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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1943-05-01 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]五月一日 土 晴

五月は男の月なり。校庭には天に向える鯉幟あり。勇ましきかな。雄々しく立てる鯉幟。一日に当り此の月こそ頑張らざるべからざるを感ずるなり。夏物の被服検査あり。其の後は正に嵐の後の如し。誕生日会。我も、客分となりて祝いて貰いたり。此の会が嬉しきは馳走ある故なり。校長殿も同感の所なり。訓話は慈愛なり。剣術は軍刀の操法にて居合刀を用う。今日は楽しき然して有意義なる五月の初の日なりき。今日は相当に成果ありたり。良好なり。


1943-05-02 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]五月二日 日 晴

平常通り服務し、木曜日の課業ありたり。独乙語は余りゆっくりして退屈したり。然しよくわかりて幸なり。一歩でも人より以上に励むことこそ大事なれ。近日又此の観念が高まりたり。何事にも確実にやってしまうことが大切なり。剣術・身体検査体重一瓩・胸囲五粍減じたり。思えは先月は体育につき余り考えざりき。やはり柔道とよく噛む外に無し。柔道は未だ積極的ならず。万事が消極的なるは遺憾なり。声に気合はかかりてきたり。良好なり。

〔欄外〕食堂にて運動具の取扱の注意をなしなれざる故冷汗かく。練習を要す。


1943-05-03 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]五月三日 月 晴

作文は父の伝記なりき。午後映画見学にて、十四時出発、十六時より朝日館にて俘虜の生活・シンガポール総攻撃・ニュースを二時間に亘り見学す。此くまで上下の団結がゆき、涙ぐましき行動に感じたり。我の心情としては泣かずにはおれぬ気持にて苦労を克く察したり。其の他我の胸の裡にあり。鼻血出でてのぼせるを思う。延灯はなるべくさけんとす。二十時半消灯なりき。良好なり。


1943-05-04 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]五月四日 火 晴

近日運動具委員の関係上自習が欠くること甚し。作業は要図調製、音楽、愛校作業の際は入江と共に龍田山麓まで行き榊を漸く見つけ武道場のを新にす。途中鳥の巣を二つ見つけて帰り博物料に収めたり。二訓切磋・談話会。体力おとろえり。睡眠をとるべし。


1943-05-05 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]五月五日 水 雲後雨

天候にめぐまれて九・〇〇より開校記念日式典ありて、同半より雄健神社祭が約一時間に亘りてあり、終に神楽あり。会食にては第二代の教頭殿香村氏の話あり。三代目は何事も発展の時なり。十三時より津下教官殿の「雄健」のいわれにつき講演あり。雨止み第二の決心の下に相撲あり。三は六に、四は一に惨敗す。柔道・相撲を一層するべきなり。胸囲を増すにも可なり。以後校内休養。取締となる。夕食後運動班の会合ありて二十時十五分まで十四教室に騒ぎたり。祝うべき此の日。元気に過した事を思う。良好。


1943-05-06 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]五月六日 木 晴

熊本招魂祭にして七・〇〇出発。人出の中を十・〇〇、十六部隊の次に参拝す。護国の神の御前にぬかづきて一しお感ずるものあり。只がんばれ。一年と帰校後は集会所にて。篠野は囲碁実にうまし。我全く手が出ざりき。軍歌演習の指揮をはじめてなしたり。声がやゝかれて号令調声の不充分なるを感ず。良好。


1943-05-07 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]五月七日 金 晴

取締は実にいそがしく何も出来ざるなり。修身の際に、もっと律儀なれと校長殿より注意を受く。教練、体操は屈進・匍匐・扛挙運搬にして、匍匐のきつきには驚きたり。之にて敵前を行く。我なればきつい匍匐よりも走っが方が如何に良いかと感じたり。〔欄外朱:立ちて走れば弾が当るなり〕 運動班運動には今日より一年参加して今日は特に全生徒にて棒倒しをなしたり。愉快なりき。良好。

〔nagajis:「走ツガ方ガ」原文ママ〕


1943-05-08 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]五月八日 土 晴

代数考査あり。取締終う。午後は四種混合接種にて十六時より休養なりき。特に静粛にて一語も発せざりき。匍匐の効表われ腰と頸いたし。


1943-05-09 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 五月九日 日 晴

〔欄外:「大相撲夏場所はじまれり。」〕

終日熱ありて気分すぐれず。明日の歴史の為午前二時間午後二時間学習す。集会所にてピンポンに興味を持つ。つまらぬ日曜なりき。


1943-05-10 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]五月十日 月 晴

今日より夏衣袴となる。歴史考査あり。国漢乙の思想難かしくなりたり。柔道作業、目測が不十分なり。望練習。愛校作業にて防空壕を掘る 今週は第一自習に必ず数学をなすこととなれり。それと共に補備あり。緊張の一日なるも午後に活気少し。良好なり。生徒監殿は今日より三日陸大試験なり。

〔nagajis:5月7日の終わり頃よりこの日まで文字乱れがち〕


1943-05-11 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]五月十一日 火 晴

化学は写真機なりき。午後は工作にて滑空機による地上滑走なりき。十九名にて行い我も亦操縦したり。生まれて初めて飛行機らしき物に乗り、愉快にして且つ緊張したり。滑走してより涼しく、以外に気を大きくして緩りと考えて操縦し得ることを感じ此に自信らしきものを得たり。近日又時間の利用不確実にして自習時間不足す。寸陰こそ大切なり。昨日柔道にて頭をうちし事により、又多理由にて頭痛し体倦怠にてあくび多し。


1943-05-12 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]五月十二日 水 晴

ドルさんの会話が相当にむずかしくなりたり。軍刀の操法は特に戦陣に必要なれば己の物にするを要す。体操にて三十分持久駈歩ありて本道より白川学園の下に出で山室を経て走りたり。二ヶ月ぶりに走ることとてよこ腹痛む。要練習。後は手入なりき。酒保へ行かず。修養(意思)そして腹(胃)を鍛錬せんが為なり。良好。食慾不振。


1943-05-13 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]五月十三日 木 雲

今日より各生徒監殿は来らる。町田生徒監殿は大牟田市に出張されたり。麻の自習は潰れたり。国漢甲の考査あり。体操は斬〔漸〕く振上りになりたり。剣術は軍刀の操法なり。柔道終りて校長殿話あり。西洋の物に依らずとも日本古来の柔道・角力をなすべし。二十分休憩は三年らしく馬鹿げた事をせず、又百日祭の妙な歌をすること勿れ。思えはその歌こそ三学班なりき。今後時と所を論ぜず決して斯様な歌を唱えざるを誓いたり。近日夕食前と朝の自習行いしことなく遺憾なり。生れて初めて脚がつり驚きたり。痛くして其の後左脚に体重を移すこと能わざりき。其他異常なく良好。


1943-05-14 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]五月十四日 金 晴

国漢乙考査ありてもっと勉強すべきを感じたり。教練にて小隊密集教練・射撃演習・地形地物の利用となりて教練が一段と面白くなれり。運動班運動にて輪てん試合に活躍す。一ヶ月振りにて剣術をなし溌剌たる気分になりたり。怠け心未だ多きなり。如何にすれば可なるや。我の求めんとする所なり。〔欄外朱:水でも被るべし〕良好なり。


1943-05-15 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]五月十五日 土 曇雨

十四時半より背嚢につき約一時間佐々木曹長殿の学科あり。十六時接種まで明日の外出の手続き等にて運動す。就寝後三分して発熱、夕食をとらず。四十度九分の熱出たり。頭痛。


1943-05-16 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]五月十六日 日 雨

父の命日なるを忘れずがんばりたるも、遂に終日頭痛・熱ありて終日就寝し教頭殿宅へ行くことも出来ず。夕に三九・三あれば二十時入室す。或人曰く、血管にさしたる故早く全身に廻り、又胸痛からず。と。


1943-05-17 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]五月十七日 月 曇

入室、休養す。今までの疲れを全く此に無くし、新しく立たんと志す。治癒〔朱訂正〕になる。今日からやるぞ!!


1943-05-18 アッツ島戦 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]五月十八日 火 曇

幾何考査あり。化学は写真を台上にてとりたり。起床時よりふらヽせるも授業七時間を通しがんばりたり。故に唯今頭の働明ならず。運動神経鈍し。昨日より独乙語補修授業が第三班にのみ行われ、昨日の結果単語を五割しか知らず残念なり。単語を知ればこそ独乙語を知るならんか。本月十二日よりアリューシャンの熱田島(アッツ島)にて敵数ヶ師団と我が軍の激戦中なり。ガダルカナルにも劣らぬものなり。学年切磋会あり。二訓は和して流るゝ勿れと。


1943-05-19 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]五月十九日 水 曇

四・〇〇非常呼集ありて全校生徒棒倒しを実施したり。大牟田市見学の為五・〇〇集合す。三池染料工場は実に化学工場にて九割は直接・間接的に軍需品特に爆薬なり。次に亜鉛精錬・亜鉛板製造を見学し科学の力に驚きたり。次に三池炭抗を見学したるも抗内に入れず残念なり。そこにて昼食す。時に十三・四五なりき。学校着十六時半。科学工業の如何に大切なるかを感じ又大牟田の町がきたなきを知りたり。十八・一〇広幼一年訓練旅行にて来り迎う。今夜一泊す。点呼後森の弟等三名の佐中出身者に遇う。広幼は慥かに厳格なりき。松浦の二回目の命日にして点呼後雄健神社に詣ず。


1943-05-20 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]五月二十日 木 晴

午後現地訓練の研究にして春季休暇の宿題の研究を代表が発表したり。衛生講話あり。良好。


1943-05-21 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]五月二十一日 金 晴

昨晩より相当に冷え始めたり。午後楠公会にして香川教官殿話及び生徒の詩吟あり。十五時半より其の一部として綱引き・騎馬戦・棒倒しあり。愉快に万事を行いたり。独語は今日にて終了す。要するに独乙語は整然たる語にて易きなり。故に、主語・述語とを見出しそれをつなぐべしと。学習に積極的ならず。良好。


1943-05-22 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]五月二十二日 土 晴

今週も此に授業を終了し一週間休むこととなり愉快なり。午後は十三時二十分より校長〔殿〕訓示あり。現地訓練に於ては将校生徒たるの気品を保つべし。十四時より軍装検査。背嚢・雑嚢を用う。以後栞につき小林教官殿の話あり。十五時三十分牛島中将閣下(本校五期・陸軍士官学校長)御着校になり、三年は野外剣術を実施。全校棒倒しを実施す。閣下訓示に曰く、飽迄身体を大切にするべし。然して将来の御奉公に備うべし。と。十九時半より二年一軒屋、一年亀井と新地の神社の二手に於て試胆会を行い我は新地に行きたり。此に於て我は一年生の胆を知りたり。二十二時半就寝す。午後は誠に騒しき日なりき。然し克く終始貫けり。今日より身体の調子最も良好にて運動能力が充分ある如く感じられたり。


1943-05-23 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]五月二十三日 日 曇雨

剣術は愉快なり。午前中は身辺の整理を行い、午後は二時間午睡、誠に休養そのものの休日なりき。十六時頃より雨となり明日が心配なり。良好。


1943-05-24 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]自五月二十四日 至五月二十九日 北九州現地訓練

 二十四日  久留米市
 二十五日  太宰府付近一帯
 二十六日  佐世保海兵団
 二十七日  長崎三菱造船所
 二十八日  佐賀市・耶馬溪
 二十九日  行軍、久大線経にて帰校
 昨年の是に比し歩くこと多く背嚢にて肩も之に慣れ鍛錬するところ大なりき。歴史を顧み近代科学にふれ、絶景にふれ幼年学校最後の現地訓練を遺憾なく終了し、其の目的を達したり。


1943-05-30 アッツ島玉砕 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 五月三十日 日 曇

六・三〇起床。愉快なる日。何となれば午後松元が自宅療養より三ヶ月振りに帰りし故なり。何となく之から松元と共に励むことを思えば奮い立つなり。然し一方残念なりき。アッツ島の戦況不利にして島を奪取せられし故なり。十九時此の発表を耳にして我らは黙頭〔祷〕を奉げ然〔而〕して 神武必勝の下勉励せんと決す。日本軍は今や大攻勢に出ずるべきか力を養いつゝあり。必ずや大決戦行われて勝つことを信ず。午前中始末を終え午後休養したり。良好。


1943-05-31 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]五月三十一日 月 雨曇

現地訓練前にもどりはり切りて行いたり。午後は十二・三〇大講堂にてアッツ島の立派なる最期は武人の典型なりとの話あり。柔道、訓練携行の物の検査、国漢週間なり。時間不足、全身倦怠にて何事をも欲せず。


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