nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
昨日のにSVG貼ったらタブレットで見れなくなったのでここにかく。
東京編を作る段階になって〔〕書きの不親切極まることに気付かされ北海道編からやり直したりしている。関東編が完成したとしてもそれを西へはっきゅーさせる必要がある。考えただけでも泣きそうである。あっちは通年データをごちゃまぜに使ってるからな……。またExcelと戦わなければならない。
Ill.への落とし込みが終わったとしても凡例作ったり社章つけたり「日本煉瓦史」反映させたりせんといかん。出典.xlsも整備しなければならぬ。地獄的罅は終わらない。そうしてもう半月は触れない。2月末までにできるんだろうか。つーても出来たところで何の功徳にもならんのだが。諦めて3月末とかにしたほうがいいよ。早期完成なんかだれも求めちゃいない。
結局のところこれを作ったところで自分が活用するわけでもないのだった。nagajisが全国の煉瓦工場を把握できたというだけで、出来上がった表を誰かが見て自分と同じ程度に把握できるとも思えぬ。表ができたからといって死んだ子は生き返らないし統計が正確になるわけでもないし景気回復が実感できるようになるわけでもないし月々の通信料が安くなったりもしないし西野カナの震えが止まったりもしない。冬から春になるだけである。まったく何のために作っているのかわからない。何かしていないと無駄に生きていることに気づいてしまうからその何かとしてやっているだけなんだと思えばよい。
京阪間の上神崎川橋梁工事の際、橋脚は直径三呎の錬鉄製円筒を接続して構成したのであるが、之が捲込み作業中、偶河水涸渇して「サンドポンプ」用を為さず、工事指導の外人は施すの術なく大に困惑したのである。時に黒鍬の一人これを見て「これしきの事、一考するだに及ばず」とて挺身円筒内に飛び込み、直にに空堀を始め工事を進めて、機械万能主義の外人技師を驚嘆せしめたと云う。爾来鉄道工事の在る所、黒鍬の関係しない所は殆ど無いと云はれた。」
(『日本鉄道請負業史-明治編-』(鉄道建設業協会再刊)p.22 強調筆者)
大前提超崩落。しかしそれ以外の資料では煉瓦円形井筒なんだよ。http://library.jsce.or.jp/jscelib/h_bridge/02327.htmとかM25の鉄道線路各種建造物明細録. 第1篇とか。下神崎川とかの神戸方面の橋梁の話じゃないのか。
逆に考えよう、あの橋脚が本当にM9製なのか否かを突き止めるため、だ。
いーかげん息継ぎしないとしんどい。娑婆世界の空気が錐体。婆娑露対照群。
なくてもいいだろうという資料をつくるために830えんもの出費をする。馬鹿ここに極まれりである。しかしこれで本気が伝わればいい。
天竺川沿いに北上するというアイデアはまさに行き当たりばったりでしかなかったのだけれどもこれ以上ないという位にグッドアイデア。なめたようにきれいなアスファルト道で仕事量限りなく0で運搬できた。
そのまま家まで行ってしまうのも無理ではないように思われたが当初予定の位置に搬入する。途中腹が減ってたまらなくなりマクドに寄ったろうと思ったら店舗改装中とかでドライブスルーしか営業していなかった。しかもご丁寧に「徒歩・自転車の方はドライブスルーはご利用いただけません、近隣他店舗をご利用ください」という張り紙までしてある。なんともはやである。そこに台車で突っ込んでいたらどうなっただろうと思ったりした。大八車が車両扱いなら台車だって車の一片鱗じゃないのか。しかしその我を通すと歩道を通行できなくなるわけだからやめておいた。とにかくマクドはくいっぱぐれた。
結果が帰ってきたのだが血中の悪玉コレステロール値が異常に高いだけで他はオールAであった。要するに前回の健康診断の結果と何ら変わるところがないわけでむしろ精密検査を要求されていないだけましになっているとも言える。なんということだ。だったらこの手足のしびれと藤沢周平原作耳鳴りの原因は何処に求めればよいのだ。血中脂質過多が慢性的になって脳梗塞になりかけだとか毛細血管詰まり気味というのはあるかも知れないが以前より改善しててこの症状なのだぞ。どうしたものか。どこか近くに適当な無いかは内科。
書きたいことが書けずに我慢すること数ヶ月な生活のせいで書きたいことが書けなくなったそりゃおかしいわ、書けないことがますます書けなくなったようである。困ったことである。
感覚の共有。感覚の追体験。 感覚の再現。どれもしっくり来ない。感覚を感覚として悉知すること・できること。それそのものを自分の感覚として感じること、その一致。ものを過去の第三者の視点で正しく見た時の。正しく? 正しいかどうかはどう判断するんだ。そこを正しくするために歩き続けておるのか。感覚を寄せていく較正作業としての廃道探索、だったらそれが面白いちうのは手段の目的化ではないか。
感覚の一致。一致感覚。共感ということばが二義的でよくない。 感覚に寄り添うべく漸近し匍匐前進し続けてきた結果がこれだよ。
目の前のものだけで判断するとそれは自分の価値基準に立脚した判断であって「好き」「嫌い」「プギャー」にしかならぬ。目の前のもの+バックグラウンドの知識で過去の感覚に寄せていく作業の必要性。それによってものから正確に過去を識る面白さ。知ることができるようになる・できたつもりになれる面白さ。文字にならなかった感覚を今あるものから復元していく作業。
pdfを上げるのが遅くなってしまったため16日に少しズレこんでしまった。うむ。気にするくらいなら14日版のうちに作成し終えて15日朝から発行してみろってんだ>nagajis。
早起きして朝からかかろうと思い目覚まし時計をかけて寝ていたらそれが鳴り出すよりも先に主任から電話がかかって目が覚めた。朦朧とする頭で応答したら、どうも出社中に事故に巻き込まれてしまったとのことで、代わりに朝準備をしてくれとのことだった。え、今日はワタシ休みのはずなんですが? などということはおくびにも出さないで諾して出かけた。この役立たずはそういう時のためにいるのだと思っている。案の定私の休みは忘れられていた。仕方あるまい事故に遭えば誰だって気が動転する。
それで結局いつもと同じような時間帯からスタートして24時20分までほぼ張り付いていたのだから褒めてやってもいいと思うのだ。途中吉野家に行ったりうたた寝をしたりはしたが正味14時間以上は稼働しておる。そうして今月の煉瓦にココで作ったポンチ絵を使う辺りは姑息である。
しかし金曜日に吉野家に行くべきではなかった。[禁則事項です]が[禁則事項です]しており牛牛詰もいいところ。一人で4台も5台も持ち込んで、そういうやり方もまかり通っているのかと思い国の未来を憂えたりした。いずれにしろソフバン筺体のSIMロックを解除してDoCoMoロムに焼き変えたうえでMVNOしてるような奴には無関係なイベントである。
さー15日は終わった終わった、煉瓦が割れる! いや煉瓦を割ったらあかん、モルタル割れる! 今回は秘密兵器まで導入して技倆を磨くつもりでやる。それが終わったら工場表の仕上げだ。これで2月は潰れるに違いない。
近頃またぞろスパまつりが始まっているのだがスーパーへ行くと早茹で○分などという束ねられたスパかちょっぴりしか入っていない高い無束のパッケージしかなくて困っている。
早茹で麺はどう頑張って作っても不味くなってしまう。せんだってなどは外国産早茹で2分という代物がありそのあまりの安さにつられて購ってしまったがやはり大失敗であった。茹で上がりが早い分その後の「ふやけ」も加速度的に進む。スパの内部時間が実時間の2倍速3倍速で進んでいるかのよう。半分ほど食べ終えた頃には既に弁当の下敷きのスパのごとくになっていて、ヘタすると一口目からそれになっている。
結局100えんローソンで売っている無束の外国産パスタと、同じく100えんローソンで売っているたっぷりミートソース2~3人分を買ってきて作るのが無難だということに行き着いた。そうして麺を茹でる時に小松菜2把とかオクラとかも一緒に茹でて食すのがいい。できれば寒天も加えたかったがどう考えても有効的に摂取できぬ。
こういう安上がりな食事で心から満足できる舌と胃袋とであることが誇らしい。あと早茹でスパの麺もやはり3本に折れることを確認した。
新御堂の高架の下、南方駅の向かいの辺りで。年1個のペースというのは多いのか少ないのかよくわからないが、ともかくまあよくも採取し続けているものだとは思う。
北海道編の仕上げをと思って弄っていたら大日本商工録データを入れ忘れているのを発見。この段階から入れるんはすげえ面倒なのよとほほ。
ついでに北海道編に佐藤煉瓦工場入れ忘れてるのを発見。この工場は昭和煉瓦製造所になったり謎の窯業株式会社になったりして3段要求してくる。しかしもう1枚目は一杯なのだよチミ。。。ああどうしよう。南北配列を諦めるか・・・。野幌と札幌と小樽で1枚使ったらそれなりに収まるんじゃね?と思ったりするが果たしてどうだろう。
佐藤煉瓦(西野幌10)は戦後から報国窯業だったか報国煉瓦だったかが存在していてしかもS24版には2工場がここに存在している。どういうことだ。電話番号野幌16でマッチングしようとしたらまた別のそして何か焼くものがこの番号使ってるし。わけわからん。
ハツリハンマーほど重いのじゃなくてコココココココと叩けるような小さなトンカチ欲しいなあと思いホームセンターに買いに行く途中にリサイクルショップがあることを思い出しこの用途程度だったら別に中古でもいいやろと思い直してそちらへ行ったら新古品が幾らもあって100えんだった。そーそーこんな感じのんが要るんよということでそれを買おうとしたら400えん請求されて「えっ」と思った。値札読み違えていたのだ。ばーかばーか。
400えん程度なら別にそれでも良かったはずだが慌ててしまって別の100えんのを書い直してしまった。すごいケチと思われたに違いない。すまぬ店の人よ。
しかしこの100えんトンカチ、小さいながら中々使いでがありそうなカンジだ。打つ方の反対側が横一文字になっていて、そこをハツリに使うと細かなモルタルがうまく落とせる。中性化して塩酸に溶けなくなったやつを落とすのに最適だ。
ああこれいい感じ、こういうのが欲しかったんよ、ということで砥石で削ってさらにはつりやすくした。縁に残った細かいモルタルをコココココココと叩くと縁を欠くことなく落とせる。 あんまり尖らすと煉瓦に傷行ってしまいそうだがそこは技量でカバーだ。同じことを400gハツリハンマーでやると縁が欠けるうえに腕が死ぬ。
欲を言えば自動でココココココとやってくれるのがあったらいいな。溶接のチッパーのハンドクラフトサイズ的なのとか、刺青ミシン?のマイナスドライバー版とでもいうべきもの。そんな都合の良い道具はねえだろうなあ。あれ、そういやミニルーターのシリーズでカービング用のそういうのがあった気もするなぁ。
一昨日は大日本商工録を入れ込んだところで力尽きた。昨日は北海道と東北、越三件を形にしたところで地震がきた。半トカトントンとなって関東甲信は進まず。かわりに既知刻印の図を書いて茶を濁す。これ作るのも結構手間なんだ。
結局余白を多くする方向で進めている。そのほうがあとで困らないだろうと思う。もし全国諸会社役員録とか帝国商工信用録とかも手えつけるんだったら増える方向にしか向かわないものな。関東も栃木・群、埼玉、東京×5、千葉・茨木、神奈川、といった構成になりそう。静岡も独立1枚か。
はよ片付けてらくになりてえなあ。
出掛けに赤白帽が落ちているのを発見し、庇を縦にして赤白半分にかぶるやつを思い出したのだけれども、小学生あるあるというよりもむしろあの行為のクリエイティビティについて思いを馳せた私であった。赤を被るあるいは白を被るという目的で作られたものを工夫によってそれ以外の使用法を編み出したあの頃の私たちにはお仕着せに満足しない発想力があった。発想の飛翔があった。そういう別用途の発見は実は人類叡智の発展の礎にあるものと同じなのではないか。木の棒は在るだけではただの木の棒だ。それを振り回して武器にするとか足を痛めた時の杖にするとか、組み立てて住まいをつくるとかいった創意工夫があったればこその今日の文明社会ではないのか。帽子をただ被るのに飽き足らないでウルトラマンにしてしまう工夫はそれに準じるあるいはその端緒となる行為なのではないか。そんなことを思った。
翻っていまはどうだ。用を用とするばかりで新しい発想をしていないのではないか。与えられた仕事のルーチンワーキングから外れるようなことを避けていないか。ナイフをナイフとして使うほうが(ナイフ用途に特化したナイフのほうが)かえって色々便利だというようなことには気づいても、ナイフでもって新しい何かを創り出そうとかより便利に作り変えてやろうとかいう気概がなくなってないか。缶切りの代替品としてナイフを使って不便だ不便だと言っているような毎日のような気がしてならぬ。せいぜいそこで缶切りを買ってくるくらいしかしてなくないか。結局は既存の便利に依存している。
発想が足りぬ。工夫を怠っている。柔軟な思考で現状を、打破するんじゃなくすり抜け躱してゆく軽快さがほしい。
うはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは。うは。
http://bdb.kyudou.org/documents/factorylists/
ふう。
私にはこの煉瓦の元使用先がわかる。この煉瓦の刻印を打った判がその後幾許かして右上右下の線が欠けてしまったことも知っている。今から約120年前にこの煉瓦を作った人の仕業を知っている。我ながら、すごいと思う。
各方面におくりつける非道を働く。さて、ここからどうするか。
ToDo:出典一覧の作成。ドキュメントの整備。書式を西日本編へバックポート。陶弘の社章は愛知県編に反映のこと。あと福井を移動したので削除の方向で。
全編くっつけたのを作ってみようか。串刺しで検索したい。Acrobatにはマルチファイル検索はなかったよなあ。
なんか商工録漁ってたらいくつも社章が出てきたばい。富岡煉瓦とか磐城シャモットとか山本商店煉瓦製造部とか旭煉瓦とか。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1108840/19 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1035481/30 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1052896/17 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1052896/73 山本 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1120856/13 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1120856/47 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1120856/231 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1036962/14 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1036962/73 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1090869/10 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1136915/502 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1136915/960 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1026095/157 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1136923/552 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1136923/914 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1136923/1036
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/948753/36
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/948753/65
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/948753/256
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/948753/293
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/948753/307
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/948754/221
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/948754/227
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/948754/240
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/948754/332
ひととおり作業して今日はおしまいという時に明日の仕事の確認のつもりで出典.xlsを開いたら商工信用録T1とかT8とかあったのに気づいてしまったのが運の尽きである。北海道と東北と中部を全見するはめになった。
その結果として久保組屋号がヤマ大であることや函館製瓦が加藤春吉商店と同じ屋号だと知ったりして嗚呼大変。宮城の伊勢久治郎工場、静岡煉瓦の前駆体たる大野銀蔵工場とかも拾ってしまってマルダイとヤマダイが全国に乱れ飛んでおる。とりあえず屋号社章だけ反映させて早や第3版である。ばーかばーか。
「のぼり窯」ではイリヤマに大と書かれてあったと思う。久保組という名前も変えてあったから屋号も少し変えていたのだろう。ともかくこれで北海道の二大巨頭を抑えられたが多分屋号印は使ってなかったんじゃなかろうか。「国内煉瓦刻印集成」などにはマルコメもヤマダイも出て来ない。○宮○西とかはあったみたいだが渡辺煉瓦の識別印らしい。
大久保工場もわかったらいいのにな。北海道庁では漢数字「六」があったがあれが大久保工場だったりするのだろうか。
えーっと、最初の「煉瓦を読む」はたしか2013年。 ここまで来るのに約6年か・・・。もうそんなになるのかー。
北海道庁拓殖年報を見ていて大変なことに気がついた。工場表の●は資料の発行年ではなくデータの年度時点(「○年末時点」とか)にあわせて乗っけていたのだけれど、「末時点」だったら○+1年のところに置かなければならないのではないか。例えば明治29年末時点データなら30年1月1日にはたぶん存在していたはずだから30年のラインのところに●を置いて30〜31年をダッシュにせねばならないのではないか。拓殖年報第11回は明治29年版で29年末データを載せている。となると明治30年ライン上に●となることになる。これまで作ってきたやつではM29に●している。
そう思って工場通覧などを見返してみると、M37版なんかはM37末時点の情報と書いてある。そうすると+1の必要が生じる。一方昭和の通覧は5年末データを7年版としていたりする(それを端数切り捨て的に5年に●&6年までヒゲにしていた)ので6年●7年ヒゲとせねばならないのではないか。
工場表のアイデアは泉南市埋蔵文化財センター年報から拝借したのだけれど、この年報では発行年を●としていた。そうすると昭和期の工場通覧などは+1年になってしまう。それに気づいてデータ年のほうに●を置くことにしたのだが、年度末データとなるとちょっと話が違うことになってしまわないか。
私家版の工場表は商工録系のデータも載せてある。これはデータの取得年次がはっきり書かれていないものが多く、それらは発行年の前年としていた。その年の前年末の調査を本年版に反映するイメージで。しかしそれも例えば昭和5年版なら4年末にはデータを持ってきているはずなので発行年前年をデータ年としていたが、やっぱり格闘する者に昭和5年に●なんじゃないか。
北海道の長野煉瓦工場で現状データと疑念晴らす形式とを作って比べてみた。開始年は変わらないがそれ以降が軒並み+1年になる。そこまで厳密に知るための表ではないのだけれども、こういう形式にしてしまった以上「17年まで存在してた」と臆断されてしまうのは避けたい。かといって全部のデータに+1年くらいの誤差ありますと記すのもマヌケな気がするし全データ+1修正するのはなおさらやりたくない。
いろいろ考えた末、どう考えても解決しそうにないので――そのうちnagajisは考えるのをやめた。
横軸の示し方がよくないのかも知れぬ。年の縦線の位置が○年1月というわけじゃないのだ。あくまでもその年のある時期には存在していたというくらいの意味しかないのだ。年を軸にすると連続的なものと思われがちだと思うがそうではなく離散的視点で作っている。それを一見でわかってほしいというのは無理だろうし第一自分が見て混乱したくらいだからな。
直感的であるようでそうでない、誤解を招きやすいという意味ではまったくダメなインターフェイスである。
だからといって「明治○年」の表記をずらして線-線間を1年と見せる(+縦線をずらす=線-線間に●をおく)というのも姑息でしかないだろうしなあ。
以前の取り方を踏襲して北海道庁拓殖年報と商工興信録のデータを反映。北海道は3分割に改めて、ついでに『函館区史』から函館製瓦の創業年を確認してM39.9.固定した。それ以前から大川通で操業していた工場を引き継いでいるようだがその前身会社がわからぬ。平製造所も金子も大川通なんだよ。
商工興信録からはM44頃の久保組の動向。岩越線の建設のために沿線各所に工場(分店)を作っておる。新潟県内には稲葉組工場と混在。
_ あきら@大阪 [少も無い洒落で終わってるうちはまだまだ元気だ。って事だな。 ちなみに同じく悪玉多いです。はい(苦笑)]
_ nagajis [悪玉コレステロール値を下げるには寒天がいいらしいですぞ。毎朝味噌汁に入れて飲んで味噌と周囲に云われた。]