nagajisの日不定記。
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欲しけ(略)(通算4回目)。あ、いや、ホは別のところだ。
ゴッドハンドなのではなく、誰も探そうと思わなかっただけなのだろう。そうして発見したものものが洩れなく過去を語ってくれるのがこの上なく有り難い。15年くらい前に拾っておきながら放置していたあの異形煉瓦の意味もはっきりした。傷だと思っていたあれは「ト」だったのだ。
おい、最後に撮ったはずの「ホ」がないぞ!!
瓦礫は転じてなかったかわり、12ft円形井筒が露出していた。そこに“ロ”を確認したのはいいのだけれども……掘れば掘るほど謎が深まり始末に負えなくなる。大阪方向かって右の井筒だけ2-1/4インチ厚の異形煉瓦が使われている。残りは全部3インチなのだ。その3インチ厚煉瓦に“ハ”と“ロ”を確認したことでさらなる混迷の時代到来。3インチ厚ならABCあるいはエービーシーあるいはエビシでなければならないのではないか。M20台初頭の東海道線ではもうABCの基礎が出来ていたではないか。そも1本だけ2-1/4インチ厚というのはどういうことだ。2本ならわかるが。
ズボンについたセンダングサ---田舎ではカンジンコといっていた---の数と同じ量のはてなマークをぶら下げたまま帰宅して、あれこれ頭を悩ませた末、やっとわかった。この区間の複線化はM29に完工しているのだ。異形煉瓦の形状を示した鉄工第1749号(課長達)は明治29年8月31日。配置図は明治30年4月22日鉄工第755号(部長達)。故に水無瀬川橋梁の複線化の頃はまだ過渡期だった。初代井筒が2-1/4インチのイロハであって、それを踏襲しかつ3インチ厚を採用して新イロハにて構築した結果。&、現橋は明治42年製の支間長19MのPG桁が乗っている。19M≒62.336ft、たぶん70フィート桁で1スパン。いっぽう竣工時には支間長36ftの桁2本。ということは少なくとも支間長だけで72ftあった。当時は橋台間が10ftくらい広かったわけだ。だから初代橋台の大阪方のみ残し、橋台間を縮める工事がどこかのタイミングで行なわれたはず。複線化と同時であると考えるのが素直かも知らん。でないとイロハが使われている理由が説明できない。
鉄道局年報 明治27年度
https://dl.ndl.go.jp/pid/805397/1/61
北陸線 葉原、山中(導坑未貫通) 掘削中
日野川、足羽川他3箇所工事中、すでに大半完成、浅水川他9箇所は仮橋架設、九頭竜川他2箇所未着手 敦賀瀬河内間、今庄森田間は大抵煉瓦を用いる
コルベルト157箇所中146個(うち18個は前年度中)竣成、工事中1、未着手10、樫曲以北北湯尾間、福井近傍の34箇所は石材、他は煉瓦 未着手の10箇所中4箇所は石材、6箇所は煉瓦
敦賀山中間各隧道に使用する支保材煉瓦セメント真砂その他は海岸から人の背で現場へ
山中、葉原、九頭竜川橋梁、同所付近の避溢橋2箇所を除き来年度8、9月頃に竣工見込み
東海道線 M27.6.20の地震で六郷川橋梁橋脚破損
江尻静岡間 115マイル近傍 5鎖~32鎖間にかさ上げ工事
付近溝渠2フィート2径間を4フィート9インチ一径間に改造、さらに2フィート2径間の溝渠を新設
https://dl.ndl.go.jp/pid/805397/1/67
複線工事 前年より継続事業の大阪三宮間 西宮三宮間は竣工、当年度4/16より運輸営業開始
大阪西宮間は武庫川、下神崎川、下十三川の三大鉄橋は材料不足で工事中止、9/10を竣工している
向日町吹田間 当年度6月を以て起工、橋梁22箇所コルベルト15箇所の増築に着手、その大半を12月に竣工 年度末には橋台の増設を終り上部の鉄桁架設の1工事を残すのは十三橋のみ 橋台橋脚ウェル構築中2橋
大谷京都間 当年度7月起工 鴨川架橋は東西橋台及び橋脚七ヶ所とも築造中
鉄道局年報 明治28年度
https://dl.ndl.go.jp/pid/805398/1/12
大阪三宮間 本年度三月に武庫川他二大橋の竣工、4/11より営業開始
向日町吹田間 砂利散布1/10を残し他は竣工
大谷京都間 軌条6/10の敷設 鴨川他4川の鉄橋架設を残すのみ
鉄道局年報 明治29年度
https://dl.ndl.go.jp/pid/805398/1/84
敦賀森田間 本年度7/15に敦賀福井間の運輸営業開始
11/14より手取川橋梁のウエル沈下に着手
倶利伽羅・熊坂
本年度中前年度起工の九頭竜川、家久、傾城の二橋梁、江端、大町、玉江の三避溢橋、葉原、山中の両水道を竣成、手取川橋梁18橋脚中7箇所のウエル沈下を終了 その他の橋梁については床石下まで竣工せるもの15基礎あるいは煉瓦石積中のもの51小ルベルトは床石下まで23基礎煉瓦積中63、いずれも本年度の起工
大阪三宮間 本年度三月に武庫川他二大橋の竣工、4/11より営業開始
向日町吹田間 砂利散布1/10を残し他は竣工
大谷京都間 軌条6/10の敷設 鴨川他4川の鉄橋架設を残すのみ
各地で大水害
もはやobsoleteどころの話ではない旧規格、9ft/12ft円形井筒規格を読み解き直している。我ながら順序が逆だと思うけれども、実地に就いて考えたことでようやくわかったところも多い。
重要なことその1。前々から参照していた規程類聚 附録の図面は不親切。1912『鉄道法規類抄 第2編 附録 (工事図面)"』のほうが各煉瓦の配置を丁寧に図示してくれているのでわかりやすい。この図によってようやく、積み方や煉瓦形状に込められた意図を理解できそうである。なおこの資料では9ft Eの必要個数が600/ftになっているが前者は603/ftで1割の予備も同様に変わっている。これがerrataの結果なのかどうかはまだわからない。
この図をじっくり読み込めば気づかなったことをいろいろと知れる。例えば12ft Aは一段57個を積むことになっていた。円の両端に半分に割ったAを入れ、それが2箇所で奇数の1個になる。9ft Dなどは3/4個が4つ要る。A~Eを並べれば自然に井筒ができあがるわけではないのだ。(このへんの細かい指定をどうするかで配置図のほうだけ一年遅れたものと思われる)
ゆえに揖斐川橋梁の第4橋脚の積みの乱れはかえってその積み方のほうが後に正式なものになったことになる。上の方では問題なく積んでいるのだけれど、それは不整合な箇所を井筒間の壁体によって隠すことができるのでそう積んであるだけかも知れぬ。
図には1ft当たりの必要個数とその1割増(輸送中に破損することを考慮に入れた、実際に発注する個数の目安)が書かれてある。この1ft当たりというのが実は曲者で、厚2-1/4"の煉瓦に目地も入れて考えると1ftに整数段収まらない。収めようとすると目地厚が3/4"とかにならないといけない。そして1ft当たりの段数が非整数になるとAとCの必要個数の計算がしっくりしない。奇数段A、偶数段Cと仮定しても最後の非整数のAはどうするのか。次のCは。このへんいくら考えてもすっと解決しなくて困っている。Aの必要個数は113個/ftなどという素数になっていて、これはどう計算しても配置図から読み取れる一段57個と計算が合わぬ。二段だとしても114個なのだ。
12ftのCの位置と9ftのCの位置はざっくり考えると同じ位置になりそうで(だから同じ形状の煉瓦を使い回せるのだ)、配置図を読んでもどちらも一段36個のはずだが、しかし必要個数は36個の整数倍でないうえに12ftのほうが1個少ない。どういうことだ、ど叫びたくなる。しかし目地込みで考えると(煉瓦巻きの厚は1'11"とされているのでBの長手長とAやCの小口長とから目地厚を逆算できる。この目地厚が5/8インチとやや大きめに取られていて確かにそれくらい余裕がないと煉瓦同士が干渉するかも知れぬ)12ft Cのほうが9ft Cよりも1/2インチ内側に配置される計算になる。全く同じというわけではないのだ。1個の違いがそこに起因するものかどうかまだ理解できていないが、それが直ちに1個差になるというよりも、実際に作ってみたときに現れる不都合(例えば煉瓦の寸法が正確でないとかばバラツキがあることとか)のほうが関係していそうな気もする。
以上のようなことを考えると3インチ形の煉瓦が採用された意味がわかってくる。煉瓦厚が3インチ、あるいは目地込みで3インチだったら、高1ft当たり4段となってAもCも2段分を考えれば済むようになる。必要な個数がさくっと計算できる。煉瓦自身が3インチだと目地を加えるとはみ出てしまうことになるのだが、どうせ煉瓦は厚薄があって多少はそれで吸収できるのだし、1/4"目地であれば4段につき1インチ増すことになるわけだから、煉瓦厚と目地厚を分離して考えることもできなくもない。井筒の高さに12/13をかけてそれに1ftあたりの煉瓦個数をかければ全必要個数は出る。無視して煉瓦を余らせたとしても高々数段分が余るだけだ。
とにかくこの規格の読み解きは簡単なように見えて難しい。そしてわかれば煉瓦積みに関する深いところがわかりそうな気がする。
やっぱり、なにか特定の煉瓦刻印を求めて歩き回っても見つからない。なんも考えずにひたすら歩き回るのがよい。
図を描いて画像検索してやっと抱き沢瀉という家紋だとわかった。真ん中に漢数字”十六”の添字がある。ないやつも結構ある。