nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
ああ時間がない時間がない。5時間かけてたった一本じゃ終わるはずがない。文字整理だけで何十分もかけんなドアホ。へンマ。トンチキ。マ。
という文句を書き散らすスペースとしてここを設けているわけだけれども、それが上手く機能しているようにも思われぬようになってきたのは小さな成長かもしれない。単なるディストーターとしてしか働いてないんではないかここ。文句言ってる暇があったらその時間でなんか書いたらどうだこのスットコドッコイヨッコイ庄ちゃん。
先週はUSBケーブル一本のせいで全く触ることができなかった。その焦りが今に発露しているという分析も可能だ。慌てたって原稿はできない。一つひとつ詰めてくほうが確実で早いに違いない。
考え方の癖チェックをした。「アンケートで悪い評価しか見ていない」云々というチェック項目があって、笑いを堪えつつ最高得点(要するに花丸)をつけておいた。それが何の歪みを表しているかは忘れたが思っていた通りのだったのは確かだ。完璧主義でないのはちょっと意外だったが、考えてみりゃ自分の「完璧主義」の定義なんて、いい加減であてにならないからなー。
勉強をしてないのにテストを受けるはめになる系の夢は見たことがないが、新聞配達をしなければならない状況に陥り四苦八苦しながら配っている夢は(高校以降今日まで)何度か見たことがある。あれはいやなものだ。その昔実際に配っていたエリアが舞台で、シーンも当時そのままと思うのだが、辞めてから数十年経過しているのだから配る家を覚えているわけがない。長屋が並ぶ今井住宅で「ここは休止だったっけ?」「ここも配るんじゃなかったっけ?」と悩みながら投函するはめになる。合っているのかそうでないのかもわからぬまま1周を終え、最後に新聞が残っていたときの絶望感。ああそうか、実際つねに1、2部余ってたよな。それがすべての元凶だ。
http://megalodon.jp/2013-0905-1636-08/news.mynavi.jp/news/2013/09/05/046/
合宿を終え一時帰宅。疲れを癒す間もなくブッ続けで原稿を作成。何とか終えた。そうしてもう帰らなければならぬ。
修了式で涙腺が弛んだのは年のせいだとは思わない。それだけ真剣に、真面目に取り組んだ証だ。目的本位、事実唯真。
そのclaimもnagajisには向いていないのかも知れないな。うん。きっとそうに違いない。言われてもいない文句にムキになるnagajis哀れ。
今号は概略テキストを用意していたのと最後に無理に突っ込まなかったことが幸いして期限中に仕上げることができた。次号は何も用意していないからもう少し苦労する筈。ネタもねえしな。
しなければならないこと第一は寄稿を整理すること。それが済んで余力があれば川津大橋か羽淵橋で旧橋。西熊野街道は終わってからじっくりやりたい気がしている。忘れそうだけど何しろ道半ばだ。
西熊野街道を東熊野街道Odysseyみたいなやり方で行くかそうでないかで思案中。前者だととうてい時間が足りないし、くどくどしいのには自分も飽きている。全編ミニたんさくでゆく位の(書く方も読む方も疲れない)軽いものにしたい気がしている。その一方でめったにないネタの拡がりが期待されるからOdysseyみたいなやり方のほうが相応しいのではないかとも思う。
ま、要するに取らぬ狸の皮算用だ。受けぬnagajisの推敲、とかいう新ことわざを作っても可。そして「要するに」を多用すると馬鹿っぽく見えるのが面白くて多用している。
素材を集め、 構成を練るばかりで着手できていない。今週中に何とかなるだろうか。いや今週中に何とかしなければならない。これが最後のご奉公と思ってキーをペチペチする作業に取り掛かるんだ>nagajis。
S8の貴族院議会で百会長が言い出したタイミングには、S6の満州事変、翌年の国際連盟脱退で世界的に孤立し軍国主義化が進行しつつあったことがバックグラウンドとして存在する。どうにもならない貧困を抱えながら衛星を打ち上げたりブラフを繰り返したりする北朝鮮の現況と根は一緒である。その文脈の中で捉えれば最初からカーキ色であったと言えるだろう。あと橿原神宮の始まりが2550年で、その50周年というのに気づいてなかったが、どれだけ脈絡があるものか見極めきれてない。たぶんそんなに関係ない。
日本文化大鑑はS17に第一巻歴史編が出ただけで終了。国史館は当初予定していたものとは違うものになったが、結果的に橿原考古学研究所を輩出?するという功績があった。そのへんは一通り抑えておくこと。道路変遷は竹之内峠と唐古鍵遺跡と国道15号を忘れないよう。
ここに書く時間がなくなったが、だからといって書きたいことが溜まっている感じもなく、書いてないことへの焦りもない。このま本当に誰もアクセスしないページになればいいと思う。誰もが言いたいことを言い放題に言っているこの世界に自分の言いたいことを突っ込んでもエントロピーが増えるだけだ。
小南峠隧道の扁額の一部が見つかったこととか「ひところは日本で一番長かった」三弦トラスの川津大橋のこととか、三里越とか川津越とか、書かなければならないことはあるが、書いても誰も読まないのじゃあ割いた労力がまるまる無駄だ。その無駄を惜しむつもりはないけれども「何のために書いたのか」が報われないのはつらい。無駄を承知で、それを肯定して8年間書いてきたが限界に達している。
ならばどうするか、がわからないから次の足を踏み出しあぐねている。わからないというのは適当でないな。わかろうとしない、もしくはわかるのを拒否している。廃道人気など存在しない砂上楼閣蜃気楼だという事実(あるのは[禁則事項です]だけだ)を踏まえたうえで、歪んでいない認知でもって「次、何するか」を考えないと。
今はその時間がたっぷりある。そのうえ客観視するための視点場や、視界良好の眼鏡も望遠鏡も与えられている。何かいい解決策が見つかりそうな気がしている。 成果を急いで慌てたり、高望みしたりしなければね。
ボランティアの最終日に「画伯」が描いて下さったnagajis。午後からわずか数時間顔を出して、時おりお茶を運んだりカラオケの操作手伝いをしたりするだけの、いるのかいないのかよくわからないような私のことも忘れずに描いて下さったこと、それ自体がこのうえなく嬉しかった。
期間中さまざまなことを経験し、葛藤と反省に追い回されている気が抜けなかったが、このプレゼントによってすっかり救われた気がする。来週からまた頑張ろうと思う。nagajisはそういう単純な生き物である。
訓練の合間を拾って入力していた断片を繋ぎ合わせる作業。自分的には十二分に準備していたつもりだったのだが断片を拵え過ぎていて収拾がつかなくなった。そのうえ導入と神宮成立と結語は未着手のままという体たらくで、写真スペースまで考慮すると50%くらいに圧縮せねばならず、本当にこの連休で終わらせることができるのか心許なくなってきた。見通しが立たないまま入れ替えとポチポチを繰り返す最悪のバターン死の行進中である。
先に事実関係だけ入力しておくのは複雑でよくわからない物事を理解するのに役立つし、本腰入れて取り掛かることができない間のヤキモキを紛らわせる効果もあるのだが、効率は最悪だ。これならアタマからWordで書いてったほうが早かったんじゃねと思わないでもない。それができないからnagajisはnagajisのままで苦労している。
まあ・・・その過程で気づいたことも2,3あるのだから、全くの無駄ではなかったと思うことにしたい。 単独事業/奉祝会事業/奈良県奉祝会事業と書き分けられている意味だとか、そもそも奉祝会計画事業だけが紀元2600年記念事業なのではないことなど。
奈良県に関係のある事業に絞る。東京五輪や日本万博の件はパスし、宮崎神宮や国史館は触れるに留める。でないと写真が入らない。結語はいまのままでもよいが戦前の都市計画事業(空間形成技術)の頂点として再評価する動きもあるってことは入れとかないと。それと橿原考古学研究所の件。
2600年記念事業の成果物は、近代と現代を結ぶ橋、あるいはその橋台の一方だということ。ミッシングリンクの彼岸としての2600年記念事業。奈良県の近代を看取った徒花。そういうのを主張したい。伝わらねえかなあ。伝わっても無駄かなあ。そもそもそそういう認識が間違ってるのかもなあ。
うっは味覚糖。その踏切はちょいと高すぎやしないか?>nagajis
主張したいことはないのだが文句はある。上の階が土日のたびに彼女を連れ込んで夜中じゅうXXXするのは何とかしてほしい。ぐっすり休んで朝から原稿を進めたい、というか進めなければならないような時に限って聞きたくもない喘ぎ声を聞かされ苛苛されられる。ここ一年ばかりそんな土日を繰り返している気がする。お蔭で早朝出発を断念したこともあった。重な土日の休息時間を返確保させてほしい。特にこの先2ヶ月間は。
これだったら寮の二段ベッドのほうが数百倍ましだ・・・って寮の方はこれっぽっちも文句のない環境なのだけれどな。ネットさえ使えればこの色アパートに帰る必要などないのだ。
ポン橋の果て、大国町駅の辺りから堺筋線に沿って北上している時にビルの狭間に煉瓦壁の痕跡を発見した。調べてみるとタイトルの刻印煉瓦が出てきた。大阪煉瓦は重ね打ちされ不明瞭極まりなく、原型を知っていなければ輪郭すら読み取れないだろうという状態。六稜星はよく見かけるので驚く発見ではなかったが、大阪煉瓦と一緒に転がっているのは若干注意が必要である。讃岐煉瓦は意外そのもの。3つが混在し得た時期はなかったわけではないがkansaibricks.pdfがいま手元になくて確認できない。
それより何より、堺筋に面した繁華なビル群の隙間で古煉瓦に遭遇するとは思っていなかった。あるところにはやはりあるのだと再認識。
こういう場面では、地下から出土するよりも、ビル解体でその基礎や背後から出てくるほうが先なのかも知れない。人知れず解体され産廃として捨てられる煉瓦が多いに違いない。
ぎうぎう詰め込んだ。不用意に開いたら文字がフローしたり画像があっちこっち行ったりするに違いない。そのうえnagajis掘採文章である。密かにWord爆弾と名づけて送付した。という事実を未来に書いて私は帰る。
残り一本! は来週までお預けたい。