nagajisの日不定記。
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激怒している。この腹立ちをいかにせん。
腹立ちのほうは少し収まった。4月からそうなってたのだと知った時の疎外感が半端ないだけで、落ち着いて考えれば連絡義務も継続義務も持ちあわせていないのだ。向こうさんとしては。
せめてもの救いは報告書完成までに徹底的に攫っておいたこと。これからどんどん迷惑かけてやるからな。覚悟しろよ(と両膝ガタガタ言わせながら息巻いてみせるだけのnagajis
怒りに任せて書いたッた。数日後か数週間後か、はたまた数カ月後か数年後かに存在意義のない記事になってくれればいい。pgrの的ならなり慣れている。
先日高野山に連れて行っていただいた時にこんなものを見つけた。「大阪奈良/わらぢ會建之」「大正四年□月廿一日」と刻まれている。上のまるいところには東西南北が彫ってある。ただそれだけのものである。
ぱっと見て「大阪わらじの会?」と誤解した。あれは沢登り専門の人々だ。まさかこの石を沢を担いで登ってきたわけじゃないだろう。「奈良」も抜けている。
思いがけず話が膨らみ、積年の恨み疑問が晴れた。なるほどそういう絡まり方をしていたわけか>失業救済事業。手抜きせず資料3を精読すべきであった。結論としては因数分解することは不可能。昭和10年に竣工した隧道を(バックグラウンド掘らずに)時局匡救なのか農村振興なのか判断することは不可能。
一気に霧が晴れた嬉しさの余勢を駆って新規作成ったがオチが思いつかない。残るは命くらいか、というのはあてはまらないからなあ。自分には。
そういうメタなまとめ方はよくねえなあと思いつつそれしか思いつかない。仕方ない。
天網賊烏賊烏曽爾仕手洩らさずというやつだ。そのような罰当たりには 盗んだ銘板の数だけ保安キックと保安チョップを食らわせてやる。それ。うりゃ。恢々。壇家支援。応珍腹芸。
夕方にラジオで聞いた時には中国向けのコンテナを差し押さえて押収というところを聞き漏らしていたものだから、マジで銘板マニアのしわざだと思っていた。
今更感たっぷりに読んでいる。やはり古典として名評があるだけある。一般教養として読むことを義務付けてもいいんじゃないか。いや、内容が正確無比だからとか自己反省になるだとかいうわけじゃない。自分(日本人)のことは自分自身にはわからない・自分以外のほうが本質を的確に見抜ける場合があるということがよくわかるので。他人の目を通して自分自身を客観的に見るという体験ができるところがよい。もっと早くに読んでいればなあと思う。
まだ半分しか読んでないけれどもいちいち頷くところがある。日本人は階級制度の中に居場所を求め、居場所があることに安心する。そんな階級制度を他国に押し付けようとしたのが太平洋戦争だと。アメリカはそれに対して自由主義を押し付けて対抗した。そら喧嘩になるわと思う。自由を守るためにどこへでも押しかけていって戦うという姿勢が50数年を経た今でも変わらないのが芯だよなと思う一方可笑しくもある。
恩すなわち債務だという説も膝を打った。端的でわかりやすい。道理で食いしばる歯が擦り減っていくわけだ。ただそれを単純に経済的な観点にあてはめられるだろうか。恩と義務とが金銭的損得勘定と直結しているだろうか。必ずしもそればかりじゃない気がする(結びつかないのが「仁」だったっけか)。
これが書かれた後、日本は世界に名だたる経済大国になったのだけれども、その劇的な変化も案外奇跡じゃなくて、昔からそんな180度転換がうまい民族だったのであって、必然だったのかも知れないと思った。明治維新とか大正デモクラシーとか。一度方向が変われば付和雷同して一斉にそっちを向ける国民性。同じようなファッションで同じような流行を追い人がしていることは自分もやりたい人にやらせたい長いもので巻いたげなければならないという性質は、国にとっては舵取りしやすかろう。
階級に安息しているんでなくて、それしか知らないから階級外に置かれた時に困惑する。いま自分は階級外にいても無視しても平穏でいられるようになった。いくぶんかは。その状態から何をするかが最大の問題。
訳がさすがに古いと感じた。もとの英文が癖がありそうな感じがする。直訳気味にしないと文にならないあの感じ。誰が意訳の上手い人が、平易な言葉で訳し直してみてもいいんじゃないか。
指定変遷を図示したほうが良からんや→府県道をつないだのだから道路元標を通るはず→あれ安堵村通ったら龍田行かれへんやん→旧版地形図で確認したらS11のにネオ横大路(仮称)がでてきてコンニチハ坊っちゃん親譲りの無鉄砲。元標位置をプロットするはめになる。それでも安堵村の元標を通ることができない→そもそもT12に郡制が廃止された時点で道路元標は有名無実化していたのだし府県道を重用するからといって元標位置を通ると限ったわけではないからネオ横大路(仮称)が安堵町を掠めて通ることを示しているのかも知れない→ということは元標位置示しても無駄じゃね。とおもう一方で指定府県道と元標には相関関係が存在するのは明らかなので触れないでいられない→文字数激増の羊羹。
新タグ振るほどのことじゃないがそうミスタイプしたので残しておく。力尽きた。調子に乗っていっぱいつくるからだ。
個別記事自体は9時ころにはできていた。それを統合するのに苦戦した。windowsとmacで半々作ったのを合わせる作業は死ねる。氏ねるでも志寝るでもなく死ねる。
(1)macで結合しようとすると「フォントが重複しています」言われて結合できないのでその結合作業だけwinでしなければならない(2)winのpsから出力したpdfがサムネールを正しく埋め込まないう○こ仕様(埋め込めてないように見えるが*win上で*削除して再度埋め込んでやらなければならない)(3)(2)をmacで開くとサムネールが飛んでスクロールすらままならない&記事のトップがわからない(4)統合しているうちに気づいたミスはmacで直してwinに送ってpdf貼替えないといけない(5)winのアクロバットのリンク張りはステップが2倍(6)記事数多すぎてどうゆう並びにしたらいいのかわからない&ともかく組み合わせたら今度はどっちに何を入れたかわからなくなる(7)眠い
(1)〜(7)に6時間かかった。 統合版作りほど糞で時間を取られるものはない。二部構成とかなおさら。無くしたほうが楽できるに決まっている。
本当は各記事の意図と初出号を付箋したかったのだが断念した。アンケートも最後にTRDBを突っ込まざるを得なくなってしまったため後回し。ここは今日中に直す。
これでずいぶん網羅したと思ったけれども、ミニたんさくとか北摂線描とかオフ報告とかは入れられてねえんだよどこ見てやがんだ節穴め否節穴のほうがまだ役に立つぞスットコドッコイショが。誰も読まない記事を馬鹿見てえに作ってせめて自己満足しようって魂胆が見え見え丸見え中尾ミエなんだよ。100号なんてずっとやってりゃそのうち到達するわ。誰が祝ってやるもんか>nagajis
順不同である.
0.お礼をいう
1.ペペロンチーノをつくってくう
2.送る
3.91号以降のINDEXをつくる
4.古書出品の解析
5.次号現行
6.ニューズレター電子メール版へ投稿する
7.部屋を片付ける
8.踊る
9.戸田猪佐武「昭和の宰相」続き読む
a.R.ベネディクト「菊と刀」続き読む
b.解析報告をまとめる
c.PC内の片付け
約303/1100件。4冊に1冊はうれとーる。
http://www.nara-np.co.jp/20140819101148.html
というニュースをKINIAS-eNLにしている最中に
http://www.narakotsu.co.jp/ryoko/bushike/nara201408_7276.html
に行き着いた.ちょっと行きたい・・・
(鹿しよく考えてみたら路線バスは9/30までやっているのだからそっちに乗ればいいんじゃねと思い直してみたり.ボンネットバスである必然性は私にはないのだった)
それにしてもなんだか急な話だな.せっかく旧橋紀行で竹筋だと書いたんに.
大体あれだよな,せっかく近代化遺産総合調査やったのに都跡村役場撤去するし公文書隠すし柳本飛行場の開設看板撤去するしで隠滅する方向にしか動いてないじゃん.よーっっっぽど近代が気に食わないやつが暗躍してるに違いねぇ.
戸川猪佐武の著書って自分にとってはジャストヒットなのだけれど,あまり人気はないようだ.特に戦前戦後の政情に関するやつ.確かに政治家の誰が誰とくっついたかとか誰が寝返ったかとかなんていう話は芸能人のそれ以上に面白くないが,そこに興味があるんではなくて,そういう政治上の駆け引きをやった末の行政の結果が戦前の日本なんだというところに興味を惹かれる.結局のところ時局匡救も政党の人気取りなのかーと思ってしまったり,5・15とか2・26とかあればそりゃ道づくりとか後回しにされるわーとか.あ,この本はそういう内容じゃないから.あと早速廃読の間違いをみつけた.昭和6年の不況は豊作不況だ.豊作すぎて米が余って価格下落だろ馬鹿jis
.冷夏で不作はその翌年だ.
ちなみにこの本の帯に親近感を覚えた.大事なところを間違えられたってのはオレだけじゃなかったんだ,って.ねえ暁印刷さん.いや印刷会社の責任じゃねえか.
この本もしばらく読む暇がないだろうなあ.[積読]タグを新設したほうがいいなあ.
読まないと言っておきながら読むのがnag(略.
戦前昭和を世相風俗の面で切って見せてくれるので非常にとっつきやすく,なおかつ「なぜそれが起こったのか」「どのような背景のなかで起こったのか」「それがどのような影響を及ぼしたか」が端的に書かれてある.非常に勉強になる.
例えば円本の話.昭和不況の最中に1冊1円の全集本がブームになったことは知っていたけれども,それが「文庫」の出現につながったことは知らなかった.そうして文庫ばかりが残っている現在で,しかも彼我の間に昭和50年台の文庫本再ブームがあるという.最近古書ばっかり構ってるからなおさら興味深く読んだ.
大正15年7月発行の「中央公論」夏季特別号が返品4割
改造社「現代日本文学全集」全63巻を計画 昭和2年6月発売.の広告を大正15年11月にぶつ.予約数62万(38万とも).
新潮社「世界文学全集」全38巻(昭和2年1月広告)
春秋社「世界大思想全集」64巻
平凡社「現代大衆文学全集」36巻
近代社「世界戯曲全集」40巻
乗り遅れた岩波書店が“文庫”を創始―>岩波文庫.ドイツのレクラム文庫に範をとる.昭和2年7月 佐佐木信綱『新訓万葉集』など31点を刊行.星1つを20銭として星5つまで.選択の自由が受ける
(ついでに新書も岩波が創始.昭和13年から.文庫が古典を中心としたのに対し新書は書き下ろしを収録)
昭和4年 改造社『社会主義の発展』他40点の文庫刊行
昭和6年 春陽堂文庫創刊
昭和8年 新潮文庫創刊 島崎藤村『家』小林多喜二『蟹工船』『不在地主』ほか
角川文庫は昭和29年創刊.ほか,司馬遼太郎『竜馬がゆく』でおなじみ(かどうかは保証しない)の文春文庫が昭和49年,中公文庫が昭和53年(第三次文庫ブームの際),講談社文庫昭和51年(戦前に”キング文庫”の発行あり).柳田国男全集のちくま文庫はやはり最後のほうで,昭和60年から.
世の中が不況の時,文庫ブーム・新書ブームがやってくる.昨今の新書ブームもその一環かも知れない.しかし今回はいままでと若干違う.同じ文字媒体である電子書籍とかネットとかと互さなければならなくなってる.ラノベとかケータイ小説のような消費文章とも戦わなければならない.いや,べつに戦っちゃいないか(それにしてもAmazonで「発売以来1冊も売れていないラノベ」を見つけた時は戦慄した.それでよく回ってるものだなと).
出版社側はそんな状況を指して「読者の活字離れ」というかも知れない.いつまでたっても電子書籍元年が暮れないのも,どういうわけか説明してほしいものだ.
日本がファシズム課化し第二次世界大戦に突入していこうとする昭和10年代。軍部は軍事政権を作ろうと画策して、その根回しとして頻りに産業振興を標榜した。戦争をするには装備が要る。金が要る。それを得るために産業を盛んにしなければならぬと説いた。世の中が昭和不況で疲弊した直後のことだったから「産業で潤うべし」というお題目はすんなり受け入れられた。そうして昭和10年頃からV字カーブを描いて産業が発展した。世の中も潤った。その先に満州事変があり日中戦争があって大戦、敗戦。
最後の10年間に軍事と産業が密接につながっていたことが、産業遺産に対する軽い忌避をもたらしたのかも知れないと思ってみる。それは例えばイギリスで産業革命の遺構を研究しようというムーブメントから産業考古学が興ったのとは若干 経緯を異にするんじゃないか。産業革命がイギリスをイギリスたらしめたのだという自負を何の衒いも懸念もなく持てたはずの本家産業考古学と、一億総懺悔でゼロリセットした(つもりの)ところから始まり、後ろを振り返る暇もないままビジネスに突っ走って、潤い、やあ疲れたと腰を下ろしたところでいろいろなものを失っていることに気づいた日本の産業考古学とでは、熱の入れようも受け入れられようもずいぶん違うだろう。勝者の余裕とでもいうか。あ、でもドイツは産業遺産に熱心だな。それが戦前ドイツの骨格であったから振り返らざるを得なかったのか。
産業と軍国主義化が密接に関係している以上、そこから掬い取った産業遺産も低純度であることを免れず、その精度をあげるために軍事遺構も研究していこうというのは筋が通るが、軍事遺構と産業遺産を無条件にイコールで結ぼうとするから問題が深くなるのかも知れぬ。じゃあどうしたらええねん はまた今度考える。いまは眠い。
何か記憶に引っかかるものがあるなあと思っていたのだが,そうそう,訴訟になって発刊停止になったやつだ.堀氏のサイトに事細かな経緯がある.笑っちゃイカンのかも知れないが面白かった.件のコメントはもうちょっと書き足しておくべきだ.
『梅田地下オデッセイ』また読みたいなあ.文庫で,手に持って読みたいなあ.
毎日コンスタントに10/1000出てるってのはすごくね。1%やもん。全出は全在庫の0.2%くらいだから、もし仮に全部置き換えたら毎日がエブリディやわ。
ニジニ・タギル憲章はTICCIHが2003年に作成した「産業遺産とは何か」を定義した文章.ふだんから産業遺産産業遺産言っている私だけれども此処に立ち返って考える事は少ない.そのくせ理解している気になっている自分である.
世の中的KINIAS的にはN先生による私訳がすでにあるわけで,それを読めば万事済むはずなのだけれども,きちんと消化しようと思ったら自分で苦労して訳してみないといかんだろうと思った.先人の成果に頼っていては自分の身につかないんじゃ?と思うのだ.というわけで原文にあたって剰え訳してみる.ただ訳してもつまらないので超訳してみようと思う.おもいっきり曲げて書いているので鵜呑みにしてはいけない.必ず先に原文を読むか「近畿の産業遺産」第一号を買ってN先生の訳を読むかしてからにすること.
THE NIZHNY TAGIL CHARTER FOR THE INDUSTRIAL HERITAGE July 2003 TICCIH is the world organisation representing industrial heritage and is special adviser to ICOMOS on industrial heritage. This charter was originated by TICCIH and will be presented to ICOMOS for ratification and for eventual approval by UNESCO.
TICCIHはな,ICOMOSはんに産業遺産ちゃあ何かを教えたるすっぺしゃるなアドバイザーやねん.いわゆるひとつの特別顧問や,産業遺産についての.あ,ちなみに団体やねん.原文には書いてへんけどthe International Committee for the Conservation of the Industrial Heritageの略や.ヤポーンスキーは国際産業遺産保存委員会とか何とかゆうとるけど,面倒やから以下「わしら」ゆうで.
この憲章はわしらが書いたったやつや.あとでICOMOSはんに提出するさかい,そのうち批准されて,UNESCOはんのほうで最終承認してくれるんちゃうか.
ちなみになんでニジニ・タギル憲章っつーかというと, 2003年にロシアのスヴェルドロフスク州にあるこの鉱工業都市でわしらがカンファレンスやったとき作ったやつやからや.これも原文には書いてへんけどな.
Preamble
The earliest periods of human history are defined by the archaeological evidence for fundamental changes in the ways in which people made objects, and the importance of conserving and studying the evidence of these changes is universally accepted.
ニンゲンのレキシっちゅうもん考えてみ.その一番最初の頃ってどうやってわかったと思う? 地面を掘りくり返して出てきた考古学的遺物(archeorlogical evidence)から「どんなもんつこうとったか」「それがどうゆうふうに変わったか」を研究したからわかったことやろ.んで,そういう変化を異物から読み取る研究がいかに重要か,いまさら言わんでもわかるやろ.な.これはもう全宇宙的普遍的に認められることや.せやろ.
From the Middle Ages, innovations in Europe in the use of energy and in trade and commerce led to a change towards the end of the 18 th century just as profound as that between the Neolithic and Bronze Ages, with developments in the social, technical and economic circumstances of manufacturing sufficiently rapid and profound to be called a revolution. The Industrial Revolution was the beginning of a historical phenomenon that has affected an ever-greater part of the human population, as well as all the other forms of life on our planet, and that continues to the present day.
中世ん頃からヨーロッパらへんでエネルギーつこうたり通商したりする方法が画期的に良うなって,それが18世紀の終わりごろの確変に結びついた.その確変たるや新石器時代から青銅器時代の変化に匹敵するようなドエライ変化やった.モノづくりをとりまく環境が技術的にも経済的にもめっちゃ急に,大々的に変わった.そらもう革命や.産業の革命以外に言いようがあらへん.地球始まって以来のどえらい出来事やから,歴史的事件ゆうてもええやろし,そんな産業革命が今にに繋がっとる.
The material evidence of these profound changes is of universal human value, and the importance of the study and conservation of this evidence must be recognised.
そんなどえらい変化の物的証拠---「産業革命の遺物」っちゅうもん,普遍的・全人類的価値があると思わへん? そういう遺物をケンキュ―したりホゾンしたりすることって,重要なことなんちゃうん? ってわしら思うんやわ.
The delegates assembled for the 2003 TICCIH Congress in Russia wish therefore to assert that the buildings and structures built for industrial activities, the processes and tools used within them and the towns and landscapes in which they are located, along with all their other tangible and intangible manifestations, are of fundamental importance. They should be studied, their history should be taught, their meaning and significance should be probed and made clear for everyone, and the most significant and characteristic examples should be identified, protected and maintained, in accordance with the spirit of the Venice Charter [1], for the use and benefit of today and of the future.
ちうわけで,わしら(2003年にロシアで開かれたTICCIH会議ん時結成された代表)は望むわけや.産業活動のために作られた建物(buildings)やら構造物(structures)やら,はたまたそこで産業活動のために構築されたプロセス---方法,手順,行程,まあなんでもええわ---とか使われた道具とか、建造物がある町とか景観とかもそやな、ともかくまあそうゆう産業に関する有象無象(※)は基本的に重要なもんなんやと主張したいわけや。そういうもんは研究されるべきやし,その歴史は後世に伝えられるべきやし,そういうもんが持つ意味とか重要性とか,調査され明らかにされるべきやと思うねん.世の中みんなのためにやで.そんだけやあらへん,めっちゃ重要なやつとか特徴的なやつとかは,そういうもんやとお墨付き付けられて保護・維持されるべきやねん.将来の有効活用のためにや(これ,わしらがそう思うだけやあらへんで.ICOMOSはんが1964年に作ったヴェニス憲章もそう云うとる).
※) along with all their other tangible and intangible manifestations
Industrial heritage consists of the remains of industrial culture which are of historical, technological, social, architectural or scientific value. These remains consist of buildings and machinery, workshops, mills and factories, mines and sites for processing and refining, warehouses and stores, places where energy is generated, transmitted and used, transport and all its infrastructure, as well as places used for social activities related to industry such as housing, religious worship or education. 産業遺産ちうのはな,歴史的技術的社会的建築術的科学的に価値のある,産業文化(industrial culture)の残りカスのコトや.残りカス言うたら聞こえ悪いかも知れへんけど,要するに産業に関係しとった建物やら機械類やら仕事場やら作業場やら製造所やら鉱山やその処理・精製サイトやら,倉庫やら店もそや,で,エネルギーが生成・送受・使用されるとこ---つまり蒸気機関置いとるところとか発電所とかそこからエネルギー送ったりする施設やら使用する施設やらのことやな---もそうや.輸送んためのインフラもぜんぶせやし(はいここ重要やで),産業に関係する社会的な場所,例えば住宅とか宗教礼拝の場とか教育場とかも然りや.産業に関連するものやったらな.(わいい,つっも思うんやけどな,なんで英語ってconsist ofとかゆうもったいぶった言い方好きなんやろな,これ直訳したら「~から構成されます」とか何とか言わなあかんのやろうけど,まどろっこしくてやってられへんわ.あと一文長すぎやでホンマ.あ.ここオフレコで頼むわ)
産業考古学ちうもんは、産業プロセスのためにあるいは産業プロセスによって形作られた有象無象のモノ---ここは文字通り象有るもの無いものと読んでほしいわ.どこの馬の骨か判らんちう意味やないで---,書類,人工物,(産業活動の痕跡が)年代順に積み重なったもん(※1),ニンゲンの住んどるとこ,(自然|都市)景観についてのどんな痕跡でも研究するために,イン,イン,インタアデスクリプヒー? いやプリヒーか,ともかくインなんちゃらヒーに研究することや.インなんちゃらヒー,知っとるやろ.つまりはそういうことや(※2).
※1)固有名詞では層序学.たぶん積み重なった状態そのもの(ものごとのあとさき)も含んでる. んで,作業考古学が対象とする時間範囲は,原則的(principal)に産業革命の始まる頃,具体的にゆうたら18世紀の後半から現代までっちゅうところやな.それに加えてプレ産業・プロト産業(産業としてなりたつ前の初期段階やら萌芽期やら)の研究もするで.さらに言うとな,技術史に包含される,作業や作業技術の研究も利用することになるハズやで(※3).
※)draw on:手袋をはめる,~するように仕向ける,そそのかす,頼る.技術史研究は産業考古学よりも先にあったのでその成果を利用するっちゅうことやと思う
I. The industrial heritage is the evidence of activities which had and continue to have profound historical consequences. The motives for protecting the industrial heritage are based on the universal value of this evidence, rather than on the singularity of unique sites. I. 産業遺産は,歴史的にむっちゃ重要な(あるいは今も重要でありつづけとる)アクチビチーのエビデンスや.ここで人間活動の証拠ゆうてもええねんけど,アクチビチーのエビデンス,なんやかっこええやん.まあともかく,産業遺産を守りたいっちゅうわしらの熱い思いはこのエビデンスの宇宙的普遍的価値に根ざしたもんなんや.何もどっか一つのサイト(遺跡)が珍しいから,それが貴重やから守りたいんとちゃうねん.ここ勘違いせんとってや(心の声).
II. The industrial heritage is of social value as part of the record of the lives of ordinary men and women, and as such it provides an important sense of identity. It is of technological and scientific value in the history of manufacturing, engineering, construction, and it may have considerable aesthetic value for the quality of its architecture, design or planning. II. 産業遺産は、そこいらにおるようなフツーの男女の生きた証や.社会的価値を持つものや.人のアイデンチーチーを構成する重要な要素や.
そいつは産業・工学・建設の歴史ン中で技術的・科学的価値を持っとるし,アーキテクチャーや設計やら計画やら,そういったもんの質そのものが結構美的価値を持っとるかも知れへんし.
III. そないな価値は,遺構自身,その構成,コンポーネント,機械類および配置(※),産業景観,作製された書類,その他無形の記録---人間の記憶とか習慣とか---に本来的に備わっとるもんやねん(ドヤァ).
※)(自然の)背景=必要なものが必要な位置にあるという状態そのもの,か.(計器類の)調節かもしれんけどそれやと味気ない.
IV. "Rarity" すなわち「レア」なこと,固有のプロセス・遺構の類型・景観が今日まで生き残ってるようなんについては,特に加点したって,注意深く評価(※)されるべきや.初期の例とか魁!男塾とかは特にレアでっせ.
particular:特定の人[もの,こと]に固有の性質などをさす.同じ形式の橋がたくさんあるなかでもこの橋が世界初とか初めてハイテン鋼使ったとか景観に馴染んでるとかは考慮に入れて評価したってや,ちうことやろ.なお「!男塾」に深い意味はない
assess:アセスメントのアセス.よいわるいの評価じゃなくて,どんなもんか見極めること,のはず
I. Every territory should identify, record and protect the industrial remains that it wants to preserve for future generations.
I. すべての学問領域は(※1),将来のために残しておきたいと思う産業の残りカス(※2)を識別し,記録し,保護するべきやで.
※1)深く考えずにそうextendしとく II. 対象となるエリアや他の場所にある産業類型について調査したなら,産業遺産の範囲(extent of the industrial heritage)をアイデンティファイすべきや.「アイデンティファイ」を直訳すると「識別すること」とかになるんやろけど,なんや上手ぁないな.要するにURIのIやねん.それっちゅうのを特定できるようにしとくちうことやねん.んでこの情報つこて,アイデンティファイされたすべての遺構について目録を作るべきやと思うわ.簡単に検索できるような,フツーの人が自由にアクセスできるようなやつをな.コンピューターに取り込んだりオンラインアクセス可能にしたりしとくとサイコーやね.
III.記録は産業遺産研究のキホンやで.物理的特徴や遺構の状態についての全記録は,なんぞ手が加えられる前に公開アーカイブにしとくべき.プロセスやらサイトやらが操業停止になる前に記録しといたらより多くの情報が引き出せるで.ここでゆう記録は文章を補うのに役立つ解説やら図面やら写真やら稼働中のようすを撮った動画やらも含むで.人々の記憶なんかも,ユニークでかけがえのないリソースやから,もし採取できるんやったら記録しとくほうがええな(うんうん).
IV.歴史的な工業用地の考古学的調査---Googleセンセは遺跡調査ち訳しよったけど,ここは考古学的調査のほうがしっくりくるで.もしくは「発掘調査」やな---は、そないなもん研究するときの基本的な手法や.産業遺産の発掘調査は,ほかの歴史的文化的時代区分の遺構を調査するのんと同じように高水準に行われるべきやで.わかっとるかnagajis.
V.計画的な歴史研究で産業遺産保護のポリシーを支えなあかんねん.産業遺産ちうもんは他の多くの産業活動と相互依存しとるさかい,国際的な研究が,他のサイト(遺構)やそのサイトの世界的な位置づけをアイデンティファイするんに役立つんや.要するに国際的な相互扶助の精神が重要っちゅうわけや.
VI.合理的かつ一貫性のある基準として一般のひとにも受け入れてもらわなあかんから,産業用に作られた建築物を評価する基準(criteria「ものさし」)を定義して公開するべきや.宜しう研究して,最も重要な残りモン---風景、集落(開拓地),サイト,タイポロジー(類型・形式),建物,構造物,機械,プロセス(工程)---をアイデンティファイするんにそないなクリテリアをユースすべきや.さっぱりルー語でスマンコッチャやけど,まあそう思うわけよわしら.
VII.重要やと認められたサイトやら構造物やらは,その重要性が充分確実に保てるやろっちゅう強さの法的措置によって保護されるべきや(※).ユネスコの世界遺産リストは,工業化が人間の文化に多大な影響を与えたっちゅう認識を皆に与えてくれるハズや.な.せやろリスト君.そういう役が期待されとるんやで君.
言い換えたら法律で無闇矢鱈に保護せいとはよう言わんっちゅうことやな
VIII.重要なサイトの価値を定義して,今後それに介入?介在?するためのガイドラインを確立するべきやね.その価値を維持するために必要なあらゆる法的行財政措置が整備されるべきや.(と,後ろの一文はGoogleセンセの訳そのまんまにしとくわ.これExicteで訳ったら「それらの値を維持するのに必要などんな法的・管理上および金融政策も、適所に置かれるべきです。」とかなりよる.イミフやわ.あ,ここもオフレコでたのんます)
IX.危険に晒されとるサイトは,そのリスクを軽減し,修理したり再使用したりする適切な計画を促すために調査でけるよう,ヤバイフラグを立てとかなあかんでぇ.
すげー苦しい
X.協調的な取り組みとリソース共有でコクサイキョウリョクすることは産業遺産の保全にいっちゃん適当な手法や.あ,この適当ちうのはちゃらんぽらんちゅうことやあらへんで.ぴったりんこや,ちうことやで.せやから国際的な目録やデータベースを編纂するために互換性のある(産業遺産の)評価基準を作らなあかんちゃうんかいな.
I. The industrial heritage should be seen as an integral part of the cultural heritage in general. Nevertheless, its legal protection should take into account the special nature of the industrial heritage. It should be capable of protecting plant and machinery, below-ground elements, standing structures, complexes and ensembles of buildings, and industrial landscapes. Areas of industrial waste should be considered for their potential archaeological as well as ecological value. I.産業遺産ちうもんは,いわゆる文化遺産の一部分,しかも不可欠なそれとして見てほしいもんや.せやけれども,産業遺産ならではの特殊事情を鑑みてその法的保護を考えなあかん.ちうのもその法は,設備や機械類,地下に埋もれたあれやこれや,今まさに建っとる構造物,建物複合体や建物アンサンブル---建物群の調和のとれた配列,とでも訳したろか---,産業景観,そういったもんをひっくるめて保護でけへんとウソやけえの.あ,産業廃棄物(鉱滓とかズリ山とか)は,その環境的価値だけやのうて考古学的潜在価値も考慮してや.
II.産業遺産の保全計画は,経済発展政策に,そして地域や国の計画に統合されるべきや.
これ,産業遺産を経済活動に使えちうことやろか.少くとも切り離して考えよっちゅう原理主義じゃあないんだろう
III.最も重要なモンは完全に保護されるべきで,その歴史的整合性とか,構造の信頼性(※1)を損なうようなチョッカイは一切認めへんで.「しゃあない」適合---耐震補強せな危ないとか鉱毒流出が露見したんで対処せなあかんとか---や再利用は、産業建築を存続させる適当かつ費用対効果の高い方法かも知らんから,適切な法規制、技術的なアドバイス,税制上の優遇措置,補助金なんかで奨励したってや.
※1)authenticity of their fabric:個人的には「連綿」と訳したいところ.ファブリック:織物との連想もあるし,過去~現在~未来の連続構造を保つという意味でもこのことばがしっくりくるんじゃね. IV.急激な構造変化によって産業遺産の存続が危うくなっとるような工業地域は,中央と地方の政府当局がサポートしたげるべきや.そないな変化が産業遺産に対して潜在的脅威を孕んどることは予め予想しとくべきやし、慌てて行動せんでもええように計画を用意しとくべきやで.
Ⅴ.重要な構成要素が撤去されたり破壊されたりするんを防ぐため,特に価値のある産業サイトの突発的閉鎖に対応できる仕組み(手順)を確立しとくべきや.権限のある当局は必要に応じて介入する法的権限を持っとかなあかん.重要なサイトに立った死亡フラグをへし折るために.(※)
※)原文でそんな倒置法とか直喩とかを使ってるわけではない.あくまでも超訳である.念のため.
VI.おどりゃ政府よ良く聞けよ,産業遺産の保護·保全に関わる問題について独立した立場で助言してくれる,専門家からなる諮問機関を持っとかんかい.重要なケースではつねに彼らの意見を求めんかい.(※)
※)あっはっは,超訳超訳.
VII.地域社会が彼らの地域にある産業遺産について保護·保全を相談したり関与したりするんを保証する,あらゆる努力がなされるべきである.べきやねんで.
VII.ボランティア協会やボランティア社会(たぶん日本じゃコミュニティとかなんとか言ったほうが通りがいいはず)は、サイトのアイデンティファイや人びとを産業保全に参加するよう促すプロモーション,情報や研究成果の普及などなど,重要な役割を担っとる.いうなれば産業遺産劇場に欠かせない俳優や.
※)最後のは超訳でない.そう書いてある.たぶん.
I. Conservation of the industrial heritage depends on preserving functional integrity, and interventions to an industrial site should therefore aim to maintain this as far as possible. The value and authenticity of an industrial site may be greatly reduced if machinery or components are removed, or if subsidiary elements which form part of a whole site are destroyed. I.産業遺産の保全は(その遺産が持っとった)機能の整合性を保つことがキモやねん,せやからサイトへ介入するんはできるだけそれを維持する方向で行かなあかん.サイトの価値や真正性(authenticiy)は,機械やら構成要素やらが取っ払われたり,サイトを構成する何かが壊されたりしたら,がっくーんと下がるやろからな.
II.サイトの保存は、そのサイトがやっとったコトとかやろうとしたコト(開設目的?),そこで行なわれたかも知らん産業プロセスについてのペキカンな知識が要求されんねん.時代が下るにつれて変化とるかも知れへんけど,どんなときでも元は何をしたかっんか検討し,評価されるべきや.
※)purpose and purpose to~ のくだりがようわからん.
III.in situな保存は、常に優先順位を考えるべきやわ.建物や構造物の解体・再配置は,そないな破壊が経済的社会的にこれ以上ないっちゅう位に必要なときだけ認められるべきや.
※)in situ:シチューの鍋の中にじゃがいもやらにんじんやらがあるように,それが本来あるべき場所で,その場所で,ちう意味の副詞.移設せんと元あった場所で保存するときは~ちうこと.in situ,便利なので普及させたい魂胆.
IV.確実に保全することを目的に,サイトを新しい用途に転用するんは,特に歴史的意義のあるサイト以外はまあおk.ただしその新しい用途が元サイトの主なモノを活かし,循環と活動の本来のパターンを維持し(※1),オリジナルまたは主(※2)用途と可能な限り互換性がないとあかんで.そういうんは以前の用途を知れる場所---解説看板とか,元用途が一部分だけ保存展示されとるとか---を用意しとくとええね.
※1)ウマくない. V.産業用建物に手を加え(※)て使い続けるんは,エネルギー浪費せんですむし,持続的な発展に貢献することになるんやで~.産業遺産は、衰退したり凋落したりした地域の経済再生にごっつ役立つもんや.そうやって再利用しつづけることが,長年働いとった場を急に失ったコミュニテーに心の支えを提供することができるやん.
※1)adapt:(修正改変して)適合させる,adapt は新しい状況に合うように柔軟に改変する 適訳 VI.(産業遺産への)介入は可逆的かつ最小限の影響に留めるべきや.やむを得ん変更は文書化して残しとく必要があるし,削除された重要なもんは,記録に残してどっか安全な場所に保管しとくべき.そないな古モノはそのサイトに箔付けるもんになるからな.青銅器に吹いた緑青みたいなもんや(※).
※)直訳「工業プロセスの多くはそのサイトの整合性と興趣に不可欠な古趣を付与する」。patina:緑青と古趣古色という意味がある.
VII.(産業遺産を)再建したり以前の既知の状態に戻したりするんは,それがサイト全体の整合性のためになるか,なんや外的要因(※)で主要部位が破壊されたときのだけおkな「例外的な介入」やと考えるべきやわ.
※)原文は「violence」.暴力で破壊された,ちうのも妙な訳やと思う.風水害とか地震災害とかも含むやろし.
VIII.数々の古い,もはや使われなくなった工業プロセスのなかで培われた技術(ヒューマンスキル)は,かけがえのないむっちゃ重要な資産(※)や.丁寧に記録し,若い世代に伝えなあかんで.
※)原文「resource」.これを資産ゆうたら盛り過ぎやろか.
IX.ドキュメンタリーを記録したり,会社のアーカイブ(企業博物館)作ったり,建屋の図面や工業製品のサンプル試料を保存したりするすることはええことや.ジャンジャンやりなはれ.
※)どんどんやれ,とは言ってないが should be encouraged を直訳するのに飽きたのでこうしてみた.ちなみにマ・クベの壺はいいものだ・・・
I. Specialist professional training in the methodological, theoretical and historical aspects of industrial heritage should be taught at technical and university levels. I.産業遺産の方法論的・理論的・歴史的なスペシャリストの養成は,テクニカルに(※)大学レベルでやるべきや.
※)be taught at がtechnicalとuniversity levelsにかかるはず.Websterみたら“teaching practical skills rather than ideas about literature, art, etc.”とある.technical ひとつで「技倆を教える」みたいな意味があるらしい.このままだと形容詞になってないけど.
II.産業の過去とその遺産について学ぶときの具体的な教材は,一次レベルや二次レベルんモンが学生に提供されるべきや.言い換えたら「(現場|現物)至上主義」ちうこと.2chまとめとか見てへんで板行け,や. I. Public interest and affection for the industrial heritage and appreciation of its values are the surest ways to conserve it. Public authorities should actively explain the meaning and value of industrial sites through publications, exhibitions, television, the Internet and other media, by providing sustainable access to important sites and by promoting tourism in industrial areas.
I.一般の人が産業遺産に興味をもち,好いてくれること,そしてその真価を認めてくれることが,産業遺産保護の王道や.公的当局(産業遺産を保有しとる公共企業体)は,その産業遺産の意味や価値を積極的に説明せしてかかん.出版物やら展示会やらテレビやらインターネットやそのら他のメディアを通やらじて,重要なサイトのことをアッピールするとか(※),産業観光を後押しするとか.
※)直訳「重要なサイトへのアクセスを持続的に提供することで」.そう書くとなんやWebサイトの立ち上げと維持みたく思われそう.日本では.ようはメディア露出してサイトの存在感を示せっちゅうことやろ.日本じゃ特にメディアに乗らないと存在してないと思われるからな.外国やとたぶん違う.
II.産業・技術にかんする専門的な博物館と保存された産業サイトは,産業遺産を保護し,解釈するための「車の両輪」(※)や.
※)原文ではそこまで不可欠な2つとはいってないが.イメージ的にはせやろ.
III.その地域における産業遺産の来し方と国際的なそれ(を比較すること)は,産業技術がどんなふうに伝搬してったか,その伝播がどんなムーブメントを引き起こしたかに光を当てられるで〜. ※)今日は疲れたんで直訳っぽいママ残す.route=道筋=来し方としてみた.地域でどげな発展をしたかっちゅうことと,全世界的に見てその産業がどげえ発展したかの2つを考えること,つまり世界の趨勢のなかで地域の産業(遺産)がどうゆう位置づけにあったかを考えることが, -----
[1] The ICOMOS ‘Venice Charter for the Conservation and Restoration of Monuments and Sites', 1964
[2] For convenience, 'sites' will be taken to mean landscapes, complexes, buildings, structures and machines unless these terms are used in a more specific way.
1. Definition of industrial heritage
産業遺産ちゃあ何やねん
Industrial archaeology is an interdisciplinary method of studying all the evidence, material and immaterial, of documents, artefacts, stratigraphy and structures, human settlements and natural and urban landscapes [2], created for or by industrial processes. It makes use of those methods of investigation that are most suitable to increase understanding of the industrial past and present.
※2)諸学提携の,多分野にまたがる,学際的な; (異なった分野相互間の)協同(研究)の.) 要するにいろんなガクモンを駆使して研究するということらしい.
The historical period of principal interest extends forward from the beginning of the Industrial Revolution in the second half of the eighteenth century up to and including the present day, while also examining its earlier pre-industrial and proto-industrial roots. In addition it draws on the study of work and working techniques encompassed by the history of technology.
2. Values of industrial heritage
産業遺産の価値
III. These values are intrinsic to the site itself, its fabric, components, machinery and setting, in the industrial landscape, in written documentation, and also in the intangible records of industry contained in human memories and customs.
IV. Rarity, in terms of the survival of particular processes, site typologies or landscapes, adds particular value and should be carefully assessed. Early or pioneering examples are of especial value.
3. The importance of identification, recording and research
3. 識別・記録・研究は重要やねんの巻
※2)ここでIndustrial heritageとしてないところがミソ.価値の有無なんて調べてみないとわからんからな
II. Surveys of areas and of different industrial typologies should identify the extent of the industrial heritage. Using this information, inventories should be created of all the sites that have been identified. They should be devised to be easily searchable and should be freely accessible to the public. Computerisation and on-line access are valuable objectives.
III. Recording is a fundamental part of the study of industrial heritage. A full record of the physical features and condition of a site should be made and placed in a public archive before any interventions are made. Much information can be gained if recording is carried out before a process or site has ceased operation. Records should include descriptions, drawings, photographs and video film of moving objects, with references to supporting documentation. Peoples' memories are a unique and irreplaceable resource which should also be recorded when they are available.
IV. Archaeological investigation of historic industrial sites is a fundamental technique for their study. It should be carried out to the same high standards as that of sites from other historical or cultural periods.
V. Programmes of historical research are needed to support policies for the protection of the industrial heritage. Because of the interdependency of many industrial activities, international studies can help identify sites and types of sites of world importance.
VI. The criteria for assessing industrial buildings should be defined and published so as to achieve general public acceptance of rational and consistent standards. On the basis of appropriate research, these criteria should be used to identify the most important surviving landscapes, settlements, sites, typologies, buildings, structures, machines and processes.
VII. Those sites and structures that are identified as important should be protected by legal measures that are sufficiently strong to ensure the conservation of their significance. The World Heritage List of UNESCO should give due recognition to the tremendous impact that industrialisation has had on human culture.
VIII. The value of significant sites should be defined and guidelines for future interventions established. Any legal, administrative and financial measures that are necessary to maintain their value should be put in place.
IX. Sites that are at risk should be identified so that appropriate measures can be taken to reduce that risk and facilitate suitable schemes for repairing or re-using them.
X. International co-operation is a particularly appropriate approach to the conservation of the industrial heritage through co-ordinated initiatives and sharing resources. Compatible criteria should be developed to compile international inventories and databases.
4. Legal protection
4.法的保護
II. Programmes for the conservation of the industrial heritage should be integrated into policies for economic development and into regional and national planning.
III. The most important sites should be fully protected and no interventions allowed that compromise their historical integrity or the authenticity of their fabric. Sympathetic adaptation and re-use may be an appropriate and a cost-effective way of ensuring the survival of industrial buildings, and should be encouraged by appropriate legal controls, technical advice, tax incentives and grants.
※2)sympathetic:同情的な, adaptation:適応 最初,「交感神経適応」と訳が出てナンヤと思った
IV. Industrial communities which are threatened by rapid structural change should be supported by central and local government authorities. Potential threats to the industrial heritage from such changes should be anticipated and plans prepared to avoid the need for emergency actions.
V. Procedures should be established for responding quickly to the closure of important industrial sites to prevent the removal or destruction of significant elements. The competent authorities should have statutory powers to intervene when necessary to protect important threatened sites.
VI. Government should have specialist advisory bodies that can give independent advice on questions relating to the protection and conservation of industrial heritage, and their opinions should be sought on all important cases.
VII. Every effort should be made to ensure the consultation and participation of local communities in the protection and conservation of their local industrial heritage.
VIII. Associations and societies of volunteers have an important role in identifying sites, promoting public participation in industrial conservation and disseminating information and research, and as such are indispensable actors in the theatre of industrial heritage.
5. Maintenance and conservation
5.メンテナンスと保全
II. The conservation of industrial sites requires a thorough knowledge of the purpose or purposes to which they were put, and of the various industrial processes which may have taken place there. These may have changed over time, but all former uses should be examined and assessed.
III. Preservation in situ should always be given priority consideration. Dismantling and relocating a building or structure are only acceptable when the destruction of the site is required by overwhelming economic or social needs.
IV. The adaptation of an industrial site to a new use to ensure its conservation is usually acceptable except in the case of sites of especial historical significance. New uses should respect the significant material and maintain original patterns of circulation and activity, and should be compatible as much as possible with the original or principal use. An area that interprets the former use is recommended.
※2)principal:もっと原初的な的な訳でもええんかもしらんが,それだとオリジナルと変わらへんから.プリンシプルがないと白洲次郎に怒られるで.
V. Continuing to adapt and use industrial buildings avoids wasting energy and contributes to sustainable development. Industrial heritage can have an important role in the economic regeneration of decayed or declining areas. The continuity that re-use implies may provide psychological stability for communities facing the sudden end a long-standing sources of employment.
ちうかこの配慮,泣ける
VI. Interventions should be reversible and have a minimal impact. Any unavoidable changes should be documented and significant elements that are removed should be recorded and stored safely. Many industrial processes confer a patina that is integral to the integrity and interest of the site.
VII. Reconstruction, or returning to a previous known state, should be considered an exceptional intervention and one which is only appropriate if it benefits the integrity of the whole site, or in the case of the destruction of a major site by violence.
VIII. The human skills involved in many old or obsolete industrial processes are a critically important resource whose loss may be irreplaceable. They need to be carefully recorded and transmitted to younger generations.
IX. Preservation of documentary records, company archives, building plans, as well as sample specimens of industrial products should be encouraged.
6. Education and training
6.教育と訓練 H3>
II. Specific educational material about the industrial past and its heritage should be produced by and for students at primary and secondary level.
7. Presentation and interpretation
7.プレゼンテーションと解説 H3>
II. Specialist industrial and technical museums and conserved industrial sites are both important means of protecting and interpreting the industrial heritage.
III. Regional and international routes of industrial heritage can highlight the continual transfer of industrial technology and the large-scale movement of people that can be caused by it.
技術をもたらした人の移動じゃないな,きっと日本語でいうところのムーヴメント,流行のことのはず,その2つが技術伝播とそれによって起こったムーブメントに光を当てられるっちゅう話やろ多分
今日一日あれやこれや食ったのにもう腹が減っている.ひさしぶりに脳みそ使ったからか.それにしても昨日はええもん見せて諸田.同じ光景を見た人間はたぶん空前絶後.
今年の春頃、窓の向かいに建っていた2階建て長屋が解体された。その跡に何か建つとか建たないとかいう話を聞かされつつ数ヶ月が過ぎた。未だに空き地のままである。
目の高さにあった長屋が無くなったお陰で、窓から見える景色ががらりと変わった。閉ざされた窓と壁しか見えなかったのが一面すっからかんの空き地である。実にすっきりした。そのかわり(1)ベランダの洗濯物とか作業台とかが道路から丸見えになった(2)西日がガンガン当たるようになり片付け忘れたそうめんつゆが1日で発酵するようになった(3)ハダカで洗濯物を取り込むことができなくなった 等の不都合が生じていたけれども。
最近、虫の音がよく聞こえることに気づいた。当たり前だ。隣が空き地なのだから。虫の音を聞きつつ寝る。なんと風流で贅沢なことだろう。野宿の夜を思い起こさせるものでもある。好ましいこと限りなしである。これがあるお陰で西日の暑さが我慢できそうな気がする。
そういや部屋に雀が来るようになったのも解体以降のことだ。ベランダのドアを開けっ放しにしておくと雀が入ってくるようになった。そうして残り物のご飯やらパンのかけらやらをついばんでいく。Gとコバエとハエトリグモくらいしかいないこの部屋に唯一好ましい生き物の来訪である。
うむ。まさかこのタイミングで2冊も出るとは。かえって心臓に悪い・・・。
ねんがん叶って入手。一気に読んでしまったが後悔はない。
改めてハードなSFだったことを認識。こんなんカッペの中学生が人生最初に読むべきもんじゃないよ。読んでわかるわけがねえ。そら中身覚えてへんわ梅田地下オデッセイ以外は。
そういえば『夏への扉』も先生に貰ったのだっけ……。これは有名所だからそのうちまた入荷することもあるだろさ。でもこれは何度も読んだんで覚えている。むしろ広瀬正の『タイムマシンの作り方』とか読みたい。
煉瓦形状まちまちなことが大口需要に応えることを妨げていた。ストックを有しない理由。大高の統一論もこの頃だった筈(M37)
商況
●煉瓦業の昨今
大阪窯業岸和田、貝塚煉瓦製造所等に由て組織せる煉瓦業組合全体の年産額は約一億万個内外にして東は名古屋西は山陰九州等を重なる販路区域とせる外朝鮮青泥窪等への輸出も尠からざりしが開戦以来公私土木工事の休止を受けて価格下落に傾き東京型煉瓦一千個大阪渡にて七円まで低落するの已むなきに至り同業は甚不況の状態に陥りつつありしに俄然客月末に至り砲兵工廠大阪瓦斯会社其他の方面に要する注文一時に現われ其数は計七千余万個の多きに達し其納期は何れも来年三月中なるを以て茲に供給の不足を生じ為に価格は一躍二円高を呼ぶの好況となりたり元来関西地方に於て使用する煉瓦は其形状区区にして一定せず隋って各製造所共に常に多数の製品を存するなく毎時注文を俟[立+ム矢]て初て製造に着手するものなり是れ今回の如く価格の騰貴を促したる原因なれば将来は其形状を一定するの必要あり是れ単に価格の騰貴を防ぐのみならず急遽の需要にも応じ得るの便ありと云う(大阪朝日)
貝塚煉瓦、和泉煉瓦の合併。和泉煉瓦は前年に大高といっしょに満韓視察に行った仲。煉瓦製造業組合の代表として。
○煉瓦会社の合併
府下煉瓦業者の合併談の当業者間に起れるとは既報せしが今回貝塚、和泉の二会社は大阪窯業社に合併することとなり既に各社重役間に仮契約書の調印を了したれば臨時総会を開き合併案を議する筈なるが現在の資本は大阪窯業十八万円、貝塚、和泉は七万円合計三十二万円なるを更に六十八万円増資し資本金一百万円と為し増資の割合は大阪窯業旧株一株に三株、貝塚、和泉旧株一株に一株の割合なりと尚愈々合併確立の上は満韓枢要の地に分工場或は出張所を新設して大に業務の発展を計る筈(大阪毎日)
先立って大阪府煉瓦製造業組合より満韓視察員として大阪窯業社長大高庄右衛門和泉煉瓦専務取締役日吉端両氏出張。報告がNo.172 M39.12. っp.158-159にあり
出典不明だが新聞記事らしい。伝聞形が多く心許ないがじっくり読むと重要な情報が多々書かれてある。
○大阪の煉瓦製造業
目下大阪付近で製造する煉瓦の製造個数は年々一億五千万個、その中で重なる大阪窯業会社の製造数だけが年々八千五百万個に上り日々の製造数二十五、六万個に上って居るそうだ▲窯業会社は目下堺、貝塚、岸和田等の工場を持っているが斯業は請負が多くして会社で日々に使う人夫は割合に少く百人許り居るが多忙な時は千人も使う時がある而してその製造する煉瓦は普通の赤煉瓦と耐火煉瓦の二つであって耐火の方の原料は大理石や耐火粘土と称するものを粉にしたるものより造るがこの方は需要が少いから赤煉瓦の製造が主なそうだ▲煉瓦は大阪付近で出来るのが一番堅く東京その他に製せらるるものは耐重量三噸位だが大阪のは四噸の重さに堪えて最も堅いということだ▲煉瓦の如き堅きものは格価の変動は少いように想像されるにも従来これ程変動の激しいものはなかったという程で少しく景気が好いと沢山製造家を増加して濫出の弊を生じ供給需要に増して甚だしき下落を来す反動に需要が俄かに増加すると俄かに製造が殖えないので価格は非常に騰貴する変動の激しいことこれに越すものがなかったということだが一旦濫出したる諸会社もその後廃業して昨今は漸く昔日の弊を一掃し去る傾きがあるという▲日本では煉瓦の種類上下を分つこと非常に多く殆んど二十種類以上に上って居るが独逸辺の話を聞くと一種類でこれを分類することはないという外国では遠見が綺麗であれば満足するが日本のは近くより見て美しいのを好むそれ故色が同じでもその中に瓦片でも入るとこれを排斥するという風に選択が細密だ随って種類が多くなる▲されど煉瓦は完全な一枚もの許り積み重ねると家が曲がる故に一枚々々の間にその半分のものを二枚重ねて積むその中側に悪い煉瓦を使うことが出来る▲日露戦争当時は内国でも需要が殖え朝鮮、支那にも輸出したものが多かったため多分の利益を得たいということである今日でも需要年々殖えて来て現下各会社にて施設中のものが出来上ると年々二億万個も出来るようになろう目下一億五千万個出来るその中七分は大阪の需要に供するそうだ即ち約一億万個は大阪の何れかに使用される近頃は普通の貸家向きにもこの煉瓦を使用するものが多くなって即ち必ずしも煉瓦造の家許りに限るでないから需要は益々多くなるという
日本煉瓦+堺の合併話。実現せず。堺はM44頃にも大阪窯業との合併が協議された(後掲)。
●大阪府下の煉瓦業
在来当府下の各煉瓦業社中の多くは既に大阪窯業会社へ合併し目下分立せるは会社側にては右窯業の外日本、堺、岸和田、又個人側にては丹治、津守の都合六営業者となれるがこの内にて日本、堺の両会社は頃日合併交渉中にありその他の分も追々合併の気運に向える模様なるかコハ畢竟一般工業界の発展に伴うて煉瓦の需要益々激増し而も大口の注文品特に多きを以てこれが営業者はその製造上自然多額の疏通資本を要するためなりと而して如上の六営業者の現在製造年額は約一億七千万余個に対し本年の如きは一層需要増加の傾向あるを以てこの際競争販売の弊習を避くべく先ず差向き製品共同販売の内議もあるよしにして八日午後堺に開会されたる同業組合総会を期として将来の製品改善に関して協議する所ありしと(一月十二日大阪新報)
東京煉瓦業協会の価格協定。東京は大阪に比べ運送が不便、かつ販路が東京付近に限られていて、諸官衙大需要が政府の縮小繰延で減る→停滞品の投げ売り 平年に比べ五割安
機械製の部 焼過一等 150〜125円 二等 145〜120円 三等 140〜115円 並焼一等 135〜110円 二等 130〜105円 三等 125〜100円 手抜製の部 上焼過 120〜105円 中焼過 115〜100円 並焼過 108〜93円 極上 115〜100円 並上 110〜95円 並中 105〜90円 並下 95〜80円
大阪窯業+堺。岸和田との合併話も。「又前年〜能わざりし」が岸和田にかかるか否か、「此際」の主語が大阪窯業なのか岸煉なのかでずいぶん違う。寸でのところで合併談を蹴ったのは堺煉瓦でなかったか。
●大阪窯業の発展
関西煉瓦業中に於て頭角を現わせる大阪窯業会社は一個年二億万個を製造し得る迄に拡張したるも近来各地に水電、電鉄及び軽便電鉄の工事頻出せる結果需要極めて多く現在の工場にては到底全部を供給し能わざるを以て堺煉瓦会社を合併するの計画にて目下交渉中なるも其条件に就て双方の意見一致せざるを以て未だ実行に至らず又前年合併談ありたるも一部重役の反対に依って終に決行する能わざりし岸和田煉瓦も此際合併せんとの計画あり是れ又交渉中なりと
明治末不況を乗り切るためのトラストに関する記事。神戸大学新聞記事文庫の記事とリンクする筈。6業者は煉瓦業組合を結成していた(次記事)。
●煉瓦供給同盟
大阪窯業他五煉瓦会社の各代表者は去三日午前九時より堺市堺煉瓦会社に集りトラストに付協議せしが第一項の製品寸法を一定し大口の注文には六社の各前年度の生産率に応じて供給すること及び第三項の生産過剰の場合には此前年度の生産額に応じ一定の操業短縮をなすことの二件は大体に於て異存なきも第二項の個々の注文は価格を千枚に付十一円を最低とし割引をせず単独の供給を許すことに就ては各社の売値区々にして若し最低を十一円とするも之が評定値段となりて遂に其れ以上には売れざるに至るべしとの論出て他に適案を審議するに決し又違約の際の制裁料として一万円を出金することも異論起りて纏らず次に協定区域なる阪神和歌山以外の供給品に付ては之れが価格を定むるを各社の自由に任ずるの件も地方よりの注文にして若し大口ならば亦連合供給の要ある故予しめ価格に或程度の協定をなす要ありとなし尚大阪窯業は地方の顧客に対し再考するの要ありとて日を更めて再び協定することとなりて二時過散会したるが大体に於ては各社とも異議なきも但だ岸和田会社の如きは多少悦ばざる色あれば纏るにしても尚多少の議論あるを免れざるべしと。
●大阪府下の煉瓦業
現今煉瓦は各地に産出するに至れるも何れも皆小組織にして東京付近にて製造するものは単に同地方に供給するのみに止まり他の需要に応じ得る程の余裕とてはあらず然るに独り大阪府下に於ては日本煉瓦株式会社大阪窯業株式会社丹治煉瓦製造所津守煉瓦製造所堺煉瓦株式会社岸和田煉瓦株式会社の如き主なる製造者が大阪府煉瓦製造組合なる者を組織し此組合は何れも独逸ホフマン式の竃に拠りて製造するものなるが其産額一ケ年約二億万個に上り其数量全国に冠たるのみならず品質の優良にして殊に工場は総て海運の便なることとて各地への発送運賃も自然低廉となり当地方は勿論各地の大口注文に対しては大抵此組合にて供給する有様なり左れど一般の不景気は何時しか斯業にも大影響を及ぼし一昨年一二月頃十七八円の最高値に達せしものも爾来次第に低落一方に傾き一時は鉄道工事中止のことありて僅に八円台に下るの悲況を見るに至れりと雖も昨今漸く需要を増し差向き下等品の需要多き模様なれど日一日と好調に向いつつあれば今後来春ともならば大口小口共に需要増進を見るならんという(大坂時事新報)
煉瓦業が隆盛期に入ってしばらく経った頃の大阪府下の煉瓦製造業のようすがわかる貴重な資料。府下生産額で全国の50%を占めていたとか(これは後年6割まであがる)、各工場の窯数とか、大阪窯業と堺煉瓦の合併が既のところで蹴られた話とか。
大阪付近の煉瓦業
会員 倉橋藤治郎
煉瓦製造業が目覚ましい発展を遂げたのは、云う迄もなく日露戦争以降の事であって、其原因は勿論国運の進歩に伴ない各種の事業勃興せるに基づくべく、爾来益々其需要を昂進すると共に製造力を増大せる次第であるが、元来煉瓦の用途は最も土木及建築業に多く、且大都会中にも東京お大阪を主要なる需要地とし(尤も近年は水電鉄道等のために、随分地方に突飛な需要額を示す事があるが、此等は概ね一時の現象に留まる事が多い)、又一面に於て容積及価格に比し重量頗る大なるが故に、自然其製造業も大都会の付近に集まらんとする傾あり、遂に今日の如く<傍点>二大都会にして二大需要地</傍点>たる<傍点>東京及大阪を斯業東西の根拠地</傍点>とするに至ったのである。 此両地を比較するに、東京は都市として大阪より遙に大規模で且万事進んで居るから、煉瓦の需要地としても大阪より優れて居るのであるが、此両地を中心とし其勢力範囲たるべき地方を比較すれば、之は恐らく大阪の方が大きいだろう。
所で東京付近の煉瓦業者の原料として使用するローム土壌は、耐火力が余り強くなく少し火が利けば欠点を引起し易い恐れがあるに対し、大阪付近の原料たる粘土は、耐火力前者に比し余程高く少し位火が過ぎても割合に構わない。即ち東京付近は東京市を放しては煉瓦製造地として適当な土地でなく、<傍点>大阪付近は大阪市と云うものを考えの他に置いても技術上の資格がある</傍点>と云って差支えない。
今農商務省の統計表を見るに、明治三十九年に於て本邦煉瓦製造高二億六千六百万個、内東京付近六千九百万個(東京府四千三百万個埼玉県二千七百万個)大阪府八千八百万個、両地にて一億五千七百万個(約60%となり、越えて四十二年には三億八千二百万個、内東京附近七千九百万個(東京府四千二百万個埼玉県三千七百万個)大阪府一億一千三百万個、両地合計して一億九千二百万個(約五〇%)と云う数を示している。
又大阪府下煉瓦同業組合に就て聞くに、三十九年府下産額一億一千百万個、四十二年度一億七千八百万個に上ると云い、此間に大なる指数の差があるが今は参考として併せ掲げておく。兎に角上述の如く東京及大阪は本邦煉瓦業の二大中心地であって、就中大阪は最大なる生産地である事は疑いを容れる余地がないのである。
顧れば三十二年に於て僅かに四千四百万個を産するに過ぎなかった大阪付近の煉瓦業は、日露戦争後の激烈なる事業熱の勃興と共に長足の進歩をなして一億を超え、四十二年に入りて一億七千七百万個なる未曾有の数を示すに至ったが、やがて事業熱の冷却すると共に其製産額を源氏、昨(注:「今」ヌケ?)の好況に比して悲境を[口即]たざるはなかったが、是れ唯に煉瓦業に限れるに非ず世間の有らゆる事業皆同じ結果を来したので、まだ煉瓦業は縁の近いセメント業の様に無暴な膨張をせなかっただけ無難に経過した方であっただろう、況んや日進月歩の社会には欠くべからざる品であるから、四十四年には最大数を破るに至らなかったが尚前年に比べて一千五100万個を増し、引続き本年は鉄道、電気業、下水、建築等の盛なるに伴ない、著しく需要を増大し生産之に添わざる結果市価昂騰に次ぐに昂騰を以てし、甚だ順調に経営せる状態である。
斯くの如き多数の煉瓦は大阪府下の何れに産するかと云うに、殆んど泉州と云って差支えない。試に南海線難波駅を発して南走せんか、堺に停車場に近く堺煉瓦あり、稍々隔たりて大阪窯業堺工場あり、市の東郊に丹治あり、日本煉瓦あり、岸和田に至れば回がん一直線に輪窯の煙突が九本並立すると云う一寸他には見られない壮な光景が目に映ずる、其北は大阪窯業岸和田工場で、南は岸和田煉瓦、更に南方貝塚に大阪窯業貝塚工場がある。以上は日本でも錚々たるもので小さい工場は一々揚げるに堪えない、即ち<傍点>大阪付近の煉瓦業は換言すれば泉州の煉瓦業</傍点>で中々盛大なものである。蓋し泉州の地は原土良質にして豊富、交通運輸水陸共に便宜多く、京阪神等の大都市を控うるが故に、此種の企業には至極適当の位置なるは明瞭である。茲に泉州煉瓦業者の重要なるものに付其概略を記載すれば次の如し。
<傍点>日本煉瓦株式会社</傍点> 所在地 堺市東湊(分工場泉北郡鳳村) 創業 明治二十九年十月 資本金 三十万円(払込十万五千円) 積立金 三万二千三百九十円 最近配当(四十五年上半期) 一割 輪窯 三基 四十四年産額 約二千万個 社長 永井仙助 <傍点>丹治煉瓦製造所</傍点> 所在地 泉北郡舳松村 創業 明治三年五月 輪窯 三基 四十四年産額 一千八百万個 所主 丹治利右衛門 <傍点>堺煉瓦株式会社</傍点> 所在地 堺市吾妻橋通二丁目 創業 明治二十六年七月 資本金 三十万円(払込廿万円) 積立金 三百五十円 最近配当(四十五年上半期) 無 輪窯 一基(一基増築最近落成す他に鉄砲窯一基及登窯二基) 社長 和田嘉衛門 <傍点>大阪窯業株式会社</傍点> 所在地(本社) 大阪市北区中之島二丁目 創業 明治十五年一月 資本金 一百万円(払込八百六十四万円) 積立金 十九万四千八百円 最近配当(四十五年上半期) 一割二分 堺工場 堺市南附洲新田 同設備 煉瓦機四台、輪窯四基、単室角窯一基 岸和田工場 泉南郡沼野村 同設備 煉瓦機三台、輪窯四基 貝塚工場 泉南郡貝塚町 同設備 煉瓦機二台、輪窯三基 四十四年産額 約一億個 主脳役員 社長磯野良吉、専務取締役広岡恵三、支配人技術長大高庄右衛門 備考 大阪府以外に近江工場及関東工場あり。 <傍点>岸和田煉瓦株式会社</傍点> 所在地 泉南郡岸和田町 創業 明治二十年七月 資本金 三十万円(払込二十万円) 積立金 十万五千円 最近配当(四十五年上半期) 一割七分 設備 煉瓦機三台、輪窯五基、単室窯一基 主脳役員 社長寺田甚与茂、専務取締役山岡邦三郎 他に西成郡津守村に津村<ママ>煉瓦製造所等がある。此年産年額中には多少割引して見なければならぬものもあるが大略右の標準であろう。
此五製造所の中<傍点>大阪窯業は確に其覇王</傍点>である。製造個数無慮一億(関東近江工場を合してではあるが)天下全産額を四分して其一を有し、大阪を本陣として更に京都方面の為に近江工場を滋賀県山田に、又東京方面の為に関東工場を武蔵八王子に設置し、愈々日本煉瓦界の盟主たる位置を実にせんとする勢を示して居る。最近増資をなし一面貼付用化粧煉瓦の製造に着手して居る。役員も技術者も腕揃いで工場の設備も流石当社でなければと思わせる点が尠なくない。之に次ぐは岸和田煉瓦で、有名なる<傍点>寺田氏一派の健実なる経営振り</傍点>に斯界稀に見る好成績を挙げつつあり。殊に特筆すべきは其優秀なる製造機械の設備で自動切断機の如きは常に来観する者の土産話になる所である。終始<傍点>問題の絶えざるは堺煉瓦</傍点>である。一寸原料には或は不便かも知れんが運輸其他には至利至便な位置にありながら数年来欠損無配当を続け、■々大阪窯業との間に合併説を唱えられ且実際話も進行し、遂に本年始めだった彼総会の結果合併派重役の離任非合併派の就職となるや、俄然眠りより覚醒せる如き勢を以て煉瓦機を新調する、輪窯を新に一基増設する、河内の狭山に同型にして稍小規模なる輪窯一基及煉瓦機を有する分工場を新設しつつある等打って変わった活動振り、従来設備等の割合に資本の多く固定せる事他社の比にあらざりし該社が此を期として復活するか否か、事の容易ならざるものあると共に吾人は非常なる興味を以て此れを視んと欲する者である。
次に此等諸製造所を一括して技術上より眺める。
<傍点>原料</傍点>は泉州一帯行く所として産せざるはなしと雖も其品質は自ら相違あり。概言すれば堺地方(即北部)は粘力強く稍火を強く焼かねばならぬが製品の耐圧力は強い、之に対し岸和田地方(即南部)は粘力少なく焼いて色が綺麗に上る如く、一得あれば一失あるを免れない。原料採掘は農家の余業で牛車を以て搬入し来る(大阪窯業は一部汽車を利用せり)、価格一百貫に付工場着拾八銭より二十三銭位。
<傍点>煉瓦機</傍点>は各社共独逸式で一日二万位を抜くのが普通である、独り岸和田煉瓦は一日五万乃至六万を抜く米国製を採用して異彩を放って居る。
<傍点>乾燥</傍点>は大阪窯業が乾燥炉を有せる外は概して天日乾燥によっておる。
<傍点>焼成</傍点>は皆輪窯により其形式は皆大同小異のホフマン式であるが、今回藤江京都陶磁器試験場長の設計に係る堺煉瓦の新輪窯は遠煙突の上引式(下引も出来る)で稍趣を異にせるが、焼成開始の結果は甚良好なる成蹟を示し斯界の注目を引いて居る。窯室の数は十六室より丗二室に至り、普通十八室位を最多しとする、一体に大阪窯業は窯室が多い。一室窯詰数は一万を最小二万を最大とし普通は一万五千位である。焼成火度はsk-〇七-sk〇五位、一般に南部は少し火が弱い様だ。送熱装置を具備せるは大阪窯業の輪窯のみである。大抵一日に一室二分より一室七分位平均一室五分を焼き進み、十六乃至十八室のものでは凡そ一ヶ月に三回焼成する事になる。次に一日約二万個を抜くに就て<傍点>仕事の分担</傍点>の一例を挙ぐれば
仕事 通称 人員 賃金 原料運搬 鍋トロ 四 一日各 0.60(円) 第一ロール係 二 同 0.50 切断機切断係(一人は切断一人は切断せるをトロに移す時々交代) 二 一日各 0.65 同助手(切断機の針金拭き) 一(小供) 0.20 荒地運搬 荒地トロ 五 一日各 0.40 荒地棚揚(乾燥室に於る) 二 同 0.50 荒地叩き 叩き 女数名 一千個に付 0.30 白地運搬(窯へ) 白地トロ 五 一日各 0.40 同(トロより窯の中へ) 荷ない 四 同 0.65 窯詰 窯詰 二 一千個に付 0.07 焼成 窯焚き 大人二/小人一 月給各20.00/10.00 窯出(二人の事もあり常に選別一人に付窯出二人の割) 四 一千個に付 0.07 選別 二 同 0.06 煉瓦結束 括り 女数人 一千個に付 0.07 製品運搬 赤トロ 数人 一日各 0.80 船積 浜出 同 同 0.80 (nagajis注:切断後乾燥室で叩きをしたということは、機械成形のピアノ線による切断面が均されてしまうということ。&乾燥室を有していたのは当時大阪窯業だけだった。大阪窯業の煉瓦に機械成形痕が見られないのはそのせいだ)
元より一例に過ぎず、各社原料地、機械、窯、積込場所の遠近便否により高低区々たるべけれども又以て一般を覗うに足るであろう。
此等の工場は工場の内か外に幾多の素地<ルビ:シラヂヤ>(分工場と名づくる者も大同小異である)を有し、手抜素地の請負をやらせて居る。此は異形等の関係上止むを得ざる点もあるが、中には単に異形の需要額に止まらず、廿何箇所を有し素地中の重要なる高に達する者がある。
手抜煉瓦が機械抜に劣るは争うべからざる事実で、捏[土偏+延]不完全なるより其切断面均一ならず粗雑にして鬆孔を存する等の欠点多く、殊に著しきは耐圧力の差の甚だしきにある。名古屋共進会の出品物の成蹟を見るに
手抜 機械抜 堺煉瓦製品 毎平方糎 一七一ー二一三瓩 四三三瓩 讃岐煉瓦製品 同 二二五瓩 三六四ー四六瓩 即ち約一に対する二の如き数を示して居る。手抜と雖も十分注意をすれば立派な品物が出来るは勿論であるが、経済上到底斯の如き愚をなす者はない。依て異形を除く外は漸次機械抜のみにならん事を希望すと雖も、色々の関係より中々理屈通りに行かない、然し自然永き間には改良せられる事であろう。
技術的観察は以上に留め<傍点>再び斯業発展の跡を尋ねる</傍点>。
前にも述べたる如く大阪付近の煉瓦製造業が大発達を遂げたのは日露戦争後である、此れを株式組織のものに付き其発達の一端を<傍点>払込資本の増加</傍点>によって覗わんに、
戦前(三十六年) 戦後(四十年) 四十五年 大阪窯業 一二〇、〇〇〇 六六〇、〇〇〇 八六四、〇〇〇 岸和田煉瓦 七五、〇〇〇 一五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 堺煉瓦 五六、〇〇〇 一五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 日本煉瓦 不詳 不詳 一〇五、〇〇〇 斯く払込資本の増加せる一方、戦後事業熱の勃興製品の引張合いと云う活況を呈した時は、各社とも驚くべき好成績を挙げ岸和田煉瓦の如き三割という本邦斯界空前の配当を行うを得た。最も当時の企業には随分如何わしいものが多く所謂泡沫会社が尠くなかったから、一朝其裏が来た時は非常に惨憺たる有様を呈したが、今では平調乃至稍好調に戻って相当の好成蹟を挙げている。此間の<傍点>純益関係</傍点>を表示すれば次の如し。
三十八年上半期 四十年下半期 四十五年上半期 大阪窯業株式会社 払込資金 一二〇、〇〇〇 六六〇、〇〇〇 八六四、〇〇〇 純利益 六一、四二六 一三五、六〇六 八九、三七七 配当率 一五% 二七% 一二% 岸和田煉瓦 払込資本 七五、〇〇〇 一五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 純利益 二二、一八六 三五、三四八 二三、七五六 配当率 二五% 三〇% 一七% 堺煉瓦株式会社 払込資本 五六、〇〇〇 一五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 純利益 一、九九五 一五、〇六二 (損)二七一 配当率 不詳 不詳 無 日本煉瓦株式会社 払込資本 不詳 同上 一〇五、〇〇〇 純利益 不詳 同上 9、729 配当率 不詳 同上 一〇% 翻って此時分に<傍点>東京附近</傍点>はどうであったかと云うに、大勢に於て同一の歩調を取り、金町煉瓦株式会社、東京煉瓦株式会社、日本煉瓦製造株式会社等やはり増資と共に好配当を行い、四十年下半期の如き金町煉瓦は二四%東京煉瓦は二〇%を配当している、今一例として金町煉瓦を掲げる。
三十八年上半期 四十年下半期 四十五年上半期 払込資本 一二五、〇〇〇 一五〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 純利益 七、二四七 三三、二九四 一一、九九〇 配当率 一〇% 二四% 一〇% 茲に注意すべき興味ある事柄は、関西殊に大阪附近は日本第一の煉瓦産地にして戦後の好景気に対する感じも最鋭敏であったにも拘わらず、当年煉瓦会社の新設せられたるものを余り聞かなかったが、東海道以東においては実に次の如き新設会社を成立せしめたのであった。
資本金 払込資本金 創業 関東煉瓦株式会社 一〇〇、〇〇〇 五〇、〇〇〇 明治三十九年 城北煉瓦株式会社 二〇〇、〇〇〇 二〇〇、〇〇〇 同四十年 東京煉瓦株式会社 一〇〇、〇〇〇 五〇、〇〇〇 同年 甲州煉瓦株式会社 一〇〇、〇〇〇 二五、〇〇〇 同年 各のごとく好況悲況相次ぎ相追い或は供給不足となり或は生産超過となり、価格又之に連れて昂騰し下落して居る。即煉瓦一千個に付大阪又は神戸水切り渡し価格、四十年三月に於て十六円と称する最高価格を示し、四十二年三月に至りては九円なる最低価格となり戦前の価格に接近せしが、昨年来稍々持ち直して本年に入り、需要の増進するに比べて供給力昨年と大差なき事とて市価は昂騰一方にて再三値上げを断行し、遂に四十年以来なき活躍を示し十三円を称するに至った。蓋し此結果を来した原因は主として京都大阪を中心とせる関西地方に於ける需要の激増せるに基づくものであるが、又一には<傍点>東京を始め関東地方に於て大阪附近の製品が著しき販路を見出した</傍点>事にも拠る。
以上述べたるように大阪附近の煉瓦業は先ず喜ぶべき趨勢を示して居るが、斯く四五の大小会社が並立している場合に誰でも思い付く事は(一)<傍点>カーテル</傍点>(二)<傍点>トラストの組織</傍点>である。而して我泉州煉瓦界にも両三年来此二大問題が宿案となって居る。<傍点>共同販売所設置案</傍点>は岸和田煉瓦の寺田社長の主張する所のものなる由。競争に徒消する費用と労力とを節せんとするもので、十目の視る所其利益は明であるが、いざとなれば従来開拓せる各自の老舗<ルビ>シニセ</ルビ>を持ち出す事となるより中々纏まりが附き兼ねる様子、第二の大合同組織は大阪窯業を中心として起これるもので、同社と堺煉瓦との合併は実際に於て十中八九分迄交渉成立せしが堺煉瓦の彼総会の結果となりて俄に破れ、岸和田煉瓦とも前年合併談が持ち上がったのであったが一部重役の反対のため立消となって終った。此は勿論共同販売所より数等困難な事で、各会社重役の系統資産評価等の関係上、適当な合同条件に折れ合うこと中々容易でないが故に遂に実行せられ難く、且つ此問題に付常に風雲を巻き起す源であった堺煉瓦が今日では合併反対派重役で固めドシドシ新設増築に熱中せる有様であるから、急に此自機の来るべくも見えない。或は共同販売所を中継ぎとして合同に達するだろうかとも考えられたるが、要するに此二問題は将来実現せられるものとしても幾多の波乱曲折を経た後であって、今日に於ては尚未解決の大懸案である。従て当分はまだまだ此群雄割拠の状態を継続するであろうが、多数の註文に応じて形状寸法品質の品正良好なるものを供給せんが為には、以上五製造所と雖も中一二を除けば尚規模の小なるを免れない。
次に斯業をいかに改良すべきかの問題を説くには他に適当な人があるだろうと思うから、単に一二の重要な事柄について数言を費しておく。
其一は<傍点>乾燥装置の設備</傍点>である。泉州煉瓦界に於て大阪窯業を除けば他は皆自然の乾燥に待っている有様で、其結果として梅雨期又は冬期等に不便を生じ、其他の時と雖もこの両期に備えるため無用の仕事をせねばならぬ、この点は第一に改良を要する点であろう。
次に<傍点>形状及び外見</傍点>に就ては本会主催の第二回全国窯業品共進会報告に「東京附近の製造業者は素地の仕上取扱に特別の注意を払えるを以て其製品は概して苦窳(注:窳=ユ、ワ、エ、器のきずや歪みを表す字)少なく形状亦方正なり。(中略)東京附近に於ては主として砂質壌土を原料とせるに反し大阪附近のものは陶土に近きものを用ゐ焼成の火度著しく高きにあるを以て其製品は前者に対し一般に堅緻なるは遍く世人の知る所なり、然れども同地方に於ては製造中素地の仕上及取扱等に周到の注意を欠くもの多く従て形状及外観の拙劣なるを免れず、表積煉瓦に於ても其線稜若窳し小石の表面に露出せるもの少なからずして東京附近の製品に比し遜色なき能わず、蓋し同地方は近年激烈なる競争の結果多少粗製濫造の弊に陥れるに依るならん云々」の一項がある。正に頂門の一針として注意する事が必要であろう。
次に稍々前項と関連した所もあるが、時分の見る所では将来は全然実用を主とする品と装飾の目的を兼ぬる品とにより、取扱製造の上に今少し多くの相違を附ける必要がないかと思う。全然実用を主とするとは建築物の裏積土工窯炉等に使用する場合、装飾を兼ぬるとは主として建築物の表積に使用する場合と斯う分けて見ると、前者は耐圧力耐久力の強からん事と形状の正確ならん事を要し、後者は色沢形状実質等の各条件共に前者より優秀ならん事を望むと雖も就中外観の整美なるを要件とする。此為には従来の表積煉瓦は甚だ不満足なものであって、時代の要求は更に一歩を進んだ貼付用化粧煉瓦に向って居る、大阪窯業が早くも此趨勢を観取して此方面に手を伸ばしかけたのは時宜に適した行動であるが、現時此貼付煉瓦に対する非難は形状寸法の不整、色沢の不揃等種々あるが、中にも価格の不廉と云う点は総ての口から聞く様である。之は畢竟製造額が少なく競争が激しくないからででもあろうが、赤色化粧煉瓦の如きは泉州煉瓦界で比較的容易に手を染めやすいものであるから、値段を廉く売出す見込みさえ附けば非常に需要が増すであろうと思われる。況んや近年流行の鉄筋コンクリート建築物には最もよく適合する品であるから一応考えて見る必要があるであろう。赤色以外の化粧煉瓦となると又自ら異なる所あり、殊に白色又は白色に近きものに至ては一寸どうかと思われる。此等は現今の所備前と白川とで十分需要を満たす事が出来様と思うし、又可成大仕掛にやる必要があるから此場合は又別の問題になる。
<傍点>手抜き</傍点>はなるべく少なくする必要がある事は前に述べた通りである。
以上は極めて概略大阪府下の煉瓦業に就て述べたに過ぎず、自分ながら飽き足らぬ節が多いが以て斯業発達の次第を察する一助となれば幸甚である。
茲に稿を終わらんとするに臨み、大正元年下半期の営業成績に就き最近手にした分を閲するに、大阪窯業は純益十万余円を得て前期より三歩増し一割五分の配当を行い、殊に二三年来欠損無配当の堺煉瓦が繰越損金一千五百余円を補填して七千五百円余の純益を収め五朱の配当をなせる等好調なるを窺うべく喜ぶべき事である。
雄大なる大阪窯業、健実なる岸和田煉瓦、疑問の堺煉瓦、着実なる日本煉瓦、丹治煉瓦を各一方の雄とする大阪煉の近附瓦業(大阪附近の煉瓦業)は、過去の興趣湧くが如きものありしと共に将来も吾々窯業界に生きる者の注意を牽く事であろう。(大正元年十二月二十七日於洛陽岡崎之客舎)
_ あきら@大阪 [>銘板」窃盗容疑で逮捕 900枚押収 あの人やこの人の名前が過ぎった事を白状しておきます(´・ω・`)]
_ nagajis [しかも大阪で押収されたんだってねえ(意味深]