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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2022-12-04 [長年日記] この日を編集

[きたく] 塚町暗渠で

画像の説明

たった一個の発見がすべてを解く鍵になることがある。だから煉瓦は、面白い。

画像の説明

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2991761/329


2022-12-10 [長年日記] この日を編集

[きたく]終わらない

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この間栗東まで行った時に油断していて出口溝と下田川を拾い忘れていた。改めてこの2件を訪ねて湖東線は終了。下田川暗渠では鳥居形の線描刻印を発見した。この手の刻印が最も扱いに困る。

帰りがけに瀬田川橋梁で潮干狩り第二回。水草が流れ着いている岸辺よりもそれが干上がって腐っている辺りで多く煉瓦を採集した。とりあえずA、B、Cの全種類を採取したが、エは見つからず、ビは湖東組の丙と平打刻のビと、四日市煉瓦くさいビを検出した。三角形を打刻していたのはこの時期四日市煉瓦くらいしかないのだ。平打刻ビと四日市煉瓦くさいビは並んで固着した状態で引き揚げた。前者は型取材で採刻、後者は改修。シは前回採取したのと同じものが長手に打刻されているのを見つけた。扇形Cは12ft円形井筒に使う場合常に内側に配置されることになるのでどこに打刻してもよい。

それにしても、呆れるほどBばかり出てくる。ほとんど全部が撥形異形。設計図どおりに作れば高さ1ftにつき113/819/87個要するので出現率は1.3:9.4:1となる。B10個につき1個のCというと確かにそれくらいだった気がする。してAのほうが若干多い。

希塩酸でも溶けない析出物はクエン酸溶液に漬けておくとよいことを知った。何とはなしに放り込んでおいた播煉ヲの側面が、帰ってみるときれいさっぱり剥がれていた。あんまりやると煉瓦自体が溶けてしまいそうだが一日二日では大丈夫のようである。しかし岸✕泉のキチャないあれはどうにもならぬ。何が析出しておるのか。


2022-12-17 [長年日記] この日を編集

[きたく]やっぱりなぁ

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特定の何かを期待して行っても見つからないんだ。かわりに思わぬものが見つかって驚かされる。


2022-12-18 [長年日記] この日を編集

[煉瓦]庄川暗渠の延伸部

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現場では機械成形=大阪窯業と脊髄反射してしまったけれども、M28に複線化したのであれば大阪窯業ではあり得ないではないか。とすると関西煉瓦しかあり得ない。うむ、また行って肌を撮ってくる&隙間覗いてくる必要がある。

55+mmに60+mmの煉瓦を継いでいるので最も内側の巻きは目地が薄くなっている。苦労したことだろうと思う。


2022-12-20 [長年日記] この日を編集

[煉瓦][煉瓦刻印] わあおう

画像の説明

データでは拾っていたのにマップにプロットし忘れていた。たまたま気づいたから良かったものの、そのせいで一つ北の湊堀橋梁を見逃した……。まあいいか、ここでしばらく遊べたんだし。

9ft円形井筒のくせに”ヱ”が使われていたり、Eの代わりに普通煉瓦が使われていたりして(しかもそれが勢陽組製だったりする)、東海道線工事の残余が回されてきたことがよくわかる。あとで沿線で斜井桁+三線を見かけたりもした。湖東線あちこちにある肉厚普通煉瓦も案外湖東組製は少なくて愛知や三重の工場で作ったものが大半を占めていたりするのかも知れない。

考えてみればそうだな、既存工場から安く買うことより工事を行なう地方に新たに煉瓦産業が興ったり運輸で設けたりするほうが殖産興業の利には叶っていると言えるかも知らん。


2022-12-22 [長年日記] この日を編集

[煉瓦] 風化物に悩まされる

モルタルを剥がしてネオナイス(塩酸10%洗剤)で残りを溶かし去る作業をすると、濡れている間はきれいに見えるのだが、乾いてくるにつれて白い粉がふいたようになる。最近始めたクエン酸洗浄でもやはり同様。湯につけるとすぐには溶けないがブラシで軽くこすると溶ける(取れる)。

モルタルのかけらが残っているところはその周囲に顕著に出てくる。その白い結晶を250倍のハンディ顕微鏡で眺めると残っているモルタルとほとんど同じような形で析出していることがわかる。違うのは色だけ。モルタルに含まれるカルシウム成分が溶けてカルシウムイオンになり、水と一緒に煉瓦に吸収され、それが乾燥とともに表に出てきて二酸化炭素に触れて炭酸カルシウムか何かになっているのだろうと思う。これは以前読んだ『煉瓦の風化物に就て』でいうところの数年後に析出するやつと同じものと思う。

煉瓦が水を吸う性質がある以上、またモルタルを酸で溶かそうとする以上、どうしてもカルシウムイオンが発生するし吸い込まれる。酸で洗浄する前に十分に水に浸して吸水させておくべきなのかも知れない。この手の風化物は確かに、川の底から回収したような煉瓦では経験しない。地上に転がっているモルタルの付着した煉瓦を清掃する時に出てくる。

これを落とすには薄い酸性の薬品(酢を薄めたやつとか)で洗うといいとどこかで読んだ気がする。レンガ建築が盛んだった頃にはこの風化物に悩まされる建物が多かったようだ。確かにあまり見目宜しくない。しかし乾いた状態に酸をぶっかければまたカルシウムイオンが溶け込んで元の木阿弥になってしまいそうである。

[煉瓦] 平の筋のつく理由

さっきやっと納得のいく理由がわかった。下駄は両手にはめるのだ。そして長手を左右から挟み、左手の下駄の上に立てるようにすくう。そのすくう動作を右手の下駄で補助しようとすると、下駄の横腹、あるいはその縁の角で長手を押す形になりやすい。あるいは角でえぐるような押し方になってしまうこともあったろう。それが正確なV字の溝でなく「レ」の字のような断面になっている理由。縁からの距離は下駄の板の厚さに近い。あるいは筋の位置で支えれば必要最小限の力で支えられるのではないか(感覚的に)。

左手の下駄に取ったときには長手を下にして立っている。そこから右手の下駄で平を受け、左の下駄で反対側の平に持ち直し、取り板に戻せば長手で立った状態になる。この下駄に印がきざまれていれば両側に打刻されることになる。持ち直す時にあたふたするときれいな刻印にはならない。持ち直せば二重三重の打刻になってしまう。

江別の『れんがと女』にある、解説仕切れていないあの手順がこれではないか。左の下駄の歯が削れやすいというようなことも書いてあったはず。それは左手の下駄を持ち上げた素地の下に滑り込ませるようにするためで、その動作の時に取り板と歯が擦るからだ。

ごく稀に長手に打刻されているものも、わざとそこへ打ったのではないのだろう。すくって取る時に勢い余ってそこへ乗ってしまうこともあり得る。下駄の中央に刻印が造り付けてあれば、して下駄が平と同じか一回り大きいくらいであれば、長手を挟む時に中央の刻印が長手につくことはないはず。長手に取る時に勢い余って粘土が真ん中へんに飛んでしまえば。しかしそうすると両方に同じ刻印が刻んであったことになるな、裏表で全く同じ刻印だとすれば、刻印は片方だけで、持ち直すか反対に回ってはさみ直したことになる。ああそれは、型枠に入っている状態の時に打てばいいのか。下駄のときに打つんではなくて。

考え続けるって大事だね。


2022-12-23 [長年日記] この日を編集

[煉瓦] つまりは

画像の説明

つまりはこういうことだろう。

実際に手板を作って平裏筋に当てると絶妙なバランスで支えられる。ただ、平を下にして置かれた状態から写真の状態に持っていくのはちょっとむずかしい。何故ならば

・煉瓦表面がザラザラで滑るので起こすためにかなり強く挟まなければならない。半乾きの状態であればしとっとしててうまく捕まえられるのかも知れない。

・手板の縁の角と煉瓦の長手縁の角を合わせた状態から平裏筋の位置に スライドさせる時に長手角を擦りがち。

右手の手板はしっぺいでもよいかも知れないが、力を入れる点が左手(手板中央)と右手(しっぺいの把手)とになるので、右手の力加減が難しくなりそうである。そもそも関西の煉瓦はしっぺいでペシペシ叩いて成形しなかった節がある。それで整形していたら平の撫で跡とか長手の砂付着とかがあそこまで明瞭には残らないだろう。ある程度形を整えるのは両手の手板でもできそうな気がする。

コテかなにかを差し込んで起こすだけだと筋のある辺の反対の辺の稜が丸くなるはず。そこまで明瞭に丸いのは見ない。むしろ筋側の稜が鈍っているののほうが多い気がする。

あと、2kgの重さはなかなかずっしりくる。実際に陶土とか粘土とかで2kgの直方体を作って試してみるべきだ。 画像の説明


2022-12-26 [長年日記] この日を編集

[独言]さようならXp

国立国会図書館のデジタルコレクションが一新されてXpで使えるブラウザで見れなくなったのを機にXpとサヨナラすることにした。様々な紆余曲折を経て10のインストール完了。元のデータを引き継げなかったがCS2動けばまあいい。あと細々としたデータ移行が残っているが同じSSD上で動かすだけだ。

Xpで爆速だったのがXpで高速になった。案外悪くない。10数年前のメーカーモデルのスリムタワーでこんだけ動くんだったら近年のNew Technologyはなにを消費しているのだろうと思ってしまう。できることは10年近く変わっていないということじゃないのか。


2022-12-29 [長年日記] この日を編集

[きたく] 御所田川暗渠 MM12.2.

画像の説明

自分のプロットの正確さに我ながら感心した。

そうか、廃止区間に残る唯一のオリジナルなんだな。谷口村暗渠はM20に作り直されてる。


2022-12-30 [長年日記] この日を編集

[近代デジタルライブラリー] 東洋組関連追加資料

https://dl.ndl.go.jp/pid/1543809/1/15

東洋組規則

https://dl.ndl.go.jp/pid/1495480/1/42

愛知県士族生産談話

https://dl.ndl.go.jp/pid/1563541/1/9

東洋組煉瓦工場景況 工務局月報

https://dl.ndl.go.jp/pid/3026820/1/393

東洋組事件 愛知県議会史

https://dl.ndl.go.jp/pid/2996506/1/303

田原工場と水谷孫左衛門

7セットまで


2022-12-31 [長年日記] この日を編集

[煉瓦]赤坂川橋梁

画像の説明 画像の説明

欲しけりゃくれてやる。すべてをそこに置いてきた。(通算2回目)


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