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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2019-11-04 [長年日記] この日を編集

[キノコ] キノコ

画像の説明

パワーアップしそう。ちょっとだけ。

[煉瓦展] 煉瓦のない生活

展示用煉瓦の搬出を終えた。部屋の占有率・占有密度が激減したが片付いたようには見えない。なぜだろう。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ あきら@大阪 [「ちょっとだけ」が心の何かに触れたw パワーアップするのも難しい歳だからなあ。 夏前に心の臓器でえらい診断もらって、パワーアップというか似た様な(?)目的で目下筋トレ&減量、肺活量上げてる..]

_ nagajis [そういう時こそベニテングタケを!(酷]


2019-11-10 [長年日記] この日を編集

[煉瓦展] 修了

画像の説明

寺田先生の随筆に「厄年とetc.」というのがある。厄年の坂を越え切った時に我が身の来し方を振り返って書いたもの。厄年という迷信が存在する理由を科学的確率的に考察し始めたのが、徐々に幻想的感覚的になっていき、しまいにまこと人臭い泣きつきのような結びになってしまうのが好きである。

自分の来し方を振り返って、率直に、正直に、成してきたこと得たと思っていることを点検してみると、本当に自分自身の力だけで達成したことなんてごくわずかだとわかる。否、わかってしまう。煉瓦も然り。表面上は一人で勝手にやってきたつもりでいても、先人の研究成果があってこそ取っ掛かることができたのだし、やらねばならなかった手間を省けて、その浮いた労力で他のことをできた。今回の展示だって皆さんが煉瓦を運んでくださらなければ陽の目を見ることはなかった。そういう他人の御蔭を寺田センセは「負債」と表現している。別に悪い意味ではなくいつかどこかへ償還しなければならぬものであるという意味でまことに相応しくすんなり腑に落ちる言葉に思える。

今回の煉瓦展のお陰で自分が抱えていた負債の大部分を償還することができたんじゃないかと思う。伝え「なければならぬ」ことを伝え「知ってほしい」ことまで主張でき、これ以上もう何も言うことはない。実際の程度を測ることはできないけれども主観的にそう思っている。本当に返せたかどうかが最も重要なところだろうけれどもそこまで理詰める余力がない。償還したのだと思い込むのでもいいじゃないか、それくらい全力で事に当たったんだから。

にしてもほんと喋りすぎた。モウちっと上手くなれんもんかとは思うがこればかりは仕方ない。上手く喋れないから掲示にし解説シートにしたのだ。


2019-11-11 [長年日記] この日を編集

[コアダンプ] [げ] がヤバイ

煉瓦にかまけ過ぎて原稿が進んでない。行きの電車だとか待機時間だとかにポチポチ書いていたが埒が開かぬ、というより感性がちっとも解れなくて埒の前にも座れてない。いつもの単語並べがいつも以上に並べっぱなしである。馬鹿書いて気晴らししようにも解決できない鬱々の根源が横たわったままだしさ。

こういう時は逆に考えるべきだろう。お前は鬱々が原動力だっただろ、乗りに乗って書いていたことなんてこれっぽっちもないだろうと。安定した生活の上で書いたものが面白かった試しなんてねーじゃねーか。そのせいで頭コチコチになってんじゃねーか。締め切り間際まで呻吟しているのはいつものことなのだし。というかそもそもコッチの原稿も煉瓦主題なんだけどー?

多分あれだな、また、うまく伝えようとしてもがいているだけ。良さげに見せようとして苦しんでいるだけ。書けば一合積み上がる。それを繰り返すだけのことだ。別に限られた文字数のテキストボックスに収める必要も奈須きのこ、身の丈に合った頑張りをしなさいってこった。

帰りの電車で激眠くなり買ったばかりの切符を無くしかけたり自販機にお金を投入してコーヒーボタンを押して立ち去ったりする愚行を演じた。取り出し口からコーヒーを取り出すという工程をすっ飛ばすほどに眠かった。そんな愚行も繰り返すと板についてくるものらしく、恥ずかしさで目が冴えることも苦笑することもなく回収して事なきを得た。歳を重ねるということは恐ろしいことである。

終了報告を書いたことでやっと目が覚めたが時既に遅し。今度は眠らなければならない故に駄文を連ねて疲れようとしている。なんとも甚だしい無駄である。すげえ無駄である。毒霧である。


2019-11-19 [長年日記] この日を編集

[独言]風邪治る

赤煉瓦NW大会が済んで気が緩んだせいか、その直後から風邪気味で参っていた。はじめは喉が痛くてげほごほ言っていたのが鼻水→水っぱなになってORJ追い込みの辺りから日曜日にかけてが最高潮にしんどかった。アタマに粘っこい淀んだ何かが溜まっているようで普段からまともでない文章がさらにまともにならない中必死こいて作ったらさらに悪化したようだった。ピークが少しずれてくれたので助かったといえばたすかったのだけれども、そのツケが日曜日に回ってきて、正常な判断がしづらいほど淀んでいた意識だった。

目の前のもの・ことに対する感性の欠落、吉坂のアレは風邪の症状に似ていたのだと気づいたのもその間だった。頭ががんがんするとか咳が止まらないとかいうクリティカルな症状によって認知力が下がるのとは違う、いわゆる「頭がぼうっとする」状態でもの・ことに接した時の感覚に近かったようである。記憶が薄れていくきっかけはむしろこういう紗のかかったような認知で場面を思い出そうとし中途半端にしか思い出せなくてその中途半端な思い出し記憶のほうが固定化されてしまうために起こる気がする。何なら思い出さないほうがよい。

体験した時にその体験が鮮烈であったならば、思い出した映像も鮮明で、たぶんなかなか忘れない。忘れても思い出すことができる。その証拠に村田鶴を追って千葉市へ行った時、あのロータリーの俯瞰を撮りたくて、近くにあったオートロックのない雑居ビルにあがり、適当な階から非常階段に出て撮影したあと、館内に戻った時に人に出会って、さもさりげなく挨拶を交わして難を逃れた時の心境の奇妙なまでの平静さ、をついさっき思い出した。あ、おれ、スパイになれるかも知らんなあ。そんなことを思いながら立ち去ったあの時の感覚。光景はずいぶん忘れてしまっているけれど。

風邪が治ったとは書いたけれども完治ではない。まだ鼻水が出がちであり詰まり気味である。それにしても水ッ鼻の時のほうが匂いに敏感になるのは何故だろう。化粧の匂いとかカレーの匂いだとかに恐ろしく敏感になる。過敏になって余計に鼻が痛む。鼻腔の奥に匂いが刺さる感じがする。それがまた風邪を悪化させるようでもあった。

何がどうなってどうなる故に風邪を引くのか未だにわかっていない。オートフィードバックで無意識のうちに調整されていた体中の機能が何かの拍子に調子ハズレになって狂ってしまった状態なのだとは思う。ただ原因がわからない故に対処のしようがない。葛根湯飲んで寝るくらいしかできない。市販の薬は効かないnagajisという根も葉もない自信だけはある。そういえば今季は社中の大勢が風邪を引いている。誰かに移されたのかも知れないし移したかも知れない。だったらウィルス性の風邪だったんだろうか。ウィルス性でない風邪があるのかどうかも識らないままそんなことを思っている。まことに適当な生き方である。

ここ2,3日無駄に過ごしたなぁ。もうちょっと身のある最期を迎えたいものだ。


2019-11-20 [長年日記] この日を編集

[独言] 治っていないではないか

意識の混濁は軽減されたがまだ鼻水が出る。寒い中自転車で走ったりなどすると覿面に出る。粘い鼻水である。いつもの調子で手鼻をかんだら頬から顎にかけてべっちょりと飛び散ってしまったりして阿鼻叫喚である。まさに阿の鼻が叫ぶ喚くの状態。そのてかてかした状態で悠々とゆうゆう窓口に立つnagajis。

[煉瓦] 久慈白糖工場煉瓦のメモ

画像の説明

瀬戸内町の教育委員会さんが持参してくださった煉瓦。右奥はウォートルスが上海で製造したという煉瓦で、これを参考にして奄美大島でも同型のものを焼いたそうだ(左手前)。上海のはよく焼けていて平の凹みも両側にある。対して奄美で製造したものはかなりボロボロで凹みも片面しかない。いかにも煉瓦製造濫觴期の煉瓦という態をしている。

この二つの煉瓦は馬鹿みたいにでかい。左奥に見えるやつが日本で普及したサイズに近いもの。体積比でいったらその3倍くらいはあるのではないか。

上海製造煉瓦は10inch×5inch×3inchというサイズ。inchメジャーで測ったのだから間違いない。そうしてこの寸法は非常に意味がある。以前書いた煉瓦税のときに定められた上限サイズなのだ。これ以上大きく作ったら二倍税になるというギリギリのサイズであり、M13蘭均氏土木学で示されている寸法もこれであったりする。そうしてそれを真似た白糖工場煉瓦は厚さが微妙に厚い。150inch3を越えている。だって煉瓦税関係のない日本で作ったやつだもん。

それを縮小した左上の煉瓦が東京形だったり並形だったりしたら面白いのだけれど・・・現物は63mmを超える感じですんなりとは腑に落ちない。ここらへんは報告書を拝読して考えなければならぬ。こいつだけが特別厚く見えるだけで他のは60mm前後に収まっていたりするのだろう。

[独言]何を書いているのか>nagajis

美麗に書こうとかイイこと書こうとか思わないこったな。言葉で世界が変わるような魔法は持ち合わせていない。押し付ける言葉はもっと要らない。

瓦礫を処分するために夜の府道を歩いた。想定していたルートを歩いたのだが初めての道ゆえ目的地までの距離感を持たずに歩いてひどく寂しい思いをした。車も人通りもあったけれども自分とは一切無縁の人々であり車であり、自分の通行を見咎めたり記憶したりされることなどないのだろうな、と思う。センターの建物が妙にバカでかく、威圧的で、入れるものなら入ってみろと嘲笑している気がした。

昔は夜歩くのが好きだった。外灯も持たず無闇矢鱈と歩き回ってみたり、そういや初めて吸った煙草も夜に登山した山頂でであった気がする。あの時もライトは持っていなかった。吸った煙草はCamelのライトだったけどな。

明かりなしで歩いて平気だったのは、それは知った道であったからで、あとどれくらい歩けば目的地なのか(あるいは目印となるものの地点につくか)がうすぼんやりとでもわかっていたからで、初めて歩く道・町・街ではそうもいかない。自分の今いる位置がわからない、把握の外にあるということが怖い。わかったつもりで歩いていって、急に間違えていたことに気づき、わかったつもりであったことを悟らされた時の遣る瀬無い絶望感。今日もあやうくそれにはまるところだった。川に直角にぶつかるものとばかり思っていたのだが、気づいた時には川に沿って歩いていて、そのままでいたら永遠に川に着かないところだった。

夜のポートアイランドで方向を見失い彷徨した時のあの感覚。津守で北上しているつもりがいつのまにか南へ向かっていたアレ。岡町住宅地のなかでも気を抜いて見ず知らずの路地に入り込んでしまい明後日の方角へ行ってしまったことがあった。そういや豊中北郵便局辺から家に向かっていていつのまにか熊野町にいた自分もいたな。いずれもあまり思い出したくない記憶だ。

誰も助けちゃくれないのだ、という認識ほど、心を寒からしめるものはない。このまま闇に飲まれてしまうような気がする。例え、実際には12時間もじっとしてれば朝が来て周囲の状況を把握できるだろうにしても、助けてはもらえない現実は朝日の後でも続くわけで、結局のところ自分でなんとかしなければならず、そうして生きてきた割には「路頭に迷っている自分」の立ち位置に慣れない。まことに勝手なものである。

あの、たった3ヶ月の流浪の旅の間は、そんな心持ちにはならなかったんだけどなぁ。どこまでもどこまでも、果てしなく、彷徨っていける気がした。そこには一応未来があった。明日の自分が思い描け、それのためになすべきことがあった。今はそれすらもない。

[独言]だーかーらー。

ミスのリカバリほど慎重にしなきゃいけないって何度経験したらわかるんだ>あほjis


2019-11-21 [長年日記] この日を編集

[独言] そうして御本人様に御報告する

橋渡し橋渡し。橋だけに。うん。上手い事言ったつもりは全くない。

ついでに孝子峠の鉄筋アーチ橋見に行こうかな……。今はもうないみたいなんだけど、すげえ気になる。しかしこの時期は日が落ちるの早いからなー。

橋の話題を待ちわびている方がおられるというのはまことに有難いことである。ネタがないうえ鮮度が落ちまくりなので申し訳ないと思うばかり。次回も領家第二橋梁だし・・・。

[独言] ねじの回転

最後の日に向けて本の運びだしと棚分解。後半はひたすら棚のネジを外していた。電動ドライバーを使やぁ一瞬で済む仕事なのだが、何故かむきになって手回しでやり続けた。右手首左手首を何回転させたかわからない。幸いネジは固くないので回転数だけがものを言う作業である。

ネジを回して外すという単純繰り返し作業のなかに何かを見出そうという努力を積み重ねた結果中々な速度まで上達した。手首が疲れてきたら錐揉み式で回すとよいことを発見してみたり、それに加えて自分自身がネジの周囲を左回りすることで若干の回転を加える法を編み出したり。後者は電球ジョークポーランド人バージョンからの発想である。ただしでかい棚の周囲なので1/2回転がせいぜいだ。

地震の時にひっくり返った棚である。死屍累々を必死になって起こして治して、割れた棚板を交換したりもした。今それを完膚無きまでに破壊し尽くしている。滅多に経験する機会のない破壊行動の充足だとか後生冥加だとかと思い込まなければ、やっていけない。

[独言] 鳥の歌なんて聞いてない

タイトルに意味はない。書くリハビリをしないといけないと思う。考えずにてけてけ書く練習。思ったことを直結神経で書く練習。脳みそで煮込んでも味噌味にはならないのだから諦めてフレッシュジュースとして召し上がるほうがいいと思うんだ。味噌にフレッシュも何もないだろうが。

味噌と書いてとっさに青森で贖ったカネサの甘味噌を思い出した。賞味期限が一週間過ぎた味噌を買おうとしてしまい、店の人に「漬物に使うのにはいんだけどねー」と言われながら賞味期限まであと3日も残っているものと交換してくれた例の味噌である。二度と口にする機会はないだろうと思いつつ時折思い出してみたりする暮らしがもう17年も経過した。しかし今のご時世じゃ通販で買えてしまうのかも知れないのだな。旅情も郷愁もあったもんじゃない。現実を知ってしまうのが怖くて検索したことはない。

鼻水の気配がまだ少し残っているのである。歩き回って担ぎ歩いて体がぽやぽやしてくると鼻腔にたまってくる。室内で吐く訳にはいかないのでずるずる啜って飲み込んでいるがこれで結構な量の塵芥を摂取しているだろうと思う。そのお陰で妙な免疫がついているという自覚があるがこれで本当にアレルギー体質なのかと訝ってみたりもする。実はそれを否定したいがための鼻啜りであり不衛生不摂生であったりする面がなきにしもあらずなのだが改善も悪化もしないあたり結局はnagajisなんだろうと思ったりもするのである。

いつのまにか効率とか安全確認とか危険より手間とかいった気配りができるようになっていて我ながら驚きである。危ないことを危ないとわかりながらして仕抉る人生を送ってきた私のはずであるのだが。周囲がそういう者ばかりだと反物質的に逆のことをしはじめるのだろうか。他人をスーパーリフレクションな反面教師と見做しているのだろうか。

自分のためだけに生きているくせにとは思うけれどもそうではない人生を貶したり嫌ったりするつもりもないのである、できれば世のため人のためになることをしてから死にたいと、これでもそう考えているのである。抱えている負債はそうでしか償還できない。借り逃げ持ち逃げしてもよからんずらんができれば精算したいものである(できるもんならやってみな)。

ヤマにトンボは何だっけ……どこかで屋号か社章を見た記憶があるようなないような。あ、これってこれなんだ、と思った記憶が微かにある。しかし余りに微かすぎて勝手に作り上げた妄想漠念のような気もする。物覚えが悪くなると過去まで歪めてしまうからきらいだ。


2019-11-22 [長年日記] この日を編集

[独言] うむ。

なかなかよい仕事をしておるではないか、褒めてやるぞ>nagajis。

自分が自分を信じなきゃ誰が自分を信じてくれるん代?とKくんのお父さんも言ってはった。それが自分の最も苦手とするところなのだけれど、お言葉自体はまことに正しいと思っている。できることならば、そうしてあげたい。いやそうしたから働けたのだろ。

[独言] 続・ねじの回転

今日も朝からネジ回し。ただひたすらにネジ回し。回して回して回しまくって、お世話になったカートを二つ無に帰してあげることができた。ひとつは昨年の地震で本棚の下敷きになり大破したのを大手術して復活させたもの。よく働いてくれた。よく助けてくれた。ありがとうと念じつつネジ一本残さず分解した。解体した部材の手垢の黒さに涙が出る気がした(気がしたって何やねん)。

錐揉み式発案の御蔭で手にマメができるようなことはなかった。そういえば↑のカートを治す時にガチ手回ししてマメを作ったような気がする。少なくとも鋸を扱い損ねて血だらけにしたのは確かだ。その血痕ももう昔語りの領域であり誰一人記憶するものではなくなった。よいことである。nagajisの痕跡なんてカケラの一つも残すべきではない。

[独言] えらいぞ道改wiki

http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/dokai/pdf/13-10-0143.pdf

S6産業道路として水間佐野線の改修決定。


2019-11-23 [長年日記] この日を編集

https://archive.org/details/transactionsengi145amer/page/14?q=Approximate+Determination+of+Stresses+in+the+Eye-Bar


2019-11-24 [長年日記] この日を編集

[橋梁]浜中津橋

孔が開く程観察した結果、上流側と下流側でアイバー形状・ピン形状が違うことを知った。

画像の説明上流側。アイバーは鼓形・鋳鉄製のスペーサーを挟んでいる。

画像の説明下流側。寸胴のスペーサー・・・あるいはスペーサーなし。アイバーのアイの付け根がちょっと角い。


2019-11-25 [長年日記] この日を編集

[橋梁] 浜中津橋・再

2日連続浜中津橋。我ながら何やってだと思う。何やってだ。

画像の説明

今日は上流側トラス桁に発見があった。下弦材の側面に微かにリベット跡がある。目分量で10cmくらいの間隔をあけて、サイコロの六の目状についている。端から1パネル目~2パネル目の間の△のところにあるものは、△の頂点の真下より若干橋端側に寄っている。2パネル目~3パネル目のは△=ピンの真下。それ以降中間のは補強に隠れて見えないが、反対側の端からも同様の配置でリベット跡がある。これはおそらく横桁を継いだ跡。端の間隔から察するに下図赤丸の位置に横桁を取り付けている。(実線は跡が確認できた場所、破線は推定。中央の△には桁を渡さなかったか、不等間隔になるのを承知でピン真下に渡したかも知れない。いずれにしても下弦材腹板の添継に干渉しない位置ではある)。

画像の説明

このリベット跡、拡幅桁のほうに載せていた枕木を固定する鋼材を取り付けた跡かも知れないが、下流側トラスは下弦材天辺に平行にそのリベット跡があるのでちょっと違う気がするし、初代桁のリベット位置=枕木位置と被りそうでもある。小西先生らが想像してはったように初代桁の枕木の間に挟み込む形で拡幅桁の枕木若しくは横桁を渡してたとしたら、初代桁の枕木位置と拡幅桁のそれはてれこになってないといけない)。

しかし初代桁、開通時にどうやって横剛性を出したのかわからん。桁に横枕木渡して、その上に立て枕木通して、ってやってたそうなので、それだけじゃ横の剛性が全然不足している。橋脚のところで何とかなったようにも思えない。

九鬼家文書から見つかった神崎川・十三川・武庫川の鉄橋の図面(http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/lib_draw/sanda/2013/KU_063.jpg)では下弦材の下に二重の弓状の部材を渡して左右桁を連結し、その上に縦枕木を置くように書かれてあるが、現存する武庫川橋梁の写真、下神崎川橋梁の写真なんかを見るとそうなっていない。九鬼家文書の図面はボツ案で、それで九鬼隆範が持っとったんや中廊下。

「鉄道構造物探見」に下神崎川橋梁の写真があって、これを見ると向かって左のトラスの斜材が明らかに太いのがわかる。ボルトの頭も小さい。この小さい感じは浜中津橋を孔の悪魔でもとい開くまで見たnagajisがいうんだから間違いない。浜中津橋上流側トラスのピンのボルトはでかすぎるのだ。そして写真の向かって右の桁は斜材が薄い。しかしピンボルトは小さい。

して、桂川橋梁や上神崎川橋梁は下流側に拡幅していることが橋脚からわかっておる。線の左右ではなくて川の上流・下流で拡幅方向を決めた節があるように思われる(下流側に橋脚を建て増したほうが既存橋脚を水切りがわりに利用できるしな)。そして下神崎川橋梁の写真は影のつき方から大阪方から撮影したはず。とするとむかって左の太い斜材のほうが後の中央桁であるはずなのだ。上り下りの2線の荷重を受けることになるので斜材も太いわけだ(というのは西野・小西論文でも指摘されている)。

以上を総合すると、浜中津橋下流側桁が鉄道時代の中央桁(西野・小西論文のC桁)、上流側が同S2桁ちうことになるのだが、今日みつけたリベット跡がもし増築時の横桁の跡であるなら、C桁の側面(内側の腹材)にもサイコロ六の目リベット跡があっていいはずだが、見た限り、それがあったようには思われない(天辺のリベット跡がないことは確認したが)。どちらの桁のリベット跡も下弦材腹材の外側部材にのみあるのだ。しかしまあ、あるはずと思って見てなかったから見つけられなかっただけかも知れぬ。斜材の幅や太さが応力大小に合わせて変えてあることに気づかず2、3本しか測定してないし、また行かなあかんのやろなぁ。

あ。六の目リベット跡が横材を継いだ跡だとすると、鉄道橋時代とは反対の向きにして浜中津橋では使われているということになってしまうな。そうするとボルト頭の向きも逆だ。鉄道橋時代は外側にボルト、内側にナットということになって、初代桁の使い方とは逆になってしまう。どっちでも良かったんかも知れんし、3連になって統一のしようもなかったろうけど。

いややっぱりあかんな、図の破線○の位置には下弦材腹板の添継がある。ここは逆側に寄せないといけない。そうして中央の△の真ん中にもう一本、だ。 画像の説明


2019-11-26 [長年日記] この日を編集

[独言]ジョブチェンジ

本を売る側から買う側にジョブチェンジする結果となった。なんという流れ。

[橋梁]旧渡辺橋と100ftトラス桁

大大阪時代に架け変えられる前の渡辺橋も四角いトラス桁が使われていた。一連のトラス桁で橋を支えるという形ーーー路面中央に上路トラスの壁があるーーーで、昨今の中央吊りのランガー桁はある意味渡辺橋形式に先祖返りしていると言えるが、それはまあどうでもよくて、問題はその旧渡辺橋のトラス桁のほうだ。「大阪の橋」なんかに載っている古写真を見ると、まさしく浜中津橋のトラスのような四角いトラス桁で、斜材の綾構の入れ方なんかもそっくりなのだった。それで「あ、これも浜中津橋のいとこだ」、神戸〜大阪間鉄道の桁の転用か、と思っていたのだけれど。実際はそうじゃないらしい。「大阪の橋」を読んでいたら旧渡辺橋のスパンは100ftとある。神戸大阪間の鉄橋は70ftなのだ。

んじゃあこれどこから来たんだ?と思ったら、「大阪の橋」にはイギリスから購入したと書かれてある。明治20年から建設が始まったけど鋼材到着が遅れてM21竣工とのことだ。

それはそれとして、もしかしたらと思って調べてみたら、大阪〜京都間の長大橋梁のトラス桁はみんな100ftなのよね。M25時点のあの調書によると。(いっつも名前を忘れる・・・国立国会図書館デジタルコレクション所収)

当時大阪〜京都間でトラス桁を使っていたのは、上十三川橋梁(7連だっけ10連だっけ)、上神崎川橋梁(13連)、太田川橋梁(2連)、そして桂川橋梁(11連)の4橋。あれにはラチス桁ってあるけど件のイギリス式トラスのことだ。して全部100ft。旧渡辺橋の写真を見ても、同じ方向を向いている綾構入りの圧縮斜材を5本数えることができる。10パネルなのである(70ft桁は8パネル)。

旧渡辺橋がM21竣工で、M25時点の調書でみな健在なのだったら、転用も何もありゃしないことになる。無駄に調べてしまったわいな。

なお大阪〜神戸間ののちに六郷川橋梁が鉄橋になって、それは明治村に移設保存されている。確かM7竣工で、大阪〜京都間のトラスはその次のやつになる。六郷川橋梁のトラス桁はよくある台形のやつなので大阪〜京都間のもそうだったかも知れない。


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