nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
36000W、東熊野原稿おわり。つぎはぎだらけで各パーツのテンションもバラバラという困った困った仕様になった。丸一日の探索ルポっていう点でのみ(線でのみ)つながっている。あとは縦書きしてから考えることにするが、たぶん直らない。だって1ページで天誅組説明しロッテ無理だろ。
ああ、そうか、その理論でいえば読者受けしなくってもいいのだなあ。書き上げさえすれば>nagajis。なるほどなあ。あとで上谷に書き加えておこう。
うまく城見聞記、もとい条件分岐していたはずなんだがあれこれしているうちにワヤになった。たった3つのflagを見失うなと。というか3つもいるんか。
予行練習はおおむね20分+αで収まっている。もう少し練習して、第一部で東熊野街道に触れられたら前半1ページ飛ばす。樫尾の説明も省いていい。流路も半分削除。最初から↓だしとけ。
今さらながら気づいたのだが、pdfプレゼンだと頑張って同じページを使い回していることが伝わらんよな。→あるページとないページ用意してるように思われても仕方茄子。
それよりも個人的には第二部Q45辺りのpdfのほうが力作だと思うのだがなあ。pdfの概念を覆す傑作に違いない。でも1問1分以下の時間しかないのに150MBの動画とか入ってるしなあ。お鉢は回って来ないだろうなあ。
修正点:喋りの後半がいやらしい口調になる傾向。要注意。しもきたやまそんし、ちゃんと喋れない。北山川が先。日本土木学会ふぞくとしょかんでじたるあーかいぶす。人はいさ、で進めないとな。
これ以上遅らせるのも何だしなということで済ませてしまう。本題はチャコールとチョコレートとブラックとメトロブルーの区別がつかんくて困ったという話。ライムとアイスグリーンとフォレストも微妙。せっかく袋詰めしてくれるんだったら色名前つけてくれると嬉しいなァ。
シャツ種類とサイズで何とか判別できたはずだが、間違ってたらごめんなさい&nagajisまで文句言ってください。余りTシャツ6枚はそのうち表で販売します。
この手の色抜け看板はよく見るが、なんという言葉があてはめられていたのかわからず、立ち止まってしばらく考えてしまった。数分間費やしたのだけれども判らなかった。無駄な時間を過ごしたことだ。
17日中も厳しいかも知れない。18日PM6:00には発行してDLできるように努力します・・・。
残りは東熊野だけなのだけど(東熊野に時間をかけると反感を買いそうだ。まあいいか...)、終わった時点で時間をみて簡単なテの報告を入れなければいけないと思う。
何かが足りないと思うなら 自分で埋め合わせればいいじゃない
誰かが埋めてくれるなんて 思うから先へ進まない
eps変換 配置サイズ 97mm or 92mm? 点数減らせばいいだけのコト
投げ捨てて旅に出たいなら 好きにすればいいじゃない
そのあとの埋め合わせ できるならね
てにおはの誤 倒置法 覚えたての言葉は 使って覚えたくなる
逃げないで仕事をしなさい それがあなたの仕事
求められてない言葉綴る それもあなたの仕事
自分の言葉で 表現してと 叱った君は いまリッパな大人
だらだらとただ長い旅 たぶん何かが欠けてる
その何かに気づいたので 発行は18日
投げ捨てて 旅に出るのは ふて寝するより 簡単なのよね たぶん
前振りの塊みたいになっている今回を何とか解きほぐそうとして苦労している。どう取られるかは人はいさ、だが東熊野街道はひとつの街道を辿った記録という以上の何かにしたいと思う。熊野街道のような場当たり的な連載ではなく。だからかえって「つなげる」ことを意識し過ぎてややこいことになっている。
しかもその試み、能力的な観点から言ってオーバーロードしてる。最初に立てた見通しの通りにいかないのはもちろん、数回に分けたせいでそれぞれの回の主張やそのテンションがバラバラだ。そのうえ前振りを振りすぎて山場が役足らずになってきた。自業自得だ。
そうやってtwittingするnagajisは嫌らしいぞ。やらしいぞやらしいぞ。やらしいとわかっていて、そう取られることを前提として書いている嫌らしさ。勝手に沈んでなさい。
大口を 叩いた割に 駄目出しよ〜(涙
頑張って修正しましょう。いっそ落としたほうが早いのだろうけど、引っ張って引っ張ってダメ記事という格好悪さを取るほうがいい。
テの報告を作って、東熊野のpdfを修正したところで勝手に終了>nagajis 一旦寝て昼から続きを。目標18:00。
この調子じゃ廃道本2もあやういなあ。nagajis書かんで他の人に大半書いてもらえばええねん。だって人に説明しようと言う努力を放棄してるもんこの人最近。いやnagajisは人でなしか。
すみませんねえ>構って下さる皆様。いまnagajisはとてもだめです。いつもだめですがとことん。放置されるのが懸命と思われます。
落ちて落ちて落ちる所まで落ちてみたい誘惑。実際に落ちたら落ちたで苦しいのだろうけど。soredemoteTEnohoukokuhaganbattayo.
私個人としてはこういうものこそ奇妙なポテンンシャルであると思っている。定冠詞をつけてThe Psと呼ぶのも吝かでない。
先日某ホールそばにて見つけたもの。書かれてある通り生ゴミ収納BOXでありその商品名である。
ワンニャンカァ
防ぎたい相手の鳴き声の羅列。それをそっくりそのまま商品名にしてしまうセンス。この商品名に決まった経緯を考えるといたたまれなくなる。もっと他にあるだろうと思う一方、それ以外にないような気もして(実際これ以上のよい名前が思い浮かばない)、あげた拳の振り下ろす先を見失ってしまい、途方に暮れる。担当者を小一時間問いつめたら涙ながらに「実は・・・」と打ち明けられ、剰え貰い泣きしそうな予感さえある。そういう遣る瀬なさを孕んだもの・Ps。
光製鉄所ステンレス商品センターと株式会社ステンレス光の関係も微妙にわからない。株式会社ステンレス光が製造も販売も行なっているのであれば光製鉄所ステンレス商品センターは何をしているところなのか。何を主張するために書かれているのか。「光製作所ステンレス」「ステンレス光」という対称性およびその綻びにまで反応するようであれば、あなたはもうPsワールドの住人だ。真っ当な人生を送りたいのであれば直ちにこのBOXに蹴りを入れて立ち去るべきだろう。
犬と烏は泣き、猫は怒る。その差異は何に因ったものなのかも気になる。猫だけがデベソである点も見逃せない。
とりあえず18:00薄幸は間に合いそうだ。最後の確認中。(ヨ氏の最終チェックが間に合わなかったけれど・・・発行後にばたばたするかもです)
17:00過ぎに公開しました。遅くなり申し訳ありません。ということをここに書いても意味がないのだよね>nagajis。HEADLINEには書いてるけど誰も読んじゃいないない
個人的にはここから20日まで、あるいは30日までいろいろ停止する。ペーパー2つ(1つ半)を作らなければならない。連休までに終わらせることができなければこの休みを無駄に過ごしそうな塩梅(といっても毎日が連休のようなものなのだが)。もしどこかに連れてってくださる方がいたらメールください。泣いて喜びます多分。
写真キャプション:村田鶴の生家。
書かなければならないのは村田のことである。廃道本には書いたけれども本式の報告書としてまとめたい。それは2004年8月8日に初めて谷坂隧道に対面した時以来の願いだ。5年間追い続けてきたことの集大成だ。
廃道本に書いてから判明したことも多い。埼玉−>滋賀への職員大移動があった背景に何があったのか、村田がなぜ隧道にこだわったのか(二代目隧道工営所長となったのか)、少しは推測ができるようになった。間違ってもセンセーションを巻き起こしたりすることはないだろうが、自分にとって大きな区切りになるはずだ。
・・・と、こういう段階になって滋賀県の情報公開制度が進展して職員履歴も請求できるようになっていることを発見してしまいorz。しかも微妙に締切りに間に合わない・・・。おれの6ねんかんをかえせー。
(真面目な話、最初に滋賀県での動向がわかっていたらここまで突っ込まなかっただろうし、埼玉県文書館に2度も足運んでバシャバシャしたりもしなかっただろう)
埼玉県立図書館,飯能市教育委員会に問い合わせ.たぶん「はんのう」だったはずなんだけど・・・.その前に資料整理しろと.
してみたがやっぱり出て来ないぜ.今年5月の話だからな・・・.
工手学校カリキュラム確認.
予科 http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40041267&VOL_NUM=00002&KOMA=32&ITYPE=0
本科土木科 http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40041267&VOL_NUM=00002&KOMA=33&ITYPE=0
滋賀県民局からの連絡を待つ.間に合わないかも.
埼玉県行政史再読.埼玉県関係は意外と府立図書館にあったりする?
内務省史/官吏・公務員制度の変遷再読.恣意的なエピソード.
666.604.617.地方庁にも高等官食堂(p628)
移籍組5人+できれば友岡正介の滋賀県内での動向.県報が無理だったら官員録から<滋賀県にて
官位に応じて職をあてはめることって,何ていうんだっけ???
適切な言葉を探す.“コネ”から連想するダークなイメージ,計略とかうしろめたさとか.
http://spreadsheets.google.com/ccc?key=0AkYxaCHNFBfacHpLT3ZsOFNYMjFCczVOMTI3SUtGWkE&hl=en
のまとめ.
なんだかんだ言ってペーパーのほうはゴニョゴニョしそうだなあ
必要な資料は出て来なかったが熊野街道自転車旅の頃にコピってきてて間に合わなかったやつが出てきた.古トンネルの写真.ふるさとの想い出写真集・尾鷲より.
「鬼斧神鑿」の額が架かっているので西口だとわかる.これを見てまっ先に思うのは「こんなに高かったんだ」ということ.いま西口は土砂やら潅木やらで半分くらいしか見えない.埋もれてるわけではないが見渡せないのだ.
見渡せば見渡すほどゴミの山だ>部屋の中.すぱっと片付けられないものか.
余計なものばかり次々に発掘される我が部屋.S35要部修正の大台ヶ原山が出てきた,これで瀬戸−中奥ラインが判明したわけだが.
メールを送った割にお返事いただいても遅れる可能性大。連休明けまで気長にお待ちくださいまし。
あ、ココを連絡場にするつもりで書いてるんじゃないよ。日記だよ。
この部録"と豪雪地帯の“家のしるし”って同じだよね。
鈴木牧之の「北越雪譜」だったと思うけど、当時この地方はものすごく雪が深くて、家の棟さえ埋もれてしまうほどだったとか。なので一冬を家の中で過さねばならないこともあった。そこで雪の季節になる前に、屋根に高ーい竿を立ててその先に「家のしるし」をつけといて、雪が降った時の備えにしたとか何とか。
何の備えかっていうと、道行く人に「この下に家があります」ってことを知らせる準備で、それは掘り出してもらおうとかそういうのではなく、印を出しておくことで「ああ今道行く人に「この下に家があるんだ」と思ってもらえてるかも知れない」と思うことを一冬の慰みにするためだったそうな。
寂しいッちゃあ寂しい発想なんだろうけれども、人というものの本質をついてると思う。結局人は1人では生きていけないのよ。うさぎは寂しいと死んじゃうのよ(違。
それに気づいてしまった今、その真反対に進む方策を考え中。人でなしは人と同じことはしたくないのさ。というより先行事例に敬意を表して別のことしなきゃなあと思う。というわけでツッコミ大歓迎。あなたも雪の下の人と交信しませんか(謎。しかも返事が返ってくるとは限りません(非道。何しろ今日から留守に島寸で。
わが愛しの川上村に。
こんなものが。
あることを。
発見してwktk。というより鼻血ブー。むしろ昇天。しかも未探索支線がある。
いつ作られたのか? 誰が、何のために? 何が通った? あらゆるものが謎な一筋。紅葉の頃に再訪するのだするのだ。
masaさん辰さんお世話になりました。予定の箇所は案外だったけど・・・masaさんのお陰で上記の発見あり。いや、道自体はソコにあること知ってたんですよ・・・でもフツーの車道林道廃道だと思ってたンですよ・・・(負け惜しみ
連休前にいただいていたご指摘を修正。東熊野街道あちこち間違えてんな。そのついでにトップページのHEADLINEの出し方を修正してみる。最初から表示させておいてonLoadで消すように(ロードが完了して表示させてた前式ではその前に遷移しちゃいがちで見えない)。うまく行っているだろうか。
実はORJへ来る人(検索サイト経由)の検索ワードって「廃道」がトップに来ることは滅多にない。のだけど最近上位に来ている。目立つほどの急変化。こういう一般的なワードって実はGoogleとかYahoo!とかが裏でコッソリbot飛ばしてるんじゃないかと思ったりして一つの恐怖だ。そうでなかったとしても、このワードで検索する方は廃道ってナニ?という人だろうから、かえって逆効果だよなーと思ったりもする。何しろ有料だからそこから先に進めない。ここでいかに興味を持ってもらえるか、なのだろうけれど・・・。
実は検索でORJへ来るスキームは峠データベースが最も多かったりする(検索以外では当然山行がが最大)。記事関係ももちろんあって、足せばそちらと拮抗しそうなのだけれど、廃道よりも峠が上位にあって一般的に興味が持たれている現状、この劣勢は挽回できそうにないし、むしろこういう所に新規読者の開拓の余地がありそうな予感が(個人的に)している。しかし峠から廃道へ誘うのは簡単そうで難しい。山歩き方面は山メインだし現状では実用的じゃないし、走り屋さんは御免被りたいし、サイクリングは論外だし。え? お前も自転車だろって? 旧道倶楽部は邪道倶楽部なのよ。
連休挟んで一週間近く溜まっていたバックナンバーCDを発送。到着までもうしばらくお待ちください>各位。作って持っていってたらもう少し早く出せたのだろうけれど・・・抱えて山歩くわけにもいきますまい。
いろんなことがさりげなくさっさっと決まって、さすが会議に慣れている先生方という幹事がする。もとい感じがする。会の運営ってこのようにあるべきなのだろう。で、自分のペーパーはまだ中途だ!まとまらねぇ!
ここのところORJ誌の売り上げが少しずつ落ちてきてて,一方でこれから入り用になる場面が出てきそうな塩梅(例えば「廃道をゆく2」の執筆しなきゃいけないので取材に行かなきゃいけないとか,初孫が生まれたのでお祝を送らなきゃいけないとか(誰 )なので,販売強化月間とか何とか銘打って売込みを強化したいという話になっている.実際問題廃道巡やトークイベントが成功裡に終わったといっても持続的な収入源にはなってくれず,我々もまた霞を食って生きていける仙人ではないのだった.廃人(はいんちゅ)にはなれるだろうが仙人は無理だ.
苦手なんだよなあこういうの.自分や自分の書いたものを売込むのって.資本主義の基本だということはわかってるんだけど,カネカネキンコとか何とか非難の声があがるのは目に見えているし,商売ッ気を出すと間違いなく失敗するし(nagajisが),そうでなくても失敗するし(nagajisが).しかしまあその非難なり失敗によって失うのは自己に対する評価であって,畢竟自分が傷つくのがイヤなだけなんだろう>nagajisと思ったりもする.なのでやる.
とか何とかクダを巻くnagajisだが,本質は収入減より最新号の売れ行きの低下,と書くと同義か,最新号を確実に購読してくださっている層が徐々に減っていることが問題で,それが気掛かりでならない.最新号を確実に読んで下さっている方,すなわちORJを面白いと思ってくださり読んでくださってる方は総数の1/4ほどで,これが徐々に減少してくださりつつあるということはORJ誌の方向性がくだされた嗜好とズレていってるのではないかと判断されるということだ.今年の5,6月頃から何となくその傾向があったのだが.やはり東熊野が(以下自粛,個人的には廃道本やその他現実世界での進捗に比べて停滞気味なのも何とかしたい.
具体的には過去読者の評判が良かった記事を一つにしてベスト版を作り,今の無料号(18号)と差し換えて,無料で読めるようにする.今ナニをやっているのか読んでもらうことで読者の掘り起こし(というより18号で断念してしまった方々の再発掘)ができないかという狙い.18号からずいぶん変わったしね>ORJ.最近読み始められた方にとってもどの号を読めばいいのかという指標になるんじゃないかと思う.もともとpdfが体に合わない方にはゴメンナサイするしかない.
単に無料になって喜ばれるだけじゃね?という不安はある.けれどもこういう大鉈を振るわない限り現状は打破できないんじゃないか,というのが編集部の結論.いつまでもお口あーんして待っているわけにはいかないのだよ明智君(2度目
とか何とか言って自分が取りかかれるのは30日以降になりそうな塩梅だ.それまではヨ氏とT氏に寄生する.
激しいツッコミの嵐を受けつつ(感謝!)しかし空気を読まず勝手に次回探索OFF計画を立ててみる。そのお詫びとしていきなりのベストショット。
場所は今号東熊野で紹介した山葵谷の谷底。対岸の謎の道がそれ。木馬道であるようにも見えるしトロッコ軌道であるような気もする。沢沿いに進んで下の林道まで出られるが、途中で一カ所分岐があって、その道がどこまで続いているのか確認できていない。下から見上げるとえらいことになっていたが・・・。
下流の伯母谷林道は谷全面を塞いで工事中。川底にまでトラロープが張られているうえ11月まで工事しているとのことなので、この方面からのアプローチは事実上不可能だ。旧国道から無理に降りると死ぬことは実証済で、しかし無事に到達できる道筋がたった一カ所だけある。それを知っているのはおそらくnagajisとmasaさん辰さんだけだろう。
他にも回りたいところがあるので、nagajisは2、3日泊まり込んで、そのうちの1日を山葵谷探索OFFに当てるとよいかも知れない。伯母谷ループの真下あたりに集合・現地解散とか何とか。紅葉の頃を狙うなら11月頭だろうか。焦るなら10月連休だが次号が遅(ry。もちろん連休気にせず1日だけにするのもありだ。ご希望あれば承り□。
_ nagajis [なるほどなあ。参考になります>皆様。少なくともORJ忘れられているわけじゃないので安心しました。 いま継続して買って下さっている皆さんからゴルァされず、忘れられた人に思い出してもらえるような工夫、..]
_ WV [ロック付き有料のHPを作成してみては? ORJ、結構容量が大きく、気構えしてからでないと 読めないです。 HP、見るのに毎月300円程度なら問題なく払えます。]
_ おっぱい [ひとつ提案があります。 映画や食玩などでも懐かしモノは一定の支持があります。 (映画オールウェイズやグリコの懐かしオマケなど) わざわざ宣伝に出向かなくても記事中の複数要素の中に懐かし系 を入れる..]
を書いて以来新規登録が増えた気がするのは気のせいか。総読者数調べちゃいやーんheart;
各方面からご心配のメールをいただいたり突っ込みいただいたりして実は吃驚していたりする。皆さんもいろいろモヤモヤしたものを抱えてはったんだよなーと。読み取れないnagajisは編集長失格ッ!次号から受付が編集長をします!(ぉ
という自虐はさておき、自分がやりたいと思うことを突き詰めていくと今のようになるのだなあということがはっきりしたわけで、これはnagajis不要論方向転換の必要性を今以上に感じる。いちばんの難物はnagajis。コイツの理想と願望をねじ曲げてやればコトは早く済む。なあに、曲げるッたって180°だ、まるごとくるっとひっくり返せば済むだけだ。そのためにここで忌憚無く書いて忌憚だから。
浜寺公園へ行ってきます。鉄道駅舎や古レールに興味のある方、12時半に南海浜寺公園駅へ。会員外でも何とかもぐり込めるはず。スキンヘッド+青いバンダナ+丸メガネのひとに「ここはひどいインターネットですね」の合い言葉をいうと参加できます(できるかも知れません/できないかも知れません/合い言葉は何でもええです)。
加古川山友会 稲葉 矢部優 奥平玲子 (トマトの中に)仲井 ○柿 キタ参上 松下 ------ 槙英昭 正明 大和紘 大阪市 宮園(?) 御国野 深志野 金井巳 ------ 多加政広 阪根映(?)子 内海憲司 阪根友紀恵 阪根みさえ 米田京子 さくら ささゆりクラブ 佐々木正志 2007.11.19. 佐々木正志 土志義明 松本静代 広岡弘子 三木乙人 原田三重子 新町 角南 上田 宮田光枝 宮田千恵子 佐々木雪江 佐々木昭子 稔彦 計17名
特に加古川山遊会とささゆりクラブとやらは重罪だ。山もこの碑もあなたがたのものではない。該当者は直ちに消しにゆくこと。
9/21、吉野へ連れていっていただいた時に。とある河川敷の公園の片隅。朝方着いた時はサンルーフつきのでっかいワゴン集団が駐車場の一角を分捕ってテーブルやらタープやらを拡げて飯食っておったが、夕方戻ってくるとこれが置かれていた。この公園にはゴミ箱はなく「ゴミはお持ち帰り下さい」と大書された看板が立っている。
あれだけの荷物を運べる大きな車でやって来ておいてゴミは残していく人々。都会からやってきて場所と空気と水とトイレをさも当然のごとくに利用してゴミを残していく人々。なかには新品のバーベキューセットを一回使ったきり、その場に放置していく輩もいるらしい。注意をすると逆ギレされるらしい。2002年6月、茨川で同様の光景を見た。
さらに切なくなったのは、この写真を撮った直後に村が回収していったことだ。わざわざ「○○村環境パトロール隊」と描いた軽トラックで。そういうものを用意して回らねばならないほどそういう輩がいるということだ。
ダム建設に翻弄され、過疎に翻弄され、それでも外から人を呼ばねばならない村に、やってくるのはこういう人々だという切なさ。礼をした私たちに対して冷たい目しか帰って来なかったのも仕方ないと思う。
その晩はその晩で、トイレ脇に泊っていたライダーが水道の水を流しっぱなしにして寝ていた。フライパンがわりに使われたチタンコッヘルの蓋に、ポツリポツリという雫であったのはせめてもの良心かも知れないが、目の高さに張られてある「節水にご協力下さい」を見なかったはずはあるまい。それは旅人の、バイク乗りのすることではなかろう。
もし、これがアウトドアライフというものならば、私はまっ先にアウトドアライフとやらと決別する。同じことをする者とは思われたくないからだ。何ならニンゲン辞めたっていい。
夕方、河川敷に降りる階段に腰掛けてぼうっとしていたら、おばあさんに出会った。「今日は泊りかえ?」。「ええ」、という返事が少し恥ずかしく思えた。継ぐ言葉に悩んでその日の探索の話をした。
「今日は上の古トンネルへ行ってきたんです・・・明治に作られたっていう、古い小さなトンネルがありますよね」「あー、あれ行ってきたんか」「そうですそうです。それから、その上を越えてたっていう昔の道も」「あそこはデンパツが年2回草取りしよるけえのー」「へぇ、そうなんですか、どうりできれいな道だった」「トンネルは潰れとらんかったか」「少し崩れてましたけど通り抜けられましたよ」「今ん道路ができるまではあれ通っとったけど、コウモリがおってコワかったわ・・・」「いましたいました(笑」
なんでも、トンネルを掘った時の石屑を東口の斜面に捨てたのだという。そのせいで一帯の杉植樹に苦労したと。「他所から土持ってきてな、それ撒いてから植えたんよ」「へぇー」。見上げれば、そんな過去を語ることもない杉の森が拡がっている。
それから、よう来たねえというような話があったように記憶する。それが一番嬉しかった。そういえば前回、ここへ来て人に尋ねた時も「(この土地に)興味をもってくれてありがとう」と言われたっけ。感謝されたことが嬉しいのではなく、その人が喜んでくれたことが無上に嬉しかった。
それが本当の旅だ、とは言わない。そういう旅のほうが好きなだけで、それを広めたいと思うばかりだ。
そうしてふいんき(なぜか変換できない)をぶち壊すのがnagajisだ。空気を読まないことに関しては一日の長があるという自負がある。
古い写真。2002年8月、福島県の南の端のほうで。一瞥で「?」となり、読んで「!」となる良いタイプの看板。ただ単位系が統一されていないためじっくり読み過ぎると奇妙なポテンシャルが首をもたげてくる。
30歳、40歳、50歳のスピードで走るとはいったいどういうことなのか。脂の乗ったバリバリ働き人としてのスピードなのか。酸いも甘いも噛み分けた玄人的な走りなのか。三十路の私だがまだ判らないということは80まで長生きできないのかも知れないと思う。
80km/hで長生きするというシチュエーションも想像しづらい。そういえば昔アラレちゃんにバイクに乗っていないと死ぬというキャラクターがいた。そういうものを指すのかも知れない。あるいは「スピード」のことか。時速50マイルといえば丁度80km/hだ。しかし「まで」というからには80km/hが到達点なのであってすでにバスは爆発している。年を重ねるにつれてスピードが速くなっていくということかも知れない。人間80歳にもなれば80km/hが出せるようになると。
30、40、50歳を生け贄にして80歳を生かすという読み方もできるが何だか生々しい感じもする。年金問題何とかしてください>長妻さん。
そんなこんなで、この写真を目にするたびにキリのない詮索の海に溺れることになるのだ。
こういう数字系看板を見ると無意識に四則演算したくなるのは何故だろう。実際にするわけではないがパッと見て「あ、キリがいいな」とか「惜しいな」とか思う。30+50=80で40が余るとか。60だったら(30+40+50)÷2でぴったりなのにな、とか。そうして60まで長生きしましょうということになる。それでは説得力がない。
逆に数字から何かを連想することも多い。例えば国道29号線のおにぎりを見ては「肉〜」と思う。思うだけならいいが「にく・・・」と呟きさえもする。それ以外のことが考えられなくなる。
nagajis視点ではこう見えているわけである。
なので絵で。
朝を待つ間の時間潰しに簡単な報告をかいてみる。
今回の見学会は鉄道中心。何てったってあのOさんが案内して下さるのだから。事前調査ですごく詳しい資料を作って下さっていて有り難いこと限り無し。これと比べると廃道巡のnagajisの栞なんてやっつけ仕事だ。
いきなり脱線した(鉄道の見学会だけに?<だから脱線するなと)。最初は南海浜寺公園駅。明治時代に作られた希少な駅舎だとは知っていたが辰野金吾の設計だとは知らなかった(甘。ただいま高架化工事が進められていて、現位置から移動させられることになっている。あ、詳しいことはヌキにしてnagajisの「へー」だけ書きますあしからず。
浜寺公園駅というからには浜寺公園の入り口になるわけで、その浜寺公園にも立ち寄った。明治6年に大久保利道利通の一言から始まった海浜公園整備事業。最盛期には一夏百万人が訪れたというほど有名な観光地だった。ゆえに足となる鉄道も複数作られて、例えば南海があり阪堺電鉄があって、壮絶な旅客争奪戦が繰り広げられたのだそうだ。
これともう一つ、昭和11年(だったっけ)から18年まで存在した幻の一線があった。孝子街道沿いに作られた軌道が公園の北端に乗り入れていたのだそう。「跡はなあんにもありませんけど…」というお言葉通り何もなかったがそういう見えない遺構は大好きだ。松林がそこだけポッカリあいていて、確かに駅舎か何かがあったように感じられる。
南海駅に戻って中の見学。Oさんはレール研究の第一人者なので古レールに関するいろんな発見をさせていただいた。例えば浜寺公園駅には路面電車で使われていた溝付きレールを流用した架線柱があると教わった。nagajisは実物を見るのが初めてなので結構嬉しかったり。溝付きレールはすべて外国からの輸入ものだったという解説もへぇボタン50回くらい叩きたくなった。量が捌けないから自前で作るより外国から買ってきたほうが安かったのだそうだ。
この駅には他にも古レールが沢山使われていて、刻印が読めるものは1897、1898年のCARNEGIEを中心にいくつもある。当時の南海の社長がカーネギー氏に傾倒していて、そのせいでCARNEGIEが圧倒的に多いらしい。へぇ〜へぇ〜へぇ〜。
KINIAS見学会は1人じゃ入れないところに入れてもらえることが多いのが魅力(と勝手に思ってる)。この日も普段入ることのできないホーム(今は退避線になっている)へ入れてもらえた。このホームは今の駅舎が作られた時からあるものだそうで、当時はあまりにお客が多いせいで浜寺公園始発の電車というものがあり、それがこのホームから出ていたのだそうだ(であってるかな・・・うろ覚えで書いている)。ホームを横から見ると当時の石組みが見え、それは当時南海が初採用した床高電車の床の高さと同じであるらしい。
もう一つ、見学会の魅力は大勢で批評できること。ゆえにいろんな発見がある。写真のプラットフォーム屋根の構造もそう。一見なんでもないアングル構造なのだけど、L鋼は中央のガセットプレートや古レールのガセットとはリベット1本だけでつながっていて、いわゆる剛接合にはなってない。すなわちここがヒンジの役割をして、自由度の高い構造になってる、という指摘が参加者からあった。屋根が風に煽られても応力が逃げる(古レールがたわめる)構造なのだ。浜に近いから浜風を考慮したものらしい。使われているL鋼も今のJIS規格にはない細いものなのだとか。実務経験のある人じゃないとそういう指摘は出て来ないよねー。
その後隣の諏訪の森駅へ移動。この駅舎も浜寺公園駅と同時代の作大正時代に作り直されたものっ。ステンドグラスが嵌め込まれたオシャレな建物だ(なんとかという様式に則った建物なのだけど・・・失念した上いただいた資料が埋もれてて発掘できず)。写真のような小粋な装飾があちこちにある。
公式な?見学会はここで解散。以降オプションツアー的な見学会。
さらに移動して住吉公園へ。太鼓橋は架け替え工事中だったけれど、沢山ある石灯籠の一つが吉野材木方から寄進されたものであることを発見して1人wktk。筆頭の「北村又右衛門」は下市の大林業家だ。明治時代には土倉庄三郎と双璧をなしていた(北村家は代々この名を継いでいて、今でも当地の林業の中心人物だ)。
んでもってその筋には有名な阪堺電車のダイアモンドクロッシングを見に行く。大阪で唯一残る路面電車の阪堺線(恵比須町〜浜寺駅前)と上町線(天王寺駅〜住吉公園駅)がクロスする場所。複線×複線なので複雑極まりないコトになっているうえ例の溝付きレールが現役で使われている。しかも上町線はこのクロス(住吉駅という駅でもあったりする!)の隣が終点。開設や統合の歴史があってこうなってるんだろうけれど、存続させてるのは阪堺が楽しんでわざと残してるに違いないと思う。
大阪に長いこと住んでいる割に阪堺に乗ったことがないので、こういうのがあるのを知っただけでも充分面白かったのだけれど、帰りはその阪堺に乗って天王寺まで行っちゃったり。路面電車いいよね路面電車。
上町線は明治30年代に作られた馬車鉄道が元になっている。その終点駅だった東茶屋駅には「馬車鉄道跡の碑」があって、これを見にゆくというOさんに御同伴させていただくことにした。思わず一駅乗り過ごしてしまったのだけれど折角なのでと古レールを探しつつ北上。
北畠駅から東天下茶屋へ向かう途中でOさんが見附八田もの。一見するとただのH鋼(を使った架線柱)に見えるけれど、実はレールだ。通常のレールよりも背が高いHTレールと呼ばれるブツ。これに側面からもう一つ通常のレールをリベット留めしている。言われなきゃ気づかないよウワァァァァン!
東天下茶屋からさらに一駅歩いてみることになり(ヤッタァ!)、沿線の鉄柵に使われている古レールをチェックしつつさらに北上。沿線のレールはことごとく1897or1898のCARNEGIEで、そうして到達した松虫駅の駅舎のレールもCARNEGIE。心底残念そうなOさんに探究者魂を垣間見させていただきました。
自分はここから西へ歩いて阪堺線経由で帰ることにしてみる。見ず知らずの夕暮れの住宅街アンド商店街を歩いていったが、心慣れた大阪ゆえか寂しさは感じず。むしろ面白かった。到達したのは松田町駅(写真)。このうす寂しさがいい味を出している。
たまたまこの駅舎にも古レール。Oさんに習って私も古レール鑑定をしてみたところ、ここでようやくCARNEGIE以外に出会った(浜寺公園駅にもドイツ製レールがあるけどね)。
BV& CO,LD 。1897年。びっくりする位に綺麗に読めてwktkしたものの、珍しくない英国製レールみたい。末尾にあるのはK.T.K.で関西鉄道クワイシャのもの? 上り下りの両駅舎の端の柱がみなこれだったのはわざと選んで使ったのだろうか。
ひととおり書き終えたぜっ.あとは尾ひれをつけて梗概に書き直すだけ.あくまでも「だけ」だけど.
寄稿承諾してくださった皆様,返事はちょほいとお待ち下され.明日晩(29日夜)くらいにはガッツリ.
キーボードが新しくなって調子こいていろいろ書いている.そのうち灰がたまってどうしようも無くなるんだろうけれど.今後しばらくはこれで戦わなければならないからな.よろしく.
少しスケジュールを立てておいたほうがいい.明日昼間は方々へ電話しよう.夕方から仕上げ.30日には終えなければならん.晩にはメール返信もろもろ.宗太郎,林鉄,赤松峠.
ところで自分はどうするのだろう?
T/O
時々下腹部が鋭く痛む。数日前に飲み込んじゃった梅干しの種が腸に引っ掛かってるんじゃないかという悪寒。あれって溶けるんでしたッヶ。少なくとも下からは出てきてない。
このへんで切り上げる。最後にもいっかい目を通して提出。構成がうまくないけれど...ペーパーでそこまでしきらんけん。
なんとか29日中に終えた。あとは・・・自分のが問題なのよ。
東熊野街道(五社峠,伯母峰峠,上谷上道,その他,北山郷)沿線.懲りないひとですね.
音水林鉄網.これも複数ページ規格.
鳴川山林鉄.
野又.
船津街道.水越線はそれだけでは薄いかなあ.
こっそり戸倉入れようかと思っている.明治国道として
志戸坂.
有巣峠.nagajisのぐだぐだを抜いたら面白いと思うのよ.廃道の奥の廃道.
摺子(無理).
三浦隧道を頂点とする熊野街道煉瓦隧道群<コレは可能性低いな.
千原.
徳川道.
六甲ドライブウェイ旧道(道の意外性として).
由良洞,鹿瀬洞.
予定地.
六甲越.住吉周辺と有馬のアレ.
相坂の西側確認の事.ふつーに破線道でした…
明治山陰道.
明智峠.四十曲峠.地味だなあ.
伊勢本街道と受取新道.要再訪.
背景がわかるなら志賀越入れてもいいんじゃまいか.
すげえ奈良県に偏ってる.遷都1300年だしいいか(よくない).鈴鹿隧道はむしろ後半ネタ?
このほかにこんなネタがあるよ〜という情報お待ちしてます>関西.必死です.
つーかね.通行止め標識どーん,とか2車線アスファルトどーん,みたいなののほうがわかりやすいと思うんだ.明治荷車道って写真にするといまいち状況が伝わらない・・・.
まあた溜め込んでいた分を発送する。いつもすみません>皆様
部屋を片付けろ。3カ月分の資料とゴミが溜まってる。「とりあえずダンボールにいれときゃ何とかなるやろ」作戦で誤魔化してきたが埒があかなくなった。そのダンボールを移動させないと隣の部屋にも移動できないという滑稽。
_ マフ巻 [パイナップルARMYとは渋いですな。 なにやってんだ?]