nagajisの日不定記。
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司馬遼太郎の運転する車に乗って移動する夢。夜遅くでありヘッドライトで照らされている前方数メートルの範囲しか見えない。何故か助手席に乗っている。否何故司馬さんと深夜のドライブなのかわかっていない。自分も特に緊張したりしていないが滅多にない貴重な体験、分不相応なことだとは思っている。
司馬さんの運転はびっくりするほど荒く、真っ暗でしかも地道だというのに意に介さず飛ばしまくる。路面がどんどん荒れてきて、というか道路の真ん中にジャンプ台かと思うような凸まで出現するのにスピートを落とさない司馬さん。案の定丸テーブルのごとくな凸に乗り上げて2、3秒も空を飛んだりする。
やがて道は住宅地に入り込み、というか家の裏庭のようなところに突っ込んでしまう。そのまま行けば幅1mもない家と家の隙間になりそうで、いくら運転のできない自分でも危険だとわかる。「司馬さんだめだ、そっちは通れない」ようやく止まった車から降りて通れそうなところを探す私。その裏庭から民家の前を通って玄関門に出る通路がかろうじて行けそうだった。といっても歩道のような道であり、両側は菜園になっていて、そのままでは通り抜けられないのは必至だ。
後ろに乗っていたスタッフが降りてきて民家と交渉し始め、やにわに車が通れるほどへと道普請が始まる(そういう無茶が罷り通るのはさすが大作家だからかと思ったりした)。その間司馬さんと私は民家の縁側のようなところで休ませてもらうことになった。
家には5歳くらいの女の子がいて、紙芝居のようなもので遊んでいる。紙芝居を見せてくれているのではなく芝居絵を見ながら自分で語って楽しんでいる様子。ふいにクイズになった。この紙芝居にタイトルをつけろという。見れば表紙の一枚はタイトル部分が○○○。 ○といったような伏せ字になっている(一文字の下半分が伏せ○になっていたりもする)。
そのクイズに挑戦する司馬さん。答えはさすが文豪というようなものだった気がするが、女の子はそれをにべもなく否定しダメ出しした。「そんなんじゃだめよぉ。もっと内容がすとれーとにわかるようなたいとるにしなきゃ」。そんな批評に司馬さん苦笑いーーーいや心から笑っているようにも見えたっけ。私も釣られて吹き出してしまう。そういう思いを司馬作品のタイトルに思ったことがないわけではなかったからだ(「坂の上の雲」とか)。
なんとでも解釈ができそうな内容だが結局はいろいろな場面の寄せ集めな気もする。何かの暗喩ということもないだろう。
突っ込んでいった住宅地の密集具合や通り抜けようとした庭の辺りはその昔に見た夢の何処かの場面に似ている気がする(夢の中でもそれを思った。夢で見たことのある場所みたいだと)。現実には煉瓦を探してほっつき歩いた細路地に似ているが、庭から脇のドブ空間に入っていくような場面もあり、さすがにそこまで入り込んだことはない。進んでいった末に行き止まりになり呻吟するというのは以前の夢で同じものを経験している。あれも確か、出口に建っていた家にあがって何やら一場面あったと記憶する。
梅野村は桂川を挟んで川岡村の斜向かいといったらいいか。桂川のほとり。結構行きにくい場所。
川岡村の煉瓦工場は明治15年頃井関喜三郎が経営。保証人も井関姓。再請願に対する指令書の後半を写し損ねていることに今日気づいた。ばーかばーか。
山田理一郎日記で鍛えられたお陰で6割読めてると思うものの残り4割が問題な気がする。30万枚のうち10万枚?6万枚?が納入に間に合わずどうこうするというところのどうこうが問題なんだ。他所から買ってきたのを納入するとか何とか書いてある気がする。
そうして老ノ坂隧道の竣工年がはっきりしない。M17にはできていたことになっていると自分で書いているのでそうなんだろう。納入延期申請も、年度を跨ぐのでアレだがどうせ年度中に完成する見込みがないのでいいんじゃね?とか言っている。M16頃だろうな。この頃の事業年度って何月始まりだったんだろうか。
M18時点では川岡村の工場の煉瓦がもっとも堅牢でよいという評価。そうか、この頃にはもう疏水への納入を始めているのだな。納入量が莫大なので合併咄が出ていたのかも知れぬ。