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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2020-09-08 [長年日記] この日を編集

[煉瓦]岸和田煉瓦

余りに歴史が分厚いので後回しになっていたが、改めて沿革をまとめたい。

明治5年 士族授産の目的で煉瓦製造を開始。確か達磨寺跡で。元岸和田藩主・岡部の発案で、家老・山岡尹方が担当。これは一旦廃業する[いつ?](同志社大HP、岸和田市HP)

明治11年 岸和田出身の○○が新島襄に師事。岸和田での伝導を依頼。その伝導会に参加した山岡がキリスト教の洗礼を受ける。(「同志社山脈」)

明治16年 夏の旱魃

明治18年 梅雨期の大洪水

によって五穀実らず飢饉になる。それを見た寺田甚與茂が金納源十郎ほか数氏と相謀り、救民目的で煉瓦製造を計画。(「30周年」)

明治20年7月 資本金25000円を投じて第一煉瓦製造会社を設立(「30周年」)。この時には山岡は参加していなかった(確か大阪毎日新聞第一煉瓦製造会社広告。このblogのどこか)。

「第一煉瓦」という名前の由来…どこで読んだのだっけ。

この頃 寺田甚與茂、山陽鉄道の株主に(「寺田甚與茂翁小伝」)

明治21年 会社を軌道に載せるため山岡を登用(同志社大HP)。以降山岡が社長職。

明治23年 資本金35000円、 貝塚分工場開設 (「20周年」)

明治24年、25年 苦境にあって配当なし(「30周年」グラフ)

明治26年 資本金14000円に減額、貝塚分工場売却 (「20周年」)

明治26年11月 商法改正に伴い株式会社化(日付は「30周年」)。このとき岸和田煉瓦株式会社となる。社章は✕印(「日本煉瓦史の研究」掲載の会社定款)。

明治28年 42000円、第一環窯を創設 (「20周年」)

明治29年 50000円、第二環窯創設 (「20周年」)

明治31年 寺田甚與茂、山陽鉄道の監査役に(「寺田甚與茂翁小伝」)

明治35年 100000円、第三環窯創設 (「20周年」)

明治37年(だったっけ?) 「✕」を商標登録(「商標大全」)

明治38年 第4環窯創設 (「20周年」)

明治39年 汽力の煉瓦製造機械を導入(「20周年」)。米国チャンバーブラザーズ社製(「30周年」)

大正4年 専務取締役辞任のため寺田甚與茂社長、金納源一専務取締役。

以下続く。磯上分工場開設とか製造機械の増強とか油抜きとか、岸和田綿業煉瓦とか。

ここから妄想。

貝塚分工場って貝塚煉瓦なんじゃね?

岸和田煉瓦の「✖」が山岡の洗礼と関係があるのだったら第一煉瓦創立時に山岡がいないのに 「✖」社章を掲げているのは何故?

明治20年3月 日本土木会社設立。社章「✖」印。余談だが久原鉱業は「○」。藤田組は三重のヤマに「田」。

明治21年 山陽鉄道着工。

明治22〜24年3月 船坂トンネル建設。「✖」刻印煉瓦の使用。本体工では未確認なものの西口坑口周辺に刻印入り転石がある。竪坑工事に?

明治23年11月竣工の友ヶ島第一砲台本体工に「✖」印刻印。沿道に転石。

明治20年代 山陽鉄道に78000円余りの納入実績。日本土木会社にも28000円強。

明治40年竣工下関領事館に「岸✖泉」。

日本土木会社の株主一覧とか、ないよなあ……。


2020-09-10 [長年日記] この日を編集

[] 導入迄

毎度のことながら地図を作るのが面倒くさい。必要なことはわかっているが面倒くさい。このように「面倒くさい」と書くのは単なる愚痴のようなものであり「面倒くさい」からといって無くしたいと思っていたりはしない。面倒だが必要なことでありむしろもっともっと数を増やすべきであると思っている。そうして増やせば増やすほど自らの首を締めることになる。ざまあみろ>nagajis。

愚痴を零すのはまことに無駄なことである。言うほうは言うことが目的で言っているのであって、それを周囲が拾い上げ対処しなければならないようなものではない。愚痴をいちいち拾って改善しようとするから世の中生きにくくなる。息苦しくなる。人の意見なんて無視するに限る、自分の意見など尚の事不要で害悪である。

とどのつまりこれは「よだきい」の範疇の要件である。してもいいけどせれれんな状況。よだきいと思うことは結局はしなければならないことだ。食事を作ったり排便したり洗濯したりするのと同列に地図作成があるのであり、面倒だからといって食事排泄洗濯をしないわけにはいかないのと同様に地図を書かなければならない。もっともORJ全体がそういうものなのかも知れない。手間だ面倒だと言っていたら原稿すら書けない。

「面倒くさい」を乗り越えて仕上げた時には、自分が少し強くなった気になれる。よく頑張ったと褒めてやりたくなる。そんな自己肯定感を味わうために書いている生きている。それ以上でもそれ以下でもない。やっているうちにいつのまにか実も生ることだろうし。

麻の葉模様を入れたのは特に理由はない。念入りに書いた原稿ほど見栄えを気にしない、時によれば粗略なほどにシンプルにしてしまう傾向がある。見てくれより中身だと思っているので。そういう自分が手の込んだ帯を作ったということはそういう内容でないということになりそうだがしかし今回の導入は満足している。過不足なしだと思っている(いや、過はあるかもしれん。否ある)。しかし探索ルポの最後の辺りが盛り上がりに欠けるので尻すぼみ感はぬぐえない。正直に言えば少し記憶が薄れていて現場地形がはっきりとは思い出せなくなっている。メモでも残しておくべきだったな。

国土地理院地図の上で断面図が書けるようになったのが有り難い。カシミール3Dに頼らなくて済むのはいい。

予想外に長くなり2分割することにしたのはいいのだが、そうすると舞鶴要塞がまた間延びしてしまう。次号も船坂にするのか、それとも舞鶴槇山にするのか、槇山にすると少し短めになるので中ネタ×2のつもりで行かないといけない。しかし相応しい中ネタが乏しい。ここでいうネタの大中小は世間的普遍的価値を基準とした分類でなく要するに長く書けるか否かというだけである。書いて満足するかどうか、でもいいか。ネタはいくらかストックしてはいるけれども取り出して糠を落とすタイミングが難しい。洗った後でやっぱり止めとこ、となるといろいろ困る。

ユニチカ追記しておくこと。聴音所は消すか……いや残すか。しょっぱなから余力を残すことを考えて書くのはよくない。


2020-09-11 [長年日記] この日を編集

[独言][煉瓦][煉瓦工場] 川島煉瓦工場

そうか、初代老ノ坂隧道に煉瓦を供給したのは川島煉瓦であったか……。確かに位置的にはここが一番近い。

[独言] さぼる

愚痴を書いた分で一日休み。数行書き直しただけ。…と書いた所で思い直しルポ 三石 冒頭を書き直す。ここももうちょっと整理したほうがよい気がするが、いまのバラバラな感じも試してみたい気がしている。

旧国道が南に折れて以降の三石市街をもうちょっと書いてあげるべきだと思うがそこまで足を伸ばしてないからな……。駅前通りが閑散としているさまを伝えればそれでいい。

日曜日には仕上げたいと思う一方で歴彩館に申請出したりしている。罰が当たってはじけるべきである。

今回の分量では明らかにルポ部分が力不足なのだけれどこれは謝るしかない。竪坑周りを膨らましたら杢網だしなぁ。

コミミに追記。参考にと思って書いておいたユニチカ記念館に追加ニュースが入ったりしたので。一回目から頑張り過ぎだなと我ながら思う。もっとサクサクでいいと思うんだ。

[醤油]フンドーキン・ゴールデン紫

近くのライフでなぜかゴールデン紫が売っていて。ここしばらくはこればかり使っている。卵ご飯などに使うと特に「ああこの味だ、食べ慣れた醤油だ」と思う。もう何十年も使っていないはずなのに。こちらの醤油だと塩味が強すぎてまったり食べられない。どこか引っかかるものがある。ゴールデン紫はそれがない。

旨いか不味いかという話ではなく、またこれでなければならないというものでもなく、自分の醤油感がこの醤油によって築造されていたのだと改めて気付かされたことが有り難く思える。地方によって醤油の味が違うということに気付かされた、そのベースラインあるいは基準原点としてのゴールデン紫。

地方のひとびとがどんな普段食を食べているのか、なんて普通は考えないものな。小豆島の醤油は特に辛いとか、吉野は辛くて旨味が強い(濃い)とか。大阪の市井ではどうなんだろう。まさかキッコーマンではあるまい。


2020-09-13 [長年日記] この日を編集

[既出][煉瓦工場] 神戸市立中央図書館→烏原貯水池

神戸又新日報がデジタルで見られるようになったと知り&小見出し検索で関西煉瓦の廃業記事なるものを見つけ、目をつけていのをコピーしにいく。ついでに砂子橋でも撮ってくるかと思ってカメラを持っていったのが幸いした。

図書館窓口でなぜか「こうべまたにちしんぽう」と言ってしまい、恥ずかしい思いをしたが、親切に意を汲んで下さりマイクロのほうを案内してくださった。デジタル化したものは粗い画像だし複写ができないのだという。で、確かに目当ての記事はあったけれども、よく考えてみればこの会社、明治31年まで存在を確認しているのだ。記事は明治25年のものである。

●関西煉瓦製造会社の廃業 両三年前に資本金十万円を以て設立したる明石郡垂水村の内山田村の同会社はその製造に係る煉瓦の完全ならざると一方には土木事業一寸下火となりし世間一体の有様なるとのため販路兎角捗々しからず為めに利益を株主へ配当することも叶わず夫等の事情より株主中にも彼れ此れ紛議を生じ居りしが此程遂に廃業に決し同工場は他へ売却することとなり目下数名の残務委員が詰切りて処分をなし居れりと 
(神戸又新日報 明治25年9月28日)

関西煉瓦の名前は「兵庫県治一斑 第2回」(M31)にも出ているし、M30、31の大阪毎日新聞に決算報告がある。この決算報告のときの社長は相変わらず和田半兵衛で役員筆頭には難波二郎三郎もいる。M25の前後で何も変わってはいない。どういうことだろう。

他には市川橋梁・加古川橋梁の建設につき、いくつか。開業時には確かに仮橋だったようで、改修工事を行なっていた最中のM22.9.12に大雨を食らってさあ大変という記事が見つかった。市川橋梁は杭打ち機の木材が流された程度で済み、加古川橋梁は橋台の煉瓦積みをしようと堤防を切り下げていた最中だったのでアワヤ破堤という状況になったようだ。つまりこの頃はまだ下部工は煉瓦積みでなかった。姫路駅転車台が古く、市川橋梁はその翌年以降に作られたと考えれば、市川橋梁で□+カナ印が見つからなかったという状況に意味が生まれる。はじめ□+カナを使っていたのが□+漢字に移行した、のが姫路駅転車台の頃だということになる。

その後砂子橋に行くつもりであったのに何故か烏原貯水池の麓にいる自分を発見してポン引きした(ドン引きとまでは行かない小規模な落胆である)。布引堰堤と勘違いしていたらしい。まあいいや、烏原の堰堤は見たことがないからそれでも見てこようということにする。そんなテキトーな感じで始めたつかの間の神戸散歩だったのだが、山手のあちこちで古煉瓦を発見したり、天王谷川水路橋に出会ったり、たいへん素敵な切り通しに出会ったりした。

画像の説明その切り通し。あとで調べてみると烏原古道という古い道であるそうで。いまの行政地名でいうと石田町から天王町へ越える道筋で、それほど需要があったようには思えないのだが、以前はその奥の寺院に向かう道として使われ、平清盛辺りも越えたのだという。

風化花崗岩の薄い峰を10mほども掘り下げている。ノミ跡あらわな壁もいいし、掘り窪めた肌に石仏が祀られているのもいい。台座には「□化十一年」と刻まれてあって、元号と年数とで判断すると文化11年しか該当しないようなのだが、どう頑張っても「文」には見えなかった。石仏も蓄髪坐像で胸の前で手を重ねているような感じ。ピンクレディー「UFO」の始めのポーズを思い出したのは多分罰当たりである。この切通はまたどっかで書くことにしよう。

天王谷川水路橋も素晴らしかった。そういうのがあるとは全く考えていなかったので(川辺から堰堤が見上げられないかと思って天王谷川沿いに登ってみたのだ)、その分衝撃が倍増した。いまは烏原堰堤とともに近代化遺産に取り入れられている。最初の烏原堰堤の時代からあるものだとすれば明治38年頃竣工ということになり、RCアーチ橋としてはかなり早い時代の作品だということになる。

見つけた古煉瓦もそれなりに面白かった。貝塚煉瓦?と思った井桁菱が同じ溝に使われていた朝日窯業の日の出マークのお陰で大正6、7年頃のものであり和泉煉瓦であるらしいと気が付かされたり、装飾用にわざと焼き損ねられた機械成形の煉瓦に三本線大刻印を見つけたり。三津浜煉瓦なのか播煉なのか断じ難い。サイズはJIS近似で小口幅が5mmほど狭い傾向。

讃岐煉瓦の「キヌサ」+英数字もあった。印影がはっきりしなかったのが残念だが二桁のものらしい。10の位は2に見える。

神戸の山手の住宅街、特に傾斜地に沿って民家が立ち並んでいるようなところは、等高線を垂直に切る方向に流れる溝に煉瓦を敷いたものが多い。山手通の辺りでも同じものを見た。土のまま放っておくとどんどん洗掘されて深鋭な溝になってしまうのだろう。それを防ぐために底にのみ煉瓦を敷いてある。モルタル目地さえなくただ並べて埋めているだけというようなものでも一応は機能していたらしい。そうしてその溝が現代的なものに作り替えられた時、見てきたような煉瓦転石たちになるのだろうと思う。本当にこの一帯は、思わぬ所に煉瓦転石が現れて飽きさせない。


2020-09-14 [長年日記] この日を編集

[独言]言葉の出処

TUKAさんにはまったく頭が上がらない。実に隅々まで原稿をチェックして下さる。こちらのしでかしたトンチキな間違いも冷静に指摘して下さるし書いている側にとってはまことに気づきにくい「思い込み」も正しく直して下さる。自分だったらああはいかない。

今回の原稿などは恥ずかしい限りである。中上川彦次郎を上中川彦次郎と書き間違えていてサッパリ気づいていなかった。そのくせ最初の一つだけは正しく中上川彦次郎と書いている。どういう神経で書いたのか見当もつかぬ。薄暗いじめじめした処でニャーニャー泣きたいような気がする。

この間は不用意に「ざっかけない」という言葉を使ってツッコミをいただいた。大阪住まいの私が東京弁を使っているところに違和感を覚えられたそうだ。そう言われてみれば普段使い慣れている言葉でもなく何故そこでザッカケナイが出てきたのか私にもわからなかった。その語がその場面に最相応だと思う前から延髄反射的にそう書いていて特に気にも止めなかったような記憶がある。いや、そこに生じた軽い違和感がかえって面白くもあったので残してみたものだったっけか。いずれにせよ身の丈に合ってない言葉であるので書き直させてもらった。こういうのは自分一人でやっていては到底気づかないことである。

それにしても「ざっかけない」という言葉、一体どこで仕入れてきたのだろう、と考えてみていた。そのうちたまたま読んでいた『街道をゆく』27にこれが出てくるのを発見した。檮原街道の巻である。確かこの巻は檮原の当別トンネルの旧道のことが書かれてないかと思って読んだのが最初だったから、もう20年以上前のことになる。その中に出てきた言葉が脳の網からふいに溢れてきた、といったら聞こえは良さそうだがそんなに記憶力がよい脳味噌だとも思えない。出涸らしの茶葉の中に変わった形の葉っぱが混じっていて、それが茶漉しに引っかかっているのをたまたま拾い上げただけのように思う。

加えて言うと「ざっかけない」という言葉の辞書的意味は知らなかったりする。言葉の前後の文脈からこんな場面で使うこういうイメージの言葉なのだなと思って書いてみた、という程度でしかない。わからない言葉をいちいち辞書で引くような几帳面な大学ノートのような自分ではないのである。故に前記の「ざっかけない」も恐らく辞書的意味ではそぐわないところがあって、それでTUKAさんの目を刺激したものと思われる。

何か腹があってこういうことを書くのではない。言葉を覚えるということ、使いこなせるようになること、の始まりには大なり小なりこれと似たような剽窃があると思った。新しい言葉を知ると(正確な意味など二の次にして)無性にそれを使ってみたくなるところが誰にでもあるんじゃないか。してそのことに対し、何故そんなことをしたくなるのだろうという疑問が湧いた。間違って恥ずかしい思いをするとか、謗られるとかいったマイナスの可能性を考えてから使うようなことは少ない。とりあえず真錬して、使ってみたくなる。この心理はこころのどの辺から来ているものなのだろう。

新しい言葉を覚えること、それを使ってみたくなること、は同じことの繰り返しにならざるを得ない日常の、定常波常態を擾乱する意味合いがある。新しい刺激を投じることで退屈な常態を変えてみようとする試みといえる。して自分などは特に退屈が苦手だ(こう見えてもだ!)。ものを書いているとその思いをますます強くする。何でこんな退屈な言葉しか書けないんだろうかと落ち込む。だからといって刺激を求めるとそこだけが鋭敏な棘になって目立つことになる。使い慣れていない言葉、消化し切れていない言葉だということが傍目顕わにバレてしまう。蛍光ペンでマークしたようなものになる。それを恐れて新しいことをしなければ尚更退屈だ。

結局のところ、そういう言葉を使い続けて自分のものにするしかないのだろう。習得過程で恥をかくほうが覚えは早いだろうし。うん。そういうことにしておこう。でも人名を間違えるのはよくないな>nagaijs。


2020-09-15 [長年日記] この日を編集

[独言]青い

原稿を書くときは今でもTF-101を使っているのだが、いつの頃からか、スリープから復帰した時に画面が青くなってしまう症状が出るようになっている。本来白で表示されるべき部分がC10%くらいの薄水色になってしまう。これを書いている今もその色である。

再起動すれば治るのでそれほど気にしてはいないが、書きかけの原稿を保存せぬまま置いてあった時に青くなって、保存せぬまま再起動してしまい、せっかく書いた部分が藻屑になってしまったことが何度かある。使っているテキストエディタは再起動時に保存を聞いてくれたりしない。Androidのシステムの特性なのかも知れない。

書いた原稿が消えてしまうのは悲しいことである。数十分数時間呻吟して絞り出した文章が無駄になるのはその時間の分だけ無駄遣いしたような気になる(だったら睡眠時間を減らすとか同じ本を読むとかいった無駄をなくせばいいとは思うけれど。実行したことはない)。例えそれが後で原型を残さないほどに書き直されることになるだろうとしてもだ。

だからというわけではないけれども今は再起動せずに書いている。別に書きたいことがあるわけでもないし書きかけの原稿があるわけでもないのに。今までとは違うことをやってみるタイミングはいつもそんなだ。長いことやろうかやるまいか悩んでいて、いざやるとなるタイミングは、いつだって何という切っ掛けもなく、あ、やろうといった具合い。これもまた無駄なことではある、悩んだ時間がとても無駄だ。もちろん、その呻吟の間に知らぬ間に戦略を立てていて、そのお陰で行動がスムーズになっているのかも知れないが、そうやって上手く行くよりも「えいや」で始めて当たって砕けたほうが身になることが多いような気がしている。砕けずに上手く行けばなおさら面白い。イキアタリバッタリで生きているnagajisである。

さて……船坂後半、どうなることやら。見てきたものは多いがてんでバラバラだ。そのまま書けば事実の羅列で終わってしまいそうである。一応は煉瓦で芯を通せるだろうと踏んでいるが求心力のある芯だとは思えない。瓦礫の山にならぬよう気をつけよう。

サブ記事はどうしよう……いい加減鉄道学園片付けようか。これも面白い発見があったわけでないので乗り気薄なのだが。


2020-09-16 [長年日記] この日を編集

[独言]休めない

今日は一日ゆっくりしよう……と思っていたらいらんこと近代化遺産公開のニュースを見つけてしまい追記するはめになった。誰も求めていない記事だからこそ自分が構ってあげなければならないという歪んだ使命感のもと追記する。まったくもって無駄なことである。そんなこんなでアレコレ用が出来て結局10時半である。

いいかげん煉瓦の件まとめたいな……と思う。ぼやぼやしているとどんどん置いていかれる気がする。しかし此れをまとめ切ったら後には何も残らないようにも思う。することがなくなってしまうのではないか、心血を注いで頑張れることが無くなってしまうのではないかと思う。煉瓦芸人枠なんて存在しないのである。

というわけで花を買ってきて嗜む代わりに岸和田煉瓦カテゴリーを固め始めた。追記しなければならないことが多すぎる。そういえば自動切断機と自動横切切断機の違いも明らかにはなっていないのだった。捏土機×3だったら切断機も×3でないとおかしい。切り方を変えるとかそういうことか。

次は岸和田煉瓦綿業。その前に組合加入、各地の分工場、中国煉瓦。(株)岸煉と(株)コナミスポーツ?と。線入り、カナ入り、漢数字。


2020-09-18 [長年日記] この日を編集

[近代デジタルライブラリー]

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765808/84

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765371/15

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1116387/109

購買物品検査規格

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112344/303

市街地建築物法関係法令全集 : 分冊

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1108254/33

築営教範 : 軍令陸第6号

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438473/42

岡山県の鉱工業 : 解説と資料

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1064824/14

電信電話線路建築学. 下巻

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/961234/116

三川採炭学. 中

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/960428/65

近世建築用材料. 上巻

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/954785/118

建築設計便覧 山陽形3inch

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/846237/52

土木設計便覧

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/846092/85

工業通覧

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/845410/82

学校建築通解

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/846188/36


2020-09-26 [長年日記] この日を編集

[新聞読]毎日M24

1/1-2/9 ヘッダーに日付がないので注意


2020-09-28 [長年日記] この日を編集

[新聞読] 毎日M24.2.10-3.30

3度固まり一度は復帰、一度は席移動で継続。三度目に3/31を見ようとしてまた固まり諦める、うえに複写申請に書き漏らしがあって日付がわからんのが出てきた。ビッグシット。

M24の1月だったかに国会議事堂が焼失し、それに関する話題が多く出てくる。といったようなことを書いたほうがなんぼか意味があるかも知れない。はじめ電球が火元ではないかと報じられたため、大阪電燈や電球製造会社が「電球は安全です」という広告を何度も出している。内務省技師がその説を否定したという記事もあったりした。見た範囲では火元が特定されたという報はない。

確かに電球が火元になることは稀だ。そばに可燃物があって熱的影響を与えて火事になったということはしばしばあるが、確かこの記事では割れた電球が漏電して云々というものだったと記憶する。

今の時代に生きる私たちには そういうことはないと言えるだけの知識がある。大慌てで火消しに走る会社広告を鼻で笑うような心もある。でも、私たちの知識は過去の歴史の蓄積のうえに成り立っているわけで、その知識でもって過去を嗤うのは物識らずであり滑稽であるだろう。数年後数十年後、 新型コロナウィルスの根本的対処法が確立した頃になって西暦2020年を振り返り「○○○○もなかったんや」「なんで△△△せえへんかったんやろ」「マスクとかw」と訝りあるいは嗤いするようなものである。

似たような知ったかぶりの解釈はいろんなところで同時進行中である。「勝てるはずのないアメリカに戦争を仕掛けたのは愚」「坂本龍馬が暗殺されていなかったら日本はもっと良くなっていた」云々。違う。様々な要因が複雑に絡み合って身動きできない状態になったからそうなった。そうなったから今の私たちがいる。それが必然だったとか運命だったとかは言わない。過去の結果である。今の私たちが今の世の中をお気に召さなければ、歴史に学んで、参考にして、それに立脚して未来を望む方向に向けていく努力をすればよいだけである。

いま日本には「いま」を生きるだけの人間であふれている。世の中をこのように変えていこうという見通しを持ち、かつ実行する人は稀だ(どちらか一方だけはある、という人物はないでもない)。自分さえ良ければ、自分さえ楽しく生きられればいいという一般市民ばかりではあるまいか。だとしたら現状維持が関の山かも知れない、一億六千万人ぶんの「自分さえ」の最大公約数は限りなく小さく、ベン図の重なりは芥子粒ほどもないに違いない。

[独言] 自我ってなんだ

自我というものが、よくわからない。辞書的な意味はわかるのだけれども、それを自分にあてはめて考えた時に、一抹の不安を感じてしまう。自分と自分以外を区別できる能力だとすれば幼稚園以前からあった気がするのだが。

自分のために何かをするというのが下手である。飢えて死ななければそれ以外はどうでもよいと思っているところがあって、着飾ったり自己の主張を主張したり人に誇れる高価なものを手に入れたいという気が起きない。もちろん捨て鉢な生を生きているつもりはなくて知りたいことを知れた時の喜び、疑問が解決した時のうれしさは何物にも替え難いと思っている。それさえあればいいと思っている。加えて知れたことをアウトプットできればなおさらいい。溜め込むのは好きではない。

華やかなスポットライトを浴びて生きていた人が、急にライトを浴びなくなった時、どれだけ不安になることか想像してみたりする。注目を浴びている自分がほんとうの自分だと思っていたら、そしてその注目が極度に高いものであったら、そうでなくなったときのに感じる差は相当に激しいに違いない。誰一人私を知っちゃいないと気づいた時の焦燥感は有名人でも何でもない自分ですら苛まれることがある。不安である。でも、誰にも知られていない自分が本当の自分なのだと気づきさえすれば何ということもないのであった。ゴミの山に埋もれて死のうが崖から落ちて卒しようがこの世の中に対して何ら影響を与えない。気楽でいいではないか。


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