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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1942-12-01 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十二月一日 火 曇

独乙語考査(動詞単語五十)あり。単語を覚えんとするには寸陰を惜しめば可なり。体操の際は人梯をなす。下の者の苦労一方ならず。又上の者の危険一方ならず。投擲四十一米となる。誕生日会。
予習を充分なせば授業時間が愉快にして且つ能率上るを今日痛感したり。予習の効此にあり。健康状態頗る良好。
河野軍曹殿曹長に任ぜられたり。


1942-12-02 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十二月二日 水 曇

今日より地理は外国地理に入りたり。授業が何とはなく愉快なり。之れ緊張している故なり。〔朱棒線、欄外「攻勢に出づれば何でも愉快なり〕 午後は狭窄射撃をなす。結果は丙なりき。要するに五発一ヶ所に集れば良し。我全部下に命中す。初は不安にして如何にすれば弾が出るかとて恐怖心と共に稍〃あわてたり。落着けば良きものをと思いし時は後のたゝりにて残念なりき。然し我は此の五発の射撃に依りて今後は決してあわてず、又中るとの自信を得たり。食卓変えありて今度は磯部さんと並びぬ。近日頗る気候温暖にして益〃元気なり。然〔併〕し指に凍傷を生ず。思うに之は入浴後の不始末なり。


1942-12-03 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十二月三日 木 曇

終日太陽を見ず。風なく温暖なり。独乙語考査(単語―形容詞五十)あり。不振。藤江は一策をなし単語の暗識に努力中なり。予亦之に習わん。然し長続きするかは疑問の点なり。〔朱棒線、欄外朱「やる以上しっかりやるべし」〕 宜しく長く続くるべし。月例身体検査ありて、体重一瓩、胸囲五粍増加す。胸囲の二倍は身長より三粍を越ゆ。万歳々々鍛錬々々!!
体操の際は特に速がけ百と四百をなす。百は足重く不振にて、四百米に至りては予の心臓がものをいい二着。森木にはかなわず。之を要するに自信あれば溌剌として総て運動はなし得るものなり。投擲四二・五米行く。先日末の練習に依る。自習時間は全く之を国漢乙に費す。今日乙の教程をもらいぬ。健康状態頗る良好なり。


1942-12-04 ルソン夜戦戦果 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十二月四日 金 曇

朝は雨の為暖なるも夕に至りて急に寒気を増す。教練は銃の操作に慣るゝ目的を以て捧げ銃・担銃・立銃よりなすこととなれり。昨日余りにきたえ過ぎて今日は能力なく筋肉痛し。然し頗る良好なり。
十一月三十日ソロモン付近にておこなわれたるルソン夜戦に於ける戦果左の如し
 撃沈 戦艦一 巡洋艦一 駆逐艦二
 大破 駆逐艦二
我方駆一沈没す。此の夜戦にて敵は他に七隻の巡を有し我は得意の水雷艇にて此の果を得たるものなり。


1942-12-05 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十二月五日 土 曇

今日亦陽を見ず。近日の曇天に加うるに、今日は風を増し十二月らしき寒さともなりぬ。思うに昨年はかゝる寒さは今頃見ること能わざりき。又指の環節は凍傷の為に痛く物をにぎるに困難なり。国漢乙及び幾何の考査あり。作文は我が家に付き自作。剣術は何故が意気上らずして不振なり。愛校作業にて鎌を使用し今日はじめてその操作を会得したり。何事にても初めて成る時は愉快なるものなり。
独逸語は「ゲーテ」に関する幻燈あり。健康状態は今日の寒さに負けたるか昨日より続いて全身倦怠にして物事をなすに億〔臆〕劫なり。一方に鍛錬して、一方に身体を保護せざるべからず。


1942-12-06 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十二月六日 日 雪後曇

朝起きたれば四方雪に被われ花雪は霏々として降りいたり。嗚呼初雪の感残からず。第三運動班は雪をつきて六時より藤崎宮・桜山し堂に交換駈歩参拝をなす。我は昨日の倦怠、加うるに気分すぐれざるを以て行かず。七時頃は最も激しく、七時半には遂に止みぬ。時に約三糎余は積りいたり。三運の連中は八時過ぎ、雪の為びしょヽになりて復る。二年にて行きたる者僅かに八名他は臨時外出をなす。八時半より全校生徒の雪投げ会〔合〕戦あり。後外出。終日全く休養の目的を以て何事もせず唯書を読む。十五時半より古賀中将閣下(本校十期生)の訓示あり。要は熊幼の伝統精神を実現するにあり。健康状態は休養の結果大部良くなり頗る調子よく以て明日の機能力検査が期待さるゝなり。


1942-12-07 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十二月七日 月 曇後雨

今日は最も寒気烈しく零下六度ありて水勿論凍りて水道出でず霜林は五糎程のを生じたり。午後は松竹映画劇場に「東洋の凱歌」「コレヒドール攻撃」「陸軍防空学校」を見るべく十三時に出発、十四時より十六時四十分まで見学す。所感⇒我は日本人として生まれたる喜を感ず。一月二日マニラ陥落して本間中将閣下の前に日本人は閲兵分列す。彼の時の日本人の面影誠に一生に此れ以上の喜はなしとも察せらるべき喜悦の顔なりき。又マニラ街頭には至る所に日章旗の輝くありて、日本人を始め、あらゆる比島人まで日の丸の旗を持ちて高く打振り万歳を叫びBanzaiと書きたる旗打立てゝ市中行進をなす姿を見て誠に感極まりたり。之が主なる所感にて他は炎熱の下に働く将兵の苦労を偲び、米人の比人の酷使をにくみ、亦コレヒドール要塞の猛烈なりしを考う。近代戦とはかゝるものなりか。
〘健康状態良好。〙十八時帰校。
二十一時消灯なり。


1942-12-08 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十二月八日 火 曇

大東亜戦争一週年記念の日に当り、我等は終日を不屈の精神〔朱棒線〕を養うべく過したり。先ず二時起床し、同半集合し、武装して藤崎宮参拝引続き小峯陸軍墓地を詣でて五時半帰校す。朝とて手も始めは冷たさを感ぜしも終に至りてはほてりて暖き程なりき。いずれも不屈の精神錬成の目的を以てなり。帰校後六・〇〇より 詔書奉読。六・四〇会食。十三時より七〇分間山田副官殿・濱崎生徒監殿のビルマ作戦及び時局につき夫〃訓〔講〕話あり。一通り之にて特別行事を終りたるも、今日は朝よりも昼間が寒気烈しく不屈の精神錬成には十分なりき。昨年の感激が眼をとず〔づ〕れば彷彿たり。彼の喜び。彼の何くそやるぞと誓いし覚悟一に思い出でざるはなし。我亦今日今年もやるぞと覚悟す。第二年に入りて長期戦態勢となりねばりが一層大切なりと。
体格機能力検査は前期に比し相当低下したり。
 運搬 九秒六  投擲 三十七米
 走幅跳 四・七三米   計十六点
気候の関係とはいえ情なきことなる哉 健康状態良好なり。


1942-12-09 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十二月九日 水 晴

今日は晴なりと雖も白雲彼処に散在せり。近日の共通せる気候よりして熊本の地は大陸性に近き事は言うに及ばず、あたかも北陸の如き天候なり。即ち朝は晴れいるも次第に雲を増して遂には雨を霽らす等之なり。地理の四十分間に亘る考査あり。午後は工作にして相当ラジオの実物をいじりて知識を得たり。今日懸垂を試み、三十回なす。今日は平凡なる一日なりと雖も責務は充分はたしたり。頗る良好。


1942-12-10 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十二月十日 木 曇後雨

相変らずの天候なり。午後体格機能力検査あり。百米 十五・〇秒 懸垂 二十七回 二千米 七分三十二秒 にて今日二十一点前日と合計し三七点なり。然〔併〕し今回は懸垂の躍進的進歩以外は全部前期よりおとろえぬ。 たしかに運動不足なり。寒くなるも愈〃頑張るべし。主眼点は剣術となす。防空教育あり。さい涙ガスを目に受けた〔ぬ〕食事中も涙出で眼痛し。僅か一瞬にして此くの如し。防毒面の功大ならざるはなし〔るを知る〕。常識を相当に高めたり。頗る良好。


1942-12-11 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十二月十一日 金 曇

今日は相当に暖し。午後は訓学字号通信及び教練照準鑑査あり。二度目にして二粍となりぬ。我照準正ならず、撃発にあたりて銃口が揺るゝと。又先般の狭窄射撃良からず。周密の注意の下に落着くべし。随意運動時に防空演習あり。之も亦落着き確かなる判断の下に行動せざるべからず。


1942-12-12 戦後講話の詔勅、軍人に賜わりたる勅語 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十二月十二日 土 曇

午後訓話にては戦後講話の詔勅及び其の度に軍人に賜わりたる勅語に就き学ぶ。一貫せる御精神は勝って兜の緒を締めよ〔成句に朱傍線、欄外朱「況んや目下は緒戦なるに於てをや」〕との〔御〕戒めなり。之は今に於ても然り、真似〔珠〕湾の戦果や其の他の戦果に酔わず本分に邁進即ち勉強せん。剣術も亦其の成果充分に上げて得たり。健康状態頗る良好なり。


1942-12-13 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十二月十三日 日 晴

五・〇〇起床、全校職員・生徒一同は一年の主要行事たる此の義士会にちなみて、六時より十二時まで約五時間兜山・岩倉山方面に兎狩りを実施す。我は終始最右翼を攻撃、よくその任を一貫したり。今朝の霜が近日になく高きより相当の寒さなりと察す。始にあたりては大部指先・耳冷かりしも次第に暖くなりぬ。寒意〔時〕熱殺正に之なり。小夜食の「からいも」は空腹時とて非常にうまし。運動後の所謂おやつは二ヶ年ぶりとて又かく別なり。会食。午後は十四時―十七時運動班会あり。
義士討入の歌は昔より熊幼にては伝統的に盛に歌い唱えられたる所なりと。剛健そのままが表るゝなり。 ○戦果⇒野兎二匹
頗る良好なり。体重増加に努力中なり。よく噛むこと肝要なり。


1942-12-14 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十二月十四日 月 晴

今日は元禄十五年太平の世に義士が打入し世人を感せしめたる日なり。午後は体操にて持久駈歩二千米を走り、次に柔道が三ヶ月振りにありたり。又随意運動には球戦に奮戦し快勝す。誠に午後は鍛えたり。之れ正に真の鍛錬にあらずや。かくして終日気力充溢して愉快なりき。頗る良好。
〔欄外朱「諸子正に鍛錬の時に方れり 益〃奮励すべきなり」〕


1942-12-15 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十二月十五日 火 晴

術科は教練にて主に折敷、伏せ及び速歩進なり。教練に活気なしとて注意を受く。切磋会には生徒監殿臨まれたり。雑談を止めることは学習上よりも極めて良好なる手段なり。又各人は無言の切磋即ち率先実行せざるべからず。後世界の動きに付き話あり。頗る良好。


1942-12-16 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十二月十六日 水 雨

父の命日なり。朝よりむし暑くして雨なり。教頭殿は教育総監部に教頭会議の為出張されて不在の故、二年全部此の時間に博物・生理衛生の考査あり。午後の停車場見学も中止になり、剣術・自習あり。術科今日はさっぱり振わず。健康状態良好。


1942-12-17 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十二月十七日 木 晴

昨日おの一品検査、即ち腔中・薬室の手入頗る不良なる故今日亦あり。狭窄射撃に依り錆を生じたれば早期発見又検査の目的なり。一時間目二年全員化学考査あり。独乙語考査あり。午後は柔道作業なり。作業にては築城の初にて先ず円匙の使用法・工区を学ぶ→実施するものなり。随意運動は愉快に能率上りたるを信ず。考査も終りて一息したり。母は十二日より軍事援護の指導員の会議の目的にて上京し二十日帰佐の予定なりと。先ず大阪の岡本さんに寄り次に大船の飯田さんに泊し十五日上馬に至りたると。又十四日成田の飯田の小父さんの墓を参拝せると。友。友の中の親友は得難きものなり。親友の交は兄弟よりも密なりと。嗚呼父と飯田さん。我もかゝる真の真の誠心を以て交わるべき親友を得たきものなり。頗る良好なり。


1942-12-18 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十二月十八日 金 曇

今日も亦むし暑し。午後は体操。土嚢運搬継走(各人二百米)をなす。流石に足下動揺し終頃には馬力なくなりふらヽしたり。二百米何のそのとなりたきもなり。五十米とは趣を全く異にするものなり。随意運動時に小倉造兵廠より来られた児井少佐殿(東幼二九期)の話あり。所謂科学につき技術は結局は自然に基づいて之に近づき、いよヽ進歩して原始化する等々特に日本人の国民性を活かすことを強調せられたり。愉快にやさしく極一般的より要点を云われし故に何時になく理解し科学に対する好奇心を僅かながら得たり。又戦場に非ずかゝる内地にて科学戦の備に研究する方々にその労苦を思う。頗る良好。


1942-12-19 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十二月十九日 土 曇

待ちに待ちた土曜も漸くにして終りぬ。午後は移転なりき。第三自習室より第二自習室へ。第八寝室なり。その面々は寝台学友清水・藤本、他は梶永〔梶字朱訂正〕・上田・手島・秋里・井ノ上・田村・手塚なり。自習室学習は手塚なり。かくの如く移転して環境を異にし心を新にして邁進せんと覚悟したる次第なり。訓育班会を実施す。町田生徒監殿は週番の故に勿論、河野総長殿を詔〔招〕きて八寝室にて愉快に実施す。稍〔動〕〃もすれば話は幼き頃へと向けられ我も亦幼き当時のことを思いて懐しかりき。思えばいたずら者なりき。頗る良好なり。
新矢総長殿の後任として中間軍曹殿が十六部隊に来られ三訓附となられたり。


1942-12-20 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十二月二十日 日 晴

最初に於て気力に欠く。剣術に進んで行かざりし事なり。然し行きて烈しくなし後は流石に気持よく一日が気持よく過せるを知る。一日の計は朝にあり。之れ然り。外出者は全校生徒の三分の二をしむ。予は生徒監殿に電話していただき、佐々木曹長殿(週番)と共に山本写真屋に行く。直ちに五枚を■う。実に之にて六へん目なり。彼の親父の心の中よそ不思議なれ。往復自転車にして十一時半帰校す。午後集会所にすごす。久方振りに文庫に行き、本をあさりたるも何故か読書せんとする積極的動作に欠く。二階も良き点あるも思いの外面倒なり。昨夕は充分に眠り得日曜の気分ある故か二階となりてか終日愉快に過したり。頗る良好。

〔nagajis:■は「分」?〕


1942-12-21 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十二月二十一日 月 曇

平凡なる一日なりき。冬休暇の為の体重測定ありて此処二十日間に五〇〇瓦増加して五三・五瓩となりぬ。我の願及び努力の効は刻と表われつゝあり。要するに腹さえ丈夫にして良く噛めば肥ゆるなり。然して飯を沢山に食するが如きは愚人のなす所なりと思う。頗る良好なり。


1942-12-22 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十二月二十二日 火 晴

近日寒さには何とも思わざる如くなりぬ。耐うれば耐えらるゝものなり。寒しと思えば何をなさんにも出来ず。故に気力のみ剛健にして持久性に富めば冬は何事なく愉快に過せるものなり。今日を以て動物は完全に終了し愈〃鉱物となりぬ。刻々と後期前半の授業も終了し愉快なり。思えばあと五十時間に非ずや。作業二時間小銃の掩体構築をなす。之こそ真の作業なるかと感ず。汗を流す此の労働戦場の将兵必死の作業を想う。かゝるもの須く物にすべし。個人訓育あり。後期前半大体に於て努めたりと。然し我々は前期程なさず心に不足を感ず。未だヽ余地あり。頑張るべし。内務をよくすべしと。益〃がんばり人のレベルに追いつかん。否それ以上に。頗る良好なり。


1942-12-23 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十二月二十三日 水 雨

代数の時間特に幼年学校出身者は予科に行きて中学出身者より数学を努力せざるべからざる事を痛折に感じたり。要するに真面目になすべし。修身は教頭会議に行かれたるときの話なりき。「人の一善を見て百非を忘る」唯軍人たる者は現在の本分に邁進すべし。
今日は 皇太子殿下御誕生の佳日にして 殿下は今年御年十歳になり遊ばされたり。我等一同喜の極なり。剣術の試合は不振なりき。攻撃精神雨の為暗く気分も優れざる日なりき。自習時間身に入らず。頗る良好なり。


1942-12-24 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十二月二十四日 木 曇

午前中授業、午後は内務検査及び其の準備あり。十七時帰省申告 鬼木生徒監殿は今般予科士官学校中隊長として御えい転なされたり。今日此に始めて同生徒監殿に対して有難味を感じ別れづらくありたり。夕食後は専ら帰省の準備をなす。嗚呼思えば百二日の前半も早夢の如く過ぎて休となりぬ。今に年ともなれば左程帰りたしとも思わず。然し心はやはりはやるものなり。今日は誠に長き終日なりき。頗る良好


1942-12-25 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]自昭和十七年十二月二十五日 至昭和十八年一月六日

冬季休暇にて帰省我は十八念を仰えて十七才となりぬ。別紙に記載す。


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