nagajisの日不定記。
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あのまま破棄してしまうのがあまりに忍びなくて見ず知らずの人の日記を取得しココに取り込み始める。
陸軍幼年学校は士官学校のひとつ手前の教育機関で、13歳から15歳、いまでいう中学生くらいの子供が入学した。幹部養成のエリートコースで倍率も高かったそうなのだけども、軍人遺児は一定の成績があれば順位に関わりなく入ることができたそうだ。件の日記の主も父親を亡くしていて、それで特待生として入学した。昭和16年入学の日から卒業して終戦を迎える頃までの日記が手元にある。太平洋戦争突入から敗戦までを陸軍幹部候補生として過ごした人の青春が詰まっている(はず。まだ全部読めてない)。
個人の日記をテキスト化するのはちょっとどうかとも思ったが、歴史資料としてとても貴重なものと思えたので敢えて試みる。もともと日記は上官?教員?に提出してチェックを受けていたようなので(〔〕中はその添削)、本当にうちに秘めておきたいことは書かれていないだろう。夏季・冬季休暇の日記は故に入力しない。幼年学校でどういう教育が行われていたか、その教育を受けてどう成長していったか、追体験してみたく思う。
量が多いので一気にはできない。暇を見つけて少しずつ入力していくことにする。nagajis米は最小限に。
コロナ禍の辺りから世の中がおかしくなっている気がしてならない。政府が節電を求める→節電に協力するのはいいことだが、この猛暑の中で節電してエアコンを停めて死にかけたとか「エアコン節電するなんて馬鹿か」という愚な声があがったりとかしている。政府はちゃんとエアコン使用でみを守るのを大前提として節電を呼びかけている。人の話をちゃんと聞いているのか聞いていないのかさっぱりわからない。
言われた通りのことしかできない、自分の判断で行動できない人が増えたように思われる。というよりもそういう人ばかりの世の中であったことがコロナ禍によって滑稽なまでに浮き彫りにされたのかも知れない。習え右は日本人の得意技だから。他人がやっているから自分も、で生きてきた人間ばかりの日本である。
感染症の専門家が屋外でのマスクは不要と判断してそう教えてくれている。それに納得したので最近はほとんどマスクをつけていない。コンビニの店内とか電車に乗る時とか。だって暑いじゃん、暑いを通り越して汗で湿ったマスクじゃ息ができないしマスクの意味もない。ただでさえ呼気を通しにくいマスクがよりいっそう気密になって鼻の脇とか顎の下から吹き出すんじゃマスクをしている意味がないではないか。結局のところ「他人がしているから」とか「してないと白い目で見られるから」でしているだけで、感染しないためにつけている人間は皆無なんじゃないだろうか。
でも最近感染者増加傾向じゃん、第七波来てるじゃんという人もいそうである。それが心配でマスクをつけるというその人の判断はよい。尊重しよう。それをあるはずもない「常識」とやらとみなして他人に強制するのはよせ。と思う。別にマスクしてなくて非難されたことは(今のところ)ないんだけどな。あっちこっちで聞く話を思い出すたびに暗澹たる気持ちになる。
自分の権利を守るために声を大にしていうのは構わないが、その主張が受け入れられたと勘違いしてエスカレートさせがちなところがある。あいや、違うな、エスカレートしていると感じることからして少しずれているのかも知れない。意見をディベートして着地点を見出す努力をしないまま、ただ自分の思い通りになればそれでいいとして声高に主張しているようなわけで。マスクをつけたいという意見は尊重する。だからこっちの外したい主張も吟味してほしい。そういうのでないと双方すり減るばかりだ。
話の流れでマスクの話ばかりになったが、日常で起こったささいな軋轢を自分の意見のみに拠って針小棒大に避難したり嫌味を言ったりしがちな日本人的思考日本人的指向が嫌いなだけで、他の何だって構いはしない。自分の事しか考えない……そう言われて耳が痛くならない人間はどこかおかしい。全部とは言わない、どこかがおかしい。
いつだって、自分がその立場だったらどう考えるだろう、と思うことのできるような心の余裕を持っていたいものだ。心の余裕なんていうと切羽詰まった人々から何か言われそうではあるけれど、そういう反論を恐れていては自分の主張を主張できない。「はいはい左様ですか」と交わして誤魔化すのは簡単。無視して我不関も楽ではある。
戦争関連のイベントをタイトルに入れておくことにした。陸軍学校生徒に伝えられた情報と真の戦果とを後で突き合わせて見られるようにと思って。真珠湾攻撃の戦果などはこの時点ですでに過大に伝えられているがこれが当時の軍部の把握であったかも知れない。撃沈艦のほとんどは後で引き揚げられて修復されたのではなかったっけか。そのへんが確認できる公式情報か信用できる集約はどこかにないだろうか。
太平洋戦争が始まってもどこかのんびりムードが続く。日中戦争が泥沼化して久しくなっていた頃だから特段の変化とは捉えていなかったのかも知れない。開戦直前頃に時局の講話や訓話が多いのは予めの前フリであったのだろうか。といったことを思いつつ二冊目を終える。これから後はまだちゃんと読んでいない。打ち込みながら追体験してく。
Q507のキーボードは2種類あって、裏面が平らで多分鉄板かなにかを入れてカッチリ作ってあるのと、軽さを追求したタイプのものとがある。重さは体感的にずいぶん違って後者のほうが明らかに軽い。これをつけているとなんだかオモチャみたいな感じさえする。
前者のキータッチが気に入っていて、ずっとそればかり使っていたのだが(後者はなんだか安っぽいタッチ感。2980えんのキーボードみたいな感じ)、今回なんとなくそちらを装着して持ち出してみて、意外と悪くないタッチであることを発見した。軽いタッチなので疲れなくていい。軽いくせに打鍵感接点感が確かにあって戻りもはやい。Appleの初代Pro Keyboard(黒いキートップのやつ)を使い続けているのと同じ理由で好み。
問題は、キーボードが軽すぎて本体ごとパタンと倒れてしまいやすいことだ……。手のひらでずっと押さえておかないといけないので疲れてくると手首がいたくなる。自分は左手が痛くなる。もともと角度がおかしいし。
2年生になってから自分自身に言い聞かせるような書き込みが多くなるように思えた。一年の時は行事や当番のことを事細かに書いていたように見えるのはそれが目新しい経験だったからだろうか。一年を経てそれが当たり前になってくるとだんだん自分の幼年学校にいる理由を考えるようになってくるらしい。
日記はもともと生徒監が目を通すことを前提に全員に書かせていたようなので、ある意味検閲を想定した内容になっているのであろうことは否定できない。この時期食事もだんだん不良になっていったはずなのにその当りのことは書かれていない。これを幼年学校が恵まれていたからだと考えるか弱音を吐かぬよう敢えて書かなかったのか、どちらと取るか。
体が大きくなること(胸囲の増長、体重の増加)も学生の本分のひとつで、そのことがしきりに出てくる。学業よりも術科や教練といった運動方面に強かった方のよう。そうして夏季休暇前には夏季休暇を恋う内容だったりしてその辺りはやはり14、5才の自然な感性と思った。寝台仲間で無駄口叩き合う辺りとか。
書き終えたところで何がわかるだろうと期待する反面(こっから先はごく一部しか見てない)、何も起こらずに終戦を迎えそうな気もする。後者だからこうして日記が残っているのだろうしな。