nagajisの日不定記。
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あれ、前回は20日までだったか……。27まで読んだと勘違いして28日しか読んでない>M18
M19を飛ばして20からよむ。原口仲太郎が青木、佐藤、宮崎商店と?共同で会社設立とかゆう重要情報。これって堺煉化石なのか?それとも「資本家合同してできた」稲葉組なのか?それを見極めるために6月まで粘ったが答えは出てこず。宮崎商店?は記憶があいまいで、取って来たコピーもまだ見返せてない。
妙国寺ちかくの某煉瓦工場が堀川監獄の新築のために堺監獄で始めた煉瓦製造を指導とかいう情報も。最寄りは西神明町の若井煉瓦なのだがこの頃はまだ成金商社にもなっていない。柳之町の旭商社か。
山陽鉄道の中上川社長がアメリカ式の建設の信奉者で、アイルランド式を推す井上勝と<>だったこととか。でも記事では愛蘭式でいくだろうという話になってる。山陽鉄道ははじめBARROWSで1896からCarnegieやIllinoisに変える。どこで2−3/4inchの山陽型煉瓦が採用されたか。M26か・・・じゃあ船坂以前だな、はじめからなんだ。あれ、外国人技術者はどこ出身だったっけ。
大阪日報には対馬要塞や由良・加太の建設のことが結構頻繁に出てくる。対馬要塞なんか地図入りで大々的に掲げてる。うえに入江組が工事を受注して資材ともども乗り込むよっていう報まである。この頃はまだオープンだったんだろうな。しかし入江組とはな。小曽根の煉瓦工場を引き継いだところじゃないか。
そうそう、原口は呉鎮工事で現場製造を指導したらしい。同じ記事に琵琶湖疏水の工場のことも出てくる。原口工場が関西以西の煉瓦製造に及ぼした影響の大きさを改めて思い知らされた。
乳糖ペプシ子の効力の話とか。
社会的世間的に一切役に立っていない自分の存在理由を紡ぎ出すために新聞記事を読んでいることに対する自責の念がないわけではない。そんなことをして何になると思わないでもない。けれども何かをやらなければそれこそ無益な存在のままであって底にはりついて居続けられるほどメンタルは強くない。ぼやけまくった現存在の輪郭を確認することでなんとか形を保っているのは、それはそれで間違った行動ではなく、人が人として生きていくうえで王道的なものそうあるべきものと、心の底からそう思ってみたいものだ。自分自身を認めてやりたいものだ。
料金を気にせず出力しまくっている自分を「変わったな」と思う。一枚のコピーを惜しんで手書きメモしたりしていた頃の自分には申し訳ないが、貧しくても熱意があったあの頃の自分ではなくなっている。得られたことへの有り難みは、どうだろう。同じくらいには有り難く思っていると思うけれど、積ん読気味なのはいかがなものか。熱意の低下と取られても仕方ない。溜まっていく情報は早めに整理分析したほうがいいぞ。
TF-101がフリーズすることが多くなった。ブラウザもTLS1.2対応していないので見れないページが多い。いい加減変えたほうがいいと思うが踏ん切りがつかない。どうせテキスト打ちしかしないのだからやっすいタブレットかChromebookでいいんじゃあるまいか。ASUSは好きなのだけど今は2in1タイプを出していない。
●煉瓦の注文 府下西成郡湊屋新田なる煉瓦石製造所にては此程東京なる仏国公使館より注文を受け至急許多の煉瓦石を製造なすが為め昨今頗る多忙を極め居るとのことなるが右は過日焼失したる同国公使館を新築するの用に供するものにして同館は従前の場所に於て今度は総煉瓦造にさるるより斯は多くの注文ありしなりと云えり
●堺煉瓦石製造所の祝筵 和泉国堺区大浜通二丁目煉化石製造所は近頃益々業事の盛大に赴くに付き製造人原口仲太郎氏は今度同業者なる青木、花岡の両氏と合併し尚一層の拡張を計らるる由にて一昨日は右披露[傍ーイ]々新年の宴会を兼ね祝筵を同地の丸万楼に開きしが来賓は京都府属兼疏水工事煉化製造所長片山正中外二氏其他堺区長銀行諸会社新聞社員等無慮八十余名にて席上祝文の朗読及び演説等あり終りて鄭重なる日本料理の饗応をなし同地龍神橋の紅■十数名が手踊をなして興を助くる抔中々の盛会なりしが午後八時頃何れも歓を尽して散会せり
前者「湊屋新田」。湊屋にあったのは大阪窯業だが、新田がつくんだっけか。50年史にはこの時期の記述が少なく貴重な活動情報だ。(この報が真実なら)大阪産煉瓦が関東まででかけていたことになる。大阪窯業はこの翌年だったかM24だったかにホフマン窯を作るが親会社の硫酸製造会社の拡張で追¥い出される。
同じ年の大阪日報には炭屋新田の大阪煉瓦の広告。
後者はずいぶん覚え違えてたな。原口+青木+花岡。花岡工場は確かにM20末で消えるが住吉橋通1丁目にはM21版から井上工場が現れるのだった。青木は青山の間違いのように思われるが、別に青木工場があったようなあいまいな記憶も(青山工場はM23末まで継続を確認)。疏水事務所工場の所長も参加しておるのは原口が工場立ち上げを協力したからで、翌日の記事にもそのことが書かれてある。呉鎮守府・佐世保鎮守府に煉瓦工場を建設するために協力という記事。にしても80人も招いて日本料理を振る舞うわ芸妓が手踊りするわで相当の饗応だったことがわかる。原口は大阪セメントの特約店をやってたりもし、後日には建野府知事が原口の所に逗留したりもしているのだった。どんだけ。
隅山組を興した隅山尚徳を祖父にもつ著者の「煉瓦屋」伝。まさかこんな本がこの世にあろうとは思っていなかったので金額無視で購ってしまった。しかも私家版という。書いて下さったことに心から感謝を申し上げたい。
とはいえ、東京の煉瓦工場だから直接には役に立たないかも…と思っていたが、冒頭で隅山尚徳が豊岡藩出身だという情報が。あまりのタイムリーさにそれだけで満足してしまった。残りは 本代に比例するようなスピードで じっくりゆっくり読みたい。
世の中が嫌だと思ったら、世に居場所がないと思ったら、自分が変わるしかない。そうはわかっているつもりでいて難しいこともよくわかっているつもりで、ハそれでナから諦めていたところがあった。そんなんじゃダメだ。やってみないとそれこそ何も変わらないのだ。変わらないことが褒められるのはごく限られた場面でのみだ。
おいしいと思うもの。きれいだと思うもの。面白いと思うもの。なにかプラスの価値があると思うものは、突き詰めてくとどれも「自分にとっては」であって、慣れているかいないかの差でしかないことも多い。慣れ親しんだ味を美味しいと思い、見慣れたものを上回るものを美と思う。初めて食べるものを美味しいと思うのも、それまで食べてきたものと無意識に比べている。全く何も食べたことがない状態で何かを食べた時、どう思うだろう。絶対的なおいしい、絶対的なきれい、はあり得るだろうか。
自分の知識の範疇から出られないのは残念だ。それ以上何も広がらない。学ぶのは自分の知る範囲を広げてより高次のおいしい・きれい・面白いに出会うためなのだろう。知ったことをすっかり捨てて忘れてしまうのもありかも知れない。それが不射の 射なのかも知れない。
成金社の設立記事と広告と。これ、以前マイクロフィルムで見たやつだ。あの時は広告面だけ流し読みして拾ったから本編記事のほうには気づいていない。菟原郡大石村のなんとか氏が地元醸造家と共同で煉瓦工場を設立@堺区神明町西二丁(記事では三丁)というのがなかなか意味深である。なぜ灘の人物がわざわざ堺に工場を興したか。成金社の煉瓦が外国人居留地壁に使われているのもその流れの上にあるのだろうか。
堺煉瓦石の設立記事はその後に出てくる。かなり長期間に渡って品品と出てくる。力の入れようは堺煉化石のほうが上。しかしそのことは堺煉化石の勢力を表すものではないかも知れない。売れ行きが鈍ってきた所へ種々新工場が現れるようになって焦っているように見えなくもない。堺煉化石も本文記事があるが要するに広告文章の焼き直しでしかない。
其他は対州と馬関の砲台建設につき。そうそう第二方面の出した請負募集広告があったりした。なんだ大阪日報にはいくらでも記事があるじゃないか。この調子だと煉瓦購入の記事もあったりしまいか。いや由良は直轄工事だったっけか。その違いか。