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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2017-11-05 [長年日記] この日を編集

[煉瓦展] 搬入

道路に横断勾配がついていることをいやというほど思い知らされた。

[煉瓦展] 搬入2

途中でダイソーに立ち寄ったので録画を中断している。後半戦。

[煉瓦展] えー来場者カウントするの?

しかも一時間ごとに。恥ずいやん。


2017-11-07 [長年日記] この日を編集

[煉瓦展] 1日目

思っていた以上に盛況。卑下でも韜晦でもなく盛況。1日目にして所定の用をかなり達成した。ご来場下さった皆様ありがとうございました。でもまだ続くのである。

http://www.kyudou.org/cgi-bin/tdiary/?date=20140617#p01

明治44年頃の西の煉瓦。大正の始め頃なんて嘘ついてもうた。

舞鶴要塞の話は建部山堡塁。やっぱり記憶力が低下してるなあ。

画像の説明

明治35年頃の煉瓦にしては非常に均質なよい土を使っている。この頃の府下の煉瓦は斑が入ったようになっているか、砂とは呼べないような大粒の石が混じっていることが多い。大阪窯業の機械成形(機械練り)が明治34年で、それでもここまで均質かどうかと思う。

画像の説明

それが神崎周辺に見られる手成形煉瓦の質とよく似ている。ほとんど純粘土かというような均質な土。

画像の説明

nagajs好き放題に会場を使うの図。受付をしろと。

[独言][煉瓦] 保水力という指標

今日初めて加太隧道煉瓦の拓本を取ったのだが全然乾いてくれなくて参った。他の煉瓦は水から揚げて和紙を貼って5分もしないうちに生乾きになるんだけれども加太隧道4番は30分以上濡れっぱなしで採択できなかった。んで話し込んでいるうちに乾いてしまって、慌てて霧吹きしてまた乾かなくて、を繰り返すこと数次。水を吸収しないわけではないはずなのだ。素焼きの肌だし割れているし 。焼過の□+漢字のほうがもっと早く乾く。水を取り込んで離さないというイメージ。こういうのは初めてかも知れない。タルイの化粧煉瓦とか日成産業「日」などは水を吸わなくて苦労するがそれともちょっと違う。 吸水率が異常に高くて水を大量に取り込んでいるとも考えられなくもないが、菱Wなんかは水に漬けた上で霧吹きしてもその傍から染み込んでいくしなぁ。よくわからん。けれどもこれが土質焼き加減の違いによるものだったらそれはそれで刻印のない場合の分別に使えそうでもある。

一見同じ土質のように見えて、粘土の粒度とか焼成の温度と含有物とかで分子配列レベルの構成が違ってくるのかも知れぬ。酸性かアルカリ性か、とかもあったりするんだろうか。水酸基が多く存在してるから水分子取り込みやすいとか。まさかね。

五光は見た目の鮮明さに反して拓りにくい。印が深く押されているため&縁がかなりマクレている。粘度が高い抜き出し直後ではなく若干乾燥させてから打ったように見える。


2017-11-08 [長年日記] この日を編集

[煉瓦展] 2日目

画像の説明

さらに好き放題を加速させ、会場で珈琲豆を挽き始めた。こういうのを傍若無人とか赤肉団上の一真人と云うのだろう(いや云わない)。そのくせ隣にボトルコーヒーもあるという謎。いったいチミは何がしたいのか。

今日は朝から雨だったので来られる方も少なかろうと思っていたのだが、豈図らんや遠方からこの展示のためにわざわざ来て下さった方が何人もおられ、時間をかけてじっくり御覧下さった方も多かった。勝手に出した案内葉書に応じて来て下さった方もあって、何とも有難いこと身のすくむことであり、少しでもお役に立てたとしたら煉瓦もきっと喜ぶことと思う。

元から興味を持って来て下った方もあれば、もちろん通りすがり的に見てくださる方も多くて、本展示の趣旨から言えばそちらのほうが「したり」であった。岡町住宅地にお住まいながら煉瓦溝のことを存じておられなかった方。建築関係で煉瓦建物の解体をしたことがあるという方。大淀の小学校の出身の方。三石におられて煙突群を鮮烈に覚えているという方。そういう方々に「足元には実はこんなものがあるんスよ」とお伝えしたくてこの会場でやっている。蒐集品を自慢するためにやっているのでは決してないのである。

興味深いことに、昨日今日と連続で「煉瓦を卒論のテーマにしている」という学生さんが来られた。どちらも考古学の研究室とか。それも特に埋蔵物が云々ではなくて構造物に使われている煉瓦を対象としているそうである。自分はてっきり発掘で出てきたものしか対象にならないと思っていたのだけれども、それはあまりに古い見識であったようだ(だってそうだろ、考古学ジャーナルとかで煉瓦取り上げられているだから)。「産業」を冠して考えずともよい---似て非なるものと考える必要がない、「産業」考古学が免罪符にはならない)時代になっていくのかも知れん。自分みたいな背骨のない素人が何をか言わんや、と言われるような分野に煉瓦研究が早くなっていただきたいものだ。

[煉瓦刻印] 市川橋梁の六と生石山砲台の六とタルイ

2つの拓を撮り比べてみた。刻印の底の形は確かに一致するんだけれども---一画目の点を点ではなくウ冠の一画目のように書く所とか、二画目のウロコの形とか、あれとかそれとか---、それを拓本で表現することができない。例のごとくフチがめくれてしまっているため表面が正確な字形を表していない。すごくもどかしい。こうなったらあの手を使うしかない。

同じ印が押されてるということは、同じ人が作った可能性が高く、それが姫路と由良とに離れ離れになって百数十年が経過した今また一緒になっている、ちうのはちょっとドラマチックじゃ中廊下。これで草津線の六が加わればもっと面白かろうがさすがにそこまでは持ち合わせていない。

あと、タルイの三つ鱗が意外と難しかった。面積が広いので均等に墨を乗せるのが難しい。無心になり過ぎて部分的に濃くなってしまったりしやすい。陽刻のところにだけ乗せようとしたがこれもごくわずかな凸のためはみ出してしまいやすい。これを完璧に仕上げることができて初めて拓本家を名乗れるんじゃないか。なってどうするかは別として。

[] 満鉄調査部

三一新書だったか何だったかの、上下分冊ではない古い方の。名前だけは聞きかじって知っていたけれども実際に何をしてたかは全然知らなかった。鉄道設計でもしてたんかな、くらい。そうじゃなくて随分、というかほぼ100%、政治的な情報収集機関であったのだった。中国における土地売買の慣習法だとか農作物の生産量とかロシアの政治機構とか、大陸のあのあたりのありとあらゆる情報を収集し整理し内地に送る働きをしていた機関。その情報が満州事変だとか日中戦争だとかに利用された。当然ちゃ当然、外国と戦争するってんなら相手のことを知っていなければならない。そういう情報が昔から整理されて在ったわけではないし内地にいて収集するのは不可能だったろうし。

情報の重要性。収集するだけでなくそれを分類整理して初めて役に立つものになる。と後藤新平が熱心に言い出して出来た機関が大元にあって、改組再編がいろいろあって、関東軍とくっついてんのか離れてるんかよくわからなくなったり松岡洋右がトップに就いてた時期があったり、とかくまあ蒙を啓かされること多数な内容。自分にとって未知の情報がどかどか突っ込まれて整理がつかぬ。しかしちゃんと把握しておくとあの時代の構成柱が補強されそうな気がして、ぼつぼつと読んでいる。相変わらず知らないことが多いなあと思いつつ読んでいる。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ TUKA [写真に写る白ハンドルのナイフはもしや・・・。]


2017-11-09 [長年日記] この日を編集

[煉瓦展] 3日目

さすがに3日目にもなると人が減ってくる。このまま減り続けて最終日ゼロというのも考えられるがそうなったらそうなったで有難いかも知れぬ。何しろ設置に1.5時間+αかかったのを30分で片付けないといけないのだ。最終日5時までと書いてしまっているので早く切り上げることもできぬ。そればっかりがいま現在の不安である。

来場者減少は特に悲しんだりしていないけれども、ギャラリーの成績として考えた時に全然貢献できていないわけで、そこのところは申し訳なく思う。質で見てもらえないものだろうかのう。今日もまたお役に立つことができたし見ず知らずの方に煉瓦の存在を伝えることもできたのである。

[煉瓦刻印] 市川橋梁六と生石山六

画像の説明

「型取りくん」で刻印の底の形を採取してやって、それを拓することを思いつく。岸×泉はそこから石膏に取り直したけれども、型のほうを直接拓してやろうというわけである。左右反転することになるが目的はこれで十二分に達せられる。 画像の説明

結果はこうなった。ここまで似ていれば同じといっていいんじゃまいか。2画目の払いの太さが違ったり3画目の太さが違ったりというのはあるけれども、もともと市川橋梁六は刻印の底がきれいでないのと縁がまくれていてシームレスになっちゃっているところがあるので厳密に再現することができてないようだ。墨を乗せたところよりもむしろ表面付近のシェイプのほうが生石山六に似ている(皺よっている辺り)。

底の不鮮明が印母の摩耗に起因するものだと面白く正当什麼の時什麼生なのだけれども、市川橋梁が明治21年、生石山が明治22・3年なので市川橋梁のほうが新しい印を使っているべき。しかし生石山のほうが彫りが深く、底は鮮明。軽く打ったか強く打ったかの違いでしかないのだろうか。

生石山と市川と取り違えたりしてないよな。市川橋梁の煉瓦は山陽形なので現物見ればわかるんだけど、型だけだとどっちかわからんくなる。一画目の左に欠けがあるのがどっちかで、それでちゃんと分別するようにはしてたんだけど、大丈夫かなあ。


2017-11-10 [長年日記] この日を編集

[煉瓦展] 4日目

画像の説明

鋼橋の場、もとい公共の場で開催している展示会であるというのに、その受付の机がこんな状態だというのは、いくらなんでも酷すぎやしないか>nagajis。

今日は朝から資料の整理をした。東雲新聞のコピーが山積みのままだったので、それまで取っておいた新聞記事コピーとともに整理し直しファイリングした。珍しくジャンル分けして付箋まで貼ったりしたものだからたっぷり4時間かかった。そんな最中にはるばる遠方から来て下さったお客様があっておもてなしもせずご覧頂いたりなどして何とも非道い話である。催主敬白顔面蒼白、大沼沢は梁山泊である。

今日もまた多くの人に煉瓦を見ていただくことができた。地元にお住まいでこういうのがあることをご存知でなかったという方、建築をやっていたという方、仕事終わりに駆けつけてくださった方、エトセトラ、エトセトラ。皆様に心から感謝を申し上げたく候。そのくせ机周りの傍若無人は改めるつもりがないという非道。

[煉瓦][] 煉瓦の組成分析

資料整理の最中に、とても重要な文献をコピーしたまま忘れておったことに気がついた。大日本窯業会雑誌No.370(T12.6)、工学博士近藤清治の報文「普通煉瓦の組成」。日本煉瓦製造の煉瓦と大阪窯業の煉瓦について、その薄片を作って顕微鏡で観察して組成の違いとか含まれる鉱物とかガラス化の状況とかを明らかにしたもの。「粘土を焼くとなんで固まるのか・どんなふうに固まるのか」、を科学的に分析した最初の報文と思われる(もちろんわが国での話)。

結論から言うと、日本煉瓦製造の煉瓦の胎土は石英の含有量が比較的少なくて(大阪窯業の粘土に比べて)、溶けにくいこの石英があまり多すぎると固まりにくいらしい。日本煉瓦製造の煉瓦は低温でも容易に焼結する。玻璃(おそらく溶融してガラス化したSiO2)成分は比較的少ない。面白いことに圧力試験をするとヒビが入ってから崩壊するまでにずいぶん堪える。なんというかこう、粘っこいとでもいうような性質があったようだ。

一方、大阪窯業の粘土は極めて多量の石英、著量の正長石、ラジオラリア硅石(いわゆる放散虫:プランクトンの化石)が含まれる。こいつらのせいでなかなか固まらないので高温で焼かねばならない。その代わり高温で焼くと石英や正長石や角閃石が溶融して強固になる。ガラス化している成分も多々ある(並焼三等からすでにガラス化してる。それ以上よく焼けた二等一等、焼過煉瓦なんかは玻璃化が顕著)。そんな感じなのでひび割れまで大きな力に耐えられるがその一線を越えるとすぐに崩壊してしまう。

ざっくり読んでそんなことを知る。ほんとはもっと石の成分とか特徴とか知ってないと正確なことが書けない。そしてその方面の知識がまるっきしだ。うむ。

[煉瓦工場] 稲葉組@堺ほか

資料整理の際に堺市街地図の片割れが出てきて、そういやそんなの録ってたなあと思ったが、もう片方がファイルされてねえ。堺市街地の南側のいっちゃん大事な部分なのに。

帰ってその生き分かれを探したら、そこに菱橋が乗っていた。要するに住吉橋通りが旭川を渡る橋、現在の大浜北町交差点の位置だ。その西詰ということはさらに海側ということになる。大阪窯業はここからもう1ブロック南のところ。旧地名でいえば中附洲。住吉橋通の中洲には原口工場があって、堺煉瓦は現在アゴーラリージェンシーとゆうホテルが建っているところと国道挟んで向かいまで。堺煉化石は「堺区南附洲新田浜」(@朝日広告)で、のちの堺煉瓦とは異なる場所。それが堺附洲煉瓦とおなじなのかどうかは微妙だ。あれ、堺附洲も中附洲だったっけ・・・。うー、整理つかん。


2017-11-11 [長年日記] この日を編集

[煉瓦展] 5日目

画像の説明

5日目、と銘打っておきながら昨日撮影した写真である。会期のうちの8割方はこれくらい閑散としている。それ以外の時間が濃密すぎて体力が続かない。

今日もまた沢山の人が訪れて下さった。雲の上の存在のような方から見ず知らずの豊中市民AさんBさんCさんまで。。そうして蒙を啓かされるご教示も頂き、開催して良かったと心から思う。あのお説はもう全くこれで看破し了んぬといわねばならぬ。目からウロコとはこのこと、学問とはこういうことと、思ったことだった。じゃあそれに恥じぬようなことをここに書けよと自分自身を思わないでもないがどだい無理な注文である。うむ。

そうそう、今日は初めてリピーターがあった。長年版画をやっているという卒寿超のお父さんである。確か2日めに来られて拓本を数枚さし上げたのだが、そのほかのも気になったからといって、また足を運んで下さったのだった。私(nagajis)の名前も書いてほしい、額に飾りたいから、とも仰る。恐縮至極である有難いことである。

そんなこんなの話をしているうち、世間話となり、お父さんの身の上話となった。田舎を飛び出して現東京電機大学を卒業、すぐさまパラオの前線基地に送られ、その途中で魚雷攻撃を受けて船が沈没。命からがら生きて帰ってきたけれども、息つく間もなく宮崎に飛ばされて、終戦までそこで電探をやっていたそうである。戦後は日本郵船に入社し年に数度も帰らない船乗り生活。40年間務め上げ、四国遍路も西国巡礼もやって、今は版画が趣味。しかも鎌倉彫の師範免許までお持ちという。伺えば伺うほど起伏に富んだ素晴らしい人生を歩んでこられた方であった。そうして最後に「周囲のおかげで生きてこれた、感謝しかない」といって涙を零された。それがなんだか、お年を召したせいで涙脆くなったのではなく、本当に心から感謝をされているのだと思われ、こちらも目頭が熱くなったことだった。

翻って自分を見れば、なんとまあ、適当で自分勝手な生き方をしてきたことだろうか、と思う。周囲に感謝の念を覚えこそすれ、随喜の涙を流すほど、本気でそう思ったことがあっただろうかと思う。なんの屈託もしがらみもなく感謝の念で泣けるような人間では決してない。内臓を口から引っ張りだして裏返しにひっくり返したとしてもそうならない。よくわかない喩えだがともかく自分を恥じること多々だった。そういう方に貰われていった阪府授産所の拓ほか6枚。幸せものである。

[独言] まじで体力がやばい

喋りすぎたせいか喉が痛い。風邪をひく直前のうすら寒い感触がここ数日続いていて、今日などは喉に異物を覚え咳き込んで目が覚めた。毎日葛根湯を飲んで寝て起きては葛根湯な始末である。あと一日持ってくれれば。いや1日じゃ足りんのだ、せめて15日まで持ってくれんと。

[独言] 吉野家

エネルギー補給のつもりで吉野家へ行く。今日はなぜか客が一杯で、座って5分後に水が出てきて、15分後に注文が聞かれ、牛丼大盛りつゆだく+卵が出てきたのはさらにその15分後であった。3人オペでもこんなに詰まることがあるんだなと気の毒に思ったことだった。こういう時に腹を立てても仕方ないことくらいはわかるお年頃のようであるし何より今日のことを反芻していたらどうでもよくなった。般若の逆機用とでもいうべきか(いやいうべきでない)。


2017-11-12 [長年日記] この日を編集

[煉瓦展] 6日目

画像の説明

終わった……。何もかも……。(ユラリ)

今日もまた様々な方に来ていただけた。会期中に三桁以上の方が来てくださって(しかも1とか2とかやなく)、予想をはるかに上回るアピールができたことと思う。私より煉瓦が喜んでいるに違いない。

懸案だった片付けも、ご協力を得てソコソコの時間で済ませることができた。煉瓦たちは結局またこの場に収まることになり、また暫くの間、無為な時間を過ごすことになる。まあゆっくり休み給え。おれは休めんのだがな。

[独言] 嬉々として解説をするnagajisの図

画像の説明

初日にTさんがこっそり撮って下さっていた。有難いことである。こんな楽しそうだったかnagajisは。よいことだ。

[煉瓦刻印] 五光線習作with型取りくん画像の説明

型取りくんを使って印の底を拓るの練習。五光刻印みたいな深い印は特に効果的だ。表面拓本では印形がきれいに再現できていないことを再認識した。逆に阪府授産所のような浅くて鮮明なものはあまり効果がないようだ。原本を汚すおそれがないのはいいけれども思ったほど鮮明にはならず。


2017-11-15 [長年日記] この日を編集

[ORJ] 発行

12日以降走り続けたのだけれども結局魚梁瀬が完結しなかった。次号は頑張らねばならん。そして煉瓦展の後処理もまだだ。

とりあえずバナーだけ片付けておく(特設ページはこちら)。

[独言] 無事届いております。。

200年貸与の品、確かに受け取りました。明日改めてご連絡いたします。。今日はもうバテた。。


2017-11-17 [長年日記] この日を編集

[煉瓦刻印] 六稜星+漢数字@豊中市立花町

画像の説明

市立第五中学の西門正面の通りに煉瓦溝があり、六稜星刻印を見つけることができた。漢数字の添印つき。ざっと見たところでは一、三、六、七があった。六稜星+釘とか六稜星+一本線とかは見たことがあるけど、明らかな漢数字は初めてかも知れない。釘も一本線も「一」のことだったんだろうか。しかし南海高野線九度山駅のは六稜星+「タ」だった。いろんなパターンがあるんだよな。

津守煉瓦はあちこちに白地工場をもってたから、それぞれの工場で添え印を使い分けた、とかだったら面白いのだけれど、年代が特定できるのは九度山駅くらいしか知らないんだ。うむ。

[独言] カブトムシ滑り台

画像の説明

確か立花町二丁目児童公園。カブトムシなんて珍しい、と思ったら全国にあるのだな。しかも全く同じ造形のが。

この公園のライドは総じて一風変わっている。ラクダとかよくわからない長い四つ足の生き物とか、鳩とか。この風合いは「ハト」よりも「鳩」のほうがふさわしい。

蛍池の公園にあるのはタコだったっけ。。。どっかに居たよなあ、タコ・・・。

[独言] 名刺発注

今回の展示で唯一の準備不足が、旧道倶楽部名刺を切らしていたこと。名刺入れに入っていた1枚が最後のだった。ORJのは沢山余っていたのだけれども金銭授受に繋がる宣伝は宜しくなく、そういう意味でも何の儲けにもならない丸旧名刺のほうが場的には相応しかったのである。その1枚も初日に貰われていき無事払底した。

前回作ったところに再発注をかけようとしたところポイントが溜まっていたのに気づきそのお陰で送料分が浮いた。フルカラー+墨の2面刷名刺100枚で送料の1.6倍程度にしかならぬ。やっすい名刺である。これだったらもっといろいろ作って遊んでもいいなあ、とFacebookアドレスもツイッターアドレスもない名刺を見て思ったことだった。この部録”のアドレスでも入れておくか(笑)。


2017-11-18 [長年日記] この日を編集

[煉瓦工場] 九州に手を出す

何とはなしに、他にやることがあれこれあるだろうに、九州編の作成にとりかかってしまう。近デジのreachableな工場通覧はS24を残して終了。S24大分県で野上右田に煉瓦工場があったことを知って愕然とする。なん、そげなとこにんあったとー。

熊本には明治30年代に興った工場がいくつかあるが末年頃には姿を消してしまう。肥薩線の建設か、それとも三太郎峠のか。大正期には福岡の荒木村近辺と佐賀県三養基郡三川村寄人が工場地帯となる。荒木は荒木窯業のお膝元。して昭和期には昭和窯業合資会社があった。高橋煉瓦工場は個人工場のままで推移。菱Sは高橋周蔵の下の名前のSからとったと言われているけれども、昭和窯業のSでもよかごたる。工場主は坂井氏(坂上だっけ?)だし。三川村寄人はいまのみやき町寄人、有明海側の福岡県との県境で隣は久留米市という立地だ。一面の田畑地帯に工場が5つも6つも集まってて、同姓異名の個人工場もあった。業として見た時にはとても興味深い。そして窯業の町唐津にも唐津煉瓦と唐津焼煉瓦の両株式会社があった。井桁Kを関西近辺に求めていたけれども、九州が出処という可能性もないわけではないと考え直しておく必要があるかも知れぬ。他に九州煉瓦なんてのもあったのだし(ただし戦前の一時期のみ)。

菱Sを龍野の清水煉瓦と仮定してみてはいるが(工場周辺でいくつか見つかっているので)、◇マークを使うのは広島の工場に多かったみたいだし、一応高橋煉瓦も◇Sということになっている。関西ではなく瀬戸内圏西寄りの系統に属するのかも知れない。とかいいつつ生石山砲台の◇Wがあったりするのだが。そして龍野も充分西寄りなのだけれど。一度自分で工場周辺を見ておかないといけない。そー言われてみればマーク+文字という組み合わせは関西圏には少ないのだな…□+英数字とか□+漢数字は別物として、それ以外の、記号と何かの頭文字って。あ、耐火煉瓦はあるか・・・。鳴神団地に和歌山煉瓦と一緒に使われているのを忘れないように>nagajis。

鹿児島と宮崎は戦後の工場通覧でやっと数件出てくるのみ。確か山仮屋隧道の時は最初地元で焼いたけれども質が悪くて旭商社から買い直している。その後続くことがなかったか、5人以下の零細工場しかなかったのだろう。戦後の工場は煉瓦展の時に話を聞いた工場かも知れぬ。鹿児島は基本的にシラスだからなー、煉瓦作るんは難しかったんじゃなかろうか。

商工録は2、3目を通してみたけれども収録されてない府県があったりして、社章は博多窯業と2,3の耐火煉瓦工場くらい。大阪や愛知のような県単位の工場通覧は作成されていないようなので、あとは各県統計書と、昭和11年以降の復刻版と戦後の通覧を見なければならぬ。ってそれが一番面倒臭いんだけどさ。荒木窯業は刻印集成に数パターン掲載されていた。


2017-11-19 [長年日記] この日を編集

[煉瓦工場] えらいぞ>おれ

S11-14は関西地方とともにコピーを取っておった。えらい。S15は府県別なのでさすがに取っておらず、戦後は福岡までで結。このへんはまた府立図書館へ行かねばならぬ。そうそう、古い巻はコピー不可になっておるのだ。このへんはNDLそーしんを利用して二倍料金払わんといけない。

[煉瓦][煉瓦刻印] B.C.△H.J.@玉造稲荷神社

画像の説明

煉瓦展にご来場いただいたTさんを経由しMさんから教えていただいた物件。玉造稲荷神社の西側の壁にはB.C.△H.J.が使われている。

画像の説明

画像の説明この壁、神社側にはモルタルが塗られて普通の壁に見えるが、外側はこのような感じで雑な作りである。写真を拝見した時にはこの側のモルタルが剥がれてしまったのだろうかと思ったのだけど、実物を見るとそうでないことがよくわかる。壁の根元にモルタルが積み上がって溜まっている。積んだ時に使ったやつがはみ出て溜まってしまってるのだ。

だとするとこの面はどうなっていたのだろう。あふれたモルタルを片付けることもできなかったということは、この壁に密接して何かが建っていたのだろうか。しかしこの壁の足元は高さ数メートルの壁になっている。建物だったら二階建三階建の何かちうことになる。

あるいはこちら側、板塀か竹垣かで飾っていたのかも知れぬ。元々はそういう板壁で、その内側に煉瓦壁を築いて火事に備えたか。

そもそもこの壁の目地はコンクリートなのだな。石灰モルタルでも純モルタルでもない。結構大きな砂利が混じっている。解体で出てきた煉瓦を流用したようにも見える。案外新しいものなのかも知れない。 画像の説明


2017-11-20 [長年日記] この日を編集

[煉瓦刻印] 関西地方の煉瓦刻印

http://bdb.kyudou.org/

Wordpressの練習のつもりで作り始めたら、カンタン、カンタン、1日でこんくらいはできる。これと刻印分布図を組み合わせたらデータベースになってしまう。便利な世の中になったものだ。


2017-11-21 [長年日記] この日を編集

[bdb] 関西地方の煉瓦刻印

画像の説明メニューにアイコン=印影つけられたらなあ、と思っていたらまさにそういうプラグインがあった。そのへんはやはり大樹の有り難さ。しかしその発見のせいでまた無駄な凝り時間を費やしてしまった。お前はほかにするべきことがあるだろうが>nagajis

[独言] このままではいけない

煉瓦展の辺りからやることなすこと書くこと作ること全て煉瓦ではないか(ただひとつの例外としてのカブトムシ滑り台を除いて)。お前は煉瓦屋か、と独り突っ込んでみたものの、煉瓦屋ってなんだ、せめて連歌師であったら様のつけようもあるだろうが煉瓦屋はないだろう、と思い直したりなどしている。

ふとしたきっかけでORJ最初の収入であった千円札のことを思い出した。額に入れて保管しているがその額自体がアタッシュケースに入れられていてさらにそのアタッシュケースが確か部屋の隅のあのへんのごっちゃごちゃの中に埋もれている。本来なら毎日拝んでおくべきものであるだろうが、いつまでも過去の栄光に縋っているわけにもいかないだろうとも思う。在ることに思いを馳せつつ実際にそれに触れたり見たりすることはないというのは故郷と一緒である。そういう存在なのだろう。

[独言] 名刺届く

佐川を指定したのは確かだが、宅配便扱いで届くとは思っていず、再配達で煩わせることになってしまった。すみませんねえ配達員さん。出来上がった名刺は以前と寸分違わぬ仕上がりで(当たり前だ、会社も版下デーもかわっちゃいねえんだから)、ただし裏面は[禁則事項です]を追加してある。いちいち書いて示したりせんでも済むようにという全く余計な準備である。相手のことではなく自分の手数の省略のための余計書きである。えもうす既にもう約束さ計画いる。なんでそんな無駄なことをするかな>nagajis


2017-11-23 [長年日記] この日を編集

[web] おそるべし

プラグイン1個の導入でそれっぽい通販サイトができあがってしまうというおそろしさ。数無い商品を売るのであればこれ使うのがいっちゃん早い 。んでデジタルデータのDLサイトも作れるらしいが\29800-もするという。どういうことだ。足元見過ぎだろ。


2017-11-25 [長年日記] この日を編集

[きたく] 10509号、生存確認

画像の説明

47年ぶりに観測された水準点。久しぶりに腹の底から笑うことができた。ありがとう。

見たい見たいと強く願えば見えるものだと、ばっちゃとナウシカがゆうとった。

[独言] 北方から余呉駅にアクセスしてはいけない

画像の説明

北口は存在しない。悲しい目をみる。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1452161/402

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/973987/443


2017-11-26 [長年日記] この日を編集

[独言] 府立図書館へ行く

また、たくさん、かしこくなった。

東洋組刈谷授産所の煉瓦が猿島灯台に使われているのは東洋組がもともと愛知の砲台建設を当て込んで煉瓦だとかセメントだとか土管だとかと作り始めたことと関係している。愛知の砲台計画がポシャったので東洋組も困窮したが陸軍に嘆願書を提出して理解を得、1万円の資金提供を得たり豊橋の師団建築だとかに資材を供給したりしている(「三河地方の産業発展史」とかなんとか)。猿島もその一環なのだろう。だとすれば愛知の煉瓦が東京湾で使われたのは例外的な移動であったといえる。ついでに「西尾市史」に当地の煉瓦製造業の節があったので確保しておいた。

刀根越えの件、想像どおりの展開かつピンポイントに言質をゲットして我ながらすごいとおもった。しかしそこで国道路線変更?となって衝撃の事実に辿り着く。そのへんはひどく甘い。その気分で現地を歩けなかったのは遺憾とするところである。

英国の煉瓦製造業史についてまとめられたもの(「産業革命期の人びと」だったっけ)を発見し嬉々としてコピーする。&M16頃の関東の煉瓦製造法を取得。

日本産業技術史体系に煉瓦製造業の創始と発展期に関する比較的まとまった一章があることを知る。しかし例に洩れず関西は無視されている。第一回勧業博覧会の出品説明があったけれども原口のがないのは何故なんだぜ??? 各社の煉瓦製造法が結構まちまちで興味深い。四面を整えてから形を外す、ってどういうことだ? 8:4:2寸の型枠に詰めて四方を切るって???

最大の目的はもちろん工場通覧をゲットするためだったんだが発行年ではなく本の厚さでセルフコピー不可になり得ることをすっかり忘れていた。自分でコピーするのが面倒だったので国立国会図書館送信にある分はその出力を、残りはセルフで、と目論んでいたが見事に踏み外した。

[独言] ポルコだいしっぱーい

工場通覧はS15からコピーしなければならなかったのだ。油断してS16から取ってしまった。また府立に行かねばならぬ。まあ、これは急ぐ仕事じゃないから。何なら郵送してもらっても可。

[独言] そのせいで全部中途パンパ

パンパってなんだ。いろいろわかったり用意したりしすぎたせいか、どれも整理が追いつかない。ECサイトは分解途中だし結局はレンズ買わなかったし(ピントが合わないのは仕様なのだ腕が悪いのだと信じ込むことにした)RMSは夜八時までだし原口の進歩賞は第一回内国勧業博覧会ではなく第二回だしそのかわりに第一回に阪府授産所の出品が見つかるし(三個人名有り)bdbはあれだけ見つけた○Gなのに2つしかPってなかったし折角スマホにマイマップ入れたんだからそっちで登録しときゃ済んでた話だったのだし。そして右足は以前より退化している気がしてならぬ。久しぶりに機能不全になっている。やだなあ。最近全然歩いてないからなあ。距離は歩いたからなあ。

[独言] ネタ

よいネタがあるときだけは書きたくなる。現金なものである。発見を誰かに伝えたいと思う感情は多分人類共通の欲求の一つであって、だから論文という仕組みとかChem.Abst.とか出来たんだろうなって思う(ケミアブなんて単語、久しぶりに去来したぞ)。

んで、語ってしまえば元の虚無阿弥だ。そうやって忘れてしまった「稀代の発見」の多いこと多いこと、勿体無い話じゃないか。単なる「行ってきました」報告で済ませるには惜しい色々の発見があった気がするんだけどな。

そこはまあ……所詮その程度の発見、そうゆうものだと思って諦めよう。ひどれもこれもとつのお話に過ぎないのだ。蓄積が世の役に立つ類の話題には非ざる也。あっ、靴洗うの忘れてたっ


2017-11-27 [長年日記] この日を編集

[独言] なぜ一気にいろいろ起こるのか

目が回る。こなす自信が那須。

[煉瓦][] 第一回内国勧業博覧会に於ける煉瓦の出品

とかいいながらそれ以外のことに手を出すのは逃避行動と呼ばれる減少である。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801849/15

出典「明治十年内国勧業博覧会出品目録. 2」。第一回内国勧業云々で検索しても引っかからない罠。

煉瓦は第二区第二類に出品されている。大阪府は府庁出品で「(一)土、並型、大坂難波新地六番町勧業場田中平七石本力松高松種次郎(二)扇子地紙形(三)撥形」とある。並型、異形扇形、異形くさび形。

公評もはっけん。褒状授与。龍紋、鳳紋、花紋の賞牌ではなかったようだが一応褒められておるぞ。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801856/9

東京府はこちら http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801848/52

公評 みな褒状 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801856/74

内務省警視局・懲役人三人も褒状 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801856/8

「体系」にあった詳細な記述はどこへいったのか。見当たらない。


2017-11-28 [長年日記] この日を編集

[独言] キャベツブーム

近頃はキャベツの千切りばかり食べている。焼きそば用に買ってきたキャベツを半分あるいは1/4残してしまってそのまま腐朽させてしまうことが多かったことから思いつきで千切りを試みたのがキッカケといえばキッカケであった。元より千切りは下手だという自負があり試し切りのつもりで試みてみたところ案の定な結果になってしまいそれが残念であったために再度一玉贖ってきたりなどしているうちに泥沼に嵌ってしまったようである。そもそもキャベツを縦に切るべきか横に切るべきかわかっていない。葉の詰り具合いから察するにどちらから切っても同様の仕上がりになるだろうと思われたのだが同様なのはその巾の太いことばかりでちっとも千切りらしいものにはならぬ。どんなに薄くスライスした積りになっても5mm巾1cm巾のが出てきて仕舞う。かつくらの千切りとまでは言わないけれどももう少し細い千切りらしい千切りが食べたいものだ。

そういう話を某所でしたところスライサーを使うが吉とアドバイスされた。なるほどスライサーならどんなに手抜きしても細くなるであろう。元来この手の省力機器は使いたがらない質であるのだが千切り欲に負けて我を折り100円ショップでそれを求めてきた。確かにスライサーで作った千切りは多少千切りらしく見え食感も悪くはない。某としながら手を動かしてもそれなりの細さの千切りが積み上がっていくのはある種の快感である。

今日などはコンビニでキャベツの千切りが売られているのを発見してしまい食後であるにも関わらず購入してしまった。流石に製品として売られているだけの細さであり食感も手製のそれを数段凌駕している。一袋150gで88円というのは少々高いかも知らぬが千切り欲を満たすには悪くない額と思われた。しかしかの千切り欲のうちには自身で作りたいという欲も含まれているわけでそれを放擲し既製品を贖ってしまうことには些かの敗北感がつきまとわざるを得ない。それはスライサーに逃避した際に感じた敗北感を軌を一にしてなおかつ大きい。包丁一本でここまで細く作れたならばどんなに快哉であるだろう。聞けばキャベツの葉を剥がし折りたたんでから咲々と切るのが最も丁寧な作り方という。そうやって手間をかけて作ることが即ち王道であるには違いない。ただその手間と現在抱えている千切り欲との天秤が釣合わないらしく中々試せずにいる。食したいだけの量の千切りをその方法で作り終える頃には疲弊して食欲が失せてしまうように思われるのだ。あるいは千切り欲の構成成分のうちの切りたい欲だけが大いに満たされ食したい欲が隅に押しやられてしまった絵面が思い浮かぶ。切るだけ切って食わないのは勿体無いしキャベツが可哀想でもある。最近ようやく安くなってきたとはいえ一玉200円とか300円とかを無駄にするのはやはり忍びないではないか。人倫に悖ると迄は行かないにしても不調法であるだろう。

そうして不思議なことにいくら切っても食しても千切り欲は満たされない。ひとたび満腹しても翌日にはまたキャベツを手にしている自分がいる。キャベツに取り憑かれたのであろうか、このまま行けば業務用の、それこそかつくらやコンビニのキャベツの千切りを製造しておる機械を買ってしまうのでないかと慄いたりしないでもないのであるがしかしその手のスライサーがどこで売られているのかを今の私は知らないのが幸いである。検索して探す気にも今のところはなっていない。悪魔の囁き的な不意打ちの広告とか余計なお世話の耳打ちとかがない限りはそんな極北まで行くこともないだろうと思う。所詮キャベツはキャベツなのである。栄養価が特段高いわけでも箆棒に安いわけでもないのである。業務用スライサーを買って来る位なら包丁技術を磨く方が先であり自身の実にもなるであろう。と自分に言い聞かせて予防線を張っておく。たかがキャベツの千切りの話に千五百数十文字も費やして愚駄愚駄書き連ねておるのもある意味そんな予防線の積りなのかも知れない。

ついでに書き添えておくがそれだけ大量にキャベツを食しているにも関わらず体調頗る良しという結果にはなっておらぬ。もう少し健康体になれるものかと思っていたがそういう効果はないようだ。お通じが良くなったわけでもない。案外である。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ あきら@大阪 [千切り欲ってなんやねん。と読み進めて思ったが、読み切ってnagajisらしさ全開で安心した。 キャベツは胃に優しいらしいから、心配無く食べるのが吉。マヨネーズだけじゃなくソースやドレッシングでもい..]

_ nagajis [にんげんってそんなにかんたんにかわらんものらしいよ(はーと]


2017-11-30 [長年日記] この日を編集

[独言] 鍋焼きうどんを食った話

を昨日書いていたのだがタブレットが固まって投稿できなかった。所詮無駄話なので何ら悔いはない。

右目のなんとなくの違和感が続いているのでいい加減眼鏡を新調することにした。といっても例の溶接メガネの流用だ。今まで依頼していた店がなくなってしまったので別の店にお願いしに今日行ってきたのだが例の如くに苦笑された。店「よくこんなフレーム見つけてきましたね」n「溶接用のやつらしいですよ」この『らしいですよ』という一言にnagajisの気弱さが凝縮されている。なぜ胸を張って断言できないのか。書く時はいの一番にそう書いているだろうが。

コーティングなしのいちばんやすいレンズを入れてもらうことにしたのもヨワヨワである。前のレンズ(即ちいま使っているメガネのレンズ)はどうだったっけ。これもコーティングなしだった気がする。コーティングあるだけで+3000えんもする。プラス花粉つきにくいコーティングで同額上乗せだそうだ。いろいろ悩んだ末にド・ノーマルなレンズにしてもらった。だって「山でヤブこぎするんで傷つきやすいんです」つーたら「そりゃぁ(仕方ない)」みたいな言われ方したし。コーティングしてても傷つくものは傷つくのだ。ガラスの十代のハートのようにだ。

[独言] 羊頭狗肉

上の一文のどこが「鍋焼きうどんを食った話」なのか。

地の文と会話文とが喧嘩を始めてカオスになる、という小説はすでにあったはず(御大がそう書いてた気がする)。小見出しと本文で独立平行な物語を語っていく小説、というのはどうだろう。新しいかも知れぬ。

[独言] 「ツヨツヨ」の対義語は「うすうす」

そうなのだ。うちの部では「うすうす」を使わなければならなかった。すっかり忘れている。

[独言][] 必要な情報

終了後の顛末かたどうやって募集につなげればいいのかを反芻し続けているけれどもやはり取り組みの歴史的なところをおさらいして不遇に訴えていくスタンスがわかりやすいし流れもスムーズなように思われる。書きにくいところに正面から乗り込んで行かねばならないとなるとさらに気が重くなるなぁ。ということをここに書いて吐露しておけばお姉妹になるかな。


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