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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2020-05-06 [長年日記] この日を編集

[D] 5/6

歯痛で断続的に目覚めては寝てを繰り返していた朝方に見た夢。複数人数で街を歩いている。ちょうどKINIASの見学会か何かのようである。場所は定かでないが後に「東大阪にもこんなところがあったのか」と思ったり「大東市だからな~」と思ったりしているからその辺りなのだろう。

丘の斜面に発達したごちゃごちゃとした街の細路地を、集団の一部になって降りていく途中、丘の端に煉瓦基礎が残る空き地を発見した。少しなら外れてもいいだろうと思い、いつもの癖でその煉瓦を覗き込んでみると、frogのついたいかにも古そうな煉瓦で、なおかつその底に英字が刻まれていた。どうも輸入物の煉瓦であるらしい。現実ではこうした輸入煉瓦を街なかで見たことはなく、夢中の私もひどく驚いて、我を忘れて検分モードに入ってしまう。

モノは同一会社のものではないようで、様々な英単語の断片を読み取ったように記憶するが一つとして覚えているものはない。とにかく一個一個違うメーカーのような塩梅だった。なおかつそんな輸入煉瓦だけでなく日本製の煉瓦もあった。斜面に設けられた屋敷石垣の縁のほう、ひときわ深く掘り下げられた一角には、桜宮橋台で見られる大型ワッシャー刻印とそっくりなものが並んでいたりした。

輸入煉瓦の一つが特にふるっていた。中空だったのだ。しかも単に穴が空いているというものではなく、煉瓦内部をユニオンジャックのごとくに隔壁を入れて、それを蓋して作ってある。外観からは普通の煉瓦にしか見えない(表が割れて欠けていたので内部構造を知ることができたのである)。しかもこれには星形だったか六稜星型だったかのハメコミパーツもついていた。同じ形の穴が本体に開いていて、そこに鍵宜しく同じ形の煉瓦片を差し込んで作ってある。図に書くとこんな感じ。 画像の説明

「これ、すごいですよ」そんなことを言いながら同行の先生にそれを見せたりする。

この空き地には煉瓦基礎だけでなく転石様になって転がっているものも多かった。何故かキリル文字の入ったスレート瓦さえあったりする。これ全部チェックしてみたいのは山々だったのだが……今は団体行動中だ、そんなことをしている暇などない。見学会がお開きになってからまた来てみよう。そう思って惜しみ惜しみこの場を後にする。

その後も街なかをうろうろし、いくつかイベントがあったように記憶するが定かには覚えていない。その間ずっと件の空き地の位置を忘れないよう位置感覚を保持しながら歩いたのは確か(平場からさほど離れていないところでも輸入煉瓦の転石を見て「なんなんだこの街は」とか思ったりした)。とにかくひととおりの行程が終わり、解散となったので、さああの平場へ行こうとするのだが、その時になって「カメラをどこかに置き忘れてきた」ことに気づく。首から下げていたはずのカメラがないのだ。真っ青になって荷物置き場に行ってみると、床に様々なものが散らかっていて、その中から自分のカメラを探し出そうとして躍起になる私。もちろん見つからない。あったと思ったらよく似たネオ一眼タイプのLUMIXだったりNIKONのPシリーズであったり、そのジャンクであったりして(ガワのパーツが全部取り外されてボディだけになっていたり)、自分のX-S1は出て来ないのであった。よくあるパターンである。

歩いてきたルートを逆向きに辿って探しに行くが、堤防で囲まれた釣り堀の縁で素っ裸になって暴れているおっさんに遭遇したり堤防に置かれていた釣り竿に蹴躓いてぶちまけたりとかいったイベントを経て、結局見つけられなかった。あーあ……結構したんだぞあのカメラ。撮った写真もパーじゃないか。と途方に暮れる私。

そうやって気落ちしているうち、いつの間にか左手にX-S1を掴んでいる自分を発見した。あれ?もしかして、ずっと持ってたの?おれ。

現実世界ではこういう間抜けをした自分を罵る時に「バーカバーカバーカ」と叫ぶことが多い。1バーカごとにクレッシェンドで大声に、吐き捨てるように叫ぶのである。

「バーカバーカバーカ!

こんな感じ。夢の中でもそう叫んだ。

そうして件の広場へ向かおうとし……その辺りで目が覚めた。

実際に図のような煉瓦を作ろうと思ったら結構大変なはずだ。中身はプレス成形か押し出し式でできないことはないし、それ仁平を貼り付けて形を作れないではないだろうが、焼いたらベコンベコンに歪んでしまうはず。星形がなかったとしても。この星形の挿入は何かの戦記モノで読んだ桜のマークの話から来ているような気がする。器用な作業員が戦艦の甲板に桜形の切込みを入れて、それにぴったり合う桜形のピースをはめ込んで、油を拭いたらその跡さえ見えなくなるほど精巧だったとか何とか。時折思い出しては、海に沈んで錆びているそれがどんなふうになっているだろうかと思ったりすることがある。

[危機]歯が痛い

一昨日あたりから急に左下奥歯が痛くなった。噛むと激痛が走るタイプ。数年前に銀歯を被せてもらっていて根本治療しているはずなのだが、底のほうで化膿しだしたのかも知れない。噛まなきゃいいとはいいながら偶発的に噛んでしまう事態は避けられず---くしゃみした時に思わず噛んでしまい目から火が出るような激痛に襲われて悶絶したりとか右奥歯で噛んでいたコンニャクが不意に千切れてカッチンと行ったりとか---、G.W.中ということで歯医者は休み、なおかつ明けても予約がいっぱいで、今入れそうなのは11日(月)とかになってしまう。耐えられるのだろうか。とりあえず今日はバファリンPREMIUMを購ってきて早速飲んだが効果のほどがよくわからない。

今日あたりから顎の側面が少し腫れだした。虫歯でほっぺたが腫れたイラスト、というのが単なるコミカライズではなくて現実のカリカチュアライズなのだと知ってホウホウと思ったりしている昨今である。今は小康状態だが時たま顔左半分がジュクジュクと痛くなったりすると何も考えられない。そんなだから原稿書きもpdf化も停滞しそうな塩梅である。原稿を早く書き始めておいて良かったと思う一方、サブ記事はまだ手付かずで不安が残る。大丈夫なのか。


2020-05-07 [長年日記] この日を編集

[D] 5/7

今朝見た夢も極めて奇妙な夢だった。

浮世絵が地層の如くに重なり圧着して塊になったところをフォークリフトのような乗り物に乗って剥ぎ取っていく夢。破棄するためだったのか後でなんとかしようというのだったかは忘れてしまったが、ともかくそんなことをしていた。ひどく勿体無いことをする、と思った。

その勿体無さがどんどん募っていって頭の中が凝り固まっていった。一度湿気て和紙の塊のようになったやつだし、リフトでそれを剥がすのだから、どう考えても綺麗にはいかない。破れたり汚れたりするのは承知済みで、しかしそれでも勿体無く、この作業をしなければならないことに憾みを覚えて、しかし手で一枚一枚剥がしていこうという気にはならない。ただやみくもにマシンを動かして塊化した浮世絵を削り取るばかりである。そうして剥ぎ取れば剥ぎ取るほど浮世絵は出てくる。部屋の中であったとは思うのだが「床」というものがないような感じだ。

後を処理気にせする必要がなく、捨てるだけが目的だったらた違ったであろうが、この重なりを記録した人物がいて?その記録と照合せねばならなかった。どう照合するのかは自分の任務外でわからないかったのだがそうこうしているうちに「記録した」のではなくこれから「記録していく」だったようにも思われ始め、それどころか記録の任務が自分の任務であるような気もし、そもそも記録した人物というのが私であったような気さえし始め、全く混乱してしまう。記録した人物の生涯を映画化していて、その映画の挿入イメージとしてこれをやっているようにも思われて、マシンを操作しているのも自分ではなくそのイメージを見ているようにも思えてくる。視点場さえ混沌としていてまことに気持ち悪い。

やらねばならぬこと、やってはならぬこと、我と彼とが渾然一体となって、しかし勿体無いという意識もあり、むしろ後半には勿体無いという意識の塊のようになってしまう。してもいいのか悪いのか迷いながら闇雲に作業し続けるという、出口が全く見えないタイプの夢で、以前見た「メニュー標をfpdfで製出」に苦しむ夢に似ている。

この夢の恐ろしいのは起きた後でも混乱が持続していたことだった。夢であったことはわかるのだが夢の中で悩みすぎたせいか意識が全く混濁していてまともにものを考えられなかった。頭痛がするとか痺れるとかではなく……無理に例えていうなら頭の中でサビ猫がゴロンゴロンとのたうち回っているような、裏返した脳みそに虹が降り注いでいて脳全体でそれを感知し続けているというか、まあそんなグジャグジャな頭で、思考が一切まとまらなかった。吐き気とまでは行かないにしても不快極まりなかった。うーんとがぐうーとか唸り続け、 どうしたらこのぐちゃぐちゃが収まるのかと焦った。その一方で「頭がおかしくなるとはこういうことか」とチラと思ったのを覚えている。入れば二度と戻って来れない痴呆状態の一つの入口であったのかも知れない。

結局そのままもう一寝入りすることができ、目覚めれば元の通りになっていて、心の底からほっとしたものだった。考えることができるということは本当に有り難いことであると思った。


2020-05-15 [長年日記] この日を編集

[ORJ] 無事発行

もう168回も繰り返している行事ではあるが、回を重ねるごとに、最近は特に、発行できたことを嬉しく思うようになった。峠越えの旅をしていて、無事に峠に立てたときの安堵に似ている。旅することが目的なので終わりというものがないが、その果てしなさを恐れるよりも、いま立っている峠の景色だとか、そこから見える風景だとかを愛しんだほうが気が晴れる。煙草を吹かしたり立ち小便をしたりして心ゆくまで楽しむことができないのは残念だが。下って、また次の峠を目指す。

[独言] 雑多なコメント

何かの理由で相撲取りを連れてこなければならないというミッションに挑む夢を見た。理由のあたりもしっかりした映像だったと思うのだが忘れてしまった。とにかく少し離れた町に居る力士を連れてこなければならなかった。力士本人を見つけるのは容易かったがそこからの帰路で様々な妨害イベントが発生する。何故かドブ川みたいな川の川辺の斜面を伝って進まねばならなかったり。斜度は緩いが踏み場が10数センチしかないような岩場をへつっていかねばならず、難渋しているうちに、後続の力士ともう一人(いつのまにか同行人が増えていたのだ)は川の中洲を歩いていけることを見つけてさっさとそちらへ行ってしまう。取り残された私の憤慨。

S・シン『フェルマーの最終定理』 文庫版を読む。2002年の長旅で夜の慰みに読もうと思い購ったのは確かみなべの辺りであった。当然単行本。フロントバッグに入れて延々運び続けた。最終的に高山の宿から、不必要になったツーリングマップル数冊とともにI氏に送りつけ、旅を終えてから回収したはずなのだが、その後どうしただろうか。ツーリングマップルは今でも部屋にあるが単行本は早くに処分してしまったように覚えている。

学術的に突っ込んだ内容、証明を具体的に仔細に解説してくれる本だと勝手に思って買ったものだから、あまり満足しなかったのを覚えている。まあ解説してくれていたとしても微塵も理解できなかっただろうが。今回改めて文庫版を読んで、一般読者にとって過不足なく、親切丁寧にわかりやすく書かれてあることに感銘を受けた。難しいことを噛み砕いて解説するのは簡単そうに見えて実は大変難しい。取り上げる内容について本当に理解していないとできないことである。自分は自分の思ったことや考えたことを文字にするだけで苦労している。

緊急事態が収束していくようなので安堵しているが、今回の件でまたニホンジンの潔癖症が進行しそうな感じなのが不安である。惣菜の量り売りは不衛生だからヤメロとかジョギングをしている人が呼気を撒き散らすといって忌避するようなコメントが公共の電波に乗るようになってーーーあ、いまは公共の電波なんて言わないか、らじるらじるで聞いてるんだから光回線とパケットなんだよなーーー、CovID-19が終息してもそんな意識ばかりが残るように予想する。互いを思いやってソーシャルディスタンスを守るのではない、自分が感染したくないから離れるのだ。その聖域を侵すものとしてしか他人を見なくなって、そのくせ自分が他人から同様の見方をされるのは拒絶する。結局は自分さえ助かればよいわけで、しかしそうだと宣言するまでの気丈さはなく、他人が困るだろうからというような転嫁をする、それがまるで「思いやり」であるかのように外からは観察され誇張して表現されていって、陰湿であかるいニッポンの出来上がりである。脛に傷を持つものは(そうかも知れないという内省のできる気弱な人間は)ますます生きづらい社会になっていくだろうと思う。そういう社会とは距離を置くに限る。いちいち構っていたらいつまで経っても気が休まらない。

自分で考えて決断を下し行動する能力がニホンジンには欠如しているような気がする。自粛せよと言われれば自粛する。それ自体は悪いことじゃないが「言われたからそうしている」でしかないのではないかと疑ってしまう。「コロナが怖いから外出しない」「マスクしなければ外出できない」。どの程度曝露すれば罹患するのか、三密の密接とはどんな密接をいうのか。マスクでどの程度防げるのか・飛散を抑えられるのか。その心配は有効なのか。考えてみもせずにただ三密だ三密だ怖い不潔忌避では無能な思考停止ではあるまいか。私はそうはなりたくない。カーズみたいに考えるのをやめてただ生きているだけの生命にはなりたくない。


2020-05-19 [長年日記] この日を編集

[C60] 14個目@亀岡市京町公園

画像の説明青い。あれ、つい先日に一個見た気がするぞ。

[既出] イキアタリバッタリズムの極致

本当は湖北に行くつもりであったのだけれど例によって目覚められなかったので変更した。結果、凄まじく行き当たりばったりな旅になり、そのくせ収穫は大きかった。

画像の説明

私が探索に出る時は、長々と暖めていたネタに向かっていくことが多い。最近は特に。資料集めて吟味して、よし確実に記事になるという段階になって、最後の仕上げとして現地訪問するというパターン。しかし今回はネタ発見から解決まで24時間かからなかったという超短期決戦であった。といっても、情報自体はちょっと前に拾っていて、それをすっかり忘れていただけだ。昨日の晩にふと日記を見直して、拾っていたことを思い出したのだ。そうして朝寝過ごしてしまい急遽代替として行ってきたわけである。

画像の説明

あってほしいものがあり(ただし京都鉄道社章だとは全然思っていなかったんだけど)、300m登って300m下ってまた引き返して完全確定さえできたし、序にフィーレンディールな保津峡橋を拝んだ上に落合橋まで行ってくるという暴挙までしでかした。念のために書き添えておくがトロッコ列車の軌道を歩いていったわけじゃないからな。そんなことしたら保守点検か再開予行練習やっていたあの列車に刎ねられている。唐櫃越から降りたんだ。

そうして落合橋の下の川原に買ったばかりのLEDライトを落としてきた。今ならまだあるはずだが今日明日の雨で流されてしまうかも知れぬ。

画像の説明

トロッコの保津峡駅。PM7:00頃の雨の駅舎、誰もいなければ電車が着くこともない寂しい場所。自販機すらない。小さな折りたたみ傘でビショビショに濡れた私がひとりいただけである。

[C60] 15個目

画像の説明 そうそう、これこれ。福島区海老江2丁目の府道に面した公園の。

[大日本窯業協会雑誌] 第5巻(1896-1897)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/5/54/5_54_185/_pdf/-char/ja

京都製瓦 今熊野町雀の森に白地工場

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/5/56/5_56_265/_pdf/-char/ja

中國鐵道株式會社の煉瓦工場

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/5/57/5_57_290/_pdf/-char/ja

津守煉瓦株式會社 當地東區の樋口六右衛門、水落義平、宮本利右衛門三氏外二名により出願

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/5/57/5_57_290/_pdf/-char/ja

讃岐煉瓦會社 金森清之助君は先月來同會社に勤務中なるが豫て同會社は本會員わる海福悠君の設計に係る輪窯の新築中

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/5/58/5_58_339/_pdf/-char/ja

煉瓦事業 東筑坂井村字大野田は目下工事中の篠の井鐵道冠着隧道の入口なるが今度東京鹿島組にては此附近鐵道工事の需要に應ぜんとて去月上旬より此所に三町八反歩の地を求めて人夫百餘名を役し既に六七十坪の工塲二箇所を建築し今や窯の築造中の由にて同窯出來上り次第更らに人夫二百名を增し盛んに之れが製造に從事する筈なりといふ尚鹿島組は鐵道工事のある地方には隨所煉瓦工事を設け其需要を充たさん計畫次りという

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/5/60/5_60_407/_pdf/-char/ja

名古屋監獄署の煉化石 名古屋監獄署の囚徒が製造する煉化は實に上等品にして全國各地の製造所に於て製出する煉化中稀に見る處ものなる由なれば今回鐵道局にては同署と約束を結び鐵造用に使用することゝなしたるよし

[大日本窯業協会雑誌] 第6巻(1897-1898)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/6/61/6_61_454/_pdf/-char/ja

京都大學建築用の煉瓦に就て。府下の煉瓦が粗悪とて大阪堺の煉瓦に限るとした。不満続出。ついでに山城煉瓦も。鹿背山の福島弓太郎外三名の發起。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/6/64/6_64_584/_pdf/-char/ja

東京附近煉瓦製造業者の困難 鉄道建設に伴う小工場の簇出

大阪近辺の不況。

淡路國津各郡岩屋町にて営業中なる岩屋煉瓦株式會社

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/6/65/6_65_635/_pdf/-char/ja

京都大學使用の煉瓦 第一工事の際京都奈良堺等各地方の製造者に入札せしめたる結果一個一錢三厘六毛の割合にて堺、奈良兩煉瓦會社協同にて百六十三萬個を引受けしむる事となり

香川縣下の煉瓦業は近頃頓に其頭數を增し隨て競爭起り相塲次第に下落し一時一個一錢二三厘の品目下五六厘位に降り時しも物價騰貴職人の賃錢高く今の處到底持切れされはとて廢業を企つる向もありと聞く

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/6/68/6_68_787/_pdf/-char/ja

大坂に於ける煉瓦業の不况

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/6/70/6_70_890/_pdf/-char/ja

堺市煉瓦業の盛衰

[大日本窯業協会雑誌] 第7巻(1898-1899)

M30頃の煉瓦不況があったものだからか、煉瓦関係の記事が極端に減少してしまう。まーそうか、新しい商売のタネには敏感、潰れていく会社には何の価値もありますまいて。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/7/77/7_77_176a/_pdf/-char/ja

大阪窯業株式會社煉瓦製造の改良

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/7/84/7_84_446/_pdf/-char/ja

大阪商況

[独言]メモ

入り口にからと越の看板→石垣を何度も見る→かなりの傾斜→登り上げ右に折れ石垣の下→尾根に取り付きその先端をじぐざくにのぼる→左に巻いて→谷筋を登るので洗掘進んでいる→一度尾根にもどってまた谷筋→この辺り背丈を下る木のトンネルで薄暗い→洗掘が右に行くところで左上に空→草木に覆われ気味なそっちへ行くと標識の立つ暗部。たぶん唐櫃越の端ではない。そこから左の尾根の側面に沿ってつらつら→基本的に尾根の若干下を右側を行く→不明瞭になった頃杉林、よく下刈りされているので見通しがいい→「境」の標識が端、植生、左から右に越える細道→沿って行くとまた下刈りの杉林、勾配があがって→右方に送電鉄塔。ここで鉄塔方面へは灌木バリアだがこっちのほうがわかりよいかも→尾根を辿り続ければガレが目立つようになる。まるでズリ山→そのまま杉+灌木帯をずるずると落ちていく→現行トンネルの真上に出る→そこから水平に左で地蔵第一。地形図の水平道はこの辺りに見当たらず。レールフェンスの水平には道がない。もっと上で水平に巻くか?

現行トンネルの真上からは水平道なし。その東の谷で水を得て帰る→小さな滝になっているのを上り超えた辺りで水平道が。朝日トンネル方面へは行かず。


2020-05-22 [長年日記] この日を編集

[独言] 無駄な既出

図書館が快感した、もとい開館したと聞きつけたので早速行ってみたのだが、書庫の本は出してくれないしデジタル部屋は閉鎖しているし、おまけに社史コーナーの開架だけ閲覧不可になっていて、まさしく開店休業状態であった。うむ。ちゃんと調べてから行けば良かった。何しに行ったのかわからん。

ここで図書館職員氏に不満をぶつけたらどうなるんだろうと思ってみたりしたが、気弱な私がそんなことできるわけがないのだった。 画像の説明

そのまま帰ってはまさしく無駄足になってしまうので鉾流橋に寄ることにした。今号記事を書きながら、この橋のたもとからの眺めを撮った写真がないことに気づき、そこのところをうやむやにしたまま終わらせてしまった。その心残りを晴らすことができただけでもよしとしよう。

橋ギリギリに寄って側面を見た時、さほど違和感はなく、ゲルバー桁には稀有な「破綻のないシェイプ」だと改めて思えたのだけれど、手前の突桁の部分には若干の違和を感じた。この部分は直角三角形的な開いたシェイプのはずなのだけれど、たもとから見ればまるで普通の矩形ガーダーのように見えてしまう。遠近法で遠くのものが小さく見えてしまうその割合と桁の開いていく角度とがちょうど相殺されているらしい。このように見えるようにわざと設計したのであればすごいことだと思う。ただそれが美的に成功しているかどうかはなんとも言えぬ。並行直線に見える桁と吊り桁のアーチと対岸の明確な収縮という取り合わせは若干の違和感がある。類似の構造を見慣れていないことに起因する違和感である。ピカソの絵だって当初は非難囂々だったというし、初めて出会う宇宙人を一目見て美しいと思うことはたぶんないだろう。 画像の説明

あと、この角度から橋を見た時、橋全体を視野に収めることが難しく---奥行きがあるので橋のいずれかの部分に焦点を置いて見てしまわざるを得ないのだと思う---、その場合にたいてい吊り桁の辺りを見ていることが多いようだ。鉾流橋のその部分のシェイプに破綻がないせいで「納得」してしまうのかも知れない。引いて撮った写真を見ると先述の並行感が発生して納得を弱めてしまう。

そうそう、鉾流橋の欄干デザインと中之島公会堂の階段手すりのデザインは一緒だった。改修前からそうだったように記憶する。大阪市の橋梁写真集にもこの欄干の写真があったような気がする。

ついでに西天満の煉瓦壁にも寄っていった。以前訪れた時はその前に建つ建物のひとつが取り壊されていたせいで比較的広い範囲を観察することができたが、今はその歯抜けに新店舗ができたようで、同じものを見ることができず。そのかわりブロック端近くの駐車場で半分に断たれた煉瓦壁を見ることができ、そこに日本煉瓦と岸和田煉瓦の刻印を確認することができた。岸和田煉瓦は機械成形、米式切断機によるもので、刻印は飾磨港の工場壁に見られるアレと同じ線状の十字であった。


2020-05-23 [長年日記] この日を編集

[独言][煉瓦工場] 鉄道、煉瓦、現地生産。

M14-17 敦賀線。柳ヶ瀬隧道は藤田組?その前後前後約8kmを鹿島組ほかが施工。→新道野二煉瓦工場

M29-30(M33.11.開業) 篠ノ井線冠着トンネル。姨捨駅-冠着駅間。大倉粂馬、星野鏡三郎、志坂信太郎。M30大日本窯業協会雑誌に煉瓦工場の記事。ここでは鹿島組となっているが、星野鏡三郎はM30に星野組を立ち上げたという話。んでここに「鐵道工事のある地方には隨所煉瓦工事を設け其需要を充たさん計畫」とある。

M31-32 京都鉄道嵯峨―亀岡間。鹿島組受注、「いろは」の横車に対抗するため三重役の一人・星野を現場へ遣わす。星野はこの時篠ノ井線にかかっていた。京都鉄道自前の?煉瓦工場。

京都鉄道は当初小川資源を技師長として招聘。小川は着工前に退任し建築顧問となる。M29.6.から渡辺秀次郎。M31.6.解任、井上徳治郎着任。

M31~T3 磐越西線(岩越鉄道) 郡山~喜多方は鹿島岩蔵参加。喜多方~新津は星野鏡三郎参加。喜多方以西には久保組工場が複数作られる。佐藤一男「大沼郡会津高田町北村の旭煉瓦工場について」〔会津若松市史研究第8号〕に以下のようにある。
「山都地方では登世島字近田の渡部好太郎所有の山が煉瓦製造に適した粘土とわかり、星野組下の久保組が工場を建築して煉瓦製造を開始した。また、尾登トンネル工事を落札し、近田地内に工場を建てて地元ではこれを西工場と称し前者を東工場と呼んでいた。」本文の旭煉瓦工場は地元資本家による。

M29.5. 中国鉄道、小川資源を招聘して技師長に。M31.12着工、大倉粂馬、菱川吉衛、中井由太郎等。手立隧道、蓑地隧道は大倉土木組の請負。大倉土木は第一・二・四・五工区を担当。M32.1.開業。([日本土木史明治編 中』https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2942276/136。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/5/56/5_56_265/_pdf/-char/ja。『大日本窯業協会雑誌』第五巻第五六号に現地工場の話。備前國津高郡宇垣村大字宇垣字原に設立、讃岐地方で職人募集中。うーん、磐越西線は大倉組もいるのだな。

東北本線 板谷トンネル。直轄のはず。『鉄道と煉瓦』に詳細。井上徳次郎が担当!

関西鉄道 加太トンネル。1897(明治30)年11月11日開業。関西煉瓦会社が 関与?

東海道線 静岡へん 村井~

何がテーブルのキーになるのかわからなくなってきた。鹿島組?大倉土木?小川資源?

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1530310/63

帝國鉄道協會會報. 11(6) 小川資源君小傳

軽井沢線。軽井沢に工場。久保組?


2020-05-26 [長年日記] この日を編集

[C60] 16個目

画像の説明

嵯峨折戸町のちびっこ広場で。


2020-05-29 [長年日記] この日を編集

[独言]そういえば

外出自粛期間中に御堂筋線に乗ったら車内広告がほとんど全てOSAKA METROのものだった。新型コロナウイルスの影響で広告出稿が激減していたのかも知れない。帰りに乗った阪急で改めて車内を見渡してみたが阪急関連ばかりというわけではなかった。四角い頭を丸くするとかあったもの。

電車内の広告は結構熟読してしまうタイプなのだが、一般の人はどうなのだろう。読んでもよほどピンポイントにヒットするようなものでなければ頭に残ることはなさそうな気がする。そういう意味ではメトロ一色の車内は異様であった。乗ってたのも自分一人だったし。


2020-05-31 [長年日記] この日を編集

[ToRead]篠村史、大阪府近代建築調査報告

@国デジ、中之島


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