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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2021-03-03 [長年日記] この日を編集

[独言] 台湾からのお問い合わせに応える

Dear Yujia Chang ,

Thank you for your inquiry. I am deeply moved by the email from Taiwan. I hope you find this reply useful.

お問合せいただきありがとうございます。遠く台湾からのメールに感激しております。このご返事がお役に立つことを願っています。

It is clear from the literature that Japanese bricks, especially bricks manufactured in 大阪府 ( at 関西地方 ), were exported to Taiwan, but I saw the real thing for the first time in your email. I think it is a very valuable discovery as evidence to substantiate the literature.

日本の煉瓦、とりわけ大阪府で製造された煉瓦が台湾に輸出されていたことは文献資料からも明らかになっていますが、あなたのメールで初めてその実物を拝見しました。記述を裏付ける物的証拠として、とても貴重な発見だと思います。

I think the brick you asked for (図3) was not baked with a glaze, but at a high temperature (usually in a reducing atmosphere lacking oxygen) that melts the surface. In Japan, it was called 焼過煉瓦 ("over-baked brick"). As far as I can see in the picture, it seems that there are various colors such as greenish and purplish, and so on. Every large brick factory manufactured over-baked bricks, but such colorful over-baked bricks are a feature found in the products of a company called 大阪窯業. 大阪窯業 was one of the largest brick factories in Japan. Please refer to the attached photo.

お尋ねの煉瓦(図3)は、釉薬を掛けて焼いたのではなく、表面が融解するほどの高温で(たいていの場合は酸素が不足した還元雰囲気で)焼いたものと思われます。日本では焼過煉瓦(”over-baked brick”)と呼ばれていました。写真を見るかぎり、緑がかったもの、紫がかったものなど、様々な色に発色しているように見受けられます。大きな煉瓦工場ならどこでも焼過煉瓦を製造していましたが、このようなカラフルな焼過煉瓦は、大阪窯業という会社の製品に見られる特徴です。大阪窯業は日本でも最大級の煉瓦工場のひとつでした。同社の製品と思われる煉瓦の写真を添付しますのでご参照ください。

On the other hand, it seems that the brick in 図3 has a cross-shaped seal (c.f. attached photo zu_3.jpg) . The cross-shaped engraving was used by a factory called 岸和田煉瓦. The seal of 大阪窯業 consist of a circle and three lines. The original image may help me to judge it correctly. If possible, please send me the original photo of 図3.

そう思う一方で、図3の煉瓦には十字型の刻印があるようにも見えます(添付画像 zu_3.jpg)。十字型の刻印は岸和田煉瓦という工場が使用していたものです。大阪窯業は丸と3本線を組み合わせたマークを押していました。元の画像があれば正しく判断できるかも知れません。可能であれば加工する前の図3の写真を送っていただけますか。

What was the name of the building where these bricks were found and when was it made? 堺煉瓦 operated from 1893 (Meiji 26) to 1920 (Taisho 9). 津守煉瓦 was founded 1897 (Meiji 30) , and closed 1925 (Taisho 14). Therefore, it seems that the building in which these two products are used was built between 1897 and 1918. And, 堺煉瓦 seal in 図2 is a type that is often seen in products made in the Taisho era because the combination of five lines is uneven. Therefore, I imagine it was a structure built in 1910s. Is it correct?

この煉瓦が見つかった建物は何という名前で、いつ作られたものでしょうか。堺煉瓦は明治26年(1893)から大正9年(1920)まで操業していた煉瓦製造会社。津守煉瓦は明治30年(1897)に創業し大正14年(1925)に廃業しました。ゆえにこの2つの製品が使われている建物は1897年から大正9年の間に建てられたものと考えられます。また、図2の堺煉瓦の刻印は、5本の線の組み合わせが不揃いで、大正時代に作られた製品によく見られるタイプです。よって1910年代に建てられた建物と想像しますが、合っていますか。

In the era when the above-mentioned brick factories were active, there were 6 large factories including 日本煉瓦 and 丹治煉瓦 in addition to the above 4 factories, and they were called the 六大煉瓦工場 ("6 major brick factories"). It is said that they formed a brick manufacturing union to maintain quality and provide a stable supply of bricks at 関西地方. It is common in Japan that products from multiple factories are used in one building/structure. I think these cases are indicating that the brick manufacturing union served as the contact point, and the bricks manufactured by each company were put together and sold through the union. Unfortunately, there is little information about this union, and it is not clear what kind of activities they were doing. However, it is very helpful to know that there is a similar usage situation in exports to overseas. Thank you.

上述の煉瓦工場が活躍していた時代には、上記の4つの工場に日本煉瓦、丹治煉瓦を加えた6つの大工場があり、六大煉瓦工場と呼ばれていました。彼らは煉瓦製造業組合を結成して、品質の維持、煉瓦の安定的な供給を行なっていたと言われています。一つの建物に複数の工場の製品が使用されているのは日本でもよくあることです。煉瓦製造組合が窓口となり、各社が製造した煉瓦をまとめて、組合を通して販売されていたことを示しているのだろうと思っています。残念ながらこの組合に関する情報は少なく、具体的にどのような活動をしていたのか、はっきりとはわかっていません。しかし海外向けの輸出でも同様の使用状況があると知れたことは大変参考になります。ありがとうございます。

そうして自分の名前を伝え忘れるという極道である。PS.とかあんな使い方でよかったんだろうか。


2021-03-08 [長年日記] この日を編集

[独言]台湾からの問い合わせに答えようとして力尽きる

伝えたいことはたくさんあるのだが日本人相手でさえ伝わるかどうかわからないアクの強いにほんごしか書けないせいで苦しんでいる。はじめは好意に甘えてにほんごonlyで行こうとしたがわかりやすいようわかりやすいようと念じつつ書いたにほんごがどんどん日本語でなくなっていくのを見て悄然としやはり中立言語としての英語を頼るほうがよいだろうと思い直してGoogle翻訳にかけつつ翻訳し戻しつつ両者を書き並べて書いていくことにしてしまったので結局日本語とも似ても似つかぬピアジェライクなにほんごと胡散臭いジャパングリッシュの二系統出力とパラレル思考を強いられることとなり言いたいことを言い尽くせない不完全燃焼感が二乗増。

書くために知識の裏を取ったりしているうちに不確か記憶していたと思い知ることも多々見つかる。カラーフルなあの焼過煉瓦は本当に焼過煉瓦なのか。釉薬使っていたりしないのか。あれだけまちまちな発色になるのは偶然の産物だからであって釉薬がけならもっと均一な色目になるんじゃないかと思っているがその根拠は奈辺にあるか。それは本当に大阪窯業製なのか。由良要塞のあれは加太の丸治醤油蔵の焼過煉瓦with粘土玉をクッションにしてそう見做しているわけだが丸治醤油蔵はそこまでカラーフルでないのだ。ゾーリンゲンのナイフとスピネルのナイフを「どちらも柄のついた刃物だから」といってイコールで結びつけようとするようなものではあるまいか。そもそもあのカラフルな焼過煉瓦は由良要塞以外ではあまり見ないのだよな。二代目船坂隧道のポータルくらいか。しかしあれは堺煉瓦刻印があった。なら由良要塞のも堺煉瓦製である可能性があるのか。無刻印だったけれども。

自分の思うこと 漏らさず 100% を 人に伝えることのできる言語はプログラミング言語くらいしかないのではないか。書き言葉も話し言葉も不相応で不適任。言葉使いになんてなれるわけがないわけな。


2021-03-15 [長年日記] この日を編集

[独言]力尽きなかった

けど力尽きた。明日は部屋掃除しよう・・・


2021-03-16 [長年日記] この日を編集

[独言] いい感じの遊具

画像の説明

ロシア・フォルマリズムを彷彿とさせるデザインがいい。パイプ二本の滑り台がいい。手すりすら無いのがなおさらいい。

うちの小学校の裏山にはこういうタイプの滑り台があったが、二本のパイプの間に入って、脇の下にあてて滑り降りるものだった。よほどどんくさくない限り落っこちたりしない。しかしこいつはなかなか試練的だ。ちょけると確実に落ちる。

[煉瓦][独言]江州煉瓦と三津浜煉瓦の焼損煉瓦

画像の説明

北大路駅から大徳寺にかけて、およびその周辺地域には、わざと焼損させて作った煉瓦を使った民家壁が多い。そのひとつに江州煉瓦の刻印を見つけたので、江州煉瓦がこのタイプの煉瓦を製造していたらしいことがわかる。江州煉瓦のお膝元にも焼損煉瓦壁は多かったがそれが京都の北の方にまで進出していた=製品として販売されていたことがわかる。 画像の説明

西の方では三本線刻印おそらく三津浜煉瓦がこのタイプのを作っていたようだ。江州煉瓦のものよりもあからさまに焼損しているというか、溶着した塊がでかい。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ あきら@大阪 [心が疲れて帰ってきた夜にこういう遊具を見ると、様々な思考が脳内駆け巡って腹筋が鍛えられますな。 とりあえず現物を見てみたい。]


2021-03-17 [長年日記] この日を編集

[独言]F先生からへんじをいただく

先生にお手紙を書くと10倍になって返ってくるのです。誠にありがたいことでございます。ということを慣れないipadから書いている。やったTFー101のかわりと思ったらiOS古いのでいろいろ入れられない。ダメじゃん。。。


2021-03-20 [長年日記] この日を編集

いろんなことが起きすぎだ!


2021-03-21 [長年日記] この日を編集

[独言]断念する

iPadはOSのアップデートに上限があって入れられないアプリが多すぎて断念した。iPhoneユーザーだったらシンクして旧バージョン入れられるようだがそうでないので使えない。そもそもあれなのだ、TF-101をここまで使い続けているのはキーボードにタブレットを固定できるので膝の上で入力できるところを気に入っているからなのだ。別添キーボードじゃラップトップ入力ができなくてフラストレーションが溜まるだろう(以前スマホ+Bluetoothキーボードを試してみたことがあるがそのせいで断念をしたのだ)。

あれ、んじゃあ別に泥タブでなくてもいいんじゃね? 薄くて軽いノーパソなら。

文字入力に丁度いいデバイスがほしい。できれば比較的新しいAndroidで。Macはやっぱり囲い込まれている感が強くて息苦しい。Androidも似たようなものだろうけど。

[独言]不思議に思う

いろいろわかったような気がするが、わかればわかるほど熱意が冷める。このわかったことを書いて人に伝えようという気がしなくなる。わたし自身を通して理解したことを私自身の言葉で書けば真理で無くなるに違いなく、書くことの意味が見いだせなくなる。コイツはこんなことを考えたと理解されることにはこれっぽっちも価値がないような気がする。だからといって気づいたことを一人抱え込んでいるのも勿体無いというか気づいたことに申し訳無さを覚える。何も考えずに書き散らすのが常人なんだろうとは思う。常人になりたくないのではない、常人でないからそれができない。

[独言]人を呪わば穴二つ

自分にとってはこの諺がよくあてはまるようだ。人を恨んでもお腹が空くだけなので止したほうがいい。

[独言]次号が苦しい

手持ちのネタが尽きてイマイチなものの寄せ集めになりそうだ。このイマイチというのは自分自身の乗り気というか熱中度というかがイマイチなという意味で。理解もイマイチかな……いろいろと調べ直すところから始めなければならぬ。

いっそのこと止めて煉瓦祭りにしようかな。一昨年暮れからの小さな探索が溜まって消化不良のまま置き去りにされている。しかしてそれもネタが消化不良なのだよ。


2021-03-24 [長年日記] この日を編集

[ph.]金曜ロードショー

画像の説明

2021-03-26 [長年日記] この日を編集

[独言]張さんへの返事 下書き

ご返事ありがとうございます。私の与太話がお役に立てたようでなによりです。

まず最初に、私はあなたの誤解を解かなければなりません。私は先生ではありません! どこかの学問の府に所属しているわけでもなく、ただ煉瓦に(甚大な)興味を持って調べている素人に過ぎません。どうか買い被らないでください。メールに書いたことも100%正しいという保証もありません。

台湾における煉瓦研究のお話は、日本の現状とさして変わらないのだなあと思いながら拝読しました。日本でも煉瓦の研究は始まったばかりで、わからないことのほうが多いです。そもそも、学問のどの分野が取り扱うべき研究対象なのかもはっきりしていません。建築学の研究者は煉瓦で作られた建物には興味をお持ちですが、煉瓦そのものの素性についてはあまり関心をお持ちでない(とはいえ日本で唯一煉瓦製造業の歴史を包括的に明らかにしたのは建築学の先生でした)。考古学者は遺構から見つかった遺物としてその素性に迫ることが■■■、出土したもの限りの調査研究に終わってしまうことが多く、煉瓦製造業の歴史、製造会社の興廃、・・・まで包括的に明らかにしようというところまで行っていないように見受けられます。一番ふさわしいのが産業考古学の領域になるのでしょうが、日本では産業考古学ほど知名度の低い研究領域はありません。

私は素人ですが、研究領域の垣根を越え、煉瓦製造の歴史を広く追究したいと考え、いち学生のつもりで研究を続けています。 遺構で見ることのできる煉瓦について調べるのはもちろん、当時の工学書や雑誌、新聞記事から情報を拾い集め、煉瓦製造史を再構築。 煉瓦製造の技術が日本の中でどのように広まっていったのか、どのような製造会社がありどのような経営をしていたのか、どのように流通していったのか。日本では煉瓦は文明開化の象徴のように捉えられています。明治、大正、昭和初期と、日本が大きく変容していった時期に時代の最先端としてもてはやされていたもの。煉瓦を通して日本の近代を見てみたい。

お尋ねの論文は日本の小さな学術団体の会報に投稿したものです。よく見つけてくださいましたね。しかしかの論文は、いわゆる「Letters」で、こんなことをしてみましたという報告に過ぎません。また、このLettersを投稿してから以降の研究の蓄積のほうが大きく、有益でもあるだろうと思います。恐らく張さんのお眼鏡に適うものではないでしょう。要するに、過去に発行された書籍(例えば『工場通覧』や各府県の統計書など)から煉瓦工場のデータを収集し、どのような工場が存在し、いつからいつまで稼働していたかを明らかにしようと試みたという内容です。それも日本の関西地方(京都、大阪、兵庫、滋賀、奈良、和歌山)に限っての。当時はそういう基本的な情報すらありませんでしたので、無いなら自分で作ってしまえと。その後、同じ手法で日本全国の煉瓦工場のデータを収集し整理しました。その成果物は『関西地方の煉瓦刻印』ページでも公開しています。

長い時間と手間をかけて作ってみたけれども、これが完成品とはとうてい思えません。精度の問題。従業員数n人以上の工場しかピックアップできていない。(nメモ:このへんまで書くとドツボもいいところ)

台湾では台湾煉瓦が寡占的に操業したことと思いますが、日本では(特に関西地方では)いくつかの大規模工場と無数の中小工場が存在し、それらが自社製品であることを示すために刻印を使用しました。しかしどの工場がどんな刻印を用いていたか(台湾煉瓦がTRのような)は記録が残っていることが稀です。新聞広告や工場名鑑に偶然に社章が掲げられているとか、・・・とかでない限り。私は手始めに煉瓦刻印と工場の同定を試みた。明治 年頃に作られた建造物にはその頃操業していた工場の製品が使われているはずなので、工場表でその候補を絞り込み、工場跡地周辺の地域を歩き回ってどのような煉瓦刻印が見られるか確かめ。(nメモ:やめとけやめとけ・・・すでに壷に片足突っ込んでる)

窯変。まことにそう思います。私は時々、煉瓦も陶芸製品と同じくらいに鑑賞に耐えるものだと思っています。日本では手成形で煉瓦を作る時代が長く続きました。煉瓦には作り手の個性が垣間見えることもある(堺煉瓦のマークは煉瓦の隅のほうに押される傾向が強いとか。よく見てみると作業者の指紋がついていたり、掴んだ指の跡が残っていたりもします)。味わい深い作品です。(nメモ:そうかいそうかい。ならもちっと言えるだろ)


ここまで書いてメゲてきた。どう整理したものか。これに台湾伝統の磚の積み方が北海道や青森で見られる積み方に似ていることとかーーー台湾では中に土を詰めるのですね。日本では何も詰めず空気の層を挟むことで断熱効果をあげている。りんご倉庫ーーー言い出したら全然終わらんのよ。


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