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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2017-04-07 思い出せない [長年日記] この日を編集

峠を越えるときに篭だったか馬車だったかがひっくり返って、怒って改修を命じた知事がいたと思うんだけど。むー

思い出した。矢の川峠だ。

かの発電所も仁淀川発電所も高知県営でアールデコチックな垂直志向てふ共通点まであるうえにぶー。安喜水力電気やんけ。旭浄水場とか(旧)西町配水池とかいう混合様式博覧会場があって(この二つは高知市ライン)しかも全部大正末から昭和戦前期にかけての建築物とかゆうことになるとこれはもう踏んだり蹴ったり距ったり蹲ったりである。なんということだ。nagajisの目は例によって節穴だ。設計者は誰ぞな。

エントランスのエンタシス柱に違和感を感じたのは正しい。杉の垂直性に重ねたものかどうかは知らん。朝日山とかどかいなっちゅーか。

竣工は昭和10年9月から11年9月までの間ぶー。S8版で△つき、S10で△取れる。最大出力440kW。安喜水電では最大、県営では3番目にでかい。落差とか鉄管長とかの記録はどこいった。あれは初期の便覧にしか載ってなかったのだっけか、別の欄だったか、どないやねん。なお大阪逓信局管下なので幾ら捜しても見つかるわけがない。ダボが>nagajis

4/7よる追記。やぱスマホの小さな画面だと探す気力が殺がれてだめだ。いろいろ反証もでてくるし。どっとつかれた。

へー。高知電気局庁舎もアールデコってんですか。あのポーチもエンタシスな丸柱なんよね。すごいね。土佐の名建築はよ支払わな。

公務員の世界に首を突っ込んだのは久しぶりだけど相変わらずというか何というか、表からは見えないいろんな気苦労があるみたいで、それはまあ一般企業にもあることだけれども、責任の及ぶ範囲対処せねばならぬ雑務の多さは明らかに違い、その分大変なのだろうと思う。そして一人二人の働きで何とかなるものでもなく、加速的な疲弊を押し留め形勢逆転する妙策もなし。あがいてもどうにもならないとわかっているなかで精一杯働くのはその意気や良しを認識しながらのうちは保つことができたとしてもふとした瞬間に浮かび上がってくる虚無感と断縁することは不可能で気が弱くなっている瞬間に付け込まれ取り込まれてしまう危険性を孕んでいる。足元にいて常に隙を窺っている虚しさと戦っておられるからなのかも知れないと今になって気づく私であった。

立ち位置がビミョーなところにあるので自分がどう動けばよいか測りかねている。応援する物好きの一個人、で納まっときゃいいんだろうがそれで礼節を尽くせるとも思えず。とはいえ礼節は衣食が足りてからのお話だからな。あれ、意味が違うっけ。


2017-04-08 [長年日記] この日を編集

[ph.] 流木

画像の説明

何気なく撮ったこの写真の

画像の説明

この流木。
画像の説明

[ph.] 金曜ロードショウ

画像の説明

自分のなかではこっちなんだなあ>金曜ロードショウ。かといってこの枠に特段の思い入れがあったわけでもないのだけれども。


2017-04-16 [長年日記] この日を編集

[ORJ] 発行しました

一日遅れたお詫びのつもりで中津高架橋の定点観測を突っ込む。今日取ってきたばかりのホヤホヤの現況だよ!と主張するつもりだったがそれもどうかと思い止めた。あとで気がついたのだが昨年もほぼ同じ頃に写真を撮りに行っているのだな。

[奇妙なポテンシャル] 生きている扉

画像の説明

中津高架橋に面する建物。何度も目にしている建物で、この自販機でコーヒーを買ったこともあるような気がするのだが、

画像の説明

自動ドアの前に置かれているとは気がつかなかった。しかもこの扉は生きているらしい。向かって左の隙間の足元が削られ、目の不自由な方向けの誘導ブロックが貼ってある。

この隙間から外に出ろというのは、健常者でも嫌だ。

[煉瓦刻印] 三石窯業・縦

画像の説明

写真を得るためにウロウロしていて発見した。三石耐火の縦書はよく知っているが三石窯業にもあったとは。イリヤマ三のマークと「特等」の文字があるのも示唆深い。なお表面の仕上げは特等と謳う割に粗い。これだったら横書き三石のほうが綺麗だ。


2017-04-17 [長年日記] この日を編集

[奇妙なポテンシャル]

画像の説明

これも中津高架橋のそばで。砂場に設置された看板。これを見て「当たり前だろう」とツッコむか、そうでないか、で人間性が問われるようである。そんな初歩的なことを指摘しなければならないほど人は退化してしまったのか、とか、指摘をしなければ市民に突き上げられる公務員の悲哀がにじみ出ている、あるいは指摘されることを見越して先手を打った過敏性反応、そういったものを連想するのも既に「ありがちな反応」かも知れない。とかくこの世は生きにくくなった。

乳幼児にはちみつを与えて死なせるとか(緻密を与えるのではない)ニラとスイセンを間違えて食中毒を起こすとか、いくら注意したって無くならないことは山ほどある。そういう世の中にあってこの手の注意喚起看板は無力だ。閉め忘れをするような注意力散漫さんがそもそもこの注意書きを読むとは思えない。

そもそもなんで砂場の扉を閉めなきゃいけないのかと思ったら野良犬野良猫が糞をするからなのだった。そんなのまで気にしなければならない世の中もまた生きづらい。綺麗なのに越したことはないだろうが別に砂遊び中に糞を掴んだところで人生終了したりトラウマになったりすることもないだろうに。2、3日はウンコマン呼ばわりされ続ける悲劇はあるにしても、それを乗り越え砂場に潜む危険性を学んできた我々ではないか。

いっそのこと自動ドアにしてみるというのも手かも知れない。西部劇に出てくる飲み屋だとかマクドの厨房とホールの間に設えられているようなスイングドアタイプの扉にすればいい。あれなら余計な費用や維持費をかけずにあとぜきされるし砂場の入り口程度の用途なら必要十分であるだろう。ただし指詰めしないような工夫をしないとまたもや余計な問題が生じ砂場が撤去され公園はただの空隙地と化す未来に繋がってしまう。今ですら遊び道具が少ないのに。

そんな砂場の隣では子供たちがブランコ遊びを楽しんでいた。ブランコからジャンプして最長不倒を競ったり一人が乗ったブランコをもう一人が押して引いて勢いをつけたり(前から押して勢いをつけ最後はそのブランコの下を抜けて脱出する)。砂場の糞を嫌う大人が見たら発狂して叫びだすだろうという至極子供らしい遊び方であり微笑ましく思えたことだった。次に消えるのはたぶんブランコだろう。


2017-04-18 [長年日記] この日を編集

[煉瓦刻印][] 関西地方煉瓦刻印分布 at 2017.4.

onかも知れないがまあいいや。しばらく触ってなかったのでアップデートしてみた。とりあえず目についたのをあげただけなので細々としたのが抜けていると思う。刻印名称が不統一だったり構造物の建造年が書いてなかったり写真がなかったりするのもあるからこれが即役立つわけでもないだろう。あくまで個人の覚え書きだ。

Googleフォトにあげた写真をマイマップに貼り付けることができるようになっていたのは有り難い。過去の写真もちゃんと残ってるんだろうか。600なんじゅうまいも良く撮ったもんだ。

TYKの耐火レンガってどこだっけ・・・中部を作ってた時に見た気がする。東海窯業株式会社?東洋耐火煉瓦?

[煉瓦刻印] (追記)YTK?TYK?耐火煉瓦

画像の説明

貝塚の内陸部の工場跡をほっつき歩いていた時に撮っていたもの。撮影した場所を思い出せず。Tが目立つのでTYKかと思っていたらYがSに置き換わったような配置のマークを昭和耐火工業が使っていた(「耐火物年鑑」S15)。どっちだろうな。。。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ nk73 [TYKは多分 東京窯業株式会社 だと思います。 耐火煉瓦のメーカーです。]

_ nagajis [ツッコミ感謝です。確かにTYK=東京窯業株式会社ですね。 しかし私が見誤っていたところがあって、TYKではなくYTKである可能性がでてきました。同じような並びでYがSになっているマークを昭和耐火工..]

_ 京都歴史研究會・吉平裕美 [初めてのコメントになります。ご無礼をお許しください。鉄道関係が全く不勉強です。この度、ご教示頂きたくお願い申し上げます。旧東海道本線・山科駅付近の遺構と思われる鉄塊が見つかりましたが、何か分かりま..]


2017-04-19 [長年日記] この日を編集

[独言] いつまでも

Googleマップがトップにあると重くてかなわん。


2017-04-20 [長年日記] この日を編集

[ph.] 祖谷

画像の説明

4回の春合宿で祖谷の辺りを走っているのだけど記憶にねえなあ、と思ったら祖谷渓のほうだったんだな。小便小僧は覚えている。

吉野の山の深さと祖谷の山深さは似ていると思ったが、どこがどう似ているのか的確に言い表せない。山塊の中腹に集落がへばりついているところなどはよく似ている。山の立ち上がりの鋭さも似ている。違いは……見通しの良さだろうか? 大歩危小歩危の辺りは谷を通して眺望することができるが吉野の川べりでそのような見通しは得られない。山のたわみの向こうに奥山の影が霞んで見えることも稀か。途方もない山がひとつ見え、それが全視界を塞いでいる。高みに登れば見通せないわけじゃないけれども、見えたその山もまた大山塊で途方に暮れる。

四国は山の懐が広いんだ。山は高いがその分谷が開けていて幾許かの開放感がある。吉野は山が空を覆っている感じ。気を確かに持っていないと山に圧し潰されそうになる。あるいはおのれの小ささを認めてそういう者として立ち振る舞わないといけない。

[独言] そうそう

そうやって誰からも構ってもらえないことを確認してみるところから始めるといいぞ>nagajis。

規則通りのパスワードだとnegられたのでリセット。次回ログインする時また忘れていそうな気がする。

[橋梁] 増田淳設計図がない

むかし公開されていたのが見つからない。公開期間が終わったんだろうか。しかしその代わり図面資料は詳細に分析されていて設計図の特徴とか美しさとか解説されてあった。そういう専門的な解説がなによりありがたい。

十三大橋のグリルはやっぱり設計図の頃からあったんだなあ。門構のパネルもそうだそうだ。 画像の説明

増田淳設計の橋はどれも美しい。橋が美しいだなんて考えたことがなかった私が見ても美しいと思える。不思議な魅力がある。意匠の美、構造の美、力強さの美、大きさの美、いくつかを備えている橋はあっても「全て」兼ね備えた橋は少ない。増田淳の橋は非の打ち所がない。

で、そう思うのはたぶん、増田淳設計の橋だからといって贔屓してそう思っているわけでもないらしい。じゃあ具体的にどこが美しいのかって、指摘できたら苦労はしないなあ。

場にそぐう橋だということなんだろうか。十三大橋がトラス桁だったりゲルバー桁だったりしたらやっぱりふさわしくない気がする。住む人の気質とか空気感とかと合ってる感じ。あそこには丸いブレースドリブアーチだから合うんだろう。三好橋だってただのトラスの吊橋だったら相応しくなかったんでないか。ゲルバートラスをひっくり返したような曲線をはらんだトラスだから自然の中で違和感がないに違いない。


2017-04-21 [長年日記] この日を編集

[独言] こないだまで

こないだまで動いていたのが動かなくなるんは祖谷やな。

いや、動いてたんだ。。。grepする先がおかしかっただけ。

久しぶりにtarとか使った。升谷さんが分水嶺辞典を公開してくださった時にtar.gzでデータを渡してたがその頃以来なんじゃなかろうか。zipでも出来んことはないのだろうが懐かしかったのでつい。


2017-04-24 [長年日記] この日を編集

[きたく] 江戸ッ子煮

画像の説明

帰宅ののちザックを片付けていたら江戸ッ子煮が入っていた。しかも二つだ。

購った覚えのない江戸ッ子煮が存在する、という事象はこれまで何度も体験した。飢えに苦しんでいた時、そうでない時、あれやこれやで忙殺されている時、いつのまにか江戸ッ子煮が身の回りに在る。実に不思議な現象である。

これはきっと、江戸ッ子煮の神様が与え給うた試練福音に違いない。心して頂こうと思う。

江戸ッ子煮、温めるとなかなかイケる味なのである。特に昆布。

[独言] うーん

動画はやっぱり不便だ。だいいち自分が見れないじゃないか。まともに。

[ph.] いまいち

画像の説明変な感じにはなった。

[独言] 焼きそばを焼くのが上手くなった

最近焼きそばを焼くのが上手くなり、調子に乗って焼きそばばかり食べている。

子どもの頃から焼きそばは作っていて、例えばCO-OPの乾麺タイプのやつだとかソースつき3袋128円のだとかをおやつ代わりに食っていた記憶がある。下宿し始めてからも結構な頻度で作っていた。安いからな。でも自分で作ると必ずといっていいほどの頻度で麺がフライパンに張り付いてしまう。それをバリバリ剥がしなら炒めようとするものだから、焦げるわ千切れるわ団子になるわで大変なことになる。世の焼きそばがあんなきれいに仕上がっていることが信じられず、作り方欄に記されてはいない秘伝の製法があって世の素人共を貶めるために口外無用になっているに違いないと思っていたほどだった。

バリバリ張り付くのがあんまりにも嫌になって、学生時代の後半くらいにはほとんど作らなくなった。専らUFOか一平ちゃんで満足していた。それが最近、スーパーでふと3玉98円の麺を買ってしまい、作ってみたところ、全く張り付かせずに炒めることができ、しかも再現性をもって実行できるようになった。コツを会得することができたのだった。

要するにフライパンの予熱が甘かったのだ、昔は。油を入れ、これでもかというくらいに加熱せねばならぬ。煙が出るまで熱しなければならぬ。そうしておいて油を回してよく馴染ませてから麺を放り込めばよい。ただそれだけのことだ。

考えてみれば自炊を始めてこのかたテフロン加工のフライパンばかり使ってきた。あまり熱するとテフロンが溶けてしまうのではないかという恐怖があった。フライパンを加熱することに対して臆病になっていた。実際のところはどうなんだろう。油が気化し始める程度の温度でテフロンが溶けてしまうようならどんな料理にも使えないのではないか。その心配をするよりも麺をこびりつかせガリガリ剥がすような使い方のほうがテフロンの傷みを加速するのではないか。無駄に傷めていたのではないか。

麺を放り込んだらひたすらかき混ぜてほぐす。これは麺を均等に炒めるためであってかき混ぜずに放置しておいても張り付くことはない。水を匙一杯入れる必要もない。そのうち火が通ってほぐれてくるので。ただし3袋パックになったやつは麺が柔らかいせいかほぐしているうちに千切れてしまいがちだ。これは大人しく水を差してやったほうがいいのかも知れぬ。1玉売りの麺は予熱さえしっかりしていればどんなに適当に作っても張り付くことはないーーー焼きそば用のでも中華麺でも、どちらでも。

といったようなことを嬉々として書いているのは、そのコツを誰に教わるでもなく書物で学ぶでもなく体得で会得したことが嬉しいからである。世間では当の然として常識であるだろうことであっても、それと無縁の我空間で、自分の力で到達することのできた真理であるからである。40数年生きてきて体得した数少ない真理の一つだからである。「ソースは俺」と言えることを一つ見つけ得たのである。

たかが焼きそばに、と笑いたければ笑うといい。私は焼きそばが上手く炒められるようになったことに満足している。その事実があるだけでよい。

ソースはオタフクとオリバーを試してみたが後者のほうが口に合うようだ。オタフクのはちょっと辛く感じる。お好み焼きソースはこれしか考えられないという位に口に合うのにな(だからそれで焼きそばを作ることもある)。ついでに高知で買ってきた甘い刺し身じょうゆを隠し味的に入れると効果的であることも発見した。最初に甘しょうゆで焦がしておいてソースを絡めるような塩梅だ。その麺とは別のタイミングで野菜と肉を炒め、味付けして麺と合わせる。麺と野菜が分離しがちだが私は別段困らない。そのほうが野菜と麺とを好みのタイミングで食えるしな。

[独言] 牛抱坂

恐ろしく急なつづら折れなのは、超のつく古い道であるからだろうか。廃止されたあとも杣道として使う人があったのは確かだし、そのお陰で道形が鮮明に保たれていたのだろうと思う。杣使いで線形がああなったのではあるまい。1300年の昔から前鬼の住人+アルファが細々と踏みしだいて繋いできた線形がああなのだ。足腰の強靭な吉野の人々の中でもとびきり強靭な一握りが使い込んだ道。だから水平よりも垂直に志向がある上にやたらと長い。

間に挟まっていた長めのスパンは歩きながら休む用だろうか。前後の線形と地形からすればあそこも直登気味つづら折れで構わない筈だがさすがに体が持たないというか休みたくなるのも自明というか。そうしてあの休み尾根について、そこからさらに300登らねばならない。私にはとうてい無理な話である。

昔の人の体力や脚力もまた道の成因に絡んでいるのだと改めて認識させられたひととき。勉強になった。

上北山村から尾鷲に越えていくあの峠なんかどうなんだろうな。あれも一度歩いてみたいものだ。


2017-04-25 [長年日記] この日を編集

[煉瓦刻印][煉瓦] NKC中西金属工業本社工場(元天満紡績)

画像の説明

環状線外回り天満駅付近の車窓から見える煉瓦造りの工場=FM大阪土曜午前のCMで耳にしていたNKC中西金属工業だと知ったのはつい最近のことだ。確かこの建屋は大阪府の近代化遺産総合調査で二次調査対象になってた筈。詳しく見ていないのであらゆることがうろ覚えのまま訪問した。

画像の説明

車窓から見える建物の工場敷地側の側面が面白い。以前はこの壁に三角屋根の三棟が接していたようだ。それを取り壊して蓋をしたようにも見えるが、煉瓦の積み方から察するに現存棟のほうを後から付け足したらしい。壁に欠円アーチが埋まっていて、その周辺と柱壁?、妻壁の三角の煉瓦の色が一緒だ。アーチ下は別の煉瓦で蓋をしている。んでその上の現存棟の二階の煉瓦の色もちがう。ハナから一建立ならアーチ下の以外は全部一緒なんじゃなかろうか。埋め込まれた御影石や通気口らしき円形穴も作り付けた順序があるらしい。写真を見ながら考えているといい暇つぶしになる。

画像の説明

環状線側の壁の帯石の裏側に堺煉瓦の刻印を見つけた。複数個あったのでどれも堺煉瓦製のようだ。ズーム不足で写せなかったが中にカナが入っている模様で、となると先の壁の焼き色の甘いやつはそれより古い煉瓦らしいってなことになる。

東側に工場敷地に沿う小路があって、入っていけばその面の壁を見ることができる。が、結構大変なことになってる。レンズの歪みではなく実際にこの程度歪んでいるのだ。鉄骨でつっかえをしたくなるのも道理だし、埋め込まれたモルタルに苦心の跡が垣間見えて興味深かった。

あれ、ホームページには大正13年創業ってあるな。堺煉瓦の存在と矛盾する。

なるほど、明治19年創業の天満紡績の建物を流用と。下半はどこの煉瓦だろう。

[橋梁] 鷹部屋福平「橋の美学」(アルス文化叢書17)より

 真の均斉の美は、橋梁の何れの部分もが、力学上の理論に従って無駄に遊んでいるところがなく、よく各部分が緊張して働いているように設計せられていることから生ずる。
 橋梁の真の美は、単なる装飾のみによって得られないと同時に、美学上の法則を無視しては得られない。その重心の位置による美、曲線と直線との調和及び比例の美、量の美、面の美、容積の美、内容表現の美、意匠様式手法の美、即ち審美的要素の完全を意味するものである。

(p.52)

 一つの橋梁が単独に美を体現することは、美の全部を示すものではない。それは、その橋梁の美の半面を示すに過ぎないもので、重要なる他の半面、即ち環境との調和の美を忘れてはならない。(p.52)

3径間の吊橋のスパン比が1:2のものが美しいようだとして

橋を真横から見る機会はほとんどない。橋の用途から直角方向だし。船から見るのは橋の用途と重ならない。

「 これを要するに、ゴールド・セクションにあれ、フィブナロッチ級数にあれ、ダイナミック・シンメトリーにあれ、人工の線の美しさに就ては簡単にこれを言い切ることは出来ぬが、併しまた審美的な趣味の修養を積んだ人々にあっては、特定の物体に対してその修養と練習とによって或る長さの比例というものが、誤りなき美しさを与える。」(p.61)

ここはちょっと意味が汲みにくい。審美眼のある人ならゴールドセクションとかフィボナッチ数例とかダイナミックシンメトリーとかの特定の数値比の美しさがわかるということ?そうじゃないよな。

 審美的要素の中ではシンメトリーとバランスが大きな役割を果たす。厳粛さ荘重さはシンメトリーの美から生まれ、ゆとりのある美しさはシンメトリーを破った=バランスのとれた美しさから得られるようだ、と鷹部屋はいう。シンメトリーの美=寺社仏閣。バランスの美=茶室造り。

「 自然に生えた竹は、竹のとるべき自然のバランスの形を常にとって、雪が積もれば雪の積もるがままに枝を垂れてバランスを保ち、精細に眺むれば陽光があたって溶けて行く雪の変化に従って自分がとるべきバランスの総ての姿勢を忠実に守って行くのである。
 風に動く竹の姿も雨に濡れた竹の姿も一つとしてバランスでないものはない。
 バランスの美は自然法則の自然的な表現であって、人工の美はよろしくこの法則に違反せざるよう、自然を正直に克明に模倣すべきである。」
(以上p.61-62)

自然の理にかなった構造だから美しく感じるのか。奇抜なものはあくまでも奇抜で美しくはないかも知れぬ。

(「変化のみ多くしてそこに統一がなければ乱雑に流れ易い。故にバラエチー〔Variety〕の中には、ユニチー〔Unity〕あって初めて美しさが出てくる。」(p.62)

Unity:〔意見や利害などの〕調和・一致、〔目的や行動の〕一貫性、不変性

「即ち、同じもののみを単に数多く並べることによっては単調を生ずるに過ぎないが、曲線の大きさを変化せしめ、曲線の方向を相互相反せしめ、或は、その位置を適当に変ずることによって美を生ずる。」

同一形状のアーチの連続ではなく、例えば駒形橋のような。あるいは天満橋のような。かな。

陰陽・明暗・濃淡・大小長短・高低、といった正反対のもの(二元性)に美がある。またその二元の中間に位置して両者の連絡をとる第三元がある。天道・地道・人道の三才。「橋梁トラスにおける上下弦材の間には、垂直材があり、斜材がある。(p.63)

直線と曲線。

混合線は、強き感じを与える直線と、弱き感じを与える曲線とを併用したものであって、美を与えるものも実にこの混合線に多い。
直線は無限の延長に於てもその方向不変なるものであって、そこに直線の力づよさと神秘的な何かがある。
平行線は無限にこれを延長しても相交らざるところに美しさと力をもっている。
地球引力に並行するところの垂直線の感じは強いが、水平線はこれに比較して弱いものである。円はそれ程美しい線ではないが、便利な曲線である。真に美しい曲線は円以外のカーブにある。

安定の美、軽快の美。

「不安を与える構造物から美を感ずることは出来ない。構造物に備わる安定感は構造物の美の要素である。  この意味に於て、バランスがとれていると云うことと、スタビリチーがよいということとの間には差異があると考えられる。」(p.65)

軽快な橋に美を感じることも数々ある。吊橋に多い。軽快、というものの説明は若干不足気味。

量の美・材料の美。フォースブリッジが男性的な重厚の美を与えるのはそれが巨大であるから。ピラミッドのようなマッシブな迫力。またその素材が鋼構造であるがゆえに構造の美・構造の力を感じさせる。ピラミッドが鉄板張り松板張りであったら構造美を感じないだろう。(p.69)

橋梁の美的要素。

「併し、橋梁美の美的要素として最も影響の多いのは周囲との一致、環境への適合性であろう。」(p.85)

都市の橋梁にアーチ系を選ぶか吊橋にするか、カンチレバー・バランスドアーチにするか。コンクリートかメタリックか。橋単体で見た時にライズが高過ぎるように見えても周囲の地形との調和で美しく見え得る。

各部が緊張して働いている構造の美、2回め。@p.87

結語を読めば済む話だったか…。ま、いーや。

要するに橋の場合は一般的に美と言えるものに加えて力学上の合理的構成の美・環境との調和の美しさが肝要となる。変化と統一の美しさも考慮せねばならぬ(基本的に繰り返し構造だから単に繰り返しただけでば美しくない)。

はしがきに「1本の部材もそれが遊んで居ることは許されないし、1本の鋲も構造力学的な計算から割り出されて居ないものはない。」とある。緻密な計算と力学上の要請に則った=力学という自然現象の体現であるからこそ橋は美しいという主張。


2017-04-26 [長年日記] この日を編集

[] 鷹部屋福平「橋の美学」

改めてしっかり読んでみると、力学的な美と環境調和の美が橋の美のキモなのだと言いたいのだということがわかった。すでに言い古されていることだし昭和17年以前からもそう言われていたことだから特に目新しい感じはない。逆にそういう思想がこの頃定着してたということであって、それがわかったので満足した。

それよりも細部のことばが勉強になった。水平が弱く垂直が強い。ゴシックがゴシックたり得る理由があるわけだ。橋は基本的に水平だからそのままでは弱い。その弱さを補うために垂直を入れてもよし、弱さを繊細に転じて景観に溶け込ませるのもよし。三好橋には力強さではなく繊細さが優先されているようだ。

[] 屋名池誠著「横書き登場-日本語表記の近代-」

縦書メインの日本語にどうして横書きが現れたのか。右から左に向かって書く右書きとその逆の左書きとが存在するのはなぜか。そのへんを文献資料から丁寧に読み解いていく。

帯に「・右横書きとは、1行1字の縦書にすぎない(略)これらはいずれも正確なものではない」とあったのに刺激されて読み始めたのだが、右横書きが1行1字の縦書きとして始まったことは確かなようで、ただし「に過ぎない」わけではなく、そこが正確でないのだと知り、ちょっとほっとした。扁額のことで何度そう書いたかわからんからな。

p.22で要約されているように「横書きは---右横書きも、左横書きも---横書きする外国語の文字との関わりから生じたもの」であった。そうだろうとうすうす感じていたことだけれども種々証拠をあげて解説してくられているので説得力がある。幕末の異国趣味の文脈のなかで横書きが流行し一般庶民の間に広まっていったこと。医学書や理工学書の翻訳で英字と日本語を併記するようになり左横書きが生まれたこと。それが縦書の右から左に読む流れと反するので、一般庶民向けにはわざわざ右から左に書いたこと(切符とか紙幣とか)。後半はちと読み急いでしまったので頭に入ってない。どうして左書きが優勢になったのかはそのへんに書かれてあった。

縦書本文に横書きを交えること。ORJを作っていてキャプションの扱いに悩んだ時期があったことを思い出した。本文が縦書ならキャプションも縦書に揃えるべきかも知れないが、写真は横イチが多いから、そこに縦書を添えるとさらに横長くなってしまい体裁が悪い。本文縦書とキャプションの縦書が重なることにも違和感があった。フォントを変えたりQ数下げたりしてもやっぱり縦つながりが並ぶのは違和感がある。結局、文と写真+キャプションは別のもの扱いのつもりで横書きに統一した。だいいちキャプで長々書いたってしゃあないのだ。

画像の説明関連して思い出すのは「道路の改良」の古い号(写真は大正12年12月号)。本文縦書で写真キャプションは右横書きだ。安倍川橋架橋の記事に関東大震災の被害を伝える写真を挿し込んだもので、実は本文とは全く関係ない。初めて見た時には違和感バリバリだったけれども、縦書きの行移りの方向に合わせているのだとか、記事とは関係のない写真+キャプションなのだとか、雑誌の性格だとかを考えれば納得がいく。縦書きに左横書きを併用するスタイルは大正時代に生まれたものだそうで(それ以前は縦書きと右横書きの併用オンリー)、この例は置いて行かれようとする古いスタイルの残滓であったようだ。んで大正15-昭和11年ころは両者が混じって使われた混迷期に当たるという。同じ雑誌の中でも縦+右と縦+左が混在していた。「道路の改良」該当号では横書きはすべて右横書きだ。
画像の説明

[橋梁] 浜田青陵著『橋と塔』(岩波書店 大正15年)

土木学会図書館のデジタルアーカイブでもう一つ見つけた。

 鉄橋の発生は同時に橋梁の形式に一大変化を与えた。かの鉄造の構桁橋に見るが如き、複雑なる曲線と直線との結合になる一種の骸骨は、我々が従来未だ曾て想像しなかった、非常の重力に堪ふるものとなり、一見繊弱な感を与える外観と其の実際の性質とは全く矛盾するものとなった。鉄橋に対する審[ToDo][ph]美上の批評は主として此の方面の幻覚から起ったのであるが、我々は今や百年に近い経験からして、漸次此の矛盾の感から脱却して、一の新しい橋梁の形式を、其れ自身の成敗から批評し得るようになったと云うことが出来る。
 私自身は或る種の鉄造構桁橋や吊橋に於いて、新しい橋梁の美観を感得し、其の曲線と直線との結合の間に一種の「リズム」を発見し得ると信ずる。堅実重厚なる石造の拱橋などに於いて、若しも男性的の美を認めることが出来るならば軽快奔放なる鉄造橋に於いて女性的の美が現れ得るのである。彼を以て地上の美と賛するならば、是は或は空中の美と称するに足るかも知れない。又かの巴里のエッフェル塔(The Eiffel)に於いて、レナック(Reinach)氏が新しい「ゴシック」建築の精神を認めることが出来ると云った如く、私は鉄橋に於いて新しい「ゴシック」式の橋を見、或は第二十世紀に於いて完成せらるべき鉄材建築の新様式の美が此処にも其の一部を現していると云い得ると思う。(pp.52-54)

この時代にはまだ鉄の橋は華奢なものという印象があった。前段で石造・煉瓦造の拱橋を述べているから、その力強さに比すれば確かに「骸骨」と見得たかも知れぬ。

この次の節では景観との調和を説いている。著者にとってはそれが最大の審美点であったようだ。加えて河川路上での橋の調和も要[ToDo]とした。隅田川なら隅田川で、ある程度の統一感を守りつつ個々橋には変化を加えて架するのが良いと。ある橋の不調和で他の橋の価値を貶めるようことがあってはならないとも。隅田川の復興橋梁はその形式を統一するか否かで学会誌上でも論争になった。結局は鋼製という点のみ共通で形式は種々様々な橋が架けられる。その是非は築90年以上も現役で使われていることが答えを出しているだろう。大川の橋もよく持ってはいるが満身創痍だしなー。

我々の最も恐るる橋は、所謂「科学的の遊戯」によって作られた橋と、費用を節約した安物の橋である。」(p.59)

[独言] 美ってなんだ

高部屋は「均斉あるものの知覚によって生じる快感」と書いている。確かにそういうものかも知れぬが、対象に均斉を感じること、均斉と感じる形状?素性?は人間の勝手な判断に因るものでありはしないかと思ったりもする。黄金比が美しいのではなくて人間の身体が黄金比に近いから、人間が人間の身体を好ましく思うから美と感じているだけかも知らん。浜田も男性的な美、女性的な美という言葉を使った。

もし1:2:3の直方体の無機生命体がいたとしたら、その生命体にとっての美は1:2:3かそれに類似の四角であるかも知れぬ。不定形生物バチルスにはぐにゃぐにゃした渾沌が美かも知れぬ。自然の中に黄金比を見出しフィボナッチ数列を見出したとしてもその調和を調和と思わないかも知れぬ。自然と人間の身体に共通点があると発見した辺りからギリシア文明の美学が始まったのではなかったっけか。

力学的な美はちょっと毛色が違うかな。万物にあてはまる(あてはめることができる)法則なのだから万物に斉しく秩序を与える。雪にしなる竹は力学法則に従っているから美しいという。その視点には人間は介在しない。かといって竹にとっちゃ美でもなんでもないだろうけど。人間が勝手に美しい好ましいと思っているだけで。人間が快に思うことと不快に思うことの線引きだって人それぞれだ。最小の公約数を有難がっているばかり。疑おうと思えばいくらでも疑えそうで、しかし芯柱としての美はやっぱり普遍であり続けるのだった。


2017-04-27 [長年日記] この日を編集

[独言] くそう

旧橋の原稿を書き始めていたのに固まって再起動を余儀なくされた。鞍馬寺を嗤った罰であろうか。

[煉瓦展] くそう0

ボトルシップ展示じゃあ机がいるだろうが。何も全部持っていかなくても。

以上2件の腹いせに下記を書く。

[橋梁] 堀威夫「欧米の橋梁を見て」(『土木建築工事画報』第23巻第7号(昭和12年7月))

昭和11年に行なった8ヶ月におよぶ欧米視察の結果を日本土木学会第75回講演会で発表したもの。

パリ。セーヌ川の橋梁は古い形式のものが多く、自分たち近代の橋梁技術者の参考になるものはなかったけれども、重厚な石アーチ、過度にも見える装飾がいかにも環境に合致していて相応しく感じた。それが地方的な特色。川と橋と街との総合的の美観を問題にしなければならないと痛切に感じ、もし掛け替えるなら、橋が実用的な構造物である以上、古い物の持っている欠点を取り除き、近代の合理的取扱の元にこの街の風格に調和した橋を架けねばならないと。

イギリスの橋は「まだ少し洗練さが足りない様に見受け」られた。1932年にでき、地元技術者が自慢したランベス橋も「垢抜けのした感じは得られなかった」。1928年竣工のジョージ五世橋、鉄筋コンクリートの連続桁橋も、架構に苦心の跡が見られたけれども外観からは「全く不格好な石のアーチという感じしか受けなかった」。曲線は美しいという、迷信的な概念に捉われた古い昔の臭みが謂われなく主張されているのではないか、という風を英国ではどこでも受けた。

ドイツ、アメリカでは目を見晴らされるものに出会った。「”簡単”にものを取扱って行く、殊に力の働く工合を構造の上にはっきり現わすように努めている」ようだった。構造を非常に簡明にして合理的に取扱っていく。アーリントンメモリアル橋などはダブルリーフのバスキュールスパンがアプローチのコンクリートアーチのスパンと似せて作られていて、しかも不愉快な印象を与えないことに感心した。

そこで私は最後の結論と致しまして、最近に於ける欧米の橋梁に現れて居る傾向、古い物の残り滓ではなく、新しく之から発展して行こうという風な性質を一言にして申しますと、非常に洗練された単純さというものを覘(ねら)って居るのではないかと思われたのであります。此の事柄は橋梁の形態の取扱のみならず、近頃色々の方面、建築は勿論でありますが、他の色々のデザインの方面に向っても同じ事柄が割合に広く主張されて居るように思われるのであります。橋梁は勿論実用的の構造物であります。其の生命とするところは之に要求されて居る機能を満足に発揮しなければならぬ、そして之を最も明快にして適切な形態で以て、而も最も経済的に之を処理しなければならぬということが最も肝腎な態度ではなかろうかと考えて居るのでありますが、其の明快にして適切な形態とう事柄を言葉を換えて申せば、合理的に取扱われ、或は合目的々に取扱うということになって現れては参りますが、そういう事柄も要は非常に洗練された単純さを覘って居るところにあるのではないかと思うのであります。橋梁の美観と申しますと少し大袈裟でありますが、よく問題になるのが外観であります。英国で見たように古い概念に捉われて構造物の性質を偽る或は隠すというようなことは間違であって、どうしても合理的な形が或る与えられた条件から創造せられるという時に、昔から有り来りの概念に依って創造すべき形を真似なければならぬという風なことは、最早今日真面目な意味に於て橋梁としての美観が云々せられるときには、当然そういう概念は退却しなあければならぬということになるのではないかと思うのであります。勿論美観と申しますと人々に依って結論が違って来るのでありますが、合理的なものを真面目に整然と整頓して行こうというところから茲に新しい美が創造せられるというふうに考えて行きたいと思うのであります。英国では先程申上げましたように、折角技術の発展から創作的な所をやらなければならぬという場合に於いても古い概念に依って引込み思案になって居るという感じを深く感ぜさせられる実例に遭遇したのでありますが、今日の独逸或は亜米利加の一部に於ては全然そういうことなしに、全く明快適切に構造物の持って居る性質を少しも偽らず隠さずに、気持好く整頓して行くというような傾向が多分に見受けられたのであります。此の洗練された単純さという言葉をもう少し説明させて戴きたいのでありますが、私勝手の意見でありますが、洗練と申しますと、必要のエッセンスが非常に巧妙なる整頓に置かれて居る、一つの構造系に向ってどこかに重心がある、重心が失われていない、そして整然たる調和統制のあることである。之を私は洗練と考えて居るのであります。そうすれば自ら其の構造物には一貫した或る品格が出て来るのではないかと考えるのであります。此の一貫した一つの品格というものが真面目な意味に於て本当の実用的な橋梁という構造物に対する美観ではなかろうかと思うのであります。そういう風に考えて居る私の目にドイツのアウトバーンなどに使われて居りましたああいう橋を見た時に実に心嬉しく感ぜられたのであります。此の洗練された単純さというものは決して橋梁の形を取扱うということばかりでなしに、色々ものの取扱方或は考え方に於て肝腎な主張ではないかと考えて居ります。之は昔から主張されて来たような法則的、形式的な考えではなく、あらゆる方面に向っても最も適切な本当に生きた主張ではないかと思うのであります。

ここでも力学的な均整的な話が出てくる。加えてシンプルであることと、構造・素材のあるべき姿?との一致と。単純・明快・軽快が最先端の橋梁の美と。

都市計画事業橋梁でも堀はその方向を向いていたらしい。大江橋とか土佐堀橋とかどう見てたんだろうなぁ。難波橋が先にあったこととか周辺建物との調和を優先したんだろうか。しかしそうした周辺建物は次々となくなって単明軽な現代建築に囲まれるようになり、かえって浮いた存在になりつつある(完全に浮ききってないとことろが非凡かも知れぬ。難波橋はいろいろと問題噴出したので及第点すら覚束ない)。天満橋の直線形であったり天神橋の軽快な鉄骨アーチのほうがかえって似つかわしい都市になっている。結果的には堀に先見の明があったといえそうな気がする。それとも都市がこれほど急激に変化するのだと見抜けというほうが酷だろうか。

[独言] 堀アングル

画像の説明久しぶりに堀威夫「世界の橋」を見て、やっぱりシビれるなと再確認。こういう写真を撮りたいもんだ。


2017-04-28 [長年日記] この日を編集

[煉瓦刻印] □×

やっとコピーが発掘できた…出典は「日本煉瓦史の研究」p.71。

山陽煉瓦では創立者の前谷茂久が修行をした、大阪の岸和田煉瓦綿業株式会社(後述)納入用煉瓦に図3-41の刻印を昭和17年から20年の期間押した。

この情報自体の出典は不明。聞き取り調査かな。山陽煉瓦と岸煉の関係は「赤レンガ物語」にも書いてあったような気がする(超うろ覚え)。

[独言] おめ

おめ。語るにやあらんの語るにやとカタロニアって似てる。

[独言] 技人一如

もともど土木科出身で意匠には詳しくなかった。橋専門でもなかった。それが福留並喜に引っ張られて大阪市の橋梁課に。はじめに建築のナントカ氏と組んで、その後?元良勲と組むようになって。欧米視察はその後。だからごてごてしい装飾よりも構造美に惹かれたところがあると思う。エンジニアとえーっとなんとかいうアーキテクチャだったっけとの協同というのも自分の体験を下敷きにしている。

監修した武田五一が都計橋梁の設計者として出てくることが多いけど橋の設計もやった。堂島大橋とか天神橋とか。秘密裏に大江橋をメタルで設計してみたりもしている。

重心のある橋をよしとした。重心。力学的質量的な重心でもあるが少し違う印象。求心力を発する何か、古い街並みのなかにある真っ白な白壁土蔵が風景を引き締めているような、祭りで賑わう境内のうちで「ここを見よ」というもの。そんな感じ。

堂島大橋は面白い設計だけれども橋全体の印象はぼんやりとしている。ここぞという重心が頭に浮かばない。天神橋は変断面の五連アーチがとても美しい。中之島の剣先のほうから見ても、橋のたもとから見通しても違和感がない。とくに後者の、浅いライズの大スパンの飛ぶ姿は素晴らしく洗練されていると感じる。この大スパンにも全体にも重心がある。後年つけられたスロープがとても邪魔。機能としては便利なんだけどな。

堀式突桁橋も単純な作りながら構造美がある。軽く反った吊り桁も橋台の突き桁も単純化すればもっとシンプルにできたはずだがああしているからホウと感じるものに仕上がっているように思う。直線直角だけでできていたら特になんとも思わなかったんじゃないか。

増田の橋はまったくもって隙がない。十三大橋はどこから見ても見栄えがする。歩道を歩きながら車道を見ても、車道から外を眺めても、橋たもとからも、離れて見てもよい。はしたもと脇から見た時のコロンコロンとした躍動感と橋上から見上げたアーチの力強さと護られているのだという安心感。違うものを見てるかのようだ。ひたすら重厚、どこから見ても重く感じる永代橋とは違う。旭川橋とか渡ってみたいと感じる。

全部が全部よいわけでもない。熊野大橋はどちらかというと平凡な感じがした。どこにでもありそうな橋という印象。チラ見だからアレかも知れんが。

あーどんどん脇にそれる。それそれ。


2017-04-29 [長年日記] この日を編集

[由良要塞] 友ヶ島第4砲台弾廠

M34 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C02030463500?IS_KIND=MetaSummary&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InD&IS_KEY_S1=%E5%8F%8B%E5%B3%B6&

補助建物

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C02030464900?IS_KIND=MetaSummary&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InD&IS_KEY_S1=%E5%8F%8B%E5%B3%B6&

第一砲台司令部増築

M27着 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03023045200?IS_KIND=MetaSummary&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InD&IS_KEY_S1=%E5%8F%8B%E5%B3%B6&

M30 既設本庫湿気甚キ 第三、第四砲台内に火薬庫→小佐毘に移設

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03023079800?IS_KIND=MetaSummary&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InD&IS_KEY_S1=%E5%8F%8B%E5%B3%B6&

M24 工兵局第2方面より友島第4砲台脚壁変換の件 掩蔽部脚壁を第三砲台と同様に減じる

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C07050369800?IS_KIND=detail&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InD&IS_KEY_S1=%E5%8F%8B%E5%B3%B6&

M37 第三第四砲台内に火薬本庫、平時は小佐毘に置く計画→場所ねえ→第五砲台後方谷地に火薬本庫 伺

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C10071310200?IS_KIND=detail&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InD&IS_KEY_S1=%E5%8F%8B%E5%B3%B6&

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03023129700?IS_KIND=MetaSummary&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InD&IS_KEY_S1=%E5%8F%8B%E5%B3%B6&

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C07050553400?IS_KIND=MetaSummary&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InD&IS_KEY_S1=%E5%8F%8B%E5%B3%B6&

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C07050584200?IS_KIND=MetaSummary&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InD&IS_KEY_S1=%E5%8F%8B%E5%B3%B6&

[煉瓦刻印] カナ入五本線

画像の説明

ようやく尻尾を掴まえた。認識を新たにせざるを得ない発見、になるといいな。


2017-04-30 [長年日記] この日を編集

[橋梁] 天満橋

画像の説明画像の説明画像の説明

天満橋は斜め上から見ると様になるようだ。両サイドの桁が水平に見えないくらいの斜めが良い。


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