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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2023-06-01 [長年日記] この日を編集

[独言]

【写真を見る】「丸亀城の斜面が無許可で約1メートル削られる」丸亀市が被害届へ 城跡の「瓦」が目的か【香川】

自分の利益しか考えない、周りのことが見えてない人間は醜いものである。以て他山の石とすべし。とこの間黒姫駅で怒られたnagajisの口がいう。

[独言] 問い合わせ

一度その機会があると「この際だから」と方々に手を出すタイプである。毒を食らわばサラエボというやつだ(この部録”を検索したら多分3回くらいこれ書いている)。

仮にわかったとしてもどこにも出せないのなら意味がないかも知れないが、私は知りたい。それを踏まえた判断のほうを使えばよいだけで、もし書く必要が出てきたらその時に改めて許可を得ればよい。というか○✕△□のNDLの件も学術利用ができてないよな……頑張って煉瓦が増えただけではないか。

[煉瓦][独言] 東洋組関連公文書

作成年度があっちこっちに行っているので読んでもどうも頭に入らない。山り日記は日記だったから古いものから順に読めばある程度は理解できた。今回はそれでは太刀打ちできない。よってExcelで整理してみることにしたが、今度は作成日のところが複製されていなかったり肝心の一行がページ間に跨る罫に書かれてあったりして読めぬ。困る。複製本を用意してくださるのは大変ありがたいのだがその複製本を作る時にもう少し配慮していただきたかったものである。

貸下金滞納についての督促は前々からやっていたみたいだが県議会で問題になり抵当を取ることが決議されたのを受けてやっと財産差し押さえに動いている。そのときにはもう瓦・煉化石製造は子会社化していて、東洋組の資産と呼べるものは斎藤自身が持つ瓦業の株券80数口しかなかった(悉皆抵当の達に対する斎藤の嘆願書・M18.5.25)あと製造した瓦・煉瓦(あれ、これは子会社のものではなく? 東洋組に上納した後だったのか)。年初の議会で問題になり始めた頃子会社化したのだろう→ビンゴ、M18.2.or4.に天工会社とおれは書いている。かなりの綱渡りで事業だけは存続したことになる。そんなことをしてまで士族授産の灯を消したくなかったと見るべきか否か。お陰で刈谷も西尾も東海道線工事に供給するチャンスが得られて少しだけ延命することができたわけだから無駄ではなかったと思いたい。


2023-06-08 [長年日記] この日を編集

[独言]問い合わせ結果

JR東海は鉄道構造物の竣工年を教えてくれない。なので問合せても面倒をかけるだけ。同じようなことをしようという奇特者がいないとも限らないのでここに記しておく。


2023-06-11 [長年日記] この日を編集

[独言] 型枠をつくる

画像の説明煉瓦型枠っぽいものを自作してみた。ホームセンターで幅60mm長さ945mmの杉材が売られていたのでこれをもとに並形煉瓦用を想定し。60mm≒2寸なのでそれが9割に焼き縮むものとして長245mm小口117mmとし、945mmをめいっぱい使うようなとり方をするとちょうど良い具合の大きさになった。945mmという寸法はかつての一間材の半分なのだろうか。おそらくぴったり1800mmでは作っていなくて、痛みやすい端の方を切り捨てて丁度一間になるような材として売っていたものと想像する。その半分を使うとちょうど並形の型枠になるわけで興味深い。

内張りはとりあえず0.3mmアルミ板。杉もアルミも柔い素材なので、実際に使えばあっという間に摩耗して駄目になってしまうだろう。

作ってわかったこと2、3。内張りをするなら小口の外側まで巻かないとコビキで引いたときに内張りの縁に引っかかる。きっちり切ったあとで気づいたので型枠の外側を削って巻き込ませてごまかした。

赤線の位置に鉄の棒だったか針金だったかを通した型枠の図をどこかで見た気がするのだが、実際に作ってみるとたしかにそこにバーがあったほうが扱いやすい。粘土を詰めたあと持ち上げる時にそこに指をかけて持ち上げることができるからだ。

長手の端は本当は面取りしたほうが使いやすいのだろうと思う。『煉瓦要説』の型枠も角を欠いてある。


2023-06-12 [長年日記] この日を編集

[][煉瓦] 県第弐号諮問案

東洋組の顛末を端的にまとめた一文。国貞知事の死去後に愛知県知事となった勝間田稔知事がM18.5.の臨時県会に諮問したもので、未回収の貸下金を略同額の旧公債証書で回収するという内容。

東洋組の貸金たるや最初該社長齋藤実堯なる者三河地方に於て煉瓦に適する土質を発見し陸軍省砲台用煉瓦製造方を命ぜられたるを以て東京に於て株主を募集し西尾刈谷等に製造場を創設し該地の士族をして其業に従事せしめたる処株金回送方遅延し為めに資本金の運転に差支たる趣を以て拝借金願出しにより右株金回送次第返納の約をなし一時貸渡置きしに期限に至るも回金せざる等の事故申立返納残金一万八千円再三延期延期出願せり折柄客年本会建議の次第も有之尚一層厳重督責中七月に至り 皇居御造営用煉瓦製造方該組受負申付られたるを以て同局より代価総計三万二千余円の内半額前金を以県庁交付製品積送りの際半金東京着荷の上半金下渡方委託し来れり依て製品回漕の都度後半金を以貸金の方へ返納其余は本年一月中完納の筈にて内金千八百余円返納の処御造営局に於て積送り煉瓦の内巨多寸法違いのものを発見除却せられ為めに該代価は県庁より下渡さるるを以て終に流用運転金に差支[門+山]製造に従事するを得ず殆んど休業の場合に立至り旁以返納の途も閉塞せし趣なり抑該社失敗の原因を探知するに同業者と相拮抗し偏に声価を博取せんと欲し資本の多寡収利の如何を顧みず只管事業を拡張し不当の廉価を以製品を販売し或は濫りに瓦窰を築き製造方を試験せし等徒労に属するもの少しとせず是巨(以下一行不明)失し二には声価を得し工業を廃絶するを遺憾とし別に一社を設けて事業を継続するの協議に及び旧公債を以て返納方華族南部家の保証書を副え願出し付属官をして現場に就き検査せしめしに実に其失敗の景況聞く処に倍従せり依て今此負債を新設会社に負担せしめんとするときは事業廃絶の外なかるべし果し然らば旧公債を以て返納の計画も画餅に帰せんと必竟之れが処分法を推究するに旧公債を以て返納を許可するか又は之を法衙に訟んか有限の会社にして数万の株金は既に消費し僅か二千円許の地所及工場を有するも概ね他の負債主へ抵当となしたれば恐くは得る所なからん寧ろ旧公債を以て返納を許可するの愈れるに若すとす是独損失の少なきのみならず多数の士族をして其産業を失わしめざるの益あればなり然れども此損失も亦少なからざれば尚実堯へ厳達するに現金に対する不足額完納の方法を立つるを以てせしに更に三ヶ年置据四ヶ年目より向う十ヶ年賦返納の儀追願せり然りと雖も抵当品及保証人もあらざれば固より確実の方法とは視認し難しと雖も目下の現況到底完全を求むるに由なければ是亦併せて許可せんと欲す但未納利子の如きは悉皆棄損するの積なり

この諮問は第一号諮問案(貸下金損失を地方税で補填する案)とともに県会で否決されるがーーー東洋組の出した損失を愛知県民が穴埋めすることになるわけで、そりゃ反対するだろうーーー、参事院の裁定により諮問通り実行されることになる(第一号諮問については参事院の裁定の原本がアジ歴にあり)。

同年11月に朝山頼誉が旧公債証書を収め、これによって東洋組貸下げ金問題は一息ついたけれども、以上のやりとりを通じて県会と知事との間に軋轢が生まれ、県会運営に後々まで影響を及ぼすことになる。なお東洋組と同じ時に警察署建設に係る貸下金とその未済の問題もあり(請負人田中某に対する貸下金)それと東洋組の貸下金問題のことが『愛知県議会史』第一巻の記述ではごっちゃにされているため意味不明になってしまっている。

旧公債証書は江戸幕府の負債を整理するために明治政府が発行した公債で、現金化するには年一回実施される払い戻しを待たなければならず、その払い戻し額も定額であり一度にすべてを現金化することはできなかった。ゆえにその価値は額面よりも低い。日本銀行金融研究所アーカイブの旧公債証書の画像はかなり拡大できるので地味にありがたい。

皇居造営用の煉瓦が寸法違いで多く除却されたのにその前の砲台建築ではそのようなことはなかったらしいところに興味をもつ。皇居造営用煉瓦が具体的に何に使われたか不明だが、土木構造物ではなく建物か何かに使われたのかも知れぬ。造家が要求する煉瓦寸法あるいは精度と砲台建築のような土木構造物的建造物のそれはやはり違っただろうと思う。あるいは寸法そのものが違ったのかも知れない。東京ではM10の銀座煉瓦街建設の時にはすでに東京形煉瓦のもととなる煉瓦規格ができていた。それに準じて皇居造営も行なわれて、それに則らない煉瓦を提出してしまったものかと想像する一方、皇居造営ほどの事業なら必要とする煉瓦の仕方書が作られていてもおかしくないだろうから、単純に東西煉瓦の不一致というところに押し込んでみるのはよくないだろう。

M15頃の皇居造営については中村達太郎述『皇居御造営の頃』かhttps://www.jstage.jst.go.jp/article/aijsaxx/174/0/174_KJ00003749686/_pdf/-char/jaでも嫁。できあがったのは紅葉山下宮内省庁舎。M20竣工。ちょうど納入の頃に計画が二転三転しているので寸法云々は方便なのかも知れない。いずれにしても政府の方針転換に振り回されたことになりその道を選んでしまったこと自体が悲運であったと言えるんかも知らん。

ああそうか、粟生重寔が借りたのはその後で、M19.6.26付で農商務省の十九年度士族勧業資本金乙から三千円。鉄道省受注の後。https://www.digital.archives.go.jp/img/2481649

朝山が負担したのは「地方税借入金」16000余円、粟生は「賦金借入金」5900円(M20内務県治局長照会の返答案)。賦金は齋藤が旧公債証書で払うといっていた分で、それは東洋組が借りていた額の未納分22050円弱から朝山返納分を差し引いた額、とみられる。


2023-06-15 [長年日記] この日を編集

[煉瓦] 東洋組創始の頃

面白いことに気づいた。陸軍省御用煉瓦の請負はM15.3.から始まっていて(月30万個で6月までに計120万個)6月半ばまでに70万個を納入済。而して西尾の工場はM16.4.に開場していることになっている。士族談話会もM15.11.に西尾が加入したのが最初なのでこの70万個は西尾製ではない。この煉瓦の製造が西尾市史のいう天王での製造に係るものなのかも知れない。単に陸軍省に見本として提出するだけでなく暫くはそこで焼成をしたと。それが立ち行かなくなったので士族就産を謳うようになり西尾や刈谷などに工場を開いていったのか。新川辺での製造が上手く行かなかったことは西尾市史中にある手紙の中にもある。新川の例が失敗していたので西尾の工場を設立する時に碧海郡長がいたく心配していた云々。

猿島砲台では「愛知名古屋東洋組瓦塼製造所之印」のと「東洋組西尾士族就産所」のとが見つかっていたはずなので、あるいは前者と後者で全く違うのかも知れぬ。さらにいえば「西尾分局士族就産所」と「西尾士族就産所」とでも製造時期の違いがある可能性。分局・支局を言い出すのは少し後のことだ。

『工務局月報 (17)]』ではM15.12.に建築に着手、翌2月から製造開始とある>西尾。開業式はその後に改めて行われたのだろう。久能文庫の資料にある開業式典式辞はM16.4.になっている。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ しゃちお [日本の廃道、197号が発行されていなかったの気づきませんでした。 HEADLINEが更新されてなかったですね。 ]

_ nagajis [すみません。。。すっかり忘れていました。間があくと手順を忘れていけません。]


2023-06-19 [長年日記] この日を編集


2023-06-20 [長年日記] この日を編集

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