nagajisの日不定記。
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閲覧室は人がいないことがあるので前もって予約を入れておくのが吉。今回は直前になって行く気になったので開館まで待機して電話で確認してから行った。
ここのアーカイブ(公報、古文書)はPC上で検索と閲覧ができるのでありがたい。ネット上で公開できるように作ったものの、公開直前になって個人情報がらみの問題が発生し取りやめになってしまったものなのだそうだ。大変惜しい。せめてキーワード検索だけでも公開してもらえまいか。
県公報は明治23年から後が収録されていて、それ以前の布達は最初期から19年頃まで(保存されている分については)収録されている。公報は保管用に保管されていたものではなく各部署で使われていたものを寄せ集めて作ってあるので、部署で他の用途に使われ欠落しているページがある。キーワード検索でヒットしても画像がないという困った状態になっているものがある。事実大正12年の郡道あがりの県道認定の告示は画像がなかった。まあこれは、前後の年度の統計書を見比べて拾い上げれば拾えないことはないけれど。
21年、22年、23年は国コレに公報要約があるので、初期の土木起工順序などはこれで得られる(公館の検索では出てこない)。ということは20年はまるまるわからんのだな。これは県会史を利用するしかない。
要件を伝えたときに県会史の記述を教えてもらった。しまった、こんな良いデータがあるとは知らなかった。議会概要に目を通すので精一杯だったからな。
郡部経済の県道更生土功費の地方税補助は明治13年度の議会で決まっていたはずだがその訓令が見つからず(→県会史の要約では14年度から地方税+協議費で割合は変わる)。たぶん「土木起工」をキ-ワードで検索してしまったからだろう。失敗した。道路港湾堤塘修繕補助費だったか何だったかで検索せないかんかったのだ。
係の方に伺った限りでは、兵庫県は(兵庫県も?)最初期の県道路線の告示はなかったようだ。公報では明治24年度のもので初めて「仮定県道」の語が出てくる。県会史ではどうだったろう。同じ頃だった気もする。
目当ての県道の新設告示は見つかった。明治26年だから里道改修の直後。そうしてそれが改修の最後ではない!
五荘村史では明治27年に福田江野間と坂とを改修したと書かれてあるが県会史事業の概要には福田江野間しか載ってない。その前の改修と混同してる?あれはコピーしておくべきだったな……次回行った時にコピるか。それと竹野町史の民俗編のp.173。木谷越、だったはずだけど。。
前段落をみよ。あと統計書の所在の有無。
薬で抑えてあるが見た目がかゆい。薬で抑えられていないところがちりちりする。
爆発的に増える日とそうでない日とあるのはなぜだ。昨日は小さい赤い粒粒が集中的に無数にできた。右の二の腕の内側。24時間後はそれぞれが拡がり一部は消滅し一部は残っている。はじめは何もなかった腹が朝には麻疹に埋もれていた。
前日昼は中華丼。あさりが入っていた。あとは豚肉、白菜、その他。今夜は甘海老を口にした。食い物に因るのであればそのへんを疑うことにする。