で工業国になり,今でも世界に影響を与え続けている国になった「不思議」を明らかにし,納得してみたいと思う.近代以降は残された資料が膨大にあって,それがまだ整理し切れていないから,例えば県史なんかは「近(現)代」の巻が未完な都道府県が多い.大半がそうなんじゃないかと思う.そうこうしているうちに世の中はものすごいスピートで発展し,ネット社会になって,情報の蓄積量が加速度的に増えている.それを消化する暇もないほどに.その間にも忘れられていくモノや想いが大変多い.今ならばまだ当事者の生の声を聞き,残し,整理を始めることができるだろうし,ネット社会になったことで逆に情報収集・整理がしやすくなったはずだ(何にも知らない自分がこれこれこういう資料が存在することを知り,場合によってはそれを家に居ながらにして見ることができ,自分なりに学ぶことができる-近デジだとか土木デジタルアーカイブスとか-).それを飯の種にして命をつないでいけている.有難い世の中になったものだと思わねばならない.
歴史を学ぶのは,それによって未来がどう変わっていくかを予想するためだと言われる(決してテストのためではない!).これまでの変化のしかたから今後を予測し,未来へ向かって外挿線を描くために学んでいる.最近はあまりに変化が急すぎて外挿線の信頼性が悪くなっているとはいえ,基本的にその考え方は変わることがないだろう.産業の歴史を学んでいる我々自身の未来はどうなるだろうか.様々な意見がぶつかり合う寄り合い所帯は,将来どのような発展をするだろうか.そんなことを考えた.空中分解してしまうのか,何かのために結束するか,それとも「なあなあ」のままダラダラ続くのか.
あと,しきりと啄木の
友がみな われよりえらく 見ゆる日よ
花を買ひ来て 妻としたしむ
の句が思い浮かんだ.KINIASのような場では自分の知らない知識が次々と飛び交う.自分の持っていなかった視点がどんどん提示される.自分が何も知らないことを思い知らされる.向こうは大学の先生だったり学芸員だったりするのだから当然なのだし,もっと言えば自分以外の人は誰でも自分の知らない世界を知っているのだから,人と合えば齟齬が生まれるのが当たり前だとも言える.ただ人間は,自分が他より劣っていることを悟らされた時,弱さが出る.自分だって知っているんだぞ,ということを表に出して対抗してみたくなる.そういうものじゃないだろうか(子供の頃の不毛な言い争い.10を知っていると言われればこちらは100と答え,じゃあ1000と言われ,10000と答え…….那由多を飛び越して無量大数になって終わる).だから啄木も,花を求めて風流気分を味わうことで劣等感を補償したのだろうし,しかも人と競い合うようなことをせず,花を買い来て嗜む程度に留めて,自身の矛に鞘を被せるのほうが,手っ取り早くかつ効果的だ.すごく複雑な人間的な葛藤を三十一文字に納め切った素晴らしい句だと思う.
自分がORJであることないこと書いているのも,畢竟同じ心持ちからくるものだと思っている.社会的には最底辺に近い暮らししか出来ていない自分が,まるで社会の一員であるかのような顔をして,したり顔をしていろいろを書き散らいている.そうやってあたかも物知りになったような気分になっている.背伸びして自分を大きく見せかけている.決して勧められたやり方ではない.しかしそうやっているうちに,一緒に花に親しんでくれる人が見つかるのではないか.同じ事に興味を持ち,ともに花を楽しんでくれる人が現れるのではないか.新たな知見に繋がるのではないか(今回の講演のように).そういう思いがあるからわざと本筋を離れ,辺境へ辺境へと進んでいる.
誰だってスカッと爽やかなほうが楽しいに決まっている.だからといってそれに合わせず,脇道ばかり探し回っているのは,自分の劣っていることを補償しなければ生きていけないヤラシサに気づいていて,背伸びをしてばかりなことに反省しているからで,妻求めがもともと高望みなことであるとわかっている(つもりでいる)からだ.だから私は両手で数えるくらいの反応しかなくてもいい.むしろ反応して下さっている方々に申し訳なくさえ思う.
申し訳なく思うけれども,生きていくためには書かなければならない.否,書く以外に生きる術を知らない.そういう底辺者だという自覚がある.しかも底辺者で居続けたいとも思わない.勝手なものだと思う.そんな矛盾を抱えていながら「謙」を名乗らねばならないから,私は下の名前が嫌いなのだ.自分には重すぎる漢字だ.
KINIASでも近代化遺産でもない面白い発見.バッキーボール亜種の遊具.登大路のすぐ脇で見つけた.
正二十面体かと思ったがそうではないらしい(アルコールで頭が回らないのでまだ数えていない).中央の支柱の作りも独特.ただ格子の間隔があまりに小さすぎるので大人が潜って遊んだりすることができない.そういう用途で置いてあるのではないことは重々承知しているが.
数えてみたら60面あるようだ(上から5+5×5+5×5+5=60).でも正六十面体なんてないしな.微妙に歪んでるんだろうか.
会合終了.事務局がリセットされたお陰でかえって進め方がはっきりしたのかも知れない.
自分がわかっていないだけなのかも知れない・・・そこは委員と調査員の立場の違いをはっきり踏まえてない自分および事務局が混乱のもとなのか? 委員は分野でものを言うvs調査員は調査する立場でものを言う.はじめから正確にして手間を省きたい(省きたいというと若干ズレるがぴったりあてはまる言葉が思いつかぬ)・漏れをなくしたいvs行ってみないとわからない.みたいな.加えてなぜか事務局の立場で考えてしまうnagajisが面倒を増やすのだ.まとめ役が一番大変だと思うもん.
天満橋.全長100m超,中央径間60mという都計事業最長のゲルバー桁.隅田川の言問橋とよく対比される.設計者の元良勲も「のびのびとした,鳥が翼を広げたような形」と自画自賛する名橋.
なのだけれども,見る角度によって「?」と思えてしまう.上の写真ぐらい離れて見た時や,隣の天満橋の上から真側面を見た時には,なるほど名橋と呼ばれるだけあるなと思えるのだが,橋たもとギリギリから見た時の姿が納得いかない.
こんなかんじ.一枚目の写真も本当は左のほうが若干納得がいかない.
設計にケチをつけるつもりは全くなく,なぜそう感じるのか,どこを「?」と思ってしまうのか,が不思議でならない.言問橋も近づけば似たような「?」を感じる(Wikipediaの引用写真とか)が,天満橋は格段にそれを強く感じる.nagajisは何が変だと感じるのだろう.それを考えながらしばらくこの場に座り込んだ.
橋脚(支点)より向こうがひどく寸詰まりに見える.手前の桁(ゲルバーの側桁)がきれいな直線で飛んでいくのに,橋脚より向こうで「ひょろっ」と曲がって見える.直線とその「ひょろっ」の部分とのバランスが変なように感じる.なおかつこの直線が,桁の上端(路面側)と下端(川側)がぴったり平行になっているように見えるから,その奥の曲がりが余計に目立つように思われる.対岸の側桁も直線に見えるのであればまだ印象が違うのかも知れない.
そもそも並行に見えるのは目の錯覚で,縦断面は橋たもとのほうが狭く,中央に向かって太くなっているのだが,それを細い方から見ているせいで,太くなっていく比率と遠近法で小さくなっていく割合とがたまたま同じになっていて並行に見えているのだった.それと同時に,対岸の側桁が太→狭になっていくのが遠近法によってより強調され,突然きゅっと細くなるように見えている.その組み合わせが「?」に繋がっているようだ.手前の桁だけを見ていると違和感がなく,むしろその力強さに圧倒され,いいな,橋らしいなと思う.そんな力強さ・勢いの先が尻すぼみになって見えるから,余計に違和感を感じるのだろう.
上のような見え方のせいで「重さが偏っている」ように感じるのも違和感の要素の一つかも知れない.こちらにしか重さがないように見え,こちら側の桁だけで支えられているように見えてしまうからバランス悪く感じるのではないか.
だとすると,桁縦断面が細→太→細と変化するゲルバー桁橋はどれも同様のことが起こり得ることになるのだが,例えば日吉橋の場合,
かえって変化が豊かなように見えて心地いい.
二つの橋が決定的に違うのはその長さだ.日吉橋は天満橋の半分もない.遠近法的圧縮がさほどかかっていないから,縦断面に近い形を見ていることになる.それから,このゲルバー桁は断面変化がストレートで,それが良い方向に作用しているように思われる.向こう側の桁の狭まり方,特に下端を持ち上げている辺り,勢い良くピンと跳ね上がっているように感じられ,橋脚周辺に「重さ」が感じられる.それが手前の橋脚辺りの「重さ」と吊り合っている.ように思われる. < p>天満橋も,離れて見れば左右均等に重さが感じられて安定して見えるようになる.ずっしり重くて安定しているというより,動き・軽さがあって安定しているというか何というか.吊り桁の細さや橋台側の細り方のお陰で動きがあるように見え,その太細のバランス,連続的な変化の仕方,橋面の曲線の具合などが複合的に絡まって良い具合いに見えるのだろう.元良技師の「のびのびと翼を広げた鳥」という表現もなるほどなと思える.都鳥の飛ぶ姿に近い.
上から2つ目の写真は無理にこの写真を撮ったわけではなく,橋詰からこの位置に降りてくる階段があって,そこから撮ったものだ.橋から大川河川敷の公園へ降りる時には必ずこの構図を目にすることになる.そういう見方をすることは想定されていたんじゃないか.それで桁がこの位置から見ると並行に見えるようになっているのかも知れない.そう思う一方,自分はそれを「?」と感じる.そこまで織り込んで設計するのも難しいような気がする.
結論はない.強いて言えば「ゲルバー桁は単純じゃない」.
おまけ:きれいに感じるゲルバー桁の例.鉾流橋.
事実誤認を発見→確認の為に県義議会史を読む→さらに複雑な背景があることを知る→確認の為に県議会史議事録に当たる→説明のために図を書き直し新規作成する必要に迫られる→その確認の為に資料をひっくり返す→纏めるのに四苦八苦する、という泥沼。やっとできた・・・
頭が吠えぶろの時に書くとこうなる.
いろいろへこむわーしんどいわーと生のままを提示しておく.だから慰めてほしいというわけではない.やっても無駄なことを敢えてやってnagajisを貶めようという魂胆である.無駄だわーマジ無駄だわーと書けているうちはそうでもないのである.
忘れずに岡町図書館へ行くこと.今週まで.明延.Tシャツ.葉書.やらんといかんことは幾つでもあるぜ>nagajis
そのくせM44の工場一覧に手をつけてたことを思い出して続きをやってみたりなどしている.汎用性を持たせた設計にしておいてよかった.
安堵町,川西町,上牧町の辺りが非常に手薄,国中のほうがかえってよくわからない.旧添上郡の辺りとか.
てか次の自分の原稿どうするのかね.これといったアテがないままだ.
コピーを補完.土木百年の必要部分を5円コピーしようとしたら同一人物×2に占有されて1時間ほどコピーできなかった.こちらも量が多いので根気強く開くのを待っていた(といっても40枚くらいだったが).数が少ない時はコンビニで済ませたほうが精神衛生的にもよいようだ.
表題のようなキャプションがついているが,馴染みがない場所なのでピンと来ない.わざわざ複線道路と書いてあるのも若干戸惑う.大きさの比較対象にできるものが写っていないのでとても狭い道に見える.何だか簡易舗装の林道のように思えてしまう.側溝幅はたぶん一尺だろう.とすると駒止の高さが50cm前後で,その三倍くらいが人の背丈と考えると,二車線ギリギリといったところだろうか.真ん中が黒く煤けているから二車線対向ではなくみんな真ん中を走っていったのだろう.
二車線舗装なんて今時珍しくもなんともなく,なんでこんな絵葉書を?と思ってしまうが,これが作られた当時は珍しく,絵葉書にしたら土産物になるだろうと思った人があったからこうして存在しているわけで,立派な道を有難がって写真に残しさえしたという「道に対する態度」がわかって面白い.
道そのものを題材にした絵葉書ってあんまり見ない.新道が新道だった頃に物珍しさも手伝ってそういう絵葉書が作られることがあったくらい.上の絵葉書もそうだろう(矢の川の絵葉書だって眺めがいいから絵葉書にしたんだろうし.道は二の次だ).もしくは街並みや名勝旧跡明媚な風光の一部として写っている程度.そちらのほうはあまり興味がない.
そういえば三重の赤岩隧道ってやつ売れちゃってたな.三重ではなく福井のはずと思っていたのだけれど.
表はよく見かけるタイプの永代・清洲・吾妻橋の組み写真.それよりも表面の落書きが気になって採取しておいた.喫茶店で暇つぶしに書いたのだろうか,あまり熱が篭ってない雑な出来だ.「杯」が「材」になっていたり,角砂糖の近くに「¥10.00」と書いてあるので角砂糖1個10円かと思ってしまったりする(小数点下二桁というのが当世風か).
表に写っている橋々は大正末期から昭和初期にかけて作られたもの(永代橋大正15,清洲橋昭和3,吾妻橋昭和6).それからすると絵葉書も昭和一桁後半か10年代のものと思われるのだが,となるとコーヒー一杯10円というのはちょっと高すぎる.この頃コーヒー一杯は十数銭だった(「値段の明治大正昭和風俗史」上).もう少し遅くて戦後すぐくらいの落書きかも知れない.
裏面のスタンプは「日本青年館 □□記念」と読める.不明文字の一つはウ冠,二文字目は人偏の何かのよう.完成かと思ったがそうではないらしい.日本青年館(初代)は大正10年竣工というから,絵葉書の内容とも落書きともそぐわない.
あと,表面に「MADE IN WAKAYAMA」とあるのも気になる.隅田川の橋の絵葉書なのに和歌山で作られたのだろうか.切手を貼るスペースに「MANUFACTURED BY TAISHO」とあって,商標らしい鳩の絵も描かれている(どっかで見た気がするんだが…忘れた).軽くぐぐってみると日光や函館のとかのも作っているみたいで,各地の絵葉書を手がけた印刷業者だったのかも知れない.
質感や宛名面の書式から外国の絵葉書と察せられる.鉄道もしくは道路の建設現場らしい.山を削って道を通している.その下に暗渠のようなものを作っている.煉瓦数枚巻+切石のいかにも頑丈そうな暗渠だ.
暗渠の前にセントルが転がしてある.これがいちばん興味深い.セントルという言葉はcenterから来たもので,近代技術とともに日本にもたらされたものだが,その構造が日本で普及したものと異なっている.
日本の場合はかまぼこ状の木枠(これを特にセントルという)の上に角材(上木)を渡すだけで固定はしない.煉瓦や石を積み終えたらバラバラに外して移動させる(セントルの下に楔が挿してあって,これを抜くと下にずれるので,迫りの力が解放されてバラバラにすることができる).絵葉書に写っているのはすべて一体となったセグメントタイプ.こちらのほうが丈夫だし,セントルが倒れるような事故も起こらないだろうが,狭い空間の中で作業することを考えると取り扱いが面倒なようにも思える.
日本に来てから独自の発展をしたのかも知れない.外国から輸入された技術なのに「下げ猫」なんていう純和風な名前のついた部材があることだし.あれを「猫」と呼ぶ感覚は,一輪の手押し車をネコと呼ぶのにも通じる味わい深さがある.
なかなか器用な構造の木橋.中央の長いスパンを支えるためにワイヤーで張り上げてある.逆吊り橋とでも言えばいいのか.こういう発想の橋はなかったわけではなく,例えば生野の鋳鉄橋と同時期・同路線に似たような構造のアーチ橋があったらしい.短いアーチ橋の下がT字型になっていて,それをワイヤーで引っ張りあげて補強したものがあったという.
どうやって作ったのか想像すると面白い.岸側の大きな構造はこれだけで自立してそうだから,ここを作ってからワイヤーを渡して,別の場所で作った中央スパン(T字の骨格だけ)を引っ張ってきて載せたんだろうか.実は蝶番みたいなのがついていて,桁を渡したあとにぱたんと立てたとか.
後から補強してこうなったのではないんじゃないかと思う.T字の縦棒に相当する部材を後から取り付けるのは難しそうだ.いや,この縦棒全体を作っておいて,川辺から持ち上げていけばできるか.
_ ocoze@三重 [R168が作年末に取り敢えず通れるようになったので,昨年の秋には途中までしか行けませんでしたが,先月1年振りに橋本まで縦断しました。 長殿発電所っていうと,昨年の雨で消滅してしまったところですよ..]
_ nagajis [私が足を踏み入れたのは辻堂の先までで、それであれだけの状況なのですから、それ以降の惨状が想像に余りあります。そりゃ調査も延期になりますわ、という感じです。 長殿発電所は水害前から興味があったところ..]